ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。
    2年ほど前、福岡で小さな講演会をやった時、特別支援学校で教員をやっている方が 「あの空気感に少しでも近づけるといいな、と特別支援学校にてますます思うこの頃です」 とブログに書いていました。  「あの空気感」というのはぷかぷかさんたちが生み出す、ほっこりあたたかな空気感です。 www.pukapuka.or.jp  特別支援学校にはすてきなぷかぷかさんたちがいっぱいいるのに、あの空気感が生まれないのは、なんかすごくもったいない気がします。  学校というところは生徒たちを「指導」します。「指導」という関係しか頭に思い浮かばない、といった方がいいかもしれません。そういう上から目線の関係ではなく、そこから自由になって、フラットにつきあえば、もっといろんなおもしろいことができるのに、と思うのです。  教員になって最初に受け持ったのは重度障がいの子どもたちでした。毎日がすごい大変でしたが、大変な中にあっても、彼らのそばにいるとふっと心和む時があって、いつしか彼らのそばにずっといたいなと思うようになりました。  人間にとって大切なものは何か、ということを重度障がいの彼らに教わった気がしました。そんなことに気づいて以来、自分の方がえらいとは思えなくなったのです。だから彼らを「指導」するなんて、そんなえらそうなことはできなくなったのです。  もちろんいろいろ教えることはありました。着替えの仕方を教えたり、うんこの拭き方を教えたり…。でもそれは目の前にいる人が知らないから、あるいはできないから教えてるだけで、これは人として当たり前のことです。街で困っている人に会った時、ちょっとお手伝いするのと同じです。こんなことは「指導」とはいいません。  自分の方がえらいと思わなければ、相手との関係はフラットなものになり、お互い居心地がよくなります。周りの子どもたちとふつうにつきあう。ただそれだけです。「あの空気感」は、この居心地の良さから生まれます。何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。  たとえばこんなこともできちゃうのです。  昔私が教員をやっていた頃の「芝居小屋」です。サングラスかけた怪しい男が私です。この雰囲気は「指導」という関係からは絶対に生まれません。   こんな自由な雰囲気から生まれた元気物語を集めたのが『とがった心が丸くなる』です。次回はその「芝居小屋」の話を書きます。 www.amazon.co.jp
  • 世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。
    30年前、養護学校の生徒たちと一緒に演劇ワークショップをやろうと思ったのは、1980年代初め、フリピンの人たちが持ち込んだ演劇ワークショップを経験したことがきっかけでした。みんなが自由になれるワークショップの場の雰囲気がすごくいいと思いました。養護学校の生徒たちと一緒に、そういう場に立てば、お互いがもっと自由になり、学校よりもはるかにすごいものが生まれるのではないか、と思ったのです。  そして実際にそれが起こりました。    自由になった場で、彼らは自分たちの思いを思いっきり表現しました。目次の第二章にその時のことを書き起こしています。(『街角のパフォーマンス』という本です。すでに絶版になっていますが、ぷかぷかにオンデマンド版があります。『とがった心が丸くなる』というタイトルで電子本になってアマゾンで販売しています。)                   「 ようよう、この女のヤロウをどこかに、と、とじこめちゃおうぜ」  ドキッとするような台詞が、リハーサルの最中に突然飛び出したことがありました。普段はおとなしいカタヒラ君が、女性二人の前に立ち塞がり、口から泡を飛ばすような勢いで、そんな台詞をしゃべり出したのです。打ち合わせではもちろんそんな台詞はありません。リハーサルの途中で、カタヒラ君の中で突然何かがはじけた感じでした。ふだん抑えつけている気持ちが、ワークショップという、いつもより自由になれる場で、ワァーッと吹き出したのだと思います。  ワークショップの中でどんな芝居を作りたいか聞いた時、出てきたのは「たばこを吸うところ」「ゲームセンターであそぶところ」「彼女とデートするところ」「北斗の拳」など、ふだんできないことでした。それを芝居の中でやってみたい、と。いろいろ話をし、学園ものの芝居の中で、それらをやることになりました。  で、「たばこを吸うところ」というのが下の写真。ゲームセンターであそび、たばこに火をつける時、「おい、火」と手下にいうと、手下は「はい」といっていきなりライターの火になって「シュッ」と燃え上がったのでした。これも打ち合わせでは全くなかったことで、いきなり手下がやったのでした。人が自由になる、というのはこういうことではないかとしみじみ思いました。               