ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • こちら側の出方次第で、この社会は変わる
     昨日アップした「重い障がいがあっても、こんなすてきな人生…」という記事の中の、事件で犠牲者になった方の名前を出さない問題に対し、 「私は保護者による人権侵害だとさえ思います。彼らは保護者のものではありません。」 というコメントがつきました。間違ってはいないと思うのですが、保護者を責めてもなんの解決にもなりません。問題がそこにはないからです。名前を出さない、出せないことのいちばんの原因、それは、障がいを隠して生きざるをえなかった人たちがいるこの社会こそが問われるべき問題だろうと思います。ですから今回の件は社会全体の人権侵害ではないかと思います。  そんな社会をどうやったら変えられるのか、どうやったら障がいのある人たちへの差別意識をなくすことができるのか、という問いの一つの答えとして、私は6年前、障がいのある人たちの働くお店「ぷかぷか」を街の中に作りました。障がいのある人たちへの差別意識は、彼らのことをよく知らないことから生まれます。ならば、街の人たちにお店で彼らと「いい出会い」をして欲しいと思いました。街の人たちが彼らと「いい出会い」をすれば、障がいのある人たちへの差別意識は自然になくなります。で、実際どうだったのかー  お店が始まった当初は、店頭で大声で宣伝していた「おいしいパンいりませんか」の声がうるさいと苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりする自閉の方の行動が目障りで飯がまずくなると言われたり、パニックで外へ飛び出してしまって大声で怒鳴られたり、ほんとうにもう心が折れてしまいそうな日々でした。  それでもこつこつお店を続けていると、彼らに優しく声をかけて下さるお客さんも少しずつ増えてきました。いちばんよかったことは、接客マニュアルを使わずに、彼らのやり方に任せたことでした。それぞれの個性、魅力がそのまま出るような接客に、お客さんはとても新鮮なものを感じたようでした。以来、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんが少しずつ増えてきました。彼らと「いい出会い」をしたのだと思います。  Facebookページでは、毎日のように「今日はこんなことやりました」「あんなことがありました」という記事をメンバーさんのいい顔した写真と一緒にアップしました。毎日こんなに楽しく働いてるよ、というメッセージです。記事によっては1,000人を超えるアクセスがあります。Facebookページを通して「いい出会い」をしたのだと思います。  社会が少しずつ変わってきたなと実感します。こちら側の出方次第で、この社会はまだまだ変われる、希望を持つことができます。    今回の事件をきっかけに社会の暗部がぐわっと出てきた気がします。「障害者という税金食い潰すだけのゴミを始末した英雄に賞賛の声がツイッターで殺到」などというぞっとするようなネット上の情報には暗澹たる気持ちになってしまいます。そんな社会情勢にあって  「ぷかぷかが好き!」「ぷかぷかのファンです」 という言葉は、もう涙が出そうなくらい光っています。ここには希望があります。ぷかぷかが街に中にお店を作り、毎日街を耕した結果生まれた言葉です。こんな言葉をもっともっと増やしていきたいと思っています。    事件後、障がいのある人たちも一人の人間として認められるような社会になって欲しい、とよく言われるのですが、なって欲しいと思っているだけでは社会は変わりません。やはり彼らと一緒に何か始めること、社会に具体的に働きかけること、そうすれば社会は少しずつ変わっていきます。ぷかぷかを始めて、それは実感としてあります。  小さなことでいい。たくさんの人が小さなことを始めれば、社会は少しずついい方向へ変わります。   パン教室での、こんな小さな出会いが、未来に希望をもたらします。 制作スタッフのぷかぷかさんたちとの素敵な出会いがこのプロモーションビデオを生みました。「いっしょにいると心ぷかぷか」みんながそんな気持ちになってくれるといいなと思います。 www.youtube.com                       
  • 重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージの大事さ
