ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 自分の日々の中で小さなできることを実行する
     7月21日(土) 筑豊にある「虫の家」でぷかぷかの映画の上映会とトークセッションを行います。  いい映画だったね、いいお話だったね、で終わるのではなく、参加した人みんなが小さな新しい一歩を踏み出せるような、そんな集まりにできれば、と思っています。   上映会のあと、最近作った「相模原障害者殺傷事件を超える社会を作るための道筋のようなもの」の話をする予定です。ムズカシイ、大きな話ではありません。ぷかぷかで日々やっていることが、相模原障害者殺傷事件を超える社会に、どのようにつながっていくのか、その道筋のようなものを描いたものの話です。  ぷかぷかは特別なことをやっているわけではありません。ぷかぷかさん達とフラットな関係で、楽しい日々を作りだしているだけです。その気になれば誰にでもできることです。  優生思想云々の大きな話を持ち出されると、もう何やっていいのかわからなくなりますが、ぷかぷかが日々やっている小さなことは、誰にでもできることです。  その気になれば誰にでもできることを、あちこちでたくさん積み上げていけば、事件を超える社会を作っていくことは、夢物語ではなく、実現可能なものになります。     下記サイトのダウンロードボタンを押すと、道筋がもっと大きく見えやすくなります。 pukapuka-pan.xsrv.jp    この道筋の話を元にトークセッションをやります。どんな話になるか楽しみにしていて下さい。たくさんの「気づき」があるような、ぷかぷかオリジナルな話をします。映画のタイトルは『Secret of PukaPuka』なので、ぷかぷかのヒミツに迫るお話をします。ぷかぷかにはたくさんのファンがいます。障害のある人たちのファンを作るコツなど、ぷかぷかのヒミツに迫る話をします。これは、もう、絶対に聞かなきゃソン!な話です。  集まりの最後に、10人ずつぐらいにグループに分かれていただいて、グループごとに「気づきの共有」をやってもらおうと思います。映画とトークセッションを通して気づいたことをみんなで共有します。グループごとに共有したことを発表してもらいます。  あとはその共有したことを、参加した人それぞれが、自分の日々の中で実行するだけです。自分でできる小さなことの実行です。  気づきの共有の中に、「障害のある人たちのファンを作るコツ」が入っていて、それをあちこちで実行する人が現れたら、あちこちに障害にある人たちのファンがたくさんできます。これって、なんかすごいことだと思いませんか?  社会はね、こんなふうにして楽しいことをやりながら変えていけるのです。相模原障害者殺傷事件というとんでもなく重い事件を超える社会を作るためには、あの重さをひっくり返すだけの楽しさこそが必要だと思っています。そんな楽しい集まりにできれば、と思っています。  
  • 障がいの重い子どもとの日々が楽しい!
     以前、NHKラジオ深夜便で私が言った「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」という言葉に衝撃を受け、愛知からぷかぷかを訪ねてきた人がいました。カツタさんといいます。私といろいろ話をしたあと、パン屋で体験実習をやり、演劇ワークショップに参加し、ぷかぷかさん達といっしょに舞台に立つという大変な経験をし、大きく変わったその後の人生を話しに来てくれました。  ラジオ深夜便の言葉に出会う前は、相模原障害者殺傷事件の犯人の言葉に、否定しきれない自分がいた、自分の中にも彼らを別な世界の人として意識の外に追いやろうとしている感覚があった、と言っていました。ぷかぷかさん達との出会いを経て、今は障がいのある子どもと関わる仕事をしています。その変わりように注目したNHKが取材に来ていました。 pukapuka-pan.hatenablog.com pukapuka-pan.hatenablog.com      今、放課後デイサービスの仕事をしていて、高校生でうんこを漏らしてしまうほど障がいの重い子どもとの日々がすごく楽しい、とカツタさんは言います。障がいの重い子どもの世話はすごく大変です。でも、その子との日々が楽しい!といいます。  