ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 未来を信じる
    ひふみ投信の藤野英人さんの高校生向けの話はとてもおもしろかったです。 cakes.mu  藤野さんは堀江貴文さんの関わっているベンチャー企業の小型ロケットMOMOの打ち上げを見て、いたく感動し、第一回の打ち上げが失敗したにもかかわらずロケットに投資します。                              ところが発射直後に大爆発。      「僕らの会社のロゴが堂々と入ったロケットは火の海となり、投資した大金が一瞬にして消えてしまった」のです。にもかかわらず、藤野さんはMOMO3号に投資しようとします。「失敗のまま終わらせず、成功することを夢見て、つぎもお金を出すべきじゃないですか」と。  当然のように、社外取締役から反対に合います。 「つぎ、成功する保証はある?」 「......ありません」 「成功すると思う?」 「......思います。ただ確証はありません」 「それで、会社としてお金出せます?」  で、結局個人でかなりの部分を負担するという折衷案(ロケットに「ひふみ」という文字が入るので会社で3分の1、個人で3分の2)で行くことになりました。  結果的にはMOMO3号は大成功。日本の宇宙開発を大きく前進させました。日本初、世界でも民間で4社目。  そのことを振り返る藤野さんの言葉が素晴らしい。  《私が失敗を重ねたMOMO3号機に投資をしたいちばん大きな理由。......それは、私が「成功する未来を信じていた」から、なんですね。堀江さんや稲川社長、何度失敗してもロケットが飛ぶ未来を夢見て挑戦するスタッフたちを信じると決めたから。》  「成功する未来を信じていた」という言葉がしみました。  ぷかぷかは何の実績もないところでのスタートでしたので、もう本当に自分の作る未来を信じるしかありませんでした。思いを共有できる人も周りにいなくて、孤立無援でした。店舗の見積もり、パン焼き釜、厨房機器の見積もりなどが次々に上がってきて、合計で2000万円を超える額。それまでふつうのサラリーマンしか経験のない身にとっては、すごい大金です。本当にうまくいくのかどうかもわからない事業に2000万円を超えるお金をつぎ込むのです。下手するとつぎ込んだお金が帰ってこない可能性もあります。それを全部一人で決めるのです。大丈夫、きっとうまくいく、と自分に言い聞かせながらも、正直、体が震えました。体は正直でしたね。                                  ぷかぷかがうまくいったかどうかは、ロケットみたいに打ち上げ後、すぐにわかるものではありません。何年もたってから、ああ、うまくいったんだなぁって感じでわかるものです。自分で安心してそう思えるようになったのは、ほんのこの3年ばかりです。       こんな顔して毎日が過ごせるようになったのです。         彼らに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ってはじめてぷかぷかでした。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」ってずっと言い続けてきました。そう思う人たちがきっと増えていく、そしてほかのお店に負けないくらいおいしいものを作っていけばぷかぷかは絶対回っていく、と信じて大金を投じました。  自分の作る「未来を信じていた」のです。  高校生向けの藤野さんの話を読み、プロの投資家も、ずっと理詰めで行くのではなく、最後は「未来を信じる」ところでしか決められないのだと知り、とても共感しました。  未来を信じること、その未来に向けてとにかく動き続けること。そうやって未来は実現します。ぷかぷかはそんなことを苦しい経験を通して教えてくれた気がします。
  • 彼らがいる。ただそれだけで幸せ。
