ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • とてもエレガントにかわしていると思います
     今朝の朝日新聞、お正月のせいか「希望」という字があちこちに見られました。いいですね、未来に向かって「希望」が持てるって。久しぶりに新聞の隅々まで見ました。特に耕論「希望はどこに」はとてもいい記事でした。 digital.asahi.com     ぷかぷかさんたちは、相模原障害者殺傷事件に象徴される障がいのある人たちが排除される社会の中で、なおも「希望」の持てる未来を作ってくれます。  先日紹介した下記のブログは、花岡さんの生き方に障がいのある人といっしょに生きる「希望」を見たからだろうと思います。 pukapuka-pan.hatenablog.com  hanaちゃんは重度の障がい児です。hanaちゃんを抱えた生活はすごく大変だろうと、普通は考えてしまいます。でも千恵さんはhanaちゃんとの生活をものすごく楽しんでいます。千恵さんも昔はバリバリの療育ママで、hanaちゃんを普通の子どもに近づけようと一生懸命だったと言います。でもいくらがんばってもhanaちゃんはなかなか変わりません。とても苦しい日々だったと言います。  でも、あるとき、たとえば一人でごはん食べられるようになった方がいいと考えているのは千恵さん自身で、hanaちゃんはそんなことちっとも思ってないんじゃないか、ということに気がつきます。それをきっかけに今までやってきた療育を一切やめてしまいます。以来hanaちゃんとの生活がすごく楽になり、楽しくなったと言います。  hanaちゃんが千恵さんの生き方を変えたのです。そして、そんな千恵さんの生き方に「希望」を見いだした人がいたというわけです。「生まれてくる子にもし障がいがあっても千恵さんがいるから安心」と。    相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は生きている価値がない」「障害者は不幸しか生まない」と言い、そういった考えを支える社会がありました。そんな社会をどうやって変えていくのか、事件直後は本当に気が遠くなりそうでした。  それでもぷかぷかさんたちと毎日楽しいおつきあいをしていると、そうか、こういうおつきあいを広げていけばいいんだということが見えてきて、毎日そういうことをこつこつと積み重ねてきました。  そんな中でスタッフがFacebookにあげていた「ぷかぷかのパンやお惣菜を食べると、幸せを食べているよう」とか「ぷかぷかさんを見ると、自然と笑顔になるんです」というお客さんの言葉は、相模原障害者殺傷事件を起こすような社会の中で、大きな大きな「希望」を見た気がしました。  「障害者はいない方がいい」「障害者は生きている価値がない」「障害者は不幸しか生まない」まで行かなくても、「障害者はなんとなくいや」「怖い」「社会のお荷物」と考えている人は多いと思います。社会の大多数と言っていいくらいに。そんな中で、障がいのある人たちの働くぷかぷかのパンやお惣菜を食べると「幸せを食べているよう」とか「自然に笑顔になるんです」という言葉は、まぶしいくらいに光っています。そんな言葉が今の社会から出てきたことが奇跡と思えるくらいです。  「希望」を作りだしているのはぷかぷかさんと私たちのフラットな関係です。ぷかぷかさんの魅力ある存在です。障がいのある人たちを社会から排除しようとする動きを、とてもエレガントにかわしていると思います。
  • 障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超える
     表現の市場のチラシの版ができ、ただ今印刷屋で印刷中です。下記サイトでチラシの表と裏を見ることができます。ダウンロードボタンを押して下さい。 pukapuka-pan.xsrv.jp   表も裏も、味のある文字はミズキさん。ねこの絵はぷかぷかさんたちの共同作品です。裏の下の絵はショーヘーさんです。全体のデザインはわんどスタッフのコンドーです。  裏の文章は高崎が書きました。去年に続き、相模原障害者殺傷事件について書いています。  相模原障害者殺傷事件を起こすような社会は、事件以降変わったのかというと、ほとんど変わっていなくて、相変わらずあちこちでグループホームの建設反対運動が起こったりしています。グループホームの建設反対運動は、障がいのある人たちを地域社会から締め出してしまう運動です。障害者はいやだ、怖い、といった思いがあります。彼らとのおつきあいがないところでの不安が、そういった反対運動の根っこになっています。  いやだなと思っている障害者を地域から追い出せばすっきりすると思っている人が多いのですが、本当にそうでしょうか。地域社会から障がいのある人たちを締めだしてしまうことは、許容する人間の幅を狭めることです。地域社会で許容する人間の幅が狭まると、結果的にはお互いが窮屈な思いをすることになります。