ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 支援学校に通う息子のsouが「そしたらボク、働けるやん!」
    北九州の西山さんから『ぷかぷかな物語』の感想が届きました(これは出版直後にFacebookにアップしたそうですが、見落としていました)。西山さんには障がいのある息子さんがいて、子育てに疲れ切っていた頃、私のブログに出会い、救われたといいます。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージに目が覚めた思いがして、北九州からわざわざ会いに来られました。しかも一家で。 ●●●  『ぷかぷかな物語』読みました!!! 横浜市緑区にある障害のある人達が働くパン屋さん「ぷかぷか」。ぷかぷかさん達(障害のある人達をぷかぷかではそう呼ぶ)が、ぷかぷかと街に出て、ぷかぷかの種を蒔いて地域の人たちの心を耕していきます。  むっつりに感染しない人たちって表現!すごくわかる!親と同じレベルでヒヤヒヤしたり、ぷかぷかさんと一緒にいい時間を作っている高崎さんの姿がみえるのがいい。  6年前、私も心を耕されたひとり。 子育てにぼろぼろだった頃、高崎さんのブログに出会いました。「60才にして、こんなに楽しい日が来るとは思わなかった」と。障害のある息子と居てこんなに楽しいと言える日が来るのか、という衝撃。  高崎さんってどんな人?ぷかぷかってどんな所?って、そんな思いで出かけていった。  「生きてていいんだ、そのままでいいんだ」と思えたのもぷかぷかさんに出会えたから。  私が「ぷかぷかフェスタ」を始めたのも、ぷかぷかさんのように地域を耕したいとの思いから。ぷかぷかな世界はいくつあってもいいからね。  以前読んだ高崎さんの著書『街かどのパフォーマンス』に、養護学校の子ども達は卒業してもほとんど行くところがないってくだりがあって、そこに出てくる「香蘭」のオヤジの話、「たとえば、自分ちの玄関先をちょっと改造してですね、テーブルを二つぐらい入れますね。台所にもちょっと手を入れて、、お母さんと子どもが二人して働けるラーメン屋くらい、その気になればすぐできるんですよ。ただ、その気になるのがなかなかムズカシイようですね。」  それを読んだ時、退職金をはたいて子ども達の居場所をつくった高崎さんと、たまらない笑顔で働くぷかぷかさんから希望をもらって、私達親が何もしないではいられないでしょう!って。 この『ぷかぷかな物語』は、また誰かの人生を変えちゃうくらいの一冊になるんじゃないかな笑。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  そして今、香蘭のオヤジの言葉に動かされて、自宅を改装して「つなぐmi:ruかふぇ」をつくっちゃいました。 『つなぐmi:ruかふぇ』 自宅にcafeを作るという話をした時、支援学校に通う息子のsouが「そしたらボク、働けるやん!」と声をあげました。ならば母ちゃんがんばる!と。 mi:ruかふぇのmi:ruはやってみるのミール。これからいろんなmi:ruに出逢いたいと思います。 ●●●  西山さんに呼ばれ、北九州で『Secret of Pukapuka』の上映会をやった時、 「映画、おもしろかったね」 で終わるのではなく、 「北九州にもぷかぷかみたいなところを作ろう」 という声が上がり、 「そうだそうだ」 と何人もの賛成の声が上がって、「ぷかぷかフェスタ」が始まりました。  それだけでなく、西山さんの自宅を改装して、近々『つなぐmi:ruかふぇ』がオープンするそうです。支援学校に通う息子さんが働くとか。       こんな風にぷかぷかと出会ったことがきっかけで人が動き出し、新しい物語がどんどん始まっていくところが素晴らしいですね。西山さん、人生が変わったみたいです。コロナが収まったら『つなぐmi:ruかふぇ』にコーヒーのみに行こうかな。 『ぷかぷかな物語』はこちらから shop.pukapuka.or.jp  アマゾンカスタマーレビュー www.amazon.co.jp ★『ぷかぷかな物語』読まれた方はぜひ感想をお寄せ下さい。takasaki@pukapuka.or.jp宛にメール送って下さい。
  • 人間ていいものだな