    7月30日の朝日新聞朝刊に、相模原で起きた殺傷事件で犠牲者の名前を公表していないことについての記事がありました。 digital.asahi.com  保護者の要望で名前を非公表としたというのですが、名前はその人の人生そのものであり、名前を公表しないことは、その人の人生そのものがなかったことにならないか、という気がします。  たとえ重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージは、こんな時こそ大事だと思います。  きちんと名前を書き、この人はこんなすばらしい人生をおくりました、と書き残すことは、亡くなられた方への最低限の「礼儀」であるようにも思うのです。      こんなことは考えたくないのですが、もしぷかぷかでこんな事件が起き、もし犠牲者が出たりしたら、悲しみに暮れながらも私は、犠牲になった方はこういう名前の方で、こんな人生を送ってたんですよ、という話を書きます。悲しくて、悔しくて、やりきれないから、ほんとうにもう毎日書きます。その人が生きた証を残してあげたいからです。障がいがあっても、こんなすてきな人生を、こんな豊かな人生を生きたんだよ、という確かな証です。  そしてそれをたくさんの人たちと共有することこそが、このような事件を防ぐ力になると思います。      「重度障害者は何もできない。生きる価値はない」なんて発言はとんでもないと思います。この記事で紹介されている写真の青年は、お父さんとお母さんの人生をしっかり支えてきました。すばらしい働きだと思います。こんな働きは誰にでもできることではなく、この青年しかできません。  彼が施設で生活することで、施設職員の雇用を生み出しています。食事を作るための食材の業者さんの仕事を生みだし、施設のメンテナンスをする業者さんの仕事を生みだします。つまり、彼が生活することで経済が回るのです。彼がいなければ、こういったことがゼロになります。その経済的な損失を考えると、彼が施設で生活することで生み出すものの大きさがわかります。  そういう働きを私たちがきちんと評価していくことが、今の社会風潮の中ではとても大事だと思います。    記事にそういう掘り下げがなかったことがとても残念です。
  • お母さんの優しいまなざしは
    映画「うまれる」に登場した「18トリソミーの虎ちゃんが七五三のお祝いをしました」と「うまれる」のメールマガに載っていました。18トリソミーという障がいは、生きてうまれてくること自体が難しいといわれている重い障がいです。その虎ちゃんが今日12月25日、5才の誕生日を迎えるそうです。ご両親が素敵な言葉を語っていらっしゃいます。   虎、   うまれてくれてありがとう。   毎日をありがとう。   一緒にいてくれてありがとう。   こんなに元気で過ごしてくれてありがとう。   お世話をさせてくれてありがとう。   親にしてくれてありがとう    障がいのある人たちと一緒に生きる意味がよく見える言葉ですね。虎ちゃんといっしょに生きていくのは、本当に大変だろうと思います。でも、だからこそ、こんな素敵な言葉が、さらっと出てくるのだろうと思います。  昔写真家ユージンスミスの写真で胎児性水俣病患者の上村智子さんをお風呂でお母さんが抱っこしている写真がありました。「この子は宝子ばい」とお母さんが語っていましたが、学生だった私にはその言葉の意味がよくわかりませんでした。重度の障がいを持った子どもがどうして宝なのか、と。(もう40年以上も前の話です)  でも、障がいのある子どもたちとおつきあいするようになって、彼らの魅力にとりつかれ、もう惚れ込んでしまって、彼らとずっといっしょに生きていきたいな、と思うようになったとき、そのお母さんの言葉が胸にストンと落ちたのです。  そしてあの写真の智子さんを見つめるお母さんの優しいまなざしは、虎ちゃんのご両親の言葉をそのまま語ってたんだろうなって、今、あらためて思います。
  • 実はとても大事な存在
