ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 人としてのつながりは、大きなチカラ
    「いやぁ〜大変だろうな」って思ってしまうような日々の中で、尚も子ども達と楽しい日々を作り出しているお母さん。 ameblo.jp  「重度障害者は不幸しか生まない」といったやまゆり園事件の被告と、同じく重度障害と言われる子ども達と、こんなにも日々を楽しむお母さんは、一体どこがちがうんだろうと思います。  やっぱりどこかで人として出会っているのだろうと思います。それがあるから、どんなに大変な日々も楽しめたりするのだと思います。  うちの娘は精神障害があって、調子が悪いときはほんとうに「助けて!」って叫びたいくらい大変です。それでもなんとかやっていけるのは、おだやかになったときの人としてのつながりがあるからだと思っています。その一点で、すべて許してしまうというか…。  人としてのつながりは、大きなチカラですね。これはもう理屈じゃないです。共に生きる、なんて屁みたいな言葉は、もうやめた方がいい。甘っちょろい幻想を抱かせるだけです。
  • 全国の支援の現場が、発想を変えれば、今までにない新しい価値がたくさん生まれ、社会はもっともっと豊...
     先ほどブログを書いたあとでふと思ったのは、そもそも支援の現場で障がいのある人たちと豊かなものを作り出そうという発想があるのかどうか、ということ。  「支援」は障がいのある人たちに「何かやってあげる」一方的な関係であり、一緒に何か新しいものを作っていく関係ではありません。そこがぷかぷかとの決定的な違いだと思います。  今まで何度も書きましたが、障がいのある人たちの作り出す価値を1、スタッフの作り出す価値を1とすると、支援という関係の中では1+1が作り出すものは、2ではなく1のままです。「何かやってあげる」ことが目的なので、障がいのある人たちが生み出すものを見つけ出し、それを生かそうという発想が生まれません。そこからはスタッフの幅のものしか生まれません。だから1+1はどこまで行っても1のままなのです。  ぷかぷかでは1+1が5くらいの価値を生むこともあります。なぜならぷかぷかさんが生み出すものをいつもわくわくしながら見ていて、それをなんとか生かそうと思っているからです。そのままにしておくのはもったいないと考えるからです。  この人の描く字は味があるので、ベンチに描いてもらったり、Tシャツに描いてもらったりしています。  そうすると字の価値が何倍にもなります。こうやって新しい価値が生まれます。1+1が5くらいの価値を生み出すのです。  ベンチはお洒落な美容院へ、Tシャツはお客さんの手元へ行き、わくわくするような日々を作り出します。  これが障がいのある人たちと一緒に生きることで生まれる新しい価値であり、一緒に生きる意味です。彼らと一緒に生きることで、社会が豊かになるのです。一緒に生きていった方がトク!なのです。  全国の支援の現場が、こんな風に発想を変えれば、今までにない新しい価値がたくさん生まれ、社会はもっともっと豊かになるような気がするのです。
  • 障がいのある子どもがいることで、日常世界がこんなにも楽しく、豊かになる
     障がいのある子ども達は、とんでもなく自由です。それに引き換え、私たちはとんでもなく不自由です。だから彼らとのおつきあいに苦労します。  浅川素子さんもずいぶん苦労されたようです。それでもあるとき、ふっと発想を変えてみた。そうするとこんなにも楽しい空間、時間が生まれました。  お風呂の写真が感動的に素晴らしいです。障がいのある子どもがいることで、日常世界がこんなにも楽しく、豊かになることが、この一枚の写真から伝わってきます。うちには子どもが3人いましたが、こんなにも楽しいお風呂はありませんでした。  何よりも障がいのある子ども達のおかげで、お母さんが自由になれたことが素晴らしい。 ameblo.jp
  • 2月11日(火・祝) 演劇ワークショップの記録映画、上映します。