お互いが息苦しい地域社会になっていきます。  いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。障がいのある人たちを締め出すことは人の多様性がなくなることです。社会はどんどん痩せこけていきます。  だから障がいのある人たちを地域社会から締め出してはだめだ、というのではありません。彼らを締め出すのは、地域社会にとってソン!だと言いたいのです。社会の損失だと言いたいのです。彼らとはいっしょに生きていった方が絶対にトク!だと思っています。社会が豊かになります。  「表現の市場」は、いろんな人がいることの豊かさを舞台で表現します。障がいのある人たちがいてこそできる豊かな世界を目に見える形で表現します。  この豊かさを障がいのある人たちといっしょに作り続けること、それが相模原障害者殺傷事件を超えることだと思っています。事件を超えるというのは、誰かを排除したりしない社会を作ることです。障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく生きていける豊かな社会を実現することです。  障がいのある人たちとの演劇ワークショップは、すごく楽しいです。楽しいことをやりながら、相模原障害者殺傷事件を超えるなんて、なんか一石二鳥という感じがします。障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超えるのです。  相模原障害者殺傷事件というと、なんとなく話が重くなり、みんな敬遠してしまいます。でも、事件を超えるカギは、障がいのある人たちといい関係を作ることです。彼らとおつきあいすることが楽しいと思える関係を作ることです。  障がいのある人たちと楽しいことをやるなら、誰にでもできます。彼らといっしょに楽しいパン教室やったり、いっしょに大きな絵を描いたり、ぷかぷかのお店で楽しいお話をしたり、いっしょに楽しい芝居を作ったり、そんなことの一つ一つが、相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を作っていくことにつながるのです。  表現の市場は、来年1月21日(日)午後2時〜、みどりアートパークホールです。ぜひ来て下さい。  
  • 冊子『pukapukaな時間』ができあがりました。
     冊子『pukapukaな時間』ができあがりました。    ぷかぷかが創り出したほっこりあたたかで、豊かな時間がぎっしり詰まっています。障がいのある人といっしょに生きる中で生まれた時間です。私たちだけでは絶対に作り出せなかった時間です。ここにこそ、彼らといっしょに生きる理由があります。彼らといっしょに生きることの意味がこの小さな冊子から見えてきます。  何かにつけ息苦しい今の社会にあっては、こんな時間こそ必要だと思います。こんな時間は、社会を豊かにします。    私たちの社会は、あのおぞましい相模原障害者殺傷事件を引き起こしました。「pukapukaな時間」は事件に対してどういう意味を持つのかを少し考えてみます。  事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」などといいました。これは犯人の特異性から生まれた言葉なのでしょうか。「障害者はなんとなくいや」「障害者とはおつきあいしたくない」「障害者は社会のお荷物」「社会の負担」「効率が落ちる」「何考えているのかわからない」「怖い」といった言葉は社会全般を覆っています。障害者を見る目線の根っこでは、ですから犯人とつながっているのだと思います。一線を越えるかどうかの差だけです。だとすれば、あの忌まわしい事件は私たちみんなが自分の問題として引き受ける必要があります。私たちの社会が引き起こした事件として。  様々な角度から事件は語られました。でも、社会は何も変わりません。いくら立派なことを語っても、言葉だけでは社会は変わらないのです。  ではどうしたらいいのか。ぷかぷかがやってきたのは、否定的に見られている障がいのある人たちと、肯定的な関係を作ることでした。そしてその関係からたくさんの新しいものを生み出してきました。  たとえば、 ・いない方がいいと言われた障害者と、いた方がいいと思える関係を作る。 ・不幸しか生まないと言われた障害者と、幸福感を共有できる関係を作る。 ・なんとなくいやと思われている障害者のことを、好きといえる関係を作る。 ・おつきあいしたくないと思われている障害者と、おつきあいしたくなるような関係を作る。 ・お荷物と言われている障害者と、お荷物どころか、いないと困る関係を作る。 ・社会の負担と思われている障害者と、負担どころか社会を豊かにする関係を作る。 ・効率が落ちると思われている障害者と、彼らがいることでみんなが生き生きとして、場が活性化するような関係を作る。 ・何考えているかわからないのなら、お互いわかり合える関係を作る。 ・なんとなく怖いのではなく、ちゃんと相手のことがよくわかる関係を作る。    そういった関係をぷかぷかは事件のはるか前から丁寧に作ってきました。お店、パン教室、演劇ワークショップ、アートワークショップなど、様々な機会で障がいのある人たちに向かって「あなたが必要」「あなたにいて欲しい」と思える関係を作ってきました。その関係が豊かな世界を生み出しました。  『pukapukaな時間』はそれをビジュアルに表現したものです。ぷかぷかがやろうとしてきたこと、やってきたことが、この小さな冊子に詰め込まれています。  こういう豊かな時間を作り続けること。それが相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていくのだと思います。    「pukapukaな時間」は、その気になれば「ぷかぷか」に限らず、どこでも創り出すことができます。そういう思いを込めて、この冊子には外部の方の作品も入れました。日本のあちこちで「pukapukaな時間」がぽこぽこ生まれてくれば、社会は変わります。      『pukapukaな時間』は500円で販売しています。B5変形版32ページ。パン屋、おひさまの台所、アート屋わんど、ぷかぷかのお昼ごはんで販売しています。  お店に買いに来ることがむつかしい方は郵送します。送料180円です。複数申し込まれる方は事前にメールでお問い合わせ下さい。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp    代金は送料を加えた680円を郵便振替口座に振り込んでください。  郵便振替口座は 口座記号 00260-4  口座番号 97844         加入者名 NPO法人ぷかぷか  ゆうちょ銀行もしくは横浜銀行に振り込んでいただいても結構です。その場合はメールで住所、氏名、必要部数をお知らせ下さい。  ゆうちょ銀行 NPO法人ぷかぷか 記号:10230  番号:19645501   横浜銀行 NPO法人ぷかぷか 理事長高崎明  店番号 391  口座番号 1866298
  • 相模原障害者殺傷事件の根っこを見た気がしました
     毎日新聞で先日紹介した兵庫県立子ども病院のことが報道されました。 mainichi.jp    抗議文に名を連ねた立岩真也・立命館大大学院教授(社会学)は「この『生まれない運動』の中心は医療でもなんでもなく、障害児の選択的中絶を進めようという運動だった。当該の文章はそのことにまったく触れていない」と批判したうえで、「鈍感と無知を知らせるためにも記念誌はそのままに、説明と釈明を加えることを望む」という。    とありました。社会は何も変わっていないし、そもそも何が問題なのかもわからない、という情けない状況。  相模原障害者殺傷事件の根っこを見た気がしました。
  • 「時代の気分」を和らげるのもまた、障がいのある人たち
     今朝の神奈川新聞の「時代の正体」は福祉の視点から今の政治状況を語っています。 www.kanaloco.jp  《排外や排他の空気が社会に漂う中、強権的な政治が対外的な危機をあおり、人々の不安や憎悪を駆り立てている。障害者の存在を否定し、排斥したあの凄惨な事件は「時代の気分」から生まれたと思えてならない。》    一つまちがえると恐ろしい方向に走り出す「時代の気分」を和らげるのもまた、障がいのある人たちだと思います。  カナダでの上映会の時、テラちゃんはアメリカから来た女性の隣に座り、いつものように女性の腕をなでていました。女性は上映後、ぷかぷかのメッセージにある、 「障がいのある人たちと一緒に生きると、社会が豊かになる」 という言葉を実感させる人が隣に座っていました、なんてステキな人なんでしょう、と感想を述べてくれました。テラちゃんは隣に座って腕をなでていただけですが、女性を感動させるほどの存在ぶりだったのです。  後日、女性のFacebookには 「人生でもっとも愛する経験の一つだった」 と書いてありました。  ぷかぷかはこうやって社会を耕しています。「時代の気分」が少しでも変わるように。    一点だけ、《事件後、「障害者は不幸しか作らない」という考えへの反論として、障害者の家族からは「周囲を笑顔にしたり幸せにしたりしてくれる障害者も人の役に立っている」との声が相次いで上がった。存在を否定されたことへの反発と怒りの言葉なのだと思う。》の箇所。  《周囲を笑顔にしたり幸せにしたり…》といったことは、事件とは関係なく、ふだんからそういうことはいっぱいあります。私が養護学校の教員時代に彼らに惚れ込んだのは、彼らのそばにいるだけで幸せな気持ちになれたからです。そこにこそ彼らが社会に必要な理由があると思っています。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という方がたくさんいるのも、そういう幸せな気持ちを味わっているからだと思います。