あたらしい映像作家の登場
しのみや てつお 昨日は、人の作った映像作品を見て、わくわくしてしまった。 そのうちちゃんと紹介しようと思うのだが、ちゃんと書くと長くなるので、今日は、ポイントだけ。知り合いに、養護学校の教師を定年退職してパン屋さんになった人がいる。 Tさんだ。 知的な障碍や、さまざまなハンディキャップを持つ人が社会の中で暮らしていけるような環境を作ろうと、パン屋さんを開いたのだ。 自ら修業に行って、本格的なパン作りだ。 で、話変わって、縁があって、そのパン屋さんにウツの青年がメンバーとして参加して、このウツの青年が、初めてビデオカメラを持って運動会や、食事会や、パンの出張販売や、お店の様子や、パン作りの様子を撮影したのだそうだ。 それが、20分くらいに編集されたものを見せてもらった。 安い、小さな、ハンディなカメラで撮影されたもので、パソコンに付属している簡単な編集ソフトで編集されたものだ。これが、めちゃくちゃおもしろかった。 見ていて、わくわくさせられた。 今の若い人たちは、生まれたときからテレビや漫画やアニメやゲームで映像に接しているので、映像の感覚が研ぎ澄まされているのだ。パソコンの編集技術が駆使されていた。それが、とても上手に。 わたしなんか1時間も、2時間もの長い映画を編集しても、ぜんぶカットつなぎで、デジタルな映像効果なんて使ったことがないので、かなわないな、わたしにはこんな映画はつくれないなあ、とお手上げ状態だった。 編集は、1日でやったとか、2~3日でやったというものばかりで、これもびっくり仰天してしまった。彼の映画を見ながら、これはもしかしたら、彼の場合は、映画を撮り始める時にはすでにイメージの中のどこかで、すでに映画が出来ているのではないかなあ、と感じた。 終わってから、編集する前の映像も見せてもらった。思ったとおりだった。そして、あらためてびっくりした。映画に使われているカットは、撮影されたカットの1コマ目から使われていたのだ。 つまり、撮影が始まる時に、もう1コマ目から完成した映像なのだった。そして同時に、ひとつのシーンでは、、おおよそ撮られたカットの順につながっていた。 そして、撮られたカットのほとんどすべてがつながれていた。ものすごいことだった。 ものすごい集中力で撮影されているのだ。きっと、撮影している本人は、そんなことは意識していなくて、感じたままに、思ったままに撮影しているのだろうと思う。 でも、その時点で、映画が出来上がっているのだ。ある意味、天才だと思った。新しい映像作家の登場だ。 そういう場面に立ち会えて、わくわくした。 もうひとつ面白かったのは、彼は無機的なものを撮るのが好きで、人を撮るのは苦手だなあ、と感じていたらしい。それが、パン屋さんで、たくさんの知的な障碍を持つ人や、スタッフや、お客さんとカメラを通して接していくうちに、人を写した映像がどんどん変わっていっていたことが。最後の方に撮られた映像なんて、いとおしくて、いとおしくて、やさしく掌で撫で上げていくような、体温を感じられるような、暖かくて、みずみずしい映像だった。 すてきな映像を見せてもらえて、たのしい一日だった。さて、今日から、わたしの方は、地獄の編集作業が始まるぞ。