ぷかぷか日記

障害者雇用

  • みんなが「Happy!」になる障害者雇用
    「障がいのある人達と共に働く社会」と題した東急百貨店のチーム「えんちか」の報告が先日ありました。  「2013年4月、横浜市内の東急百貨店たまプラーザ店に障害者中心の部署として新設。 ”縁の下の力持ち”を意味して名づけられた。神奈川県内の養護学校を卒業した知的障害 のある6人が伝票の記入・シール貼り・ギフトBOXの箱折りなど、売り場運営に欠かせ ない業務を裏方で担当している。丁寧で正確な仕事ぶりで職場内から信頼も厚い。今春 2023年4月、勤続10年を6人全員で祝った。福祉や障害の知識が全くない一企業 担当者の迷走10年を赤裸々に語ります。」  とてもおもしろい報告でした。  障害者雇用は障害者のためというより、彼らが職場に入ることで雇用する企業を豊かにするものではないかと以前から思っています。  職場の方の多くは、たいていの場合、障がいのある人達とのおつきあいがあまりありません。そんな職場に障害のある方が入って仕事をすると、いわゆるふつうの人のようにスムーズに仕事が進みません。どうしたらいいのか。半端じゃない創意工夫が求められます。  そうして何よりも相手と人として出会えます。その人のそばにいるとなんだか楽しいとか、ふっと心が和むとか。  創意工夫とあわせ、そういったことが職場を豊かにします。だからこそ、障害者雇用は積極的にやった方がトク!だと私は思うのです。 職場の反応です。  職場の人達のこういった気づきが、職場を豊かにします。これこそが障害者雇用の意味であり、障がいのある人達が社会に必要な理由です。上から目線で何かやってあげる人達ではなく、フラットな関係でいっしょに生きていく人たちです。 「チームえんちか」の約束ごと  「周囲に理解を求めるより先に仕事で信頼される。」「《一生懸命頑張りました》だけでは通用しません。」とても大事なことですね。  「周囲に理解を求める」は一つの甘えです。障害者であることに甘えています。それではいつまでたっても自立できないし、自分の人生を歩むこともできません。障害者という枠を取っ払った《私》をしっかり生きて欲しいと思うのです。  そうやって仕事そのもので勝負してきた結果、みんながこんな風に成長していきます。  働く喜びがビリビリと伝わってきます。実社会で働くことの意味がよくわかります。 更に  働くことはすばらしい人生の実現です。  一方で、私たち自身はそういったことをどこまで自覚しているんだろう、なんてふと思ったり。やっぱり彼らにもっともっと学ばねば、と思ったりするのです。  現場ではこんな感じで働いています。  こういった日々がお互いを成長させます。  みんなが「Happy!」というのがいいですね。  みんなの成長がそのまま表情にでています。  ユニクロ柳井会長のコメント  このコメントだけでは語りきれないほどのものが、障がいのある人達とのおつきあいからは生まれてきます。どんなものが生まれてくるかは現場で彼らとおつきあいすればすぐにわかります。  彼らを雇用するにあたって現場で格闘した方の言葉。言葉の裏にある背景が目に浮かびます。  「自分の会社がよくなるための障害者雇用」とありますが会社も障がいのある人達もお互いが豊かになるための障害者雇用」という風にして欲しいですね。
  • 「障害者雇用」は社会を豊かにするチャンス
     法律で義務付けられた障害者雇用を巡り、企業に貸農園などの働く場を提供し、就労を希望する障害者も紹介して雇用を事実上代行するビジネスが急増している、という話が新聞に載っていました。十数事業者が各地の計85カ所で事業を展開。利用企業は全国で約800社、働く障害者は約5千人に上るといいます。  要するに障がいのある人を雇うのは何かと面倒、お金払って障がい者雇用率が達成できるなら、そっちの方が楽、と考える企業が多いのだと思います。雇用率をお金を出して買ってる、ということです。  農園で働く障がいのある人はきちんと給料をもらい(給料の原資は雇用率を買っている企業が払っています)、企業の側は帳簿上雇用率を達しているのだから何も問題はないように見えるのですが、どうもすっきりしません。  彼等が作った野菜などは販売しません。お金を出した企業が引き取って、従業員に配るそうです。従業員にとっては、ただでおいしい野菜が手に入り、とても喜んでいるそうですが、野菜を作った障がいのある人達の喜びにはつながりません。  