ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 映像の中の幸せいっぱいの顔が、みんないい
    相模原障害者殺傷事件へのすばらしい、元気いっぱいのメッセージです。    www.youtube.com   ベイビィぼくには 大事な夢がある ………  しあわせになるため 生まれてきたんだ 生きていることが 大好きなのさ      映像の中の幸せいっぱいの顔が、みんないい。「生きてる」って、こういうことだと思います。  相模原障害者殺傷事件の植松被告は福祉施設で働きながら、障がいのある人たちとこういう幸せいっぱいの顔をお互いがし合う関係を作ってなかったのじゃないかと思います。障がいのある人たちと、お互い幸せいっぱいに笑い合える関係を作っていれば、事件は起こらなかったと思います。彼が働いていた福祉施設で、どうしてそういう関係ができなかったのか、そここそきっちり検証する必要があると思います。  先日朝日新聞の方が取材に来たとき、「ぷかぷかで働いてどうですか?」と聞かれたスタッフが「毎日楽しくて楽しくて、もうお金をもらうのが申し訳ないくらいです」と答えていたのが印象的でした。  このスタッフはこんな写真をFacebookに投稿しています。こんな笑顔を見て、うれしくて、幸せな気持ちになって、みんなにこの幸せ感を分けてあげたくて投稿したんだろうと思います。    植松被告が障がいのある人たちの笑顔を見て、自分も笑顔になるような関係を作っていれば、あんな事件は絶対に起こらなかったと思うのです。 
  • あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら…
     土曜日の上映会で杉浦さんとお話ししました。杉浦さんは有名(?)な二ツ橋大学の副学長さんです。本人は雑用係といっていましたが…  杉浦さんは、この二ツ橋大学で、相模原障害者殺傷事件をテーマにした集まりを何度かやっていて、私も参加した縁で、上映会のあとのトークセッションに出ていただきました。相模原障害者殺傷事件という重いテーマを、決して逃げることなく、正面から向き合おうとする杉浦さんの姿勢こそ私たちは見習いたいと思い、ゲストにお呼びしました。    杉浦さんは昔、有機野菜を扱う小さな八百屋をやっていました。その八百屋に、私が養護学校の教員をやっている頃、てっちゃんというダウン症の男性を雇ってもらいました。進路担当の教員はてっちゃんに一般就労は絶対無理!無理!といっていました。でも、私はてっちゃんのような人こそ、街で働いて欲しいと思っていたので、てっちゃんを雇うと絶対にいいことがある、としつこくお願いしました。その思いが杉浦さんに届いて、てっちゃんは八百屋で働くことになりました。もう30年くらい前の話です。  ぷかぷかの映画を見たあと、その頃の話を杉浦さんはしてくれました。八百屋はものすごく忙しい職場で、お昼ごはんを取れるのが夕方の4時頃になることが日常茶飯事であったといいます。そんな中でてっちゃんは黙々とマイペースで働いていました。てっちゃんの働く姿は、そのまま杉浦さん達の働き方に大事な問いかけをしていたといいます。有機野菜を売るというミッションと、杉浦さん達の働き方があまりにもかけ離れているんじゃないか、と。杉浦さんたちは考え込んでしまったそうです。人としてのまっとうな働き方をいそがしさの中で忘れてしまっていた、それをてっちゃんが引き戻してくれた、というのです。てっちゃんは、あーだ、こーだ、とややこしいことはいいません。ただ黙々と働く姿で、その大事なことを教えてくれた、と杉浦さんは話してくれました。それが障がいのある人と一緒に働く意味ではないかと。  相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」などといいました。でも、てっちゃんは杉浦さん達にとって、「障害者はいない方がいい」どころか、てっちゃんが八百屋で働くことで、とても大事なことを教えてくれた人なのです。    てっちゃんは気がつくと街の中でたくさんのつながりを作っていた、と杉浦さんは話していました。朝夕乗り降りする駅の人たちはみんなてっちゃんのことを知っていたそうです。てっちゃんは人なつっこくて、誰にでも愛されるような人でした。こういう人は街の中にいた方がいい、と杉浦さんのお店に入れてもらったのですが、予想通り、てっちゃんのキャラクターで街を耕していたようです。こういう街はてっちゃんが歩くことでホッとした雰囲気が漂います。誰もが生きやすい街になります。  ぷかぷかさん達も毎日街を耕しています。映画はそれを伝えていました。  彼らが街にいること。そのことがすごく大事なのだと思います。    あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら、多分あんな事件は起こさなかったんじゃないか、と杉浦さんは話していました。ここに事件の本質があると思いました。  障がいのある人たちとおつきあいする機会がふだんの暮らしの中でもっともっとあれば、あの事件は多分起こらなかったのだろうと思います。  学校の時から障がいのある子どもとない子どもが分けられることが当たり前になっています。何かの機会がなければ、障がいのある人たちとおつきあいすることはありません。おつきあいがなければ、彼らのことは全くわかりません。なんとなくいやだね、とか、近寄りたくないな、といったマイナスイメージだけが一人歩きします。犯人もそういう社会の中で生き、育ってきました。何かのきっかけで、そのマイナスイメージが犯人の中で爆発的に大きくなり、事件に至ったのだと思います。  事件が大きすぎで、私たちの手に負えない感じですが、杉浦さんの 「あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら、多分あんな事件は起こさなかったんじゃないか」 という発言は、そうだ、そういうことだよな、と事件の一番の原因が見えた気がしました。  