ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 笑顔で働いている姿を見て
     実習生に実習の感想を聞いてみました。  「毎日がほんとうに楽しいです。一日が終わると、次の日がすごく楽しみです。あと一日で実習が終わることがとても寂しいです」  こんな嬉しい感想を言ってくれた実習生は初めてです。実習生はたいてい緊張していて、仕事に慣れ、職場の雰囲気に慣れる頃には実習が終わっていることが多いです。でも今回の実習生は、もう初日から 「楽しかったぁ」 と、家でお母さんに報告していたそうです。  「ぷかぷか」に来る前、他の福祉事業所で実習していたのですが、仕事が厳しかったのか、うまくいかなかったようです。そのあと「ぷかぷか」に見学に来て、みんなが笑顔で働いている姿を見て、ここならやっていけそうだ、と思い、実習に来たそうです。  そして、予想通り、笑顔で実習できた、というわけです。  「みなさんが笑顔で働いていました」  今日、初めて聞いて、そうか、「ぷかぷか」は利用者さんにとってそういう職場だったんだ、とあたらめて気がつきました。これは特に意識したわけではないのですが、自然にそうなっていたのでしょう。  別の実習生の方で、  「あの〜、ここは仕事中におしゃべりしてもいいんですか?」 と聞いた方がいました。仕事そっちのけでおしゃべりするのは困りますが、楽しい会話は職場の楽しい雰囲気を作り、仕事がはかどります。  養護学校で教員やっていた頃、 「仕事中のおしゃべりはダメです」 なんて指導したりしていましたが、今から思うと、何が仕事をはかどらせるのか、といったことが全くわかってなかったな、と思います。  黙りこくったまま、黙々と仕事をするなんて、息が詰まりそうで、素直にいやだなと思います。仕事が楽しいと感じられ、笑顔で毎日仕事できることがいちばんです。  実習生は「ぷかぷか」が一番大事にしていることを、しっかり見抜いていたんだなと思いました。    
  • お金を使うことで、何倍も価値あるものが生まれる、ということがイメージできなくて
    本の原稿、また少し書きました。   設備費・工事費などで2000万円を超える見積書に冷や汗   パン屋を始めるための資金は、どこからも助成金をもらえなくて、自分の退職金を「投資」するつもりでいました。   でも、実際に設備費934万円、改修工事費1,345万円と、見積書が上がってくると、じわっと冷や汗が出てきました。   設備費の内訳はオーブン、ミキサー、モルダー、リバースシート、ガスフライヤー、ドゥコンデショナー、冷凍冷蔵庫、パススルー冷蔵庫など、あわせて934万円。    改修工事費の内訳は店舗デザイン料、内装下地工事、造作工事、内装仕上げ工事、電気設備工事、給排水設備工事、換気設備工事など、あわせて1,345万円でした。  両方あわせると2,279万円で、退職金がほぼ全部飛んでしまう額でした。  当時はこのお金を使うことで、何倍もの価値あるものが生まれる、といったことがイメージできませんでした。パン屋が絶対にうまくいく、という自信もなく、「下手するとお金はもう戻ってこないかも」と思っていました。  今でこそ、その時の「投資」があったから今の「ぷかぷか」がある、ということがよくわかるのですが、その当時はそういったことがよくわかりませんでした。「投資」から生まれる今の「ぷかぷか」を想像できなかった、ということです。  それでも、前へ進むしかありませんでした。明るい展望のないまま、前へ進むのは本当に辛いことでした。でも、前へ進まなければ、展望も開けません。  自分の家に、一銭も入れないまま、先がはっきり見えないことに大金をつぎ込むことは、二重にしんどいことで、この頃の精神状態は最悪でした。家にお金を入れないことについて、何一つ文句を言わなかった連れ合いにはほんとうに感謝しています。  家族に障がいのある子どもがいたわけでもありません。それなのに家に一銭も入れることなく、障がいのある人たちのために退職金のすべてを使うことは、連れ合いも養護学校の教員をやっていたとはいえ、やはり抵抗はあったと思います。それでも黙って見ていてくれたことには、今更ながら頭の下がる思いです。  当時は法人でありながら、私のまわりに物事を一緒に考えるブレーンと呼べる人がいませんでした。ですから2,000万円を超える「投資」について、誰かと議論する、といったことは全くありませんでした。ほんとうはこの「投資」が生み出す「価値」について、スタッフに中でもっともっと議論しておくべきだったと思います。それをやっていれば、利益が生まれる3年目までの苦しい時期は、もう少し違う形で乗り越えられたように思います。  
  • ずいぶん助けられているなぁという気がして…
     gottiがほしがっていた「東急5050系4000番台」の電車の模型を、昨日お母さんに手渡し、gottiに届けてもらいました。  電車の模型を受け取ったときのgottiの笑顔。想像するだけで楽しいです。      このブログを読んでいる方が、「今まで、なにかをやってあげる対象でしか考えていませんでしたが、gottiのお話読んでいるうちに、そうじゃないことに気がつきました」と先日おっしゃってました。  これは本当にすばらしい【気づき】だと思います。この気づきこそが、お互いの関係を変え、新しい社会を作っていくのだと思います。  話をすると、通じないことの多いgottiですが、それでいて、こういった「お互いが支え合う関係」といったものは、いつの間にかgottiのまわりにできてしまいます。ここがgottiの魅力であり、彼の持っている力だろうと思います。その力に私たちはずいぶん助けられているなぁという気がします。電車のプレゼントはその感謝の気持ちです。
