ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • たいこん
     パン屋で、ぷかぷかの畑班が作った大根を売っていました。  〈だいこん〉かと思ったら〈たいこん〉て書いてありました。  「ああ、これは〈たいこん〉でしたか」と心がゆるっとなりました。  〈たいこん〉という乾いた、甲高い響きがゆるゆると心をほぐしてくれました。  こんな楽しい言葉を書いてくれたぷかぷかさんがいとおしくて、抱きしめたくなりました。  「これ、間違ってるじゃん」というよりも、「ああ、〈たいこん〉ね」といった方が、みんなが笑顔になれます。  たまたまやってきたお客さんが 「このだいこんください」 といったので、 「あ、すみません、これは〈だいこん〉ではなく、〈たいこん〉です。これ見て下さい」 と〈たいこん〉の文字を見せたら 「ああ、そうでしたか、じゃ、この〈たいこん〉ください」 とみんな笑顔になったのでした。  相模原障害者殺傷事件をテーマにした集まりは、いつも堅い雰囲気で、気が滅入ります。ここから何が生まれるのだろうと思います。あの堅い雰囲気からは事件を超える柔らかな、心地よい社会が生まれるのだろうか、と思います。  アーダコーダの議論も大切です。でも、それ以上に大切なことは、事件を超える、障がいのある人もない人もお互いが気持ちよく生きられる社会を作り出すことです。  〈たいこん〉という言葉は、そんな気持ちのいい社会を作る鍵がどこにあるのかを教えてくれる気がするのです。
  • 「意思決定支援はストップせざるを得ない」って、どういうこと?
    12月6日、津久井やまゆり園の指定管理者再公募に関する朝日新聞の記事の最後に  「まるでちゃぶ台返しだ。事件後、入所者も家族も我々も県に振り回されている。こうした状況ならば、意思決定支援はストップせざるを得ない」 とかながわ共同会の職員の言葉が載っていました。  「意思決定支援」という言葉を見て、最初、何のことかと思いました。ぷかぷかではこんな言葉は使ったことがありません。  前後の文脈から、障がいのある人の意思をくみ取ることなんだ、ということがなんとなく分かってきたのですが、こういう堅い言葉で表現するような関係だったのだと思います。  「こうした状況ならば、意思決定支援はストップせざるを得ない」って、相手をしている重度障害の方はどうなっちゃうのでしょう。もうほったらかしにする、ということなのでしょうか?  「ストップせざるを得ない」→「ほったらかしにせざるを得ない」→「自分の責任ではなく、県の責任」ということがいいたいのだろうと思いますが、それにしてもこの無責任ないい方には、毎日相手をしている重度障害の人たちに対する姿勢がよく見えます。  目の前の重度障害の人たちをほったらかしにしても、何も感じないの?と私なんかは思ってしまいます。目の前にそういう人がいて困っていれば、やっぱりほったらかしにはできません。それが人間としての普通の感覚だろうと思います。その人間としての感覚を、ひょっとしたらやまゆり園の職員は忘れているのではないかと思いました。忘れてしまうような職場の雰囲気。  重度障害の相手を人として見ていないんじゃないか。人として彼らとおつきあいしていないから何も感じないし、ほったらかしにできるんじゃないか。人間としての感覚を忘れる、というのはそういうことです。  相手を人として見ない。こういう関係性こそが事件を引き起こしたのではないかと思います。そしてここにこそ、事件の温床があるような気がするのです。  だからこそ、現場でどういう支援が行われていたのかの検証が、絶対に必要だと思うのです。  神奈川県が作った事件の検証報告書では、現場の検証が一切なされていません。