ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 「障害者は生きていて意味がある」という事実を作ること
      相模原殺傷事件で、容疑者の「異常性」のみが強調されているようですが、障がいのある人に対する「憎悪犯罪」(ヘイトクライム)を容認する社会の闇の部分を見落としてはいけない気がします。毎日新聞のとてもいい記事を見つけましたので紹介します。 mainichi.jp   「障害者は生きていても意味がない」と主張し、障がいのある人たちを何人も刺殺した今回の事件は、長い時間をかけて障がいのある人たちを受け入れてきた日本の社会全体に対する攻撃だととらえるべきだ、という主張は、ほんとうにその通りだと思います。障がいのある人たちと一緒に生きていこうという「志」に対する攻撃です。  「障害者は生きていても意味がない」という容疑者の主張を否定するには、言葉で反論することはもちろんですが、それ以上に「障害者は生きていて意味がある」という事実を作ることだと思います。少なくとも「ぷかぷか」はその事実を作ってきたと思います。    ホームページ、Facebookページにはその事実がたくさん載っています。 pukapuka-pan.xsrv.jp   Facebookページはこちら https://www.facebook.com/pukapukapan    「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージは、「障がいのある人たちと一緒に生きていくことに意味がある」から出しているのであり、それはそのまま「障害者は生きていて意味がある」ことになります。    「障害者は生きていて意味がある」ことが見える具体的な事実を作ること、それが何よりも大事だと思います。 ぷかぷかで働く障がいのある人たちと地域の人たちが一緒に6ヶ月かけて作った芝居の発表会の舞台です。障がいのある人たちと一緒に作ったからこそ成り立つ舞台です。「障害者は生きていて意味がある」のです。   人の心をぷかぷかにする彼らは、社会の中でとても大事な仕事をしています。「障害者は生きていて意味がある」のです。 www.youtube.com    もう一つ、今回の事件に関しての安倍政権の反応です。 http://mainichi.jp/articles/20160802/ddf/012/070/002000c あれだけ大変な事件について、なんのメッセージもないなんて、この政権は一体何を考えているのでしょう。社会的弱者や少数者の人権を守っていこうという意思が、ほんとうに情けないくらい見えません。彼らが目指す憲法改正がどういう方向を目指しているのか、きちんと監視しておかないと、気がついたらとんでもない社会になっていた、ということになりかねません。彼らが作ろうとする未来がとても心配です。  
  • 彼らの日々を発信することの大事さ
    今朝(8月3日)の朝日新聞声の欄に私(高崎)の投書が載りました。 http://digital.asahi.com/article_search/detail.html?keyword=高崎明&searchcategory=2&from=&to=&MN=default&inf=&sup=&page=1&idx=1&s_idx=1&kijiid=A1001120160803M014-12-011&version=2016102103    編集されているので、いまいちの感じですが、相模原の事件を受けて書きました。  あらためて彼らの日々を発信することの大事さを思います。多くの方は、障がいのある人たちがどんな日々を送っているのか知りません。彼らのことを知らないことが、「彼らは社会の負担になっているだけ」「彼らは不幸だ」「生きる価値がない」といった考えにつながっていきます。  ぷかぷかが日々発信しているのは、彼らの平凡な日々の出来事です。今日もせっせといい一日を過ごしました、という記録です。平凡な、それでいてどこか楽しい日々の積み重ねは、彼らの人生そのものです。彼らは「ぷかぷか」で働くことで、街を耕しています。たくさんの「ぷかぷかのファン」を作りだし、街を豊かにしてきました。  昨日書いたセノーさんは「ああああああ〜」とかいいながら毎日街を耕しています。 pukapuka-pan.hatenablog.com  「ぷかぷか」は彼らに支えられています。彼らがいない「ぷかぷか」は気の抜けたビールのようで、なんの面白みもありません。彼らのおかげでこんなにも楽しい日々を過ごすことができています。こういう雰囲気がいつか社会全体に広がっていくといいなと思っています。  
  • こちら側の出方次第で、この社会は変わる
     昨日アップした「重い障がいがあっても、こんなすてきな人生…」という記事の中の、事件で犠牲者になった方の名前を出さない問題に対し、 「私は保護者による人権侵害だとさえ思います。彼らは保護者のものではありません。」 というコメントがつきました。間違ってはいないと思うのですが、保護者を責めてもなんの解決にもなりません。問題がそこにはないからです。名前を出さない、出せないことのいちばんの原因、それは、障がいを隠して生きざるをえなかった人たちがいるこの社会こそが問われるべき問題だろうと思います。ですから今回の件は社会全体の人権侵害ではないかと思います。  そんな社会をどうやったら変えられるのか、どうやったら障がいのある人たちへの差別意識をなくすことができるのか、という問いの一つの答えとして、私は6年前、障がいのある人たちの働くお店「ぷかぷか」を街の中に作りました。障がいのある人たちへの差別意識は、彼らのことをよく知らないことから生まれます。