ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」こと
    2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第二弾です。   《障がい者に対して偏見などを持っている人が未だ多いと感じます。組織の中で1人でも多くの人に、障がい理解を促進していきたいと考えます。  教員時代、法人での活動の中で、高崎さんが今まで行われた事項でこれは理解が  深まった等の出来事があれば教えて下さい。》    そうですね、要はお互いが楽しく出会える場、機会を作れるかどうかだと思います。養護学校の教員をやっている頃、こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日になると外に連れ出していました。  こんな感じの広〜い原っぱによく連れていって、そこの子どもたちと遊びました。  そこで遊んでいた子どもたちに、障がいのある子どもたちの説明とか、こんな風につきあって下さいとか、こんな配慮をお願いします、といったことは一切いいませんでした。連れて行った重度障がいの子どもの一人が野球をやっていた子どもたちの中にふらふらと入っていきました。どうなったと思いますか?ちょっと想像して下さい。  ①大混乱になった。  ②けんかになった いずれも×です。ではどうなったか。6年生のみさえの報告を見て下さい。  私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。  けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。  でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。  それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。  お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。  でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。  「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。   だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。  けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。  一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。  泥臭い小さな「ともに生きる社会」がここにあります。  今、あちこちで「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのと言われていますが、一向にその具体的なものが見えません。30年前に子どもたちがいとも簡単に作ってしまった小さな「ともに生きる社会」が、どうして今ないんだろうと思います。  この話は『街角のパフォーマンス』にありますので興味のある方はぜひ読んでみて下さい。 shop.pukapuka.or.jp  障がいのある人たちは社会にあわせることを求められます。そうしないと社会の中で生きていけない、みたいなこと言われて…。  ぷかぷかはお店を始めるにあたって接客の講習会をやった時、接客マニュアルに合わせるぷかぷかさんの姿が気色悪かったので、マニュアルに合わせる、言い換えれば社会にあわせることをやめました。そうすると「ぷかぷかさんが好き!」というファンができました。彼らのこと「理解」したわけではありません。「理解する」ことと「ファンになる」ことは全く別です。彼らのことを「理解」しても。「ともに生きる社会」ができるわけではありません。でも「ファンになる」と、そこには「ともに生きる社会」が自然にできてきます。どうしてだと思いますか?  ここにぷかぷかのヒミツがあります。そのヒミツを知りたい方はぜひぷかぷかにいらして下さい。遠くの方は『ぷかぷかな物語』を読んでみて下さい。映画『Secret of Pukapuka』の上映会を開いてもらってもいいですね。映画を見ると、心ぷかぷかになってぷかぷかのヒミツがわかります。 shop.pukapuka.or.jp  大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」ことです。彼らと「出会う」機会、場所を作ること。それが大事だと思います。
