彼らといっしょに、その「道草」を食う時間が、「ああ、いい時間だったなぁ」 って、しみじみ思えるのです。
映画『道草』を見に行きました。途中何度も笑ってしまう、楽しい映画でした。見終わってから「道草」の意味がようやくわかりました。 重い障害を持った人たちといっしょに生きていく生活は、なかなかまっすぐに進みません。ほとんど「道草」を食いながら、ゆっくりゆっくり進んでいきます。 彼らといっしょに、その「道草」を食う時間が、映画を見終わって何時間もたった今、 「ああ、いい時間だったなぁ」 って、しみじみ思えるのです。なんなんでしょうね、この心地よさは。 重い障害を持った人たちといっしょに生きる理由が、少し見えた気がしました。介護者という立場の人も、「道草」の時間を楽しんでいます。十数年おつきあいしているという介護者が何人も登場します。いい時間を一緒に過ごしてきたんだろうな、と思いました。「支援」ではなく、「おつきあい」です。道草を食いながらの「おつきあい」。だからそこには、いい時間がある。お互いが豊かになる時間がある。 そんな時間があるから、彼らとのおつきあいの中で、人はまた、人になれる。人になれるから、また彼らのそばに行く。 彼らとの十数年ものおつきあいは、そうやって生まれたのだと思いました。 散歩の途中 「たぁー!」 って、叫ぶ人がいます。まわりの人がびっくりするからやめよう、って介護の人が言います。 「うん、わかった」 って、いいながら、また 「たぁー!」 って、叫びます。もう散歩やめるよ。いやです。たぁっていうのやめるって約束できる? 「うん、できる、指切りげんまん」 と二人で、指切りげんまんをするのですが、すぐにまた 「たぁー!」 とやります。やりながら、にたにた笑っています。 ああ、この人、介護の人をあそんでるんだ、と思いました。 ぷかぷかのファンの人が 「僕はぷかぷかさんたちにあそばれてるんですよ」 っていってましたが、まさにそれでした。 あそぶ方もあそばれる方も、お互いがその時間を楽しんでいる。だから見ている方も楽しい。 調子が悪くて家で暴れたり、お店の窓を割ったり、いろいろ大変なこともあります。それでもなお、彼らと生きる時間の豊かさをこの映画は「道草」を食いながら伝えてくれます。 なんかね、見終わってからじわ〜っとそれが伝わってくる映画ですね。 映画館の上映が終わると自主上映が始まります。ぷかぷかもやろうかなと思っています。 重い障がいのある人たちとどんな風につきあっていくのか。そのつきあい方ひとつで、こんなにも豊かな時間がうまれたり、あのおぞましい相模原障害者殺傷事件が起きたりします。この落差はなんなのでしょう。 michikusa-movie.com