ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 『僕とオトウト』上映会のチラシができました。
    『僕とオトウト』上映会のチラシができました。  そうま君はいわゆる重度障害者。でも障害者とみるのではなく、びっくりするくらい「自由奔放な人」と見ると、関係が全く違ってきます。家の中にそんな人がいるとどうなるのか、それをカメラで追いかけたのが映画『僕とオトウト』。  そうま君は毎日のようにいろいろ大変なことをやってくれます。 「え?、今度は何やってくれたの?」 とお兄さんがのっそりと動き始めます。そのときは確かトースターで鍋敷きを焼くという大変なことが起こっていました。そういう普通では考えられないようなことが日々起こります。そういう中で私たちは鍛えられます。  以前もそういうことがあって火事になり、以来家中に鍵をかけ、そうま君が自由に歩き回れないようにしたことがあったようです。 「どうしてこんなことするんだ」 とそうま君に聞いてもそうま君は多分説明なんてできません。  「ったくしょうがねーなー」と、イライラしながら、もう笑うしかない日々。そんな中で私たちの心が柔らかく、しなやかになっていきます。人に優しくなれます。  それが、そうま君のいる意味ではないかと思います。私自身、養護学校で障がいのある子どもたちと出会い、毎日おつきあいしているうちにガチガチの心がゆるっと思いっきりゆるんだ気がしています。生きることがなんだか楽になりましたね。そして何よりも、生きることが楽しい!って素直に思えるようになりました。  そうま君がおちんちんで遊んでいる話も出てきます。そのときのお母さんの対応がいいですね。「誰も教えてないのに……」。そう、そうま君はわからないことだらけ。「だから面白い」。そう思えるかどうか。結局は感性の問題。  障害者問題、などというと話がややこしくなります。でも「なんだか面白い」って思えれば、今までの世界が違って見えてきます。そしてそこから新しい世界、新しい社会を紡ぎ出せるかも知れません。  障がいのある人への差別、排除とどう向き合い、どうやってそれらをなくしていくのか、それが障害者問題です。真面目に考えると、ものすごく大変な問題で頭を抱えてしまいます。でもそんな中で、そうま君て大変だけど、なんだか面白いじゃん、て思えるものが見つかれば、障害者問題の、今までとは全く違う角度からの解決方法が見つかるかも知れません。  映画の最後に出てくるこの場面が僕は好きです。           そうま君がお兄さんにほおをすり寄せているこのシーンが僕は大好きです。人が人と生きていく上で何が大事なのかをそうま君が教えてくれてる気がするのです。  そうま君への対応を巡って、映画の監督がお父さんに詰め寄るところもあります。どうしてそうまともっときちんと付き合わないんだよ、と。ここは素晴らしい対話です。お父さん、かなりタジタジでしたね。でもこれでお父さんが反省して、よし、わかった、これからもっとそうまと付き合おう、とは多分なりません。  そのお父さんに変わってもらうにはどうしたらいいんでしょうね。育児を全部お母さんに任せているお父さん、多いですよね。育児を誰かに任せれば、確かに楽です。でも大変な育児こそ楽しい!と私は自分の経験から思います。  私の娘は精神を病んでいます。以前は気持ちが不安定で家で大暴れして収拾がつかなくなり、警察に電話して駆けつけてもらったこともあります。家から飛び出してしまうことも度々で、そのたびにかみさんと二人で追いかけました。自殺願望を抱えて、マンションの階段を駆け上り、ハラハラしたこともあります。ボクシングジムへ通い始めたことがきっかけで、今は落ち着いています。大変な時期もありましたが、精神を病むってこういうことなんだ、といい勉強になったし、大変なことも含めて、子どもを育てるってやっぱり楽しいなと思うのです。苦労したからこそ、楽しい。  だからお父さん、そうま君とぜひ格闘してほしいなと思うのです。いろいろ苦労した方がいいです。苦労は人間を磨きます。  映画の中で、そうま君を抱え、楽しそうにやっている場面がありましたが、そういう楽しいことだけでなく、そうま君の大変な部分ともちゃんと向き合ってほしいなと思うのです。そうすれば、きっとどこかでそうま君と改めて出会えます。今まで気がつかなかったそうま君が見えてきます。違う世界が広がってきます。  お父さん、そばにこんなに素敵な息子さんがいるんだから、もっと楽しまなきゃソン!ですよ。 ★参加希望の方はチラシ下部にあるQRコード、もしくは下記サイトから申し込んでください。 docs.google.com ★上映会当時は監督の講演があります。ぜひいろんなこと質問してください。障がいのある人とどんな風に付き合えばいいのか、みんなでいろいろ話をしましょう。
  • ここにこそ、お互いがもっと生きやすい社会に変えていく手がかりが