自分たちの作った野菜が売れること、その野菜を食べた人達が喜んでくれること。そのことが野菜作りを仕事とする彼等の喜びになります。そういう仕事の基本的な喜びが、代行ビジネスで働く障がいのある人達からは奪われています。  そもそもどうしてこんなビジネスが流行っているのか。やはり厚生労働省がどうして障害者雇用をするのか、という基本的なところを丁寧に説明していないからだと思います。  厚生労働省のホームページでは障害者雇用について以下のように説明しています。 《障害者等が希望や能力、適性を十分に活かし、障害の特性等に応じて活躍することが普通の社会、障害者と共に働くことが当たり前の社会を目指し、障害者雇用対策を進めています。 障害者の雇用対策としては、障害者雇用促進法において、企業に対して、雇用する労働者の2.3%に相当する障害者を雇用することを義務付けています(障害者雇用率制度)。 これを満たさない企業からは納付金を徴収しており、この納付金をもとに雇用義務数より多く障害者を雇用する企業に対して調整金を支払ったり、障害者を雇用するために必要な施設設備費等に助成したりしています(障害者雇用納付金制度)。》  障がいのある人達のことを全く知らない企業が、この程度の言葉で障害者雇用に向けて動き出すとは思えません。  企業の側が「うちも障害者雇用をやってみようかな」と思えるような、もっともっと丁寧な言葉が必要です。そもそも厚生労働省自身は障害者雇用をやっているのでしょうか?それをやっていないから他人事のような言葉が並び、今回の代行ビジネスがはびこるような事態を生み出しているのではないでしょうか。  障がいのある人達を雇用すれば、いろんな面倒なことが起きます。仕事の指示がうまく伝わらないとか、時間までに仕事が終わらないとか…。でもその面倒なことを巡って、ではどうすればいいのかを現場の人達が必死になって考えること、悩み抜くこと、そういったことが現場を鍛え、豊かにしていきます。  時には発想を変えることも必要です。発想を変えることで思っても見ない世界が広がることもあります。新しい価値がそこから生まれます。  以前こんなキリンの絵を描いたぷかぷかさんがいました。         「え?これがキリン?」 と思う人が多いと思うのですが、 「こんなキリンもいたっていいか」 って思えると、なんか少し楽になります。自分の中のキリンのイメージが自由になるからです。自分の中のキリンが自由になると、私たち自身、生きることが少し楽になります。  このキリン、足が2本背中に生えているようですが、キリンの自信あふれるような顔は 「それがどうなの?」 という感じです。こうやって堂々と生きていきたいと、私はキリンを見ながら思いましたね。  彼等といっしょに生きていると、こういった思ってもみない気づきがたくさんあります。私たちの発想とは全く違うものに出会います。そういったことこそが社会を豊かにしていくように思うのです。  「障害者雇用」というのは、そういったことに気づくチャンスだと思うのです。
  • セミナーのお知らせ第3弾
    3月8日(火)オンラインセミナーでぷかぷかの話をします、第3弾       www.city.kawasaki.jp こんな事前質問がありました。   利潤を追求する企業に対して、障がい者採用など、思うことはありますか?  養護学校の教員をやっている頃は企業で仕事をやっていけるような訓練みたいなことをやっていました。今から思うと恥ずかしいことですが、いろんなことができることがいい、といった価値観です。企業に子どもたちを合わせようとしていたのです。  ところがぷかぷかを始めてから、自分を押し殺して社会に無理にあわせるよりも、そのままの彼らの方がずっと魅力的であり、その魅力こそが社会を豊かにすることに気がつきました。  ですから、障害者雇用というのも、障害者のためというより、企業のためにやった方がいい、と考えるようになりました。できないことをできるようにするにはどうしたらいいのか、と考えるのではなく、できない人と一緒にやっていくにはどうしたらいいのか、と考えるのです。そう考えることで、企業が豊かになるのではないか。  こんなことはできて当たり前、と考えていることが、なかなかできない人もいます。そういう人もいる、という気づきはとても大事です。私たちの中にある人間のイメージを少し広げてくれます。そのできない人と一緒にやっていくにはどうしたらいいか、を現場の人たちみんなで考えるのです。  