ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 障がいのある人たちと一緒に、黙々といい一日を作り続ける
     北海道の滝上という山の中に「森の子どもの村」があります。子どもが小さい頃、何度かキャンプしに行きました。その縁で毎年この時期になるとそこの通信が送られてきます。通信の中に必ず33年前の事故にふれるページがあります。  キャンプの活動中に交通事故で子どもが二人亡くなりました。そのことをずっと背負い続けているチコさんが亡くなった二人への思いを毎年書いています。心に響く言葉があったので紹介します。      …事故のあと、子どもの村を続けたことが正しい選択だったのかと問われれば、いまだわかりません。亡くなった二人に対して、何を残していけばよいのか、いつも迷います。  ただ、ただ伝えたいです。  生きているコト、誰かを大切に思うコト、誰かと一緒に生きるコト  泣いて、食べて、笑って、怒って、また笑うコト。   それがどんなにすごいコトなのか。大切なコトなのか。  教訓とか、むつかしい言葉ではなくて、夏の陽ざしや、木のかげや、川の音や、風の香りにまぎれて、伝わってくれたらなぁ、と思います。  今年も夏が来ます。ホコリとケムリと夏の匂いのする子ども達が、いろんなコトをやらかす季節が来ます。  誰の顔も、帰る時にはぴかっとしているといいな、と思います。      ぷかぷかは毎日、ぷかぷかさんと過ごす日々の出来事をFacebookなどで発信しています。それは彼らと過ごす日々こそが大切だと思うからです。いい一日を彼らと一緒に作り出すことが大事だと思うからです。そして彼らと作り出す日々が、彼らと一緒に過ごす日々が、誰かに伝えたいくらい輝いているからです。    生きているコト、誰かを大切に思うコト、誰かと一緒に生きるコト  泣いて、食べて、笑って、怒って、また笑うコト。   それがどんなにすごいコトなのか。大切なコトなのか。  教訓とか、むつかしい言葉ではなくて、夏の陽ざしや、木のかげや、川の音や、風の香りにまぎれて、伝わってくれたらなぁ…    というチコさんの思いと同じです。  相模原障害者殺傷事件に関して、いろいろむつかしい議論があります。でもね、何よりも大事なことは、彼らと過ごす日々であって、そのいい一日を毎日丁寧に、彼らと一緒に作り出すことだと思います。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」「障害者は生きる価値がない」などといわれたその障がいのある人たちと一緒に、黙々といい一日を作り続けるのです。  そうやって作り上げた一日の輝きこそが、ほんとうに「障害者はいない方がいいのか」、ほんとうに「障害者は不幸しか生まないのか」、ほんとうに「障害者は生きる価値がないのか」、と問い続けるのだと思います。    〈一緒に泣いて、食べて、笑って、怒って、また笑う〉日々をたくさんの人に伝えたい。ぷかぷかのFacebookには、ぷかぷかさん達との輝くような一日の断片があふれています。そうして 「あっ、おもしろそう」 って思っていただけたら、ぜひぷかぷかのお店に来て欲しい。お店で、彼らのそばを流れる時間の心地よさ、あたたかさをひととき味わって欲しい。その心地よさに 「彼らって、いた方がいいね」「一緒が楽しいね」 って、思っていただければ…と思う。   
  • 「障害者は不幸しか生まない」?