     2月11日(火・祝)東久留米で『Secret of Pukapuka』と第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』をやります。  演劇ワークショップの記録映画は、なかなか上映する機会がないので、ぜひ見に来て下さい。障がいのある人たちと一緒に生きると何が生まれるのか、あるいは、一緒に生きる意味ってなに?、といったものがよく見えます。  「共生社会を作ろう」とか「共に生きる社会を作ろう」とかよく耳にしますが、耳障りのいい言葉が聞こえてくるだけで、そこで何を作り出そうとしているのか、といったことがさっぱり見えません。具体性がないのです。どこまで本気なのか、と思ってしまいます。  演劇ワークショップは、障がいのある人たちと一緒に芝居を作り、舞台で発表します。そういう社会を作ろう、と本気でやっているのです。  どんな舞台ができるのか。去年、その舞台を見た人がこんなことを書いていました。  「障がい者イベントというと支援者にしっかりと支援されてる障がい者が決まった事を大人しくやっているイメージがあるけど、ここでは全く違う」  下の写真がその舞台。「支援」ではなく、「一緒に生きる」関係が作り出した舞台です。背景画もぷかぷかが制作。一緒に勝負する、というか、緊張感のみなぎる舞台です。  一緒に生きると何が生まれるのか、がよくわかる舞台です。一緒に生きる意味も。  こういった舞台をどうやって作っていったのか、映画はその6ヶ月にわたる芝居作りの記録です。  津久井やまゆり園事件についても、被告が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」という言葉に対して、それは間違ってると言うだけでは事件を生み出した社会は何も変わりません。被告の言葉に対し、「障害者はいた方がいい」「障害者は不幸しか生まないのではなく、社会を豊かにする」という実態を作り出すことが大事だと思います。私たちがどういう社会を作ろうとしているのか、それを具体的に提案するのです。  ぷかぷかはまずお店でそれを作り続けてきました。演劇ワークショプでは、一緒に芝居を作り、それを舞台で発表します。私たちが目指す社会が、ほんの少し見えます。  演劇ワークショップは台本があって演出家の指示の通りにやる、といったやり方ではなく、参加者みんながアーダコーダ言いながら作っていきます。障がいのある人達も一緒なので、すんなりまとまりません。すんなりまとまらないところで、どうしよう、どうしよう、とみんなで悩みます。この「悩む」ということが、場を豊かにします。私たちを磨きます。  映画はその過程を飾ることなく淡々と記録しています。  ぜひ見に来てください。あなたの心もきっと耕してくれるはずです。
  • 「ま、いいか」って感覚が大事
    身代わり説はおとぎ話じゃないの、というブログに、 ●難病重度のエリート障害者・健一大内さんは  最近、思う様に動かん体に憤り見たいなん感じるけど、変わってくれとも、五体満足の体の癖にロスジェネだの生きづらさだの腑抜け連中の身代わりになった覚えも無いね😃  とズバリ。この人にとっては、五体満足の体のくせにロスジェネだの生きづらさだのいうのは腑抜けだ、と。日々の苦労がリアルに想像できます。  「身代わり」なんて話は、やっぱり健常者に心地いいファンタジーなのです。だからこういう話は受けるんだと思います。一時はやった映画『四分の一の奇跡』がいい例です。 健一大内さんのFacebookには 恵方巻🍣用、刺身🐟 巻いて喰いたいけど道具が無いから鉄火丼にして喰う🍴 食品ロスばっかしてるコンビニ🏪もんは意地でも買わん頑固な生活🐟🔪  まるで闘う生活。これを鉄火丼にして喰うなんて、やっぱりこの人はエリート障害者や。  こんな人を前に、やわいおとぎ話は恥ずかしい。なんか当事者のこと、私たちは知らなさすぎる気がする。 ●セミナーに参加したツジさんは 私はこのお父さんの気持ちは分かるんですよ。全体的に頑張っています!という感じがして…頑張るのをやめて、ま、いいか、と脱力したらもっと楽しくなるのに、と思いました。  全くその通り。「ま、いいか」っていう感覚、この脱力、しなやかに生きるには、すごく大事。  ぷかぷかさん達と毎日ごちゃごちゃ、ふにゃふにゃ、わいわいつきあっていると、だんだんそういう感覚になります。ガチガチの心と身体がしなやかになっていくのです。そして、そういう心と身体が、ぷかぷかの「ま、いいか」感たっぷりの空気を作り出しているのです。  「がんばらなきゃ」「一生懸命やんなきゃ」といつも思って疲れている人、ぜひぷかぷかにあそびに来て下さい。ゆるっと力が抜けて、心も身体も、楽になることまちがいなし。 
  • 「障がいのある人たちは私たちの身代わりになってくれた」というおとぎ話。