「彼女とデートをするところ」がやりたいといったシマ君、夢にまで見た公園でのデートシーン。手をつないで歩けばいいところを、恥ずかしくて手もつながず、ベンチの周りを縦に並んで二人で歩きます。緊張した面持ちで何度も何度も回ります。ようやく立ち止まってそばの柱にもたれかかります。恋人に背を向けたまま、照れくさくて柱をぎゅっとつかんでいます。そんなシマ君に恋人が話しかけます。 「あの…けんちゃんのこと…すきになっちゃったみたいなんだ…」  シマ君は、そんな言葉をずっと待っていたはずなのに、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしていいかわからなくて、長い腕を「ズズッ」と伸ばしただけでした。でもシマ君の気持ちはもうそれだけで十分伝わり、お客さんは大笑い、拍手、拍手でした。  学校生活の思い出を語る場面。 「いいダチができていろいろおもしろかったけど、センセーがサイテーだった」 という台詞に「ワァーッ」と喝采した彼ら。もうはじけんばかりのうれしそうな顔。そういう思いが持って行き場のないままずうっとたまっていたのではないかと思います。そういったものがいろんな形で爆発した芝居でした。   原文が彼らの表現について本質的なことを語っているので、少し長いですが引用します。 ●●●  「精薄」だの「知恵遅れ」(★当時の表現です)だのいわれ続けてきた彼らである。彼らの中に渦巻くいろんな思いも、そういわれ続ける中で、ほとんどといっていいほど無視、あるいは黙殺されてきた。この子たちが、あるいはこいつらがそんなこと思うはずがない、いや、思ったにしても、そんな思いより彼らに作業能力を、生活能力をつける方が大事だといわれ続け、結果的には彼らの思いなどといったものは二の次であった。  そういうものが大事だとしても、思いは思いとしてあるのが人間だろう。いや、それがあるから人間なのだといった方がいい。だからそれを無視されることは、彼らの人間性が無視されることでもあった。そのことがどれだけ大変なことであるか、無視する側は大抵気がつかない。  それがついに爆発した。その爆発のエネルギーこそが、見る者の胸ぐらにぐいぐい迫ってくるような、あの勢いある芝居を創り出したのではなかったか。それは無視され続けながらも、なおも人間であろうとする彼らの熱い思いであっただろうし、それ故に、その思いを表現する彼らは、舞台の上でまぶしいほどに輝いた。  芝居の最後に彼らが「涙のリクエスト」をのりにのって歌いまくった時、、その輝きの故に、多くの人が涙した。あの芝居でやったことは、それこそ彼らの「涙のリクエスト」だった。そのリクエストに私たちはどこまできちんと応えていけるだろう。            黒色テントの成沢富雄さんはこんな風に語る。 「表現」というのは、そのまま、今まで生きてきた自分の生活史や社会関係、世界に対して反撃するものだとぼくは思っている。「表現する」という行為は、今まで生きてきたことをいっさいチャラにできる瞬間を持っている。  彼らの芝居はそういうものではなかったかと思う。彼らの輝きにふれ、深い感動を覚えたあの瞬間こそ、養護学校の彼らが、彼ら自身の「表現」によって、今まで生きてきた世界との関係性の一切をチャラにした瞬間ではなかったか。  彼らの「表現」を前にした時、私たちの中にある「精薄」だの「知恵遅れ」だのといった言葉や、それらが規定していくお互いの関係性といったものは、ほとんど意味を失う。そしてそういった言葉が確固たる地位を持ち、その上に成り立っている今の社会・文化といったものまでが、その基盤のところで揺らいでしまうだろう。だから、彼らの「表現」は、あのワークショップの発表会の場を突き抜けて、外の世界をひっくり返してしまうようなラディカル〔根源的〕なものを本質的には含んでいたように思う。  世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。  「できる」「できない」で人間を決めつけていく今の序列社会にあって、彼らを底辺に追いやる一方で、かろうじてその位置を免れたと思っている私たち自身、決して楽しい、自由な人生を送っているわけではない。むしろお互いにきゅうきゅうとした、もう息苦しくてしょうがないような生き方をしてしまっているのが現状だ。  そういう中にあって、彼らのあの「表現」に出会う時、今までの関係を彼らの側からチャラにされただけでなく、そのことでむしろ私たちの側が救われたのではなかったか。なぜなら、彼らの「表現」こそ、「できる」「できない」で人間を決めつけていく原理を遙かに超えるものであったからー。 ●●●  自分で書いた文章ながら、彼らの表現と社会状況の結びつきをきっちり書いている気がします。あれから30年、学校も社会も彼らの思いを今、どれだけ受け止めているのでしょう。学校も社会も当時よりも更に息苦しくなっています。私たちだけではどうしようもない状況です。やっぱり彼らの助けを借りないと、この状況は変えられない気がします。