すごく不自然です。本当に検証しなかったのか、検証したが県によって削除させられたのか。  長時間にわたる利用者さんの拘束も、利用者さんの日中活動がほとんどなかったことも、日々の日報にきちんと目を通していれば、管理者の県は分かっていたはずです。でも、何もしなかった。結果、現場がどんどん荒廃していった。その荒廃した現場の実態が検証報告書に上がっていれば、県としては公表したくなかったと思います。だから削除させたのかもしれない、というのは私の勝手な憶測です。単なる憶測で終わればいいのですが…
  • お互い人としてつきあう、という、あたり前の関係がなかったのではないか
     先日津久井やまゆり園の事件で命を奪われた方のアルバムを見る機会がありました。どのページにもその方の楽しかった日々があふれていて、涙があふれそうになりました。  別にその方とおつきあいがあったわけではありませんが、幸せだった日々は写真を見ればすぐにわかります。その日々を 「障害者は不幸しか生まない」 等と勝手に決めつけ、この世から抹殺してしまったこと。そのことがどうしようもなく悲しかったのです。  19名もの利用者さんが殺されたわけですから、その時の悲しみは、もう表現できないくらいだったと思います。  ところが事件からちょうど1年目に津久井やまゆり園のホームページが再開され、事件に関するメッセージが載っていました。 《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。》  たったこれだけです。  19名もの利用者さんが殺されながら、たったこれだけです。まるで他人事です。  利用者さんへの思いなどといったものはどこにも感じられません。  あらためて思ったのは、こういう感覚で利用者さんとおつきあいしていたのではないか、ということです。  お互い人としてつきあう、という、あたり前の関係がなかったのではないか。そのことに命を奪われた方のアルバム見ながら、あらためて気がつきました。  もちろん、スタッフの中には悲しみに暮れた方もいたと思います。でも、法人として書いた文章からは、そういった利用者さんに対するあたたかな気持ちが全く感じられません。  昨年7月のNHKスペシャルで13時間も拘束された女性の話が紹介されました。そういったことが行われても、何も感じない現場だったのではないか、そんなひどいことが平気でできるのは、目の前の相手を人として見ていなかったからではないか、そんなことを思います。  それが事件の1年後に再開されたホームページのあいさつにはっきり出ています。ここにこそ事件の温床があるように思います。  昨日「津久井やまゆり園の事件を考え続ける会」の集まりがありました。「マスコミは事件の何を報道してきたのか」というのがテーマでした。三人の記者が話したのですが、容疑者と接見した印象、つまり容疑者の特異性の話ばかりでした。最後に質問の時間があったので、現場の問題に関する報道がほとんどないのだが、どうしてなのか聞きました。  答えた記者の一人が、  「津久井やまゆり園だけが、それほどひどい施設だとは思いません」 等と発言し、びっくりしました。新聞記者なのでやまゆり園のホームページもNHKスペシャルも見ていると思います。それでもこういうことを言うのかと頭がくらくらしました。  来年1月8日から裁判が始まります。多分容疑者の特異性に注目が集まると思います。そこに注目が集まれば集まるほど、やまゆり園自体の問題はかすんでしまいます。しかも  「津久井やまゆり園だけが、それほどひどい施設だと思いません」 等と思う記者が取材し、記事を書くのであれば、かすむどころか全くふれないのではないかと心配しています。  怖いのは、利用者さんを13時間も拘束しても、なんとも思わないような事件の温床がそのままになる、ということです。そのことに記者たちはどこまで気がついているのでしょう。