  • 「養護学校でもいい」という選択から人生がおもしろくなった話
     ぷかぷかの本の原稿を少しずつ書き始めています。養護学校に勤めるきっかけから、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょに生きていきたいと思うようになったあたりを書きました。ご意見いただければ幸いです。    「養護学校でもいい」の選択から福祉の世界へ   養護学校で30年働きました。といって最初から福祉を目指していたわけではありません。大学を卒業してからは福祉とは何の関係もない民間の会社で働いていました。30歳の時、宮城教育大学学長の林竹二さんの兵庫県湊川高校(被差別部落の子どもや在日朝鮮人の子どもたちが多い)での教育実践の本を読み、教育によって人がここまで変わるのかと感動。こういう世界で働いてみたいと思い、教員の採用試験を受けました。運良く合格し、どういう学校がいいか、選択する機会がありました。簡単に書くと、 1,      養護学校がいい。 2,      養護学校でもいい。 3,      養護学校はいや。 という三つの選択肢です。小学校の教員になるつもりだったので、この選択は想定外でした。私は養護学校を強く希望するわけでもなく、といって全くいやなわけでもなく、やむなく残った「養護学校でもいい」を選択しました。  すぐに養護学校の校長から電話が入り、思いもしなかった福祉の世界に飛び込むことになったのです。  「養護学校でもいい」という、かなり無責任な選択でしたが、そこでは障がいのある子どもたちと、人生が変わるほどの素敵な出会いがありました。そして30年後、退職金をはたいてまでして障がいのある人たちの働く場を作ってしまったのです。   子どもたちとの素敵な出会いが…  養護学校では知的障がいの子どもたちを相手にしてきました。一番最初に受け持ったサト君は小学部6年生。おしゃべりは全くできなくて、「あー」とか「うー」だけでしたが、一緒に過ごすにはそれで十分でした。こちらのいうこともだいたい通じていました。文字を書くこともできませんでした。というか、鉛筆を持って書くということに全く興味がない感じでした。文字を読むこともできませんでしたが、お話を読むと、「がっはっは」と豪快に笑いながら聞いていました。内容が伝わったから、というより、その時の雰囲気で笑った感じでしたが、それでもその場をとても楽しい雰囲気にしてくれました。こういう人がそこにいる、ということがとても大切だと思いました。  人を、何かが「できる」「できない」でくくれば、半数くらいがサト君くらいのレベルだったと思います。いろいろできないことはありましたが、とにかく楽しい人たちで、そばにいるだけで気持ちがなごみ、なんて素敵な人たちなんだろうと思いました。    養護学校で働き始めて5年目の頃だったと思います。障がいのある子どもたちとのおつきあいにも慣れ、ゆとりを持って相手を見ることができるようになっていました。  いつもふんぞり返っていて、社長と呼ばれる子どもがいました。しょっちゅうお漏らしするせいで、とにかく気がつくとパンツを脱いで、天気のいい日は芝生の上で大の字になって寝転び、実に気持ちよさそうにしていました。みっともないからパンツくらいはきなさい!等と注意するくらいでいうことを聞くような子どもではありません。でも毎日のようにそんなことを繰り返していると、あたたかな芝生の上でパンツを脱いで大の字になって寝っ転がっている社長の方が、つまらない注意をする私よりも、そのときそのときを気持ちよく生きているのではないか、と思えるようになってきたのです。   もちろん社長が正しいというわけではありません。でも社長と私とどっちがそのときいい顔をしているかといえば、社長の方が何倍もいい顔をしているのです。このことに気がついたときからです。ふつうはパンツははいているものですが、パンツを脱いでしまう子どもがいたっていいじゃないか、って思えるようになったのは。    そう思えるようになると、自分の中の「人間」の幅が少しずつ広がってきました。人間の見方が変わってきたのです。どんな人でも受け入れることができるというか、そういう人がいてもいいよな、とふんわり相手を受け入れられるようになってきたのです。    毎日のようにいろんなことをしでかしてくれる彼らとつきあううちに、自分の中にあった「規範」というものがぐらついてきました。人は普通、こういうことはするものじゃないとか、やっちゃあいけない、といった「規範」で自分を縛り付けています。彼らにはそういった自分を縛る「規範」といったものがありません。気持ちのいいくらい自由に生きています。彼らの自由さに振り回されて、毎日右往左往しながらも、こういう生き方もありだよな、と思うようになりました。そうすると、私自身、生きることがなんだかとても楽になった気がしました。肩から力が抜けた、というか、そんな感じです。    楽しくて、なんともいえない魅力あふれる彼らと毎日におつきあいしているうちに、人間ていいな、って素直に思えるようになりました。長い人生生きてきて、こんな気持ちになれたのは本当に初めてでした。人間の良さに出会った、というか、そんな気持ちでした。    そしてこんな人たちとずっと一緒に生きていきたいな、と思うようになりました。一緒にいるとすごく楽しくて、これはもう一緒に生きていった方が「絶対得!」と、はっきり思ったのでした。    
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