  • 彼らといっしょに生きることが生み出す「希望」
    2月11日(金)に「ともに生きる」ってなんだろう、というテーマでセミナーをするのですが、参加予定の方から事前に質問がいくつか上がってきました。 その中の一つにこんな質問がありました。 《相模原事件後、障がいのある方、職員や関わる方々、社会はどのような変化がありましたか?これからどのような希望をお持ちですか。》    事件後、私自身は何かにつけ事件のことを話題にしますが、社会全体を見渡せば、事件直後はともかく、5年たった今、それほど変化があったとは思えません。結局はどんなに大事件であっても、やっぱりみんな忘れてしまうのだと思います。それが日々を生きる、ということだと思います。ですから社会に変化がないことを色々言っても、そこからは何も生まれない気がします。  事件の犠牲者は全員名前が伏せられていました。このことが余計に事件を忘れさせる原因でもあったように思います。でも、事件の裁判が始まり、犠牲になった美帆ちゃんの名前が明らかになりました。美帆ちゃんという名前の一人の女性の人生がそこにはあったということです。そのかけがえのない人生がそこで断たれたということです。そのことを忘れないようにしたいと思うのです。  名前は、その人の人生を語るいちばんの手がかりです。名前があることで、私たちは「ああ、あの人ね」と思い出すことができます。その名前がわからなければ、その人の人生を思い浮かべることはできません。その人の人生がなかったと同じになります。重い障がいのある人たちが、そのように扱われたこと、そのことを忘れないようにしたいと思うのです。  殺された19人にはそれぞれの名前から思い起こす人生があったはずです。そのことを美帆ちゃんの名前の公表は教えてくれました。 「美帆ちゃんのこと、忘れないよ」それは、事件を抽象的に語るのではなく、美帆ちゃんという一人の大切な命が奪われた事件として記憶し、語っていくということです。そこから何をすればいいのかを考えていく、ということです。www.nhk.or.jp  質問に「これからどのような希望をお持ちですか」という言葉があります。事件の犯人は「障害者はいない方がいい」といい、「よくやった」などと共感する人がたくさんいました。ぷかぷかは「それはまちがっている」と言葉で批判するするだけでなく、障がいのある人たちと「いい一日だったね」ってお互い言える日々を黙々と作り続けてきました。ぷかぷかの日々の活動そのものです。日々の活動そのものが事件への批判であり、異議申し立てでした。たくさんの人が共感してくれました。そのことが大きな希望だと思っています。  彼らといっしょに生きる日々は、ほんとうに楽しいです。楽しさは未来への希望を生み出します。  どんなに悲惨な事件であっても、彼らといっしょなら、それを乗り越えていけます。それが彼らといっしょに生きることが生み出す「希望」です。
  • こうちゃんの家
     こうちゃんは特別支援学校中等部の2年生。将来は生活支援の福祉事業所に行くことになるでしょう、という話を学校で聞き、そういうところではこうちゃんの好きなことができないだろうな、と暗い気持ちになったといいます。やっぱり自分のやりたいことをやって生き生きとした毎日を送って欲しいし、そのためにはどうしたらいいんだろう、とぷかぷかに相談に来ました。なんと宮崎県からです。  ひととおりぷかぷかの活動の話をしたあと、既成の福祉事業所に頼るのではなく、自分の納得できるような場所を自分で作ってみたらどうですか、という話をしました。  たとえば「こうちゃんの家」なんてどうでしょうか。そこはこうちゃんがじぶんの好きなことを思いっきりできる場所です。こうちゃんが生き生きと毎日を送ることができます。こうちゃん一人では淋しいので、いろんな人が集まって、わいわいいっしょに楽しいことができればいいですね。障がいのある人もない人もいっしょです。大人も子どもも赤ちゃんも年寄りもいっしょ。こうちゃんにとってだけでなく、誰にとっても大切な「居場所」。  ですから、作る時もお父さん、お母さんだけで作るのではなく、自分たちの思いを発信し、共感する人たちといっしょに作っていった方が、誰にとっても自分らしい日々を過ごせる楽しい場所ができると思います。