  • 「不寛容な時代」を「寛容な時代」に変える手がかりがここに
    雨宮香処凛さん 、弱者をたたく不寛容な時代を語ります。 www.huffingtonpost.jp  「不寛容な時代」になったことはよくわかります。ここで「ふ〜ん、そうか、なるほど」で終わっては、「不寛容な時代」は何も変わりませんどんどん息苦しくなるばかりです。  大事なことは、この「不寛容な時代」をどうやったら「寛容な時代」に変えられるのだろう、というところだと思います。希望を持たせてくれるのはぷかぷかさんたちの存在です。  朝日新聞「声」の欄に載っていた投書です。  この人は多分ぷかぷかさんですね。  「知らない人同士が顔を見合わせ、クスクス笑ってしまった」  この人は電車に乗るたびにこうやって街を耕しているのだろうと思います。  以前私の乗り降りする駅のホームで、やっぱりこんなふうにアナウンスしている人がいました。  こういうアナウンスを聞くと、心があたたかくなります。  みんなの心があたたかくなれば、社会は少しずつ変わります。  こういうアナウンスをいう人は、社会にいた方がいいですね。いや、いてほしいです。彼らがいることで、社会がゆっくり変わっていきます。知らない人同士が顔を見合わせ、クスクス笑ってしまうような、そんなおおらかでやさしい社会に。  これはぷかぷかさんが書いた字です。  もう見ただけで、心がキュンとあたたかくなります。優しい気持ちになれます。  こんな字を書く人は社会にいた方がいいです。いてほしいです。みんなの心がまるくなります。社会が変わります。  「不寛容な時代」を「寛容な時代」に変える手がかりがここにあります。
  • ぷかぷかさんたちは命の選別をしません。
    神奈川新聞成田さんの先月のデスクノート。  ●●● 東京都台東区が台風19号に備えて設けた避難所で、ホームレスの人は「区民ではない」として利用を拒否された。暴風雨被害が出る恐れが強まっていたにもかかわらず、職員に命への想像力はなかったのか。  ツイッターでは区の対応への批判が少なくなかったが、「納税者でない人に避難所を使う権利はない」と区を擁護する意見も。「かつては働いて社会貢献していただろうから受け入れるべき」との声もあった。  障害者19人が犠牲になった津久井やまゆり園事件から3年余。無条件に生を肯定するのではなく、社会に役に立つか否かで命を選別する風潮が根強いことにがく然とせざるを得ない。 ●●●  「…がく然とせざるを得ない」というのはよくわかります。大事なことは、そこでどうするのか、です。   命を選別する風潮が根強いのは、どこまでも私たちの社会。ぷかぷかさんたちは「命の選別」をしません。  なぜか。そういう発想がないからです。  私たちが、つい、社会に役に立つか否かで命を選別してしまう発想そのものがないのです。  私たちは理屈っぽく、命の選別をするのはおかしい、だからやめよう、と考えるのですが、彼らにははじめからそういう発想がないのです。  そんなふうに考えると、「命を選別する」といった発想そのものがない、言い換えれば、そういった発想から自由なところで生きているぷかぷかさんたちの生き方が、なんだか光って見えるのです。  彼らの生き方にこそ、社会を救うヒントがあるのではないか、と思ったりするのです。  謙虚に彼らに学ぶ。そのことが今すごく大事な気がするのです。 彼らにもっともっといろんなこと教わらなくちゃ、と思うのです。そして私たちがどこまで変われるか、です。
  • 費用に見合う効果があったんだって?
