ぷかぷか日記

マスコミ関係

  • メッセージの発信が、人と人との新しいつながりを作り、社会を少しずつ変えつつある
     先日の首都圏ネットワークでは立教大の学生さんとやった「哲学対話」と北九州でのぷかぷかの蒔いた種の広がりを取り上げていました。  昨年暮れに北九州で上映会とトークセッションをやったとき、大概は「いい映画だったね」「いいお話だったね」で終わるところを、 「北九州にもぷかぷかみたいな所を作ろうよ」 という話が飛び出し、そうだそうだ、の声に押されて人々が動き始めました。  何年か前、北九州の西山さんから突然メールが来ました。西山さんは障がいのある子どもを産んだことで自分を責めていました。でも 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」 というメッセージに出会い、 「私も生きてていいんだ」 と思ったそうです。 「生きることがとても楽になりました」 とも。 ぷかぷかのメッセージがそんなふうに受け止められたのは初めてでした。  それから2年くらいたって一家でぷかぷかにやってきました。 「私もぷかぷかとの出会いを振り返りながら、壮馬をさずかった意味を考え、たどり着いた今をストンと受け入れて進んでいる自分を感じています。ぷかぷかの空気にふれて、自分を自分で責めていた部分を許せたと言うか・・まるっと受け入れられた、そんな感じです。」 といったメールが来ました。  そういったつながりの上で昨年暮れに北九州で上映会とトークセッションをやりました。北九州にもぷかぷかみたいな所を作ろう、という呼びかけに対して、すぐにあちこちから反応があったようです。 ・北九州の戸畑区で、障がいのある方と直に接し、様々なセミナーも開催されている就労移行支援事業所のスタッフの方から、「先日の西山さんの投稿みて、ぷかぷかさんが気になってブログを拝見しました。是非私も参加したいです。告知もお手伝いさせてくださいね。」とのメッセージを頂きました! ・八幡東区でNPO法人として就労支援をされている代表の方からは、「ぷかぷかさんのプロモーションビデオ見ましたよ〜いいですねぇ。私の所(事業所)でもプロモーションビデオ流して見たりできるので、ぜひ」と、お声をかけ頂きました! ・ 八幡西区にお住まいで、小さく生まれたお子さんやそのご家族のサポートをされている団体の方にも、プロモーションビデオを見て頂きました。「いいですね、北九州にはこんな場所無いですもんね。シェアさせて頂きます」と言って頂きました! ・昨夜は、放課後等デイサービス事業所の方達が集まる研修会で、ぷかぷかさんの事をお話させて頂きました。いち保護者が、専門職の方々大勢を前に喋るなんてこと滅多にありませんから緊張しましたので、とにかく、ぷかぷか、ぷかぷかと口が動いていたと思います。 ・大きな集まりでなくても、ちょっとづつぷかぷかの種まきをして、先づはお一人お一人がプロモーションビデオを見てくださるように、繋げていけるといいなぁ、と思いました。  ぷかぷかの蒔いた種がこんなふうに広がっていくんだ、とうれしくなりました。  北九州で映画を見たひとが先日、筑豊で上映会をやってくれました。福岡で映画を見たひとが今度、障がいのある人たちと企業の人たちを結ぶワークショップをやります。大館で映画を見たひとが北秋田でなんと70人も人を集めてワークショップをやりました。 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」 というメッセージの発信が、人と人との新しいつながりを作り、社会を少しずつ変えつつあるのだと思います。  あなたの町でもぜひぷかぷかの種を広げて下さい。
  • ぷかぷかが生みだしたものが光って見えます
     8月28日(火)午後6時10分からNHK首都圏ネットワークという番組でぷかぷかの取り組みが紹介される関係で、今日追加取材がありました。  NHKの記者に  「どうしてこんなに情報発信するのですか」 と何度も聞かれました。  「ぷかぷか」は養護学校教員時代、障がいのある子ども達に惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたいと思って始めました。街の中に作ったのは、街の人たちに素敵な彼らに出会って欲しいと思ったからです。ただ待っているだけでは、出会う人は限られてしまうので、外販に出かけたり、パン教室をやったり、演劇ワークショップをやったりして、街の人たちと出会うきっかけをたくさん作ってきました。  