    『支援』という本に原稿を頼まれました。 www.arsvi.com  原稿のタイトルは「ほっこり、まったり、にっこり」。これって、ぷかぷかの毎日じゃん、て思いました。  ぷかぷかはどこを見ても「ほっこり、まったり、にっこり」がいっぱい。  テラちゃんがいると自然にこんな雰囲気に。    リエさんにも近所の子どもたちがよってきます。      彼らはどうしてこんなに心地よい雰囲気を作っちゃうんだろう。子どもたちは敏感。だからこうやって彼らのそばにいてくつろぐ。  こんな笑顔で接客されたら、素直にうれしい。    ご飯といっしょに、ひとときの幸せを味わいます。 職場では、ほら、みんな笑顔。いい時間過ごしてる。 だからおいしいものが生まれる。おいしい笑顔が、おいしいものを生み出し、おいしいものがお客さんの笑顔を生む。笑顔の好循環。 お店の前でもこんな笑顔。何か楽しいことがあったんだね。  毎日楽しいことがあって、素直に笑える。声を出して笑ってもいい。その笑い声に癒やされたっていうお客さんがいました。ぷかぷかにはそんな雰囲気があります。  ぷかぷかでは寝る人が時々います。寝る人がいても、ま、いいかって、特に起こしたりしません。生産性に差し障る、というよりも、こういう人がいることで生まれる「まったり」した雰囲気こそ大事だと思っています。ぷかぷかの居心地の良さは、こういうところから生まれます。   寝顔をFacebookにアップすると、今日も癒やされました、とたくさんのアクセスがあります。彼らは寝たまま、ぷかぷかのファンを増やし、収益を上げています。ファンになる、というのは、障がいのある人たちと出会うこと。障がいのある人たちのイメージがマイナスからプラスに変わります。彼らは寝たまま、社会を耕しているのです。すごく大事な仕事です。彼らのこういう働きは、もっともっと評価していいように思います。  この文字、言葉たちが、なんとも愛おしい。  なんだろう、この愛おしさは。この文字や言葉は窒息しそうな社会を柔らかくしてくれます。あーだこーだ小難しいこといわずに、この社会を救ってくれます。 ぷかぷかのアートは、街を元気に、豊かにします。                     こんなアートを前にすると、彼らを「支援」するだなんて、恥ずかしい。そのことに気づくこと。そこから新しい物語が始まります。 彼らがいる。ただそれだけで幸せ。        幸せすぎて、ついこんな顔になってしまう。     どうしてぷかぷかのあちこちに「ほっこり、まったり、にっこり」があるのか、うまく説明できません。彼らのこと好きで、いっしょにぷかぷかをやってきたら、自然にこんな雰囲気になっていました。  一つだけ言えることは、彼らといっしょに生きている、という関係であること。間違っても彼らを管理したり、支援したりしていないことです。ですから、彼らはありのままの自分でいられます。仕事をしながら、自分の人生を生きています。だから仕事場にあんなにも笑顔があるのだと思います。  「ほっこり、まったり、にっこり」は、そのままの彼らの姿なんだと思います。
  • 彼らの生み出す価値をどう見せるか、という演出
     先日第一期演劇ワークショップの記録映画を作った宮沢あけみさんがぷかぷかに来ました。久しぶりだったのでいろんな話をしたのですが、NHKのドラマのカメラマンをしていた旦那さんが早期退職した際、退職金を巡って 「タカサキみたいに家をほったらかしにして全部ぷかぷかにつぎ込むようなことは絶対やめて」 と頼んだそうで、笑っちゃいました。私にしてみれば、家をほったらかしにしたのではなく、家のことを忘れてただけというか、ぷかぷかのことで頭がいっぱいで、家のことまで頭が回らなかったということですが、ま、かみさんから見れば同じことですね。  それでも、あのお金をつぎ込んだおかげで、今のぷかぷかができたことは確かなわけで、あのお金を銀行に預けていれば、何も生まれませんでした。ですから、お金を銀行に預けるというのは、何もそこからは生まれないので、社会の損失なのかも、と思ったりします。  ぷかぷかは今までにないたくさんの「新しい価値」を生み出してきました。  「障害者が作ったものだから買ってあげる」というところに寄りかかるのではなく、「おいしいから買う」商品を作ろうと現場が頑張ってきました。結果、ほかのお店に負けないような商品ができ、パンにしてもお弁当にしても焼き菓子にしても、地域でも評判のお店になっています。  商品がよく売れるから現場で働くぷかぷかさんたちのモチベーションも上がります。笑顔が増えます。その笑顔を見て、またお客さんが増えるという好循環を生んでいます。       ぷかぷかさんたちがデザインした帯をお弁当に巻き付けると、一気に楽しいお弁当になって、お弁当の価値がぐんと上がります。