    去年参加した共生社会実現フォーラム、私から見ると何も新しいものを生み出さない、ただやりましたよ、というアリバイ作りのようなイベントだったにもかかわらず、又今年もやるというので質問状を書きました。今年は何を生み出すのか、去年は何を生み出したのか、という質問です。くわしくはこちらのサイトご覧ください。  pukapuka-pan.xsrv.jp  この質問状に回答が来ました。 ●●●  (1) 今年の共生社会実現フォーラムについて     今年の共生社会実現フォーラムは、「ともに生きる社会かながわ憲章」がめざす、障がいの有無にかかわらず、誰もが自分らしく活躍できる社会の実現に向けて、「誰もが行動する社会へ」をテーマに、12月15日(日曜日)に、神奈川県庁本庁舎にて開催します。     フォーラムでは、プロサッカーチームと連携して障がい者の就労体験に取り組んでいる方など、ともに生きる社会の実現に向けて行動している方によるプレゼンテーションや、分身ロボット、ドローンとVRを活用したバーチャルツアーほか最新の福祉機器の体験会などを実施し、参加者がそれぞれに現在ご自身が置かれている環境において、どのような行動ができるかを考えるヒントが多く得られるようなフォーラムを目指しております。    (2) 昨年の共生社会実現フォーラムについて   (1.について)     昨年度の共生社会実現フォーラムは、高崎様にもご参加いただいたパネルディスカッションのほか、4つの大学による事例報告会やNPO法人ピープルデザイン研究所の代表理事である須藤シンジ氏による基調講演などを実施し、288名の方々にご来場いただきました。来場者へのアンケート結果では、95%の方々が「満足した」と答えるとともに、96%の方々が今後の行動において、「共生社会や障害者差別解消に向けて自ら行動したい」と答えており、ともに生きる社会の実現に向けて、参加者それぞれが行動する意識を高めていただいたと考えております。    また、高崎様や六ツ見様の発言も含めて当日の様子が朝日新聞や読売新聞に取り上げられ、波及効果もあったと考えております。     (2.について)    昨年度のフォーラムでは、2,355,000円(税込)を支出しております。    このうち、宣伝費(広報費)に803,299円、会場費に631,135円、人件費に745,182円、その他の経費として175,384円を支出しております。     (3.について)    (1.)の回答のとおり、費用に見合う効果があったと考えております。     (4.について)    (1.)の回答のとおり、アンケート結果からともに生きる社会の実現に向けて、参加者それぞれが行動する意識を高めていただいたと考えております。     (5.について)    (1.)の回答のとおり、アンケート結果からともに生きる社会の実現に向けて、参加者それぞれが行動する意識を高めていただいたと考えております。   (3) 税金の使い道に係るご提案について     ヨコハマアートサイトの取組みについてご提案いただきありがとうございました。ホームページを拝見し、横浜が魅力的な街になることを目指し、地域と共に活動する芸術文化の発展と成長をサポートする場として活動を展開された取組みであり、参考とさせていただきます。     なお、県では、「ともに生きる社会かながわ」の実現に寄与するため、文化芸術の分野においても、「ともに生きる ともに創る」を目標に、年齢や障がいなどにかかわらず、子どもから大人まで全ての人が、舞台芸術に参加し楽しめる「共生共創事業」に取り組んでいます。     ご参考までにURLを次に記載いたしますのでご参照ください。    共生共創事業 https://kyosei-kyoso.jp/    引き続き、共生社会の実現を目指して県としての取組を進めてまいりますので、ご理解とご協力をいただきますよう、よろしくお願いします。    令和元年11月11日   神奈川県福祉子どもみらい局共生社会推進課長  一柳 和美 神奈川県国際文化観光局マグカル担当課長    赤池 玲子  ●●●   一応丁寧に答えてくれているのですが、実現したものの実態がさっぱり見えません。 「かかった費用に見合うものは実現できましたか?」 の質問に対し 「費用に見合う効果があったと考えております。」 なんて回答が来て、「なんじゃこれ」って思いました。「実現フォーラム」と名付けているわけですから、何を実現したかを答えるべきなのです。  かかった費用総額は2,355,000円。ぷかぷかがやっている演劇ワークショップとほぼ同じ額です。演劇ワークショップは半年かけてこんな舞台を作りました。  ここはすでに共生社会が実現しているのです。