情報発信もその流れから出発しています。  「見て見て、こんなすてきな人たちがここにいるよ」 というメッセージです。この情報発信のおかげで、ぷかぷかさんのファンはお店に来る人たちだけでなく、九州から北海道まで広がっています。  ホームページのアクセス数は現在33万、ブログのアクセス数は32万です。これだけのアクセス数があったのも、ほとんど毎日のように更新したおかげです。  情報発信によってできた関係は、「障がいのある人たちに何かやってあげる」とか「支援する」といった関係ではなく、「一緒に生きていくといいよね」って思える関係です。「ぷかぷかさん、好き!」「ぷかぷかさん 素敵!」って思える関係です。  「障害者はなんとなくいや」「近寄りたくない」「怖い」などと考える人の多い社会にあって「ぷかぷかさん、好き!」とか「ぷかぷかさん 素敵!」って思える関係ができたことは画期的だったと思います。  社会はこういうところから変わっていくのだろうと思います。障がいのある人たちを排除するのではなく、「一緒に生きていきていってもいいな」と思う人がここから生まれているのですから。ここから社会が豊かになっていくのだと思います。  もちろん最初からそのことを考えて情報発信してきたわけではありません。ただ彼らに惚れ込み、 「見て見て、こんなすてきな人たちがここにいるよ」 「こんな人たちとは一緒に生きていった方がトクだよ」 という思いを日々いろんな形で発信してきただけです。  結果、「ぷかぷかさん、好き!」とか「ぷかぷかさん 素敵!」というたくさんのファンができ、ここから社会が変わり始めているな、と気がついたのです。  ですから、彼らの魅力というのは、こんなふうに社会を少しずつ変えていくチカラがあるのではないかと思います。  小さい頃から障がいのある人とない人はずっと分けられています。障がいのある人たちと一緒に生きて行くにはどうしたらいいのか、と考える機会を奪われてきた、といってもいいと思います。あるいは一緒に生きていくことで生まれる豊かさ、といったものも経験する機会がなかったと思います。  そういう中で、ぷかぷかの発信する情報にふれ、障がいのある人たちと出会う人が増えたことは、ものすごく意味のあることだと思います。  「障がいのある人たちと一緒に生きていくって、こういうことだよ」  「障がいのある人と一緒に生きていくと、こんなに楽しいよ」  「障がいのある人と一緒に生きていくと、こんな豊かなものが生まれるよ」 を具体的に示しているのがぷかぷかのメッセージです。「共に生きる社会を目指そう」とか「共生社会を目指そう」といった抽象的なメッセージではなく、皮膚感覚で伝わるようなあたたかみのあるメッセージです。  こんな写真見たら、誰だって、 「なんか友達になってもいいかな」 って思います。障がいのある人たちを、そんなふうに肯定的に受け止める人をたくさん作ってきたのが、ぷかぷかの情報発信です。  あれができない、これができない、といったマイナスイメージの多かった障がいのある人たちですが、そうじゃないよ、というイメージで置き換えたのがぷかぷかの情報発信です。  彼らを排除するような文化に対して、一緒に生きていった方がいい、という新しい文化を発信したと思います。社会を豊かにする文化といってもいいと思います。   障害者雇用の現場で障がいのある人への虐待が多くなっている、と先日朝日新聞が報道していました。  本当に悲しくなるような記事です。障害者法定雇用率を義務づけ、無理矢理障がいのある人たちを雇用させた結果だろうと思います。  厚生労働省のホームページには、どうして障がいのある人を雇用するのか、そうすることでどんないいことがあるのか、といった話は一切ありません。そういう話抜きで、いきなり、障害者法定雇用率だけを義務づけています。  そういう無理矢理の結果を、全部現場の障害者が引き受けているのです。記事にそういう突っ込んだ考察がないのはなんとも残念です。厚労省担当者の事態を招いた責任を全く感じていない分析などはそれこそ無責任の極みであり、啓蒙活動によって虐待防止を図るなんて、事態の受け止め方が甘すぎます。  いずれにしても、文化の貧しさのようなものを感じます。  寒々しい風景の中、ぷかぷかが生みだしたものが光って見えます。
  • 奥の深い、いい仕事をやっていらっしゃる