     このところぷかぷかさん達のすばらしいアート商品が次々にできあがっています。    ぷかぷかさん達が楽しい絵を描きます。その絵をどこに、どんな風に使おうかと考えるスタッフがいます。色を塗るスタッフがいます。ぷかぷかさんも色を塗ります。ぷかぷかさんとスタッフのフラットな関係の「協働作業」の中で、こういった商品ができあがってきます。これがぷかぷかさん達と一緒に生きていくということです。そして、一緒に生きていくとこんなにステキなものができあがります。  こういう商品は、ほっこりあたたかなメッセージを社会に振りまきます。それは、私たちの心にあたたかなものをプレゼントしてくれます。そうやってみんなを幸せな気持ちにさせます。    その幸せな気持ちの中で、あらためて気がついたことがあります。「障害者は不幸しか生まない」という相模原障害者殺傷事件の犯人の言葉です。  「障害者は不幸しか生まない」? ぷかぷかさん達が生み出すものを見て、そんなふうに思う人はいません。  この言葉はですから、決して普遍的なものではなく、犯人がいた職場が、障がいのある人たちと、そういう関係をつくっていたに過ぎません。「障害者は不幸しか生まない」と思うような関係です。  犯人がいた職場は障がいのある人たちの「支援」の現場です。「支援」という、一見いいことをやっていそうな現場で、どうしてそのような貧しいとしかいいようのない関係が生まれてくるのか。    「支援」という上から目線の関係は1+1=1の関係だと思います。相手を見下している限り、相手との関係から新しいものは生まれません。その関係からは、見下す側の人間の幅のものしか出てきません。だから「1+1」はどこまでも「1」のものしか生まないのです。  上に紹介したTシャツやバッグは、ぷかぷかさんとスタッフのフラットな関係を元にした協働作業が生みだしたものです。「1+1」が「2」以上の新しい価値を生み出しています。  彼らとおつきあいしながら、そこから何も生み出さないなんて、もったいないです。  何も生み出さないどころか、「障害者は不幸しか生まない」などと言い切り、相手を抹殺するところまでいってしまったのが相模原障害者殺傷事件だったと思います。  「障害者は不幸しか生まない」という言葉から、実際の事件へは大きな飛躍があります。でも少なくとも、そういう言葉、そういう言葉を生む関係がなければ、事件は起こらなかったかも知れないと思うのです。    
  • 「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろう
     神奈川新聞「時代の正体」に、相模原障害者殺傷事件の犯人に面会に行った話が載っていました。 www.kanaloco.jp  《 事件からまもなく2年。社会は変わったか。そんな問いは無意味の思えるほど風化が進み、事件直後にあちこちで耳にした「決して忘れない」という言葉がむなしく感じられる。 》と、記事にありました。そういえばあれだけみんな口にしていた「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろうと思います。  「決して忘れない」をいうだけでは、差別や偏見を許容する社会は、何も変わりません。  障がいのある人たちのグループホーム反対を叫ぶ人たちがいます。「障がい者はこの地域に来るな」「ここに住むな」といってるのです。「障がい者はいない方がいい」といった犯人と全く同じ発想です。障がいのある人たちを社会から排除する、という動きは、こんなふうにあちこちにあって、あれだけの事件がありながら、社会は何も変わっていないことになります。  事件を忘れない、というところにとどまるのではなく、日々の暮らしの中で立ち現れる差別や偏見とどう向き合うのか、それに対して何をするのか、ということこそ大事な気がします。    こんな関係を作り続けること、これこそがぷかぷかが日々やっていることです。        
  • 「守る」のではなく、積極的な「攻め」
     第4回表現の市場をやりました。チラシの裏には相模原障害者殺傷事件への思いを書きました。事件は障がいのある人たちの全面的な否定でした。それに対して表現の市場は障がいのある人たちの全面的な肯定を舞台で表現するものです。  栃木県で農業をやっている上野さん(ぷかぷかのライ麦パン、お昼ごはんのいろいろ米は上野さんの作品です)はそのチラシの裏を読んで、これは行かねば、と思ってきたそうです。お話を聞くと、事件のあと、みんな障害者を「守る 」と言っているけど、結局は「囲い込む」わけで、彼らを「生かす」なんてことは全く考えていない。それを考えると、表現の市場でやっていることは彼らを全面的に生かすというか、積極的な「攻め」ですよね。それがいいと思ってきました、とおっしゃってました。  うれしいですね。そんなふうに表現の市場を語ってくれた人は初めてです。  