ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 寒い日が続きますね
    今月の「ぷかぷかしんぶん」の表紙、「寒い日が続きますね、お元気ですか?」 のセリフが聞こえてきそうなマイマイさんの絵です。
  • 人間に希望がもてる
    先日エプロンみどり主催の公開講座があり、ぷかぷかの映画『Secret of Pukapuka』の上映のあと、ぷかぷかのこと、色々お話ししました。                                  感想の中に、戦争など、人間に希望がもてない中にあって、ぷかぷかの映画やお話しは,人間はまだまだすばらしいところがたくさんあると思わせていただきました、というのがありました。人間に希望がもてる、そう思わせてくれたのはぷかぷかさん達です。そのことをたくさんの人達と共有できたことがよかったと思います。 ●ぷかぷかさん、スタッフさんの普段の様子、演劇を見て皆さんの幸せそうな表情、言葉がとても印象的でした。  〇〇であるべき、〇〇でなければならない。は必要なく、一人一人がそのままで良いと思うと気持ちが軽くなりました。  保護者として、もっと娘の自由や、ありのままで生きることについて考えさせられました。  生きる事=笑顔で過ごせる1日を目指していきたいと思います。悩みの相談もさせていただき、貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。 ●ぷかぷかさんの本当に和やかな楽しい、それぞれの接し方にも感動しました。 ●ぷかぷかさん達、そしてその周りにいる人達、笑顔がいっぱいだったことが印象的でした。自分の一回きりの人生、怒りながら生きるより笑いながら生きる方がお得ですよね。  自分はこうなんだ、と思うのではなく、あの人はこうなのかもしれない、と思うことの大切さを感じました。  ぷかぷかさん達の耕した耕地がどこまでもどこまでも広がっていくといいですね。 ●皆さんのびのびとお仕事されている様子。ぷかぷかで作業できる方々は生き生きとされていて素晴らしいと思いました。         ただ、もっと重度な障害を持ったご本人の居場所がぷかぷかのようなところがあればいいなと思います。   障害のある方が自宅に戻った時(ケアは一時的なものですが)ご家族はずっと一緒に過ごさなければなりません。少しでも負担が軽くなる方法があればいいのですが。 ●高崎さんの話す内容や障がいのある方との接し方考え方、は長い間携わってきた経験からくるものだと思いました。 〇〇でなければならない。という型にはめず、その人が笑って過ごせるようにするには何をすべきかをきちんと考えていますし、1人の人間として尊重しているように感じました。 障がいのある方が生活する場所は、様々なところがあり、必ず希望する場所に行かれるとは限らないのが現状です。本人が安心して通えるところが増えるといいな、と思いました。それは家族の安心にもつながるので・・・。 ●皆さんが笑顔でいる所が、とても印象的でした。ぷかぷかさんの様な場所がたくさん出来たら良いのに、と思いました。 ●戦争や環境問題など、人間というものに対して希望がもてないことが苦痛として感じていました。今日の映画やお話は、人間はまだすばらしいところがたくさんあると思わせていただけて、かなり元気をいただきました。 ●生きることに必要な事がらは沢山ある訳ではなく、シンプルであること、で自由であること。自由であることは自分勝手といういみではなく、意思決定である。意志をつらぬくには自信があること。自信は仲間から得られるのか、周りの方々からも得られるのか、考えさせられました。 ●一人一人が自信をもって行動しているように思えてうらやましく思った。自己肯定感が下がってしまった人間が自信をもって生きていけるようになるにはどうしたら良いのだろう? ●『「支援」ということでは、1+1=1にしかならない』という言葉に「なるほど」と思いました。 ●「ぷかぷか」の皆さんがいつも楽しそうなのは、高崎さんがおっしゃるように職場の自由度が高いからなんだ、と思いました。スタッフの方たちも。とても親切で温かいです。 「ぷかぷか」の雰囲気がとてもいいから?だと思います。 ●ぷかぷかさんの映像を見て、みんなが笑顔でやっていることに、マニュアルどおりにやると本人のまんまでやっていく、問題は起きてもそのままで、自然体でやっていく。 