     相模原障害者殺傷事件から8年たちますが、社会は変わったのでしょうか? mainichi.jp  残念ながら、あれだけの事件がありながら、それほど変わったとは思えません。何が一番の原因なのか。それは障がいのある人を見るときの上から目線ではないかと思います。 「この人たちは自分よりも劣っている」 「私たちが何かやってあげないと何もできない」 といった上から目線の思い込み。その思い込みが、障がいのある人たちとのフラットな関係を阻み、社会を貧しくしていると思います。  彼らとフラットにおつきあいしてみると、彼らが自分たちよりも劣っている、とはとても思えません。発想の豊かさ、表現の自由さ、という点では、劣っているのはむしろ私たちの側です。こんな作品を見ると、すぐに納得。                                                                       演劇ワークショップの場は、彼らとフラットにおつきあいします。そうすると「この人たちは自分よりも劣っている」とか「私たちが何かやってあげないと何もできない」などという思い込みがとんでもない間違いであることがわかります。どうしてそんな思い込みが生まれてしまったのか。そこをきちんと考える必要があると思います。  8月17日(土)から第9期演劇ワークショップが始まります。今季はどんな作品が生まれるのか、どうぞお楽しみに。  ここにこそ、障がいのある人たちと一緒に、お互いがもっと生きやすい社会に変えていく手がかりがあります。
  • 『僕とオトウト』上映会やります。
    8月31日午後1時半からみどり公会堂で『僕とオトウト』上映会やります。 先日試写会をやりました。 ●想像以上に愛情いっぱいの兄弟だった。けれどキレイゴトでは済まない家族の関係性と兄の苦悩もあった。誰の中にもある障害者を見る偏った価値観が家族の中にもあることが垣間見れた。   家族が抱える問題は家族だけの個人的な問題じゃなくて社会が受け持たないといけない問題だと思う。 「私も、あなたも、そうまくんも、みんなが当たり前に自分らしく生きるためどんな社会を作っていこうか?」とみんなで語り合いたいと思う映画だった。 ●何て仲の良い兄弟でしょう!兄は弟が可愛くて!弟は兄が大好きで!そんな関係がずっと続けば良いのにと思うけれど、そうはいかない家庭の暮らし、そして社会。それにしてもお母さんがすてきです。柔らかい人です。 兄はもうすでに鍛えられてきていると思います。6歳のころから。そしてもう社会に向けて大切なメッセージを発信しています。弟はとてもキュート!!その魅力をもっと多くの人、社会に広げたい。 この映画が私達を優しく鍛えてくれると思います。私たちが何をすべきか、どう在るべきかを考えさせてくれます。 ●親しい人に言えなかったことがあるということは、 その人に、そうした自分のことをわかってほしいと思っているから。 そんな言えないことがある関係の中に、家族というかかわりあいがあって、 それは、障がいのある人でもそれ以外の人においてもかわらない。 そのような思いをいだいた映画でした。 ●自由奔放なオトウト壮真(そうま)くんに振り回されながらも、お兄さんもお母さんも日々心を耕されています。お父さん一人なぜか取り残されている感じがしました。同じ家族であっても、そこでの関係はそれぞれなんだと思いました。  そうま君と一緒にファミリーレストランに行ったとき、そうま君がフォークを投げてしまい、それ以来、お父さんは一緒に出かけることはやめてしまったという話がありました。気持ちはわかりますが、ちょっともったいないですね。そういうトラブルを引き受けてこそ、人は成長するのですから。  障がいのある人との暮らしは、人によってはそういったトラブルの連続です。トラブルは誰だっていやです。できれば避けたい。でも、そうま君に「トラブルは起こすな」といっても無理です。だったらトラブルを起こすそうま君とどうやったらお互い気持ちよく一緒に生きていけるんだろうって考える方が、お互いにとってトクです。そうやって問題としっかり向き合うこと、それが大事です。それが私たちを鍛え、社会を豊かにします。  トラブルを起こしたとき、ただ腹を立てるのではなく、「ったくしょーがねーなー」みたいな感じで、おおらかに笑ってやり過ごす。こういった日々は、私たちの心を柔らかくします。そうま君は、そうやってガチガチになった社会を柔らかく耕しているのではないかと思うのです。  何よりも映画見ていると、そうま君が大好きになります。こういう人、社会にいた方がいいよな、と素直に思えます。 上映会では 映画の監督の講演があります。 講演を聴いた後、みんなでわいわい話し合いましょう。 「いろいろやってくれるそうま君とどうやったらお互い気持ちよく生きていけるんだろう」 みたいなことをみんなで一緒に考えていけたらと思っています。 ●入場料 800円(会場費、上映費、監督講演謝礼に使います) ●問い合わせ takasaki@pukapuka.or.jp www.midori-ph.jp