「こうちゃんの家」は「みんなの家」でもあるのです。                                   まずは自分たちの思いをまとめましょう。なんとなく頭にあるイメージを言葉にしましょう。ここがすごく大事。なんとなく思っているだけでは前に進みません。何がしたいのかを具体的に書いていきます。頭の中を整理するのです。夢が実現に向けて一歩前に進みます。ブログにまとめ、発信しましょう。たくさんの人に思いを伝えるのです。  自分の子どもが、あるいは自分自身が生き生きと活動できる場を作りたい、と思っている方はたくさんいます。そんな人たちとうまくつながれたらいいですね。つながりを作るためには、とにかく自分たちの思いを発信することが大事です。ブログだけでは見る人が少ないので、Facebookやツイッターにもリンクさせましょう。「こうちゃんの家しんぶん」なんてのも作りましょう。隣近所の関係を作るには、手作りのあたたかみのある紙のしんぶんがいちばんです。  思いっきり楽しいしんぶん作りましょう。ぷかぷかではこんなしんぶんを作って毎月近所に配っています。たくさんのファンをこのしんぶんは作り出しました。            「こうちゃんの家」に共感する人が現れたら、みんなで集まって作戦会議をやりましょう。自分たちのやりたいことを実現させるためには具体的に何をしたらいいのか、という作戦会議です。  まずは「こうちゃんの家」で何をやりたいのか、それぞれの思いを大きな紙に書き出してみましょう。思いが目に見えることはすごく大事です。目に見えることで、それぞれの思いをみんなで共有できます。  その思いを実現するためにはどうしたらいいのかをみんなで考えます。  まずは実現するための場所が必要です。こうちゃんちは宮崎県の田舎にあるそうなので、ひょっとしたら安く借りられる場所が見つかるかも知れません。こういうときのためにたくさんの友達を作っておきましょう。  《「こうちゃんの家」をみんなで作っちゃおうぜ、プロジェクト》なんて、勢いのある名前をつけると、それだけで楽しくなります。  お金も当然必要です。日々の活動からどうやってお金を生み出すか。ここがいちばんむつかしくて、でもいちばん自分が試されて、考えようによってはいちばん楽しいところです。こういうことは楽しみながらすすめることが大事。でないと続きません。  そんなん無理無理、といってしまえばそれまでです。その無理と思えることに挑戦すること、そこにこそ人生の面白さがあるような気がするのです。  ぷかぷかを始める時も、60才で新しい事業を始めるなんて無理無理、とたくさんの人から言われました。特に長年おつきあいのある福祉の関係者から言われた時は、さすがに落ち込みましたね。  でも、人になんといわれようと、進む時は進まないと何も始まりません。自分を信じるしかないですね、こんな時は。  でも、まぁ、なんとかなるものです。それが人生。  「こうちゃんの家」という夢があれば、大丈夫。それが自分を支えてくれます。大事なことはみんなで共有できる夢を持つことです。  こうちゃんはこんな絵を描きます。何に見えますか?これを大きな紙に描いてもらって、それをベースにみんなでイメージを膨らませ、どんどんこの絵に描き込んでいったら、こうちゃんとの共同作品ができ上がります。この絵が大きく変身します。みんなの思いの詰まった絵ができ上がります。  いずれにしても、まずはお母さん、お父さんで、「こうちゃんの家」のイメージを膨らませましょう。どんな家にしたいのか、そこでは何をするのか、思いっきり夢を語りましょう。  こうちゃんとお父さんは「こころぷかぷか」な絵を見て、何を思ったのかな。ひょっとしたらここから新しい何かが始まるかも。
  • 天王町サティ行くの!ー養護学校キンコンカン⑦
      自閉でこだわりの強い方は時々いますが、見ていると、こだわっているものからむしろ自分自身がなかなか自由になれない苦しさもあるようです。こだわりにとりつかれているというか…  昔養護学校で働いていた頃、ケイちゃんというとてもこだわりの強い方がいました。ちょうど宿泊学習でよそへ泊まることになったのですが、どうもそのことに納得できなかったのか、夜のレクリエーションが終わって部屋へ帰る途中から異様に興奮し始め、わめきながら飛び跳ねていました。私のそばへ駆け寄ってきては「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していました。天王町サティはケイちゃんのお気に入りのスーパー。