     シェアリーカフェでのセミナー、参加者の一人が「障がいのある人たちは、私たちの身代わりになってくれている。だから私たちは健常者でいられる」といったことをいわれ、なんかすごく違和感をおぼえました。お子さんが養護学校に通っているお父さんでしたが、息子さんが障がいを持っていることを自分で納得するためのファンタジーという感じがしました。  うちの娘はうつがひどく、大学にほとんど通えませんでした。医師に診断書をもらい、長く休学していましたが、これ以上休んでも復学は無理、と泣く泣く退学届を出しました。うつという障がいのために、わくわくするような大学生活をすべて失いました。やりたかった勉強をすべて諦めたのです。やり場のない不満が毎日のように家で爆発し、家族は本当に大変です。母親は心労のあまり鬱状態になり、一時仕事に行けなくなるほどでした。こういう状況の中に毎日身を置いていると、身代わりの話は当事者目線の抜け落ちた、自分にとって都合のいいおとぎ話でしかありません。  お父さんは多分、お子さんの障がいを、こういうおとぎ話を作ることでしか受け止められなかったのだと思います。そのままのあなたがステキだよって、なかなか受け止められなかったのだと思います。  著名なジャーナリスト神戸金史さんも著書『障がいを持つ息子よ』の中で、そのような趣旨の詩を書き、『SCRATCH  差別と平成』という相模原障害者殺傷事件をテーマにした素晴らしいドキュメンタリー作品の中でも、その詩が朗読され、すごくガッカリしたことがあります。 www.pukapuka.or.jp  それともう一つ大事なこと。そうやっておとぎ話で納得してしまうと、障がいのある人たちが抱えている「社会的な生きにくさ」といった社会の問題が見えなくなります。彼らの「社会的な生きにくさ」は、社会による彼らの排除が生みだしたものです。それはそんな社会を作っている私たち自身の生き方の問題です。全国に起こっている障がいのある人たちのグループホーム建設反対運動をみれば、この問題はすぐにわかります。  ぷかぷかは法人の設立目的に「障がいのある人たちの社会的生きにくさを解消する」ということあげています。そのために街の中に彼らの働く場を作り、街の人たちに彼らに出会ってもらえるようにしました。障がいのある人たちとたくさんの人が出会い、彼らはやっぱり街にいた方がいいねって思う人が増えれば、彼らの社会的生きにくさが少しずつ解消できると考えたのです。  障がいのある人たちは、いろんなことができないとか生産の効率が落ちるとか、マイナスの評価が圧倒的に多いのですが、ぷかぷかは日々の活動の中で、彼らは「街を耕し、豊かにする存在」という今までにない新しい評価を打ち立てました。  彼らと一緒に生きることで、街が豊かになるのです。そのことをぷかぷかの事業を通して実践し、結果を広く発信してきました。これは、彼らの社会的生きにくさを解消するだけでなく、社会そのものも豊かにするのです。  彼らを排除している社会と私たちはどう向き合った来たのか。そしてどう生きてきたのか。ぷかぷかの活動を見れば、そのことがすぐにわかります。  身代わりの話に寄りかかると、社会の問題が見えなくなります。社会と向き合う、闘う、といったことがなくなります。それが障がいのある子どもにとっていいことなのかどうか。
  • 今年はぷかぷかが始まってなんと10年
     今年はぷかぷかが始まってなんと10年になります。なんだか、あっという間の10年でした。え?もう10年?という感じ。  しっかりした事業計画があったわけでもなく、本当に行き当たりばったりの、頼りない運営でした。それでも、今、すごい広がりが生まれていて、これはなんだったかなぁ、と考えています。  それはやっぱり、障がいのある人たちに惚れ込み、 「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」 「その方が絶対トク!」 と、様々な形で、しつこく言い続けてきたことだろうと思います。  いろいろ苦しいときがあっても、ここの部分だけはぶれなかったこと。そこが大きいと思います。  「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」 を様々な形で発信し、それに共感する人が少しずつ、少しずつ増えてきました。  そしてそれを一番支えたのが、ぷかぷかさんたちのありのままの姿の魅力だったと思います。  「社会にあわせるのではなく、ありのままのあなたが一番すてき」 という人間観であり、価値感です。