ぷかぷか日記

養護学校キンコンカン

  • 卒業式
    卒業式のシーズンですね。養護学校では子どもたちとの関係がとても濃厚なので、彼らと別れる卒業式はなかなか辛いものがありました。             卒業式の朝、玄関でスー君と会いました。 「スーちゃん、おはよう!今日でお別れだね、さびしいな」 「はい、ム、ムトウさんに報告して下さい」 といつものあいさつ。スー君は業務員のムトウさんが大好きで、朝、通学のバスを降りると、 「バス降りたよって、ム、ムトウさんに報告して下さい」 といい、教室に入ると 「教室入ったよって、ム、ムトウさんに報告して下さい」 と一日に何度も 「ム、ムトウさんに報告して下さい」 をいいます。時には 「好きだよって、ム、ムトウさんに報告して下さい」 なんていったりもします。それでいて、すぐそばに行くと、恥ずかしくてうつむいてたりします。  その一方で、ちゃんと仕事やった時なんかに 「ご褒美に何が欲しい?」と聞くと、 「水着で抱っこして下さい」 などと真面目な顔して若い女の先生にいったりするので、えらいというか、うらやましいというか…  こういう人のそばにいると毎日が楽しくて、気持ちがあたたかくなります。ずっとそばにいたいなと思います。まわりに人をそんな気持ちにさせるスー君、卒業してからも君の魅力をまわりにばらまいて欲しいな。と思いつつ、あしたから 「ム、ムトウさんに報告して下さい」 が聞けなくなると思うとすごく淋しい。ムトウさんが一番寂しがってる。  卒業式では必ず「君が代」を歌います。わたしは大嫌いなので、ずっと目をつぶってうつむいていました。その時、ちょんちょんと突っつく人がいました。誰かと思ったら前に座っているマッちゃんで、 「お前、なに泣いてんだよ、泣くなよ」 「いや、別に泣いてるわけじゃないんだけど」 「そうか、俺は泣くからな」 「あ、ダメダメ、マッちゃんが泣くと俺も悲しくなるから絶対に泣くなよ」 「よし、わかった、泣かないよ」 なんてやりとりしているうちに歌は終わりました。  マッちゃんとはどういうわけかとても気が合って、ときどき名前を交換しようよ、なんていったりします。 「俺アキラ、お前はマツだからな」とマッちゃん。 「わかった」 「よし、俺のことアキラって呼べ」 「アキラ!」 「おう、マツ!」 と実にうれしそう。 「ねぇ、マツ、俺の頭ぐりぐりやって」なんていうから 「よし、やるぞ」 とマッちゃんの頭抱えて、てっぺんをげんこつでぐりぐりやると 「ひぃ〜」 と、涙が出るくらい喜んでいました。ほんとうにかわいい高校3年生でした。  卒業式のあとも、教室で思いっきり頭ぐりぐりやって、 「ひぃ〜」 という声聞きながら、この声も最後だよな、となんだかしんみり。  卒業証書を受け取る時、みんなの前に出ながら、そこからなかなか前に歩き出さない人も何人かいました。そんなとき、一番前に座っていたケンがそっと背中を押していました。ケンはちょっと気に入らないことがあるとすぐ机をバーンと倒したり、壁を蹴って穴を開けたりで、なかなか大変な人でした。そのケンが今日は友達の背中をそっと押してやっているのでした。なんか、ジ〜ンと来ましたね。いいとこあるじゃん、て。  ぴょんぴょん跳びはねながら卒業証書をもらう人もいました。100キロぐらい体重のある人なので、ドスンドスンとすごい音が卒業式の会場に響き渡りました。 「今日で最後だからね」 ってドスンドスンは言っているようでした。  校長の前で、横を向いたまま知らんぷりの人もいて、校長はどうしたもんかと困っていましたね。堅いあいさつをする時よりも、こうやって困ってしまう時の校長の方が親しみが持てます。  マサは背広の下は黒いシャツにノーネクタイ。肩で風を切るように卒業証書をもらいに行き、その後控え室でさめざめと泣いていました。なんともかわいい突っ張り屋でした。  授業はつまらねぇ、といつも外をうろうろし、給食はまずいから食いたくねぇ、と食堂の外をうろうろしていました。でも、最後に見せたあの泣きっぷりは、やっぱり学校は好きだったんだろうなと思いました。
  • 天王町サティ行くの!ー養護学校キンコンカン⑦