     カツタさんがラジオ深夜便の 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」 という私の発言を聞いて 「真意がわからなかった」 とおっしゃったことについてブログに書いたら、ラジオ深夜便の製作者からメールが来ました。 ラジオ深夜便で、 「障害がある人と一緒に生きていった方がよい」という 高崎様のお話について「真意がわからなかった」とのご発言。 制作者として、突っ込みが足りなかったのかと 自問もしています。 突っ込みすぎても問題あり、 突っ込まないのは問題外。 自分の仕事の難しさ、 奥深さも感じます。 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」 のメッセージは、最近はともかく、最初の頃はなかなか伝わりませんでした。 「なんで?」 という反応がほとんどでした。 「障害者はなんとなくいや」 と思う方が圧倒的に多い社会です。 「なんでいやな障害者と一緒に生きた方がいいの?」 と思うのはごく自然なことです。ですから、カツタさんの反応も、当たり前の反応だったと思います。  元々このメッセージは私と障がいのある子ども達との出会いから生まれたものであり、リアルな皮膚感覚の共有がなければ、やっぱり難しいのだと思います。   それでもどこか心に引っかかるところがあってぷかぷかまで訪ねてきてくれたところがカツタさんのえらいところだと思います。  ラジオ深夜便で何をしゃべったか、もう忘れてしまいましたが、 「真意がわからなかった」 とはいえ、やっぱり気になってぷかぷかまでやってきたというのは、気になるようなことをしゃべっていたのだと思います。  製作者の方は 「突っ込みが足りなかったのか」 と自問されたようですが、やっぱり言葉だけで伝えるのは難しいのだと思います。  製作者の方は収録の前に一度ぷかぷかを訪れています。ですから、ある程度ぷかぷかの空気感は味わっておられました。  ラジオ深夜便は製作者との対談で話が進みました。ぷかぷかの空気感を体験しているので、私の言葉はとてもよく理解していただきました。でも、そのやりとりは、その空気感を体験しない人にとっては、やはりわかりにくいところもあったのかも知れません。 突っ込みすぎても問題あり、 突っ込まないのは問題外。 自分の仕事の難しさ、 奥深さも感じます。 という言葉は、ラジオというメディアの難しいところであり、それ故に奥深いところなんだろうと思います。番組製作者としての矜恃を感じます。  言葉で伝えられる限界を感じながらも、尚も言葉の力を信じ、ラジオ深夜便を続けていらっしゃいます。奥の深い、いい仕事をやっていらっしゃるんだなと思いました。 この方のリードでうまく話ができました。 ラジオ深夜便を聞いてない方はこちらを ラジオ深夜便テキスト版です。 pukapuka-pan.hatenablog.com
  • ぷかぷかに来る前は「自分の意見をブログに書いて世の中に発信するのは怖い」と思っていた。
      NHKスペシャルのディレクターが取材でカツタさんに会ったとき 「高崎さんのように、自分の意見をブログに書いて世の中に発信するのは怖い」 といっていたそうです。ですからNHKスペシャルの取材でぷかぷかに来てからのち、ブログを書き始めたことを知ってうれしくなったと連絡がありました。  ぷかぷかさんと出会い、一緒に演劇ワークショップをやって、カツタさん自身がすごく自由になったと思います。その自由さがあったから、放課後デイサービスの子ども達ともフラットな関係でいい出会いができたのだと思います。ブログを書く素地がこの時できた気がします。  7月15日にNHKの取材のためにぷかぷかに来て、私と話をしました。  そのときカツタさんは 〈重い障がいのある子ども達との日々が楽しくてしょうがない。お子さんのことでいろいろ苦労されている親御さんのことを思うと、こんなに楽しんでていいんだろうかと思います。〉 といったことをおっしゃっていました。 「そんなこと気にしなくていいと思いますよ。カツタさんが子ども達と楽しい日々を過ごしているのであれば、それは子ども達にとっても楽しい日々。楽しい日々を過ごす子ども達のことを知れば、親御さんはみんな喜びますよ。ですから、子ども達との日々、誰に気を使うことなく、大いに楽しめばいいと思いますよ」 といった話をしました。 「楽しい日々をブログに書き残しておくと、カツタさん自身のすばらしい財産になりますよ。書くことで自分がやっていることの意味も深まっていくし、障がいのある子ども達との日々が楽しいっていう発信は、今すごく大事だと思いますよ。