     おもしろい本見つけました。『こんな夜更けにバナナかよ』の著者渡辺一史さんの本です。障がいのある人とのおつきあいから、「なぜ人と人は支え合うのか」という今の社会にあって、とても大事なテーマを丁寧に掘り下げて考えています。            本の中に紹介されている海老原宏美さんの言葉がいいです。 《人は「誰かの(何かの)役に立つ」ということを通して自分の存在価値を見いだす生き物なんじゃないか、という気がします。でも、役に立てる対象(困っている人)がいなければ、「誰かの役に立つ」ということ自体ができないので、困っている人の存在というのも、社会には欠かせません。となると、「困ってるよ」ということ自体が、「誰かの役に立っている」ということになりますね。つまり、世の中には「困っている対象者」と「手を貸してあげられる人」の両方が必要なんです。》  なるほど、と思いました。いろんな事ができなくて困っている人の存在が、マイナスの存在ではなく、誰かの役に立っている。目から鱗でしたね。  障がいのある人をそんな風に見ていくと、彼らは社会に欠かせない存在になります。いろんな事ができなくても、もっと堂々と胸を張って生きていっていい。海老原さんは、そう言っている気がします。  海老原さんは24時間介護を受けながら自立生活している重度障がいの人です。いつも誰かの助けを借りながら、そこで負い目を感じるのではなく、助けを借りる存在が社会には必要なんじゃないか、と指摘します。人と人との関係の本質を突いています。人と人が関わる、というのはそういうことじゃないか、と。  そこから社会を見ていくと、何かができるできないで人を評価する社会は、人の大事な役割を見落とすことになることがよくわかります。新しい価値(困っている人の存在の価値)を見いだせないまま、社会はますます閉塞状況になります。逆に、困っている人の存在の価値=意味が見えてくると、この閉塞状況を突破する道が見えてきます。誰もが生きることが楽になります。  海老原さんが街の中で自立生活を始めたり、「自立生活センター東大和」を立ち上げたりすることで、東大和市の福祉の世界だけでなく、経済活動そのものが活性化したといいます。困っている人の存在が、こんなにも社会を動かしている。障がいのある人たちの作り出す新しい可能性を見た気がしました。  海老原宏美さんの言葉をもう一つ 《 すごい綺麗な富士山が見えた時、「ああ、なんか今日はいいことがありそうだ、ラッキー!」とか思う。でも、あれも、ただ地面が盛り上がっているだけ。まぁ、うまい具合に盛り上がってものだとは思いますが、そこに価値を見いだして、感動して利しているのは人間の側なんですよ。  だとしたら、目の前に存在している障がいのある人間に対して、意思疎通ができないからといって、何の価値も見いだせないっておかしくないですか?  それは、障害者に「価値があるか・ないか」ということではなく。「価値がない」と思う人の方に「価値を見いだす能力がない」だけじゃないかって私は思うんです。》  やまゆり園事件の植松死刑囚は、不幸にもそういった価値が見いだせなかったのだろうと思います。それは彼だけの問題ではなく、彼が働いていたやまゆり園の障がいのある人たちへの向き合い方の問題が大きく影響していると思います。いつも書くことですが、「支援」という上から目線は相手の存在の価値を見いだす目を曇らせてしまう気がします。  本の最後の方にいい言葉がありました。  「人間ていいものだな」  そんな風に思わせてくれた筋ジストロフィーの鹿野さんとの出会いが、『こんな夜更けにバナナかよ』の本と映画を生み出し、著者渡辺さんのその後の人生の大きな転機をもたらしたといいます。  私も養護学校教員になって最初に受け持った重度障がいの子どもたちとの嵐のような日々の中で、それでも心あたたまるひとときがあって  「人間ていいものだな」 としみじみ思い、彼らのことが好きになってしまいました。それが今のぷかぷかにつながっています。  ぷかぷかさんと出会い、ぷかぷかのファンになったたくさんの人たちも、みんなどこかで  「人間ていいものだな」 って気がついたのだと思います。海老原さんの言う、おつきあいの中で相手の存在の価値を見つけたということです。その気づきが新しい関係を生み、新しい物語を生み出しています。  本の題名「なぜ人と人は支え合うのか」。それは支え合う関係の中で「人間ていいものだな」って、お互いが感じあえるからだと思います。  
  • その人なりに満足して毎日暮らしているんだから、それでいいんじゃないのかなぁ