そしてあたし達にできることは、街の中で障がいのある人たちと楽しくおつきあいできる機会をたくさん作ること、そこから豊かなものをたくさん作り出すことだとあらためて思いました。  「ぷかぷか」では障がいのある人たちが働いています。社会の中ではどちらかというとなんとなく嫌われている人たちです。ところが彼らが「ぷかぷか」で働いていると、嫌われるどころか、「彼らのこと好き!」とか「彼らのファンです」という人が増えたりしています。  社会と全く反対の反応です。彼らのこと好きになるなんて、そんなことがあり得るの?と思ってしまうのですが、ここにこそぷかぷかのヒミツがあります。  そのヒミツとは何か。  それは別にたいしたことではなく、障がいのある人たちを社会にあわせたりせず、彼らのそのままの姿を差し出しているだけです。そうすると彼らのファンが次々に生まれたのです。彼らのそのままの姿には魅力があり、それにお客さんが気がついたのです。   そしてこのぷかぷかのヒミツこそが、相模原障害者殺傷事件を生むような病んだ社会を救う手がかりを提案している気がするのです。    犯人が、ぷかぷかのカフェに来て、たとえばテラちゃんの機関銃のように威勢のいい言葉がぽんぽん飛び出してくるような元気で楽しい接客に出会っていれば、事件は絶対に起きなかったのではないか、と思うのです。    テラちゃんはこうやってぷかぷかのファンをどんどん増やしています。                 
  • 明日の上映会は相模原障害者殺傷事件に向けたぷかぷかのやわらかな提案
     障がいのある人たちと一緒にいて楽しいと思える関係は、豊かな空気感を生みます。空気感は社会を、ちょっとずつですか、やわらかく変えていきます。    社会の中では「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会の負担」といったマイナスイメージが一般的です。相手との関係が楽しくなくて、そこからは多分わくわくするようなものは何も生まれません。  ぷかぷかは障がいのある人たちと一緒に生きていきたいという思いからスタートしました。いろいろできないことはたくさんあっても、それを超える魅力を感じたからです。一緒にいて毎日が楽しかったからです。  障がいのある人たちとのそういった関係が何を生み出すか、といったことまでは設立当初は考えていませんでした。ただ一緒に生きていきたい、そのことだけでスタートしたのです。そのことだけでスタートしたにもかかわらず、振り返ってみると、彼らとの関係の中からたくさんの価値あるものを生み出していました。  「なんとなくいや」と思われている障がいのある人たちの働くお店が好き!という人が現れました。「ぷかぷかのファン」という人がどんどん増えてきました。別に大宣伝したわけではありません。お店に来て、心のなごむ、ホッと一息つけるような「空気感」のようなものにふれたのだと思います。  その「空気感」は、障がいのある人たちとの関係性が生み出しています。「彼らと一緒に生きていきたい」「一緒にいると楽しい」と思う関係性です。「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会の負担」と思うような関係性からは、こんな「空気感」は絶対に生まれません。せっかく一緒にいるのに、すごくもったいないと思います。  ぷかぷかが作りだしている「空気感」はみんなをちょっとだけ幸せにします。そして息苦しい社会を、ちょっとだけ変えます。  6月17日の午後上映する2本のプロモーションビデオは、その「空気感」うまく伝えています。    演劇ワークショップの記録映画は、障がいのある人たちと一緒に何が作り出せるか、を芝居作りを通して見せてくれます。彼らと一緒だからこそ創り出せる豊かな世界がよく見えます。彼らと一緒に生きる理由が見えます。  明日の上映会では相模原障害者殺傷事件に対して私たちに何ができるのか、といったことも話題にしたいと思っています。あれはけしからん、といった批判で終わるのではなく、じゃあ、私たちは何をするのか、何をすればいいのか、何ができるのか、といった前向きの話し合い、提案ができれば、と思っています。  演劇ワークショップの記録映画も、プロモーションビデオも、相模原障害者殺傷事件に向けたぷかぷかのやわらかな提案です。    
  • そういった偏見をひっくり返してしまうくらいの幸せが
     ゆうたくんの家族がhanaちゃんちに遊びに行ったそうです。 ameblo.jp  ゆうたくんも hanaちゃんも、いわゆる「重度障がい児」です。毎日毎日大変なことが起こります。でも大変なことを大変なことと受け止めず、「またやってくれました!」という感じで、なんだか楽しそうにFacebookに証拠写真と一緒にアップしています。  「重度の障がい児がいて、毎日大変ね」と知らない人は思ってしまいます。「障害者といることは不幸なんじゃないか」と。でも、そういった偏見をひっくり返してしまうくらいの幸せが、Facebookやブログからはいっぱい伝わってきます。    殺されてなお、名前すら言えない相模原障害者殺傷事件の犠牲者達の置かれている社会的状況は、障がいのある人たちへの、そういった偏見が生み出しています。親戚に障害者がいることがわかると商売に差し障りがある、だから名前は出さない、とまで津久井やまゆり園の保護者の方は言ってました。そんなことがまだあるのかと思いましたが、それが現実なんだろうと思います。  今日のブログにあるような幸せな家族の写真は、そんな不幸な社会を変えていきます。ぷかぷかも、彼らといっしょに生きていく日々は幸せだよ、っていうメッセージをもっともっと発信したいと思います。      相模原障害者殺傷事件の容疑者は 「障害者は不幸しか生まない」  などと言ってました。  ひょっとして容疑者が、ゆうたくんやhanaちゃんの家族に出会っていれば、多分あのような不幸な事件は起こさなかったのではないかと思います。  ですから、ゆうたくんやhanaちゃんの家族は、この病んだ社会を救う、とても大事なメッセージを日々発信しているのだと思います。              