部屋に入ってからも布団に上をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と汗だくになって繰り返していました。  「ケイちゃん、天王町サティに行くのは日曜日。今日はここで寝ます。ケイちゃん、わかりましたか」「今日はここで寝るの」「そう、わかってるじゃん。さ、寝よう!」「天王町サティいくの」「だからサティは日曜日!」「サティは日曜日」「その通り、わかってたらもう静かに寝てよ」「天王町サティいくの」「ケイちゃん!」ともう泣きたくなる。  ここから更に1時間近く「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していましたが、最後の方は涙を浮かべながら繰り返していました。ケイちゃん自身、もう天王町サティなんか行く気はほとんどないのに、「天王町サティいくの」の言葉だけが、自分の意思と関係なく口から飛び出して、それがやめられない苦しさが涙を浮かべるほどになっているようでした。ちょっともうかわいそうなくらい。それでもさすがに疲れたのか、10時を過ぎところ、電気を消して暗くするとすっと寝入ってくれました。  翌朝、6時きっかりに目を覚ましたケイちゃん、いきなり「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と大声で叫び、「うう、頼むからもうちょっと寝かせてよ」とお願いするも、もっとそばへ寄ってきて、耳元で「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」の大声。朝からどっと疲れました。  そんなケイちゃんでしたが、嵐が通り過ぎるとやっぱり愛おしくて愛おしくて、彼らといっしょに生きる「ぷかぷか」を立ち上げてしまったのでした。あの嵐のような「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」のおかげかも、と思ったり。  「そうだそうだ」とこの猿がいってるような気がして…
  • 「ともに生きる」って、ご機嫌な顔して彼らと日々過ごすこと
     パルシステム主催の人権研修会で「ともに生きる」ってなんだろう?を考える話をします。パルシステムの会員でなくても、誰でも参加できますので、「あ、おもしろそう」って思ったらぜひ申し込んで下さい。 www.palsystem-kanagawa.coop  「ともに生きる」って、あーだこーだ小難しい話じゃなくて、この写真のようにご機嫌な顔して彼らと日々過ごすことだと思います。コツは、彼らに何かやってあげる、なんて思わないで、ふつうに、対等につきあうことです。間違っても「健常者」の自分の方がえらい、とか優れているなんて思わないことです。  そうやっておつきあいすると、思ってもみない世界が見えてきます。  昔演劇ワークショップの中で「海のぬいぐるみ」を作った人がいました。ぬいぐるみといえばふつうクマさんとかパンダとかなんとなく丸っこいものを作りますが、養護学校の生徒の一人が「海のぬいぐるみ」を作りました。海のどこをどう切り取ってぬいぐるみを作ると思いますか?ちょっと考えてみて下さい。こういうのをサラッと思いつくことが素晴らしいと思います。発想が豊かなのです。私たちにはまねできません。  彼らとおつきあいしていると、こういう思ってもみないものが次々に出てきます。世界がグ〜ンと広がります。こんなおもしろい世界があったのかっていう気づき。こういった気づきが私たち自身を豊かにします。これが彼らとおつきあいするということです。  演劇ワークショップでいっしょに芝居を作ると、彼らのおかげででき上がる作品の幅がびっくりするほど広がります。いっしょに生きる意味がよくわかります。  ぷかぷかのお店がいろいろおもしろいのは、やはり彼らがいるからです。彼らがいなければ、おもしろくもなんともないただのパン屋であり、お惣菜屋、食堂にすぎません。彼らに、ただただ感謝!です。  彼らといっしょに生きると、社会が豊かになります。それはぷかぷかを見ているとよくわかります。  「酢のもの」と書くところを写真のように書いた人がいました。「あっ、いい!いい!」ってつい言っちゃいます。こういう字は楽しいし、社会をゆるっとしたものにしてくれます。「まちがってる」なんていうのはもったいないです。なので、ぷかぷかではそのまま商品といっしょに並べます。お客さんもよくわかっていて、「ああ、今日はこれね」って笑いながら買っていきます。