      自閉でこだわりの強い方は時々いますが、見ていると、こだわっているものからむしろ自分自身がなかなか自由になれない苦しさもあるようです。こだわりにとりつかれているというか…  昔養護学校で働いていた頃、ケイちゃんというとてもこだわりの強い方がいました。ちょうど宿泊学習でよそへ泊まることになったのですが、どうもそのことに納得できなかったのか、夜のレクリエーションが終わって部屋へ帰る途中から異様に興奮し始め、わめきながら飛び跳ねていました。私のそばへ駆け寄ってきては「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していました。天王町サティはケイちゃんのお気に入りのスーパー。部屋に入ってからも布団に上をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と汗だくになって繰り返していました。  「ケイちゃん、天王町サティに行くのは日曜日。今日はここで寝ます。ケイちゃん、わかりましたか」「今日はここで寝るの」「そう、わかってるじゃん。さ、寝よう!」「天王町サティいくの」「だからサティは日曜日!」「サティは日曜日」「その通り、わかってたらもう静かに寝てよ」「天王町サティいくの」「ケイちゃん!」ともう泣きたくなる。  ここから更に1時間近く「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していましたが、最後の方は涙を浮かべながら繰り返していました。ケイちゃん自身、もう天王町サティなんか行く気はほとんどないのに、「天王町サティいくの」の言葉だけが、自分の意思と関係なく口から飛び出して、それがやめられない苦しさが涙を浮かべるほどになっているようでした。ちょっともうかわいそうなくらい。それでもさすがに疲れたのか、10時を過ぎところ、電気を消して暗くするとすっと寝入ってくれました。  翌朝、6時きっかりに目を覚ましたケイちゃん、いきなり「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と大声で叫び、「うう、頼むからもうちょっと寝かせてよ」とお願いするも、もっとそばへ寄ってきて、耳元で「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」の大声。朝からどっと疲れました。  そんなケイちゃんでしたが、嵐が通り過ぎるとやっぱり愛おしくて愛おしくて、彼らといっしょに生きる「ぷかぷか」を立ち上げてしまったのでした。あの嵐のような「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」のおかげかも、と思ったり。  「そうだそうだ」とこの猿がいってるような気がして…
  • ケームホイ(養護学校キンコンカン-⑥)
     養護学校の教員をやっていた頃の話をふたつ(『子どもとゆく』164号)  高1のキイ君が作業学習で余った布を使ってうちの娘に小さな袋を作ってくれました。うちへ持って帰って、娘が袋を開けると、かわいい手紙が入っていました。                       「ケームホイってなに?」と娘(当時5才)。家族みんなでしばし考え込みました。  「これって、ひょっとしたらゲームボーイのことじゃないの」と長男(当時10才)。  ピンポーンでしたね。キイ君はゲームボーイが大好きでした。それで今度娘にそれを教えてあげるって書いたのだとわかりました。  にしても、こんなあたたかな手紙を書いてくれるなんて、キイ君最高!って思いましたね。だって、こんな短い手紙で、うちの家族みんなの心をほっこりあたたかくしてくれたのですから。こういう人は社会の宝だと思いましたね。  もう一つはやっくんに春が来た話。  相手は同じクラスのサユリさん。サユリさんは一人だと帰り道がちょっと不安。それでやっくんに途中までいっしょに帰るように頼みました。で、毎日いっしょに帰るうちに春が芽生えたようでした。最近はしっかり手をつないで帰ったりしています。  今日は帰りがけ、サユリさんが玄関で靴を履き替える時、ひもがほどけてしまいました。結び直そうとするのですが、サユリさんはうまく結べません。