  • 映画『僕とオトウト』を上映します。
     8月31日(土)緑公会堂で午後1時半から映画『僕とオトウト』を上映します。重度障がいのオトウトを兄がカメラを通して理解しようとした映画。  短い1分半ほどのプロモーションビデオ見ただけで、このオトウトさん、私はいっぺんに好きになりました。色々面倒なことは起こります。腹の立つこともあります。それでもこういう人は憎めないし、憎めないどころか、こういう人は社会にいた方がいいよな、と思うのです。     養護学校の教員をやっていた頃、寄宿舎にリョウちゃんという子がいました。『僕とオトウト』のオトウトくんとなんとなく風貌が似ていました。何かと手のかかる人で、食事したあとも、散らかった食事の後始末がすごい大変でした。ある日夕食に魚が出て、リョウちゃん骨が喉に刺さらないかとそばでハラハラしながら見守っていました。ところがリョウちゃん、ハラハラさせるような食べ方ではあったのですが、それでも器用に骨を避け、おいしそうに完食。リョウちゃん、なかなかやるじゃん!なんて思いました。  そばで見てるとハラハラするくらいめちゃくちゃな感じなのですが、それでいて、本人は思いのほかしっかりしていて、自分の思い込みを反省したものでした。  障がいのある人たちとおつきあいするとき、やっぱり私たちの中にある思い込みが、相手のことを見えなくしています。すごくもったいないです。そういう思い込みから自由になるとき、見える世界がもっともっと広がります。障がいのある人達との新たな出会いといっていいくらいです。  リョウちゃんは学校の行き帰りも、独特のパフォーマンスをやりながら通学していました。たまたま駅の跨線橋でパフォーマンスをやっているリョウちゃんを撮った写真を『街角のパフォーマンス』に載せています。街の人は突然のパフォーマンスにびっくりしたのではないかと思います。でも、その「びっくり」も人と出会う大事な機会。リョウちゃんは毎日やってるので、何度かびっくりするうち、だんだんリョウちゃんの楽しさがわかってきます。「あっ、今日もやってるね」とにんまりしながら見られるようになります。                                                     リョウちゃんは、こうやって毎日街を耕していたんだなと思います。  『僕とオトウト』のオトウトくんも、色々面倒なこと引き起こしながらお兄さんの心を耕しているんじゃないかと思います。それが映画になった。 www.youtube.com  監督の高木さんには講演をお願いしています。どんなお話が聞けるのか楽しみです。   上映に関するお問い合わせは高崎まで(090-5492-7354、takasaki@pukapuka.or.jp)  入場料は800円です。
  • どっちが豊かな町を生み出すのでしょう
     少し前の記事ですが、障がいのある人達のグループホーム建設の話があると、やっぱり反対する人が多いようですね。困ったものだと思いますが、でも、この現状から出発するしかありません。 www.kanaloco.jp  人に対して「不愉快」だなんて、ずいぶん失礼な言い方だと思うのですが、人とおつきあいする上でのそんな最低限の礼儀すら、相手が障がいのある人だとどこかへ行ってしまうようです。障がいのある人への露骨な蔑視。  結局は障がいのある人達とのおつきあいがないところで生まれる蔑視ですが、こういう蔑視は、人の心を貧しくします。そういう人たちの集まる町はどうなっていくんだろう、と心配になります。  障がいのある人が街にいれば、いろんな想定外のことも起こります。うちの娘は精神を病んでいて、少し前まで、不安定になると夜中も大声を出し、隣の家から苦情が来ました。事情を話してとりあえずは収まったのですが、これは障がいがあったが故に、隣の家と新しい関係ができたとも言えます。  隣の家の人は、精神を病んだ人がどんな風になるかを学んだとも言えます。不愉快な思いをしたとは言え、貴重な学びの機会であったとも言えます。  そんな風に考えるならば、障がいのある人達が自分の町に住むことは、いろんなことの学びの機会になります。人間を豊かにする、とも言えます。結果的には社会が豊かになります。  「不愉快」等といって、障がいのある人達を排除することで、ほんとうに豊かな町ができあがるのかどうか、です。  ぷかぷかのまわりでは、「ぷかぷかさんが好き!」というファンの方がたくさんいます。障がいにある人達に対し「不愉快」などといって関係を断ってしまうのか、「好き!」といって、より関係を深めるのか、ですね。  どっちが豊かな町を生み出すのでしょう。  こんな人とは一緒に生きていった方が絶対トク!