こういう関係のあるところを「ともに生きる社会」というのだと思います。こういう字を書く人こそ大切な仲間として受け入れる社会こそ、みんなが心地よく生きられる豊かな社会といえます。        いずれにしても、どうしたらご機嫌な顔して彼らと日々過ごせるようになるのか、その結果何が生まれるのか、といったお話をしようかと思っています。一方的な話ではなく、みなさんからの質問を受ける形でのお話なので、どんな話になるかは当日のお楽しみです。  いい話だったね、で終わるのではなく、これをきっかけに自分のまわりにいる障がいのある人たちと、お互い笑顔で「いい一日だったね」っていえるようなおつきあいができるといいなと思っています。そしてぜひあなたの「ぷかぷかな物語」を作って下さい。
  • やはり彼らとどういう関係を作っているかがそのまま現れる
    『街角のパフォーマンス』(オンデマンド版)と『ぷかぷかな物語』が新たに入荷。アート屋わんどにて販売中です。  養護学校教員時代に素敵な子どもたちに出会い、「こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいない」といっしょに地域に出て、いろんなおもしろいことやりました。予想を遙かに超えたたくさんの元気な物語が生まれ、それをまとめたのが『街角のパフォーマンス』です。  障がいのある人たちがいると、みんなどうしてこんなに元気になれるんだろうと思います。  世の中に障がいのある人たちはたくさんいるのですが、その人たちのまわりにいつもこんなに元気な場が出現しているかというと、決してそうではありません。最近よくある「ふれあいフェスティバル」などといったものの何倍ものエネルギーがここには充満しています。どうしてなんだろうと思います。  やはり彼らとどういう関係を作っているかがそのまま現れるのだと思います。「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのと言った言葉がまだなかった時代でしたが、小さな、それでいて熱い共生社会が『街角のパフォーマンス』にはあります。  どうしてこんなに元気な場が生まれたのか、そこにはどんな関係があったのか、そのヒミツがこの本にはあります。  ヒミツは「彼らといっしょに生きると楽しい」という思いです。それをみんなと共有できたから、こんなに楽しい元気な場ができたのだと思います。今、「ぷかぷか」が元気なのも、そういった思いがベースにあるからです。  ヒミツを握るタカサキも当時こんな感じでした。彼らと出会って、なんだかものすごく自由になりました。それがこの姿。  障がいのある人たちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思って始めた「ぷかぷか」は、この10年でたくさんの素敵な物語を生み出しました。それをまとめたのが『ぷかぷかな物語』。                                 『ぷかぷかの物語』ではなく、『ぷかぷかな物語』です。どうして「の」ではなく、「な」なのか。それはぷかぷかさんたちといっしょに生きていこうって思えば、どこでも、誰でも作り出せる物語だからです。みんなが自分らしく、自由に、のびのびと生きられるそんな世界を、自分の手で作り出せるのです。  ぷかぷかさんたちといっしょに生きていく中でいちばんの気づきは、無理して社会にあわせなくても、 「そのままのあなたがいちばん魅力的!」 ということです。この気づきのおかげでぷかぷかさんたちは生きることがものすごく楽になったと思います。私たち自身も、彼らは社会にあわせなきゃいけない、という思い込みから自由になり、あらためて彼らと出会い直した気がします。  社会に無理にあわせなくていいのですから。自分の思うように生きて、お互い、毎日が楽しくなりました。いい一日を一緒に作っていこう!というみんなの目標もそこから生まれました。  ぷかぷかさんたちといっしょに、ぜひあなたのあなたらしい『ぷかぷかな物語』を作り出してみて下さい。みんなで自由に、私らしく生きて生きていくのがいちばん!  本はお店でもホームページからでも購入できます。 shop.pukapuka.or.jp  『街角のパフォーマンス』はタイトルを『とがった心が丸くなる』に変えて、アマゾンで電子本も販売しています。900円で安いです。Kindle会員だとただで読めます。                           