お弁当の価値が上がるだけでなく、障がいのある人たちがいることの意味が、理屈抜きにストレートに伝わります。これは彼らの生み出す価値をどう見せるか、という演出が効いています。  障がいのある人たちは「あれができないこれができない」「社会の重荷」といったマイナスのイメージが多いのですが、演出の仕方ひとつで、そんなマイナスのイメージを一気に超えるものを創り出すことができるのです。  ぷかぷかのお弁当を食べた人は、多分障がいのある人たちのイメージが変わります。ぷかぷかさんのファンになった方もたくさんいます。ぷかぷかはお弁当で、障がいのある人たちにとって居心地のいい社会を、少しずつ作っているのです。  ぷかぷかは設立の時、法人の設立目的として 「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」 ことをあげています。お弁当は、その目的を達成する具体的な方法の一つです。  ぷかぷかは創設以来 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトク!」 と言い続けています。お店の活動は、そのことの意味を具体的に伝えてきました。お弁当もその一つです。  彼らといっしょに生きると、私たちの暮らしが豊かになります。お昼に楽しいお弁当、おいしいお弁当に出会えるなんて、暮らしの豊かさそのものです。  ぷかぷかのお弁当は、障がいのある人たちにとっても、私たちにとっても、とても意味のあることをやっているのです。今までにない新しい価値を作り出すお弁当なのです。  障がいのある人たちは社会にあわせないとダメだなんていわれていますが、ぷかぷかでは社会にあわせるのではなく、そのままのあなたが一番魅力的、といっています。ぷかぷかの心地よさ、魅力は、社会にあわせないそのままのぷかぷかさんたちが自然に作り出したものです。これもまた今までにない新しい価値といっていいと思います。  日常的にあるこんな一コマがお客さんの心を癒やします。       家をほったらかしにして作ったぷかぷかです。でも、そのおかげで今までにない新しい価値を生み出したのですから、ま、よしとしましょうよ、ねぇ、宮沢さん。
  • 戸惑ったり、オロオロしたり、ドキドキしたり、困ってしまったり、つい笑ってしまったり、という予期し...
     障害のある人たちと地域の人たちとの演劇ワークショップはもう30年ほど前からやっているのですが、その頃の話です。 ●●●  「お、おんな、い、いますか?」 いきなりカタヒラ君は店員さんに聞きました。  「え?おんな?はぁ、おんなは、あの、今日はいませんが、いつもは三人ほどいますけど…」 と、店員さんはもうドギマギしながらやっとの思いで答えました。  演劇ワークショップで取材劇をやろうということになり、養護学校の生徒たちと街に取材に行った時の話です。彼らはいろんなお店がごちゃごちゃ入っている賑やかな駅ビルを選び、10人ばかり連れだって出かけていきました。  インタビューできるような関係も、その駅ビルのお店とはできていなかったので、いささか不安ではあったのですが、いきなりそんなドキッとするような質問が飛びだし、向こうもこっちも 「え?」 という感じ。それでもその一瞬のパンチ力あるひと言が、ドギマギしながらも、お互いの閉じた関係をパァッと取っ払ってしまいました。とりあえず事情を話せば相手の方もすぐに笑顔になり、ふつうに話のできる関係に。 「3月4日、あいてますか?」 といきなり切符売り場の駅員さんに聞いた人もいました。3月4日は芝居の発表会の日です。 「3月4日?3月4日は…あの…え?あなたが芝居をやる?芝居ねぇ…」 とかいいながらも、それでも律儀にその駅員さんは3月4日とメモしていました。  もちろんちゃんと答えてくれる人ばかりではなく、誰もお客さんがいないのに、彼らが質問したとたん 「あ、今、いそがしいですから」 と逃げる人もいました。  それほど露骨でないにしても、 「ああ、困ったなぁ、なんとかして下さいよ」 という目を、彼らに付き添っている私たちに向ける人もいました。  いずれにしても、思いもよらない言葉で突然生まれた、ちょっとオロオロしてしまうような瞬間をお互いが生き、それ故に思いもよらない新鮮な「出会い」があったことも確かでした。 ●●●  ぷかぷかでも同じようなことが日々起こっています。  パン厨房から飛び出し、やってきたお客さんにいきなり  「お父さんの名前はなんですか?」 と、聞く人がいて、  「え?お父さんの名前?」 と、一瞬時間が止まります。パンを買いに来たのに、どうしてお父さんの名前?と、大抵ドギマギします。  「お父さんのネクタイは何色ですか?」 と、次々に繰り出される質問に、 「そうか、ここはぷかぷかのお店だもんね」 とたいていの人はにんまりとするのですが、よくわからないままの人もいます。  パン教室で色々質問攻めにあう人もいます。  彼らとの「出会い」は、こういうところにこそあると思っています。この人たちとはこういうところに配慮しながら接して下さい、なんていう場で、「出会い」なんてありません。  お互いが裸で向き合い、戸惑ったり、オロオロしたり、ドキドキしたり、困ってしまったり、つい笑ってしまったり、という予期しない瞬間にこそ、本物の、思いもよらない素敵な「出会い」があるのだと思っています。  ちなみに冒頭で紹介した 「おんないますか?」 の取材で作った芝居は、電子本『とがった心が丸くなる』に載っています。アマゾンで販売中 www.amazon.co.jp  昔「グループ現代」が作った記録映画『みんなでワークショップ』の22分30秒あたりから取材を元にした芝居が記録されています。 www.youtube.com
  • パラリンピックの選手の言葉
     パラリンピックの選手が 「私は自分を障害者と思っていない」 と言っていたそうですね。ま、どう思うかは人それぞれで、こちらがとやかく言う話ではないのですが、共生社会とか多様性を掲げるパラリンピックで、障害者を否定するような言葉が出てくるのは、なんとも残念です。  これは選手の感覚と言うよりは、障害者をマイナスとしか見ない社会の反映なのだと思います。「あれができない、これができない、社会の重荷」といった感じのマイナスのイメージ。  「そういう障害者と自分は違う」 と、そんなことを言いたかったのだろうと思います。パラリンピックに出るくらいの、ずば抜けた身体能力のある人にとってみれば、全くその通りだと思います。  それでも尚、この言葉には違和感があるのです。 「私は自分を障害者と思っていない」 なら、健常者なのかと言えば、やっぱり目が不自由であったり、足が不自由であれば、やはり日常的には色々大変なところはあると思います。ならば素直に 「競技の時はともかく、ふだんは障害者だよ」 っていえばいいのに、そう思っていない、と言い張る。まさに「言い張ってる」感じがするのです。どこまでも障害者を否定してしまう。  もし障害者という言葉がマイナスではなく、プラスのイメージを持っていたらどうでしょう。  ぷかぷかは障害のある人たちに惚れ込んで始めた事業所なので、マイナスどころか、プラスもプラス、いっしょに生きていかなきゃソン!だと思っています。障害を克服しよう、なんて全く考えてなくて、そのままのあなたが一番魅力的、と言い続けています。  そんな彼らといっしょにぷかぷかを作ってきました。ぷかぷかの魅力は彼らの魅力です。障害のあるぷかぷかさんたちのおかげで、こんな素敵な場所ができたのです。ぷかぷかにとって、彼らは 「なくてはならない存在」 なのです。    毎月、パン屋の大きな窓に、こんな素敵な絵を描いてくれます。        お弁当を彼らの絵で包むと、お弁当の価値がグ〜ンと上がります。      彼らがいてこその素晴らしい舞台。  ぷかぷかさんたちは知的障害ですが、身体障害の人たちも、彼らがいることで社会が豊かになっています。歩くことが不自由な方がいるから、ほとんどの駅にエレベーターができたり、いろんなところで段差がなくなったりして、みんなが暮らしやすくなりました。目の不自由な方のために駅のプラットホームに柵ができ、誰にとっても安全なプラットホームになりました。障害のある人たちの暮らしやすい街は、誰にとっても暮らしやすい街です。ですから社会にそういう人たちがいることで、社会全体が豊かになります。  社会全体が障害のある人たちのことを、こんな風にプラスのイメージ、「なくてはならない存在」と考えていれば 「私は自分を障害者と思っていない」 などという言葉は、多分出てこなかったのではないかと思うのです。 あなたはどう思いますか?