生産性の論理の中で、生産ができない人とどうやって一緒にやっていくのかを考えることは、ものすごく大変です。でも、その大変さが現場の人たちの思考を鍛えます。  生産性の論理の中で、辛い思いをしている人はたくさんいます。いつも生産目標に追われたり、人生にゆとりがなくなったり…。  どう転んでも生産性の論理に合わせられない人とどうやって一緒にやっていくのかを考えることは、生産性の論理はほんとうにすべての人に幸せをもたらすのだろうか、と問うことでもあります。生産性の論理を絶対視するのではなく、この機会に柔軟に疑ってみる。そうすると、私たち自身、生きることが少し楽になります。  できないことがいろいろあっても、その人がいることで現場の雰囲気がなんだかゆるっとなったとか、何かあたたかな雰囲気が生まれたとか、楽しくなったとか、いろいろあると思います。そういったことが生産の現場でどのような意味を持つのかを考えてみることはとても大切なことです。  そういったことを考える中で、「できるできない」で人を評価するのではなく、もう少し違う視点から人を見る、ということが出てきます。そういう視点は現場を豊かにします。  そんな風に考えていくと、障害者雇用というのは、企業の現場を豊かにすることが見えてきます。  いずれにしても頭を柔らかくしてあたった方がいいですね。  下の写真見て、「これまちがってる」ではなく、「あ、なんかおもしろいじゃん、今日はこれで行こう!」みたいなセンスで、次々に起こる想定外のことに楽しく向き合う方が、日々が豊かになります。  障害者雇用の現場も同じです。ガチガチの頭で向き合っていると、お互い辛くなるだけです。障害者雇用は、ガチガチの頭をほぐす、いいチャンスです。
  • 障害者雇用は、なんのため?
    先日の朝日の記事 digital.asahi.com 知人から  記事の中の 【成果は出ている。昨年、コラボセに仕事を引き受けてもらってグループ企業が生み出せた時間は計3・6万時間。コラボセ発足1年目から2・4倍に増えた。今やグループ24社の仕事を引き受け、「おかげで売り上げが達成できた」と言われることもある。】 のところ、 「結局、生産性かよ、と思ってしまいました。」 とメールがありました。そうです、そういうことで評価されたのでは、何のために障害者を雇用したのかわからなくなります。  何のために障害者を雇用するのか、そこを考えてみたいと思います。  障害者雇用は障害者のためにあるというのが一般的なイメージですが、私はむしろ会社のためにあるように思っています。だって、彼らが会社に入れば会社は絶対に楽しくなります。心あたたまる気づきがいっぱいあります。もちろん、効率が落ちたり、指示がうまく伝わらなかったりはあります。じゃあどうすればいいのかをみんなで必死になって考えること、それが大事です。それが新しい気づきを生み、新しい価値を生みます。今までなかったことを必死になって考える、それが職場を豊かにします。  生産性が低いといわれる人たちがいることで、「生産性の論理」について深く考えることになります。生産性の論理では説明できない新しい価値に気づく機会になります。  以前「生産性のない人が社会に必要な理由」と題した日記を書きました。 www.pukapuka.or.jp 生産性のない人は社会に必要なのです。生産性こそ大事と考えている会社にも。私たちが人であることを回復するために。  先ほどの引用した記事のあと、こんなことが書いてあります。 ●●● 数字以上の手応えが、一般社員たちからの反応だ。  「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった」。連携した部署から、たくさんの「気づき」の反響がある。 ●●●  数字以上の手応えこそが、新しい価値です。その気づきこそをもっともっと膨らませて欲しいと思うのです。   「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」  私が教員をやっていた頃担任していた生徒が、卒業後就職した会社で同じような言葉をもらっていました。元気のいいあいさつをする人はぷかぷかにもいます。こういう人は職場を気持ちのいいものにします。  心が洗われるほどの元気のいいあいさつ。このあいさつが生み出す価値は、生産性の論理では計れません。そういうものを大事にすることが会社を豊かにします。  こんな人たちとはいっしょに生きていった方がトク!
