ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 稲刈りをやって、幸せな気持ちをたくさんもらえた。
    今日の田畑の稲刈りのお手伝いをしていただいた地域の方のFacebookにうれしい感想が載っていました。   ●●● 今日は、でんぱたさんの稲刈り メンバーさんにも 田植え以来お顔合わせ 彼らと居ると 自然と笑顔になれる 障がい者は、必要ないとか やまゆり園の事件の 当事者は、言うが… 必要であると、一緒に 稲刈りの作業をしていて 感じた だって、幸せな気持ち たくさんたくさん貰えた もの ひた向きに作業に取り組み 自然の中で、キラキラした 顔をされてた でんぱたメンバーさんに 金メダル 一緒に居ると(生きて行くと) 幸せになれるよ ●●●    「稲刈りをしながら、幸せな気持ちをたくさんもらえた。」    うれしいですね。こんな言葉をもらえて。  何か特別なことをやったわけではありません。いつものようにぷかぷかさんたちと一緒に仕事をやってただけです。    「彼らといて、幸せな気持ちをたくさんもらえた。」    障がいのある人たちを排除しがちな社会にあって、この言葉は、本当に光っています。  やはりそこにあった彼らとの関係性の問題だろうと思います。ぷかぷかがこの10年、ずっとやってきた「いっしょに生きていく」という関係。「いい一日だったね」ってお互い言える関係。   「いっしょにいると(生きていくと)、幸せになれる」   そんな言葉が地域の人から生まれてきたのです。ここから社会が変わっていきます。
  • でんぱた  稲刈りをしました。
    でんぱたの稲刈りがありました。6月に田植えをしたのですが、わずか4ヶ月で収穫です。 www.pukapuka.or.jp  あの時に植えた苗がこんなに育っています。  これを鎌で刈るのかと思っていたら機械で刈るので、ぷかぷかさんたちの仕事は刈り取られた稲の束をはさにかけます。  地域の方も何人かお手伝いにきていただき、稲刈りを楽しみました。こういうおつきあいを続けていこうと思っています。  2週間ほど天日干ししたあと、脱穀、精米して11月14日(土)横浜ラポールのシアター前のホワイエで11時半からの「こめまつり」で販売します。 午後1時からは上映会とトークイベントです。 www.pukapuka.or.jp
  • 重度障害の人たちといっしょに生きる
    先日ぷかぷかに遊びに来た尾野一矢さんの介護の方からの情報です。ぜひ録画予約しておいて下さい。  ●●●  NHK Eテレ 「ハートネットTV」で《特集・相模原事件から4年 ”施設”vs”地域”を超えて》というのがあります。 ●10/6(火) 第1回 “パーソナル”な暮らしをつくる ●10/7(水) 第2回 ”ともに暮らす”は実現できるか いずれも午後8時~8時29分  ※第1回はドキュメンタリー。事件被害者の一人・尾野一矢さんが津久井やまゆり園を退所し、アパートでの一人暮らしに移行する様子を中心に、日本の障害者福祉の歴史・制度、専門家の話なども交えながら、重い障害のある人たちの「暮らしの選択肢」全般について考える。 ※第2回はスタジオ生放送。第1回の内容の一部を振り返りながら、視聴者からの感想、重い障害のある人の家族・支援者からのご意見・体験談なども紹介しつつ、識者や障害当事者がスタジオでトーク。【ゲスト】宍戸大裕(映画監督)海老原宏美(自立生活センター東大和 理事長)荒井裕樹(二松学舎大学専任講師) ご意見は以下で募集中 https://www.nhk.or.jp/heart-net/new-voice/32/ ●●●  サイトに寄せられた意見を見ると重度障害の人たちの置かれた状況の厳しさがびりびりと伝わってきます。この厳しい状況を変えるには行政などへの働きかけも必要ですが、私たち自身の発想を大胆に変えることも必要な気がします。  重度障害の人たちに限らず、障がいのある人たちには「何かやってあげる」という 関係が多いのですが、そういう発想で考えている限り、彼ら自身が社会の中で活躍する、大事な役割を果たす、といったことはなかなかないのではないかと思います。  ぷかぷかは、「何かやってあげる」のではなく、「いっしょに生きていく」関係を作ることで、障がいのある人たち=ぷかぷかさんたちが大活躍しています。ぷかぷかが生み出したたくさんの物語は彼らの活躍そのものです。