ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 私は、素直で、純粋で、あたたかくて、やさしさにあふれるぷかぷかさんが大好きです。
    上映会に参加した学生さんの素晴らしい感想です。 ●●●  まず、会場のラポールに入った瞬間に、テラちゃんが私のことを見つけてくださり、駆け寄ってきてくれました。「アカリさんアカリさん」とたくさん名前を呼んでくれて、何よりも一度しか会ったことがないのに、私の顔を覚えてくれていて、たくさん笑いかけてくれたことが本当にうれしかったです。私自身、新しく出会った人と、こんなにも早く、温かくて、居心地のよい関係性を築けたことが今までになかったので、「こんな出会いってあるのだな」と、とても驚いています。  上映会では、初めてぷかぷかさんの演劇ワークショップを見て、彼らの生き生きとした表情やしぐさに胸を打たれました。あんなにのびのびと、楽しそうにしている障がいを持つ人は、今まで見たことがありませんでした。彼らが、心から楽しそうに演技をしているからこそ、伝わってくるものがあったのだと感じます。彼らにしかできないオリジナルのストーリーを創り出し、彼ら一人ひとりの魅力が詰まった作品ができるって本当に素敵なことだなと感じました。  また、演劇はぷかぷかさんの魅力を全面的に引き出す芸術なのだと感じました。言葉では伝えられないようなことを身体や表情を使って表現されていて、とても引き込まれましたし、楽しかったです。彼ら自身が楽しんでいるからこそ、見ている人にも楽しい気持ちにさせたり、笑いを生ませたりすることができるのだと思います。彼らの心の中を少し覗くことができたような気がして、とてもワクワクしました。「これはぜひ生で見てみたい!」と感じました。機会があったら、私もぷかぷかさんと一緒に演劇に参加させていただきたいです!  後半のトークイベントでは、やまゆり園事件をどうやって越えていくのか、その手掛かりを見つけていくための時間となりました。  この事件が起きた当時、私は「なんて悲惨な事件なんだろう」とただただ悲しい気持ちになることしかできませんでした。障がいをもつ19人もの命を奪っただけでなく、重傷を負った方がいたり、その家族や大切な人を傷つけたり、凄惨な事件であることの認識はできたものの、その事件を越えるために自分に何ができるのか、考えたことはありませんでした。自分から遠い出来事なのだと考えてしまっていたのです。  しかし、今日のトークイベントに参加して、全くもってそうではなかったのだと、今までの自分が情けなく感じました。事件は、容疑者だけの問題ではなく、そのような考えを生んでしまった社会全体でとらえていかなくてはならないのだと強く感じました。  「障害を持っている人は生産性がない」「障がい者は不幸しか生まない」などと障がいがある、というだけでマイナスなイメージを持ってしまう人の多い社会は、なんて残念な社会なのだろう、と思います。今でこそ、私はぷかぷかさんとよい出会いをして、障がいをもつ人にしかない「人としての魅力」を感じ取ることができましたが、そういった人との出会いが少ないことが、障がい=大変(マイナスなことばかり)とイメージしてしまう人を生み出すことにつながるのだと感じます。  私は、小学校や中学校の時に、公立の学校に通っていましたが、特別な支援が必要な子といわゆる健常者と呼ばれる子どもは、完全に分けられていました。そのため、特別支援学級のお友達と関わる機会は、遠足や運動会などの行事の時だけでした。当時、私は「どうしてこの子たちとはたまにしか関われないのだろう?」と不思議に感じていました。行事の時は、何かをみんなで作るために、障がいをもった子がクラスのみんなについてこれるように応援したり、手助けしたりというような感じで過ごしていました。だから、彼らが楽しそうにしている姿はあまり見たことがありませんでしたし、ずっと寡黙で大人しくしている印象でした。私は子供ながらに、彼らも楽しめるような雰囲気にするには、どうしたらよいのだろう、とずっと考えていたことを覚えています。当時は、解決策を見つけるすべもなく、何もすることができませんでした。  しかし、今日のお話を聞いていて、考えたことがあります。それは、私たちが私たちの考える基準を無意識に作り出し、彼らにその基準に合わせるように要求していることに問題があると感じたのです。