そうやって「社会を耕す」という大事な仕事を事件のずっと前からやっているのです。  《存在を否定されたことへの反発と怒りの言葉》としてだけ受け止めてしまうのは、もったいない気がします。   《排外の行き着く先は何か。命をなきものにしてかまわないという戦争に近づいてしまうのではないか。人を人と思わずに障害者19人の命を奪ったやまゆり園事件は、この国が戦争への道を歩んでいる予兆に思えてならない。》  安倍首相はやまゆり園の事件後、ひとこともメッセージを発しませんでした。世界各国からお悔やみのメッセージが届いている中で、社会的弱者のことを全く考えない人だと思いました。そういう人がやたら危機をあおり、日本を引っぱっていこうとしています。怖いことだと思います。    
  • 植松青年は「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけ...
     障がい者問題総合誌『そよ風に街に出よう』が終刊になり、大阪の毎日新聞に記事が載りました。     「明日に向かって語れ」と題した対談の中で、かなりの部分、相模原障害者殺傷事件について語られていました。その中にこんな発言がありました。    「…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」    「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」   7月26日のやまゆり園事件追悼集会で出会った家族会の方も、NHKクローズアップ現代で取り上げられた植松被告の手紙にあった「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、と書いていることについて  「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」 とおっしゃってました。それくらい現場が荒廃していた、と。前の家族会の会長と同じことを言っています。    植松被告が事件前、衆議院議長に宛てて書いた手紙に 「施設で働いている職員の生気の欠けた顔」 という言葉がありましたが、「これから勉強します」っていう謙虚な姿勢で入ってきて、「日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた」職場に本当にガッカリしたのじゃないかと思います。それが手紙にあった言葉だと思います。荒廃した職場の極めて的確な指摘です。もし間違っているのなら、そんなことはない、って、どうしてやまゆり園は反論しないのでしょう。   「植松青年も3年ちょっと、あの施設の中で、ある意味では障がい者とかかわったわけですよね。もちろん他の職員ともかかわった。その彼がああいう考え方を持つようになったということは、単に関わればいいっていうことじゃなくて、関わりの中身、関わる姿勢っているのが問題ですよね。」    「施設で障害者に関わる職員の接し方しか見えないわけですよね。…自分と同じようにその人の人生があるっていうことを一回も教えていない…」      やまゆり園では障がいのある人たちにどのように関わっていたのか、とあらためて思います。「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしている青年に、「日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた」やまゆり園が、障がいのある人たちとの関わり方について、一体どんなことを教えたのだろう、と思うのです。自分と同じように、障がいのある人たちにもその人の人生がある、といったことを職員が彼に教えたことがあるのでしょうか?いや、そもそもそういうおつきあいをやまゆり園の職員は障がいのある人たちとやっていたのでしょうか?    聞くところによると、津久井やまゆり園を運営する社会福祉法人かながわ共同会は神奈川県の職員の天下り先で有名なんだそうですね。「津久井やまゆり園」のホームページ見てください。事件への姿勢がよく見えます。  神奈川県の検証委員会も、この一番大事な、事件の核心部分ともいえる職場の雰囲気については全く検証していません。多分ここを検証すると県の責任が見えてくるからじゃないでしょうか?だから外したのだとすれば犯罪的です。今からでもきちんと検証するべきです。      津久井やまゆり園自体の問題がまた見えてきたのですが、あらためて思うのは、植松青年が「これから勉強します」って、やまゆり園ではなく、ぷかぷかに入ってきてたら、あの事件は絶対起きなかった、ということです。ここにこそ事件の核心があるように思うのです。  植松青年が、障がいのある人たちとこんな楽しいことやっていたら、彼は事件を起こしたりなんか絶対にしなかったと思います。        
  • この写真のようなこと、植松被告がやっていたら、あんな事件起こしたと思いますか?