私が結んであげようとしゃがみ込んだとたん、近くにいたやっくんがさっとやってきました。  「ぼくがやってあげるよ」 なんてカッコいいこというんだと感心しましたが、やっくんもうまく結べません。ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返します。  ゆるゆるでしたが、なんとか結べました。また途中でほどけてしまうのではないかと不安になるほどでしたが、サユリさんは大喜び。  「やったぁ、ばんざ〜い」 そんなサユリさんをうれしそうに見つめるやっくん。  春はいいですね。いっしょに「ばんざ〜い」っていいたくなりました。
  • オオキしゃん  (養護学校キンコンカン-⑤)
     養護学校の教員をやっていた頃の話です。  トミちゃんは業務員のオオキさんが大好きです。一日一回は会わないと気がすみません。オオキさんに会いたくなると「オオキしゃん」とぼそっとつぶやき、もうそれだけでうれしくなって「ヒャ〜」ってコーフンした声が出て、顔はもううれしくてうれしくてくしゃくしゃ。  「ようし、オオキしゃんとこ行くか」 と、トミちゃんの手を引いて業務員室に向かいます。業務員室が見えてくると  「オオキしゃん、オオキしゃん、ヒャ〜ッ」 と、声がだんだんうわずって、うれしさに身もだえするように床にひっくり返ってしまいます。誰かのこと好きになるって、こういうことなんだとしみじみ思ったりしました。  業務員室の前まで来ても、すぐには飛び込んだりせず、ちょっとはにかむように業務員室の方をチラチラ見ながら、まわりをうろうろします。大好きな人に会える気持ちの高まりをちょっとずつ楽しんでいる感じなのです。トミちゃんは、ふだんは何かと大変な子どもなのですが、こういうところを見ると、ほんとうはすごくナイーブな心を持ってるんだ、となんだかうれしくなってしまいます。  そうして長い時間かけて気持ちの高まりを楽しんだあと、いよいよ業務員室に飛び込みます。オオキさんがいれば  「オオキしゃん!オオキしゃん!ヒャ〜ッ」 と抱きついたり、手を引っ張ったり、床にぺたんと座り込んだり、もう大変な騒ぎ。顔はもう幸せではち切れそう。  でも、机の上にお菓子があったりすると「オオキしゃん!」とうわずった声を出しながら、机に向かって突進。カメレオンの舌のような早業でお菓子を口に運んでしまいます。このあたりがトミちゃんのすごいところ。  トミちゃんが人の名前を言うのはオオキさんだけです。毎日いちばんつきあっている担任のぼくの名前は、くやしいことに一度も口にしたことがありません。まわりの教師たちの名前も口にしません。それはそのまま、トミちゃんがまわりの人をどんな風に感じているかを物語っています。  学校の中でいちばん子どもの面倒を見ていると自分で思い込んでいる教師の名前ではなく、いちばん地味な仕事をしている業務員のおじさんの名前を口にするというところが、なんとも痛快というか、トミちゃんの人間を見る目の確かさを思うのです。  学校には業務員さんのほか、スクールバスの運転手さんや添乗のおばさん、給食の調理員さんといった、子どもたちにいわゆる「指導」をしない人たちがたくさんいます。そういう人たちは子どもたちとごくふつうにつきあっていて、見ていてとても気持ちがいいです。そのことをいちばん感じているのは子どもたちだと思います。  「しばいごや」に登場したバスの運転手さん(中央蝶ネクタイのおじさん)とバスの添乗のおばさん(右側赤いドレスとサングラスの女性)、その後ろ、赤いシャツにサングラス、鼻に白い線を引いている怪しい男が若き頃のタカサキ。  「オオキしゃん」とつぶやいて、床にひっくり返ってしまうくらいうれしいトミちゃんを見ていると、ぼくも含めて教師というのは子どもたちに対して何をしているのかと思ってしまうのです。「タカサキぃ」とつぶやいて、床にひっくり返るくらい喜ぶ子どもがいないのはどうしてなんだろう、ということこそ、真剣に考えねばならない問題だと思うのです。  トミちゃんとオオキさんのおつきあいを見てると、人と人がおつきあいすることの豊かさのようなものを感じます。「指導」という関係は、こんな豊かさを作り出しているだろうかと思うのです。機会見つけてオオキさんのところへ教えを請いに行こうかと思っています。