障がい者は社会にあわせないとだめ、という価値観が蔓延する社会の中で、  いや、そうじゃない、 「ありのままのあなたが一番すてき!」 という人間観、価値観は、当事者、家族の方はもちろん、社会にあわせることが優先し、自分を見失いかけている多くの人を楽にする画期的なものだったように思います。  何よりもそれを前面に掲げることで、ありのままの彼らの魅力に出会ったたくさんの人たちが、ぷかぷかさんのファンになりました。 「障害者はなんとなくいや」「近寄りたくない」という人たちの多い世の中にあって、「ぷかぷかさんが好き!」というファンができたことは、全くの想定外でした。ファンができたことは、いままでにない新しい気づきを生みました。 「ぷかぷかさんたちは、社会を耕し、社会を豊かにする存在」 という気づきです。  「いっしょに生きていくことの意味」 が、更に明確になったように思います。   いろんなことができないとか、生産性が低いとか、何かとマイナスの価値で語られることの多い障がいのある人たちが、ぷかぷかではプラスの価値で語られるようになったのです。  まさに「いっしょに生きていった方がトク!」なのです。  そういった今までにない新しい価値を作り続けてきたこと、それがぷかぷかの10年ではなかったかと思います。  こういった新しい価値が、ぷかぷかの事業展開にはずみをつけました。たくさんの物語が生まれ、『ぷかぷかな物語』という本にまとまりました。今年は更にぷかぷかの10年をまとめる分厚い本ができあがる予定です。心がぷかぷかして、わたしも一歩踏み出そうって思えるような映画も作ります。  ぷかぷか10年目を楽しみにしていてください。    タカサキは今年の4月、なんと71才になりますが、まだまだ元気です。年賀状も、31日になって文房具屋に版木を買いに行き、夕方から彫り始め、晩ご飯もちゃんと作り(ほうとう、無水ナベの肉じゃが、ターサイのオイスター炒め)、そのあと夜中の3時まで彫り続け、今朝もひたすら彫って、昼の3時頃完成。きちんと下書きを書いて彫るわけでもなく、どこまでもテキトーなので、途中で、ひっくり返した文字がどうなるのかよくわからなくなることが度々あって、こりゃだめかな、と思いつつ、下書きなしで彫る文字は限りなく自由で、楽しくて、今年もなんとか完成しました。 「ことしも はしる」です。71才にして、尚も走る。老後はのんびり、どころか、ぷかぷかを始めてからはずっと走ってきたように思います。走って走って、今年は何が生まれるのか、すごく楽しみです。
  • とがった心がまるくなる
     現代書館から出ている『福祉労働』という季刊のちょっと堅い雑誌に8月3日の上映会の話が載っていました。現代書館の若い編集者が書いたのですが、上映会でやろうとしたこと、伝えようとしたことを、すごくうまくまとめていると思いました。  「相模原障害者殺傷事件についての集会ーーではあるが、会場のあちこちで笑い声が聞こえ、障がいのある人と子どもが一緒になって走り回っている。そこには、明るさと希望が満ちていた。」と書いてあります。  特にそういったことを計算していたわけではないのですが、ぷかぷかさんといっしょにいると、自然にそういう雰囲気になります。明るさと希望は、彼らが作り出すものです。  相模原障害者殺傷事件以降、社会に必要なのは、この「明るさと希望」だと思います。ぷかぷかさんがいると、ただそれだけでそういったものが生まれるというのは、やはり彼らを軸にした社会を作ってこそ、事件を乗り越えられるのだと思います。  「ぷかぷかさんといることで、周囲の人間の心がまるくなる」 とも書かれていて、すごくいい表現だと思いました。まわりの人に対し、とがった心を持ちがちな現代社会にあって、ぷかぷかさんが社会にいることの大事さをあらためて思いました。上映会の会場全体が、ほっこりあたたかな雰囲気に包まれたのも、ぷかぷかさんのおかげですね。  たまたま今回の『福祉労働』に載っていた相模原障害者殺傷事件をテーマにした『生きるのに理由がいるの?』というドキュメンタリー映画の上映会で、ちょっとした意見の違いで険悪な雰囲気になり、げんなりしたことがありました。お互い、つい心がとがってしまうんですね。本当はそういったものを乗り越えるための上映会なのに、私たち自身が自分の中のとがった心をうまく収められないんですね。「まぁまぁ、そこまでにしましょう」で無理矢理収めてしまいましたが、後味の悪い上映会でした。  それを思うと、8月3日の上映会は話し合いも気持ちよくでき、「明るさと希望」も感じられる本当にいい上映会だったと思います。あらためてぷかぷかさんに感謝!です。