彼らにしかない魅力や豊かな心に目を向けて、彼らを知るという経験をすることができていたら、皆が居心地のよいあたたかな空気になっていたのではないかと思います。小さなころから彼らとのよい出会いを経験し、障がいをもっているということは、その人に生まれながらに与えられた贈り物なのだと考えることができたら、この社会に生きる多くの人が持つ、障がい=マイナスのイメージが覆され、彼らと一緒に新しい価値を作り出せる豊かな社会につながるのだと考えました。心が柔軟で、いろいろなことを吸収することのできる若いうちに、彼らとのよい出会いを経験することが、大人になった時に生産性ばかりに注目せず、彼らにしかない魅力を大切にできる人が増えるのではないかなと思います。  私は、素直で、純粋で、あたたかくて、やさしさにあふれるぷかぷかさんが大好きです。  ぷかぷかさんとの出会いは、私の人生の財産となりました。私にとって、ぷかぷかさんは、元気がなくなった時や辛いことがあった時に、会いたくなる、そんな人たちです。  これからもずっと彼らと一緒に生きて、一緒に新しいものを作り出していきたい、そんな風に感じています。  今日も帰ってきてから、ぷかぷかさんの美味しいマフィンを食べながら、母とぷかぷかさんとのことをたくさん話しました。高崎さんがおっしゃっていた、誰かと自分の思いを共有し、新しい発見をすることの大切さがよくわかりました。  これから、Facebookにも今日の経験をつづりたいなと思っています。 ●●●  ぷかぷかのメッセージが、若い学生さんにきっちり届いたんだと、本当にうれしくなりました。  「これからもずっと彼らと一緒に生きて、一緒に新しいものを作り出していきたい」 なんて、ちょっと涙が出そうになりました。  こんな風に思う若い人たちを作り出すこと、それがやまゆり園事件を超える社会を作ることだと思います。  感想を書いた学生さんは、上映会の前に一度だけぷかぷかに遊びに来ました。その時にぷかぷかさんたちが大歓迎し、似顔絵まで描きました。                                                                  こんな絵が、若い学生さんの心にしみたのだろうと思います。  「14人ものぷかぷかさんが私の写真を見て、心を込めて描いてくださったことがとても嬉しかったです。 どれもこれも、私の宝物です。」  こういう絵こそが、事件を超える社会を作っていくのだと学生さんの感想を読みながら思いました。ぷかぷかさんたちが希望を生み出しているのです。
  • 「できないこと」に人間の本質がある。
    11月1日朝日新聞の社説余滴「助けなしでは生きていけぬ」はなかなかおもしろい話でした。 《…もし人工知能(AI)等の進化によってやることがなくなったら、人間はどうやって尊厳を保つのか。京都大学の出口さんはそんな問いを立てて、こう考えている。  人間を「できること」(機能)の束ととらえると、自動化の進展につれて人間のかけがえのなさは失われてしまう。むしろ人間の本質は「できないこと」にあり、ひとりでは何もできないのが人間なんだととらえ直してはどうだろう、と。…》  なるほど、と思いました。 《「できないこと」に人間の本質がある。》  深い言葉ですね。  「できること」を追いかけていくと、どこかでAIに追いつかれ、人間であることの意味が見えなくなります。だから「できないこと」にこそ、人間の本質がある、と。    障がいのある人のまわりには人が集まってきます。その真ん中に「できないこと」があります。困っている人がいれば、人は助けたくなります。それが人のいいところです。人のいいところが出る。だから、誰かを助けることで、人は人になれるのだと思います。誰かを助けることで、自分も、実は助けられる。双方向の関係です。「できないこと」のまわりに集まった人たちがこんなふうにして豊かになります。だから障がいのある人たちは社会に必要なんだと思います。大事なことはそこで生まれる関係が、助け、助けられる、という双方向であること。  昔、養護学校の教員になって最初に受け持ったのは重度障害の子どもたちでした。一人で食事ができない、着替えができない、うんこの始末もできない、と「できないこと」だらけでした。