ならば、街の人たちにお店で彼らと「いい出会い」をして欲しいと思いました。街の人たちが彼らと「いい出会い」をすれば、障がいのある人たちへの差別意識は自然になくなります。で、実際どうだったのかー  お店が始まった当初は、店頭で大声で宣伝していた「おいしいパンいりませんか」の声がうるさいと苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりする自閉の方の行動が目障りで飯がまずくなると言われたり、パニックで外へ飛び出してしまって大声で怒鳴られたり、ほんとうにもう心が折れてしまいそうな日々でした。  それでもこつこつお店を続けていると、彼らに優しく声をかけて下さるお客さんも少しずつ増えてきました。いちばんよかったことは、接客マニュアルを使わずに、彼らのやり方に任せたことでした。それぞれの個性、魅力がそのまま出るような接客に、お客さんはとても新鮮なものを感じたようでした。以来、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんが少しずつ増えてきました。彼らと「いい出会い」をしたのだと思います。  Facebookページでは、毎日のように「今日はこんなことやりました」「あんなことがありました」という記事をメンバーさんのいい顔した写真と一緒にアップしました。毎日こんなに楽しく働いてるよ、というメッセージです。記事によっては1,000人を超えるアクセスがあります。Facebookページを通して「いい出会い」をしたのだと思います。  社会が少しずつ変わってきたなと実感します。こちら側の出方次第で、この社会はまだまだ変われる、希望を持つことができます。    今回の事件をきっかけに社会の暗部がぐわっと出てきた気がします。「障害者という税金食い潰すだけのゴミを始末した英雄に賞賛の声がツイッターで殺到」などというぞっとするようなネット上の情報には暗澹たる気持ちになってしまいます。そんな社会情勢にあって  「ぷかぷかが好き!」「ぷかぷかのファンです」 という言葉は、もう涙が出そうなくらい光っています。ここには希望があります。ぷかぷかが街に中にお店を作り、毎日街を耕した結果生まれた言葉です。こんな言葉をもっともっと増やしていきたいと思っています。    事件後、障がいのある人たちも一人の人間として認められるような社会になって欲しい、とよく言われるのですが、なって欲しいと思っているだけでは社会は変わりません。やはり彼らと一緒に何か始めること、社会に具体的に働きかけること、そうすれば社会は少しずつ変わっていきます。ぷかぷかを始めて、それは実感としてあります。  小さなことでいい。たくさんの人が小さなことを始めれば、社会は少しずついい方向へ変わります。   パン教室での、こんな小さな出会いが、未来に希望をもたらします。 制作スタッフのぷかぷかさんたちとの素敵な出会いがこのプロモーションビデオを生みました。「いっしょにいると心ぷかぷか」みんながそんな気持ちになってくれるといいなと思います。 www.youtube.com                       
  • 重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージの大事さ
    7月30日の朝日新聞朝刊に、相模原で起きた殺傷事件で犠牲者の名前を公表していないことについての記事がありました。 digital.asahi.com  保護者の要望で名前を非公表としたというのですが、名前はその人の人生そのものであり、名前を公表しないことは、その人の人生そのものがなかったことにならないか、という気がします。  たとえ重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージは、こんな時こそ大事だと思います。  きちんと名前を書き、この人はこんなすばらしい人生をおくりました、と書き残すことは、亡くなられた方への最低限の「礼儀」であるようにも思うのです。      こんなことは考えたくないのですが、もしぷかぷかでこんな事件が起き、もし犠牲者が出たりしたら、悲しみに暮れながらも私は、犠牲になった方はこういう名前の方で、こんな人生を送ってたんですよ、という話を書きます。悲しくて、悔しくて、やりきれないから、ほんとうにもう毎日書きます。その人が生きた証を残してあげたいからです。障がいがあっても、こんなすてきな人生を、こんな豊かな人生を生きたんだよ、という確かな証です。  そしてそれをたくさんの人たちと共有することこそが、このような事件を防ぐ力になると思います。      「重度障害者は何もできない。生きる価値はない」なんて発言はとんでもないと思います。この記事で紹介されている写真の青年は、お父さんとお母さんの人生をしっかり支えてきました。すばらしい働きだと思います。こんな働きは誰にでもできることではなく、この青年しかできません。  彼が施設で生活することで、施設職員の雇用を生み出しています。食事を作るための食材の業者さんの仕事を生みだし、施設のメンテナンスをする業者さんの仕事を生みだします。つまり、彼が生活することで経済が回るのです。彼がいなければ、こういったことがゼロになります。その経済的な損失を考えると、彼が施設で生活することで生み出すものの大きさがわかります。  そういう働きを私たちがきちんと評価していくことが、今の社会風潮の中ではとても大事だと思います。    記事にそういう掘り下げがなかったことがとても残念です。
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