     7月26日に横浜市瀬谷区であったやまゆり園事件追悼の集いに参加しました。  この集まりの最初の方でやまゆり園の宣伝ビデオが流されたようです(私は遅れていったので見られませんでしたが)。みんな笑顔で、楽しい雰囲気の施設、というメッセージだったようで、報道の方が、こういう生活ぶりを知らなかったので、ぜひみんなが見られるように流して欲しい、と発言しました。  それに対してやまゆり園に子どもをあずけている保護者の方が、 「あれはうそですよ。あんなのは流さないで下さい」 と目の覚めるような発言をしました。施設の実態とあまりにもかけ離れている、というのです。  日中活動は週二日くらいで、あとはやることがなくてその方の息子さんは一日中テレビを見ていたり、本を破ったりしている、という話でした。   職員が足りなくて、回らないんだそうです。この問題については神奈川新聞が事件を考えるシリーズの中で、指定管理者に変わってから県から支給されるお金が減らされて、職場環境がとても悪くなっている、と指摘していました。  だから笑顔満載のビデオは「うそだ」と。  家族会の会長の話よりもはるかにリアリティがありました。やまゆり園というところはそういうところなんだと、初めて知りました。   植松被告が事件前、衆議院議長に宛てて書いた手紙に 「施設で働いている職員の生気の欠けた顔」 ということばがありました。植松被告はあれだけめちゃくちゃなことをやりながら、妙に冷めた目で職場を見てたんだ、と手紙を読んだとき思いました。  笑顔満載のビデオに、「あれはうそですよ」という指摘と、植松被告の指摘した部分が重なってくるのです。    目も覚めるような発言をされた保護者の方にNHKクローズアップ現代で紹介された植松被告の手紙のことを聞いてみました。(障がい者は不幸の元だ、と確信を持ったのは施設で働いた3年だった、と手紙に書いています)  「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」 とおっしゃってました。現場が荒廃していた、という保護者の目です。  となると現場の荒廃が、事件の一因となります。    植松被告のいう「生気の欠けた顔」で、どうやって障がいのある人たちとおつきあいしていたのでしょう。神奈川新聞は職場の荒廃の原因としてお金が減らされたことを指摘していましたが、ぷかぷかは多分もっとお金がありません。パートさんは全員最低賃金で働いています。それでもみんな楽しい雰囲気の中で働いています。ぷかぷかさん達といい関係にあるからだと思います。  ポイントは多分そこだと思います。障がいのある人たちといい関係にあるかどうか、です。植松被告がもしぷかぷかで働いていたら、絶対にあのようなことは起こらなかったとあらためて思います。   ね、この写真のようなこと、植松被告がやっていたら、あんな事件起こしたと思いますか? ここに事件の本質があるように思うのです。  
  • 津久井やまゆり園のホームページが再開されました。
     事件以来閉鎖されていた津久井やまゆり園のホームページが、7月26日再開されました。  この1年間、何のメッセージも出さなかったので、当然事件についていろいろ書いてあるのだろうと思っていました。ところが…   ごあいさつ 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。この一年の間、様々なところでご配慮いただき、厚く御礼申し上げます。 今年度に入り、仮移転先であります「津久井やまゆり園芹が谷園舎」での生活がスタートいたしました。去る7月22日には、芹が谷園舎の体育館で家族会・後援会のお力もいただき「追悼のつどい」をしめやかに行なったところでございます。 まだまだ利用者の皆様・ご家族の皆様、そして職員、それぞれ不安な気持ちが拭えない日々ではありますが、津久井やまゆり園本来の動きを取り戻すべく、この時期にホームページの再開に踏み切ることにいたしました。 今後の津久井やまゆり園再生への道のりは、長く険しいものと覚悟しております。