  • 全盲の学生さんに、絵巻物をどうやって伝えたらいいんだろう
     桜美林大学で4回の連続授業。1回目は6月10日(月)演劇ワークショップ、2回目は6月17日(月)すごろくワークショップ、3回目は6月24日(月)詩を作るワークショップ、4回目は詩を元にぷかぷかさんの描いた絵巻物のブラッシュアップ。  1回目6月10日(月) 簡単な演劇ワークショップ  台湾、中国からの留学生、全盲の学生さん、学部外からの参加者等、いかにも桜美林大学らしい雰囲気でした。 「まるまるまる」の歌 左から三番目の女性は全盲の方ですが、ちゃんと参加しています。 アクションじゃんけん「サムソンとデライラ」 「笑いの階段」 全盲の学生さんも小さな笑いを隣に送ります。 椅子のシェイプ(形作り) ヨットを作ります。 2回目6月17日(月) すごろくワークショップ グループの中でさいころを転がし、さいころの止まったコマのことをみんなでやります。自分のことを語ったり、アクションをしたり。知らない間にお互いのことがわかってきます。 すごろくワークショップ映像 https://www.youtube.com/watch?v=OtphKt4pSYY&feature=youtu.be 感想(6月10日) ・こんなに深く関わったのは初めてで、みんな素直で、思ったよりたくさん話してくれて、いろいろ知ることができました。ゲームを通して楽しみながら知るのが一番よかった。教科書じゃないのがよかった。 ・一番印象的な答えはハヤちゃんのです。一番の宝物やほしいものに対して、物ではなく、思い出だったことです。とても心があたたまった。 ・ぷかぷかさんのお話は、記憶や感情を含んで、豊かで、知らないことも多かった。特にお弁当と共に歌を送る仕事というのはおもしろいと思った(★歌付き弁当は、弁当を配達し、歌を歌ってくる)。そして歌が上手だった。 ・自分から自己紹介するだけでは伝わらないその人らしさがすごろくを通してたくさん感じられました。また、今日は人の思いやりや優しさを感じました。特に私がぷかぷかさんのオリタさんと腕相撲をしたときに、私に勝たせてくれたときにオリタさんの優しさを感じました。 ・ハヤちゃんの回答がすごくロマンティックで、家族や妹をすごく大切にしているんだなと感じたし、スティッチに会いたいからハワイに行きたいのもすごくかわいいな。リエちゃんも渋滞が好きな理由が「渋滞」。最初はなんだろうと思ったけど、話せば話すうち、新たな一面やおもしろい一面が知れてうれしかったです。ぷかぷかさんとの授業は毎回元気をもらっています! ・ぷかぷかさんはみな夢があります。この授業から彼らに対して新しい認識を持ちました。 ・はじめでぷかぷかさんと交流して、みんなが自分の本音をアピールしていた雰囲気がとても好き。・ ・ぷかぷかさんたちはみんなとてもやさしくておもしろい人たちです。時間が過ぎるのが早く感じました。もう一度会いたいです。 ・みなさんのこと、やさしいと思ってます。それぞれ目標や宝物を持って、とても前向きな感じでした。  3回目6月24日(月)詩を作るワークショップ  谷川俊太郎の詩を朗読。誰かに向かって言葉を届ける、ということを体験。 ぷかぷかさんとの出会いを4〜5行の詩にする。 個人の詩を一行ずつ切り離し、グループの中でシャッフル。はじめに来る言葉、中程に来る言葉、終わりの方に来る言葉、等に分ける。 できあがった詩を発表。全盲の学生さんも一緒に朗読。 感想(6月24日) ・詩を作って思ったことは、自分と同じ気持ちだった人もいれば、全く違う気持ちを持っていた人もいて、同じ経験をしても、人それぞれ違うように感じていたことがわかった。 ・「詩」っていつも言葉にできないことを表現できると思った。ふだんから言葉というかたちで相手に伝える機会が少ないと思うので、人として言葉にして伝えるという時間はあらためて素敵だと感じた。 ・詩の文章は自分が書かなかった言葉を、他の人が書いてくれたりしていて、不思議な感じだった。また詩の言葉をばらばらにして再構成することで、方向性の違う言葉がメリハリになって詩のおもしろみを強くしていたし、詩の朗読は、感覚の再認識につながったよかった。 ・今回4人一組でそれぞれ個人の詩を一つにしました。みんなの意見をもう少し聞いて制作したかったな、と感じます。