  • いい一日でしたね
    新聞に『優生思想なくす社会を』と題した記事がありました。 www.tokyo-np.co.jp  どうやって優生思想をなくすのか。問題が大きすぎて、手に負えない感じです。でも、ここは発想を変えましょう。  身近にいる障がいのある人と 「今日はいい一日でしたね」 とお互い笑顔で言い合えるようなおつきあいをする。       言い合うだけでなく、一緒におもしろいことをする。楽しいことをする。そういったおつきあいが日々続いていけば、いいお友達になります。  そうなればまちがっても、障がいのある人を社会から排除したりしません。これは誰にでもできること。  大きな話ではなく、身近なところにある小さな話をしましょう。何よりも相手と丁寧におつきあいする。そういったことが日々積み重なって、社会は少しずつ変わっていきます。  「優生思想をなくす」なんて、できもしない大きな話はやめましょう。
  • 「テトのパンはあ」を歌います。
     先日ピアニストの安見ちゃん、進行役の花崎さん、舞台監督の成沢さん、それに高崎が集まり、演劇ワークショップで歌う歌を検討しました。8曲ほど候補に挙がったのですが、第1回目のワークショップ8月17日(土)では「テトのパンはあ」と、「あさのまがりかど」の2曲を歌うことにしました。  以前歌のワークショップで「テトのパンはあ」を歌いました。  「テトのパンはあ」はこんな歌です。オペラシアターこんにゃく座の歌役者さん達が歌います。 www.youtube.com 「テトのパンはあ」はオペラ『ロはロボットのロ』をやったとき、事前に歌のワークショップをやり、こんにゃく座の歌役者さんと一緒にみんなで歌いました。ふつうの会話がオペラになるとどうなるか、を実際に歌役者さんにやってもらいました。世界がガラッと変わるというか、オペラって、なんて楽しいんだ、ってしみじみ思いましたね。 www.pukapuka.or.jp あさのまがりかどの歌はオペラシアターこんにゃく座のソングです。萩京子さん作曲。 www.youtube.com  あ、一緒にやってみたいな、と思われた方はぜひお越し下さい。あと2,3名は大丈夫です。  takasaki@pukapuka.or.jpまで連絡ください。
  • ぬいぐるみ達と一緒に芝居やろうかな
    またまたおもしろいぬいぐるみ見つけました。                                この三人がヨッシーワールドに迷い込むのです。 どこかで先客の三人と出会います。 さて何が起こるのでしょう。 いずれも個性あふれる面々なので、どんなことが起こるのか目が離せません。 なんだかわくわくしてきた人は、もう絶対に演劇ワークショップやりに来た方がいいです。 申し込みは info@pukapuka.or.jp へメール下さい。 最後の演劇ワークショップです。いっしょに舞台にたった方が絶対にトク!です。
  • 演劇ワークショップの原点
    68/71黒色テントで脚本、演出をやっている山本清多さんが演劇ワークショップについてわかりやすく書いています。  《 僕が初めて演劇ワークショップというものを経験したのは8年前で(1980年頃の話。)フィリピンのマニラででした。それまで15年も芝居をやってきましたが、台本を書いたり、芝居の演出をしたりで、自分の体と声を使って芝居を作り、演じるということはしたことがなかったのです。そういうことをするのは、僕がそれまでやってきた芝居作りでは役者とか俳優にまかされていました。  それが演劇ワークショップでは、場面や筋を考えるだけでなく、自分もほかの人達(しかもタイやマレーシアから来た人達で、言葉もうまく通じないのです)といっしょに演じなければならなかったのです。はじめは思いました。俳優でもない僕がどうしてこんなことしなければならないのかと。  僕が考えていた演劇と、ワークショップの演劇とでは、同じ演劇でも全然違ったものだったのです。  僕たちの社会では、演劇に限らず、音楽や文学や絵や踊りとかも、たいてい専門の人が作って、それを見たり、読んだり、聴いたりしたい人達は、お金を出してそれを買って楽しむのです。  ワークショップの演劇は、お金をとって見せるために作るのではなかったのです。