  • 未来に向けて小さな希望が持てるような明るい話し合いができたら
     6月17日(土)みどりアートパークで演劇ワークショップの記録映画と新しいプロモーションビデオの上映会をやります。 ●鮮明なチラシは下記をクリックして下さい。サイトの中にあるダウンロードボタンをクリックすると鮮明な大きなチラシが出てきます。 6月17日上映会 - 「カフェベーカリーぷかぷか」「ぷかぷかカフェ」「おひさまの台所」「アート屋わんど」      午前中は第一期演劇ワークショップ(2015年6月〜11月)の記録映画『ぷかぷか』、午後は新しいプロモーションビデオ『いっしょにいると心ぷかぷかⅡ』と第三期演劇ワークショップ(2016年8月〜2017年1月)の記録映画『ぷかぷかⅡ』を上映します。  映画『ぷかぷか』はぷかぷかで働く障がいのある人たちと地域の人たちが月一回集まって6ヶ月かけて芝居作りをしたときの記録映画です。作った芝居はみどりアートパークのホールの舞台で発表しました。  第一期の演劇ワークショップに参加した地域の人の感想にこんな言葉がありました。    「あんなにも心の底から楽しい〜って思えたのは久しぶりです。」    「心の底から楽しい〜」って思えることなんて、なかなかないことです。演劇ワークショップは、障がいのある人たちと、そんなふうに思える関係を、一緒に芝居を作っていく中で作り出しました。「なんとなくいや」とか「こわい」とか社会から排除されがちな障がいのある人たちと「心の底から楽しい〜」って思える関係を作ったことは、ワークショップの大きな成果といっていいと思います。これは障がいのある人たちの置かれている社会的状況に希望をもたらします。彼らだけでなく、時代の閉塞感の中で息苦しい思いをしている私たち自身をも救ってくれる気がしています。  どうしてそんな関係ができたのか、映画はそれを淡々と伝えてくれます。  演劇ワークショップというのは、みんなでお芝居を作っていく作業のことです。演出家が決めたとおりにやる芝居ではなく、みんなで「あーだ」「こーだ」といいながら作っていく芝居です。その「みんな」の中に、障がいのある人たちもいます。そして「みんな」はどこまでも「フェアな関係」です。  「フェアな関係」になると何が見えるのか。そして何ができるのか。   社会の中では、あれができない、これができない、と蔑まれている彼らが、一緒にワークショップをやってみると羨ましいほどの自由さと、とんでもない表現力を持っていることに気づきます。「フェアな関係」だからこそ、気づくのです。そうやって彼らとあらためて出会うのです。  そんな風に出会った彼らは、もう何かをやってあげるとか、支援するような対象ではありません。一緒に新しいものを創り出す、クリエイティブな仲間なのです。「フェアな関係」だからこそ、そういう新しいものを一緒に創り出す仲間になることができます。  そうしてみんなでみどりアートパークホールの舞台に立ちます。   これが演劇ワークショップが創り出した新しい「文化」です。障がいのある人たちを排除する「文化」に対する、新しい「文化」です。社会を豊かにする「文化」です。それを映画はきっちりと見せてくれます。      午後は新しいプロモーションビデオを上映します。ビデオを制作した信田さんの思いです。 pukapuka-pan.hatenablog.com    上映会のあと、相模原障害者殺傷事件のことを話題にしたいとは思いますが、優生思想云々とかいった大きな話ではなく、私たちに実際にできる小さな話をしたいと思っています。日々の暮らしの中でできることです。  ぷかぷかに子どもと一緒にいつもクリームパンを買いに来ていたオーヤさんは、バスや電車の中で知ってるぷかぷかさん達に会ったら、「おはよう、元気?」って声をかけるのだそうです。そうすることで、「バスや電車の中の雰囲気が変わるでしょ」って言います。  そういう小さなことを日々積み重ねていくことで、社会は少しずつ、お互いが気持ちよく生きていける社会に変わっていくのだと思うのです。  ですから上映会のあとは、相模原障害者殺傷事件に関する重い話をするのではなく、私たち一人ひとりができる小さなアイデアを出し合うような、未来に向けて小さな希望が持てるような明るい話し合いができたら、と思っています。ぜひお越し下さい。            
  • 目の前のその一人から少しずつ…
     今朝の神奈川新聞の「生きる証」ー地域の中でー というシリーズで「自分が変わり周囲も」というタイトルでぷかぷかの常連のお客さんオーヤさんが紹介されていました。 www.kanaloco.jp  子どもと一緒に毎日のようにクリームパンを買いに来たのがきっかけでおつきあいが始まり、パン教室に一家で参加したり、アートのワークショップにやはり一家4人で参加したりしているうちに、オーヤさん自身がどんどん変わってきました。  プロモーションビデオの中で、その頃の思いを語っています。 www.youtube.com    ぷかぷかさんたちとおつきあいしてきて「自分も耕されてるのかなって思ったりします」と語るオーヤさん。障がいのある人たちとおつきあいして、そんなふうに受け止める人はなかなかいません。  演劇ワークショップに参加したときは、涙を流すほどの心の揺らぎがありました。そんな深いおつきあいをオーヤさんはぷかぷかさん達とやっているのだと思います。  記事の最後にこんな話が載っていました。 …そんなオーヤさんがこの1,2年で始めたことがある。バスの車内や駅で「ぷかぷか」のメンバーに出会ったときのあいさつだ。 「『セノーさん、こんにちは』とか、『テラちゃん、お疲れ』とか。あいさつで自分とメンバーみんなとの関係性を示すことで、怖い存在じゃなくて、人としてつきあえるんだよ、と周囲にわかってもらえたらな、って」  少しずつ、目の前のその一人から少しずつ…。日々の暮らしの中でオーヤさん自身が変わり、周囲もまた変えようとしている。    相模原障害者殺傷事件という悲惨な事件の一方で、こうやって少しずつ自分のまわりを変えようとしている人がいる。子どもと一緒にクリームパンを買いに来た、というたったそれだけのことがきっかけで、ここまで人が変わるということ。ここにこそ希望があるように思うのです。  オーヤさんは別に社会を変えようとか、そんなふうには多分思っていません。「彼らとはおつきあいした方がトクだよ」って、思ってるんだと思います。ぷかぷかの影響を受けて…