     かながわ生き活き市民基金の助成金申請書に「解決したい地域や社会の課題」というのがありました。  「ぷかぷか」にとって、地域や社会の課題は、言うまでもなく、障がいのある人たちの社会的生きにくさです。   口にはしないものの、障がいのある人たちのことを「何となくいやだな」と思っている人は多いと思います。  障害者施設を建てようとすると、地元市民から反対運動が起きることさえあります。とても悲しいことですが、これが障がいのある人たちの置かれた状況です。  これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題です。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれます。“知らない”ということが彼らを地域から排除してしまうのです。  彼らの生きにくい社会、異質なものを排除してしまう社会、他人の痛みを想像できない社会は、誰にとっても生きにくい社会だろうと思います。誰かを排除する意識は、許容できる人間の巾を減らすことにつながります。社会の中で許容できる人間の巾が減ると、お互い、生きることが窮屈になります。これは同じ地域に暮らす人たちにとって、とても不幸なことです。  逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会になります。  社会の中で邪魔者扱いされ、閉め出されてしまっている彼らが、実はとても大事な存在であり、本当は彼らに私たちが助けられている、ということがワークショップの中では実感できます。彼らがいないと、あんなに楽しいお芝居作りはできないのです。いっしょににやった方が絶対に楽しい、という体験が、いっしょに生きていった方が絶対にいい、というふうになっていけばいいなと思っています。そういう思いを抱く人が増えていけば、地域社会は少しずつ変わって行くと思うのです。        
  • ぷかぷかのミッション(実現したいこと)
     ぷかぷかのミッション(実現したいこと)をあらためて考えてみました。   ●障がいのある人たちといっしょに、お互い気持ちよく生きていける社会を実現します。 ・障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージをさまざまな形で発信し、みんなが気持ちよく生きていける社会を実現します。 ・  生産の効率が落ちても、彼らといっしょに働いた方がいい、という新しい価値観を生み出します。(スタッフだけで働いた方が、ひょっとしたら生産量は増えるかも知れませんが、彼らのいない「ぷかぷか」は、なにかつまらないし、彼らといっしょに働いてこその「ぷかぷか」だと、スタッフたちは思っています。これはまぎれもなく「彼らといっしょに働いた方がいい」という新しい価値観ではないかと思うのです) ・「いい一日だったね」ってお互い言い合えるような、そんな一日をみんなで作ります。 ・利用者さんの笑顔が絶えない職場にします。 ・就労支援の事業所として、利用者さんの毎日が充実するような,楽しいと思える仕事を提供します。 ・「カフェベーカリーぷかぷか」は 、お客さま(大人も子どもも)が安心して食べて頂けるおいしいパンを提供します。「ぷかぷかカフェ」はお客さまが安心して召しあがって頂けるおいしい食事を提供します。 ・「ぷかぷかカフェ」は小さなお子様連れのお客さまもゆっくりくつろげる雰囲気を、利用者さんと一緒に作ります。 ・ 障がいのある人たちの文化、あるいは彼らといっしょだからこそ生み出せる文化を発信します。   ・利用者さんの自立生活を支えます。 ・利用者さんとお客さまの素敵な出会いの場を提供します。    ビジョン(5〜10年後の姿)も考えてみました。 ・ぷかぷかのメッセージを発信する回路を太くし、共感する人を5〜10倍増やします。 ・外から見ても「楽しそうに働いていますね」って思えるような職場、利用者さんも、スタッフも目が生き生きしているような職場,笑いの絶えない職場にします。 ・ぷかぷかパンのファンを増やし、売り上げを2倍に増やし、利用者さんの給料を2倍に増やします。 ・安心して食べられるおいしいパン、食事をたくさん開発します。 ・新しい文化の発表の場として、毎年「ぷかぷか元気まつり」を開きます。それに向けて、月一回程度、地域の人たちにも呼びかけて、利用者さんといっしょに、みんなで楽しいワークショップを行ないます。 ・空き店舗ではなく、広くゆったりしたスペースで、アート(創作)活動を楽しみます。そのスペースを創ります。 ・グループホームを実現します。     バリュー(大事にしたい価値観)も考えてみました。 ・障がいのある人たちといっしょに生きていった方がいいよって素直に思える価値観。 ・仕事は楽しくやるものと思う価値観。 ・彼らといっしょに生きる毎日が楽しいと思う価値観。 ・一日一日を大事にする価値観。 ・命が大事、だから「安心して食べられる」ということはすばらしいと思う価値観     ぷかぷかはどんどん進化?していきます。ですから具体的な項目は、これからも増えていくのだろうと思います。 ご意見いただければ幸いです。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp                      