  • へこんでいる部分を、がんばって、『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか。
    今朝の朝日新聞「障がいのある人もない人も 成長する仲間」と題した記事はとてもいい内容でした。 digital.asahi.com  ダウン症の子どもを持つお母さんが、保育園や小学校でふつうの子どもたちと一緒に過ごすことで、本人だけでなく、周りの子どもたちにもいい影響を与えていることに気がつき、ちょうど障害者雇用に取り組み始めた自分の会社で、一緒に働いてみることを提案。その結果、会社がどんな風に変わったかを伝える記事でした。  「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった。」など、現場社員の気づきは、その場面が目に浮かぶようです。  メンバーさんが「うれしかったのは『ありがとう』『助かったよ』と言われることです」と1年を振り返って発表すると、目元を拭いながら聞き入る社員もいたそうで、すごくいい関係ができていたのだなと思いました。  こんなふうに全体的にすごくいい記事だったのですが、最後のところで 「へこんでいる部分を『ふつう』にあわせることに必死になるよりも、飛び出ているところをもっと伸ばせばいい。そうして本人に自信がつけば、へこんでいる部分に対しても、がんばろうという気持ちになれる」  と書いてあって、なんだかがっかりしました。  へこんでいる部分を、がんばって、結局は『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか。へこんでいる部分があるからこそ、会社の中で今までにないいい関係ができ、素晴らしい気づきがあったのではないか。社員たちは彼らのへこんだ部分に救われたのではなかったか。へこんだ部分を『ふつう』にしてしまったら、彼らが会社の中で働く意味がなくなってしまうのではないか。  ぷかぷかに来たお客さんたちがほっとした気持ちになったり、なんだか救われた気持ちになったりするのは、ぷかぷかさんたちがへこんだままで働いているからです。へこんだ部分こそ大事にしているからです。へこんだ部分こそが彼らの魅力です。そのままでいいよ、そのままのあなたが一番魅力的!  そして何よりも、へこんだ部分を持ったぷかぷかさんたちが、社会を誰にとっても居心地のいいものに変えていっていること。これはすごく大きなことです。へこんだ彼らにしかできないことです。そのことをきちんと見ていきたいと思うのです。
  • なんとももったいない話
     障害者を雇用する、というのは、障害者とおつきあいする、ということです。おつきあいの経験がなければ、いろいろ苦労します。言葉がうまく伝わらなかったり、仕事がうまくこなせなかったり、いろんな問題を抱えることになります。  その問題と根気よく向き合うのかどうか、というところで企業が試されます。  そこに目をつけた新しいビジネスを展開する会社が現れました。お金を払えば、その面倒くさい問題を全部引き受けますよ、というビジネスです。  その会社は障害者を集め、農園をやっています。土を使わない「養液栽培」という方法で野菜を育てるため、種まきや水やり、収穫などの軽作業ですむそうです。  企業側は、その農園で働く障害者と雇用契約を結び、給料だけ払います。雇用契約を結んだだけで、その人とのおつきあいは全くありません。でも雇用契約を結んだので、企業は障害者を雇ったことになり、法定雇用率が達成できる、というわけです。障害者を雇うことの面倒くささを避けたい企業にとってはうれしい話です。  ごまかしとは言え、うまいところに目をつけたビジネスだな、とは思います。  でも、中身が全くなくても、障害者法定雇用率が達成できるような社会は、いずれどこかで壊れていきます。こういうことをあちこちの町の行政が後押しするなんて、何を考えてるのか、と思います。障害者を雇用する意味、彼らとおつきあいする意味をきちんと考えてない、ということなのでしょう。  障害者雇用は、障害者とおつきあいするとてもいい機会です。いろいろ大変なことはありますが、それを超える豊かなものが、彼らとのおつきあいにはあります。そういったせっかくの機会を、お金を払って放棄してしまうなんて、なんとももったいない話です。 gendai.ismedia.jp