こういった詩を作ったのは初めてで、言葉だけでは足りない感情。その感情をどう言葉に乗せて伝えるのかすごくむつかしかったです。 ・ふだん、自分の気持ちを言葉にしたり、言葉に感情を乗せたりしたことがないので、とてもむつかしかった。淡々に読むのではなく、音楽のリズムに乗せたり、声のトーンや間をあけることによって、詩はより味わい深いものになって行くことを感じた。自分の当時の気持ちを言葉にすることで、再確認だったり、思い出せてよかったです。次週、ぷかぷかさんたちが絵にしてくれるのを見るのが楽しみです。 ・今日、この授業を受けて、私はこのような授業を一回もやったことがなかったので、とても新鮮な気持ちでした。私たち個々に思ったことや感じたことが、あんなに違うのに、こんなにひとつになるなんて、思ってもみませんでした。読んで、聞いて、みんなの感じたこと、思ったことが伝わって、伝えられて、あんなに素敵な詩ができるとは正直思っていませんでした。これからこの詩がぷかぷかさんたちと一緒にどんどん素敵なものになっていきますように。 ・最初は気持ちをこめて読むことが少しはずかしかったが、クラスのみんなとやっていくうちに、どうやったら相手に伝わるかを考えることに集中していた。 ・ばらばらだった詩を一つにまとめることで、より私達が感じたことをリアルに、具体的に表すことができた。 ・声のトーンや間野あけ方によって、どんな気持ちだったか伝わるということを朗読を通してわかった。この部分は、どんな風に読めばいいかグループの人と話し合うのが楽しかった。 ・ぷかぷかさんがどんな絵を描いてくれるのかが楽しみになった。 できあがった詩①  わくわくする気持ち     出会う前に話す経験さえなくて  どんな人かな  新しい出会いにワクワク     自分が誤解をよばないか心配だった     いらない心配だった  自分はなんの中心でもない みんな気さくで良い人    会ったときゲームで雰囲気が盛り上がった  今まで知らない世界を教えてくれた     対話は一人では成り立たない 自分にないものを持っている    普通の友達みたいに遊んでいた    また一緒に遊んで欲しいと感じた できあがった詩②           わくわくする気持ち                 知らない人たち     守ってあげなきゃ 助けてあげなきゃ     でも、皆なにも自分達と変わらない 話してみたらとても楽しかった 気づいたらたくさん笑っていた 自然とずっと笑っていた      あたたかい気持ちにしてくれる           包み込まれている感じ 一緒に笑えられた  一緒に共感できた           いろんな表情をみれた 私達はなにも変わらない仲間だと思った お母さんに話すくらい心に残った思い出     もっと話してみたくなった           ぷかぷかさんは場作りのプロ 今はもう共に生きる仲間たち           今、私のほうが助けられている 3回の授業のまとめ  1回目、2回目はぷかぷかさんと出会うワークショップ。いずれも、何かやってあげる関係ではなく、フラットな関係で出会えたことがよかったと思います。  3回目はその出会いをまず一人一人4行ないし5行の詩に書きました。個人の詩の言葉をばらし、シャッフルし、グループの詩としてまとめ、それを朗読しました。  詩を作るワークショップは、ぷかぷかさんとの出会いのふり返りでもあったのですが、みんなの詩としてまとめる作業の中で、みんなで一歩前に踏み出したようなふり返りであったと思います。それはできあがった詩を見てもわかります。  この詩を元に、今ぷかぷかさんたちが絵巻物に取り組んでいます。詩①②とも幅1.2メートル長さ6メートルの大きな絵巻物。  7月1日(月)はこの絵巻物のブラッシュアップを学生さん、ぷかぷかさんが一緒になってやります。  おもしろいのは全盲の学生さんが、この絵巻物をものすごく楽しみにしていて、その方にどのように絵巻物を伝えるかが、大きな課題です。  絵をどんな風に語れば全盲の方に伝わるのか。色、かたち、大きさ、雰囲気など、どこまで言葉で表現できるのか。上の写真のネコの絵は言葉にするとどんな風になるのか。蜂の絵は?  でも、ここでみんながどうやって伝えるかを悩み抜くこと、それが第4回目の授業をものすごく豊かなものにするのではないかと思っています。障がいのある人と一緒に生きることで生まれる豊かさです。
  • なんと 70歳!