  • 「あなた出会えて良かったよ」ってお互いが思えるような
     毎週外販に行っている区役所の方からメールが来ました。 【職場でぷかぷかさんのシュトーレンを紹介しましたら、ぷかぷかさんのスッタフさんの話でいっぱいになりました。  計算が早い人の話、看板の文字を読み上げる人の話、販売上手な人の話・・・。スタッフさんの名前は分からないけど、それぞれの人の特徴を言うだけで、顔が思い浮かぶなんてすごいですよね。】    こういう関係ができたことがすごく嬉しいです。“障がいのある人”ではなく、“計算の早い人” “看板の文字を読み上げる人” “販売上手な人”というふうに表現できるのは、一人一人とのおつきあいがあったからできるわけで、ここから新しい関係が始まりそうな気がしています。  それは“障害者”と“健常者”という、どこかいびつで、対立するような関係ではなく、「あなた出会えて良かったよ」ってお互いが思えるような、前向きの関係です。  人は誰かと出会うことで、自分を豊かにしていきます。障がいのある人たちとの出会いは、自分の世界を豊かに広げてくれます。自分の中の人間の幅を広げてくれます。  障がいのある人たちの働く場、生活する場が地域の中にできることに抵抗を持つ人はまだまだ多いと思います。「不気味だ」などといわれ、とても悲しい思いをしたこともあります。  異質な存在を締めだしてしまう地域社会は、締めだした側も息苦しく、生きにくい社会になります。許容できる人間の幅が、異質な存在を締めだした分、狭いからです。  そんな中にあって、彼らと「あなたと出会えて良かったよ」って思えるような関係ができることは、お互い気持ちよく生きていける社会に向けて、ささやかな一歩を踏み出すことになると思います。      
  • 笑顔で働いている姿を見て
     実習生に実習の感想を聞いてみました。  「毎日がほんとうに楽しいです。一日が終わると、次の日がすごく楽しみです。あと一日で実習が終わることがとても寂しいです」  こんな嬉しい感想を言ってくれた実習生は初めてです。実習生はたいてい緊張していて、仕事に慣れ、職場の雰囲気に慣れる頃には実習が終わっていることが多いです。でも今回の実習生は、もう初日から 「楽しかったぁ」 と、家でお母さんに報告していたそうです。  「ぷかぷか」に来る前、他の福祉事業所で実習していたのですが、仕事が厳しかったのか、うまくいかなかったようです。そのあと「ぷかぷか」に見学に来て、みんなが笑顔で働いている姿を見て、ここならやっていけそうだ、と思い、実習に来たそうです。  そして、予想通り、笑顔で実習できた、というわけです。  「みなさんが笑顔で働いていました」  今日、初めて聞いて、そうか、「ぷかぷか」は利用者さんにとってそういう職場だったんだ、とあたらめて気がつきました。これは特に意識したわけではないのですが、自然にそうなっていたのでしょう。  別の実習生の方で、  「あの〜、ここは仕事中におしゃべりしてもいいんですか?」 と聞いた方がいました。仕事そっちのけでおしゃべりするのは困りますが、楽しい会話は職場の楽しい雰囲気を作り、仕事がはかどります。  養護学校で教員やっていた頃、 「仕事中のおしゃべりはダメです」 なんて指導したりしていましたが、今から思うと、何が仕事をはかどらせるのか、といったことが全くわかってなかったな、と思います。  黙りこくったまま、黙々と仕事をするなんて、息が詰まりそうで、素直にいやだなと思います。仕事が楽しいと感じられ、笑顔で毎日仕事できることがいちばんです。  実習生は「ぷかぷか」が一番大事にしていることを、しっかり見抜いていたんだなと思いました。    
  • お金を使うことで、何倍も価値あるものが生まれる、ということがイメージできなくて