  • 社長さんたちが研修に
     印刷業界の社長さんたちが、北は北海道から南は九州まで11名もぷかぷかに集まって研修会をやりました。昨年の秋、印刷業界のCSR情報誌で「障害者雇用」を特集した際に、ぷかぷかしんぶんの記事「生産性のない人が社会に必要な理由」が載ったことが発端で、研修会がもたれました。  CSR情報誌にはこんなことが書いてありました。  特集 戦略的障害者雇用 横浜市緑区で、カフェベーカリー、総菜店、アートスタジオなどの障害者施設を運営するNP O法人ぷかぷかが発行している『ぷかぷかしんぶん』8月号に載ったコラム。タイトルは「生 産性のない人が社会に必要な理由」。ぷかぷかに通い、毎日郵便局に売上金の入金に行く仕事を している「セノーさん」が地域で果たしている役割について書かれている。産業革命以来、ひ たすら生産効率の向上を求めてきた近代社会。そのような価値観のもとで経済社会から排除さ れてきた障害者。しかし今、その障害者への差別を禁止し、雇用を促す方向に社会は進んでいる。 経済発展と障害者との共生。一見矛盾する命題への挑戦が始まっている  ……… 障害者 雇用はもはや福祉の文脈で語るのではなく、 企業の「戦力」として活用できるか、その人 材活用のノウハウを持つことができるかどう かという人材戦略の文脈で語るべきであろう。 「生産性」だけの議論に陥ることなく、視野を 広げ、多様な人材がそれぞれの個性を活かし て活躍できる場を創造していくことは、日本 が世界をリードする真の先進国として発展し ていくことにもつながっていくだろう。 ぷかぷかしんぶんのコラム「生産性のない 人が社会に必要な理由」は、経済社会におけ る障害者との共生への具体的道筋を教えてくれているようだ。 ●●●  障害者雇用について、素晴らしい見解だと思います。  ぷかぷかでの研修会では、映画『Secret of Pukapuka』を上映したあと、私はぷかぷかのことをいろいろしゃべりました。障害者雇用を考える社長さんたちにとって、何かヒントになるようなものが見つかればいいなと思いました。  障がいのある人を雇用した方が、職場の人間関係がよくなったり、みんなが働きやすくなったり、部品倉庫が整理され、在庫の無駄がなくなったりして、データの上では企業の業績が上がるそうです。  でも、業績が上がるから雇用するのではなく、私はやはり障がいのある人たちとのおつきあいの中で、いろいろ苦労しながら、 「やっぱりいた方がいいよね」 ってみんなで思えることが大事な気がします。そう思うところから障害者雇用が始まるのだと思います。  おつきあいは、慣れないうちは多分いろいろ苦労します。苦労は、でも、人間を磨きます。苦労は、ですから職場の財産になるのです。苦労は職場を豊かにします。  障害者雇用の達成率だけで障害者雇用が語られることが多いのですが、障がいのある人たちとのリアルなおつきあいが何を生み出すのか、というところで、もっともっと語ってほしいと思います。  この「何を生み出すのか」が見えてくれば、生産性ではない新しい価値がここから見えてきます。  ぷかぷかでは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」と言い続けています。この「トク」は、企業の業績が上がる、という意味ではありません。「トク」は生産性とは違う価値観です。生産性が上がるわけではないけれども、人間が生きていく上で、明らかにプラスと感じられるものを「トク」という俗っぽい言葉で表現しています。  人間が生きていく上で、明らかにプラスと感じられるものを、生産性と同じくらい価値あるものとして、企業活動の中に位置づけることができれば、単なる雇用率達成ではない、障害者雇用が生み出す豊かさが見えてくると思います。  この「トク」という感覚は、障がいのある人たちとのおつきあいの中から生まれてきます。「何かやってあげる」とか「支援する」とかの上から目線ではない、フラットなおつきあいがあって、ようやく「トク」という感覚がわかってきます。  