    14年前の「子どもとゆく」の日記にこんなこと書いていました。           《 昨年から養護学校卒業後の「個別支援計画」ができて、障がいのある人にどういう支援が必要かを書いた書類が、在学中だけでなく、卒業後もずっとついて回ることになった。  長野県の山あいでもう20年以上も障がいのある人たちと一緒に味噌を作って生活を立てている「おむすび長屋」の田中さんに電話した時、その個別支援計画が話題になり、「40,50になった人たちに支援計画なんてのはないんじゃないの」 「もちろんいろいろ問題抱えている人はいるし、40.50になってもいろいろできないことはあるよ。でも、その人なりに満足して毎日暮らしているんだから、それでいいんじゃないのかなぁ。お節介というか、相手を馬鹿にしてる感じだね。」 「ただ書類上、支援計画を出さないと行政からお金が下りてこないので、そこが辛いところだけど…」》  おむすび長屋ができてすぐの頃(もう30年以上前)、泊まりがけで遊びに行ったことがあります。コーイチローさんというすごく楽しいおっちゃんがいました。近々ボーナスが出るとかでウキウキしていました。 「ボーナスが出たら、何買うんですか?」 「スナックいって、サイダーのむんだよ、ガハハハハ」  無精ひげを生やした豪快な笑顔がステキでした。なんて幸せな人生なんだろうと思いました。ちょっとうらやましいくらいでした。こんな幸せな人生を送っているおっちゃんに、今更何を支援するんだろうと思いましたね。  田中さんが言うように、ほんとこれは、余計なお節介であり、相手を馬鹿にしています。  幸せな人生を送っているおっちゃんに、こんなふうに介入してくる福祉って、何なんだろうと思います。   コーイチローさんは何かができるようになりたいとは、多分思っていません。おむすび長屋の慎ましい暮らしに、それなりに満足して暮らしています。そんなコーイチローさんの日々こそ応援したいと思うのです。いっしょにスナック行って「かんぱ〜い!」って一緒にサイダー飲んで楽しむような応援。  そんな応援にこそ、行政はお金を出すべきです。そして福祉の現場の人には、支援という上から目線ではなく、相手とフラットな関係でそういう応援こそやって欲しいと思うのです。
  • 彼らのそばにいることが人生の何よりもおもしろいと思える人たちによって作られる福祉
    今朝の朝日新聞「折々のことば」  ぷかぷかは代表のタカサキが障がいのある子どもに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ったところが出発点です。彼らに「心動かされた自分」がぷかぷかの中心にあります。たくさんの人に彼らに出会って欲しいと思い、街の中に彼らと出会えるお店を作りました。目指したのは福祉のお店ではなく、彼らといい出会いのできるお店です。結果、たくさんの人が彼らと出会い、たくさんのファンができました。ファンができることで、ぷかぷかのまわりの社会が変わってきました。障がいのある人もない人も、みんなにとって生きやすい社会ができつつあるのです。  彼らと出会うという体験が、人を動かし、社会を変えつつあるのです。  「薄暗いレコード屋で何時間も飽くことなく時間を過ごせる」人、それを人生の何よりもおもしろいと思っている人たちに音楽は支えられているように、ぷかぷかさんのそばにいて何時間も飽くことなき時間を過ごせる人、それを人生の何よりもおもしろいと思える人たちによって、ぷかぷかの福祉は支えられています。  いつも「支援」という関係が前に出てくる福祉の世界にあって、彼らのそばにいることが人生の何よりもおもしろいと思える人たちによって作られる福祉は、なんだかとても泥臭く、お互いにとってとても居心地のいいものになっています。
  • 創英大学 詩のワークショップ
    2021年1月14日、創英大学の統合保育の授業、詩のワークショップで9月からの振り返りをやりました。  どうして統合保育なのか、子どもの保育の前に、自分自身が障がいのある人たちといっしょに生きていくことの意味をきちんと押さえておくことが大事です。言葉だけでなく、いっしょに生きていく方がいい、と実感すること。そういう意味でぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやったり、ぷかぷかで体験実習をしたことは、それぞれの中にあった障がいのある人へのイメージをひっくり返すほどの意味があったと思います。      授業でやったことは、映画『Secret of Pukapuka』とEテレの共生社会に関する映像の鑑賞、ぷかぷかさん達と一緒にすごろくワークショップ、簡単な演劇ワークショップ、やまゆり園事件をテーマにした上映会では演劇ワークショップの記録映画の鑑賞、討論会の参加、それぞれ二日ずつぷかぷかで体験実習、毎日新聞で『やまゆり園事件は終わったのか』の特集を書き続けている上東記者も参加してのやまゆり園事件についての話し合い等。