  • この人たちの、こんな世界が、社会を豊かにしてくれます。
     わんどで誰かの似顔絵を描いたり、自画像を描いたりしました。     なんて楽しい人たちなんだと思います。     こういう世界が私たちのすぐそばにあることを幸せに思います。       こんな世界を持っている人たち、本当に大事にしたいです。 彼らのそのままを大事にしたいです。 ずっと一緒に生きていきたいです。 この人たちの、こんな世界が、社会を豊かにしてくれます。 こういう絵が社会の中に散らばっていくと、社会はもっと楽しく、もっとゆるやかになります。お互いがもっともっと生きやすくなります。  相模原障害者殺傷事件を起こすような病んだ社会には、こういう絵こそ必要なんだと思います。この人たちの世界が、病んだ社会から私たちを救い出してくれるように思うのです。
  • 小さなことを積み上げるー相模原障害者殺傷事件を超える社会を作るために
     ある雑誌から相模原障害者殺傷事件についての原稿を求められ書いたものです。  相模原事件の何が問題で、それに対してぷかぷかは何をやってきたのかを、かなりまとまって書く機会になりました。以前書いたこともあちこち引用していますが、こうやってまとめてみると、あらためてぷかぷかをやることの意味が見えてきます。      小さなことを積み上げる            ー相模原障害者殺傷事件を超える社会を作るために                   「ぷかぷか」代表    高崎 明    横浜で「ぷかぷか」という福祉事業所を運営しています。ぷかぷかは横浜市緑区霧ヶ丘にあって、障がいのある人たちの働くパン屋、カフェ、お惣菜屋、アートスタジオのお店です。約40名の方が働いています。形の上では就労支援B型ですが、いわゆる就労支援施設のイメージを大きく超えた活動をやっています。  ぷかぷかは代表の私が養護学校の教員時代、障がいのある子どもたちに惚れ込んだところから始まりました。あれができないこれができないといろいろ大変な子ども達でしたが、彼らと過ごす日々はほんとうに楽しくて、笑いが絶えませんでした。なによりもそばにいるだけで心があたたまり、人間てこんなにいいものだったのかとしみじみ思いました。そんな彼らに私はすっかり惚れ込んでしまったのです。  養護学校を定年で辞めるとき、彼らと別れるのがすごく寂しい気がして、定年後も彼らとずっといっしょに生きていきたいと、退職金をはたいて彼らと一緒に働く「ぷかぷか」を立ち上げました。日々「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを発信しつづけています。「共に生きよう」とか、「共に生きねばならない」といった感じではなく、「いっしょに生きていった方が人生トク!」という感じのメッセージです。この「トク!」というニュアンスがとても大事です。結果、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人たちが増えてきました。世の中広しといえども、「障がいのある人たちの働くお店が好き!」あるいは「そのお店のファンです」なんていう人は、そうそういないと思います。    その一方で相模原障害者殺傷事件が起き、容疑者は「障害者はいない方がいい」「生きている意味がない」などといいました。ぷかぷかのファンの人たちの思いと全く正反対です。事件と同じ年の2月、横浜市瀬谷区では地域住民の反対で障がいのある人たちのグループホームの建設計画がつぶされました。「障害者はここに来るな」「障害者はここにいない方がいい」というわけです。容疑者のいっていることと全く同じです。「障害者はなんとなくいや」「障害者は怖い」「障害者は効率が悪い」「障害者は生産性が低い」「障害者は社会の負担」などは、社会の多くの人が思っていることです。何よりも容疑者はこの社会で生まれ、容疑者の発想は、この社会で育まれています。  そんなふうに考えていくと、事件を考えることは、社会の有り様を考えることであり、私たちの生き方そのものを考えることになります。何を、どうすればいいのか。私たちに何ができるのか。  事件の衝撃があまりにも大きすぎて、正直、何をやっていいのか、よくわからない感じがします。そんな中でぷかぷかが日々こつこつ作り出しているものは、事件を超える社会を作っていく上で、希望の持てるものではないかと思うのです。    相模原事件の関する集まりで、壇上のパネリストに「優生思想についてどう思いますか」という質問が出ました。それに対し「そういう大きな話ではなく、私は自分の職場のこととか、私たちが実際にできる小さな話をしたいと思います。」とパネリストが答えたことが印象に残っています。  ここで書くのは抽象的な大きな話ではなく、実際にやってきた小さなことの報告です。その気になれば誰でもできることです。私たちが動かなければ、社会は変わりません。   1,ぷかぷかが好き!という人を増やす  事件は障がいのある人たちを排除する社会の意志が極端な形で現れたものだと思います。一線を越えてしまった容疑者の特異性があったにせよ、背景に横たわる社会の意志の存在はとても大きいと思います。  では、障がいのある人たちを排除しない社会はどうやったらできるのか。彼らを排除してしまうのは、彼らのことをよく知らない、ということに多くは起因していると思います。よく知らないから、なんとなく怖かったり、近寄りたくないな、と思ったりします。あるいは生産性もないし、生きている価値なんかないんじゃないか、と。知らないことは、そのまま根拠のない差別を生んでしまいます。  