    本の原稿、また少し書きました。   設備費・工事費などで2000万円を超える見積書に冷や汗   パン屋を始めるための資金は、どこからも助成金をもらえなくて、自分の退職金を「投資」するつもりでいました。   でも、実際に設備費934万円、改修工事費1,345万円と、見積書が上がってくると、じわっと冷や汗が出てきました。   設備費の内訳はオーブン、ミキサー、モルダー、リバースシート、ガスフライヤー、ドゥコンデショナー、冷凍冷蔵庫、パススルー冷蔵庫など、あわせて934万円。    改修工事費の内訳は店舗デザイン料、内装下地工事、造作工事、内装仕上げ工事、電気設備工事、給排水設備工事、換気設備工事など、あわせて1,345万円でした。  両方あわせると2,279万円で、退職金がほぼ全部飛んでしまう額でした。  当時はこのお金を使うことで、何倍もの価値あるものが生まれる、といったことがイメージできませんでした。パン屋が絶対にうまくいく、という自信もなく、「下手するとお金はもう戻ってこないかも」と思っていました。  今でこそ、その時の「投資」があったから今の「ぷかぷか」がある、ということがよくわかるのですが、その当時はそういったことがよくわかりませんでした。「投資」から生まれる今の「ぷかぷか」を想像できなかった、ということです。  それでも、前へ進むしかありませんでした。明るい展望のないまま、前へ進むのは本当に辛いことでした。でも、前へ進まなければ、展望も開けません。  自分の家に、一銭も入れないまま、先がはっきり見えないことに大金をつぎ込むことは、二重にしんどいことで、この頃の精神状態は最悪でした。家にお金を入れないことについて、何一つ文句を言わなかった連れ合いにはほんとうに感謝しています。  家族に障がいのある子どもがいたわけでもありません。それなのに家に一銭も入れることなく、障がいのある人たちのために退職金のすべてを使うことは、連れ合いも養護学校の教員をやっていたとはいえ、やはり抵抗はあったと思います。それでも黙って見ていてくれたことには、今更ながら頭の下がる思いです。  当時は法人でありながら、私のまわりに物事を一緒に考えるブレーンと呼べる人がいませんでした。ですから2,000万円を超える「投資」について、誰かと議論する、といったことは全くありませんでした。ほんとうはこの「投資」が生み出す「価値」について、スタッフに中でもっともっと議論しておくべきだったと思います。それをやっていれば、利益が生まれる3年目までの苦しい時期は、もう少し違う形で乗り越えられたように思います。  
  • ずいぶん助けられているなぁという気がして…
     gottiがほしがっていた「東急5050系4000番台」の電車の模型を、昨日お母さんに手渡し、gottiに届けてもらいました。  電車の模型を受け取ったときのgottiの笑顔。想像するだけで楽しいです。      このブログを読んでいる方が、「今まで、なにかをやってあげる対象でしか考えていませんでしたが、gottiのお話読んでいるうちに、そうじゃないことに気がつきました」と先日おっしゃってました。  これは本当にすばらしい【気づき】だと思います。この気づきこそが、お互いの関係を変え、新しい社会を作っていくのだと思います。  話をすると、通じないことの多いgottiですが、それでいて、こういった「お互いが支え合う関係」といったものは、いつの間にかgottiのまわりにできてしまいます。ここがgottiの魅力であり、彼の持っている力だろうと思います。その力に私たちはずいぶん助けられているなぁという気がします。電車のプレゼントはその感謝の気持ちです。
  • 「養護学校でもいい」という選択から人生がおもしろくなった話
     ぷかぷかの本の原稿を少しずつ書き始めています。養護学校に勤めるきっかけから、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょに生きていきたいと思うようになったあたりを書きました。ご意見いただければ幸いです。    「養護学校でもいい」の選択から福祉の世界へ   養護学校で30年働きました。といって最初から福祉を目指していたわけではありません。大学を卒業してからは福祉とは何の関係もない民間の会社で働いていました。30歳の時、宮城教育大学学長の林竹二さんの兵庫県湊川高校(被差別部落の子どもや在日朝鮮人の子どもたちが多い)での教育実践の本を読み、教育によって人がここまで変わるのかと感動。こういう世界で働いてみたいと思い、教員の採用試験を受けました。運良く合格し、どういう学校がいいか、選択する機会がありました。簡単に書くと、 1,      養護学校がいい。 