ほんの2年前、 「相模原障害者殺傷事件の犯人の言葉に、否定しきれない自分がいた、自分の中にも彼らを別な世界の人として意識の外に追いやろうとしている感覚が確かにあった」  と言っていた人が、 「障がいの重い子どもとの日々が楽しい!」 と言うほどに変わったのです。その変わるきっかけを作ったのがぷかぷかさん達です。  私たちがどんなに言葉を尽くしても、人をこんなふうに変えることはできません。それをぷかぷかさん達は、アーダコーダと理屈っぽいことをひとことも言わず、人をこんなふうに深いところで変えてしまったのです。そういうチカラを彼らは持っているのだと思います。それは相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていくチカラといっていいと思います。    事件の犯人は重い障がいのある人たちと日々おつきあいがあったにもかかわらず、「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」「障害者は生きている意味がない」などと言い、事件を起こしました。  毎日、障がいのある人たちとどういうおつきあいをしていたのか、と思います。  カツタさんは同じように重い障がいを持った人たちとのおつきあいしながら毎日楽しくてしょうがない、といいます。  この違いは、なんなのでしょう。  結局福祉の現場で、日々、障がいのある人たちとどういうおつきあいをしているのか、ということだと思います。  下の写真はぷかぷかでやったワークショップの時の写真です。障がいのある人たちと日々こんな楽しいおつきあいをしていれば、事件は起きなかった、と思うのです。言い換えれば、犯人のいた福祉の現場で、障がいのある人たちとこんな豊かな関係を築いていなかった、ということです。犯人の言葉は、彼がいた福祉の現場の、障がいのある人たちとの関係の貧しさを象徴しています。    7月21日(土)放送のNHKスペシャルで、ぷかぷかのことがカツタさんの変わりようを通して少し紹介されます。 www6.nhk.or.jp  
  • たかが握手、されど握手。そしてそこから新しい物語を作る。
     8月3日(土)みどりアートパークホールでぷかぷかの映画の上映会を行います。一応テーマは相模原障害者殺傷事件です。上映会とトークセッションのあと、ロビーでぷかぷかさん達との握手会をやります。相模原障害者殺傷事件をテーマにしながら、何で握手会なの?ということですが、ぷかぷかさん達と握手して、 「ああ、なんてやわらかい手なんだ」 とか 「あたたかい手だね」 っていうような、出会いを一人でも多くの人にやって欲しいからです。  2年前、瀬谷であった相模原障害者殺傷事件追悼集会で昔「あおぞら市」で知り合った人が来ていました。  30年ほど前、瀬谷にある生活クラブのお店の駐車所で「あおぞら市」というのがあり、そこに養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒に手打ちうどんのお店を出しました。そのときに手伝いに来ていた人が容疑者の闇の部分が私にもあります、と発言していました。 《 高崎さんに声をかけられて手伝いに行ったものの、障害のある人たちにどう接していいかわからずほんとうに困りました。「ああ、うう」とかしかいえなくて、よだれを垂らしながら歩き回っている人がいて、正直気持ち悪くて、私の方へ来なければいいなと思っていました。ところがお昼になってご飯を食べるとき、たまたまテーブルがその子とお母さんが座っているテーブルしかあいてなくて、ここでやめるのも失礼かと思い、勇気をふるってそこへ座りました。そのとき、そのよだれを垂らしている子どもが私に向かって手を伸ばしてきました。ああ、困った、と思いながらも拒否するわけにもいかず、思い切って、本当に思いきってその子の手を握りました。  すると、その子の手が柔らかくて、あたたかいんですね。もう、びっくりしました。なんだ、私と同じじゃないかと思いました。この発見は私の中にあった大きなものをひっくり返した気がしました。  その子のやわらかくて、あたたかい手にふれるまで、その子をモノとしか見てなかったのです。容疑者とおんなじだと思いました。でもその子の手が、その闇から私を救い出してくれた気がしています。》  