ぜひトライしてみて下さい」 といった話も。  多分そのときの話が、カツタさんの背中を押したのだと思います。  ブログはぷかぷかに来た5日後の7月20日から始まっています。うんこの始末の話から始まるのですが、そんな話を書きながらも楽しくてしょうがないって感じがよく伝わってきます。  いずれにしても、ぷかぷかに来ることで、障がいのある子どもたちと一緒に生き始めたこともすごい変わりようですが、その楽しさをブログに書き、社会に発信しはじめたことは、もっとすごいことだと思います。社会に向けて発信するのは、それなりにエネルギーがいります。でもそれを超える楽しさが子ども達との日々にはあるのだろうと思います。  障がいのある人たちとの日々が楽しい!っていう発信は、相模原障害者殺傷事件以降、とても大事になっていると思います。カツタさんのブログを読んで、一人でも多くの人が 「障がいのある人たちとのおつきあいって楽しいんだ」 って気づき、自分の近くにいる障がいのある人とおつきあいをはじめてくれたら、なんかね、社会がどんどん変わっていく気がするのです。  カツタさんはFacebookをやっています。ぜひ友だち申請して、カツタさんのメッセージを広げて下さい。 www.facebook.com
  • 「一緒に生きていった方がいい」を、あの時の体のほてりの中で納得したのだと思います。
     7月21日(土)の相模原障害者殺傷事件をテーマにしたNHKスペシャルの最後の方に登場したカツタさんがブログをはじめました。  (NHKスペシャル見逃した方、オンデマンドでぜひ見てください。) www.nhk-ondemand.jp  カツタさんは相模原障害者殺傷事件が起こったとき、「障害者はいない方がいい」という犯人の言葉を否定しきれない自分がいた、といいます。自分の中にも彼らを別な世界の人として意識の外に追いやろうとしている感覚があった、といいます。  その後NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」という私の言葉を聞いて、その真意がよくわからなかった、といいます。ダウン症の子どものを持つお母さんが「この子がいなければいいのに」と思ったことがある、という新聞記事を見たこともあって、「一緒に生きていった方がいい」という言葉は衝撃でした、ともいいます。  そんなことがあって、「一緒に生きていった方がいい」という言葉の真意を確かめにぷかぷかまでやってきました。私と話をしただけでなく、パン屋で一日体験実習をし、演劇ワークショップにも参加して、ぷかぷかさんと一緒に表現の市場の舞台にも立ちました。  そんな経験のあと、いろいろ思うところがあったようで放課後デイサービスで障がいのある子ども達を相手にする仕事を始めました。ブログはそこでの日々をたんたんと語っています。 tantantanto.hatenablog.com  障がいのある子ども達と、とても丁寧に、謙虚に向き合っています。何よりも子ども達との日々をすごく楽しんでいます。そのことがビリビリと伝わってきます。  ぷかぷかに来る前と、来たあとの、この変わりようがすごいな、と思いました。私の話よりも、やはりぷかぷかさんと出会ったことが大きいと思います。特にぷかぷかさんと一緒に演劇ワークショップをやり、ぷかぷかさんと一緒に発表会の舞台に立ったことが、すごく大きかったと思います。  ぷかぷかさんと一緒に舞台に立つ、というのは、自分をかなぐり捨て、もう無我夢中でぷかぷかさんといっしょに舞台の世界、その時間を生きる、ということです。熱い時間が、カツタさんのからだを流れたと思います。  あの時の体のほてりはなんだったのか。  それを問い詰めた先に、今の仕事があるような気がしています。  「一緒に生きていった方がいい」を、あの時の体のほてりの中で納得したのだと思います。  納得したとは言え、実際の現場では、恐る恐るの出発だったと思います。でも、そんなことお構いなしに、子ども達は次から次にいろんなことやらかしてくれます。もうどうしていいかわからず、おろおろするような毎日ではなかったかと想像します。おろおろしながらも、それでも、思いがけない、心のほっこりするような出会いが子ども達とあったのだと思います。ブログにはその出会いが丁寧に書かれています。  事件の犯人の言葉を明確に否定できなかった人が、今、障がいのある子ども達と楽しい日々を過ごしていること。こういう人が少しずつ増えること、それが〈社会が変わる〉ということです。障がいのある人たちといい出会いをする人をたくさん作れば、こんなふうに〈社会が変わる〉のです。相模原障害者殺傷事件を超える社会は、こうやって少しずつ前に進んでいくのだと思います。