そういった活動の振り返りをただ感想言うだけではほとんど意味がないので、それぞれの気づきを自分の中でしっかり記憶にとどめることと、お互いの気づきを共有するために「詩のワークショップ」をやりました。以下がその記録です。 活動の中での気づきをそれぞれ短い詩にまとめます。  それぞれ書いた詩をグループの中で発表します。  それぞれが書いた詩を一行ずつ切り離し、グループの中でシャッフルします。言葉たちを並べ直し、グループとしての詩を作ります。どの言葉をどの場所に持ってくるかの話し合いの中で、お互いの気づき、思いを共有していきます。その作業が、グループとしての詩を作っていきます。  できあがった詩を壁に貼りだし、それを読みます。  黙って詩を読むのではなく、誰かに向かって声を出して読む。言葉に、丁寧にふれていきます。自分の思いを言葉にふれながら、丁寧に伝えるのです。それが「朗読」。  一度しか練習していないので、決してうまいとは言えない朗読ですが、それでもこうして自分たちの気持ちを言葉にして、友人達の前で朗読したことは素晴らしい体験だったと思います。学生さんにとってはとても新鮮な体験であり、意味のあるいい振り返りになったと思います。ぷかぷかさんとの出会いが、学生さん達のこれからの人生の中で、どんな風に生きてくるんだろう、と思います。なんか、考えただけでわくわくします。ぷかぷかさんといっしょに生きる素晴らしい未来をみなさんの手で作って下さい。 www.youtube.com ★学生さん達の感想、すごくいいです。ぜひお読み下さい。 ●個人で書いた詩をグループで発表し、それぞれの感じたことや感想を組み合わせて詩をつくることで、より深くて伝わりやすいと思った。それぞれの詩に個性があり「こんなことを思っているんだな」と自分とは違う部分を見つけることができた。もう1つのグループの詩を聞いて、自分のグループとは全然違うと思った。伝えたい部分も違って面白い経験だった。 ●個人個人が詩で書いた思いや感情を1つにまとめるとまた変わった一面をみることができた。まとめた詩の1つひとつの言葉を見ると優しそうであったり、強いようであったりを感じ、その詩を読むことで言葉に力がでてくるようであった。 ●グループで5つの詩を1つにまとめることは初めての試みでとても難しかったが、終わってみると自分では表現できなかったことが表現できて新しい発見があって面白かった。詩の中に美帆ちゃんへの気持ちを伝えることができてよかった。 ●一人ひとりが書いた詩をグループで組み合わせてみたら思ったよりもきれいにまとまってよかった。一人ひとり思っていること、考えていることが違うのにまとめてみると、みんなで1つの考えを持っているような詩ができて面白かった。さらにその詩を声に出して読むことで言葉1つひとつにしっかり意味があるように感じられた。 ●それぞれの意見を1つにまとめてみんなで作品をつくりあげるのは、とても難しかったけれどもその分、達成感があった。詩という表現方法をこの授業で体験できてよかった。 ●一人ひとり詩の表現方法が違っておもしろかったです。1つまとめると大きな詩になって驚きました。みんなそれぞれ感じたことは違うけれども思っていることは似ているのだと感じました。 ●一人ひとりの詩を合わせることで自分だけでは気がつけなかった感情をみつけることができた。詩をつくり言葉を丁寧に伝える活動を他にもに活かしていきたい。 ●一人ひとりの詩を1行ずつバラバラに分けて、グループ全員の詩を編集し、くっつけてみると、まとまった詩になるんだなぁと思いました。詩を書くだけではなく、みんなで作った詩を声に出して読むことで言葉1つ1つの重みや意味が他の人にも自分にもより伝わると思いました。 ●人それぞれの考えが1つにまとまると言葉の重みが変わる。似たような表現も違った表現もいろいろあった。魂の重さが21グラムなのを初めて知った。
  • 人権研修会を受講する人たちへのメッセージ