積極的な「攻め」という風に見ると、あの舞台の元気さの意味がよくわかります。   アラジンはいつものように迫力ある太鼓演奏。  ぷかぷかで働いているダイちゃんもいつになく元気!演奏会の終わったあとのこのほてった顔。いい人生生きているんだなと思います。こんな顔見ると、障害者云々の蔑んだ目線は恥ずかしいです。  はっぱオールスターズも、アラジンと並んで元気そのもの。アラジンのメンバーよりも年上で、みんな社会人です。仕事やりながらこんなことをする時間を大切にしている人たちです。「10年後、20年後もがんばります」って言ってましたが、40代、50代になっても舞台に立ち続けて欲しいなと思います。  ロビーコンサートをやった「ラブ・エロ・ピース」は「死んでない 殺すな」という歌を歌っていました。祐二さん、エネルギーのかたまりですね。おっちゃんがエネルギッシュに歌う姿は、みんなを元気にします。  そしてぷかぷかの芝居は広場に一本の柱を立てるところからはじまりました。  オペラシアターこんにゃく座の「世界は劇場」というCDに入っていた「あの広場のうた」は、聞きながら、「え〜っ、これって、ぷかぷかのことじゃん」って思ったのです。    ♪ 歌が生まれ 人は踊り出し     物語がはじまる  あの広場がここに  人が集まり、元気になる広場。たくさんの物語がはじまった広場。歌は「ぷかぷか」が街にあることの意味を、更にふくらませたように思います。 人は踊り出し… あの広場が、今、ここに! 注文の多い料理店・序  手話による表現 これはお肌のための野菜パック? 西洋料理店というのは、来た人を西洋料理にして食べる店… 親方がもうナフキンをかけて、舌なめずりして待っています 星めぐりの歌 見た人の感想 ・あのみなさんの「そろわなさ」「バラバラさ」がよかったです。 そろってないけど、楽しそうで、笑えて、練習したんだろうなと思えて、そろってなくてもいいよね、むしろそろってないパワーがいいよね、と素直に思いました。 ・「ぷかぷかしんぶん」を読み、なんておもしろく、自由なんだろうと思い、「表現の市場」を見たい思いで本日来ました。様々な方の協力で作られている舞台、地域の方もいっしょに参加しているのに驚きました。私もぷかぷかさんと過ごす時間が作れたらいいなと思いました。いつかパン屋さんにも伺いたいと思います。 ・今、障がい者と健常者の狭間でぷかぷかしている自分。この世界はきっと変わっていくだろうなぁと思いつつ、どう生きればよいのかなぁと悩む日々。生きるヒントが少しだけ伝わってきました。 ・表現の豊かさを感じられます。とかく自分の表現が少なくなり、まわりと同じことを強いられる中、自らのこと表現する大切さを学ばされます。 ・いっしょに歌いたくなりました。ポジティブな気持ちが歌や音や言葉に表現されていて、とても楽しめました ・日常生活で私が考えていることがちっぽけに感じました。本当に心のリセットができました。 ・心があたたかくなりました。 ・夢のような時間をありがとうございました。 ・とても豊かな時間でした。 ・ステキな時間、ありがとうございました。今更ですが「表現の市場」というネーミングはぴったりだなと思いました。 ・みなさんの熱い気持ちが伝わってきました。また、元気をもらいました。 ・心がときほぐされていきました。 ・みなさんがすごく楽しそうで、輝いていて、見ていて幸せになれました。
  • 彼らに「いてくれて、ありがとう!」って、心の底から言えるような舞台を作ります。
     1月21日(日)午後2時からみどりアートパークのホールで第4回《表現の市場》が開かれます。 より鮮明なチラシはこちら pukapuka-pan.xsrv.jp  その中で第4期「みんなでワークショップ」で作った芝居『注文の多い料理店・ぷかぷか版』を発表します。昨年8月から月一回土曜日にぷかぷかさんと地域の人たちが集まって作ってきた芝居です。  障がいのある人たちがいっしょだからこそできる楽しい芝居です。彼らとはいっしょに生きていった方がいい!と、端的にわかる舞台です。  相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」「障害者は生きている意味がない」などといいました。そしてそれに、なんとなく、「そうだよなぁ」と同調する社会がありました。  「みんなでワークショップ」は障がいのある人たちに「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と自然に思えるような関係を作ります。「障害者はいない方がいい」なんてとんでもないです。いないと困るのです。  彼らといっしょにやるワークショップはほんとうに楽しいです。彼らはワークショップのたびに幸せな一日を私たちにプレゼントしてくれるのです。「障害者は不幸しか生まない」なんてとんでもないです。彼らは幸せな一日を作ってくれるのです。  「みんなでワークショップ」の場は、障がいのある人たちに支えられています。彼らがいなければ、とても淋しいワークショップになります。「障害者は生きている意味がない」なんてとんでもないです。彼らがいてこその「みんなでワークショップ」なのです。  彼らに「いてくれて、ありがとう!」って、心の底から言えるような舞台を作ります。