  • 相手との摩擦こそがお互いを磨き、新しいものを生み出します。
    昨日の朝日新聞「折々のことば」 ●●● 磨くということは、何かと何かを擦り合わせること。擦り合わせないと磨かれない。(関口怜子)      ◇  物は他の物と何度もこすれ合うことでぴかぴかしてくる。人も同じ。自分とは異質な人、理解しにくい人、話がうまく通じない人との摩擦をくり返し体験する中で人として艶(つや)やかになってゆく ●●●  障がいのある人たちといっしょに生きていくと、私たち自身が豊かになる、とぷかぷかは創設当初から言い続けています。彼らといっしょに生きていくとは、お互いフラットな関係で向き合うということ。自分とは違う人、何を思っているのかよくわからない人、話がうまく通じない人たちといろんな摩擦がおきます。それを回避するのではなく、全部引き受けること。裸で格闘すること。そうすることで私たちは自分の世界を広げ、成長し、豊かになっていきます。何よりもそこから、今までにない新しいものが生まれます。そういったことを昨日の「折々のことば」は言っているように思いました。  福祉事業所によくある「支援」という上から目線の一方的な関係では、こういった摩擦は起きません。支援する側が絶対的に正しいことになっているのですから。そういう関係からは新しいものは何も生まれない気がします。   演劇ワークショップは演出家の書いた台本をやるのではなく、みんな「フラットな関係」であーだこーだ話し合いながら芝居を作っていきます。いろんな人がいればいるほど、考え方も違うので、摩擦が絶えません。ほんまにこれでまとまるんだろうか、どうなっちゃうんだろう、といつもハラハラしています。でも、だからこそおもしろいものが生まれます。今までにない新しいものが生まれます。何よりもその過程で、みんながお互い成長します。これがいっしょに生きること。  下の写真は第一期演劇ワークショップでやった「森は生きている」のラストシーン。わがままな人間たちをどうやって懲らしめるかの場面です。この場面を作るためにものすごい時間をかけてみんなで話し合ったことを今でも覚えています。みんなが納得する、というのはほんとうに時間がかかります。みんなが納得しないと、いい芝居はできません。だからとことん話し合いました。正直、結構しんどい時もありました。でもその時間の大変さこそがぷかぷかさんたちといっしょに生きる面白さであり、豊かさだと思います。  相手との摩擦こそがお互いを磨き、新しいものを生み出します。
  • みんなでカラオケ
     年末にみんなでカラオケに行った時の写真です。仕事で見る時の彼らとまた違った彼らがいて、そういう時間をいっしょに過ごせたことがとてもよかったと思います。まさに「いっしょに生きる」ということ。                                                                              
  • あけましておめでとうございます。
     あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  今年もぷかぷかさんたちとたくさんのいい出会いがあるといいな、と思っています。  彼らと出会うとね、なんか、自分の生きている世界の幅がグン!と広がる気がするのです。「ああ、こんな素敵な世界があったんだ」って。その発見は、私たちの人生を豊かにしてくれます。人生がうんと楽しくなります。  彼らと出会う人が増えると、社会全体がゆるっとして、みんなが生きやすくなります。     そうそう、今年もつたない年賀状作っちゃいました。「2022」と彫るところを「222」と彫ってしまい、あわてて「0」を彫り足したのですが、ま、新年早々こんなもんです。今年もよろしくお願いします。
  • もしもし、ショウヘーです、きょうはぁ