今後とも皆々様からのご教示をよろしくお願いいたします。平成29年7月26日   社会福祉法人かながわ共同会津久井やまゆり園園長        事件はまるで他人事、といった感じです。  事件の犯人は元ここの職員ですよ。どんな組織でも、その組織の人間が不祥事を起こせば、たとえ過去の人間であっても、まずは謝罪します。その謝罪のことばがひとこともありません。あれだけの事件を起こしながら、謝罪のことばがひとこともない。この組織は一体どういう感覚なのかと思いました。  福祉施設を四つも運営する社会福祉法人です。社会的信用の高い社会福祉法人が、一体何を考えているのかと思います。   これがホームページです。 http://www.kyoudoukai.jp/2017/07/0725_1.html     ホームページの中の「今後の取り組み方向」のページにも、事件についてはひとこともありません。ふつうならこんな大事件を受けて、今後法人はどうするのか、という書き方になると思います。法人にとって、事件はなかったも同然なのでしょうか?    別のページにはこんなことばもあります。  《 地域福祉力を高めるために地域に向けての研修や情報発信にも力を入れています。》  事件に関する情報発信、メッセージの発信は一切なかったのに「情報発信にも力を入れています」って、一体どういうことでしょう。意味がわかりません。社会福祉法人がこんなデタラメなことやってていいのかと思います。監督庁の神奈川県は何をやっているのでしょうか?    やまゆり園は事件の現場になったからこそ、現場からの情報発信はとても大事だったはずです。現場は事件をどう受け止め、今後どうしようとしているのか、といった情報発信です。もちろん当事者として安易に語れない難しさはあったと思います。それでも、その難しさに向き合うことこそが、事件はなんだったのか、今後どうすればいいのか、を掘り下げていく出発点だと思います。     7月25日のNHKクローズアップ現代では、事件の犯人が「障がい者は不幸を生む元だ」と確信したのはやまゆり園で勤務していたときです、と手紙に書いているのを紹介していました。  もし本当にそうだとしたら、現場には大変な責任があります。犯人が確信を持った現場の雰囲気というのはどうして生まれたのか、その雰囲気を改善するにはどうしたらいいのか、といったことは現場の人でないと語れません。現場の人が黙ったままでは、結局困るのは、その現場にいる障がいのある人たちです。  犯人のいうことが間違っていれば、それは間違っている、と現場のことばで言えばいいのです。どうしてまちがえたのかを考え、現場の人のことばでそれを語る。それがとても大事な気がします。      犠牲になった人たちがすべて「匿名」になったことを受けて、NHKが「19のいのち」というサイトを作っています。19人、一人ひとりのエピソードが書かれています。「箝口令」が敷かれる中での取材は大変だったと思います。それでも19人の人となりが少しずつ見えてきます。ああ、こういう人生を生きてたんだ、と。 www.nhk.or.jp    中に一人、エピソードが一行だけ、という方がいて、私はそれを見るたびに悲しくなります。   「 短期で施設を利用していたころから、かわいらしい笑顔で人気者でした。」     その人の人生を語ることばが、たった一行しかないのです。たった一行でも、その人の人生を掘り起こしたことはすばらしいことだったとは思います。それでも、たった一行なる故に、私は悲しいです。こんな語られ方の人生があっていいのかと。殺されて尚も、たったの一行で語られる人生。  19才の女性です。19年生きてきた、その女性だけの豊かな物語があったはずなのです。それを思うと本当に悔しいです。    そこで津久井やまゆり園の人たちに提案です。犠牲になった19人の人生を語って欲しいのです。このサイトに書き込んで欲しいのです。現場の人で、彼らとおつきあいした人ならいくらで書けるはずです。彼ら一人ひとりが、すばらしい人生を生きていたことを書いて欲しいのです。  彼ら一人ひとりのすばらしい人生が見えてくれば、「障がい者はいない方がいい」などと勝手な論理で彼らを殺してしまったことが、いかに間違ったことだったかがわかります。    今からでも遅くはありません。ぜひやってみて下さい。                       