この方がおっしゃっていた 〈 「ああ、うう」とかしかいえなくて、よだれを垂らしながら歩き回っている人 〉 は私が担任していたケンタローです。私にとってはかわいくてかわいくてしょうがないほどの子どもでしたが、障がいのある人とおつきあいのない人にとっては 〈 正直気持ち悪くて、私の方へ来なければいい 〉 と思ってしまうような存在なんだろうな、と発言を聞きながら思いました。  障がいのある人たちのグループホーム建設反対を叫ぶ人たちも、多分同じなんだろうと思います。おつきあいがないから、 「彼らは犯罪を犯すんじゃないか」「だからここに来るな」「ここに住むな」 「ここに障害者はいない方がいい」と犯人の発想と同じになってしまうのだと思います。  おつきあいがないことがここまでの思い込みを生み、その単なる思い込みが、グループホーム建設をつぶすほどのチカラを持ってしまう。とても怖いことであり、悲しいことだと思います。  ぷかぷかさんとの握手は、この障がいのある人への思い込みを一挙になくす、とても有効な方法だと思います。 〈 正直気持ち悪くて、私の方へ来なければいいなと思っていた 〉 その人の思い込みを一発でひっくり返してしまったのですから。   ぷかぷかさんと握手する、というのはこういう意味があるのです。相模原障害者殺傷事件を超える社会に向けて一歩前に踏み出すきっかけをぷかぷかさんとの握手は作ってくれます。  「たかが握手、されど握手」なのです。  ここから障がいのある人たちとの素敵な物語が始まるかも知れません。一歩前に踏み出せば、あとはあなたが主人公。ここからはあなたが彼らとの新しい物語を作っていくのです。楽しい物語をたくさん作って下さい。その楽しい物語こそが、社会を豊かにします。
  • 相模原障害者殺傷事件を超えるための社会を作る道筋みたいなもの
     ぷかぷかがやっていることが、相模原障害者殺傷事件を超える社会を作ることに、どのようにつながっていくのかを考えてみました。  下記サイトの〈ダウンロードボタン〉を押して下さい。下に貼り付けた図よりもはるかに鮮明に見えます。 pukapuka-pan.xsrv.jp    ぷかぷかがやっている様々な取り組みは何を生み出しているのか。「相模原障害者殺傷事件を超える社会を作る」それは言い換えれば、「障がいのある人たちを排除しない社会」「障がいのある人もない人もお互い気持ちよく暮らせる社会」を作ることになるのですが、それにどのようにつながっていくのかの、いわば〈道筋〉みたいなものを示すことができたと思います。  まだまだ言葉が足りない部分がたくさんあります。これからもっと書き加えるものも出てきます。  それでもとりあえず今の時点での全体像みたいなものが見えてくると思います。ご意見などいただけるとうれしいです。
  • ぷかぷか上映会
      8月4日(土)みどりアートパークホールで行う「ぷかぷか上映会」のチラシができました。下記サイトにある〈ダウンロードボタン〉を押してください。下に貼り付けたチラシよりも、大きくて鮮明なチラシが出てきます。   pukapuka-pan.xsrv.jp    相模原事件を超える社会がどうやったらできるかを、映画を見たあと、ぷかぷかさん達を交えた楽しい雰囲気の中で考えたいと思います。  事件後「共生社会を目指そう」とか「共に生きる社会を目指そう」なんて言葉が飛び交いましたが、そんな言葉を口にするだけでは、社会は何も変わりません。大事なことは具体的な提案です。  「テラちゃんとFacebook友だちになろう」とか「セノーさんと一緒に寝っ転がってみよう」とか「ツジさんと一緒にカラオケに行って歌おう」とか、そんな小さな具体的な楽しい提案です。いずれも、その気になればすぐにできる提案です。Facebookのアカウント持っている方はスマホを持ってきて、テラちゃんに渡してください。すぐにFacebook友だちになれます。  そんなふうに彼らと具体的につながっていくこと、そのことこそが大事だと思います。そしてそのつながりの心地よさを友だちに伝えてください。「友だちになるといいよ」って。そうやって彼らの友だちが広がっていけば、社会はきっと変わります。    ぷかぷかを取材に来て、テラちゃんのはげしい濃厚な接客にあい、一発でぷかぷかのファンになってしまったNHK記者、朝日新聞記者にゲストで来てもらいます。