「みんなが障害をもっている」と言った言葉が、ハッとしました。 笑顔が出るケアをしたいと思いました。障害の子も一日楽しかったと思える場を作る。 ●横浜市の障害(自閉症)に対する早期発見、早期療育は素晴らしいものがあると思います。その後も小学校の個別支援級、養護学校・・・と専門の知識を持った先生方や、理解のあるヘルパーさん等の力も借り、これまで子育てをしてきました。本当に少しずつの成長ではありましたが、本人のペースで。どんな接し方が適しているのか模索しながら・・・。 全ては卒業後、社会に出た時になるべく周りに迷惑をかけないように一つでも多くの‘出来る事‘が増えれば・・・の想いで。 それも就労した途端、すべて水の泡となってしまった訳ですが・・・。 親である私の選択ミスでしかないのですが。 横浜市の障害児教育は、就労以降には繋がらないなぁというのが、今思っている事です。就労先では障害に対する知識・理解のある職員が少な過ぎるように思います。周りの声(他の作業所の話)を聞いても・・・です。知識・理解が乏しくてもコミュニケーションでカバー出来ると思うのですが、そこの部分も乏しく・・・。利用者は職員が働く為の道具でしかないように私には見えています。 間違った対応で利用者を崩し、もちろん職員はその意味(原因)を探る事も出来ない為、改善する事も出来ず・・・。そのうち利用者本人がその場に慣れていってしまう・・・というのが現状のような・・・。 そんな中、‘ぷかぷか‘の様子を知る事が出来、ある意味衝撃的でした。‘ぷかぷか‘が出来た頃?何度か伺った事があるのですが、以前持った印象とはまた違うなぁと。職員も利用者(ぷかぷかさん)も本当笑顔が多くて素敵でした。ぷかぷかさん達が本当羨ましかったです。 エプロンさん(ヘルパーさん)の感想の中で「ぷかぷかさんにお迎えに行くとみなさん笑顔で・・・」の言葉にすごく申し訳なさを感じてしまいました。うちが利用している作業所とは真逆なので・・・。 でも私自身も送迎に行くと毎回気持ちがどんよりするので・・・ね(苦笑) 高崎さんの事もかなり前から耳にしていて、どのような方なのか興味があったので、今回直接お話(考え方)を聞くことが出来、久々勉強になりました。『ありがとうございました』とお伝え下さい。 今後の身の振り方を真剣に考えていかなければ・・・と改めて思いました。 ●ビデオにて、ぷかぷかでの楽しく温かな様子を見ることができました。こちらまで楽しくなってきました。お互いを思いやって尊重していると思いました。社会の中でもそうやって生きていけるような世界になって欲しいです。また、どんな困難をどうやって解決したか克服したのかの体験談を聞いてみたかったです。
  • 第8期演劇ワークショップ5回目
     1月20日(土)第8期演劇ワークショップ5回目がありました。  今までのワークショップで生まれたお話をつなげて台本をつくり、何度も止めながら通し稽古をやりました。  今回はクラリネットの橋爪さんが加わり、いつもと違う雰囲気の演奏。歌がいつも以上に豊かな時間に感じられました。仕事では決して得られない豊かな時間。そういった時間をみんなで生きるために演劇ワークショップはあるのだとあらためて思いました。  歌いながら時々涙が出そうになったという方もいました。歌が心にしみたのだと思います。そういう時間をみんなで共有できたこと、それがよかったと思います。        カメラのマイクの性能のせいでクラリネットの音がかなり高く聞こえますが、もう少し低く柔らかい音です。 www.youtube.com       www.youtube.com 『バラを植えよう』 ガザにしろ、ウクライナにしろ、世界の状況を見渡すと、まさに今こそバラを植えねば,と思ったりするのです。                       www.youtube.com  お話はフレデリックのおかげでなんとか冬を越した野ねずみたちが、次の年の春からどんな風に過ごしたかをみんなで考えたもの。  決して平和な時を過ごすのではなく、大雨が降って野ねずみたちの巣穴に大量の水が押し寄せたり、暑い夏に山火事になったり、とピンチが次々に押し寄せます。  2年目の冬、寒くて薄暗い穴の中で「鳥ねずみになって空を飛ぼう」という奇想天外なアイデアが飛び出しました。  