いつになるかわからない遠い未来の話ではないのです。  その気になれば、同じ金額のお金を使って、これだけのものを創り出せるのです。  どこまで本気でやるか、です。  同じお金を使って 「来場者へのアンケート結果では、95%の方々が「満足した」と答えるとともに、96%の方々が今後の行動において、「共生社会や障害者差別解消に向けて自ら行動したい」と答えており、ともに生きる社会の実現に向けて、参加者それぞれが行動する意識を高めていただいたと考えております。」 などとしか言えないにもかかわらず、 「費用に見合う効果があったと考えております。」 などといってくるのですから、もう頭がくらくらしてきます。   朝日新聞の経済欄に「経済気象台」という小さいコラムがあるのですが、今朝はとても大事なことを書いていました。 pukapuka-pan.xsrv.jp  共生社会実現フォーラムが目指す共生社会も、このコラムで指摘しているように、いつまでたっても実現できず、その反省もせず、そのうち「共生社会という亡霊」になるのではないかと思いましたね。  なによりもこういう無責任な体質が、あの相模原障害者殺傷事件を生み出した現場の検証をきちんとせず、事件の温床が残されたままになるのではないかと危惧しています。 
  • 神奈川県から回答が来ました。
    先日神奈川県に出した質問状について回答がありました。 pukapuka-pan.xsrv.jp ●●●  このたびいただきました、津久井やまゆり園で起きた事件に関するご質問については、以下のとおりお答えします。    1−1、1−2について   事件発生後、県は津久井やまゆり園の設置管理者として、指定管理者である(福)かながわ共同会(以下「共同会」という。)に対して、危機管理の観点から是正すべき業務があ り、誠実に対応すべきとして改善勧告を行い、危機管理対策本部の設置、緊急時の報告連絡体制の再構築などを含んだ改善計画が提出され、県ではその進捗状況について改善を確 認しました。   なお、運営法人による謝罪や、説明責任の有無については、法人として判断すべきものであると考えています。    2−1、2−3、3−3について   共同会の人材育成、人権教育及び現場の支援状況が被疑者に与えた影響については、今後の刑事裁判の行方を注視していきます。    2−2、3−1、3−2について   県は、定例的な情報交換に加え、指定管理施設のモニタリングや実地指導等を通じて、運営状況を把握しています。   なお、個別の事案についてのお答えは差し控えさせていただきます。     県は、共同会が運営する各指定管理施設につきまして、引き続きしっかりと指導していきます。   このような事件が二度と繰り返されないよう、徹底した再発防止に取り組んでまいります。     令和元年10月31日     高崎 明 様     神奈川県福祉子どもみらい局福祉部障害サービス課長  大澤 靖史                           問合せ先                          施設指導グループ 岩下                          電話 045-210-4724(直通) ●●● 「1−1、1−2について  運営法人による謝罪や、説明責任の有無については、法人として判断すべきものであると考えています。」  社会福祉法人の監督責任者としてどう思うのか、の質問だったのですが、これでは謝罪も説明も一切しない法人の判断をそのまま認めることになります。あらためてこの点については質問していきたいと思っています。 「2−1、2−3、3−3について  共同会の人材育成、人権教育及び現場の支援状況が被疑者に与えた影響については、今後の刑事裁判の行方を注視していきます。」  神奈川県の検証が必要ではないか、という質問なのですが、自ら検証しようという気が全くないですね。これもあらためて質問したいと思います。   「2−2、3−1、3−2について   県は、定例的な情報交換に加え、指定管理施設のモニタリングや実地指導等を通じて、運営状況を把握しています。   なお、個別の事案についてのお答えは差し控えさせていただきます。」  どうして個別の事案についての答えは差し控えるのか、あらためて質問します。 この回答を見た友人はこんなことを書いてきました。 《 謝罪や説明責任は、法人判断とのことですが、まず、指定をした県は、謝罪しているのでしょうか? 指定管理制度上、指定管理事業の最終責任は、県にあります   県は、何故危機管理の観点のみ是正の必要があるとしているのか? 