『ぷかぷかな物語』は彼らが生み出した物語の本です。(お求めはぷかぷかのホームページhttps://www.pukapuka.or.jp、もしくはアマゾンで)  障がいのある人たちに対しては「マイナスの価値」(あれができないこれができない、生産性がない、等)という評価が圧倒的に多いのですが、ぷかぷかにあっては「プラスの価値」を生みだす人たちと位置づけています。 www.pukapuka.or.jp  彼らとどういう関係を作るかで、彼らの生み出す価値が変わってくるのです。ぷかぷかにあっては、彼らは社会の邪魔者とか重荷ではなく、「社会を耕し、豊かにする人たち」なのです。  5年前の「世界がhana基準になったら」という花岡さんのブログは、何かやってあげる関係ではなくて、重度障害の人の生き方に謙虚に向き合うと、ひょっとしたら社会が変わることになるかも、という目から鱗のような問題提起だったように思います。hanaちゃんは重度障害児です。でも彼女には熱烈なファンが多いです。それはお母さんのhanaちゃんへの向き合い方のおかげです。 ●●● 世界がhana基準になったら 何が起こるだろう   人をことばで傷つけることもない 人に嫉妬したり、恨んだり、 悪口だって言わない 人と比較して見下したり、 卑下したりすることもない   あるのは ただそこに存在することで ありのままで完全な自分、人生。   あるのは 楽しい毎日 喜怒哀楽を自由表現すること   誰からどう思われるからとか考えない 誰がどうしていても気にならない   hanaは ただ自分がそうしたいからそうする   そして自分が そのままで完全であり、 愛されていることを 深いところで理解してる。     世界がhana基準になったら…     もしかしたら すへての悩み、争いごと いじめや不登校、 戦争もですら なくなるかもしれないね。    (hanaちゃんとお母さん) ●●●  彼らの存在の意味がここでは全く違ったものになっています。  人をことばで傷つけ、人に嫉妬し、恨んだり、悪口を言ったり、相手を見下したり、卑下したり…といったことからなかなか抜けられない私たち。hanaちゃんは「人をことばで傷つけることもない。人に嫉妬したり、恨んだり、悪口だって言わない。人と比較して見下したり、卑下したりすることもない。」どうしてそんな生き方が私たちにはできないんだろうと思います。情けない限りです。  nahaちゃんは「人の生きる姿勢」の基本を教えてくれている気がします。hana基準こそ、この閉塞状態にある社会を救うのではないか、そんなことを思ったりするのです。  重度障害の人たちをそんなふうに見ていくなら、社会はもっと豊かになっていくような気がするのです。彼らの有り様を、彼らの生き方とみるかどうか、ということです。   「こんなところで寝るなんて、hanaちゃんて、なんて自由なんだ」って思うのは、ここにhanaちゃんの生き方を見るから。(演劇ワークショップの会場入り口)  5月に始まった「でんぱた」は生活介護の事業所ですが、重度障害の人たちとどんな風にいっしょに生きていくか、ともに暮らしていくか、の試みでもあります。障がいのある人たちといっしょに生きていくことはぷかぷかで10年やってきたので、重度障害の人たちとも「いい一日だったね」ってお互い言える日々を一緒に作っていけば、それがそのまま「いっしょに生きていく」「ともに暮らしていく」ことになるのだろうと思っています。  「でんぱた」は地域の人たちの手を借りながら田んぼや畑の仕事をします。  6月には地域のたくさんの人に手伝ってもらいながら田植えをしました。 www.pukapuka.or.jp そして今日は地域のたくさんの人たちに手伝ってもらって稲刈りをしました。 www.pukapuka.or.jp  田んぼや畑仕事のほかに、一緒にミソを仕込んだり、時には一緒に絵を描いたりして、一緒に人生を楽しみ、お互いの人生を豊かなものにしていきます。「いっしょに生きていく社会」「ともに暮らす社会」はこんな風にして、みんなで楽しみながらできていくのだと思います。社会を救う「でんぱた基準」もできるかも。
  • 上映会やります。「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」