その時の映像 www.youtube.com お芝居のタイトルは『フレデリック・ぷかぷか版〜地球はあと90秒』。さてどんなお芝居になりますか,28日の「表現の市場」をお楽しみに。 参加した人達の感想 ●なかなか都合がつかず、途中までの参加だったり、3ヶ月も参加できなかったりでした。 正直、このままで舞台に立つことができるのか?みなさんが毎月じっくりと積み上げ作り上げた作品の中に入って邪魔にならないか?と不安でもありましたが、しおりんはじめとしてワークショップを進めるみなさんやぷかぷかのみんな、地域の方々が久しぶりに会えたことを喜んでくれたり、声をかけてくださってとてもホッとしました。そして安心して、参加することができました。 特にぷかぷかさんたちが次々と声をかけてくれて、私の緊張を解いてくれました。ぷかぷかさんの存在はとても偉大だなぁと毎回思いますが、自分が不安を抱いている時ほど実感します。 ワークショップで「春になったら」自分のしたいことを発表する時、私はまず、「春は花粉が心配だ…」ととてもネガティブなことを考えてしまいました。が、みなさんが幸せそうに笑顔で語る「春になったら」を聞いて、そうだ!春はそういう季節だった!!ということを思い出しました。ついついネガティブな思考は幸せを見つけ方を忘れてしまいがちです。 今、この地球で起きている色々なことが不安を増幅させていますが、この劇を見た人たちが少しでも希望をもてるような前向きな気持ちになるような作品になっているのかもしれないと感じ、本番が、とても楽しみになりました。 実は、たからは「春になったら」で「高校に行きたい」とリアルな自分の願いを言葉にしましたみんなに聞こえなかったかもしれないですが せつさんが、フレデリックの世界のお話だけど、客席側にいる人間の世界にもつながることだとお話をされていましたが、たからが高校生になるためのチャレンジも、私は障害児者の問題だけではなく、社会全体の問題だと思っています。そうした意味でも今回このフレデリックに参加できたことはとても大きな意味があると感じます。わずかではありますが、参加できたことはとてもよかったです。 ありがとうございました。 ●今日から本番に向けての練習が始まり、皆さんの意気込みが、変わって来た。 台本も渡され、それを見ながら話して見たら、自分の言葉になっていないので、上手く言えない その通りに言わなくても大丈夫ですよ、との事でしたが、俳優さんて、なんて大変な事をしているんだろう、こんな一言二言ですら難しいと思ってしまったが、どれだけ長い台詞も自分の言葉として話している。それが仕事だから当たり前とは言え、やっぱり凄いなと感じた1日でした。 そして歌の歌詞が、何だか切なくなってしまう様な言葉がいっぱいで、時々涙が出そうになってしまった。 ワクワクドキドキしながら本番に挑みます。 ●舞台リハーサルと発表を1週間後に控えた最後の練習日。スタッフも舞台監督やカメラマン、クラリネット奏者も加わって、みんな力が入る! 台本をもらい、最初から最後までの通しを初めておこなったので、ああこうなるんだ、という全体の流れがやっとつかめた感じです。 そしてここへ来て改めて歌う歌の大切さと、みんなの力の凄さを感じています。 本番どうなるのかなーとずっと思っていましたが、みんなで力を合わせばかなる!という自信というか度胸のようなものが生まれています。これはいつも自然体のぷかぷかさんたちに助けられたおかげかも。 そして最後に歌う「ばらを植えよう」のように、諦めずに植え続ければ道は開ける、という歌の意味を、このワークショップを通しても実感しています。 このメッセージは今の世界の中でいろいろな意味を含んでおり聞いた人によっていろいろな捉え方をすると思うが、ぷかぷかさんたちが発する意味は重く、心に響く。 舞台を見てくれる方々に、このワークショップに関わった私たち全員からの希望のメッセージが伝わるといいなぁ!と思う。
  • 第8回『表現の市場』をやります。