  • 私の人生の宝物
     またまた花岡さんのブログです。 ameblo.jp 《 こんな風に重度の障害がある子を育てていることを心から楽しめるように   なったのが、私の人生の宝物です。 》    私の人生の宝物…いい言葉ですね。障がいのある人たちは、こうやって、おつきあい一つで、人を幸せにするのだと思います。  ぷかぷかがファンを作っているのも、人を、ほんの少し幸せにしているのだと思います。そういえば年末にFacebookにアップされた記事に中にこんなのがありました。    ぷかぷかのパン、お惣菜を食べると 「幸せを食べているようなんです」と言われました。 ぷかぷかさんたちと会うと 「自然と笑顔になるんです」と言われました。    私自身、養護学校で彼らと出会ってからの人生は、本当に宝物だなと思っています。その宝物が《ぷかぷか》という形になっているのだと思います。      相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者が不幸しか生まない」といっていましたが、それは障害者に責任があるのではなく、犯人が障がいのある人とそういう関係しか作ってこなかったのだろうと思います。そしてそれは犯人だけの問題ではなく、彼が働いていた施設での障がいのある人との関係がそういうものであった、ということだと思います。そのことについて、施設側の検証はいまだに見えないままです。      障がいのある人とのおつきあいを「私の人生の宝物」という人と、「不幸しか生まない」という人。  結局はどういう人生を選ぶか、ということになるのですが、社会に対する責任、というものまで視野に入れたときは、やはり「私の人生の宝物」といえるようなおつきあいを作っていきたいと思うのです。それが「ぷかぷか」の目指すところです。  
  • みんなを取り除かれてたまるかってーの!
     港北で『ぷかぷか』を見て語る会のFacebookに 《 実はとても重い課題に、「楽しくいきましょう!」と、メッセージをくださる高崎明さんに、ぜひ、皆さん会いに来てくださいね! 》  とありました。  相模原障害者殺傷事件は本当に重い気分になってしまう事件です。でも、重い気分で語っていると、いつまでたっても重い気分で、なかなか展望が見えてきません。社会も変わりません。どうしたらいいのか、というところでのひとつの提案です。  犯人は「障害者はいない方がいい」といい、それに共感する社会があります。ならば「障害者はいた方がいい」と思えるような関係を障害者と作ればいいと思うのです。このことはすでにあちこちに書いていますが、大事なことなので、あえてまた書きます。  「ぷかぷか」は「障がいのある人とはいっしょに生きていった方がいい」ということをずっと言い続け、そう思える関係を具体的に作ってきました。お店では「ぷかぷかさんが好き!」というファンを作りました。彼らのこと、好きになって下さい、といったわけではありません。私たちが彼らのこと好きで、その好きな気持ちで彼らといっしょに働いていると、そういう雰囲気のお店ができます。ああ、みんな楽しそうに働いているんだ、ってお客さんは思います。楽しそうに働いている姿は見ていて気持ちのいいものです。だんだんファンができてきました。  区役所にはいろんな事業所が外販に来ていますが、ぷかぷかの外販のお店には下の写真のようにお客さんの行列ができます。   どうしてこんな行列ができるのか、区役所の人とお話ししたことがあります。 「やっぱりみんなが楽しそうに働いているからじゃないかなぁ」 と区役所の方はおっしゃっていましたが、いっしょに生きていった方がいいと思える関係を毎日作ってきたからこそ、こんな行列ができるのです。  犯人のいう「障害者はいない方がいい」という言葉、そしてそれに共感する社会とは逆の、もうひとつの社会がここにはあります。これが「相模原障害者殺傷事件を超える社会を作る」ということです。  アーダコーダの理屈っぽい話ではなく、こういう事実をちょっとずつ作っていく、それが大事だと思います。こういう事実が積み重なって、社会は変わっていきます。    ぷかぷかのファンの一人が、今日、こんな書き込みをしていました。 《 そもそも。溝に詰まった落ち葉じゃないんだから、排除だなんてシツレイしちゃう。みんなを取り除かれてたまるかってーの! 》  この人はお惣菜で売っている「イカけんちん」が大好きで、何度も買い物に来ているうちにぷかぷかさんの大ファンになった人です。  ファンの言葉は「差別反対」とか「共生社会を目指そう」とか「インクルーシブ社会を」といった言葉よりもはるかにリアリティがあり、何よりも社会を本気で変えるチカラがあります。  「みんなを取り除かれてたまるかってーの!」  なんて力強い言葉だろうと思います。こういう言葉を口にする人が増えると、社会は本当に変わります。    