テラちゃんに心奪われてしまったことと相模原障害者殺傷事件がどう関係するのか、といったこともムズカシイこと抜きにちょっと語ってもらおうかなと思っています。「ムズカシイこと抜き」ですから、みなさん、安心して聞いて下さい。  プロモーションビデオカナダ版、及び第四期演劇ワークショップの記録映画の制作をしていただいたpvプロボノの信田さんにも登場してもらい、ぷかぷかさんと一緒にカナダまで行ったお話、演劇ワークショップを記録したお話を伺います。  映画「はたらく」の監督齋藤さんにも登場してもらいます。プロモーションビデオカナダ版を見たとき、「これ、いいところばかり集めたんじゃないですか」と質問し、直後にぷかぷかにごはんを食べに来て、「ああ、そのまんまの映画ですね」と言った方です。以来ぷかぷかのファンになりました。第五期演劇ワークショップの記録映画制作を依頼しています。  スペシャルゲストのセノーさん、ツジさん、テラちゃんにも話しに加わってもらいます。話がうまくまとまるか、全く保証できないのですが…。    上智大新聞学科の石井さんの映像のタイトルは「ぷかぷかさんのいる町」です。タイトル聞いただけで、「ああ、楽しくて、ホッとする雰囲気があって、心安らぐ町なんだろうな」と思います。事件を超える社会が、この町にはあるような気がします。来週ぷかぷかで試写会やりますので、また報告しますね。    ぷかぷか上映会スペシャルイベントとして上映後、会場にいるぷかぷかさん達にロビーに並んでもらい、ぷかぷかさん達との握手会をやります。ぜひお友達になってください。サインももらえます。似顔絵師がいれば似顔絵も描いてもらえます。    
  • え?これ障がいのある人が描いたの?
     ミヨッシーのアート作品が、今、銀座のArt Mallで展示・販売されています。本日から8月末までです。ぜひお出かけ下さい。 www.artmall.tokyo      障がいのある人たちのアート展ではなくて、プロの作家さんの作品に混じって展示されてるなんて、すごいなと思います。こういうところでも十分勝負できる作品なんだと思います。  こういうところに来る人は、障がいのある人の作品があるとは思っていません。純粋に作品だけを見てくれます。  「これめっちゃおもしろいじゃん!」「え?これ障がいのある人が描いたの?」「障がいのある人って、こんなおもしろい作品作るんだ」 と、作品を通して障がいのある人たちに出会ってくれます。  彼らは、私たちが逆立ちしても追いつかないような発想で絵を描きます。そんな発想にアートを通して出会うとき、彼らとの関係はどこまでもフラットです。そういう関係は社会を豊かにします。  彼らのアートがもっともっと社会に行ってくれたら、社会はもっと楽しく、もっと豊かになります。銀座のArt Mallに行けば、そのことが容易に想像できます。ぜひお出かけ下さい。    「障害者はいない方がいい」「障害者が不幸しか生まない」「障害者は生きている意味がない」などといった言葉が如何に狭い世界から生まれた言葉か、画廊に飾られたミヨッシーの作品を見ているとわかります。    
  • 障がいのある人たちと一緒に、黙々といい一日を作り続ける
     北海道の滝上という山の中に「森の子どもの村」があります。子どもが小さい頃、何度かキャンプしに行きました。その縁で毎年この時期になるとそこの通信が送られてきます。通信の中に必ず33年前の事故にふれるページがあります。  キャンプの活動中に交通事故で子どもが二人亡くなりました。そのことをずっと背負い続けているチコさんが亡くなった二人への思いを毎年書いています。心に響く言葉があったので紹介します。      …事故のあと、子どもの村を続けたことが正しい選択だったのかと問われれば、いまだわかりません。亡くなった二人に対して、何を残していけばよいのか、いつも迷います。  ただ、ただ伝えたいです。  生きているコト、誰かを大切に思うコト、誰かと一緒に生きるコト  泣いて、食べて、笑って、怒って、また笑うコト。   それがどんなにすごいコトなのか。大切なコトなのか。  教訓とか、むつかしい言葉ではなくて、夏の陽ざしや、木のかげや、川の音や、風の香りにまぎれて、伝わってくれたらなぁ、と思います。  今年も夏が来ます。ホコリとケムリと夏の匂いのする子ども達が、いろんなコトをやらかす季節が来ます。  