彼らを知るいちばんの方法は、街の人たちが障がいのある人たちと出会う機会を作ることです。ぷかぷかは彼らの働くお店を街に中に作ることで、その機会を作りました。街の人たちがお店で彼らと出会い、「ぷかぷかが好き!」という人がたくさん現れました。どうしてそんなふうに思う人が増えたのか、そのあたりのことを書きます   ぷかぷかを開くまで教員しかやった経験がなかったので、お店でどんな風に接客したらいいのかさっぱりわかりませんでした。それで接客の講師を呼んで、講習会を開きました。いろんな話がありましたが、要は接客マニュアルというものがあって、口にする言葉も決まっていて(「いらっしゃいませ」「お待たせしました」「かしこまりました」「少々お待ちください」といった言葉)、それ以外のことは言うな、ということでした。両手を前にそろえ、丁寧にお辞儀しながら決まり文句を言うと、もっともらしい雰囲気になります。でも、メンバーさんがそれをやると気色悪い感じがしました(ぷかぷかでは、働いている障がいのある人たちを、一緒に働く仲間、という意味で「利用者」ではなく「メンバーさん」といっています)。  私は障がいのある人たちに惚れ込んで、彼らと一緒に働くぷかぷかを作りました。惚れ込んだ彼らが、自分を殺し、無理にマニュアルに合わせる姿はただただ気色悪かったのです。それで講習会は一日でやめました。もう自分たちでやるしかありません。お客さんが不愉快な思いさえしなければいい、という最低限のルールだけを決め、あとは自分たちで考えてやっていこう、ということにしました。  何か新しい展望があって講習会をやめたわけではありません。決め手は「気色悪い!」という直感です。やめたはいいけど、自分たちの感覚だけでほんとうにやっていけるのか、と正直不安でした。  ところが、これがなんとお客さんに受けたのです。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人が現れたのです。全くの想定外でした。    カフェに来たお客さんからこんなメールをいただいたことがあります。  《丁寧に、慎重にコーヒーをテーブルに
おいてくれたお店の方。
心がこもっていて、一生懸命なのが
すごく伝わりました。また行きますネ!》  このときのメンバーさん、緊張のあまりコーヒーカップを持つ手が震えていたのですが、お客さんにはメンバーさんの思いがまっすぐに伝わっていたようです。心のこもらないマニュアル化された接客ばかりの世の中にあって、ぎくしゃくしつつも自分で一生懸命考えてやる接客は新鮮で、お客さんの心をぽっとあたためたのではないかと思います。  こんなメールもありました。 《メンバーのユミさんが「すごいねー、いっぱい食べるねー」と厨房に話しているのが微笑ましく、明るい彼女にひとときの幸せをいただきました。また、たくさんパンのおかわりをしに、笑顔をいただきに、カフェに行きますね。》  「ひとときの幸せをいただきました」とか「笑顔をいただきにカフェに行きますね」という言葉がほんとうにうれしいです。障がいのある人たちのありのままの接客がこんな素敵な言葉をお客さんから引き出したのです。  障がいのある人たちは社会に合わせないとだめだと言われ、みんな日々窮屈な思いをしながら大変な努力しています。でも、彼らのありのままの姿が引き出した「ひとときの幸せをいただきました」というお客さんの言葉は、社会に合わせなくてもやっていけることを物語っています。「なんだ、そのままでいいじゃん」というわけです。障がいのある人たちのそのままの姿にファンを作るほどの魅力がある、ということです。    「ぷかぷかが好き!」とか「 ぷかぷかのファンです」という人が増えることは、地域社会が障がいのある人たちを受け入れ、豊かになっていくことを意味します。言い換えれば、障がいのある人たちの魅力には、地域社会を豊かにするチカラがあった、ということです。  もし障害者グループホーム建設反対を叫ぶ人たちの街に「ぷかぷか」があったら、街の事態はもう少し変わっていたかも知れないと思うのです。それくらい彼らの魅力には社会を変えるチカラがあると思っています。  「ぷかぷかが好き!」という人を一人、二人と増やしていくことは、障がいのある人たちが排除される社会にあっては、とても大事なことだと思います。  「ぷかぷかが好き!」と思う人が、一人増えると、その一人分、社会が変わります。十人になれば十人分、100人になれば100人分、1,000人になれば、1,000人分、社会が変わっていくのです。相模原障害者殺傷事件を超える社会は、そうやって少しずつできていくのだと思います。     2,情報発信で共感する人を増やす  相模原障害者殺傷事件では犠牲になった方たちの名前が一切伏せられました。  保護者の要望で名前を非公表としたというのですが、名前はその人の人生そのものであり、名前を公表しないことは、その人の人生そのものがなかったことにならないか、という気がします。  たとえ重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージは、こんな時こそ大事だと思います。  きちんと名前を書き、この人はこんなすばらしい人生をおくりました、と書き残すことは、亡くなられた方への最低限の「礼儀」であるようにも思うのです。    こんなことは考えたくないのですが、もしぷかぷかでこんな事件が起き、もし犠牲者が出たりしたら、悲しみに暮れながらも私は、犠牲になった方はこういう名前の方で、こんな人生を送っていたのですよ、という話を毎日ブログに書いて発信します。悲しくて、悔しくて、やりきれないから、ほんとうにもう毎日書きます。書いて書いて書きまくります。その人が生きた証を残してあげたいからです。障がいがあっても、こんなすてきな人生を、こんな豊かな人生を生きたんだよ、という確かな証です。  そしてそれをたくさんの人たちと共有することこそが、このような事件を防ぐ力になると思います。  事件の容疑者は「障害者は生きている意味がない」などといいましたが、ふだん障がいのある人たちとおつきあいのない人なら「なんとなくそうかも」と思ってしまいます。