    11月14日(土)横浜ラポールでの上映会のチラシができました。すごく楽しいチラシです。   映画を見て、やまゆり園事件のことをみんなで話そうと思っているのですが、いつものことながら、チラシを見ると全くそういう感じがしません。つまり、やまゆり園事件の重いイメージがどこにもないのです。  「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」 とか一番目立つところに書いてあって、どうしてこれがやまゆり園事件につながるの?なんて、つい思ってしまうのですが、それがいつの間にかつながってしまうのがぷかぷか。  昨年、事件の遺族の方がぷかぷかに見えました。私はどういう言葉で話しかければいいのかわからず、「こんにちは」といったきり、後に続く言葉がなかなか出てきません。事件に関するブログを150本以上書きながら、事件で一番辛い思いをした遺族の方にかける言葉が出てこないのです。  遺族の方を前に本当に困りました。その時周りにいたぷかぷかさんたちが 「あれ、どこから来たの?」「お名前はなんて言うの?」 と、いつもの調子で質問攻め。 「ぷかぷか、頑張ってます」 なんていう人もいました。  そんなぷかぷからしい対応に、遺族の方はみるみる笑顔になり、いろんなお話を楽しそうにされていました。遺族の方を前に、半ば固まってしまった私は救われた思いでした。  「ぷかぷかさんのお昼ご飯」で食事された時、その日のメニューは唐揚げだったのですが、亡くなった娘さんの大好物で、娘さんと一緒に唐揚げを食べている気分でした、とお話しになっていました。一ヶ月後に誕生日を迎えるという話も聞き、それならぷかぷかで誕生会やりましょう、という話になりました。  「ぷかぷかさんのお昼ご飯」は誕生日を迎える方のリクエストで誕生日メニューが決まります。ですからその日は唐揚げにすることになりました。お母さんひとりで食事するのは寂しいと思い、亡くなられた娘さんの写真見ながらぷかぷかさんが等身大の「分身くん」を段ボールで作り、隣に並んで食事してもらいました。帰りの会でささやかな誕生会をやりました。小さなステージに娘さんの分身くんに座ってもらい、みんなで「ハッピーバースデー」を歌いました。娘さんの好きだった音楽をガンガンかけ、みんなで思いっきりダンスをしました。誕生日カードもぷかぷかさんが描いてプレゼントしました。お母さん、本当に大喜びでした。  遺族の方はそっとしておいた方がいい、とよく言われます。でもぷかぷかさんたちは違いました。そっとしておくどころか大歓迎し、誕生日会までやってしまったのです。お母さん、たくさんの元気をもらえたようでした。  事件を超えるって、こういうことではないかと思います。事件で一番辛い思いをした遺族の方が元気になる。これはすごく大事なことです。今まで、多分誰もやっていなかったことです。それをぷかぷかさんが、何か特別なことではなく、いつもどおりの感じで、さらっとやってしまったのです。  ぷかぷかさんといっしょに生きていく中にこそ、事件を超えていく鍵があるような気がしています。  昨年の上映会に参加した方が、ぷかぷかさんもいっしょにいる上映会の賑やかな雰囲気の中で 「とがった心が丸くなる」 と感想を書いていましたが、一番のキーポイントを言い当ててる気がしました。  事件を考える集まりで、お互いの考え方のちょっとした違いで、とても険悪な雰囲気になってうんざりしたことがあります。事件を考える集まりなのに、みんなの心はとがったままだったのだと思います。心がとがったままでは、事件を超える社会を作るとかいっても、人に優しい気持ちになれる社会なんだろうかと思ってしまいます。  その心をゆるっとしてくれるのがぷかぷかさんです。とがった心を丸くしてくれるのです。11月14日の上映会にはぷかぷかさんもたくさん参加します。彼らのチカラを借りて、事件を超える社会がどうやったらできるのか考えたいと思うのです。  「でんぱた」が初めて収穫したお米で作ったおにぎり食べて、 「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」  なんてつぶやきながら、楽しくやりたいと思っています。
  • 猫の目