     1月28日(日)午後2時から横浜線長津田駅前のみどりアートパークホールにて、第8回『表現の市場』をやります。  障がいのある人達が様々な思いを表現をする市場です。彼らのパワーあふれる表現を見ていると、障がいのある人達は私たちが何かやってあげないと何もできない、といった思い込みが、とんでもない間違いであることがよくわかります。  何かやってあげるとか、支援するといった関係を取っ払ったとき、彼らの表現がこんな風に爆発します。 あらじん www.youtube.com はっぱオールスターズ www.youtube.com シーホース工房 www.youtube.com ぷかぷか www.youtube.com  何よりも私たち自身、自分の思いをどういう形にせよ、あそこまでダイナミックに表現しているのだろうか、と思ったりします。表現は、生きることそのものです。生きるエネルギーが爆発するような場を、私たちはどれくらい持っているのだろうかと思うのです。  どうもね、日々小さく縮こまって生きてるような気がするのです。なんかもったいないですね。自分の中に渦巻いている生きるエネルギーを、どこかで思いっきり解放したいものです。  2年前の『表現の市場』のとき書いたブログの一部です。 「障がいのある人たちとは、いっしょに生きていった方がいいね」 ってみんなが思える舞台を、ことしも作ります。  彼らの舞台からは、たくさんの元気をもらえます。  素直に生きる彼らの舞台を見ていると、  「ああ、明日も生きていこう」 って思えます。明日に向かう「希望」をもらえます。  そんなふうにして、彼らは新しい歴史を作っているのだと思います。  「なんだ、助けられてるのは、私たちの方じゃん!」 て思えるような彼らの舞台は、お互いの関係が逆転し、新しい歴史を作ります。  障がいのある人たちを排除してしまうような不寛容な時代を、小むつかしいことは一切いわず、彼らはさらっと塗り替えてしまうのです。  「表現の市場」は、いっしょに生きていくことで生まれる新しい価値を表現します。その価値は、障がいのある人もない人も、お互い気持ちよく生きられる、新しい歴史を作ります。  ご都合つく方はぜひお越し下さい。
  • 「人の心」を取り戻す
     2年ほど前、朝日新聞の言論空間『論座』に投稿した記事です。大事な話なので、多少手を加えて再掲します。  つい先日神奈川県立の福祉施設での虐待事件が報道されました。 ・服薬用に水などに塩や砂糖が入れられた。 ・利用者の肛門にナットが入っていた。 ・利用者に数百回のスクワットをさせた。 ・職員の粗暴行為で利用者が頭を打ち失神した。 ・利用者の食事に多量のシロップをかけて食べさせた。  いずれも気分が悪くなるような事案です。ふつう、人間はこんなことはしません。介護の現場にいるのは人間のはずですが、虐待の実態を見る限り、そこにはもう人間を感じることができません。  厚生労働省が「障害者福祉施設等における障害者虐待の防止と対応の手引き(施設・事業所従事者向けマニュアル)」というのを出しています。人間が人間でなくなっている現場で、こんな教科書のようなマニュアルがどれだけ役に立つのだろうかと思います。現場の荒廃のレベルの認識が甘いのではないかと思います。虐待の現場になっている神奈川県でさえ、このマニュアルを県のホームページに揚げています。こんなことやって虐待がなくなると本気で思っているのでしょうか?  重度障がいの人たちを相手にする現場がどうしてこんなにもすさんでしまったのか。そのことにきちんと向き合っていかない限り、虐待はいつまでたってもなくなりません。向き合ってないからこそ、あのやまゆり園事件以降も、一向に虐待がなくならないのだろうと思います。 相手を見下すところから出発している「支援」の問題性  やまゆり園事件の直後から「支援」という上から目線こそが事件を引き起こしたのではないかと私は言い続けています。虐待の事件を受けて、あらためて、相手を見下すところから出発している「支援」という関係性の問題を思います。  相手を見下すことは、見下す側の人間の荒廃を産みます。こいつらには何やっても許される…みたいな、そんな人間の心の荒廃。  「利用者の肛門(こうもん)にナットが入っていた」などという事例は、その際たるものです。人間のすることではありません。これはもう「虐待」といったレベルではなく「犯罪」です。どうして「犯罪」として追求しないのでしょうか?ここにも社会の大きな問題があるように思います。  福祉の現場で「人間を回復する」「人の心を取り戻す」、その当たり前のことをするためにはどうすればいいのか。  いつも書いていることですが、障がいのある人達と「フラットにつきあう」「ふつうにつきあう」ことです。そうして相手と支援者としてではなく、ひとりの人としてつきあう、出会うことです。