ぷかぷか日記

ぷかぷかな日常

  • 今日というかけがえのない一日を作りだして
     久しぶりに「でんぱたさん」たち(ぷかぷかの生活支援事業所「でんぱた」で働く人達)に会いに行ってきました。  働いている人がいて、倉庫で休んでいる人がいて、こういうたたずまいがいい。 たい肥の切り返しをしようと思って、何かを思い出した? 落ち葉を集めようとして固まってしまって… こういう感じ、いいなぁ。 何を思ったのか、畑で気をつけをしたりして… 竹の大きなちりとりを持って… ものすごく熱心 たい肥を切り返す たい肥を運ぶ 玉ねぎを乾かすためにひもで縛る。 君の見つめる先には… 君は何を思う?  みんながそれぞれのやり方で今日というかけがえのない一日を作りだしている。
  • ぷかぷかさんたちの手際の良さにびっくり
    福祉事業所では 「障害者が作ったものだから買ってあげる」 といった関係がよくあります。でも、そういう感じで買ってもらうって、なんか嫌だなと思っていました。何よりも、そういった関係ではいいものはできません。そうではなくて 「おいしいから買う」 という関係をこそ作りたいと思いました。 「おいしい」  というところで勝負するのです。ほかのお店に負けないくらいおいしいものを作る。材料にこだわり、作り方にこだわり、とにかくおいしいものを作ることをぷかぷかは大事にしてきました。  結果、おいしいから買う、という当たり前のお客さんが増えただけでなく、ぷかぷかさん自身が質の高い仕事、本物の仕事をすることで、びっくりするくらい成長していました。  そんなことを思うのは、先日久しぶりに厨房を覗かせてもらい、ぷかぷかさんたちの手際の良さにびっくりしたからです。  その日は魚のフライの仕込みをしていました。三人並び、最初の人は魚に粉をつけて次の人に渡し、次の人は溶き卵をつけ、最後の人はパン粉をつけます。  右側のナオコさんは魚に小麦粉をつけ、次の人のボウルに入れます。ナオコさんは、どちらかというと障がいの重い方です。でもここでは、三人並んだ仕事のペースメーカーになっていました。スタッフはそばについていません。  ナオコさんは障がいは重いけれども、与えられた仕事をきちんとこなす方です。福祉事業所によくある単純作業ではなく、おいしいものを作る、という本物の仕事をこなしてきました。それを毎日くりかえす中で、ナオコさんはその場のペースメーカーになるほどに成長したのだと思います。  準備ができたのを見計らって、ナオコさんが小麦をつけた魚を次の人のボウルに入れるところからこの三人組の仕事が始まりました。  次々に魚を回していきます。       粉をつけます。              溶き卵をつけます。              パン粉をつけます。         流れるような仕事ぶりにびっくりしました。三人の呼吸が合い、仕事がどんどん進みます。いつもこのメンバーでやるわけではなく、誰がやってもこんな風に仕事が流れるそうです。  彼らをここまで持ってきたスタッフさんの働きがすごいなと思いました。そばで何にもいわなくても、ここまで仕事をやってしまうぷかぷかさんの成長にびっくりしながら、彼らを支えてきたスタッフさんの働きに頭が下がりました。スタッフさんたちに感謝!感謝!です。  障がいの重い方が、仕事の現場でペースメーカーになっているなんて、痛快じゃないですか。素晴らしいのひと言です。  おいしいもので勝負しよう、という目標が、こんなふうにみんなを成長させ、みんなが生き生きと働く現場を作り出したのだと思います。  何年か前、区役所の販売でほかの福祉事業所の弁当販売と重なったことがありました。私はお互い競争すればもっとおいしい弁当ができるんじゃないかと思ったのですが、相手は「うちは福祉ですから、競争はしません」なんていい、なんか力が抜けました。区役所が調整して、その事業所とは別の日になったのですが、なんだかなぁ、という感じでした。  「福祉だから競争しない」って、ま、競争しなくても福祉サービスの報酬が入るので事業は回るわけですが、職場の活気は生まれません。おいしい弁当も生まれません。仕事として、なんかつまらない気がします。  やっぱり職場には活気があって、商品が売れた時はみんなで大喜びしたり、売れない時はがっかりしたり、それが仕事の面白さです。ぷかぷかに笑顔が多いのは、そういった面白さが職場にあるからだと思います。そういった中でみんな人として成長していきます。  そういった可能性を「うちは福祉ですから、競争はしません」と最初から閉じてしまうのは、利用者さんに悪いじゃん、なんて思ってしまうのです。