  • ラーメンを6杯も食ったイエス(養護学校キンコンカンー④)
     養護学校で教員をやっていた頃の話です。 ●●●  私の勤務していた養護学校には寄宿舎があり、一時そこの舎監もやっていました。寄宿舎は高等部の生徒たちが寝泊まりしていて、昼間、小学部で小さな子どもたちを相手にしている私にとっては、とても新鮮な職場でした。月3回ほど泊まりの勤務がありました。  ご飯食べる時間以外は割と自由に何でもできました。年末、クリスマス会に向けて生徒たちといっしょに『青年イエス旅に出る』という芝居を作りました。二十歳になった青年イエスが、未知なる世界に向けて旅に出ます。どんなところを旅し、どんなことに出会ったのか、何をしたのか、それを生徒たちといっしょに考えたのです。  ヒマラヤの山中に現れ、雪男と決闘したとか、ニューヨークでいい男はいないかと狂ったように探し求める女イエスとか(そうか、イエスって女だったかも知れないんだ、って生徒たちと話しながら思いました)、色々楽しいお話ができ上がったのですが、一番の傑作は、雪の降る札幌の街に現れたイエスがラーメンを6杯も食べるというお話。  なんと泥臭いイエスなんだろうって、ちょっと感動してしまいました。いい男を捜し求める女イエスのお話もなかなかでしたが、ラーメンをずるずる音を立ててすするイエスというのは、私の中にあった清く正しいイエスのイメージを完璧に壊してくれました。  「そうか、イエスがラーメンをすすったか」 って、なんだかうれしくてしょうがなかったですね。  そしてラーメンを1杯でも3杯でもなく、6杯も食ったというあたり、彼らの中にイエスの確固たるイメージがあったのだと思います。6杯目を食い終わったイエスは、長いひげについたラーメンの汁を、おもむろにあの白い服の袖で拭い、またふらりとどこかへ消えたに違いありません。あたたかいねぐらにその夜もたどり着けたんだろうか…とそんな思いまでさせるイエスでした。  新年あけて寄宿舎の生徒たちのやった書き初めの中に「はつひもち」というのがありました。この方が書きました。                   そしてこの方がラーメン6杯も食べた青年イエスをやったのでした。  ●●●  彼らといっしょに作る芝居は、昔も今も変わらず、とんでもなく楽しいです。それは多分彼らの発想の自由さ、豊かさにあると思います。だからいっしょに生きていった方がトク!なのです。 
  • この街に住むあなたと私、という関係で〔養護学校キンコンカンー③)
     養護学校の教員をやっていた頃の話です。 ●●●  養護学校に通うキィちゃんが近所の小さな子どもの首を絞めてしまうという事件があり(本当に首を絞めたのか、かわいいと思って抱きしめようとしたのかはっきりしないのですが、結果として、こういう子どもを一人で外に出すな、という雰囲気になりました)、お母さんはえらく落ち込んでしまいました。たまたま実習に来ていた学生さんは大学院で特別支援教育を勉強していたので、こういう場合はどうしたらいいか、聞いてみました。  ところがこういった問題については勉強したことがないというのです。教授も学生もそういった問題(自分自身のありようも問われるような社会性を帯びた問題)については考えたこともないと。子どもたちの「障害」についてはよく勉強するし、とても研究熱心。でも、それはあくまで「障害」を軽くし、「発達」を促すという方向。子どもはだから「研究」もしくは「指導」の対象であって、この時代をいっしょに生きていく相手ではありません。  今回のキィちゃんのような事件の場合、キィちゃんが情緒不安定にならないためにはどうしたらいいか、といったことは考えるかも知れないけれど、今一番苦しい思いをしているお母さんをどうやって支えればいいか、あるいは社会の何が問題なのか、どうすればいいのか、といったことは考えない。そんなことは自分たちに関係ないとみんな思っている……と、そんな話でした。ま、正直な方でした。  養護学校の教員とおんなじだと思いました。そういったところを卒業した人が多いので、同じような感じではあるのですが、学校の現場ではキィちゃんのような事件はいっぱいあって、だから子どもの「発達」を促していればいい、というわけにはいきません。