ここがむつかしいようですね。  私が養護学校に勤めていた頃、障がいのある子どもたちに出会えたのは、教員という意識があまりなかったせいだと思います。「指導する」という、なんだかえらそうな言葉が、どうもしっくりきませんでした。いっしょにおもしろいこと、楽しいことをやると、その中で子どもたちは自然にいろんなことを学んでいきます。私も色々学ばせていただきました。いちばんの収穫は「なんて素敵な子どもたちなんだ」という気づきです。  いっしょにいるとあたたかい気持ちになって、ずっとそばにいたいな、と思いました。教員になる前はふつうのサラリーマンをやっていたので、人の中にあってもそんな気持ちを忘れていました。障がいのある子どもたちは、あたたかな人の気持ちを思い出させてくれたのです。これが彼らとの出会いです。指導しなきゃ、という教員としての意識がほとんどなかったおかげです。  指導とか、支援という関係をやめるとき、ようやく相手と人として出会えるのだと思います。 私には絶対にできない、彼らにしかできない笑顔 この写真は花巻に住んでいる青年達です。先日お母さんのFacebookにアップされていました。見ただけでキュンと幸せな気持ちになります。             Facebookで公開されていた岩手・花巻に住む青年たちの写真(許可を得て転載)  二人ともアンジェルマン症候群といって、重度障がいの青年達です。重度障がいなので、何もできないのかというと、そんなことはなくて、こんな素敵な顔をして、まわりの人たちを幸せな気持ちにさせてくれます。私たちには絶対にできないことです。彼らにしかできないことなのです。そのことを謙虚に認めるところから、彼らとの新しい関係が生まれます。  こんな笑顔をする人は街の宝だと思います。社会の中で一番大切にしたい人たちです。  施設にはこんな笑顔をする人はたくさんいるはずです。そんな笑顔を見つけた時、  「あ、今日もいい笑顔だね。」  って笑顔で言える関係を作ること。それが虐待をなくす、一番大事なことだと思います。そして楽しいことがあった時は、一緒にこんな笑顔になる。楽しいことを彼らと共有するのです。  彼らと一緒に本心で笑えるようになった時、失った「人の心」が戻ってきます。重度障がいの人たちが、失った「人の心」を取り戻してくれるのです。  「人の心」を失っているのは施設だけではありません。虐待、いじめは社会全体を覆っています。その社会を救うのはやっぱり障がいのある人達ではないかと思うのです。彼らのそばに謙虚に立つこと。そうすることで、私たちは「人の心」を取り戻すことができるのではないか。そんな風に思うのです。
  • 未来に希望を持つことができます。
    こんな本があります。                                         この本の最後の方にこんなことが書いてあります。 「これまでの社会からは疎外されてきた人が働きやすい場が生まれていくなら、未来に希望を持つことができます。私たちが生きていく道の救いは,彼らといっしょに生きていくことにありそうです。」  これって、ぷかぷかがやっていることじゃないか、と思いました。障がいのある人達は、なにかと働きにくい現状,社会から疎外される現状があります。そんな中で、彼らに惚れこんだ高崎は、彼らといっしょに生きていった方がトク!、とぷかぷかをはじめました。  で、はじめてみてあらためて気づいたことは、よく言われる                      「障害者は社会にあわせなければやっていけない」                     ではなく、そのままの彼らの方が魅力があることでした。結果、             「そのままでいいじゃん」                                      と、そのままの自分で働いてもらっています。ですから彼らにとって、ぷかぷかはとても居心地がよく、働きやすい環境になっていると思います。そこに希望があると、この本はいっているのです。   希望という言葉がいいですね。生きることを前向きにしてくれます。希望があるから、私たちは前を向いて生きていけます。それをぷかぷかは創り出したのではないかと。                                                    そうして、いろんな意味での私たちの生きにくさや息苦しさを救うのは、彼らといっしょに生きていくことにありそうだ、と。  いっしょに生きていくと、心が自由になります。世界が広がります。生きることが、なんだか楽しくなります。いっしょに生きていくことの意味が、グンと広がります。  いっしょに生きてこそ生まれるすばらしい舞台。   この素晴らしさこそが、いっしょに生きていくということ。