  • 街には、そこにいる人たちの物語がある
    増築を繰り返す例の違法建築、よく見ると小さな街には小さな物語がたくさんちりばめられていることに気がつきました。        ここにどんな物語があるのか想像してみて下さい。                                             こういう物語があるから、違法建築がどんどん膨らんでいくのですね。  当たり前のことですが、街には、そこにいる人たちの物語がある。だからこの違法建築が生き生きとしているのだと思いました。  にしても、ヨッシーの想像力のすごさ、とても追いつけません。にもかかわらず、彼らを「支援」するという関係があちこちで幅をきかせています。そんな中にあって、たまたま今日、当事者のFacebookにこんな言葉がありました。 「僕が何故就労継続支援を打ち切って僧侶になるって決めたのか、今の就労支援の在り方が、支援してやっているんだからとか就職させてやったんだからって言う態度が、その態度が支援してる側が、失礼じゃないですか?だから就労は、諦めて優しいお坊さんになろうと決めました。」  優しいお坊さんになるなんて、素敵じゃないですか。  私たちが追いつけないところで、彼らは自分の人生をしっかり生きている気がします。
  • 尾野一矢さんが遊びに来ました。
     やまゆり園事件で重傷を負った小野一矢さん、8月から自立生活を始め、今日ぷかぷかに遊びに来ました。初めての場所で、かなり緊張している様子でした。  アート屋わんどで紙と色鉛筆を用意し、 「よかったらどうぞ絵を描いて下さい」 と誘ったのですが、全く乗ってきません。困ったなと思っていたのですが、ぷかぷかの雰囲気の中で少しずつ気持ちがほぐれてきたのか、自分からまわりの人たちと「一本橋こちょこちょ」をやり出しました。これをやる時は機嫌のいい時だそうです。介護の人やぷかぷかさんだけでなく、取材に来ていたNHKのカメラマンともやっていました。  お昼、ぷかぷかさんのお昼ご飯で、突然大きな声を上げ始めました。「せりがやなんとか」って言ってて、芹が谷帰りたくない、そこの仕事したくない、と言ってるのだと思います、と介護の人。よほど悪い思い出があるのだろうと思いました。それが何かの拍子でわ〜っと吹き出してくる感じでした。顔もかきむしっていました。  お昼ご飯はなぜか全く食べず、パン屋でカレーパン、コロッケパンを買って食べました。  暖かな日差しの中、ぷかぷかのまったりした時間を過ごしました。普段なかなか経験できないいい時間だったと思います。日中活動をする場所を決めていないので、毎日どこに行くか決めるのが大変だそうです。  ぷかぷかで毎日働くことは難しいですが、このまったりした雰囲気に浸りに週一回でも遊びに来てくれればと思います。管理されないぷかぷかの心地よい世界に浸ることで、大声を出すほどに傷ついている心が少しずつ回復するといいなと思います。「楽しかった人?」って聞くと「は〜い」と手を上げていたので、多分また来るのではないかと思います。  帰りがけ、わんどで写真を撮り、似顔絵名刺を注文しました。一矢さんはやまゆり園での生活のあと、自立生活を始めたというので、いろいろ取材が入ります。そんなときに渡す名刺です。肩書きは「神奈川自立生活実践者第1号」。なんだかカッコいい!  似顔絵の入るTシャツも注文しました。取材に来た記者に名刺を渡し、似顔絵の入ったTシャツを着て対応します。
  • 一瞬垣間見えたぷかぷかさんたちの小さな物語
    ぷかぷかさんたちといっしょに初詣に行ってきました。 いろんな思いが渦巻いて  一瞬垣間見えた、ぷかぷかさんたちの小さな物語です。
  • そらくん、床屋を耕す