そんな中で障がいのある人たちの豊かな人生を共有する人を増やすことはとても大事な気がしています。    ぷかぷかは日々「ぷかぷかさん」たちの小さな出来事をFacebookページで発信しています。今日誰々さんはこんなことをやりました、あんなことをやりました、という他愛ない出来事の発信です。それは彼らの人生そのものです。障がいのある人たちは、こんな豊かな人生を送っています、というメッセージです。  先に書いた、「障害者はなんとなくいや」「障害者は怖い」「障害者は効率が悪い」「障害者は生産性が低い」「障害者は社会の負担」などと社会の多くの人が思っているのは、やはり障がいのある人たちとのおつきあいが、ふだんの暮らしの中でないことに起因しているのだと思います。そんな中で、障がいのある人たちの日々の様子を発信することはとても意味のあることです。  名前はニックネームですが、アップの写真を堂々と載せます。写真はその人の存在をしっかりリアルに語るからです。いい人生を送っている素敵な顔の写真をFacebookページやブログにアップします。  先週金曜日、帰りがけに、大好きな仮面ライダーのお面をつけて帰ろうとしているダイちゃんを見つけたので、携帯で写真を撮り、その場でFacebookページにアップしました。ものすごいたくさんの人が「いいね」をしてくれました。こういう人が街にいると「いいね」ということです。外に向けて日々こういう情報を発信していると、お互いが豊かになる関係が自然にできます。  このダイちゃんは太鼓の達人でもあります。先日日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんとコラボを組んで日本フィルハーモニーのリレーコンサートの舞台に立ちました。よくある「ふれあいフェスティバル」のような障害者がちやほやされる舞台ではありません。演奏のプロたちが真剣勝負をする舞台です。そんなぴりぴり緊張感の漂う舞台で、ダイちゃんは飄々と太鼓をたたいたのです。そのときのブログ記事はこちら http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2017/03/02/005226  プロのチェロ奏者とコラボを組んで舞台に立つくらいの太鼓の達人が、一方で仮面ライダーのお面をつけて家に帰るというところがなんともおもしろいと思うのです。本当に抱きしめたいくらいの存在です。だからたくさんの人が「いいね」をしてくれたのだと思います。    情報発信は人の関係を作ります。ダイちゃんのような写真をアップするだけで500人を超える人がアクセスしてくることもあります。どんなメッセージでも、発信すれば様々な反応があり、関係が広がります。障がいのある人たちにつながるこの関係の広がりこそ、今とても大事な気がしています。     3,新しい文化を一緒に創る   ぷかぷかは日々「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを発信しています。いっしょに生きていった方が社会が豊かになると考えるからです。  先ほど紹介したカフェに来たお客さんの言葉「ひとときの幸せをいただきました」とか「笑顔をいただきにカフェに行きますね」はぷかぷかが作り出した豊かさをうまく語っているように思います。  ぷかぷかはお店に閉じこもることなく、外に出て地域の人たちといろんなことをやっています。パン教室、運動会、演劇ワークショップなどです。  演劇ワークショップは地域の人たちとの芝居作りです。月一回集まって一日かけていっしょに芝居作りをやります。それを6ヶ月続け、できあがった芝居を大きなホールの舞台で発表します。障がいのある人たちがいっしょだからこそできるなんとも楽しい、味のある芝居です。  障がいのある人たちとの演劇ワークショップはもう30年以上も前からやっているのですが、昔こんなことがありました。お芝居を作っていく手がかりとして、みんなで模造紙を使ったぬいぐるみを作ったことがありました。2枚の模造紙にぬいぐるみにするものの絵を描き、新聞を丸めたものを間にはさんで、まわりをホッチキスで留めていくと、ひと抱えくらいある大きなぬいぐるみができます。たいていの人はクマのプーさんのような丸っこいものをぬいぐるみにします。  ところが参加していた養護学校の生徒の一人が「オレ、海のぬいぐるみを作る」と言い出したのです。  海? 海ってぬいぐるみになるの? 海のどこをどう切り取ってぬいぐるみにするの? と思いました。全くイメージできなかったのです。  でも、彼はなんの迷いもなく、2枚の模造紙に波線を書き、それを貼り合わせて「海のぬいぐるみ」を作ってしまったのです。ひと抱えもある海のぬいぐるみを抱え、「ざざざざざ〜ん」と言いながら行ったり来たりして、見事に海辺の風景を表現したのです。  この発想力の豊かさ。本当に太刀打ちできないと思いました。彼の友だちは1,000円札のぬいぐるみを作りました。この二人には完璧に負けました。  こういう人たちと一緒に作るから、幅のある豊かな芝居ができあがるのです。それを大きなホールの舞台で発表します。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージがリアルに伝わります。  先日発表した舞台はこちら http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2017/02/02/013239    障がいのある人たちは、あれができないこれができない、とマイナス評価ばかりです。仕事の効率が落ちるとか、社会の負担になっているとか…。  そんな中にあって、ぷかぷかは彼らとクリエイティブな、前向きの関係を作り、「新しい文化」といっていいものを創り出しました。  彼らは何にもできないと切り捨ててしまうことは社会の大変な損失だと思います。いっしょにやればこんなにも豊かなものを作り出せる彼らを切り捨てるなんて、実にもったいない話です。