  • 1月7日も楽しく行きたいと思っています
     今朝の朝日新聞に1月7日(日)港北上映会のことが載っていました。     たくさんの人が見に来てくれるといいなと思っています。   ぷかぷかがおもしろいのは、いつも言うことですが、ぷかぷかさんたちとフェアな関係、フラットな関係にあるからだと思います。先日発行した『pukapukaな時間』は、そのフェアな関係、フラットな関係から生まれた新しい文化であり、新しい価値だと思います。この本、当日も販売しますので、ぜひお買い求め下さい。 pukapuka-pan.hatenablog.com    1月21日(日)にみどりアートパークホールで開く「表現の市場」も、このフェアな関係故にできる舞台です。 pukapuka-pan.hatenablog.com    1月7日の上映会のあとのトークセッションでは、この相模原障害者殺傷事件にもふれたいと思っています。あの事件の犯人はかつて福祉事業所で働いていました。「障害者は不幸しか生まない」という考えは、その福祉事業所で働いていたときに身につけた考え方だとNHKのクローズアップ現代は伝えていました。 pukapuka-pan.hatenablog.com    本来なら津久井やまゆり園を運営している社会福祉法人かながわ共同会が、どうして日々障がいのある人たちと接していた犯人が「障害者は不幸しか生まない」などと考えるようになったのか、という問題にきっちりと向き合うべきだと思うのですが、かながわ共同会のホームページには一言も事件について触れていません。社会福祉法人かながわ共同会は犯人の元雇用主ですよ。雇用主としての責任はないのでしょうか。こんな無責任なことをして恥ずかしくないのでしょうか?  「支援」をしている福祉の現場でどうしてこんな事件が起こってしまったのか、犯人の特異性、ということだけで問題を終わらせていいのかどうか、今一度みんなで考えてみたいと思います。    と書くと、なんとなく重い雰囲気になってしまうのですが、ぷかぷかは12月20日のブログで書いたように、楽しいことをやって相模原障害者殺傷事件を超えようと思っています。ですから1月7日も楽しく行きたいと思っています。どうやったら障がいのある人たちと楽しいと思える関係が築けるのか、そんなことが楽しく語り合えたら、と思っています。
  • とてもエレガントにかわしていると思います
     今朝の朝日新聞、お正月のせいか「希望」という字があちこちに見られました。いいですね、未来に向かって「希望」が持てるって。久しぶりに新聞の隅々まで見ました。特に耕論「希望はどこに」はとてもいい記事でした。 digital.asahi.com     ぷかぷかさんたちは、相模原障害者殺傷事件に象徴される障がいのある人たちが排除される社会の中で、なおも「希望」の持てる未来を作ってくれます。  先日紹介した下記のブログは、花岡さんの生き方に障がいのある人といっしょに生きる「希望」を見たからだろうと思います。 pukapuka-pan.hatenablog.com  hanaちゃんは重度の障がい児です。hanaちゃんを抱えた生活はすごく大変だろうと、普通は考えてしまいます。でも千恵さんはhanaちゃんとの生活をものすごく楽しんでいます。千恵さんも昔はバリバリの療育ママで、hanaちゃんを普通の子どもに近づけようと一生懸命だったと言います。でもいくらがんばってもhanaちゃんはなかなか変わりません。とても苦しい日々だったと言います。  でも、あるとき、たとえば一人でごはん食べられるようになった方がいいと考えているのは千恵さん自身で、hanaちゃんはそんなことちっとも思ってないんじゃないか、ということに気がつきます。それをきっかけに今までやってきた療育を一切やめてしまいます。以来hanaちゃんとの生活がすごく楽になり、楽しくなったと言います。  hanaちゃんが千恵さんの生き方を変えたのです。そして、そんな千恵さんの生き方に「希望」を見いだした人がいたというわけです。「生まれてくる子にもし障がいがあっても千恵さんがいるから安心」と。    相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は生きている価値がない」「障害者は不幸しか生まない」と言い、そういった考えを支える社会がありました。そんな社会をどうやって変えていくのか、事件直後は本当に気が遠くなりそうでした。  それでもぷかぷかさんたちと毎日楽しいおつきあいをしていると、そうか、こういうおつきあいを広げていけばいいんだということが見えてきて、毎日そういうことをこつこつと積み重ねてきました。  