  • テラちゃんと出会って
       テラちゃんはお客さんが来ると、前置き抜きで、いきなり友達になってしまいます。「はじめまして」ではなく「Facebookやってますか」「友だち申請していいですか」とスマホを借りて、自分でFacebookのページを開き、あっという間に友達になってしまいます。ふつうに見ると、かなり乱暴なやり方です。でも、たいていの人は「あっ、何、この人」と、びっくりしながらも、なぜか友達になってしまいます。テラちゃんの人柄ですね。  そんなテラちゃんとの出会いを上映会の日の午後のトークセッションでゲストの松井さん(NHKデスク)は、こんなふうに語ってくれました。  〈 はじめてぷかぷかを取材した日、いきなり「Facebookやってますか」とかなんとか早口でいろいろいわれ、ちょっとどぎまぎしてしまったんですが、テラちゃんのやわらかい手でぎゅっと握られたり、テラちゃんのあたたかいからだがぴったり寄り添ってきていろいろ話しかけられたりする中で、「ああ、障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいんだ」って、実感しました。〉  相模原障害者殺傷事件のことであちこち飛び回りながらも、事件に対してどういうメッセージを出せばいいのか悩みながらの取材だったのではないかと思います。そんなときにテラちゃんと出会い、「あ、これだ!」って思うような発見があったとおっしゃってました。  「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」というメッセージは、障がいのある子ども達、青年達との出会いから生まれた言葉です。ですからなんとなく理屈で理解するだけでは、言葉にリアリティがありません。  言葉にリアリティがないと、犯人の言う「障害者はいない方がいい」に対し、「それはちがう」と自分の言葉で言い切れません。借り物の言葉ではなく、自分の体から発する自分の言葉で「それはちがう」と言っていかないと、犯人の言葉に負けてしまいます。  そういう意味で、相模原障害者殺傷事件を取材中の松井さんがテラちゃんと出会い、「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と実感した、というのはとても大きな意味があったと思います。  松井さんにそう実感させたのは、テラちゃんの特異なキャラクターによることが大きいのですが、そのキャラクターが自由に発揮できるぷかぷかの環境がやはり大きいと思います。  ぷかぷかではテラちゃんに限らず、みんな自由に振る舞っています。その方が彼らの魅力が伝わると考えるからです。私たちが思う規範で縛ってしまうと、彼らは彼らでなくなります。せっかくの魅力を見えなくしてしまいます。社会の宝が見えなくなるなんて、もったいない話です。  彼らの魅力は社会に潤いをもたらします。社会をやわらかく耕します。    区役所の外販でいつも行列ができるのは、お客さんたちが彼らの魅力に気がついているからだと思います。  先日のぷかぷか上映会のアンケートは、そういう人がどんどん増えていることがよく見えます。これだけたくさんの人が、こんなにもステキなアンケートを書いてくださったことは未来に向けての大きな希望だと思います。ぷかぷかさん達と一緒に「いい一日だったね」って言いあえる日々を黙々と作り続けてきたことの結果だったと思います。  相模原障害者殺傷事件を超える社会は、こうやって彼らの魅力に気づく人を増やすことで少しずつ実現していくのだと思います。  テラちゃんと出会った松井さんは、NHKおはよう日本でぷかぷかの活動を紹介する映像を2本作ってくれました。その一本が「19のいのち」というサイトで見られます。  www.nhk.or.jp  事件に向き合う人たちとして高崎の紹介も載っています。 www.nhk.or.jp  障がいのある人たちと出会うこと、それは社会を、お互いにとってよりいいものにするための出発点になります。 小さな子ども達がこうやってテラちゃんと出会うことの意味を考えるとき、ステキな未来が想像できます。 テラちゃんはhanaちゃんにとても優しいです。テラちゃんもhanaちゃんも、まわりにたくさんのファンを作っています。二人ともそうやって社会を耕しているのです。 テラちゃんとリエさんに囲まれて幸せそうな顔の松井さん。取材に来て、こんないい顔ができるのがぷかぷかです。 テラちゃんとFacebook友達になってしまった朝日新聞の船崎さん。この時の取材が2017年7月25日の記事になりました。 pukapuka-pan.xsrv.jp