指定事業者として平成26年度に共同会を選定していますが、その評価や共同会の事業計画書には、運営や人材育成について書いてありますので、そういった観点を踏まえての回答なのか? 実施指導等を通して、運営状況を確認しているとありますので、当然、運営の観点も含めての判断と考えられます》 このサイトにかながわ共同会の事業計画が載っています。すばらしく立派な事業計画です。どうしてこんな立派な事業計画の中で、あのような事件が起こったのか、この事業計画をもとに指定管理者として選定した神奈川県には検証する責任があります。  次回は少し切り口を変えて質問しようと思っています。  アドバイスなど寄せていただけるとうれしいです。  takasaki@pukapuka.or.jpまでお願いします。
  • 共生社会実現フォーラムについて
     今年の「共生社会実現フォーラム」、神奈川県のホームページにはこんなことが書いてあります。 テーマ:誰もが行動する社会へ コンセプト:カッコいい大人たちが魅せる       カッコいい学生たちが魅せる       誰もが行動する共生社会 プログラム一覧: ●フォーラムプログラム   テーマやコンセプトに則して、共生社会の実現や障がい理解に係るプレゼンテーションやワークショップを行います。 ●学生による活動報告ブース    県内の学生による共生社会の実現に向けた活動を発表します。 ●障がい福祉サービス事業所による物販ブース ●福祉機器等の展示ブース ●パフォーマンス   アーティストによるパフォーマンスや作品の展示を行います。 ●障がい理解に係る表彰式  「心の輪を広げる体験作文」「障がい者週間のポスター」表彰、障がい福祉サービス事業所等への発注に貢献した企業表彰を行います。 ●●●  こんなことやって、「誰もが行動する社会」に本当になるのでしょうか?  この「コンセプト」に書かれた意味は、何なんですかね。意味がわかりません。  これで何か新しいものが生まれるとは思えません。  本気で共生社会を作ろうとしているんだろうかと思いました。  数日前にも書きましたが、納税者として神奈川県に質問を書きます。  (1)今年の共生社会実現フォーラムは共生社会に向けて何を実現しますか?実現するものを具体的に書いてください。 (2)昨年の共生社会実現フォーラムについて   ①費用対効果の観点から、どのように評価しましたか?   ②宣伝費、会場費、人件費など、何にどのくらいお金がかかりましたか?   ③かかった費用に見合うものは実現できましたか?   ④共生社会に向けて具体的に何が実現できましたか?   ⑤社会が少しでも変わるものを創り出しましたか? (3)税金の使い道についての提案です。    横浜市がやっているヨコハマアートサイトではアートを使って社会を豊かにしようとしている団体から毎年、事業企画を募集し、審査の上、助成金を出しています。   共生社会を作っていく上でも、そういうことをやった方が、お金の使い道としては曖昧なものに使うよりは、具体的な事業に使われ、意味のある使い方になると思います。  助成金の申請書の中身はこんな具合です。(事業計画は単年度) 共生社会という観点から、今の社会のどんなところが問題だと思うか。 その問題を解決するために、どのような事業を展開するのか。 その事業は社会にどのような波及効果があるか、どんなことが期待できるか、社会をどのように変えていくのか。 事業を行うための予算はいくらぐらいか。  この申請書を公平性が担保できる第三機関に審査を依頼し、予算によって上位10〜30チームを決めます。(ヨコハマアートサイトは約30チーム)  審査の観点は、  ・申請した事業が共生社会実現に向けて社会を変えるきっかけを作り出すことが   できるか  ・問題意識は明確か  ・事業の実現性、継続性  ・地域社会との連携  ・収支バランス  審査に通った事業計画はネット上にオープンにし、いつでも、誰でも事業の遂行を見学できるようにします。1年間の活動の報告会は誰でも参加できるようにオープンにし、活動成果はネット上でいつでも見られるようにします。  活動の報告は、共生社会を目指して、私たちは何をしたのか、そのことでどんなことが実現できたか、という実践報告であり、本気で共生社会を作りたいと考えているグループにとってはすぐにでも役に立つものになると思います。   私たちの払った税金はこんなふうに共生社会に向けて実際に社会を変えるような事業の企画に使ってほしいと思っています。共生社会実現フォーラムという何を生み出すのかはっきりしないものにお金を使うより、共生社会に向けて確実に何か新しいものを生み出し、社会を本気で変えていくような企画にこそお金を使うべきだと思います。  税金の使い道についての提案、どのように考えますか?