助けることばかりでしたが、でも、彼らと毎日つきあっていると、人間のあたたかさを感じ、ずっとそばにいたいと思うようになりました。それまでふつうの会社勤めだった私にとっては新鮮な発見でした。人間を思い出した、という感じです。月並みですが「人間ていいな」ってしみじみ思いました。  彼らを助けることで、私自身が助けられたのです。人間を取り戻した、というか、そんな感じです。  ぷかぷかはいろんなことが「できない」と言われている人たち=ぷかぷかさんたちに助けられています。彼らの助けなしにはぷかぷかはやっていけないのです。私たちに「できない」ことを彼らはやってくれるから。  こんな素敵な絵は、私たちには描けません。   こんな絵を描ける人たちと描けない人たちが集まって「ぷかぷか」をやっているのです。お互い「できないこと」を助けあっているのが、ぷかぷかです。みんなを幸せにするような物語をたくさん生み出したのも、ここにその理由があるような気がします。  「できないこと」に人間の本質がある。深い言葉だとしみじみ思います。  「できないこと」にどう向き合うのか。それによって、やまゆり園では悲惨な事件を生み、ぷかぷかではみんながハッピーになるようなものをたくさん生み出しました。向き合い方一つで、こんなにもちがうものが生まれます。上の写真、別れでこんな涙を流せるのはハッピーそのものです。  11月14日(土)の上映会では、こんな話もしていきたいと思っています。
  • 実際に会って、ぷかぷかさんのこと、いっぱいわかった気がする。
    10月15日、創英大学でぷかぷかさんと学生さんですごろくワークショップ。  サイコロを転がして、目の数だけ進み、そこの問いにひとりひとりが答えるだけで、自然に笑顔が生まれ、関係ができていきます。  すごろくワークショップを40分くらいやって、その時の気づきを5行くらいの詩に書き、発表してもらいました。ごちゃごちゃ書くのではなく、5行くらいの詩にまとめるところがポイントです。自分の内面に集中できます。  みんなの前で発表してもらったのは、それぞれの気づきをみんなで共有したかったからです。人の気づきを聞くことで、気づきの幅が広がります。  それぞれのぷかぷかさんとの新鮮な出会いが感じられました。授業後に書いてもらった感想と併せて学生さんたちの素敵な言葉たちを紹介します。   ・素直なキモチは伝えづらいけど、スラスラ言えるって 素晴らしいな。 ・映像(前回の授業で『Secret of Pukapuka』と共生社会をテーマにしたEテレの映像を見た)だけだとわからなかったことが、実際に会って、ぷかぷかさんのこと、いっぱいわかった気がする。 ・いっぱいいっぱい笑えたよ。 ・質問の中で自分の性格や家族について思うことなど、答えることが難しかったり、恥ずかしいなと思ってしまうことも、はっきり、しっかり教えてくれた。カッコいい。 ・目を見て話しを聞いてくれて、とてもうれしい気持ち。 ・自分自身を強く持っていてかっこいい。 ・じぶんの好きなこと、好きなものを笑顔いっぱいで話してくれて、キラキラしていて  素敵。 ・映像だけではなく 、実際に会って話してみると、やさしさなどの気持ちの面だけででなく、笑顔などの姿を見ることができて、すごい学び。 ・自分の得意なことや好きなことなど笑顔で話してくれて、こっちまで笑顔に。 ・新しい出会い 新しいつながり 一つの空間に明るい風が吹いてきた  ぷかぷかの人の不思議な力 いつの間にか明るい気持ちになっていた。 ・自分自身をわかっているのもすごいし、かっこよかった。 ・どの話も聞いていてわくわく、どきどき。 ・素敵な笑顔と優しさでもっとたくさん話していたいな。人柄に惚れます。来週も話せると思うととても楽しみ。 ・話を聞いていると自然と笑いが出て、みんな笑顔になっている。  ・手作りの心のこもったすごろく ・サイコロコロコロ 心はドキドキ ・いつの間にか 会話も心もはずんでる。 ・お話し上手な利用者さんや、一生懸命話しているところ、楽しそうに話す姿を見て もっと知りたくなりました。 ・一生懸命話してくれたり、友達の分をフォローして伝えてくれたり、本当の話か、妄想の話かわからないけど、おもしろい話を聞かせてくれて、想像力も豊かになれた気がしました。 ・たくさんの笑顔を見ることができて、とても心があたたかくなった。 ・初めてちゃんと関わってみて、知らなかった面を見ることができて、とてもうれしかった。 ・自分のことを一生懸命話す姿や、楽しそうに話す姿を見て、聞いている側も笑顔になれた。 ・すごろくが終わったあとには、何人も寄ってきてくれて、いろいろな話をしてくれて、とてもうれしかった。 ・好きな歌のグループが同じでびっくり。グループの中でも好きな人が一緒でうれしかった。 ・初めてで恥ずかしがっている友達のことも教えてくれるやさしさを見ることができました。 ・ロサンゼルスにダンスをしに行ったこと、ブラックコーヒーが飲め、楽しい休日を過ごしていること、鹿児島県に行ってみたいことなど、ひとりひとりとたくさんお話ができて、とてもよい経験ができました。 ・話してみると、すごく気さくで、お話し上手で聞き上手 ・いっしょにいると自然に笑顔になるようなパワーを持った人たち。 ・自分の話をたくさんしてくれて、性格が少しおっちょこちょいだったり、好きなアーティストの話をしたり、少しずつぷかぷかさんの魅力がわかってきました。 ・ひとりひとり、思い考え異なり 人の個性ができあがる。  みんなちがってみんないい とはこういうことだろうか。 ・私たちに一生懸命自分の気持ちを伝えようとする姿に心動かされた。 ・楽しかったこと、悲しかったこと、自分の思い出を話するのが楽しそう。話を聞いて応答することでまたまたどんどん話ができて止まらない。  ●●●  たかがすごろくのゲーム。でも、そのすごろくを通してのぷかぷかさんたちとの出会いが学生さんたちからこんなにも豊かな言葉を紡ぎ出します。そしてこの言葉たちこそが、障がいのある人たちといっしょに生きていく居心地のいい社会を作っていくのだと思います。  やまゆり園事件を超える、などというと、すごく大変なイメージがありますが、すごろくワークショップをやって、楽しい時間を一緒に過ごすだけで、事件を超える関係ができるのです。感想の中に「たくさんの笑顔を見ることができて、とても心があたたかくなった。」というのがあります。ぷかぷかさんたちの笑顔を見て、ただそれだけでとても心があたたかくなった、というのです。なんて素敵な関係だろうと思います。  やまゆり園で、障がいのある人たちとこんな関係ができていれば、事件は起きませんでした。どうしてそんな関係がなかったのだろうと思います。  11月14日(土)横浜ラポールで、映画を手がかりにやまゆり園事件を超える社会を作って行くにはどうしたらいいのかの話し合いをします。創英の学生さんたちからぷかぷかさんたちとの出会いの話も聞きます。彼らとはやっぱり出会った方がトク!です。おつきあいした方がトク!です。トクすることが事件を超えることです。トクして事件を超えるなんて、なんだか一石二鳥。こりゃもう上映会に来るしかないです。
  • こういう言葉が少しずつ社会を変えていく
     毎日新聞の上東さん、頑張ってまたやまゆり園事件を問う連載記事を始めました。 mainichi.jp mainichi.jp  書いても書いてもやまゆり園自体は何も変わらなくて、読んでてむなしくなります。それでもあえて書き続ける上東さん、尊敬します。  ほかの新聞社がやらない中では、書き続けること自体に素晴らしい意味があり、価値があります。  裁判が終わってしまい、何もしなければ、事件はどんどん忘れられていきます。そういった中でのこの連載記事は、多分歴史に残るほどの価値ある記事になると思います。  福祉の現場にいる者として、やまゆり園事件に関するメッセージを発信し続けねば、とあらためて思いました。  事件を問うことは、社会のありよう、私たちひとりひとりのありようを問うことでもあります。障がいのある人たちと、この社会の中でどんな風につきあっていくのか、どんな風にいっしょに生きていくのか、と問い続けること、それが「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」というメッセージを発信した事件を超えることだと思います。  事件を問うだけでなく、事件をどうやって超えていくのか、を実際にやってみること。考えるだけ、あーだこーだ言うだけでは社会はちっとも変わりません。大事なことは、やまゆり園事件を引き起こすような社会を本気で変えることを実際にやってみることです。  つい三日ほど前、ぷかぷかの近くにある創英大学でぷかぷかさんと一緒にすごろくワークショップを通して新しい出会いを作る授業をやってきました。