  • 毎日新聞「記者の目」
     毎日新聞の「記者の目」にぷかぷかの話が載っています。 https://mainichi.jp/articles/20170824/ddm/005/070/004000c?fm=mnm  短い文章でうまくまとめているなぁ、と感心しました。  たとえばこんなことが書いてあります。  ぷかぷかさんたちは何を生み出しているのだろうか。  常連客に魅力を尋ねると「普通の店では味わえない、パンを買うだけじゃない何かがある」「彼らと話していると癒やされる」と言う。近くの主婦、大家邦子さん(44)は幼い娘を連れて通った。「ぷかぷかさんたちが話しかけたり、子どもと遊んでくれたり。スタッフが優しく見守る雰囲気もよく、私も受け入れてもらった気がして居場所になった」と話す。  これくらいはよくある話。ぷかぷかさんの存在が人生を変えた話はすごいと思いました。  ぷかぷかさんの存在が人生を変えた夫婦もいる。主婦の金子美香さん(29)は有名大学を卒業後、就職3年目に心身のバランスを崩して退職した。「勉強はできたけど、人生の目的がわからなかった」。症状は落ち着いたが孤独な子育てがつらく地元の関西に戻ろうと思っていた頃、店に来た。ありのままに生きる彼らの姿に「人の期待を想像して動けなくなっていた自分の生き方を見直したい」と店の近くに住み続けることを決めた。研究者から塾講師に転じた夫の裕さん(33)も「彼らみたいに自由に生きたい」と教育事業で独立する決意を後押しされたという。  記者自身もぷかぷかに通ううちに変わったといいます。  一見、コミュニケーションを取るのが難しそうな人には、どう接すればよいか分からず目をそらす人は少なくないだろう。私もその一人だった。理由は障害者と接する機会がないからだ。しかし、店に通ううち、ぷかぷかさんの笑顔、ちょっと風変わりな楽しい会話や動き、そしてお互いを思いやり大切にする姿、それを見守るお店の空気感に引き込まれた。やまゆり園の元職員だった被告は「障害者には生きる価値がない」と言ったが、私は、なんて価値のある人たちだろうと感じた。  ぷかぷかが大事にしている「お互いの出会い」  非生産的なものを切り捨てる社会は、健常者たちをも息苦しくしている。一方で、障害者の芸術作品が評価され、認知症の人たちが働く「注文をまちがえる料理店」が話題になるなど「できないことを楽しみ」、障害者の作り出す作品の魅力を理解する人たちは存在する。能力主義とは違うものに価値を見いだし、それが豊かさをもたらすと実感している人は少なくない。ならば後は、お互いがもっと出会うだけではないのか。  事件を超えるにはどうしたらいいのか。  悲しい事件が起きた時だけ「命の大切さ」や「差別反対」を訴えるのは、もうやめよう。堅苦しい議論は一旦脇に置き、彼らの深い世界に歩み寄ってみてはどうだろう。電車で乗り合わせたら温かい目で見守る、町にある福祉作業所をのぞいてみる。そして福祉現場の人は積極的に彼らの魅力を発信して出会いの場を作ってほしい。日常の中で、一人一人が名前と顔がある人として出会い、関係を築いていくことだけが、事件を超える社会を作ることにつながるはずだ。
  • いい一日を一緒に作り、いっしょに楽しめるような関係を作ることが大事
     昨日の神奈川新聞に、高崎のインタビュー記事が載っていました。津久井やまゆり園の事件に関連してです。 www.kanaloco.jp  やまゆり園の事件については、必ず出てくるのが「優生思想」の問題であり、精神障がいを持った人の「措置入院」の話です。それぞれ大事な話ですが、自分の暮らしの中で考えていくと、話が大きすぎて接点がはっきりしません。  それよりも、自分の暮らしの中で事件との接点を見つけ、そこをきちんとやっていくことが大事だと思っています。  事件の犯人は「障がい者はいない方がいい」とか「障がい者は生きている意味がない」とか「障がい者は不幸しか生まない」といった発言をしていました。これは明らかに間違っています。でも、「それはちがう」とことばで否定するよりも、そう思える具体的な関係を作ることが大事だと思いました。