     今月末に予定されていた緑区役所の人権研修会ではぷかぷかさんの話を聞き、映画『Secret of Pukapuka』を見て、いろんな気づきを元に『詩のワークショップ』をする予定でしたが、コロナ禍で人が接触するような形になるのはまずいと中止になりました。受講予定の人たち(約40名)は各自の机のパソコンで『Secret of Pukapuka』を見て感想を書くことになりました。その前に映画『Secret of Pukapuka』への思い、高崎明のプロフィールとぷかぷかの活動について書いて欲しいと研修担当者から要望があったので、こんなことを書きました。 映画『Secret of Pukapuka』について  人権の問題は抽象的な話ではなく、たとえば自分の家のすぐそばに障がいのある人たちのグループホームが建つことになったらどうするのか、という具体的な問題の中で出てきます。そういう問題を前に、自分はどうするのか、言い換えれば自分の生き方が問われるのです。他人事にしない、自分のこととして考える。だから人権研修は、人権に関する小難しい話を聞いておしまいにしていてはだめなのです。どこまでも自分の生き方として考えていく、引き受けていく、それが人権研修だと思います。  障害者グループホーム建設に反対する、というのは「障害者はここに住むな」ということです。これはやまゆり園事件の犯人が言った「障害者はいない方がいい」と同じ発想です。   障害者を地域から排除すれば、快適な地域が実現するのかどうかを考えてみて下さい。彼らを地域から排除するというのは、地域で受け入れる人間の幅がその分狭くなるということです。そうするとお互いとても窮屈になります。お互い息苦しくなります。地域社会から彼らを排除する、というのはそういうことです。誰にとっても暮らしやすい地域社会が失われるのです。  では、どうすればいいのか。ともに生きる社会を作ろうとか、共生社会を作ろう、という抽象的な話では人は動きません。一番簡単な方法は、障がいのある人たちといい出会いをすることです。「彼らといっしょにいると、心ぷかぷか」になることを体験するのです。  映画『Secret of Pukapuka』を通して、ぷかぷかさんに出会ってみて下さい。気がつくと、心ぷかぷかになっています。いっしょに生きていった方がいいよね、って自然に思えるようになります。人権について学ぶ、というのはそういうことです。                        高崎明のプロフィールとぷかぷかの活動  ●ぷかぷかを始める前、養護学校の教員をやっていました。その時に障がいのある子どもたちに惚れ込み(あれができないこれができない子どもたちでしたが、いっしょにいるとなぜか心あたたまることが多く、毎日がすごく楽しかったのです。いつしかずっと彼らのそばにいたいなと思うようになりました)、定年退職後、彼らといっしょに生きる場としてぷかぷかを始めました。                    ●福祉事業所とかではなく、どこまでも障がいのある人たちといっしょに生きていく場としてぷかぷかを始めました。ですから彼らとは「支援」という上から目線の関係ではなく、どこまでもフラットな関係でぷかぷかの毎日を作っています。         ●結果、どういうことに気がついたのか。彼らは「あれができないこれができない、効率が悪い、社会の重荷といった人たち」ではなく、「社会を耕し、豊かにする人たち」であるということです。  たくさんの人たちが彼らと出会い、ほっと一息ついたり、心あたたまる思いをしたり、自由であることの大切さに気がついたりしました。この社会の中で、あるいは生きる上で何が大事なのかを彼らとの出会いの中で気づいたのです。彼らはこんなふうにして社会を耕し、豊かにするという働きをしていたのです。    ●緑区役所、瀬谷区役所、青葉区役所、旭区役所でパン、お弁当の販売をしています。ただパンやお弁当を売るだけでなく、たくさんの人たちがそこで彼らと出会います。出会えるような雰囲気を大事にしています。ぷかぷかのメッセージでもある「ぷかぷかしんぶん」も配布しています。これはスタッフとぷかぷかさんがいっしょに作っています。心がほっこりあたたまるようなしんぶんです。        ●緑区役所、青葉区役所、瀬谷区役所、保土ケ谷区役所では人権研修会もやりました。人権の小難しい話をするのではなく、障がいのある人たちとの出会いの機会を作り、彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージを共有できるような研修です。 www.pukapuka.or.jp  ●創英大学、東洋英和女学院大学、桜美林大学、早稲田大学、立教大学ではぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやり、障がいのある人たちといっしょに生きていくことの意味を学生さん達にリアルに伝えてきました。            ●6年前から始めたぷかぷかさんと地域の人たちによる演劇ワークショップでは、半年かけて一緒に芝居を作り、舞台で発表しています。いっしょに生きていった方がいい、ということが一目で伝わる舞台です。4年前の津久井やまゆり事件では「障害者はいない方がいい」というメッセージをまき散らしましたが、「そればちがう」という体を張ったメッセージを演劇ワークショップの舞台は作り続けています。    ●ぷかぷかができて10年。障がいのある人たちの生きにくさという社会的な課題に向き合う中でたくさんのステキな物語が生まれました。それを『ぷかぷかな物語』という本にまとめました。ぜひ読んでみて下さい。なんだか気持ちがふわっと楽になります。 ぷかぷかな物語 アマゾンカスタマーレビュー       ★ぷかぷかの人権研修会をやってみたい方、お問い合わせ下さい。担当は高崎です。 www.pukapuka.or.jp