サイコロを転がしてすごろくゲームをやり、お互いのことを知る授業です。  すごろくには「旅行に行きたいのはどこ?」「自分てどんな人?」「好きな歌手は誰?」といった問いがあり、それにひとりひとりが答えていくます。たったそれだけのことなのに、普段障がいのある人たちとのおつきあいのない学生さんたちにとってはとても新鮮な体験だったようです。  その時に出てきた学生さんの気づきのひとつがこれ。    新しい出会い 新しいつながり    一つの空間に明るい風が吹いてきた。    ぷかぷかの人の不思議な力    いつの間にか明るい気持ちになっていた。  ぷかぷかさんと一緒にちょっと動けば、こんな素敵な言葉が学生さんから出てくるのです。こういう言葉が少しずつ社会を変えていくのだと思います。  私たちがとにかく社会に出て行き、ちょっとアクション起こせば、こういった反応が出てきます。そういうことをやるのかどうかだけです。やらなければ、社会は変わりません。  福祉事業所には魅力ある方がたくさんいます。そういう人は社会に出していかないともったいないです。  11月14日(土)、横浜ラポールで映画を手がかりに事件を考える集まりをやります。でんぱたで先日稲刈りをしたのですが、そのお米を使ったおにぎりが出ます。これはもう来ないとソン!です。創英大学の学生さんも参加します。ぷかぷかさんとの出会いの話もしてもらう予定です。
  • いっしょにいたいなぁって思うこと
    11月14日(土)横浜ラポールで映画を手がかりに、やまゆり園事件をどうやって超えていけばいいのかを考える集まりをやります。と書くと、なんだか重い雰囲気の集まりを想像してしまうのですが、チラシにもあるように、  《 いつもの月夜に 米の飯 みんなで一緒に こめまつり 》 なんて、でんぱたで採れたお米の握り飯ほおばって、ま、楽しく行きましょう。  考える手がかりになる映画として、第6期演劇ワークショップ記録映画『どんぐりと山猫ーぷかぷか版』を上映します。演劇ワークショップの記録映画はぷかぷかさんと地域の人たちが一緒になって6ヶ月かけて芝居作りをした記録です。それを1時間程度の映像にまとめています。  障がいのある人たちに「こうしなさい、ああしなさい」といろいろ教えながら作った芝居ではなく、彼らに支えられながら芝居を作った記録です。彼らがいることで、ワークショップの場が、とても楽しく、自由になります。彼らに助けられているのです。そういう場で、とんでもなくおもしろい芝居ができあがります。  彼らがいるからこそ、こんなにも楽しい、ダイナミックな舞台ができます。  事件の時、社会にばらまかれた「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を、あーだこーだ理屈を言わずに、ひょいと乗り越えてしまう舞台です。それって、すごいことじゃないかと思うのです。これが彼らがいっしょにいることで生まれるチカラです。ひょいと乗り越えてしまうチカラ。  事件を乗り越える、障がいのある人たちを排除しない社会を作る、というのは、こんな風に障がいのある人たちと一緒に楽しいことをやり、新しいものを創り出し、彼らといっしょにいたいなぁって思うことです。彼らを社会から排除するなんて、もったいないことです。社会の損失です。
  • 稲刈りをやって、幸せな気持ちをたくさんもらえた。
    今日の田畑の稲刈りのお手伝いをしていただいた地域の方のFacebookにうれしい感想が載っていました。   ●●● 今日は、でんぱたさんの稲刈り メンバーさんにも 田植え以来お顔合わせ 彼らと居ると 自然と笑顔になれる 障がい者は、必要ないとか やまゆり園の事件の 当事者は、言うが… 必要であると、一緒に 稲刈りの作業をしていて 感じた だって、幸せな気持ち たくさんたくさん貰えた もの ひた向きに作業に取り組み 自然の中で、キラキラした 顔をされてた でんぱたメンバーさんに 金メダル 一緒に居ると(生きて行くと) 幸せになれるよ ●●●    「稲刈りをしながら、幸せな気持ちをたくさんもらえた。」    うれしいですね。こんな言葉をもらえて。  何か特別なことをやったわけではありません。いつものようにぷかぷかさんたちと一緒に仕事をやってただけです。    「彼らといて、幸せな気持ちをたくさんもらえた。」    障がいのある人たちを排除しがちな社会にあって、この言葉は、本当に光っています。  やはりそこにあった彼らとの関係性の問題だろうと思います。ぷかぷかがこの10年、ずっとやってきた「いっしょに生きていく」という関係。「いい一日だったね」ってお互い言える関係。   「いっしょにいると(生きていくと)、幸せになれる」   そんな言葉が地域の人から生まれてきたのです。ここから社会が変わっていきます。