「共生社会を作ろう」「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉がはやっていますが、社会は何も変わりません。言葉を言うだけ終わるのではなく、実際に彼らとその中身を具体的に創っていく。そこにしか希望はない気がします。『とがった心が丸くなる』には、その希望を創り出すヒントがたくさんあります。ぜひ読んでみてください。お互い、もっと生きやすい社会にするために。   グループ現代が1986年の演劇ワークショップの記録映画を作りました。ビデオの保管が悪くカビが生えてしまったのですが、富士フイルムに依頼してDVDの形で復活してもらいました。カビの影響で最初だけ映像が乱れていますが、あとは見られます。二巻目の22分頃から高校生グループのリハーサルシーンが始まります。最後「涙のリクエスト」を歌う最後の場面は何度見ても涙が出てきます。舞台に出ているチバ君も何度か目をこすりながら歌っています。 www.pukapuka.or.jp 『とがった心が丸くなる』の購入はこちらから www.amazon.co.jp
  • 「共生」とは、言うものではなく、やるもの
     なにかにつけ「共生社会」という言葉が出てきますが、その具体的な中身になるとさっぱり見えません。それを口にすれば、何かいいことやってるイメージというか、ただ言葉をもてあそんでいるだけ。相模原市がオリンピック聖火をやまゆり園事件の現場で採取するなどといったとんでもない企画を出してきたのも、多分そのあたり。  今朝の神奈川新聞成田さんのFB 【やまゆり園事件と五輪聖火52】共生とは、啓発するものでも願うものでもない。共生の方に向かってなされる日々の実践の中から立ち現れるものだと思う。打ち上げ花火のような一過性のパフォーマンスからは共生は生まれない。絶えることのない実践の中からしか生まれない。  「共生」とは、言うものではなく、やるもの。ぷかぷかがやっているのは、まさにそれ。私が昔やっていた「あそぼう会」は30年も前にその実践をやっていました。  『とがった心が丸くなる』にはその実践記録である元気物語が満載。          今ぷかぷかでやっている演劇ワークショップは、この本を書いた1985年に始めました。あれができないこれができない、とマイナス評価ばかりの養護学校の生徒たちでしたが、彼らと一緒にやれば、なんかとんでもなくおもしろいものが生まれるのではないか、という予感があったのです。  予感は見事に当たりました。芝居を作る手がかりとして大きなぬいぐるみを模造紙と新聞紙で作ったことがあります。その時養護学校の生徒の一人が 「俺、海のぬいぐるみ、作るから」 といいました。  え? 海のぬいぐるみ? 海の、どこを、どう切り取って海を作るの?と思いました。        こういうとんでもないことをさらっと思いつく彼らと一緒にやるから、楽しさが10倍くらいになり、でき上がる芝居の幅がぐんと広がります。楽しさと幅の広がりは、そのまま彼らといっしょに生きる意味を語っています。  そんな中で彼らに向かって 「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」 としみじみ思うようになりました。  「共生社会を作ろう」とか言葉遊びをするのではなく、 「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」 とリアルに思える関係を30年も前に作ったのです。  下に貼り付けた当時の写真からはワークショップの場が作り出すエネルギーがビリビリ伝わって来ます。彼らと一緒に芝居を作ることで生まれた小さな「共生社会」が作り出すダイナミックなエネルギーです。  「共生社会」が何を作り出すのか、それをわかりやすく語る写真だと思います。  『とがった心が丸くなる』はアマゾンで販売中 www.amazon.co.jp  読まれた方は、ぜひカスタマーレビュー書いてください。
  • こういった日々を作っていく先に、お互い生きやすい社会が実現するように思う。
    一ヶ月ほど前、聖火リレーの火をやまゆり園の事件現場で採取することが報道され、すぐに相模原市のホームページから質問状を送りました。 ●●●  聖火リレーの火を津久井やまゆり園で採取するそうですね。「共生社会の実現を目指すパラリンピックの理念に沿ってあらゆる差別をなくしていくという強い決意を世界に向けて発信したい考えです。」とNHKの報道がありました。「あらゆる差別をなくしていくという強い決意を世界に向けて発信」するそうですが、今まで差別をなくしていくためにどんなことをされましたか?これからどんなことをされますか?やまゆり園事件を超える社会を作るためにどんなことをされましたか?これからどんなことをされますか?具体的に教えて下さい。 ●●●  で、一週間ほど前、相模原市から回答が来ました。 ●●●  本市では、平成14年3月に、本市が実施すべき人権施策についての基本理念を明らかにし、主要な人権分野における具体的施策の方向性を示した「相模原市人権施策推進指針」を策定し、人権施策の総合的・体系的な推進に取り組んでまいりました。  平成31年1月には、新たな人権課題などへの対応等のため、同指針を改定し、あらゆる施策への人権尊重の理念の反映、人権教育・人権啓発の推進、人権擁護に向けた相談・支援体制の充実を基本姿勢として示すとともに、それを踏まえ主要な人権分野における具体的施策の方向性を定め、人権施策の推進に取り組んでいます。  また、障害の有無に関わらず、誰もが安全で安心して暮らすことのできる共生社会の実現に向けて、「共にささえあい、生きる社会」をキャッチフレーズに掲げ、様々な周知啓発活動を行うほか、パラスポーツの体験イベントや障害者週間のつどいの開催等に取り組んでいるところです。  今後も、津久井やまゆり園事件のような悲惨な事件が二度と起こらないよう、事件を風化させることなく、障害等の理解促進などの取組を推進してまいります。 ●●●  もっともらしいことを書いていますが、それでいて、あの悲惨極まりない事件現場からお祭り騒ぎのための聖火の火を採取するというのです。何という感覚かと思います。  事件で犠牲になった人たちの悲しみ、痛みといったものが、全くわからないのだと思います。だからこんなとんでもない企画が出てくる。  毎日新聞の報道に寄れば、この相模原市の企画を神奈川県、オリンピック組織委員会、津久井やまゆり園がそろって「了承」しているというのですから、あきれました。 mainichi.jp  これが彼らのいう「共生社会」です。人の痛み、悲しみはすべて他人事。自分が人であることを忘れています。空っぽの「共生社会」。  なんか相手をするのも時間の無駄、というか、ひたすらむなしい感じがします。  そういうことに時間を割くより〔もちろん抗議することは必要です〕、ぷかぷかさんと一緒に今日も明日もいい一日を作り続けることに力を入れる方が、ずっといい。こういった日々を作っていく先に、お互い生きやすい社会が実現するように思うから。  
  • 気がついたら、けんいち君がバットを持ってかまえていた。
     30年前に書いた『街角のパフォーマンス』という本がタイトルを変えて電子本になりました。新しいタイトルは『とがった心が丸くなる』です。サブタイトルは「障がいのある子どもたちとの出会いから生まれた元気物語」                            一般的には、何するにしても手助けが必要で、社会の負担と思われがちな障がいのある子どもたちですが、そんな子どもたちとの出会いが、どうして元気物語を生み出すことになったのか。そのヒミツを何回かに渡って書きたいと思います。  始まりは養護学校で働き始め、そこで障がいのある子どもたちと出会ってしまったことです。いろいろ手がかかったり、日々大変なことをやってしまう子どもたちでしたが、それでも彼と過ごす毎日がすごく楽しくて、こんな素敵な人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日に公園に連れ出して、一緒に遊ぼうよ、って呼びかけていました。なんとかして彼らの魅力を伝えたいと思ったのです。基本的には近くの公園でしたが、時々武蔵野にある広い原っぱに出かけました。  子どもたちが野球をやっていて、そこへ養護学校から連れて行った重度障がいの子どもが入っていきました。私がそんな風に仕向けたのではなく、勝手に入っていった、という感じです。6年生のみさえがその時のことを書いています。 ●●●  私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。  けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。  でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。  それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。  お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。  でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。  「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。   だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。  けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。  一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。 ●●●  気がついたら、 「けんいち君がバットを持ってかまえていた」 というところから、いきなり新しい物語が始まります。大人が間に入っていたら、いろいろ配慮したりして、多分つまらない展開になっていたと思います。  初対面にもかかわらず、子どもたちの柔軟な対応が素晴らしいですね。障がいがあって、なんだかよくわからないから排除してしまうのではなく、わからないながらもいろいろ工夫して、一緒に野球を楽しんでしまうところがすごいと思います。  これが、子どもたちと重度障がいのけんいち君との出会いが生み出した元気物語です。  後日1年生のくんくんからお手紙が来ました。                     『とがった心が丸くなる』電子本はアマゾンで発売中です。 www.amazon.co.jp  すでにお読みの方は、このサイトの下の方にある「カスタマーレビュー」にぜひ感想を書いてください。
  • 『街角のパフォーマンス』が電子本に
    『街角のパフォーマンス』が『とがった心が丸くなる』にタイトルを変えて電子本になりました。            www.amazon.co.jp  30年前に書いた本です。でも、中身は古くありません。古いどころか、30年前でありながら、そこで作り出したものは、時代のはるか先へ行っていた気がします。  「共生社会を作ろう」とか「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉も、今ほど社会に広がっていない時代でした。障がいのある人たちに惚れ込み、一緒におもしろいことやろう!と、ただそれだけの思いでいろいろやっていたのですが、気がつくと、いっしょに生きる社会が小さいけれど自分のまわりにできていました。未来を先取りしていた、といってもいいかもしれません。  支援とか指導ではなく、ただ一緒におもしろいことをやる。そんなフラットな関係で障がいのある人たちとつきあってきました。彼らとのそんなおつきあいのおかげで、今までにない新しいものが生み出せたように思います。新しい文化、といっていいほどのものです。障がいのある人たちがいることで生まれる文化です。障がいのある人たちを排除しない文化です。障がいのある人もない人もお互い気持ちよく暮らせる文化です。社会が豊かになる文化です。この本は障がいのある人たちと一緒に作り出した元気物語です。  30年前に比べ、福祉の制度は格段に進化しました。その一方で、2016年7月津久井やまゆり園で19名もの重度障害の人たちが殺されるという悲惨な事件がありました。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」という勝手極まりない理由で何の罪もない人たちが19名も殺されたのです。  ところが、あれだけの事件でありながら、事件から4年たった今、社会は何も変わりませんでした。福祉施設での障がいのある人たちへの虐待は相変わらずです。障害のある人たちのグループホームを建てようとすると、多くの地域で反対運動が起こります。「自分の住む地域に障害者はいない方がいい」と多くの人が思っています。「障害者はいない方がいい」は犯人だけでなく、社会の意思でもあったのだろうと思います。  障がいのある人たちを排除する社会は、許容できる人間の幅が狭くなります。みんなの心がとがってきます。お互いがどんどん窮屈になり、息苦しさが増すばかりです。  そんな社会は、どうやったら変えられるのでしょう。それは私たちが障がいのある人たちといっしょに楽しく生きていくことだと思います。彼らとおつきあいすると、私たちのとがった心が丸くなります。社会が、ゆるっと緩やかになります。この本にはそのためのヒントがいっぱいあります。それを一つでもいい、自分の地域でやってみて下さい。まわりの社会が少しずつ変わってきます。 ★文中「知恵おくれの子どもたち」とか「精薄」といった言葉が使われています。今は「知的障害」といわれていますが、当時の彼らに対する社会の視線が感じられるので、あえてそのままにしてあります。 ★電子本はなんと900円。安いです。900円で元気物語を読んで、元気になれたら、これはすごくトク!です。
  • 彼らといっしょに生きていくと、みんなが生きやすくなる。
     4月17日(土)午後2時から第6期演劇ワークショップをめぐって「ぷかぷか作り隊」のトークセッション〔Facebookで)があります。『第6期演劇ワークショップ記録映画』のYouTube上映は4月14日〜17日。映画の鑑賞についてはnoteの記事の最後の方に書いてあります。 note.com  演劇ワークショップについては、こちらの記事がその意義について語っています。まさに記事のタイトルがそれです。 www.pukapuka.or.jp  彼らといっしょに生きていくと、障がいのある人たちが加わる分、社会の幅が広がり、みんなが生きやすくなるのです。社会が豊かになるのです。  演劇ワークショップ記録映画は、その豊かさを具体的に見せてくれます。ぜひ見て下さい。