短い時間でその感覚を体験できるものとして「すごろくワークショップ」があります。   こういうすごろくゲームを障がいのある人たちと一緒にやります。これをやるだけで、思いのほか、お互いいい関係ができます。  昨年暮れ、青葉区役所の人権研修会でこれをやりました。人権についての抽象的な話ではなく、人権問題の当事者と実際に楽しくつきあってみよう、ということでこれをやったのです。短い時間ですごくいい出会いがありました。   pukapuka-pan.hatenablog.com  障害者雇用の前に、こういうことを企業の中でやると、すごくいいきっかけ作りになると思います。  青葉区役所での人権研修会は映像の記録を撮り、もうすぐプロモーションビデオができます。ホームページ上に公開しますので、やってみたい企業がありましたら連絡下さい。045−453−8511  もしくはinfo@pukapuka.or.jp  担当:高崎
  • 「障害者雇用が意味あるもの」として見る視点
     神奈川県印刷工業組合の理事長さんから全日本印刷工業組合連合会のCSR推進委員会の定例の委員会でぷかぷかさん達の人権研修会をやってくれないか、という依頼がありました。  〈 印刷業界ではダイバーシティ経営も進めており、「障害者とともに生きる」ということについてぜひ高崎さんはじめぷかぷかさんたちにも教えていただきたいと思っています。〉とありました。  全国から印刷会社の経営者が10名ほど集まるそうです。  〈 各地域の業界ではそれなりに影響力をもった社長たちが集まりますので、横浜から「障害者が創る新しい価値」を発信できればと思います。〉とあって、やる気満々です。  人権研修会で、何がどれだけできるのか、まだ未定ですが、とりあえずぷかぷかさん達と出会ってもらうこと、その上で、彼らと何ができるのか、を一緒に考えたいと思っています。  相手はビジネスの最前線に立つ人たちです。生産性がまず求められる現場にあって、尚も「障害者とともに生きる」ことを考えたい、とぷかぷかにやってきます。ですから、人権研修会というよりも。ぷかぷかと印刷業界とのコラボ、という感じで、生産の現場に障がいある人たちがいた方がいい理由を一緒にさぐれたらと思います。  ぷかぷかの空気感を味わってもらいます。ぷかぷかさんとおつきあいしてもらいます。ぷかぷかの映画を見てもらいます。ぷかぷかが創り出したもののお話を聞いてもらいます。  そこで感じたことを生産の現場目線で評価してもらいます。生産性の論理では語れない価値がぷかぷかにはあります。その価値を生産の現場に取り込むにはどうしたらいいのか、といった話をいっしょにします。ここがぷかぷかと印刷業界のコラボです。  「生産の現場に障がいある人たちがいた方がいい理由」が現場でも通用するほどの価値として確立できるなら、それは企業が障害者雇用を進める上で大きなチカラになります。  障害者雇用の一番の問題は、障害者を雇用する理由が語られないまま、雇用達成率のみ押しつけられている所にあると思います。だから中央官庁で障害者雇用数を水増ししたなどという恥ずかしい事件が起こりました。  そんな社会情勢にあって、生産現場に障がいのある人たちがいた方がいい理由が、現場目線で明確に語られるなら、「障害者雇用が意味あるもの」として企業が積極的に取り入れるようになります。その結果、更に多くの障害のある人たちが企業で働くことになります。すばらしいことだと思います。共生社会を作ろう、などという言葉よりも、確実に社会が変わっていきます。  この「障害者雇用が意味あるもの」として見る視点が、すごく大事だと思います。この視点こそが、社会を豊かにしていきます。    今まではいろんなことがよくできる障害者が企業に雇われ、それを障害者雇用としていました。これからは生産性に関わりなく、障がいを持ちながらも、働きたい人がいれば誰でも働けるような、そんな新しい価値観が、ぷかぷかと印刷業界とのコラボから生み出せたら、と思っています。          
  • 考え方を変える、発想を変える