彼らといい関係も作らずして「彼らは生きていても意味がない」といってしまうのではなく、意味があると思える関係を私たちが作り出せばいいのです。それは私たちの仕事だと思います。私たち自身が彼らとどれだけ豊かな関係を作りだせるか、私たちの力量が問われています。「支援」よりもはるかに「創造する力」が試されます。だからこそおもしろいのです。  障がいのある人たちと共に生きよう、というスローガンみたいなものが昔ありましたが、そんなこといっても共に生きようとは誰も思いません。演劇ワークショップの場では、「彼らにここにいて欲しい」「彼らがここには必要」と思える関係が自然にできます。彼らとのクリエイティブな関係が楽しいからです。だからこそ、ここからは豊かなものが生まれるのです。    「新しい文化」はお店でも創り出しています。障がいのある人たちは社会に合わせることを求められています。社会に合わせないと、この社会では生きていけない、と。そのため本人はもちろん、家族の方も大変な努力をしています。  「接客マニュアル」は社会に合わせるマニュアルです。その通りにやれば、社会にあわせることができます。でもその姿が気色悪くて、ぷかぷかでは接客マニュアルは使わないことにしました。いってみれば、社会に合わせることをやめたのです。でも、それで社会でうまくやって行けてないかというと、そんなことはなく、「ぷかぷかのファン」ができてしまったのです。「ぷかぷかのファン」が収益を伸ばしてくれています。社会に合わせていないのに、商売としてちゃんと成り立っているのです。  ぷかぷかにはおしゃべりの止まらない方がいます。世界の都市の名前、歌手の名前、野球選手の名前、車の名前、等が次々に出てきます。いっしょにハイキングに行ったときは、急斜面でみんなヒイヒイいっている坂道でも、国語の教科書に載っていた何かの物語を語りながら登っていました。いっしょに旅行に行って、隣に寝たときは、目が覚めていきなりリオデジャネイロ、アンタナナリボ、と世界の都市の名前がずらずらっと出てきました。彼にとっておしゃべりは呼吸と同じなのです。ですからぷかぷかは彼のおしゃべりは止めないのです。  パンの外販先で、「仕事中おしゃべりしちゃだめでしょ」と注意されたことがあります。でも、彼のおしゃべりは魅力があって、ファンがたくさんいます。そのファンたちが外販先の売り上げを支えてくれています。つまり外販の売り上げの多くを彼のおしゃべりが作りだしているのです。彼がありのままで仕事場に立つことで売り上げが増えているのです。おしゃべりが止まらず、社会に合わせることがもっともむつかしい人が、売り上げをいちばん伸ばしているのです。ここがおもしろいですね。私たちの障がいのある人たちを見る目を、見事にひっくり返している気がします。  ある区役所ではぷかぷかのような福祉事業所が10箇所くらい外販に来ています。その中でぷかぷかのお店にはいつも行列ができます。どうしてこんなに行列ができるのか、障害支援課の係長さんとお話ししたことがあります。  「メンバーさんが楽しそうに働いているからじゃないかな」と係長さんはおっしゃっていました。  ぷかぷかは「接客マニュアル」は使わないことを書きました。仕事中のおしゃべりも自由です。いつものお客さんと会うと「やあ!」とハイタッチしたりしています。そんな楽しい雰囲気が行列を作り出しているのではないか、というわけです。  ほかのところはみんな礼儀正しく、接客マニュアル通りにきちんとやっています。障がいのある人を社会に合わせた正しいやり方(?)をやっているのだと思います。でもお客さんは、彼らを社会に合わせることをせず、彼らのありのままを差し出しているぷかぷかの方に来るのです。  福祉施設がやっているパン屋に行ったお客さんが、「ぷかぷかに来るとホッとします」とおっしゃったことがあります。要するにそういうことなのです。  障がいのある人に社会に合わせることを求めながら、社会は彼らのそのままの姿にこそ魅力を感じているのです。息苦しい世の中にあって、どこかホッとするものを感じるのだと思います。  社会に合わせることが一つの文化なら、社会に合わせないでやっていくことはもう一つの「新しい文化」になると思います。この新しい文化は、障がいのある人たちだけではなく、社会に息苦しさを感じている私たちにも救いをもたらします。  相模原障害者殺傷事件は、障がいのある人たちを排除する文化の中で起こりました。その文化はお互いがとても息苦しくなるような社会を作ります。ぷかぷかは障がいのある人たちといっしょに、彼らを排除しない文化、お互いが気持ちよく生きていける社会を作り出そうとしています。     4,支援ではなく、彼らといっしょに生きる   相模原障害者殺傷事件の容疑者は福祉施設で働いていました。日々障がいのある人たちと接していたわけです。にもかかわらす、あのような事件を起こしました。福祉施設で障がいのある人たちとどのようなおつきあいをしていたのか、と思います。  おつきあいは人と人との関係です。障がいのある人とちゃんとおつきあいしていれば、あのような事件は起きなかったと思います。福祉の現場にいながら、人として障がいのある人たちとおつきあいすることがなかったのではないかと思うのです。これは容疑者個人の問題ではなく、福祉施設自体に、障がいのある人たちと人としてきちんとおつきあいする雰囲気がなかったのではないかと思います。  福祉施設で行われている「支援」はどこまでも上から目線です。「彼らはできない」「私たちよりも劣っている」という視線が障がいのある人たちとの関係の前提にあります。そして「支援」は人と人との関係ではありません。だからこそ彼は「支援」の現場で働いていながら、障がいのある人たちと、人として出会えなかったのだと思います。人のあたたかさをも感じてなかったのだと思います。もし人として出会っていたら、人のあたたかさを感じていたら、多分あんなことはできなかったはずです。それが人として出会うことの、人のあたたかさを感じることの意味です。「支援」そのものの持つ問題性です。  私は養護学校で障がいのある人たちと出会い、彼らに惚れ込んでしまいました。