     ショーへーさんの、 なんともやさしい気持ちになれる絵です。  ショーへーさんのやさしい気持ちがとてもよくわかります。みんながこんな気持ちになれれば、世界はもっと平和になるのに、と思います。  演劇ワークショップをやっていて、ぷかぷかさんたちの深いやさしさに気づいたことが何度かあります。  第一期演劇ワークショップでは『森は生きている』を創りました。その中で森にやってきたわがままな女王たちをどうやってやっつけるかという作戦を練ってもらったことがあります。いくつかアイデアは出てきたのですが、みんなふにゃふにゃというか、女王たちをやっつけるだけのチカラがいくらやっても出てきません。どうしたものかと悩みました。  終わってからの進行サイドの反省会でピアニストの安見ちゃんが  「みんな悪意がないんだよね」 とぼそんといい、そうか、これだ!と思いました。  誰かをやっつける物語は、そのいちばんの元に「悪意」がないと成り立ちません。ぷかぷかさんにはそれがないから、誰かをやっつけるというようなアイデアがなかなか出てこないのではないか、というわけです。  誰かが大事にしているものを取り上げて意地悪をする物語をやった時も、取り上げたものを簡単に返してしまい、意地悪することで成り立つ物語が全く成立しないこともありました。結局ここも悪意がないので意地悪ができないのだと思いました。  悪意がない、言い換えればぷかぷかさんの深いやさしさを見た気がしたのでした。  芝居の最後、わがままな女王たちをやさしく懲らしめ、「いっしょに歌おうよ」と呼びかける。わがままな人間たちと、12月(つき)の神様たちが共存していく呼びかけです。  第2期演劇ワークショップでは谷川俊太郎の詩『生きる』をたたき台に、『みんなの生きる』という物語を創りました。芝居の中に緊張感を作るために、みんなが生き生きと生きるその一番の幸せをぶち壊す「むっつり大王」をお話の中に持ってきました。不平、不満、イライラ等、マイナス感情の塊を象徴する「むっつり大王」です。芝居がいちばん盛り上がるのは、その「むっつり大王」との闘いです。  どうやってやっつけるのか。進行サイドでいろいろ考えている時に、「むっつりに感染しない人たちもいるんじゃないか」という意見が出ました。ぷかぷかさんたちのことです。ワークショップの中で「むっつりの感染」というゲームをやった時、瞬く間に「むっつり」が広がっていきました。ところが、ぷかぷかさんのまわりで、どうもその「むっつり」があまり広がっていかないのです。         「むっつり」は様々な不平、不満、イライラから生まれます。慎ましく自分の人生を楽しんでいる彼らには、そういう気持ちがほとんどありません。彼らこそ、この「むっつり」に覆われた世界からみんなを救い出すんじゃないか、と思いました。  「いらいらした気分でどうしようもなくなったときや落ち込んだとき、ぷかぷかに行くとなぜか救われた気分になるんです」とワークショップの中でおっしゃった方がいました。  これだ!って思いましたね。これが「むっつり大王」を退散させるんだと思いました。  ショーへーさんはふだん仕事が終わると必ずお母さんに電話し、今日はこんな仕事をしました、と報告します。ワークショップの時はその日歌った歌を電話口で歌います。  「もしもし、ショウヘーです、きょうはぁ ♪ おひさまーが りんごのー はっぱをとおして ひーかる おひさまーが りんごのー はっぱのかげをつーくるー…… ♪ と歌いました。たのしかったです、おしまい」            そばで電話を聞いていて、ほのぼのとあたたかい気持ちになりました。この電話にはショーへーさんのやさしさが詰まっていました。この電話で「むっつり大王」を退散させる筋書きを作りました。  舞台。世の中の「むっつり」がどんどん増えていってその集合体「むっつり大王」がぐわ〜んと最大限大きくなった時、舞台は暗転。スポットライトの中でショーへーさんがお母さんに電話をかけます。  「むっつりのお面」がどんどん増えて「むっつり大王」に  ショーへーさんにスポットライト  ショーへーさん始め、何人かのぷかぷかさんがそれぞれの持ち味を生かし、あたたかな小さな物語を披露しました。「むっつり大王」は「な、なにをするんだ、どうしてお前たちそんなに楽しいんだ…」といいながら退散します。  演劇ワークショップの中では、何度も彼らのやさしさ、楽しさ、心のあたたかさに救われました。実社会においても、私たちが彼らのそういったものに気づき、それを社会の中で生かせるような仕組みを作れば、今の息詰まるような社会はもう少し呼吸が楽になるような気がするのです。  あれができないこれができない、だから支援が必要な人たち、と見ている限り、彼らが持っている深いやさしさは見えません。こんなに素晴らしいものを持っているのに、それが見つけられないのは社会的な損失です。  必要なことは彼らと人としてきちんと向き合うことです。そこで見えてくるものを社会の中で生かすことです。
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