  • 障害克服に頑張らない人たちこそが、 ゆるい、居心地のいい社会を作っていく
    先日渡辺一史さんがパラリンピックに関して朝日新聞に寄稿していました。 digital.asahi.com  その中に、18年、東京都がJR東京駅構内に掲示したパラスポーツの応援ポスターに、パラスポーツの女性アスリートの言葉として、次のフレーズが大きく刷り込まれていたことが紹介されていました。  《障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ》  どういうつもりで東京都がこんなポスターを貼りだしたのかわかりませんが、 アスリートにしか通用しないきつい言葉です。アスリートが考える「障がい」であり、アスリートが考える「勝ち負け」に過ぎません。  うちのぷかぷかさんたちにとっては 「え?何、これ」「どういう意味?」 って、感じです。でも、社会全体が障害のある人に対してこんな風に考え出したら、当事者にとっては、とても辛いなと思います。  渡辺さんは《「障害を克服し、頑張る人たちを応援すべきという押しつけがましさ」は、裏を返せば、「頑張らない人は応援しない」となる。》と書いていましたが、私の周りにいる人たちは「障害を克服しよう」とか「それにむけて頑張ろう」なんて気持ちがほとんどありません。  障害克服に向けて頑張らないから、彼らはありのままの自分を生きています。その人たちの周りはいつも自分らしく生きる、マイペースののんびりした時間が流れます。誰が来てもホッとした気持ちになれます。ぷかぷかのゆるっとした雰囲気、ホッとできる雰囲気は、彼らのそういう頑張らないところから来ています。  別に応援して欲しいなんて思いませんが、障害を克服しようと頑張らない人はダメだ、みたいな見方をしていると、障害はいつまでたっても克服すべくマイナスのイメージにとどまってしまいます。障害克服に頑張らない人たちが生み出す大事なものを見落としてしまいます。ぷかぷかは、障害を克服するのではなく、そのままのあなたが一番魅力的、といい続けています。ぷかぷかの魅力は、障害克服に頑張らない人たちの魅力です。  以前ぷかぷかのお店で大根を販売した時、大根に貼り付けた紙に《たいこん》と書いてあって、なんだか笑っちゃいました。障害克服に頑張らない人がサラッと書いた言葉です。この言葉が生み出した小さな物語です。 www.pukapuka.or.jp  障害克服に頑張らない人たちこそが、こんな風にして、 ゆるい、居心地のいい社会を作っていくのだと思います。私たちにはなかなかできないことです。そこをどこまで謙虚に見ていけるかだと思います。
  • みっちゃんの絵のチカラ
    結婚式のプチギフトの注文がありました。  花婿さん、花嫁さんの絵を描いたのはみっちゃん。もらった人みんなが幸せな気持ちになるような絵です。  結婚式でこんな絵に出会い  「あら、素敵じゃない!」 ってたくさんの人が思ってくれたらいいなと思っています。  「ともに生きる社会」とか「共生社会」の啓蒙活動ではなく、そんなことに一切関係のない結婚式でこんな絵に出会うこと。それがいいなと思うのです。  この絵は、なんの前置きも、説明もなく、ぱっと見ただけで 「え?これいいじゃん!」「素敵!」 ってたくさんの人が思ってくれます。  これが、みっちゃんの絵のチカラです。私たちがあーだこーだと「ともに生きる社会」や「共生社会」を説明するよりも、はるかにその社会に向けての説得力があります。そこがすごいなと思うのです。彼らのチカラ、侮れないのです。 「今度、私の結婚式でも使おうかな」 とか、 「こんな絵を描いた人に会いたいね」 とか言ってくれる人が少しずつ増えていくといいなと思っています。社会って、こういうところから変わっていくのだと思います。  ともに生きる社会を作ろうとか、共生社会を目指そうとかいくら言っても、社会はなかなか変わりません。そういう大きな話ではなく、  「あら、素敵じゃない!」 って、素直に思えるような関係を身近なところで作っていくこと、その地道な活動こそが、社会を静かに変えていくように思うのです。  機会があれば、みっちゃんに会いに来て下さい。大歓迎ですよ。ひょっとしたら幸せな気持ちになれるような似顔絵描いてもらえるかも。
  • ラーメンを6杯も食ったイエス(養護学校キンコンカンー④)