  • 美帆ちゃんへの手紙
     創英大学では昨年9月から「統合保育」の時間に、障がいのある人たちと一緒に生きる社会についての授業をやってきました。「Secret of Pukapuka」とEテレの共生社会に関する映像の上映とタカサキの話、ぷかぷかさんとすごろくワークショップ、演劇ワークショップ、やまゆり園事件をテーマにした上映会の参加、2日間にわたるぷかぷかでの体験実習、やまゆり園事件を巡っての話し合い、などを体験し、今週の木曜日、その振り返りの授業をします。  ただ感想を言い合うだけではつまらないので、詩のワークショップをやる予定です。それも漠然と詩を書くのではなく、やまゆり園事件で犠牲になった美帆ちゃんへの手紙というタイトルで詩を書いてもらおうかと思っています。  美帆ちゃんは19歳でした。学生さんとほぼ同年代です。学生さんと同じく、人生が一番生き生きとしていたその時に、「障害者はいない方がいい」「障がい者は不幸しか生まない」などという全く理不尽な理由で命を絶たれました。  こんなことがあっていいのだろうかと、今、あらためて思います。美帆ちゃんは「どうして私死ななければならないの?」って思いながら死んでいったと思います。美帆ちゃんのその思いに答えねば、と思うのです。  事件は、犯人だけを罰すればすむ話なのか。「障害者はいない方がいい」「障がい者は不幸しか生まない」と考えたのは犯人だけだったのか。「障がい者はなんとなくいや」という思いは私たちの中になかっただろうか。  多かれ少なかれ、そういった思いは、やっぱり私たちの中にあると思います。そこをどう超えていくのか、ということです。それが事件を超える社会を作っていくことにつながります。  学生さん達は9月からの授業でぷかぷかさん達ととてもいい出会いをしました。授業の感想にこんな言葉がありました。  「私はぷかぷかさんと関わり、とても幸せな気持ちになった」  それぞれがいろんな感想を持ったと思います。その感想を土台に、これからどんな風に生きていこうとしているのか。それを美帆ちゃんに伝えて欲しいと思うのです。 詩のワークショップはこんな風に進みます。 ・自分の思いを5,6行の短い詩で書いてみます。 ・グループの中でそれぞれの詩を発表します。人がどんな風に考えているのかを知ります。 ・詩を一行ずつハサミで切り離し、言葉をグループの中でシャッフルします。 ・シャッフルした言葉たちを並べ替えていきます。グループとしての詩を作っていくのです。はじめの方に来る言葉、あとの方に来る言葉、中程に来る言葉をみんなで話し合って決めていきます。 ・話し合う中でたくさんの新しい気づきがあります。 「あっ、人はこんな風に考えてたんだ」 「ここは同じ思いだよね」  思いの共有があります。       ・できあがったグループとしての詩を、ほかのグループの人たちに向かって声を出して朗読します。言葉=思いに丁寧にふれながら、それを相手に届けます。 ・エリックサティの曲をBGMで流します。朗読と音楽が重なって、奥行きのある別世界が出現します。 ・グループとグループの間で、思いを伝える詩がムクムクと生き物のように立ち上がります。  時間にすれば、わずか1時間半。学生さんにとっては、障がいのある人たちといっしょに生きていくことを巡って、ものすごく密度の濃い時間を体験することになると思います。思いもよらない気づきがいっぱいあると思います。それをこれからの生き方に生かして欲しいと思うのです。
  • 必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題をひとつひとつ具体的に解決していく覚悟