苦しい思いをしているお母さんがいれば、やっぱり知らんぷりはできないし、いろいろ話をしていると、自分とは関係ないとは言い切れない問題がいっぱい出てきます。  じゃあどうするのか、ということです。「子どもの親と担任」といった関係ではなく、この街に住むあなたと私、という関係で考えていかないと、辛い思いをしているお母さんを支えきれないように思いました。  社会の問題がむき出しになるような現場で、自分はどのように立つのか。「先生」という肩書きの影に隠れるのではなく、この社会を形作っている「あなた」はどうなんですか?という問いにまっすぐに向き合う。そこからしかこの問題は解決しないように思うのです。 ●●●   社会的な問題と自分とのつながりが見いだせない人が多いのは、昔も今も変わりません。福祉のネットワークサイトにやまゆり園事件に関するブログを投稿していたら、二つのサイトから排除されました。社会の問題を自分事としてきちんと受け止めようとしない。だからそういうことを口うるさく言う人間は目障りなんだと思います。
  • 地域で関係を作っていく(養護学校キンコンカン-②)
     養護学校の教員をやっていた頃に出会った子どもたちの話です。 ●●●  キィちゃんは小さな子が好きです。学校の近くを散歩してても、小さな子がいるとすぐに近寄っていって、キュッと抱きしめたりします。そんなときのキィちゃんの目はとってもやさしくて、ちょっと惚れ惚れするほどです。  そんなキィちゃんが家の近くで小さな子どもの首を絞めたというのです。それを近所の人に言われ、それはキィちゃんのような子を一人で外に出すな、というような意味合いを含んでいて、お母さんはえらく落ち込んでしまい、キィちゃんをしばらく施設に入れるなんて言い出しました。  キィちゃんが本気で首を絞めたのかどうかはよくわかりません。キィちゃんなりのやり方でキュッと抱きしめたつもりが、近所の人には首を絞めたように見えたのかも知れません。あるいはそろそろ思春期にさしかかったせいか、最近ちょっと気分が不安定で、時折理由がはっきりしないままクラスの友達にかみついたりつねったりしていたので、つい発作的に本当に首を絞めてしまったのかも知れません。  いずれにしても近くにいた人が止めに入るなり、注意するなりするしかないと思います。そういうときにキィちゃんのような子どもとつきあったことがあるかどうかで、その時の対応はずいぶんと違ってきます。全くつきあったことがなければ、やっぱりびっくりして、「どうしてこんな子が一人で街を歩いているのか」ということになるでしょう。以前そのことで新聞に投書した人がいました。「どうしてこんな子が一人で電車に乗っているのか」と。  キィちゃんの場合、お母さんの精神的安定のためにとりあえず短期間施設に入れるにしても、キィちゃんを取り巻く環境は何も変わりません。そこのところを変えていくことをやっていかない限り、また同じようなことが起こるだろうといったことをお母さんに話しました。  隣近所のおつきあいの中で、さりげなくキィちゃんを見てくれているような関係。近所をキィちゃんが一人でふらふら歩いていても当たり前なんだよって思ってくれたり、あるいはお母さんが買い物に出かけたり、身体の具合が悪い時なんかに、ちょっとキィちゃんを預かってくれたりといった、そんな関係を少しずつ時間をかけて作っていかないと、これから先キィちゃんも大きくなるし、もっと大変になると思うのです。  ところがこの「地域で関係を作っていく」といったことが、お母さんにはどうもうまく伝わりません。キィちゃんの面倒を見てくれるのはボランティアさんであり、ボランティアさんにはお茶菓子出したりお礼したりで、やたら気を遣うのでもういい、というのです。キィちゃんの面倒を見てくれるのはボランティアさんしかいないと考えてしまうのは、そのままキィちゃんの周りの関係の少なさを物語っています。それはまたお母さん自身の持っている関係の少なさだろうと思います。  養護学校へ子どもをやっているお母さんたちは、概して自分の周りに持っている人間関係が少ない気がします。子どもに手がかかるので、もうそれだけで手一杯なのかも知れません。