     養護学校で教員をやっていた頃の話です。 ●●●  私の勤務していた養護学校には寄宿舎があり、一時そこの舎監もやっていました。寄宿舎は高等部の生徒たちが寝泊まりしていて、昼間、小学部で小さな子どもたちを相手にしている私にとっては、とても新鮮な職場でした。月3回ほど泊まりの勤務がありました。  ご飯食べる時間以外は割と自由に何でもできました。年末、クリスマス会に向けて生徒たちといっしょに『青年イエス旅に出る』という芝居を作りました。二十歳になった青年イエスが、未知なる世界に向けて旅に出ます。どんなところを旅し、どんなことに出会ったのか、何をしたのか、それを生徒たちといっしょに考えたのです。  ヒマラヤの山中に現れ、雪男と決闘したとか、ニューヨークでいい男はいないかと狂ったように探し求める女イエスとか(そうか、イエスって女だったかも知れないんだ、って生徒たちと話しながら思いました)、色々楽しいお話ができ上がったのですが、一番の傑作は、雪の降る札幌の街に現れたイエスがラーメンを6杯も食べるというお話。  なんと泥臭いイエスなんだろうって、ちょっと感動してしまいました。いい男を捜し求める女イエスのお話もなかなかでしたが、ラーメンをずるずる音を立ててすするイエスというのは、私の中にあった清く正しいイエスのイメージを完璧に壊してくれました。  「そうか、イエスがラーメンをすすったか」 って、なんだかうれしくてしょうがなかったですね。  そしてラーメンを1杯でも3杯でもなく、6杯も食ったというあたり、彼らの中にイエスの確固たるイメージがあったのだと思います。6杯目を食い終わったイエスは、長いひげについたラーメンの汁を、おもむろにあの白い服の袖で拭い、またふらりとどこかへ消えたに違いありません。あたたかいねぐらにその夜もたどり着けたんだろうか…とそんな思いまでさせるイエスでした。  新年あけて寄宿舎の生徒たちのやった書き初めの中に「はつひもち」というのがありました。この方が書きました。                   そしてこの方がラーメン6杯も食べた青年イエスをやったのでした。  ●●●  彼らといっしょに作る芝居は、昔も今も変わらず、とんでもなく楽しいです。それは多分彼らの発想の自由さ、豊かさにあると思います。だからいっしょに生きていった方がトク!なのです。 
  • この街に住むあなたと私、という関係で〔養護学校キンコンカンー③)
     養護学校の教員をやっていた頃の話です。 ●●●  養護学校に通うキィちゃんが近所の小さな子どもの首を絞めてしまうという事件があり(本当に首を絞めたのか、かわいいと思って抱きしめようとしたのかはっきりしないのですが、結果として、こういう子どもを一人で外に出すな、という雰囲気になりました)、お母さんはえらく落ち込んでしまいました。たまたま実習に来ていた学生さんは大学院で特別支援教育を勉強していたので、こういう場合はどうしたらいいか、聞いてみました。  ところがこういった問題については勉強したことがないというのです。教授も学生もそういった問題(自分自身のありようも問われるような社会性を帯びた問題)については考えたこともないと。子どもたちの「障害」についてはよく勉強するし、とても研究熱心。でも、それはあくまで「障害」を軽くし、「発達」を促すという方向。子どもはだから「研究」もしくは「指導」の対象であって、この時代をいっしょに生きていく相手ではありません。  今回のキィちゃんのような事件の場合、キィちゃんが情緒不安定にならないためにはどうしたらいいか、といったことは考えるかも知れないけれど、今一番苦しい思いをしているお母さんをどうやって支えればいいか、あるいは社会の何が問題なのか、どうすればいいのか、といったことは考えない。そんなことは自分たちに関係ないとみんな思っている……と、そんな話でした。ま、正直な方でした。  養護学校の教員とおんなじだと思いました。そういったところを卒業した人が多いので、同じような感じではあるのですが、学校の現場ではキィちゃんのような事件はいっぱいあって、だから子どもの「発達」を促していればいい、というわけにはいきません。苦しい思いをしているお母さんがいれば、やっぱり知らんぷりはできないし、いろいろ話をしていると、自分とは関係ないとは言い切れない問題がいっぱい出てきます。  じゃあどうするのか、ということです。「子どもの親と担任」といった関係ではなく、この街に住むあなたと私、という関係で考えていかないと、辛い思いをしているお母さんを支えきれないように思いました。  社会の問題がむき出しになるような現場で、自分はどのように立つのか。「先生」という肩書きの影に隠れるのではなく、この社会を形作っている「あなた」はどうなんですか?という問いにまっすぐに向き合う。そこからしかこの問題は解決しないように思うのです。 ●●●   社会的な問題と自分とのつながりが見いだせない人が多いのは、昔も今も変わりません。福祉のネットワークサイトにやまゆり園事件に関するブログを投稿していたら、二つのサイトから排除されました。社会の問題を自分事としてきちんと受け止めようとしない。だからそういうことを口うるさく言う人間は目障りなんだと思います。
  • 地域で関係を作っていく(養護学校キンコンカン-②)