    1月5日の朝日新聞「折々のことば」はすごくよかったです。  「必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題をひとつひとつ具体的に解決していく覚悟だろう。」  ぷかぷかは福祉事業所なので、障がいのある人たちの支援をする、といったことはもちろんあるのですが、彼らといっしょに生きていく中で「障がいのある人たちの社会的な生きにくさ」という課題が解決できないだろうかと考えていました。  障がいのある人たちは、社会に合わせないとやっていけない、ということをいつも言われます。これは「自分を押し殺さないと生きていけない」といわれているようなもので、そのために当事者はもちろん、その家族、関係者はみんな大変な苦労をしています。障がいのある人たちの社会的な生きにくさの代表のようなものです。  障がいのある人たちは社会に合わせないとほんとにやっていけないのか。ぷかぷかは、実際に運営していく中で、その問いに向き合いました。  いろいろやっていくうちに、別に社会に合わせなくても、そのままでやっていけるじゃん!と気がついたのです。「やっていける」というのは、お店としてやっていける、ちゃんと収益が上げられる、ということです。  お客さんを相手にするお店で、社会に合わせなくても、ちゃんとやっていける、という事実を作ったことはとても大きかったと思います。区役所の外販でも、ぷかぷかが一番お客さんを集めています。   ありのままの彼らが一番ステキ、ということにお客さんが気がついたのです。そのままの彼らの魅力に気がついた人たちがぷかぷかのファンになり、その人達がぷかぷかの売り上げを支えています。  無理して社会に合わせなくてもやっていける、という気づきは、ぷかぷかさん達の生きることを、ものすごく楽にしました。自分を押し殺すことなく、そのままの自分で働けるのですから。こんなに幸せなことはありません。  生産性が重視される社会にあって、そういったことが苦手な障がいのある人たちの立場はとても弱いです。あれができないこれができない、効率が悪い、生産性が低い、等マイナス評価ばかりで、障がいのある人たちの社会的生きにくさが一番よく現れるところです。  できるできないではなく、彼らがいること、そのことに価値がある、というそういう見方を確立しないと生産性の論理には太刀打ちできません。何よりも彼らの社会的生きにくさが解消できません。  ぷかぷかを10年やってきて、「ぷかぷかさんが好き!」というファンがたくさんできました。何かができるからではなく、ぷかぷかさんたちが醸し出す雰囲気、空気感が好き!なのです。彼らがいること、そのことに価値を見いだしているのです。  いつも居眠りをする人がいて、その人の寝顔の写真を撮ってFacebookにアップすると、「今日も癒やされました」という書き込みがたくさんあります。その人が居眠りしていること、そのことに価値を見いだしているのです。  ぷかぷかは、生産性に変わる新しい価値を作ってきたと思っています。  ぷかぷかは社会的な課題と向き合う中で、たくさんの物語を生み出しました。それが『ぷかぷかな物語』です。ぜひ読んでみて下さい。なんだか気持ちがふわっと楽になります。 shop.pukapuka.or.jp
  • 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージは、時に人の命を救うほど...
    RKB毎日放送のアーカイブで一時公開されたドキュメンタリー「うちの子 自閉症という障害を持って」は自閉症の人たちを追いかけた素晴らしい映像です。公開は1月5日までです。ぜひ見て下さい。 www.youtube.com  自閉症の子どもを抱えた家族の大変さがとてもよく伝わってきます。私自身養護学校の教員をやっている時、日々彼らの想定を超える振る舞いに振り回され、毎日クタクタになっていただけに、家族の大変さがリアルにわかります。その大変さの中で、命を絶った親子もいたようで、いたたまれない気持ちになりました。  社会が持っている障がいのある子どもへのマイナスイメージに殺されてしまったのだと思います。そういう意味で、私たちにも責任があって、家に残された、もう乗る人もいないブランコの映像にはとても辛いものがありました。  子どもをかわいいと思う気持ちと、育てていくのが辛いと思う気持ちがせめぎ合って、どこかで、何かの拍子に辛いという気持ちが勝ってしまったのだと思います。  大変だけれど、それでもいっしょに生きていった方がいいよ、その方が人生絶対トク!っていうメッセージを届けたかったです。  いっしょに暮らしていれば、大変な中にも、楽しいことはあったはず。愛おしいと思う場面がいっぱいあったはず。そこをしっかり支えきれなかったことがとても残念です。  私は映像の中のカネヤンの大変な行動ぶりを見ながらも、その行動のひとつひとつがとても愛おしいと思いました。