  • 「私たち、ここが違って、ここが同じだね」なんて話がしたくなる集まりをします。
    友達大作戦進行中です。 www.pukapuka.or.jp  かずやさんのことを伝える「かずやしんぶん」は、第1号が大体でき上がりましたが、ページ数が多すぎて、読む人にとってちょっと負担かなと思いました。せめて「ぷかぷかしんぶん」なみに6ページくらいに収めてくれるように要請しました。小さなしんぶんですから、さらっと読めるぐらいがいいです。              もっと詳しいことを伝えるために、「かずやさんとその仲間たち」という名前のサイトを立ち上げた方がいい、という提案もしました。今日、こんなおもしろいことがあった、こんなおいしいものを食べた、といった日々の出来事、お茶会やりますとか、みんなで街の掃除します、といったイベントのお知らせも発信しましょう。一矢さんの自立生活のリアルが伝わるサイトです。  一矢さんの似顔絵をラベルに使った「かずやクッキー」を作ろうという話もあります。「いつも大声出してごめんなさい」のひと言も入れておきましょう。苦情をよこしている二階の人に、手作りのコーヒーカップと一緒に持っていけば、多分印象がずいぶん変わります。  というわけで、昨日はそのコーヒーカップを作りました。       まずは粘土を伸ばします。               コーヒーカップの側面に当たる部分を切り抜きます。              それをジュースの缶に巻き付け、コーヒーカップの形を作ります。               ジュースの缶とそれに巻き付けた新聞紙を取ります。              ソーサーを作るための粘土を伸ばします。           完成!       7月31日(土) 桜木町駅前の横浜市健康福祉総合センターホールで上映会とやまゆり園事件に関するトークセッションをおこないます。上映する映画は『いろとりどりの親子』と『Secret of Pukapuka』です。  『いろとりどりの親子』の映画の情報はこちら longride.jp  映画のレビューにこんなのがありました。 ●「違うこと」を受け入れることで、輝きに溢れる「幸せ」を前に、「普通」という言葉があきれるほどに意味を失いモノトーンであるリアルをこの映画が教えてくれる。 ●たとえば人よりも目立ちやすい側面があったとしても、人と自分は全く違うわけではないし、全く同じわけでもありません。すごく当たり前のことです。   なのに社会の中にいると簡単に「違う」とか「同じ」とかくくってしまいそうになることが多くあります。 それに待った!をかけて、「私たち、ここが違って、ここが同じだね」なんて話がしたくなる作品でした。  『Secret of Pukapuka』は、社会から排除されることの多い障がいのある人たちが、ぷかぷかにあっては、なんと「ぷかぷかさんが好き!というファンがたくさんいます。なぜなのか、そのヒミツに迫る映画です。 www.youtube.com  ぷかぷかができて1年くらいたった頃、「ぷかぷかしんぶん」を広い団地の中で配っていて、迷子になった方がいました。地域の方から電話がありました。 「ぷかぷかさんが迷子になってますよ。私が見ててあげるから迎えに来て下さい」  地域の人たちはこんな風に見ててくれてたんだ、ってうれしくなりました。「ともに生きる社会を作ろう」とか言ったわけではなく、ただ日々の活動をコツコツ続けていく中で、こんな風に見てくれる関係が自然にできていたのです。  一矢さんも、こんな風に見てくれる関係が、地域に自然に広がっていくといいな、と思っています。それが「友達大作戦」の思いです。  いろんな人がいること、それが地域社会の豊かさです。一矢さんの話を手がかりに、そんなことを考える集まりにしたいと思っています。  上映会、トークセッションの詳しいことが決まりましたら、またお知らせします。とりあえず7月31日〔土〕あけておいて下さい。冒頭、多分ツジさんが勝手に歌を歌います。お楽しみに。
  • 「あ、やった!伝わった!受け取ってもらえた!」と嬉しくなりました。
    北海道から来たウエムラさんの日記です。ぷかぷかさんとのおつきあいが、とても丁寧です。 ●●● 【ドライカレーをどうやって食べる?】  4月7日、でんぱた見学日。この日のお弁当メニューの主食はドライカレーでした。  昼食時、私はモリさんの隣に座ってお弁当を食べることになりました。「特に介助とか必要ないと思うんで」と、スタッフさんから言われていたのですが、隣でお弁当を食べながら、モリさんがご飯ばかり食べ続けているのが気になり始めてしまいました(お弁当箱の中には、ご飯とカレールーが別々に盛り付けられていました)。