誰の顔も、帰る時にはぴかっとしているといいな、と思います。      ぷかぷかは毎日、ぷかぷかさんと過ごす日々の出来事をFacebookなどで発信しています。それは彼らと過ごす日々こそが大切だと思うからです。いい一日を彼らと一緒に作り出すことが大事だと思うからです。そして彼らと作り出す日々が、彼らと一緒に過ごす日々が、誰かに伝えたいくらい輝いているからです。    生きているコト、誰かを大切に思うコト、誰かと一緒に生きるコト  泣いて、食べて、笑って、怒って、また笑うコト。   それがどんなにすごいコトなのか。大切なコトなのか。  教訓とか、むつかしい言葉ではなくて、夏の陽ざしや、木のかげや、川の音や、風の香りにまぎれて、伝わってくれたらなぁ…    というチコさんの思いと同じです。  相模原障害者殺傷事件に関して、いろいろむつかしい議論があります。でもね、何よりも大事なことは、彼らと過ごす日々であって、そのいい一日を毎日丁寧に、彼らと一緒に作り出すことだと思います。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」「障害者は生きる価値がない」などといわれたその障がいのある人たちと一緒に、黙々といい一日を作り続けるのです。  そうやって作り上げた一日の輝きこそが、ほんとうに「障害者はいない方がいいのか」、ほんとうに「障害者は不幸しか生まないのか」、ほんとうに「障害者は生きる価値がないのか」、と問い続けるのだと思います。    〈一緒に泣いて、食べて、笑って、怒って、また笑う〉日々をたくさんの人に伝えたい。ぷかぷかのFacebookには、ぷかぷかさん達との輝くような一日の断片があふれています。そうして 「あっ、おもしろそう」 って思っていただけたら、ぜひぷかぷかのお店に来て欲しい。お店で、彼らのそばを流れる時間の心地よさ、あたたかさをひととき味わって欲しい。その心地よさに 「彼らって、いた方がいいね」「一緒が楽しいね」 って、思っていただければ…と思う。   
  • 「障害者は不幸しか生まない」?
     このところぷかぷかさん達のすばらしいアート商品が次々にできあがっています。    ぷかぷかさん達が楽しい絵を描きます。その絵をどこに、どんな風に使おうかと考えるスタッフがいます。色を塗るスタッフがいます。ぷかぷかさんも色を塗ります。ぷかぷかさんとスタッフのフラットな関係の「協働作業」の中で、こういった商品ができあがってきます。これがぷかぷかさん達と一緒に生きていくということです。そして、一緒に生きていくとこんなにステキなものができあがります。  こういう商品は、ほっこりあたたかなメッセージを社会に振りまきます。それは、私たちの心にあたたかなものをプレゼントしてくれます。そうやってみんなを幸せな気持ちにさせます。    その幸せな気持ちの中で、あらためて気がついたことがあります。「障害者は不幸しか生まない」という相模原障害者殺傷事件の犯人の言葉です。  「障害者は不幸しか生まない」? ぷかぷかさん達が生み出すものを見て、そんなふうに思う人はいません。  この言葉はですから、決して普遍的なものではなく、犯人がいた職場が、障がいのある人たちと、そういう関係をつくっていたに過ぎません。「障害者は不幸しか生まない」と思うような関係です。  犯人がいた職場は障がいのある人たちの「支援」の現場です。「支援」という、一見いいことをやっていそうな現場で、どうしてそのような貧しいとしかいいようのない関係が生まれてくるのか。    「支援」という上から目線の関係は1+1=1の関係だと思います。相手を見下している限り、相手との関係から新しいものは生まれません。その関係からは、見下す側の人間の幅のものしか出てきません。だから「1+1」はどこまでも「1」のものしか生まないのです。  上に紹介したTシャツやバッグは、ぷかぷかさんとスタッフのフラットな関係を元にした協働作業が生みだしたものです。「1+1」が「2」以上の新しい価値を生み出しています。  彼らとおつきあいしながら、そこから何も生み出さないなんて、もったいないです。  何も生み出さないどころか、「障害者は不幸しか生まない」などと言い切り、相手を抹殺するところまでいってしまったのが相模原障害者殺傷事件だったと思います。  「障害者は不幸しか生まない」という言葉から、実際の事件へは大きな飛躍があります。でも少なくとも、そういう言葉、そういう言葉を生む関係がなければ、事件は起こらなかったかも知れないと思うのです。    