     なんとタカサキは今日70歳になりました。  ヨコハマアートサイトのヒアリングの時、代表の小川さんが 「え?70歳ですか、もうおじいさんじゃないですか。」 と、びっくりしていましたが、私もびっくりしています。  おじいさんという自覚がない、というか、やりたいことが多すぎて、とてもおじいさんののんびりした雰囲気にはなりません。  毎朝、乾布摩擦、たわしマッサージから始まって、腕立て伏せ30回、腹筋30回、スクワット30回、もも上げ30回、太極拳のシュワイソー100回やったあと、マンションの10階までの階段登りをこなします。  このあと、天気のいい日はランドナーと呼ばれるドロップハンドルのサイクリング車で通勤。アップダウンが多いので、結構大変ですが、自転車は気持ちがいいです。  というわけで健康です。健康でないと「ぷかぷか」は立ち上げられませんでした。たまたま今日、日本財団の山田泰久さんが『ぷかぷかな物語』を読んだ感想をFacebookにあげていましたが、その中で 「本の前半で綴られている、ぷかぷか創業秘話が実にすごい。よく福祉施設として立ち上がることが出来たなあ~というのが正直な感想です。」 と語っていましたが、私自身読み返しても、よくやったよなぁ、とびっくりするほどです。  ぷかぷかを始める前、福祉事業の大先輩おむすび長屋の田中さんに 「60歳で新規事業を立ち上げるなんて無理無理。絶対やめた方がいい」 といわれていました。事実、にっちもさっちもいかない中で、田中さんの言ったとおりだよなぁ、としみじみ思いました。思いながらも、とにかく前に進むしかない、本当に厳しい状況でした。  人生60歳にして、本当に鍛えられましたね。大変でしたが、本当にいい経験したと思っています。  あの頃の頑張りがきいて、ぷかぷかもどうにか軌道に乗り、最近は少しのんびりできるようになりました。のんびりしすぎてぼけないようにしないと、と思っています。  ぷかぷかの活動も『ぷかぷかな物語』という本にまとめることができました。ぷかぷかさんのおかげで生まれた物語です。先ほど紹介した日本財団の山田泰久さんはNPOを支援するセミナーの企画、運営をやっている方ですが、その経験豊かな山田さんの目で見ても、『ぷかぷかな物語』から見えるぷかぷかの活動は、もう予想外もいいとこで、びっくりするほどのものだったようです。 「高崎さんには、なんどかCANAPNのセミナーにも足を運んでいただき、その活動はFacebookやブログ等を通じて拝見しておりましたが、その何十倍も何百倍もある奥行きの活動と実践を知ることができました。」 「NPO法人ぷかぷかは、いわゆる福祉施設を運営していますが、予想以上の活動でした。」 「働くということを通じてノーマライゼーションを実現するだけではく、アートや演劇も含めての取り組みが実に面白いなあと思いました。」  この山田さんとはCANPANセミナーで 「ともに生きる社会を本気で作る戦略をみんなで練る」 と題したトークセッションをやろうかと相談しています。山田さんの私に対するスルドイ突っ込みの中で、遠い未来にある「ともに生きる社会」を漠然と語るのではなく、今、すぐそばに作るための戦略を参加者といっしょに考えるようなカゲキなセミナーです。日時などが決まりましたらまたお知らせします。  というわけで、70歳を迎えて、まだまだやりたいことがあってわくわくしています。  40歳になったときは「人生40周年記念イベント」と称して、自転車担いでパキスタンのインダス川の源流地帯を走ってきました。はるか下の方をインダス川がごうごうと流れ、目もくらむような崖っぷちの道で、しかもすさまじいアップダウンが続いて、本当に厳しい旅でした。からからに乾いた世界で、パンクすると水がないので、チューブにつばをつけて穴を探したりしました。ローカルバス(ハイエースを改造したようなおんぼろバス)を乗り継いで旅したかみさんとは、出発2日目ではぐれてしまい、携帯のない時代、探し出すのに1週間くらいかかりました。中国の国境近く、氷河の迫る山小屋で熱出して寝込んでいるのを見つけ、村でジープを借りて病院のある村までおろしたりしましたが、いやぁ、楽しい旅でしたね。  「70周年記念イベント」は何しようかと思案中。70歳らしいばかばかしいことにチャレンジしたいと思っています。イベント内容が決まりましたら、またお知らせします。  と、ここまで書いたところで、今、午前2時。そろそろ寝ます。気が向いたら続き書きます。
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