  • ダイちゃん、辻さんとコラボ
     日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原望さんは昨年の演劇ワークショップにチェロ奏者として招かれたことがきっかけで、ぷかぷかさん達に惚れ込み、ダイちゃんとコラボを組んで何度か舞台に立ちました。   日本フィルのリレーコンサートでの舞台。 www.youtube.com  この舞台、ダイちゃんはしっかりギャラを日本フィルからもらったようです。言い換えれば、江原さんはそういうおつきあい、真剣勝負ができるようなおつきあいをダイちゃんとしたというわけです。  その江原さんが今度は、辻さんも入れてコラボをしたいと言ってきました。辻さんに絵本の朗読をしてもらい、その朗読の合間にダイちゃんとのコラボの演奏を入れるそうです。本は『さかなはおよぐ』というパレスチナの絵本です。      パレスチナの絵本なので、ダイちゃんには和太鼓ではない、エキゾチックな音の出る打楽器を持たせる予定、と江原さんは話していました。音楽もアラブの曲を何曲か入れるそうです。  魚が死ぬ場面ではレクイエムを演奏したいと話していました。      絵本をプロカメラマンに撮ってもらって、三方向から光を当てるスライドショーをやりたいと話していました。かなり豪華なスライドショーになりそうです。    朗読コンサートは8月13日(日)午後2時からです。みどりアートパークリハーサル室です。  朗読コンサートのあと、プロモーションビデオ第二弾の上映をします。上映のあと、プロモーションビデオを作った信田さんに映像に込めた相模原障害者殺傷事件へのメッセージについてお話をお伺いする予定です。お話のあと、相模原障害者殺傷事件で犠牲になった方々を思いながら江原さんとダイちゃんによる「レクイエム」の演奏を聴きます。 www.youtube.com    「レクイエム」を聞いたあと、集まったみなさんで相模原障害者殺傷事件のことを少し話し合えれば、と思っています。あの事件は私たちにとってなんだったのか、優生思想云々の大きな話ではなく、日々の暮らしの中で、あの事件はなんだったのか、といったことが話し合えれば、と思っています。  江原さんには「ダイちゃんと辻さんとのコラボをやりたい」と思ったのはどういうところからなのか、といったお話も聞く予定です。江原さんのやろうとしていることは、相模原障害者殺傷事件の被告の言う「障害者はいない方がいい」とは全く逆の提案です。「障害者はいた方がいい」どころか、彼らと新しいことをいっしょにやろう、という極めて前向きな提案です。事件から1年がたとうとする今、福祉の業界の人でもなく、関係者でもない江原さんがこういう提案をすることにこそ、すごく意味があると思います。そのあたりの話をじっくり聞きたいと思っています。    江原さんはこのユニットの出前公演も考えています。日本のあちこちでこの朗読コンサートが実現できれば、なんだかすごくいいと思います。    8月13日まで、江原さんは何度かぷかぷかに来てダイちゃん、辻さんと練習します。オープンでやりますので、見に来られる方はぜひ見に来て下さい。場所はぷかぷかのアート屋わんどです。練習する日が決まりましたらFacebookでお知らせします。      朗読コンサートと上映会のチケットは2000円です。今回は経費がいろいろかかるので少し高めです。申込、お問い合わせはぷかぷか高崎までお願いします。会場が狭い(定員60名)ので、必ず予約して下さい。    045-453-8511 もしくはメールで  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp       江原さん、すごく張り切っています。朗読のあと江原さんのソロ演奏もあります。江原さんは日本フィルハーモニーのチェロ奏者です。これはもう聞かないと絶対損!です。   ★準備不足のため、公演は延期します。 11月か12月頃になると思います。日時、場所が決まりましたらまたお知らせします。 ★9月30日、カナダのバンクーバーで公演します。   