でも一番の問題はやっぱりお母さん自身の外の世界へ向かう思いだろうと思います。それがない限り、つきあうのは同じ学校のお母さん同士であり、教師です。何か問題が起こっても、そういう狭いつきあいの中でしかものが見えません。  キィちゃんの事件は、その狭いつきあいの中では解決できません。キィちゃんの周りの関係を広げていく、あるいはお母さん自身がもっともっと自分の関係を広げていく中でしか解決は見つかりません。そこをどうやって広げていくのか。  すごくむつかしいと思うのですが、そこと格闘することでしか展望は開けない気がします。格闘することで、キィちゃんはもちろん、お母さんの生きる世界もぐんと広がってくるように思うのです。なによりもキィちゃんと出会った人たちの世界が広がります。地域社会がちょっとだけ変わります。障害のある人たちがちょっとだけ生きやすくなります。  ●●●  ちょうどキィちゃんの事件の少し前、こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日、子どもたちを連れて外に遊びに行きました。それがきっかけで学校の外の人たちとのつながりがたくさんできました。『街角のパフォーマンス』にその時のことを書いています。こういう活動にキィちゃんのお母さんが関わっていれば、事件に対する対応も全く違ったものになったのではないかと思います。 『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版をぷかぷかで販売しています。店頭、もしくはぷかぷかのホームページから手に入ります。『とがった心が丸くなる』というタイトルで電子本にもなっています。アマゾンで販売中です。 www.pukapuka.or.jp  リョーちゃんは駅でたった一人で「街角のパフォーマンス」(30年前の駅の風景)
  • スッポンポンにエプロン付けて(養護学校キンコンカンー①)
     養護学校の教員をやっていた頃、ミニコミ誌に書いていた子どもたちの話がおもしろいので紹介します。  しんちゃんは小学部の2年生。三日ばかり前、隣のクラスで見つけたコダック(昔こういう名前のフィルムメーカーがあった。箱が黄色)の黄色いエプロンが気に入って、一日中それを着けて飛び回っています。今朝も学校へ来るなりエプロンを着け、鏡の前に立ってうっとりと自分の姿に見入っています。ちょっと横を向いてみたり、肩をすくめたり、一人にたっと笑ってみたり。相当のナルシストです。  そのうち何を思ったのか、エプロンを外し、シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、更にパンツまで脱いでスッポンポンになってしまいました。  「キャ〜、へんなの」 とかなんとかいって冷やかしていると、スッポンポンのまま再びエプロンを着け、今風のモダンな金太郎といった感じになりました。  鏡の前で身をくねらせたりして、むき出しの白い腕や腰がなかなかセクシー。しんちゃん、ますますうっとりと見入り、  「ヒャ〜」 なんて、ご機嫌な声を上げていました。  そのうち喜びが抑えきれなくなったのか、戸を開けて中庭に飛び出していきました。冬の冷たい風に当たって、白い小さなお尻がみるみる真っ赤になりました。  風にエプロンが舞い上がらないように、手で前をしっかり押さえて走り回るしんちゃんは、映画『わんぱく戦争』の子どもたちの世界をそのまま生きているようでした。  「いや〜、いい気持ちだろうなぁ」 って、しみじみ思いました。といって、しんちゃんのあとを、スッポンポンにエプロン一枚だけのおっさんがドスドス追いかけたのでは、なんかもう目も当てられないって気がするし、  「ああ、くやしい!」 と思いながら追いかけたのでした。  そのあたりを見透かしたように、今度はブランコに乗り、さも得意そうにこぎまくっていました。前に後ろに大きく揺れるたびにエプロンが舞い上がり、小さなちんちんが冬の柔らかな日差しの中で光っていました。  高等部のつかさくんは、寄宿舎でどういうわけかいつも片足立ちで歯を磨いていました。
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