     養護学校の教員をやっていた頃に出会った子どもたちの話です。 ●●●  キィちゃんは小さな子が好きです。学校の近くを散歩してても、小さな子がいるとすぐに近寄っていって、キュッと抱きしめたりします。そんなときのキィちゃんの目はとってもやさしくて、ちょっと惚れ惚れするほどです。  そんなキィちゃんが家の近くで小さな子どもの首を絞めたというのです。それを近所の人に言われ、それはキィちゃんのような子を一人で外に出すな、というような意味合いを含んでいて、お母さんはえらく落ち込んでしまい、キィちゃんをしばらく施設に入れるなんて言い出しました。  キィちゃんが本気で首を絞めたのかどうかはよくわかりません。キィちゃんなりのやり方でキュッと抱きしめたつもりが、近所の人には首を絞めたように見えたのかも知れません。あるいはそろそろ思春期にさしかかったせいか、最近ちょっと気分が不安定で、時折理由がはっきりしないままクラスの友達にかみついたりつねったりしていたので、つい発作的に本当に首を絞めてしまったのかも知れません。  いずれにしても近くにいた人が止めに入るなり、注意するなりするしかないと思います。そういうときにキィちゃんのような子どもとつきあったことがあるかどうかで、その時の対応はずいぶんと違ってきます。全くつきあったことがなければ、やっぱりびっくりして、「どうしてこんな子が一人で街を歩いているのか」ということになるでしょう。以前そのことで新聞に投書した人がいました。「どうしてこんな子が一人で電車に乗っているのか」と。  キィちゃんの場合、お母さんの精神的安定のためにとりあえず短期間施設に入れるにしても、キィちゃんを取り巻く環境は何も変わりません。そこのところを変えていくことをやっていかない限り、また同じようなことが起こるだろうといったことをお母さんに話しました。  隣近所のおつきあいの中で、さりげなくキィちゃんを見てくれているような関係。近所をキィちゃんが一人でふらふら歩いていても当たり前なんだよって思ってくれたり、あるいはお母さんが買い物に出かけたり、身体の具合が悪い時なんかに、ちょっとキィちゃんを預かってくれたりといった、そんな関係を少しずつ時間をかけて作っていかないと、これから先キィちゃんも大きくなるし、もっと大変になると思うのです。  ところがこの「地域で関係を作っていく」といったことが、お母さんにはどうもうまく伝わりません。キィちゃんの面倒を見てくれるのはボランティアさんであり、ボランティアさんにはお茶菓子出したりお礼したりで、やたら気を遣うのでもういい、というのです。キィちゃんの面倒を見てくれるのはボランティアさんしかいないと考えてしまうのは、そのままキィちゃんの周りの関係の少なさを物語っています。それはまたお母さん自身の持っている関係の少なさだろうと思います。  養護学校へ子どもをやっているお母さんたちは、概して自分の周りに持っている人間関係が少ない気がします。子どもに手がかかるので、もうそれだけで手一杯なのかも知れません。でも一番の問題はやっぱりお母さん自身の外の世界へ向かう思いだろうと思います。それがない限り、つきあうのは同じ学校のお母さん同士であり、教師です。何か問題が起こっても、そういう狭いつきあいの中でしかものが見えません。  キィちゃんの事件は、その狭いつきあいの中では解決できません。キィちゃんの周りの関係を広げていく、あるいはお母さん自身がもっともっと自分の関係を広げていく中でしか解決は見つかりません。そこをどうやって広げていくのか。  すごくむつかしいと思うのですが、そこと格闘することでしか展望は開けない気がします。格闘することで、キィちゃんはもちろん、お母さんの生きる世界もぐんと広がってくるように思うのです。なによりもキィちゃんと出会った人たちの世界が広がります。地域社会がちょっとだけ変わります。障害のある人たちがちょっとだけ生きやすくなります。  ●●●  ちょうどキィちゃんの事件の少し前、こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日、子どもたちを連れて外に遊びに行きました。それがきっかけで学校の外の人たちとのつながりがたくさんできました。『街角のパフォーマンス』にその時のことを書いています。こういう活動にキィちゃんのお母さんが関わっていれば、事件に対する対応も全く違ったものになったのではないかと思います。 『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版をぷかぷかで販売しています。店頭、もしくはぷかぷかのホームページから手に入ります。『とがった心が丸くなる』というタイトルで電子本にもなっています。アマゾンで販売中です。 www.pukapuka.or.jp  リョーちゃんは駅でたった一人で「街角のパフォーマンス」(30年前の駅の風景)
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