     浅川さんちのそらくんが床屋に行きました。そらくんが街を耕している様子がよくわかります。 ameblo.jp  床屋に限らず、どこでも人はみんなばらばらです。でも、そらくんがいることで、そこで知らない人通しで自然に会話が生まれたことがすばらしいですね。  『福祉労働』という雑誌に 「ぷかぷかさんといることで、周囲の人間の心がまるくなる」 という言葉がありましたが、そらくんがいたおかげで床屋さんにいたお客さんたちの心がまるくなったんですね。だから全く知らない人とも自然に会話が生まれたのだろうと思います。  社会全体がなんとなく息苦しくなる中で、みんな心がとがってしまっています。知らない人に向かう心がとがっていて、社会がどんどんばらばらになっていってる気がしています。ツイッターに飛び交うきつい言葉を見ていると、社会のばらばらがどんどん進んで収拾がつかなくなっている気がします。  そんな中で、そらくんが床屋に行っただけで、そのまわりでほんわかした空気が生まれ、知らない人通しで会話が始まったという話は、なんかホッとして、ここにこそ社会の希望があるように思います。  床屋さんのような出来事があちこちで起これば、社会全体がまるくなる気がします。だからどんどん街へ出て行きましょう。そよ風のように。
  • 今日も靴下を脱いで昼寝。でも…
     先日立教大学に「哲学対話」に行く前、大学のそばのレストランでごはんを食べました。セノーさんはハンバーグステーキの温玉のせを注文。おいしそうに食べながら、   「ぷかぷかでは何人働いていますか?」 と聞いてきました。 「40人です」 そのときは、どうしてそれを聞いてきたのかよくわかりませんでした。   その日の夜、お父さんのFacebookに   秋葉原です。むすこさん、ぷかぷかのみんなにどうしてもお土産が買いたかったそうです。   という記事がアップされていました。 私が 「今日、お昼ごはん食べながらぷかぷかさんの人数聞いていました。友だち思いで、優しいですね」 と書き込むと、 「健介にとって大切な仲間です!」 と、お父さんから返事がありました。   学校の教師をやっている方が 「優しいですね。仲間を感じるって、人として一番大事なことだなって思います」 と書き込んでいました。    ぷかぷかさん同士で、そんな風にお互いのことを思い合う関係ができていたことが、すごくうれしかったです。  セノーさんは今日も靴下を脱いで昼寝。でも、ちゃんと仲間のことを思っているセノーさんです。      
  • セノーさんのおかげで、いい人生。
    先日セノーさんのお父さんの誕生日に朝一番 「誕生日おめでとうございます。ケンスケくんのおかげでいい人生、生きていますね。」 ってメッセージ送ったら、 「ありがとうございます。今、ケンスケが幸せなのは高崎さんのおかげです。」 と返ってきたので 「いやいや、私も彼のおかげでいい人生送らせていただいています。」 と返しました。  これは正直な私の気持ちです。人の心をこんなにも癒やしてくれる人は、そうそういません。  心を癒やされているのは私だけではありません。たくさんの人が癒やされているから、あんなにもFacebookに記事が上がるのだと思います。  そのFacebookを見て、先日はわざわざセノーさんに会いに来た方がいました。そのことをFacebookにアップしたら、仙台の方が 「私も会いに行きたい」 と書き込みをしていました。セノーさんて、日本中の人の心を癒やしてるんだと思いました。    セノーさんとの出会いはもう10年ほど前。彼が養護学校高等部2年生で私が担任をやったときです。当時毎日のようにマックに行き、ぶくぶくに太っていました。なんとかやせて欲しいと思い、思い立ったのがこれ。  ある日一緒に給食食べながら 「あれっ!セノーさん、目がすごく赤いよ、これはまずいよ、糖尿病だよ」 「糖尿病って?」 「糖尿病はマックのハンバーガーのような脂っこいものを食べる人がかかる病気ですよ。」 「ふ〜ん、それで」 「糖尿病になると、体のあちこちが腐って、ボロッと落ちます。」 「ボロッと落ちる?」 「そう、たとえば朝おしっこするときに、大事なところが腐ってボロッと落ちるのです」 「そうすると女の子になってスカートはいてくるの?」 「!」 この辺のセンスが昔からすばらしい。 「こんなに赤いのは、もう末期的症状だよ」 「マッキドナルドですか」 「!」 頭の回転とセンスのよさ。 今もやっている目のチェックは、ですからもう10年以上やっているのです。うれしかったのは、卒業後しばらくほかの作業所に行ってて、何年ぶりかに会ったとき、真っ先にやったのはこの目の検査と落ちなかった検査。ちゃんと憶えててくれたんですね。タカサキといえば目の検査、というふうに。 「ちょっと目見せて、あっ!赤いよ、これまずいよ」と「今朝はおしっこしたときボロッと落ちなかった?」はセノーさんと私の合い言葉です。  結局目の検査は糖尿病対策にはなんの役にも立たなかったのですが、セノーさんとの関係はすごくいいものになった気がします。 彼のおかげで本当にいい人生生きています。毎日のように下の写真のようなことやってます。いい人生というのは、こういうことを言うのだと思います。           