まずはご飯から食べきってしまうのがモリさんのいつものルールなのか、単純にご飯が好きだから最初に食べているのか、もしくはおかず(おかずというか、この日の場合はカレールー)を残しておきたいからご飯を先に食べているのか、ご飯とルーとが別盛りの状態になっているカレーを食べたことがないから食べ方がわからないのか、本当の正解がどれなのかはわかりませんでしたが、ごにょごにょ頭の中で考えた結果、「いや、やっぱり、私がモリさんの立場だったとしても、しょっぱいルーだけあとから食べるより、ご飯と一緒に食べたほうが美味しいんじゃないか」と思い、私は「モリさん。ご飯とルー、一緒に食べたほうが美味しいかもしれないですよ」と、言葉で指差ししながら伝えてみました。しかし、言葉で伝えただけでは上手く伝わらなかったようで、モリさんはお箸でご飯だけを食べ続けています。うーん…。今度は、モリさんの肩をトントンして注意を引いてから、私のスプーンを見せて、ご飯をすくって、ルーをすくって、自分の口に運んで食べる、という流れをゆっくりやってみました。すると、モリさんはお箸を置いて、スプーンを手に取って、私と同じように、ご飯をすくって、ルーをすくって、という順で食べ始めました。  実際のところ、モリさんはご飯とルーを別々に食べたかったのかもしれないですし、私がご飯とルーを一緒に食べるように勧めたのが正しいことだったのかはわかりません。余計なことだったのかもしれません。でも、モリさんがご飯とルーを一緒に食べ始めたとき、なんとなく私は、ただ単純に「あ、やった!伝わった!受け取ってもらえた!」と嬉しくなりました(モリさんがどう思っていたのかわからないので自己満足に過ぎませんが...)。  慣れているスタッフさんにとっては何も珍しくないことなのだと思いますが、言葉だけでやりとりするのが少し難しい人とかかわる機会があまりなかった私にとっては、自分があたりまえだと思っていたやり方では上手くいかないという戸惑いや、どうしたらいいのか頭を巡らして失敗する経験、そして、伝えようとしたことを受け取ってもらえたときの嬉しい感覚など、その一つひとつが新鮮な出会いでした。 ●●●  やまゆり園事件の裁判で、食事を流し込むようにして食べさせているやまゆり園の実態が明らかになりました。  ウエムラさんの対応と何という違いかと思いました。相手と人としてつきあうのかどうか、ということだと思います。
  • 関係性に出会っている
    『ぷかぷかな物語』読んで、北海道からやってきたウエムラさんの日記です。  ぷかぷかではメンバーさんとスタッフの関係は、「支援」する、される、という関係ではありません。いっしょに生きていく、一緒にぷかぷかを作っていく、という関係です。それをウエムラさんはビジターの新鮮な言葉でうまく表現しています。 ●●● 【「ぷかぷかさんとの出会い」を支えるスタッフさんたちの存在】  昨日、施設長の魚住さんが「ぷかぷかのメンバーさんとスタッフさんって一体なんですよね」とおっしゃっていました。たった1週間の見学では、その言葉に込められた真意をわかることは到底できませんでしたが、ぷかぷかに来てから、メンバーさんとスタッフさんのかかわりあいを見ていて私なりに感じたことを少しまとめておきたいと思います(「メンバーさん」と「スタッフさん」というふうに二分してしまっていいのか、少ししっくり来ない部分もあるのですが、ここではとりあえず「メンバーさん」と「スタッフさん」と書きます)。 4月8日、おひさまの台所の前で、おひさまスタッフの石神さんと話していたときのことでした。石神さんが、おひさまの店前を歩くヨッシーさんの姿を見つけて、「あ、ヨッシーさん」と呼び掛けました。 「あ、ヨッシーさん、今日のおすすめは何にしますか?」。おひさまの今日のおすすめメニューを決めるのは、ヨッシーさんの毎日の仕事の一つだそうです。 彼は、おひさまの台所の店頭に並ぶお弁当や総菜を見回して一瞬逡巡したのち、「鮭と菜花弁当」を今日のおすすめメニューに選びました。  2人のやりとりを傍らで見ていた私に、石神さんがこんな話をしてくれました。「彼はね、すごいんですよ。彼はいつもね、わかってくれるんです。私がいつも『今日これ多いから売りたいんだよねー』とかって何気なく言ってたからか、きちんとわかってくれて、たくさん残ってるのとか、数が多いのとかをおすすめメニューに選んでくれるんですよ」。  チョークとミニ黒板を持って、アート屋わんどの入口前に置かれた椅子に移動し、今日のおすすめを黒板に書きはじめるヨッシーさん。おすすめを書き終えると、今度は大きい立て黒板を持って来て、今日のメニュー表を書き始めました。ときどき手を止め腕組みをして、じーっと遠くを見つめながら、何か考えています。どうやら一つひとつのメニューを何色で書くかを考えているみたいです。石神さんによると、ヨッシーさんは色使いがとても細やかで、コロッケの色が揚げ油の中でだんだんと変化していく様子を見るのとかも好きなのだそうです。「自分で厨房で作ってるからわかるんですよね。そういうの(色の変化を見るのとか)もすごく好きみたいで」。  