養護学校の教員をやっている時、カネヤンのような子どもはいっぱいいました。私は何の経験もなく現場に入ったので、毎日毎日めちゃくちゃに振り回されていました。それでもどこかで一緒に笑ってしまうところがあったり、大変な中でも、もう笑うしかない場面があったり、そんなちょっとした出会いを日々重ねるうちに、なんだか彼らのこと好きになってしまったのです。どうしてかっていわれても、惚れてしまった理由なんか言葉で説明できません。好きになってしまって、ずっといっしょにいたいなって思いました。そんな思いが今の「ぷかぷか」を作りました。  彼らの行動のひとつひとつが、愛おしいと思うようになりました。カネヤンの映像を見ていても、家族は大変だろうと思いつつ、私は抱きしめたいくらい愛おしく思いました。人をそう思わせる魅力をカネヤンは発散しているのだと思います。その魅力をたくさんの人に受け止めて欲しい。そうやって社会が豊かになって欲しい。命を自らが絶つようなことがなくなって欲しい。  この映像の魅力は、いろいろ大変なことをするカネヤンの魅力にこそあるように思います。  障がいのある人たちをどう受け止めるかという問題は、人によっては「命を絶つ」ということにストレートにつながる問題なんだとあらためて思いました。だからこそ、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージは、時に人の命を救うほど大事なメッセージになるのだと思いました。  今なお大変な渦中にいる人はいっぱいいるはずです。その人達に、気持ちが前向きになるようなメッセージをこれからもたくさん届けたいです。「いっしょに生きていくと、こんな楽しいことがあるよ」って。
  • 「ったく、もう、しょーがねーなぁ」とかブツブツ言いながら
    あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いします。 年末の大掃除の日、 「今年最後の写真ですから」 とヒカリさんに頼まれ、 「寒いからいやだな」 と思いながらも、 「ま、最後だし」 と結局は引き受けたのでした。 「寒いから一回で決めてよ」 と念は押したものの、撮った写真をチェックし、「カメラが傾いています」だの、「もう半歩前で」だの、「もう少し左で」だの、いつものようにダメ出しの連発。       ダメ出しのリクエストに応えてカメラをかまえるものの、いつものように靴下を直し、セーターの裾を直し、髪を直し、の一連の準備を繰り返します。  寒い中、それをじっと待っているのはなかなか辛いものです。  「髪なんか直さなくても、美人なんだから、そのままでいいよ」  「毛玉をとっているので、少し待って下さい」   毛玉をとってる?寒い中、人を待たせてそんなことするの?なんて話は通用しません。しかもその毛玉取りを、撮り直しのたびにするのです。  もうイライラしながら  「さっきやったんだからもういいじゃん」  なんて言っても黙々と毛玉取りが続きます。  ヒカリさんらしいな、と妙なところで感心してしまいます。  感心したところで、寒さが和らぐわけでもなく、ひらすら「う〜」と耐えるしかありません。  どうして寒さに耐えてまでここまでやるのかと自分でも思うのです。  「支援」とか「福祉サービス」とか「ともに生きる社会」とか「共生社会」とかでは語りきれない関係がここにはあります。  「ったく、もう、しょーがねーなぁ」とかブツブツ言いながら…でも結局はつきあってしまう、どうしようもなく人間くさい、あたたかな関係です。  ヒカリさんに限らず、「ったく、もう、しょーがねーなぁ」とか思いながらつきあってしまう関係がぷかぷかにはいっぱいあります。  「支援」ではない、人と人とのおつきあいです。だからぷかぷかにはあたたかな雰囲気が満ちているのだと思います。  何度も書いていますが、津久井やまゆり園事件は、優生思想云々の大きな話以前に、この人と人のおつきあいがなかったところで起こったものだと思います。その当たり前のおつきあいがどうして支援の現場でなかったのかと思います。相手と人としておつきあいする、というのは、何を差し置いても一番の基本だと思うのですが、支援の現場では必要なかったのでしょうか?障がいのある人たちを前に、人のあたたかさみたいなものは全く感じなかったのでしょうか。  寒さに震え「もう、いいかげんにしてよ」とか思いながらも、でもおつきあいしてしまうような、そんなおつきあいを今年も広げていきたいと思っています。
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