  • でんぱた  稲刈りをしました。
    でんぱたの稲刈りがありました。6月に田植えをしたのですが、わずか4ヶ月で収穫です。 www.pukapuka.or.jp  あの時に植えた苗がこんなに育っています。  これを鎌で刈るのかと思っていたら機械で刈るので、ぷかぷかさんたちの仕事は刈り取られた稲の束をはさにかけます。  地域の方も何人かお手伝いにきていただき、稲刈りを楽しみました。こういうおつきあいを続けていこうと思っています。  2週間ほど天日干ししたあと、脱穀、精米して11月14日(土)横浜ラポールのシアター前のホワイエで11時半からの「こめまつり」で販売します。 午後1時からは上映会とトークイベントです。 www.pukapuka.or.jp
  • 重度障害の人たちといっしょに生きる
    先日ぷかぷかに遊びに来た尾野一矢さんの介護の方からの情報です。ぜひ録画予約しておいて下さい。  ●●●  NHK Eテレ 「ハートネットTV」で《特集・相模原事件から4年 ”施設”vs”地域”を超えて》というのがあります。 ●10/6(火) 第1回 “パーソナル”な暮らしをつくる ●10/7(水) 第2回 ”ともに暮らす”は実現できるか いずれも午後8時~8時29分  ※第1回はドキュメンタリー。事件被害者の一人・尾野一矢さんが津久井やまゆり園を退所し、アパートでの一人暮らしに移行する様子を中心に、日本の障害者福祉の歴史・制度、専門家の話なども交えながら、重い障害のある人たちの「暮らしの選択肢」全般について考える。 ※第2回はスタジオ生放送。第1回の内容の一部を振り返りながら、視聴者からの感想、重い障害のある人の家族・支援者からのご意見・体験談なども紹介しつつ、識者や障害当事者がスタジオでトーク。【ゲスト】宍戸大裕(映画監督)海老原宏美(自立生活センター東大和 理事長)荒井裕樹(二松学舎大学専任講師) ご意見は以下で募集中 https://www.nhk.or.jp/heart-net/new-voice/32/ ●●●  サイトに寄せられた意見を見ると重度障害の人たちの置かれた状況の厳しさがびりびりと伝わってきます。この厳しい状況を変えるには行政などへの働きかけも必要ですが、私たち自身の発想を大胆に変えることも必要な気がします。  重度障害の人たちに限らず、障がいのある人たちには「何かやってあげる」という 関係が多いのですが、そういう発想で考えている限り、彼ら自身が社会の中で活躍する、大事な役割を果たす、といったことはなかなかないのではないかと思います。  ぷかぷかは、「何かやってあげる」のではなく、「いっしょに生きていく」関係を作ることで、障がいのある人たち=ぷかぷかさんたちが大活躍しています。ぷかぷかが生み出したたくさんの物語は彼らの活躍そのものです。『ぷかぷかな物語』は彼らが生み出した物語の本です。(お求めはぷかぷかのホームページhttps://www.pukapuka.or.jp、もしくはアマゾンで)  障がいのある人たちに対しては「マイナスの価値」(あれができないこれができない、生産性がない、等)という評価が圧倒的に多いのですが、ぷかぷかにあっては「プラスの価値」を生みだす人たちと位置づけています。 www.pukapuka.or.jp  彼らとどういう関係を作るかで、彼らの生み出す価値が変わってくるのです。ぷかぷかにあっては、彼らは社会の邪魔者とか重荷ではなく、「社会を耕し、豊かにする人たち」なのです。  5年前の「世界がhana基準になったら」という花岡さんのブログは、何かやってあげる関係ではなくて、重度障害の人の生き方に謙虚に向き合うと、ひょっとしたら社会が変わることになるかも、という目から鱗のような問題提起だったように思います。hanaちゃんは重度障害児です。でも彼女には熱烈なファンが多いです。それはお母さんのhanaちゃんへの向き合い方のおかげです。 ●●● 世界がhana基準になったら 何が起こるだろう   人をことばで傷つけることもない 人に嫉妬したり、恨んだり、 悪口だって言わない 人と比較して見下したり、 卑下したりすることもない   あるのは ただそこに存在することで ありのままで完全な自分、人生。   あるのは 楽しい毎日 喜怒哀楽を自由表現すること   誰からどう思われるからとか考えない 誰がどうしていても気にならない   hanaは ただ自分がそうしたいからそうする   そして自分が そのままで完全であり、 愛されていることを 深いところで理解してる。     世界がhana基準になったら…     もしかしたら すへての悩み、争いごと いじめや不登校、 戦争もですら なくなるかもしれないね。    (hanaちゃんとお母さん) ●●●  彼らの存在の意味がここでは全く違ったものになっています。  人をことばで傷つけ、人に嫉妬し、恨んだり、悪口を言ったり、相手を見下したり、卑下したり…といったことからなかなか抜けられない私たち。hanaちゃんは「人をことばで傷つけることもない。人に嫉妬したり、恨んだり、悪口だって言わない。人と比較して見下したり、卑下したりすることもない。」どうしてそんな生き方が私たちにはできないんだろうと思います。情けない限りです。  nahaちゃんは「人の生きる姿勢」の基本を教えてくれている気がします。hana基準こそ、この閉塞状態にある社会を救うのではないか、そんなことを思ったりするのです。  重度障害の人たちをそんなふうに見ていくなら、社会はもっと豊かになっていくような気がするのです。彼らの有り様を、彼らの生き方とみるかどうか、ということです。   「こんなところで寝るなんて、hanaちゃんて、なんて自由なんだ」って思うのは、ここにhanaちゃんの生き方を見るから。(演劇ワークショップの会場入り口)  5月に始まった「でんぱた」は生活介護の事業所ですが、重度障害の人たちとどんな風にいっしょに生きていくか、ともに暮らしていくか、の試みでもあります。障がいのある人たちといっしょに生きていくことはぷかぷかで10年やってきたので、重度障害の人たちとも「いい一日だったね」ってお互い言える日々を一緒に作っていけば、それがそのまま「いっしょに生きていく」「ともに暮らしていく」ことになるのだろうと思っています。  「でんぱた」は地域の人たちの手を借りながら田んぼや畑の仕事をします。  6月には地域のたくさんの人に手伝ってもらいながら田植えをしました。 www.pukapuka.or.jp そして今日は地域のたくさんの人たちに手伝ってもらって稲刈りをしました。 www.pukapuka.or.jp  田んぼや畑仕事のほかに、一緒にミソを仕込んだり、時には一緒に絵を描いたりして、一緒に人生を楽しみ、お互いの人生を豊かなものにしていきます。「いっしょに生きていく社会」「ともに暮らす社会」はこんな風にして、みんなで楽しみながらできていくのだと思います。社会を救う「でんぱた基準」もできるかも。
  • 上映会やります。「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」
    11月14日(土)横浜ラポールでの上映会のチラシができました。すごく楽しいチラシです。   映画を見て、やまゆり園事件のことをみんなで話そうと思っているのですが、いつものことながら、チラシを見ると全くそういう感じがしません。つまり、やまゆり園事件の重いイメージがどこにもないのです。  「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」 とか一番目立つところに書いてあって、どうしてこれがやまゆり園事件につながるの?なんて、つい思ってしまうのですが、それがいつの間にかつながってしまうのがぷかぷか。  昨年、事件の遺族の方がぷかぷかに見えました。私はどういう言葉で話しかければいいのかわからず、「こんにちは」といったきり、後に続く言葉がなかなか出てきません。事件に関するブログを150本以上書きながら、事件で一番辛い思いをした遺族の方にかける言葉が出てこないのです。  遺族の方を前に本当に困りました。その時周りにいたぷかぷかさんたちが 「あれ、どこから来たの?」「お名前はなんて言うの?」 と、いつもの調子で質問攻め。 