それはぷかぷかが事件の前からずっとやってきた、「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよね」と思えるような関係作りです。  それはよくある「支援」するとか、「何かやってあげる」とか、「福祉事業所を応援する」といった関係ではなく、もっとふつうにおつきあいする関係です。いい一日を一緒に作り、いっしょに楽しめるような関係です。  パン教室がいい例です。楽しかったね、って思えるいい一日をみんなで作り、みんなで楽しんでいます。誰も彼らを支援しようとか、何かをやってあげるなんて考えていません。そこがすごくいいと思っています。  ぷかぷかさん達と一緒に染め物をするワークショップをやってことがあります。そのときに染めた布が気に入って、それでスカートを作ってきた人がいました。「見て見て」って感じでやってきました。 バンダナを作ってきた人がいました。  障がいのある人たちと人生を一緒に楽しんでいる関係です。こういう関係が、事件を起こすような社会を少しずつ変えていくのだと思います。  そういった話を神奈川新聞は「やまゆり園の事件 1年」と題したシリーズで取り上げてくれました。ぷかぷかがやっていることをすごくよく理解して書いてくれています。
  • 明日の朝NHK「おはよう日本」でぷかぷかの活動が取り上げられます。
     明日の朝、NHK「おはよう日本」でぷかぷかが紹介されます。  昨年8月、朝日新聞に相模原障害者殺傷事件に関する匿名報道 について意見を書いたことがきっかけでNHKとつながりができ、「障がい者はいた方がいい」という映像作りを中心に何度も取材に来ました。そのまとめの放送です。  相模原障害者殺傷事件から1年、様々な角度から事件に向き合う、ということでぷかぷかの取り組みが取り上げられます。昨日は朝日新聞がいい感じで取り上げてくれました。明日はどういう感じでぷかぷかを語ってくれるのか楽しみです。 pukapuka-pan.hatenablog.com pukapuka-pan.hatenablog.com
  • 朝日新聞に「ぷかぷか」の取り組みが紹介されました。
    今朝の朝日新聞に、「やまゆり園事件が残したもの」という特集の中で「ぷかぷか」の取り組みが紹介されました。とてもいい感じの紹介です。 digital.asahi.com  「一見、パン職人風のユースケさん(35)は、注目されると「見るなよ」と照れて隠れるシャイな性格。でも、子どもたちが大好きだったり、店の前に並ぶ花の手入れを毎日したり。ぶっきらぼうだが、心優しい。」と紹介されたユースケさん、去年はNHKのカメラマンを怒鳴りつけたりしていましたが、根は優しい、シャイな青年で、朝日新聞の若い女性記者は、そこをしっかり見抜いていました。「一見、パン職人風」もいいところみてるなぁ、と思いました。  帰りがけ、ユースケさんに 「朝日新聞にいい男の写真載ったし、街を歩くと、え?あの人新聞に載ってた人だよね、きっと有名人よ、なんてひそひそ噂されて、ひょっとしたらサイン求められるかも」 っていうと、うるさい!とかいいながら、うれしそうにニタニタして、まんざらでもない様子でした。こういう人とおつきあいできるって、本当に幸せなことだと思います。  やまゆり園事件はなんの罪もない重い障がいのある人たちが犯人の身勝手な論理で19人も殺される、という悲惨極まりない事件でした。ここからどう抜け出せばいいのか、本当に気の重くなる事件でした。  事件直後は事件への批判がたくさん出ました。事件への批判は大事です。一つ一つうなずきながらも、批判だけでは、私たちは前に進めません。  黙っていても、新しい朝はやって来ます。どんなに悲惨なことがあろうとも、すがすがしい朝の光りの中で、私たちは前に進みます。  前に進むこと、それが、生きている、ということだと思います。  その、前に進む手がかりを昨日、今日の記事は提供していると思います。  あの事件の1年後にこういう記事が出たことに、私は希望を感じることができます。  私の古くからの友人〈ずっと障がいのある人たちにかかわってきた人です〉は、何かにつけ、障がいのある人の側について、ひとこと言いたい人ですが、珍しく今日の記事は絶賛していました。いい感覚で書いてるって。どこかで希望を感じたのだと思います。
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