      全日本印刷工業組合連合会のCSRマガジン『shin』の「障害者雇用」の特集号にぷかぷかしんぶんの記事が載りました。少し長いですが、「障害者雇用」の動きの中で、ぷかぷかの活動をどのように位置づけているかが見えます。 こちらはPDFできれいに見えます。 http://www.aj-pia.or.jp/csr/img/shin_№13.pdf 2ページから5ページにかけてぷかぷかのことが紹介されています。9ページから11ページにかけて企業の障害者雇用の取り組みが紹介されています。 すごくがんばってるなぁ、という印象です。      中央官庁が障害者雇用数を水増ししたという恥ずかしい話が飛び交っている中で、こんなふうに真剣に障害者雇用に取り組んでいる業界があるというのは、大きな希望です。こういう業界こそ、豊かな社会を作っていくのだろうと思います。    これを書いた方とお話しする機会があったのですが、生産性が求められる企業の現場で、生産性が低いとされる障がいのある人たちを雇用するには、彼らが働きやすい環境を整えるだけでなく、生産性とは違う価値観を確立しないと、やはり難しいだろうとおっしゃってました。そういう文脈の中で「生産性のない人が社会に必要な理由」というコラムを取り上げてくれたようでした。  コラムを取り上げることはできても、コラムの中で話題になっているセノーさんを実際に企業の中で雇用できるか、と考えると、かなり厳しいものがあるなぁ、とつい思ってしまいます。この、つい思ってしまう、ところこそが問題だろうと思います。つい思ってしまうくらい、私たちの考え方、発想が生産性に支配されているからです。  考え方を変える、発想を変える。そこから障害者雇用が始まるのだと思います。    前にも書きましたが、セノーさんはまわりの人と同じように働かない、生産性がない、と前にいた作業所で居場所をなくしてぷかぷかに来ました。ぷかぷかに来ても、やっぱりあまり働きませんでした。でもぷかぷかは前にいた作業所のように排除しませんでした。どうしてか。  セノーさんは働かなくても、人を癒やす雰囲気を持っていたのです。彼がそこにいるだけで、まわりの人たちを癒やすのです。この「人を癒やす雰囲気」を「一つの価値」として認める雰囲気がぷかぷかにはありました。働くことと同じぐらいの価値です。  セノーさんは飲んでいる薬の影響もあって、しょっちゅう居眠りをします。そんなとき、それを見て、 「セノーさん、居眠りするな!」 と、たたき起こすのではなく、 「あ、また寝てるよ、セノーさん、起きなよ、給料減らされちゃうよ」 みたいないい方をします。寝てるときも、みんなを癒やす雰囲気を醸し出しているからです。それをみんな認めているから、あまり強く言いません。  お客さんもその雰囲気がよくわかっていて、セノーさんの寝ている写真をFacebookにアップするだけで、ものすごいアクセスがあります。見学に来た方がセノーさんを見つけ、 「きゃー、セノーさんがいる!」 なんて騒いだりすることもあります。セノーさんは寝ながらお客さんを増やし、収益を上げていることになります。     働くことだけでなく、「人を癒やす雰囲気」も働くことと同じくらい価値あるものとしてみていく、というのは発想の転換です。  そうすることで、ぷかぷかの働く環境がすごくよくなったと思います。いつも楽しい雰囲気で、みんなの笑顔が絶えません。結果的には生産性がそのことでアップしているのかも知れません。でも、それはあくまで結果であって、生産性のアップを目標にして「人を癒やす雰囲気」を大事にしたわけではありません。    こういったことはもちろん生産性をそれほど重視しない福祉事業所だからできた、とも言えます。でも、生産性がいつも問われる企業の現場であっても、「人を癒やす雰囲気」は大事だと思います。心を癒やすような音楽が流れているとか、柔らかい光で満たされているとかは職場環境を考える上でとても大事な要素だと思います。職場環境は生産性に大きく影響します。  そこを大事にしようと考えている企業なら、生産性はいまいちだけれど、人を癒やす雰囲気を作ることに関しては誰にも負けない障がいのある人も働くことができます。その人がいることで職場の雰囲気がやわらかくなります。その人がいることで、たくさんの笑顔が生まれます。楽しくなります。  今まであれができない、これができないとマイナス面ばかり考えていた障がいのある人が、実はこんなすてきな人だったんだ、っていう発見があります。その発見はみんなの心を豊かにします。企業そのものを豊かにします。    考え方を変える、発想を変える、というのはそういうことです。そうすれば今までにない、障がいのある人との新しい物語が始まります。