「ぷかぷか、頑張ってます」 なんていう人もいました。  そんなぷかぷからしい対応に、遺族の方はみるみる笑顔になり、いろんなお話を楽しそうにされていました。遺族の方を前に、半ば固まってしまった私は救われた思いでした。  「ぷかぷかさんのお昼ご飯」で食事された時、その日のメニューは唐揚げだったのですが、亡くなった娘さんの大好物で、娘さんと一緒に唐揚げを食べている気分でした、とお話しになっていました。一ヶ月後に誕生日を迎えるという話も聞き、それならぷかぷかで誕生会やりましょう、という話になりました。  「ぷかぷかさんのお昼ご飯」は誕生日を迎える方のリクエストで誕生日メニューが決まります。ですからその日は唐揚げにすることになりました。お母さんひとりで食事するのは寂しいと思い、亡くなられた娘さんの写真見ながらぷかぷかさんが等身大の「分身くん」を段ボールで作り、隣に並んで食事してもらいました。帰りの会でささやかな誕生会をやりました。小さなステージに娘さんの分身くんに座ってもらい、みんなで「ハッピーバースデー」を歌いました。娘さんの好きだった音楽をガンガンかけ、みんなで思いっきりダンスをしました。誕生日カードもぷかぷかさんが描いてプレゼントしました。お母さん、本当に大喜びでした。  遺族の方はそっとしておいた方がいい、とよく言われます。でもぷかぷかさんたちは違いました。そっとしておくどころか大歓迎し、誕生日会までやってしまったのです。お母さん、たくさんの元気をもらえたようでした。  事件を超えるって、こういうことではないかと思います。事件で一番辛い思いをした遺族の方が元気になる。これはすごく大事なことです。今まで、多分誰もやっていなかったことです。それをぷかぷかさんが、何か特別なことではなく、いつもどおりの感じで、さらっとやってしまったのです。  ぷかぷかさんといっしょに生きていく中にこそ、事件を超えていく鍵があるような気がしています。  昨年の上映会に参加した方が、ぷかぷかさんもいっしょにいる上映会の賑やかな雰囲気の中で 「とがった心が丸くなる」 と感想を書いていましたが、一番のキーポイントを言い当ててる気がしました。  事件を考える集まりで、お互いの考え方のちょっとした違いで、とても険悪な雰囲気になってうんざりしたことがあります。事件を考える集まりなのに、みんなの心はとがったままだったのだと思います。心がとがったままでは、事件を超える社会を作るとかいっても、人に優しい気持ちになれる社会なんだろうかと思ってしまいます。  その心をゆるっとしてくれるのがぷかぷかさんです。とがった心を丸くしてくれるのです。11月14日の上映会にはぷかぷかさんもたくさん参加します。彼らのチカラを借りて、事件を超える社会がどうやったらできるのか考えたいと思うのです。  「でんぱた」が初めて収穫したお米で作ったおにぎり食べて、 「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」  なんてつぶやきながら、楽しくやりたいと思っています。
  • 猫の目
    アマノッチの描いた猫  何を思っているんだろう。  いくつもの哀しみと、  怒りと、  悔しさを、  数え切れないくらい経験し、  それをもう通り越してしまったような目  諦めてはいるわけではない。  ただそこにうずくまって  こうやって 深い目で  世界を、じっと見つめている。  押し殺した思いが、静かに渦巻いている。  アマノッチの思いに、初めて出会えた気がする。  こんな目で見つめられたら、ちょっとたじろいでしまう。  でも、本当はいつもこんな目で彼らは私たちを見つめているに違いない。  それに私たちが気がつかないだけ。  だから、上から目線で彼らを見る。  彼らを見下す。  でも、この目に気がつくと、私たちの振る舞いは、とても恥ずかしい。 mainichi.jp  虐待が何度指摘されても、延々と見苦しい言い訳をするやまゆり園。  あなたたちを見つめているたくさんの、この深い目に気がつかないのか。  恥ずかしくないのか。  謙虚にこの目と向き合いたいと思う。  この目を見つめていると、  自分の生き方を問われている気がする。  この目の語る物語に、静かに耳を傾けたい。
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