  • 芝居小屋
    今年初めてのブログです。 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。            ごちゃごちゃした荷物を整理していて、きわめてレアな写真発見。養護学校で初めて芝居小屋をやったときの写真です。芝居小屋というのはプレイルームを使って役者もお客も一緒になってその場をつくっていくようなそんな場所です。    その時の様子を書いた『街角のパフォーマンス』の目次を見ると       お客も役者もクッタクタになるような場が学校の中に出現したのです。  こういった芝居小屋を何年か続けると、こんなすごい場ができました。この時は保護者の方やスクールバスの運転手さんも一緒に芝居やっちゃいました。 真ん中のおじさんはスクールバスの運転手 背景画がすばらしい 真ん中の青年はフィリピンからやってきた友人 お母さんたちも顔にしっかりメークして楽しんでいました。 タカサキはこんな感じでした。  役者とお客さんが一緒になって場をつくる、という発想はフィリピンまでPETA(Philippine Educational フィリピン教育演劇連盟)のワークショップを受けに1週間ほど行った際に学びました。たまたまこどものワークショップの発表会があり、私はお客さんでしたが、子どもたちの演技に合わせて一緒に馬の鳴き声をやったり、蹄の音をやったりで、場がものすごく盛り上がりました。こういう場の作り方があったのか、ともううれしくなって、それを学校に持ち帰ったというわけです。  おもしろかったのはフィリピンではPETAのメンバーさんの家に泊めてもらったのですが、そこはゲイのペアが暮らしている家で、最初はちょっと緊張しました。何事もなく1週間が過ぎたのですが、びっくりしたのは大晦日の日、近所の人達が大勢やってきてパーティーをやりました(フィリピンではお正月よりも大晦日にお祝いするようでした)。ごくふつうの家にやってくるような感じで、みんなすごく楽しくやっていました。ゲイとかレズビアンとか全く関係ない感じで、フィリピンて進んでいるんだなぁとしみじみ感じた夜でした。もう40年ほど前のことです。  楽しい芝居小屋ではあったのですが、 「おもしろい!おれもやってみよう」とか「私ならもっとおもしろくできる」 なんて、後に続く教員はいなかったので、こういうハチャメチャ楽しい芝居小屋はこれが最後になったと思います。そういう意味でとても貴重な場だったと思います。あの空間をいっしょにつくり、いっしょに楽しんだ仲間たちに感謝! ★『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版ですが、ぷかぷかのアート屋わんどに置いてありますので、興味を持った方は連絡ください。  また『街角のパフォーマンス』はタイトルを『とがった心が丸くなる』と変えて電子本としてアマゾンで販売しています。検索すればすぐに出てきます。Kindle会員であればただで読めます。
  • 差別を超える
    先日、みどりアートパークでオペラ『あん』を見てきました。  ♪どらやきぃ いかがで〜す〜か〜 の歌が、見終わってからも頭の中でいつまでも響いているようなオペラです。歌の力強さをしみじみ感じました。 www.youtube.com  冴えないどら焼き屋「どら春」を舞台に、ハンセン病の差別の問題を見せてくれます。  徳江さんはあんこを作るのが得意で、「どら春」で働き始めてからあんこのおいしさが評判になり、大繁盛。ところが徳江さんの曲がった指を見て、ハンセン病じゃないかと噂が広がり、客足は途絶えます。  薬が開発され、ハンセン病は治る病気になり、かつての隔離政策もなくなりました。でも、病気にかかった人達を差別する、という問題は残ったままです。説明すれば解消する、という問題ではありません。そこに差別というやっかいな問題があります。私たちの心には、論理的な思考ができない部分があるのだと思います。  