その思いからぷかぷかを立ち上げました。彼らと人として出会ったからこそ、彼らとの関係の中でこんなにも豊かなものがたくさん作り出せたのだと思っています。  人として出会えなかったところで悲惨な事件が発生し、人と出会えたところではとても豊かなものが作り出せています。障がいのある人たちと人として出会うことの大切さがよくわかります。    統合失調症症で、毎日別世界に飛んでしまう人がぷかぷかにいます。別世界に飛んでしまうと、私たちの言葉が全く通じなくなります。そのためにまわりの人たちとのトラブルが絶えません。でも、あんちゃんという1歳の小さな子どもを相手にするととても優しい顔になります。たまたまそんな優しい顔をしているときの写真が撮れ、その写真を見ていると一気に思いがあふれてきました。      あんちゃんを見つめるきみの優しい目が好き。    なんだかこっちまで幸せな気分。    きみも多分、幸せな気分。      あんちゃんを見つめるきみの優しい笑顔が好き。    なんだかこっちまで幸せな気分。    きみも多分、幸せな気分。      こんな幸せを繋いでいけば、    いい一日が作り出せる。      今日はいい一日だったね、ってお互い言えるような一日を    いっしょに作っていこう。    どこまでも、きみといっしょに。    あんちゃんを見つめる彼の優しい目に出会ってこの詩を書きました。障がいのある人たちとの、こういう出会いこそ大事にしたいと思うのです。それがいっしょに生きていくことの意味です。  ぷかぷかは「支援」ではなく、「いっしょに生きていく関係」を大事にしています。それが事件を超える社会を作っていくのだと思います。        ぷかぷかが作り上げてきた物語を書きながら、相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていく手がかりを書きました。相模原障害者殺傷事件で心を痛め、何かやりたい人たちの参考になれば、と思います。  大事なことは抽象的な議論ではなく、本当に社会を変えていく事実を、日々作っていくことです。  ぷかぷかの物語はまだまだ続きます。興味のある方はぜひぷかぷかのホームページ、Facebookページをご覧下さい。「ぷかぷかパン」で検索するとすぐに出てきます。
  • 彼らのチカラで街を元気に
     藤が丘駅前のマザーズに行って社長と壁面に絵を飾る話をしてきました。  「あ、いいねぇ」なんて言ってました。    「これは障がいのある人たちの絵と言うより、アートだね」と言ってました。   正面横の柱にも飾ってみました。 この柱にはこの絵を飾ろうと思っています。    社長の方はなんの問題もなく、いっしょにアートで通路を楽しくしましょう、ということになりました。4月くらいからスタートできたら、と思っています。  殺風景な通路がにぎやかなあたたかい通路になります。通りがかりの人も参加できる絵のワークショップもやろうと思っています。障がいのある人のメッセージがワンワンと鳴り響くような楽しい通路になるといいなと思っています。彼らのチカラで街を元気にするのです。  こういう場を街のあちこちに作ること、それが相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていくことになります。
  • 人の心のドアをノックしに行く感じの映像になれば
     昨日の日記に「心がほっこりするような映像のメッセージができたら、と思っています。」と書いたら、映像を作っている信田さんからこんなメールが来ました。   ●●● タイトルに「ほっこり」という言葉を使われていますが 「ほっこり」には「ほっとする」というイメージが強いように思います。 今回の映像はもう少し見た人の心の中に「染みこんでいく」感じになれば良いなと思います。 オーヤさんや僕が体験したような「感染」を映像で起こせないかという感じで 「ほっこり」というより(そういう側面ももちろんあるのですが)人の心のドアをノックしに行く感じになれば思っています。 ●●●    「感染」というのはぷかぷかウィルスに感染した、という意味です。   最初に「ウィルスに感染した」という言葉を使ったお客さんの話。   ●●● 子供2人を連れてカフェでランチを食べていました。お客さんは私の家族と他にもう一組だったかと思います。 お天気も良く明るくゆったりとした空気の中で 「おいしいねー」 「もう1回チョコパンとチーズのパンおかわりしたい」 などと子供と話をしていました。  そしたら厨房の小窓のカーテンが急にシャッ!と開き、ニコニコ笑顔にマスクの方が 「おいしいかい!?」 と聞いてきました。  一瞬何が起こったのかわかりませんでしたが、とっさに 「美味しいです!」 と負けじと大きな声で答えました。  その方は、そうだろうと言わんばかりにニコニコのまま 「フフ〜ン」 と笑い、カーテンを閉めました。   多分10秒程のできごとでしたが、この思ってもみない楽しいやりとりで、また食べに来ようと思いました。  ぷかぷかウィルスに感染したのは、多分この時だと思います。 ●●●    去年プロモーションビデオを作った中島さんもウィルスの重症患者ですと自分でおっしゃってました。信田さんもぷかぷかに通っているうちにどうも感染したらしいのです。そして今回、その「感染」を映像で表現したい、というわけです。  ますます楽しみになりました。    信田さんがすごいなと思うのは、そういった映像こそが、相模原障害者殺傷事件へのメッセージになる、と言っていることです。昨年、瀬谷区で障がいのある人たちのグループホームの計画が、住民の反対運動でつぶされてしまいました。「障害者はここに来るな」と言っている人たちの心のドアをノックするような映像になるなら、それこそが相模原障害者殺傷事件へのメッセージになります。  あらためて信田さんはすごい仕事をやろうとしているのだと思いました。
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