  • とがった心がまるくなる
     現代書館から出ている『福祉労働』という季刊のちょっと堅い雑誌に8月3日の上映会の話が載っていました。現代書館の若い編集者が書いたのですが、上映会でやろうとしたこと、伝えようとしたことを、すごくうまくまとめていると思いました。  「相模原障害者殺傷事件についての集会ーーではあるが、会場のあちこちで笑い声が聞こえ、障がいのある人と子どもが一緒になって走り回っている。そこには、明るさと希望が満ちていた。」と書いてあります。  特にそういったことを計算していたわけではないのですが、ぷかぷかさんといっしょにいると、自然にそういう雰囲気になります。明るさと希望は、彼らが作り出すものです。  相模原障害者殺傷事件以降、社会に必要なのは、この「明るさと希望」だと思います。ぷかぷかさんがいると、ただそれだけでそういったものが生まれるというのは、やはり彼らを軸にした社会を作ってこそ、事件を乗り越えられるのだと思います。  「ぷかぷかさんといることで、周囲の人間の心がまるくなる」 とも書かれていて、すごくいい表現だと思いました。まわりの人に対し、とがった心を持ちがちな現代社会にあって、ぷかぷかさんが社会にいることの大事さをあらためて思いました。上映会の会場全体が、ほっこりあたたかな雰囲気に包まれたのも、ぷかぷかさんのおかげですね。  たまたま今回の『福祉労働』に載っていた相模原障害者殺傷事件をテーマにした『生きるのに理由がいるの?』というドキュメンタリー映画の上映会で、ちょっとした意見の違いで険悪な雰囲気になり、げんなりしたことがありました。お互い、つい心がとがってしまうんですね。本当はそういったものを乗り越えるための上映会なのに、私たち自身が自分の中のとがった心をうまく収められないんですね。「まぁまぁ、そこまでにしましょう」で無理矢理収めてしまいましたが、後味の悪い上映会でした。  それを思うと、8月3日の上映会は話し合いも気持ちよくでき、「明るさと希望」も感じられる本当にいい上映会だったと思います。あらためてぷかぷかさんに感謝!です。
  • それではだめなんだと気がつきました。
     今日紹介した実習生の感想にはなかったのですが、実習の終わり頃、学生さんといろいろお話ししたときに相模原障害者殺傷事件の話をしていました。  授業で聞いたときは、大変な事件だけど、どこか人ごとという感じで聞いていました。でもぷかぷかで実習し、『ぷかぷかな物語』の最後の章を読んでからは、それではだめなんだと気がつきました、とうれしいことを言ってくれました。  人ごとではなく、自分のこととして考えなければいけないんだ、と。その気づきが、ぷかぷかさんとのおつきあいから生まれた、ということがうれしいですね。  テラちゃんをはじめ、実習で出会ったぷかぷかさんたちと自分の、いっしょに生きていった方がいいと思える関係の中で、犯人の言った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」と言った言葉がいかに間違ったものであるか、リアルに気がついたのではないかと思います。人ごとのようにすましていい事件ではないことも。  『ぷかぷかな物語』の最後の章はぷかぷかさんとの関係の中で見えてきた事件への思いです。ですからぷかぷかさんたちといい関係を作っていれば、あの章で書いたことはすごくよくわかるはずです。たとえば「面倒のかかる人たちを排除すると社会はすっきりするのかどうか」とストレートな問いを立てます。ぷかぷかさんたちとの関係の中でその問いを考えていくと、事件が問いかけたものがリアルにわかります。  優生思想云々の大きな話ではなく、ぷかぷかさんとのおつきあい、という等身大の目線で相模原障害者殺傷事件のことを自分のこととした考えられたことがすばらしかったと思います。  そういう意味では、今回の実習は想定外の収穫のあった、本当にいい実習だったと思います。
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