徳江さんは隔離された施設の中で、仲間と甘いお菓子を作り、収容された人達に味わってもらいます。ハンセン病は、手足の感覚は麻痺しても、舌の感覚だけは残っているそうです。甘いお菓子にみんなは大喜び。閉ざされた世界の中で、なおも生きる喜びを感じることのできる大事な大事なひととき。 「ありがとう」「ありがとう」 と感謝されます。  「ありがとう」に込められた思いの深さ。それを歌い上げる歌。  徳江さんにとって甘いお菓子を作ることは「闘いだった」といいます。社会に出られないという過酷な人生を強いられる中で、なおもみんなの感謝の言葉に支えられながら自分の人生を生き生きと生きた徳江さん。それは「闘いだった」、ハンセン病を超える徳江さんの闘いだったと。  亡くなった徳江さんに、いっしょに甘いお菓子を作り続けた仲間が言います。  「徳江、よく頑張ったな」  頑張った、というより、よく生きた。そんな感じがします。  社会に出られない、自分の思うことが実現できない、という八方塞がりの中で、それでもみんなのために甘いお菓子を作りながら、自分の人生を生き生きと生きた徳江さん。  差別するのはよくない、といったところで差別はなくなりません。ではどうすればいいのか。そのひとつの回答がオペラ『あん』だった気がします。徳江さんの生き方だった気がするのです。  本で読むよりも、はるかに力強く、ダイナミックにそれが伝わって来た気がします。それがオペラのいいところだな、としみじみ思いました。  障がいのある人達も様々な場面で差別を受けます。社会からの排除です。ひと昔ほど露骨ではないにしても、できるできないで人をわけてしまうような価値観が社会にある限り、結果的には排除されてしまう障がいのある人達は多いと思います。  あんなにいいものを持った彼らを排除するのはもったいない、と私は思っています。  私たちにはないいろんな魅力を持った彼らを排除すると社会が貧しくなります。  障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい、その方がトク!というところでスタートしたぷかぷかは、彼らの魅力を様々な形で発信してきました。   お惣菜のお店にこんな文字があります。こんな字を見ると、ふっと心が緩みます。こういう字が店頭にあること、それが社会の豊かさだと思います。  ぷかぷかはこんな風にして障害者差別を乗り越えようとしています。
  • 美帆ちゃんの誕生日メニュー
     12月5日はやまゆり園障害者殺傷事件で亡くなった美帆ちゃんの誕生日でした。その日の給食メニューは「美帆さんの誕生日メニュー」。美帆ちゃんは唐揚げ、ハンバーグが大好きだったとお母さんがおっしゃっていました。  特に事件について話し合ったりするわけではありませんが、こうやってスタッフが美帆ちゃんのこと忘れないで「美帆さんの誕生日メニュー」を作ってくれることはとてもうれしいことです。お母さんにもちゃんと声をかけたそうです。体調不良で食べに来られなかったのは残念でしたが。  お母さんにとっても、こうやって娘のことをぷかぷかさんもスタッフも忘れないでいてくれることはとてもうれしいことだと思います。忘れられることがいちばん悲しいです。事件についてアーダコーダのむつかしい話ではなく、美帆ちゃんというひとりの人間を忘れないでいること。そのことが大事だと思うのです。  機会があれば事件のこともみんなで話し合えたら、と思っています。重い話ではなく、みんなで前を向けるような話です。 「やっぱりいっしょに生きていった方が絶対いいよね」 ってみんなが思えるような話です。  近くの創英大学の保育学科障害児保育の授業にぷかぷかさんが参加。こうやって一緒に何かやることが大事。ぷかぷかさんといると楽しいよね、って学生さん達は思ってくれてるみたいです。学生さん達は大学を卒業後、多くは保育の仕事に就きます。現場で障害児に何かやってあげるのではなく、いっしょに生きていく関係を作ってくれたら、と思っています。
  • 「これって アートなの?」展、開催中
    「ココロはずむアート展」ぷかぷかで開催中。 アート屋わんど パン屋 ぷかぷかさんのお昼ごはん 楽しい作品がいっぱいです。見なきゃソン!です。ぜひお越し下さい。
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