  • もったいないけど、街の人に貸してあげるよ
     すばらしい映像見つけました。障がいのある人が街を歩くと街の人たちが少しずつ変わっていく、ということがよくわかる映像です。  次郎くんは言葉がしゃべれません。でもどんどん街へ出て行きます。言葉がしゃべれなくても、いろんなところで人に話しかけ、うまい具合にコミュニケーションが生まれます。相手の人たちは最初は多分いろいろ戸惑ったのだろうと思います。それでも何度か次郎くんとおつきあいするうちに、次郎くんの言いたいことがだんだんわかってきます。そして今は次郎くんがいて当たり前の街になっているようです。これを《次郎は「次郎という仕事」をしている》と話すお母さんの発想がすばらしいと思いました。 www.dailymotion.com  《次郎は「次郎という仕事」をしている》という考え方は、ちょっと目からうろこでした。仕事というものについての今までにない新しい発想だと思いました。こんなふうに見ていくと、障がいのある人たちのする仕事の幅が、人の数だけ広がります。  たとえば毎日郵便局に行っているセノーさんは、「セノーさんという仕事」をしている、と考えると、セノーさんはただ入金の仕事だけでなく、「あああああ…」といいながら、郵便局のお姉さんたちや郵便局に来るお客さん、中でもインド人の人たちの心を癒やしている、という大事な仕事もしていることが見えてきます。何よりも「セノーさんという仕事」はセノーさんしかできないので、地域社会の中で、セノーさんはかけがえのない、とても大切な存在になります。  「ミズキさんという仕事」「タカノブさんという仕事」「ツジさんという仕事」等々を、それぞれがしている、と考えると、それぞれの仕事がその人しかできないオリジナルな仕事になり、今まで以上にかけがえのない、大切な存在になります。  体が動かなくて、寝たきりであっても、「○○さんという仕事」をしている、と考えると、仕事ができない人、という概念はなくなります。「何かができない」というのは、できないことをフォローするために、そばにいる人との新しい関係を生み出します。新しい関係は相手の人生を広げます。人を手助けすることでちょっといい気持ちになれます。そんなふうにその新しい関係が社会をよくする方向へ広がっていくとき、寝たきりの「○○さんという仕事」は、ただ寝てるだけで大きな仕事をしていることになります。  仕事の意味をこうやって今までと全く違う発想で考え直していくと、相模原障害者殺傷事件の植松被告のいう「障害者はいない方がいい」あるいは「不幸しか生まない」ではなく、「障がい者は社会にとってかけがえのない大切な存在」ということが見えてきます。  映像の最後の方で、「なんかもったいないんだけど、次郎を街の人に貸してあげるよ、ぐらいな感じですかね」というお母さんのこのいい方がすごくいい!と思いました。迷惑かけて申し訳ない、といった感覚のお母さんが多い中で、「もったいないけど、街の人に貸してあげるよ」なんて感覚で街に出しているのですから、もう座布団10枚でも足りないくらいです。次郎くんの存在価値をそれくらい認めているのだと思います。  次郎くんはお母さんの人生をグッと広げてくれたといいます。次郎くんのおかげで、幸せも価値観もいろいろ教えてくれたといいます。私は次郎に出会って本当によかったといいます。だから時々街の人たちに貸して、街の人たちにも同じように 次郎とおつきあいして「いい思いしてよ」「いい時間過ごしてよ」 って思ってるみたいでした。
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