    アマノッチの描いた猫  何を思っているんだろう。  いくつもの哀しみと、  怒りと、  悔しさを、  数え切れないくらい経験し、  それをもう通り越してしまったような目  諦めてはいるわけではない。  ただそこにうずくまって  こうやって 深い目で  世界を、じっと見つめている。  押し殺した思いが、静かに渦巻いている。  アマノッチの思いに、初めて出会えた気がする。  こんな目で見つめられたら、ちょっとたじろいでしまう。  でも、本当はいつもこんな目で彼らは私たちを見つめているに違いない。  それに私たちが気がつかないだけ。  だから、上から目線で彼らを見る。  彼らを見下す。  でも、この目に気がつくと、私たちの振る舞いは、とても恥ずかしい。 mainichi.jp  虐待が何度指摘されても、延々と見苦しい言い訳をするやまゆり園。  あなたたちを見つめているたくさんの、この深い目に気がつかないのか。  恥ずかしくないのか。  謙虚にこの目と向き合いたいと思う。  この目を見つめていると、  自分の生き方を問われている気がする。  この目の語る物語に、静かに耳を傾けたい。
  • いかに一緒にくつろぐか
    やまゆり園事件で重傷を負った尾野一矢さんがやまゆり園を出て地域で暮らし始めました。 mainichi.jp その取材をしている毎日新聞の上東さんのFacebookにいい言葉がありました。 重度訪問介護ヘルパーの極意は「いかに一緒にくつろぐか」だそうです。 長い時間一緒に過ごす介助者の仕事。 「仕事というよりただ、いっしょに生きること」〔大坪さん) 素敵な関係だなぁ。  「いかに一緒にくつろぐか」いい言葉だなと思いました。多分そういう感覚でいかないと、長い時間一緒に過ごす介護の仕事は辛くなると思います。というか、長い時間一緒に過ごす中で、大坪さんが見つけたんだと思います。ただ仕事だからでは、相手といい関係はできません。くつろぐ感覚があるから、この人といっしょにいよう、と思えます。そこから人としてのおつきあいが始まります。その気持ちは相手にも伝わります。だから、一矢さんも「かずやんち」の暮らしを楽しめるのだと思います。  自分の写真で恥ずかしいのですが、『support』という知的障害福祉研究の本の表紙を飾ったことがあります。          まさにお互いがくつろいでいる写真です。「至福の時」です。こういう時が、彼らと過ごしているといっぱいあります。それを大事にするかどうかで、彼らとの関係が変わってくるのだと思います。(養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょにいると心安らぐ時間、くつろぐ時間がたくさんあって、こりゃぁもう彼らとはいっしょに生きなきゃソン!だと思いました。その時の思いがぷかぷか設立の思いにつながっています)      福祉の現場の人たちが、みんなこんな感覚で仕事やりだしたら、この業界は介護する側もされる側もお互いがもっと居心地のいいものになるだろうな、という気がします。    尾野一矢さんがいたやまゆり園の人たちが、こういう感覚で働いていたら、やまゆり園はお互いにとって居心地のいいところになっていたと思います。そんなふうになっていれば、事件は起きませんでした。こういう感覚を排除してしまうものがやまゆり園にはあったのだろうと思います。それは何なのだろうと思います。 
  • いったい何が違うのでしょう。
    げんなりするような事件 news.line.me  これが、障がいのある人たちを排除する文化です。障がいのある人たちを「邪魔だ」などといって排除する社会がどうなっていくのか想像した方がいいです。  ぷかぷかの近くの創英大学の保育科で昨年ぷかぷかさんも参加する形で6回ほど授業をやりました。『Secret of Pukapuka』の上映、ぷかぷかさんと一緒に「すごろくワークショップ」「演劇ワークショップ」「詩を作るワークショップ」などです。 www.pukapuka.or.jp  ぷかぷかへ2日ほど実習にも来ました。クリスマス会をやったり、文化祭で一緒に大きな絵を描いたりもしました。 www.pukapuka.or.jp  こういうおつきあいがあって、保育科の卒業生40名のうち8名ほどが障がいのある人たちの施設に就職したそうです。ぷかぷかさんたちとの楽しい出会いがあっての進路の選択だったと思います。  障がいのある人たちを前に「邪魔だ」という大人と、わくわくしながら障がいのある人たちとのおつきあいを選んだ学生さんと、いったい何が違うのでしょう。  こんな人たちを「邪魔だ」と排除するなんて、もったいないです。
  • そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか
    毎日新聞の素晴らしい取り組み。 mainichi.jp 素晴らしい取り組みなのですが、最後に書かれていたテーマを見ると、ここからこぼれ落ちるものがたくさんある気がしました。 (1)判決で犯行動機は「勤務経験を基礎として」 (2)支援の実態、そして虐待の疑いが浮上/職員の思いと報告書 (3)やまゆり園の設置者の責任は/黒岩祐治神奈川県知事インタビュー (4)やむを得ない拘束だったのか?/居室施錠の実態 (5)身体拘束をしない支援はできるのか/居室施錠の実態 (6)各地で頓挫する県立コロニーの解体/地域移行の課題 (7)施設を出て、地域で暮らす/地域移行の課題 (8)真相は闇の中/認定難しい施設内虐待 (9)問われぬ支援の質/障害がある人の施設での暮らし  ひとつひとつ大事なテーマだと思いますが、障がいのある人との関わりもなく、事件にそれほど関心のないふつうの人にとってはどうなんだろう、という感じがします。隣に住んでいるおばあさんとか、仕事に追われているおじさんとか、子育てにいそがしいお母さんとかにとって、ここであげられているテーマは、自分との関係性がなかなか見いだせない感じがします。  といってそういう人たちが事件と全く関係ないのかといえば、そうではない気がします。  事件の際、犯人の語った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、とぷかぷかを訪ねてきた人がいました。  事件のあった年の11月、NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」といった話をしたところ、そんなことをいう人がいるんだ、と信じがたいような思いで私に会いに来た人がいました。その人は犯人のいった言葉を否定しきれない自分がいて、悶々としていたところへ「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」などという言葉がラジオから流れてきて、びっくりしたといいます。  でもぷかぷかに来たことがきっかけで、パン屋で一日実習し、それに続いて演劇ワークショップにも参加。舞台にもぷかぷかさんたちと一緒に立ちました。  そんな経験の中でいろいろ思うことがあったのか、そのあと、彼は放課後ディサービスで仕事を始め、重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない、といってきました。「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいると悶々としていた人が、今、「重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない」というのです。彼をそこまで変えたのはぷかぷかさんたちとのおつきあいです。ぷかぷかさんたちのチカラをあらためて思うのです。(彼のことはその後NHKスペシャルで事件を取り上げた時に紹介してくれました)  いずれにしても、「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、と感じた人は多かったのではないかと思います。   事件に関する取材でぷかぷかに来た記者で、やっぱり自分の中にも事件の犯人的な発想があって、そこからなかなか抜け出せない、と正直に語った方もいました。  普段障がいのある人たちに関わりのない人たちのふつうの感覚だろうと思います。上に上げたテーマをいくらきっちり書いても、犯人的な発想からなかなか抜け出せないと悩んでいる人にとっては、ほとんど意味がありません。  そういう人に届く言葉こそ、丁寧に書いて欲しいと思うのです。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉から抜け出すにはどうしたらいいのか。力強い言葉ではなく、「あ、そうか」っていう気づきにつながるような言葉です。  事件直後、ネット上には「よくやった」などという言葉が飛び交いました。あの悲惨極まる事件に対し、「よくやった」などという社会は怖いです。事件後、街に出るのが怖くなったという障がいのある人たちはたくさんいました。  その社会は、事件から4年たった今も全く変わっていません。  そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか、この社会の中で何をすればいいのか、といったことこそ今求められている気がします。  11月14日(土) ぷかぷかは、そんなことをみんなで語りたくて上映会をやります。 www.pukapuka.or.jp