  • 「障害者雇用」の意味、価値を本気で考えると、すべての人が今よりももう少し幸福に
     中央官庁で「障害者雇用」の数を水増しした、という情けない事件がありました。「障害者雇用」を本気で考えていない証拠ですね。ま、役人なんてこの程度だとは思っていましたが…  「障害者雇用率制度は障害者への差別を禁じ、就労機会を広げるのが目的」 と書かれていますが、  「障害者を雇用することの意味」 といったものは書かれていません。  ですから、現場の人間にとっては  「法律で何%以上雇用しなければならない」(国が2.5%、企業が2.2%) からやっているだけで、単なる数あわせでしかないのだと思います。  だから今回のような水増し事件が起こる。  その人にいて欲しいから雇用したのではなく、法律で無理矢理雇用させられたのであれば、雇用した側も雇用された側も、お互い辛いものがあると思います。  昔から思っていることですが、「障害者雇用」というのは、企業を豊かにするものだと思います。障がいのある人がいることは、ただそれだけで豊かなものを生み出すからです。  障がいのある人たちを雇用することで、結果的には企業の業績が上がった、という話もありますが、もう少しちがう評価、つまり「彼らの雇用は企業を豊かにする」という評価こそ、現場で共有すべきものだと思います。  養護学校の教員になって最初に受け持ったのは、障がいの重い子ども達でした。おしゃべりすることも、字を書くことも、一人で着替えをしたり、トイレの始末をすることもできませんでした。そんな子ども達でしたが、そばにいるだけで気持ちがなごみ、心がほっこりあたたかくなるのでした。  人が存在することの意味を、そんなふうに重い障がいのある子ども達が教えてくれたのです。  彼らが安心していられる社会こそ、豊かな社会です。  生産性が優先し、生産できない彼らが排除される社会は、豊かさを失い、だんだんやせこけていきます。私たち自身が生きにくくなります。  障がいのある人がいること、そのこと自体に「価値」がある、ということをぷかぷかは見つけてきたと思います。ぷかぷかさん達がありのままに振る舞うことで、ファンができ、ぷかぷかの売り上げを生んでいます。ぷかぷかさんがいること自体に「価値」があるのです。  写真の二人は何をやっているのかよくわからないのですが、でも、こういったことがぷかぷかのやわらかでほっこりした空気感を生み出しています。  ぷかぷかさんがいることの意味を一生懸命考えて考えて考えたあげくに、ぷかぷかさんがいること自体に「価値」があることに気づくことができたと思っています。  これを企業目線で考えるとどうなるでしょう。ぷかぷかは就労支援の事業所だからそんなことができた、ではなく、そういう事業所にできたことが企業にできないことはない、というふうに考えてみたらどうでしょう。企業の中で障がいのある人がいること、そのこと自体に「価値」を見いだすにはどうしたらいいか、を考えるのです。  生産性ではない、別の価値基準を持ってこないと、この問題は解決しません。たとえば、彼らがいることで生まれるほっこりしたあたたかさに価値を見いだせるかどうか、といったことです。  企業でそんなことやるのは無理、といってしまえば、そこでおしまいです。でも、どうしたらいいのか、を必死になって考えれば、そこには新しい可能性を持った未来が生まれます。  障がいのある人たちが企業にいることの意味、それを必死に考えるところにこそ、企業の豊かさが生まれるように思うのです。「障害者雇用」が生み出す豊かさとは、まさにここにあります。  生産性ではない別の価値基準が見つかれば、障がいのある人たちだけでなく、すべての人にとっても、生きることがもう少し楽になるはずです。  「障害者雇用」の意味、価値を本気で考えると、すべての人が今よりももう少し幸福になると思います。
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