2,      養護学校でもいい。 3,      養護学校はいや。 という三つの選択肢です。小学校の教員になるつもりだったので、この選択は想定外でした。私は養護学校を強く希望するわけでもなく、といって全くいやなわけでもなく、やむなく残った「養護学校でもいい」を選択しました。  すぐに養護学校の校長から電話が入り、思いもしなかった福祉の世界に飛び込むことになったのです。  「養護学校でもいい」という、かなり無責任な選択でしたが、そこでは障がいのある子どもたちと、人生が変わるほどの素敵な出会いがありました。そして30年後、退職金をはたいてまでして障がいのある人たちの働く場を作ってしまったのです。   子どもたちとの素敵な出会いが…  養護学校では知的障がいの子どもたちを相手にしてきました。一番最初に受け持ったサト君は小学部6年生。おしゃべりは全くできなくて、「あー」とか「うー」だけでしたが、一緒に過ごすにはそれで十分でした。こちらのいうこともだいたい通じていました。文字を書くこともできませんでした。というか、鉛筆を持って書くということに全く興味がない感じでした。文字を読むこともできませんでしたが、お話を読むと、「がっはっは」と豪快に笑いながら聞いていました。内容が伝わったから、というより、その時の雰囲気で笑った感じでしたが、それでもその場をとても楽しい雰囲気にしてくれました。こういう人がそこにいる、ということがとても大切だと思いました。  人を、何かが「できる」「できない」でくくれば、半数くらいがサト君くらいのレベルだったと思います。いろいろできないことはありましたが、とにかく楽しい人たちで、そばにいるだけで気持ちがなごみ、なんて素敵な人たちなんだろうと思いました。    養護学校で働き始めて5年目の頃だったと思います。障がいのある子どもたちとのおつきあいにも慣れ、ゆとりを持って相手を見ることができるようになっていました。  いつもふんぞり返っていて、社長と呼ばれる子どもがいました。しょっちゅうお漏らしするせいで、とにかく気がつくとパンツを脱いで、天気のいい日は芝生の上で大の字になって寝転び、実に気持ちよさそうにしていました。みっともないからパンツくらいはきなさい!等と注意するくらいでいうことを聞くような子どもではありません。でも毎日のようにそんなことを繰り返していると、あたたかな芝生の上でパンツを脱いで大の字になって寝っ転がっている社長の方が、つまらない注意をする私よりも、そのときそのときを気持ちよく生きているのではないか、と思えるようになってきたのです。   もちろん社長が正しいというわけではありません。でも社長と私とどっちがそのときいい顔をしているかといえば、社長の方が何倍もいい顔をしているのです。このことに気がついたときからです。ふつうはパンツははいているものですが、パンツを脱いでしまう子どもがいたっていいじゃないか、って思えるようになったのは。    そう思えるようになると、自分の中の「人間」の幅が少しずつ広がってきました。人間の見方が変わってきたのです。どんな人でも受け入れることができるというか、そういう人がいてもいいよな、とふんわり相手を受け入れられるようになってきたのです。    毎日のようにいろんなことをしでかしてくれる彼らとつきあううちに、自分の中にあった「規範」というものがぐらついてきました。人は普通、こういうことはするものじゃないとか、やっちゃあいけない、といった「規範」で自分を縛り付けています。彼らにはそういった自分を縛る「規範」といったものがありません。気持ちのいいくらい自由に生きています。彼らの自由さに振り回されて、毎日右往左往しながらも、こういう生き方もありだよな、と思うようになりました。そうすると、私自身、生きることがなんだかとても楽になった気がしました。肩から力が抜けた、というか、そんな感じです。    楽しくて、なんともいえない魅力あふれる彼らと毎日におつきあいしているうちに、人間ていいな、って素直に思えるようになりました。長い人生生きてきて、こんな気持ちになれたのは本当に初めてでした。人間の良さに出会った、というか、そんな気持ちでした。    そしてこんな人たちとずっと一緒に生きていきたいな、と思うようになりました。一緒にいるとすごく楽しくて、これはもう一緒に生きていった方が「絶対得!」と、はっきり思ったのでした。    
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