  • 「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろう
     神奈川新聞「時代の正体」に、相模原障害者殺傷事件の犯人に面会に行った話が載っていました。 www.kanaloco.jp  《 事件からまもなく2年。社会は変わったか。そんな問いは無意味の思えるほど風化が進み、事件直後にあちこちで耳にした「決して忘れない」という言葉がむなしく感じられる。 》と、記事にありました。そういえばあれだけみんな口にしていた「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろうと思います。  「決して忘れない」をいうだけでは、差別や偏見を許容する社会は、何も変わりません。  障がいのある人たちのグループホーム反対を叫ぶ人たちがいます。「障がい者はこの地域に来るな」「ここに住むな」といってるのです。「障がい者はいない方がいい」といった犯人と全く同じ発想です。障がいのある人たちを社会から排除する、という動きは、こんなふうにあちこちにあって、あれだけの事件がありながら、社会は何も変わっていないことになります。  事件を忘れない、というところにとどまるのではなく、日々の暮らしの中で立ち現れる差別や偏見とどう向き合うのか、それに対して何をするのか、ということこそ大事な気がします。    こんな関係を作り続けること、これこそがぷかぷかが日々やっていることです。        
  • 『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年』が上映されます。 
     3月25日(日)午後3時から大倉山ドキュメンタリー映画祭で『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年』が上映されます。                 o-kurayama.com isefilm-movie.jimdo.com  映画のプレスリリースに「2016年夏、毎年のように通い撮影し続けた奈緒ちゃんの誕生日。 撮影は34年目となり、奈緒ちゃんは43才になった。」とあって、その半月後に相模原事件が起こります。奈緒ちゃんのお母さん(映画の監督のお姉さんにあたります)は「奈緒ちゃんや、障害者を嫌っている人もたくさんいることを思い知らされた…。この事件は、一人の異常者が起こした事件、というだけでなく、生産しないものには生きる価値がない、という今の社会の本音が反映されたのではないかと思う」と悔しそうに語っていたそうです。  伊勢監督の気持ちにスイッチが入り、この映画制作がスタートします。  《 姪っ子の奈緒ちゃんだけでなく、「たくさんの奈緒ちゃん」が生きている、生きてきた、生きていく、ということを見てもらわねば…と。  姉に励ましのようなメールを送ると、姉から返信が来ました。「奈緒ちゃんが生まれたから、たくさんの人やものが生まれた。奈緒ちゃんが生きたから、たくさんの人やものが生きた。」  その通りだ! 》  奈緒ちゃんがいたからこそ、そこにたくさんの物語が生まれました。『奈緒ちゃん』『ピグレット』『ありがとう』はその物語を記録したすばらしい映画です。  奈緒ちゃんはたまたまですが、私が瀬谷養護学校の教員をやっているとき、高等部に在籍していました。天真爛漫な方で、そばにいるだけで幸せな気持ちになりました。奈緒ちゃんはそうやって、自分だけでなく、まわりの人みんなを幸せにしてきたんだと思います。「街の宝」「社会の宝」「家族の宝」です。    ぷかぷかさんがそうであるように、障がいのある人たちはみんなを幸せにしているのだと思います。そのことにこの映画は気づかせてくれます。  奈緒ちゃんのお父さんとお母さんがケンカすると、奈緒ちゃんは 「ケンカしちゃいけないよ。やさしくなあに…っていわなくちゃ。」 というそうです。映画のタイトル『やさしくなあに』はそこから来たそうです。
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