そんな中でスタッフがFacebookにあげていた「ぷかぷかのパンやお惣菜を食べると、幸せを食べているよう」とか「ぷかぷかさんを見ると、自然と笑顔になるんです」というお客さんの言葉は、相模原障害者殺傷事件を起こすような社会の中で、大きな大きな「希望」を見た気がしました。  「障害者はいない方がいい」「障害者は生きている価値がない」「障害者は不幸しか生まない」まで行かなくても、「障害者はなんとなくいや」「怖い」「社会のお荷物」と考えている人は多いと思います。社会の大多数と言っていいくらいに。そんな中で、障がいのある人たちの働くぷかぷかのパンやお惣菜を食べると「幸せを食べているよう」とか「自然に笑顔になるんです」という言葉は、まぶしいくらいに光っています。そんな言葉が今の社会から出てきたことが奇跡と思えるくらいです。  「希望」を作りだしているのはぷかぷかさんと私たちのフラットな関係です。ぷかぷかさんの魅力ある存在です。障がいのある人たちを社会から排除しようとする動きを、とてもエレガントにかわしていると思います。
  • 障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超える
     表現の市場のチラシの版ができ、ただ今印刷屋で印刷中です。下記サイトでチラシの表と裏を見ることができます。ダウンロードボタンを押して下さい。 pukapuka-pan.xsrv.jp   表も裏も、味のある文字はミズキさん。ねこの絵はぷかぷかさんたちの共同作品です。裏の下の絵はショーヘーさんです。全体のデザインはわんどスタッフのコンドーです。  裏の文章は高崎が書きました。去年に続き、相模原障害者殺傷事件について書いています。  相模原障害者殺傷事件を起こすような社会は、事件以降変わったのかというと、ほとんど変わっていなくて、相変わらずあちこちでグループホームの建設反対運動が起こったりしています。グループホームの建設反対運動は、障がいのある人たちを地域社会から締め出してしまう運動です。障害者はいやだ、怖い、といった思いがあります。彼らとのおつきあいがないところでの不安が、そういった反対運動の根っこになっています。  いやだなと思っている障害者を地域から追い出せばすっきりすると思っている人が多いのですが、本当にそうでしょうか。地域社会から障がいのある人たちを締めだしてしまうことは、許容する人間の幅を狭めることです。地域社会で許容する人間の幅が狭まると、結果的にはお互いが窮屈な思いをすることになります。お互いが息苦しい地域社会になっていきます。  いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。障がいのある人たちを締め出すことは人の多様性がなくなることです。社会はどんどん痩せこけていきます。  だから障がいのある人たちを地域社会から締め出してはだめだ、というのではありません。彼らを締め出すのは、地域社会にとってソン!だと言いたいのです。社会の損失だと言いたいのです。彼らとはいっしょに生きていった方が絶対にトク!だと思っています。社会が豊かになります。  「表現の市場」は、いろんな人がいることの豊かさを舞台で表現します。障がいのある人たちがいてこそできる豊かな世界を目に見える形で表現します。  この豊かさを障がいのある人たちといっしょに作り続けること、それが相模原障害者殺傷事件を超えることだと思っています。事件を超えるというのは、誰かを排除したりしない社会を作ることです。障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく生きていける豊かな社会を実現することです。  障がいのある人たちとの演劇ワークショップは、すごく楽しいです。楽しいことをやりながら、相模原障害者殺傷事件を超えるなんて、なんか一石二鳥という感じがします。障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超えるのです。  相模原障害者殺傷事件というと、なんとなく話が重くなり、みんな敬遠してしまいます。でも、事件を超えるカギは、障がいのある人たちといい関係を作ることです。彼らとおつきあいすることが楽しいと思える関係を作ることです。  障がいのある人たちと楽しいことをやるなら、誰にでもできます。彼らといっしょに楽しいパン教室やったり、いっしょに大きな絵を描いたり、ぷかぷかのお店で楽しいお話をしたり、いっしょに楽しい芝居を作ったり、そんなことの一つ一つが、相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を作っていくことにつながるのです。  表現の市場は、来年1月21日(日)午後2時〜、みどりアートパークホールです。ぜひ来て下さい。  
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