石神さんの話を聞いたあと、ヨッシーさんが今日のおすすめやメニュー表を少しずつ描きあげていく様子を見ながら、うまく言葉で表現できないのですが、おひさまの「今日のおすすめ」の看板は、ヨッシーさんと石神さんが相互にかかわりあうなかで生まれている協働作業の結果でもあり、ある意味では、2人が一緒に描いているものでもあるのかもしれないな、と思いました。実際に黒板に字を綴っているのはヨッシーさんですが、ヨッシーさんが“ヨッシーさんだけの力”で描いていると言うのもどこか違うような気がしたのです。また一方で、ヨッシーさんがスタッフさんの言う通りに“描かされている”のともまったく違います。「今日のおすすめメニュー」の看板を描くという行為は、2人のあいだの不思議なバランスのもとで成り立っている営みであるように私は感じたのだと思います。  おひさまの今日のおすすめメニューの話だけではなく、私がぷかぷかに来て、それぞれのメンバーさんのこんな一面やあんな一面に出会うことができるのは、そこにスタッフさんが一緒に居て、「私とぷかぷかさんが出会うこと」をさりげなく支えてくれているからだと思います。たとえば、私のように外から来たお客さんは、ヨッシーさんが描いたメニュー看板や、ミズキさんが描いたお惣菜の品札を見たとき、その看板や品札を通して、それを描いてくれたヨッシーさんやミズキさんに出会うことができます。でもその出会いは、ぷかぷかという場があって、ぷかぷかさんが居て、そしてそこに一緒にスタッフさんが居てくれるから成り立つものです。店先で突然歌を歌い出したセノーさんに遭遇したとき、私はセノーさんその人だけに出会っているのではなく、セノーさんの歌に合いの手を入れるスタッフさんと彼との“関係性に出会っている”のだと思います。セノーさんとかかわるスタッフさんが楽しそうだから、2人のやりとりがなんだか愉快だから、その関係性に出会った外部の人たちは、セノーさんとの出会いを「楽しかったなぁ」と思い返すことができるのではないかと思います。楽しい場面、心地よい場面だけではありません。メンバーさんがイライラしていたり、何か理由があってワーッとなっている場面に出会ったときは、私ひとりでは何が何だかわけがわからず、きっと私も一緒にパニックになってしまうでしょう。でもそこに、いつも一緒に過ごしているスタッフさんがいることで、ワーッとなっていたメンバーさんは落ち着きを取り戻すことができます。そして、私はその2人のやりとりを見ることで、楽しい場面に出会ったときとは違う意味で、心を揺さぶられる体験をすることになります。ぷかぷかのメンバーさんと話していて、私が言葉に詰まってしまったり、反応に困ってしまったとき、メンバーさんの隣にいたスタッフさんが何か一言投げかけてくれることで、私とぷかぷかさんとの新たな出会いが生まれます。その潤滑油がなかったら、私はぷかぷかさんと1次的な意味で出会うことすらできないかもしれません。ぷかぷかという場があることで、外部の人たちとの1次的な出会いが生まれ、そこにスタッフさんがいてくれることで、外部の人たちとぷかぷかさんとの2次的な出会いがより深いものになっていくのではないかと思います。  4月8日の夜、アート屋わんどにスタッフさんたち何人かが集まっている場に同席させてもらう機会がありました。途中で、話の詳細はよくわかりませんでしたが、外販に行くメンバーについての話が出て、スタッフさんたちは、ここの外販場所はこういう状況だからこのメンバーで行くのがいいのではないか、この人はこの人と一緒のほうがいいのではないかといったことを話し合っていました。外販場所へ買い物に行ったとき、お客さんはぷかぷかさんに出会うことができます。その出会いの中には、ぷかぷかさんとお客さんが直接対峙することで思いがけず生まれる出会いもたくさんあるはずです。でも、その「思いがけない出会い」が生まれる環境をつくることを日々支えてくれているのが、ぷかぷかのスタッフさんたちなのだと思います。 私は、代表の高崎さんの本『ぷかぷかな物語』を読んで、ぷかぷかに行ってみたいなぁと思った(そして実際に来てしまった)一人ですが、高崎さんの本からだけでは、ぷかぷかさんと一緒に生きているスタッフさんの姿はあまり見えてきませんでした。実際にぷかぷかに来てみて、「そんなところまで考えてるんだ…」と思ってしまうようなことを日々考えながら、ぷかぷかのメンバーさん一人ひとりがその人らしく過ごすことを支えているスタッフさんの姿に、ほんの少しでしたが触れることができて、本当に勉強になりました。ありがとうございました。 【 店先で突然歌を歌い出したセノーさんに遭遇したとき、私はセノーさんその人だけに出会っているのではなく、セノーさんの歌に合いの手を入れるスタッフさんと彼との“関係性に出会っている”のだと思います。】  “関係性に出会っている” いい言葉だなと思いました。ぷかぷかさんたちとどんな思いでつきあっているのか、それがお客さんには全部見えるんですね。ハッピーな気持ちでつきあっていれば、お客さんもハッピーにします。  ウエムラさん、いい言葉をありがとう!
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