演劇の専門家になるための練習でもないのです。演劇を作ることを通して、他の人達と話し、聞き、考え、それまで自分が気がつかなかったことを発見するためなのです。だから全員が作ることに参加し、見ているだけという人はいません。できあがったものより、つくりあげるまでに何かを発見できたかどうかが重要なのだ、ということに僕は気づかされたのでした。  確かに僕たちはひとりでじっと考えることも、本を読んで考えることも、先生に教えてもらったり、友達と話したりして考えることもできます。でも、何人もでいっしょに何かを作るなかで気づくことが、いちばん意味がある。ワークショップというのは、そういう考え方に基づいているのだと思います。 》  演劇ワークショップの原点と言えるものです。 《みんなで何かをいっしょに作る中で気づくことにいちばん意味がある》 最後の演劇ワークショップ参加者募集! www.pukapuka.or.jp
  • 「ねぇねぇ、私の名前覚えた?」
    たからくんとお母さんが遊びに来ました。  たからくんは今、田奈高校に通っています。彼が中学卒業の時、どうしても高校で勉強したいといい、お母さんとまわりの人たちの努力で田奈高校に入学できました。  入学したものの、授業について行くのはやっぱり大変だろうな、なんてつまらない心配をしてしまったのですが(一応「重度障害者」なのですから)、そんな心配を遙かに超える楽しい毎日を送っているようでした。  お母さんの話を聞くと、毎日生徒達に囲まれ、超人気者になっているようです。 「ねぇねぇ、私の名前覚えた?」 って何人もの人が毎日のように聞いてくるそうです。そういうことを聞いてみたくなるような雰囲気がたからくんにはあるのだと思います。そんな風にしてたからくんとおつきあいすることがみんなとても楽しいようです。   高校生達のこういう感性こそが新しい時代を切り開いていくのだと思います。インクルーシブ教育をどうやって実現するのか云々の疲れる話ではなく、「ねぇねぇ、私の名前覚えた?」っていう感じのおつきあいって、誰にでもできて、ここから始まる新しい関係にはわくわくするようなものがあります。  「なんかクラスの雰囲気がとてもよくなったみたい」という保護者の方もいるようです。たからくんが入ることで、クラスがそんな風に変わってきたというのはとても大事なところだと思います。そこにこそ、いっしょに生きていく意味があるように思います。  障がいのある人達はマイナス面の評価のために社会から排除される場面がたくさんあります。でも、田奈高校では排除どころか、超人気者になっています。何が違うのでしょう。こここそ丁寧に考えていく必要があるように思います。  あーだこーだややこしい話ではなく、「ねぇねぇ、私の名前覚えた?」から始まるおつきあい.これからどんな風になっていくのか、わくわくします。  昔、「障害児を普通学級へ」という運動があり、全国でいろんな人達が頑張っていました。それはそれでひとつの時代を作ってきたとは思うのですが、「ねぇねぇ、私の名前覚えた?」の言葉は、全く違う発想で新しい時代を作っていくように思うのです。  インクルーシブ教育をどうやって実現するか、みたいなことが最近話題になっています。                  ま、こういったことも大事だと思いますが、障がいのある人をそのまま普通の学校に放りこめば、あーだこーだややこしい話なんかしなくても生徒達は自然にいい関係を作る、ということがたからくんの例を見ればわかります。。障がいのある人達を当たり前のように受け入れる柔らかさを生徒達は持っているのだと思います。大人達よりもはるか先を行っている感じです。  だから、やっぱりこういう人は社会に必要なんだと思います。彼らがいなければ、社会はどんどん息苦しく、だめになっていくんじゃないかと思います。障がいがあるということで、社会的な生きにくさを強いられている彼らによって社会が救われているのです。そのことを忘れないでいたいと思うのです。彼らに感謝!  今日は来なかったそらくん www.facebook.com
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