  • これは「詩」ですね。
     実習生の、この感想、「きりんのえをかきました」「かにのえもかきました」…って書いただけなのに、なぜか人の心をあたたかいもので満たしてくれます。  簡単な言葉なのに、どうしてこんなにキュンと幸せな気持ちになるのでしょう。  人の心を揺り動かす、これは「詩」ですね。  こういう言葉にふれることで、私たちは人間を取り戻すことができます。人間のあたたかさを思い出すことができます。とがった心がまるくなります。  ともすれば人間であることを忘れてしまうような日々の中で、彼らは私たちを人間に引き戻してくれているのだと思います。  かながわ共同会が運営する施設で、また虐待があったといいます。彼らが人間を取り戻すのは、いったいいつなんだろうと思います。目の前にいる人たちの書く「詩」に気がついて欲しいと思うのです。 mainichi.jp
  • 上映会やります。
     毎年7月末にやまゆり園事件をテーマに上映会をやっていたのですが、コロナ禍で今年は中止にしました。でも裁判が終わり、事件が話題になることはほとんどありません。裁判もやまゆり園の支援のあり方を問うこともなく終わってしまい、何が問題だったのかはほとんど明らかになりませんでした。  結局そこのところは私たち自身が問い続けるしかないのだと思います。そのための上映会を、やっぱりやることにしました。コロナ禍であっても、いろいろ工夫してやり続けないと、本当に事件は忘れられてしまうと思うからです。  上映会は、11月14日(土)午後1時〜5時、横浜ラポールのホールです。 www.yokohama-rf.jp  上映するのは第6期演劇ワークショップ記録映画、NHK、テレビ神奈川、Eテレの映像(それぞれ5,6分)。まだ確定ではないのですが、NHK、Eテレ、朝日新聞の記者さんに登場していただいて、ぷかぷかで事件を超えるものとして何を見つけたのか、をそれぞれ語っていただき、それを元に事件を超えるには何をしていったらいいのかをみんなで話し合えたら、と思っています。あーだこーだと抽象的な話ではなく、どこまでも日々の暮らしの中で何ができるのか、何をしていけばいいのか、を話し合います。  やまゆり園事件についての話し合いは、大概どこでやっても重い、しんどい話になりがちですが、ぷかぷかがやる時はぷかぷかさんたちも参加しますので、いつも明るくて楽しいです。  これは去年の上映会の様子を現代書館の若い編集者が書いたものですが、「とがった心がまるくなる」ような上映会でした。 www.pukapuka.or.jp  朝日新聞は「いい一日だったねってお互い言えるような日々の積み重ねが事件を超える社会を作る」という素晴らしい記事を書いてくれました。優生思想を超えるとか、あまり大きな話ではなく、もっと身近で、手の届く範囲のことを日々やっていこう、という提案をぷかぷかはやっています。 www.pukapuka.or.jp  Eテレはぷかぷかを取材して高校生向けの共生社会を考える番組を作ってくれました。たまたま取材の最中にフタミンが割り込んできて、「明日からキャンプに行きます」などと言いだし、その時のタカサキとのやりとりがなんとものどかでおかしいです。共生社会って、字で書くとなんだか難しそうな感じがしますが、こうやってぷかぷかさんたちと楽しい話をする日々のことなんだと思います。 www.pukapuka.or.jp  だから「事件を超える社会をつくる」なんていうと、なんだかすごく大変そうですが、彼らと一緒に笑い合える日々を作るだけのことなのです。あーだこーだ小難しい話をしても、社会は変わりません。それよりも、あなたの周りにいる障がいのある人たちと、キャハハって一緒に笑い合える日々をつくること、一緒に笑える仲間を増やすこと、そうすれば社会は少しずつ、でも確実に変わっていきます。  こうやってね、ご飯食べながら一緒に笑う日々を作るのです。こういう日々の中で「ぷかぷかさんて障害者だったのね、ずっと忘れてたわ」という名言が生まれたのです。「事件を超える社会」「共生社会」「ともに生きる社会」がここにあります。        上映会のチケット代とか申し込み方法など詳細につきましては、また後日発表します。
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