  • 精神的に要介護
     セノーさんと腕を組んで、下の写真のような感じで歩いていると   「これって、セノーさんがタカサキを介助してるんじゃないの」 「タカサキは精神的に要介護じゃないの」 という声がしきりで、全くその通りです。  毎日セノーさんにこうやって介護される日々こそ、幸せいっぱいの気持ちになれます。  先日階段で転んだとき、真っ先に 「タカサキさん、大丈夫?」 と声をかけてくれたのはセノーさんでした。ですから、セノーさんは、ああ見えて、結構私のこと心配してくれてるのです。  毎日腕をセノーさんが巻き付けてくるのも、なんだかんだとどうでもいいことをいいながら、タカサキのことを密かに心配しているのかも知れません。  毎日の目の検査も、セノーさんが養護学校高等部2年の時からやっているので、もう9年にもなります。あの頃もすごく太っていて、ある日隣り合わせで給食食べながらふと思い立って目をのぞき込み「セノーさん、目が赤いよ、これ糖尿病だよ、マックに行き過ぎだよ。もう末期的症状だから、体のあちこちが腐って、そのうち朝、おしっこしたはずみに大事なところがぼろっと落ちるんだよ」といったのが始まりで、あれから9年。いまだに毎日「あ、目、白いよ、どうしてですか?」「マック行ってないからですよ。え?セノーさんは今日も目が赤いけど、マック行ってるの?」「いってますよ、昨日はテキサスバーガーでした」「え〜!この赤さは、もう、末期的症状だよ、ヤバいよ、朝、ぼろっと落ちなかった」「今日は落ちませんでした」「明日あたりヤバいかも」という会話が盛り上がります。糖尿病の「末期的症状」が9年も続いていることになります。最近はセノーさんの方から「朝、ぼろっと落ちるとスカートはいて東洋英和ですね」なんてうれしそうにいったりするので、年季が入っているというか、この道の達人の域です。  こんなに楽しい朝のひとときを過ごすことができるのもセノーさんのおかげです。これがないと一日が始まらないくらいです。ほんとうに精神的に要介護なのです。  「障がい者と共に生きよう」なんて生っちょろい世界を、すでに突き抜けている感じです。
  • セノーさん、ついにマック卒業証書ゲット!
     みどりの家診療所にメンバーさんの健康診断に行きました。セノーさんと廊下で待っているときに、三宅先生が通りかかったので、 「セノーさん、体重が重くて、来週旅行に行くとき、バスが傾くんじゃないかと心配しているのですが、体重を減らすためのアドバイスをしてやってください」 「ああ、大丈夫だよ、やせたタカサキさんと一緒に乗れば、ちょうどバランスが取れていいんじゃないの」 だって。ついでにもう一つ。 「セノーさん、健康になるために、マックの卒業証書が欲しいようなので、書いてもらえませんか?」 と頼むと、ちらっとセノーさんの目を検査し、 「あ、これは健康ですね、更に健康になるために卒業証書を出しましょう」 と事務室に入り、紙とサインペンを持ってきて、本人の目の前で書いてくれました。   書き上げたあと、証書を読み上げてくれました。セノーさん、神妙な顔をして、両手をそろえて聞いていました。   証書を受け取り、 「いや〜、よかったねぇ」 と三宅先生に拍手されると、ほんとうにうれしそうな顔していました。   「もう、マックには行きませんから」 と大きな声で言っていると、たまたま通りかかった理事長が聞いて 「ええ!マック行かないんだって、すごいなぁ」 とほめてくれました。  マック卒業証書の話がすぐに伝わって、みんなで盛り上げてくれる診療所の雰囲気がいいなと思いました。    
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