ぷかぷか日記

ウエムラ日記

  • ウエムラさんの話
     2年ほど前、北海道大学大学院のウエムラさんがひょっこりやってきて、1週間ほど実習しました。その時の体験はウエムラ日記に書いています。 www.pukapuka.or.jp  そのウエムラさん、今北海道中頓別で福祉の仕事をしながら毎週日曜日、地元の黄金湯という銭湯の番台に座っています。 この黄金湯は2年ほど前に一度潰れたのですが、銭湯の常連さんと一緒にボランティアで復活させたそうです。(この黄金湯の話はウエムラさんが大学院で書いたレポートにまとめていて、読ませてもらいました。黄金湯のおもしろさが生き生きと語られていました。銭湯という場を見直しましたね。)  常連さんたちとのおつきあいの中で、いろんな話を聞き、それを本にまとめたりもしています。地域の生きた歴史です。  そういった活動がNHKで紹介されました。映像の中に、ウエムラさんが真っ黒になって薪をくべているシーンがチラッとあって、おもわず 「おお!」 とうなってしまいました。銭湯を復活させるって、こういうことなんですね。  地域の中心に銭湯があります。そこは地域の人達の交流の場であり、何よりもみんなを元気にします。機会があれば銭湯に入りに行こうかなと思っています。  NHKの番組はこちら www3.nhk.or.jp
  • 好きだなぁ、この人たち
     何するわけでもなく、ただ一緒にひなたぼっこする時間が、もう抱きしめたいくらい愛おしい。北海道から来たウエムラさん、今日はそんなひなたぼっこをぷかぷかさんと一緒にしました。 ●●● 【今日、3人でひなたぼっこしたねー。楽しかったねー。】  ぽつぽつとメンバーさんが帰路に着き始める時頃のアート屋わんど。机の一角で、アサノさんが日記を書いていました。「アサノさん、毎日日記書いてるんですか?」と私が尋ねると、答えの代わりに、「今日3人でひなたぼっこしたねー。楽しかったねー。またやろうねー」という言葉と、何ともいえない幸せそうな顔が返ってきました。昼食後の休憩時間に、わんどの前の階段付近でアサノさんとコブカタさんと一緒にひなたぼっこをしていたのですが、それを思い出して日記に書いてくれていたようです。  私は、アサノさんの言葉を聞いて、もう一回ひなたぼっこをしたような気持ちになりながら、私も今日のひなたぼっこのことを日記に書こうと思ったのでした。  特別何かをしたわけでもなく、特別何かについて語り合ったわけでもなく、ただ一緒に、ぼんやりとひなたぼっこをしただけでしたが、そんな何気ない時間にこそ、大切なことがいっぱい詰まっているような気がします。 【名前知らなくても、まずはみなさん「こんにちは!」】  アサノさんとコブカタさんと一緒に、アート屋わんど前の階段付近で昼食後のひなたぼっこをしていたときのことでした。わんどに向かって左手の団地出入口から、3~4歳くらいの小さな女の子とお母さんが出てきました。女の子が、私たちの目の前を横切ってターッと駆けて行きます。ちょうどそのとき、おかし工房にじいろの厨房から、黄色いエプロンを付けた男の子がチョロッと顔を覗かせて、「こんにちは!」と女の子に向かって親しげに手を挙げました。私は、その様子を見て、女の子とお母さんはぷかぷかの常連さん親子なのかなぁと思ったのですが、次の瞬間、黄色いエプロンの男の子の口から出てきた言葉に思わず笑ってしまいました。 「・・・あ、誰?誰だっけ!?」。「誰だっけ?」と首を傾げながら、男の子はまた「こんにちは!」を繰り返しています。私と一緒にひなたぼっこをしていたアサノさんも、「こんにちはー! 名前はー?」と言いながら、女の子とお母さんのほうへ駆け寄っていきます。  女の子とお母さんが買い物を終えて帰る時には、アサノさんと黄色いエプロンの男の子は、「○○ちゃん、ばいばい。また来てねー」と、団地の出入り口までお見送りしていました。  見知らぬ人と人とのあいだにある壁をひょいと飛び越えてしまう2人を見ていて、「好きだなぁ、この人たち」と思ってしまう人は、きっとたくさんいるんじゃないかなぁと思います。 ●●●  日々おつきあいしてると、つい忘れてしまっている大切な時間を思い出させてくれました。ウエムラさん、ありがとう。  晴れた日にはぷかぷかさんと一緒にひなたぼっこしよう。まったりした時間の中で、ひょっとしたら忘れていた大切なものを思い出すかも。いや、思い出さなくてもいい。おひさまのあたたかさの中で、何もかも忘れよう。ああ、いい気持ちって思うだけでいい。そばにはぷかぷかさん。幸せなひととき。  知らない人との間にある垣根から全く自由なぷかぷかさん。どうして私たちにはあの自由さがないんだろう。あの自由さがあれば、世界はもっと平和になる気がする。
  • うんとこしょー、どっこいしょ
     ぷかぷかでは「みんなでいい一日を作る」を目標にしています。北海道から来たウエムラさん、昨日はでんぱたのぷかぷかさんといっしょにいい一日を作ったようでした。  でんぱたから畑に移動後、みんなで長靴に履き替えて作業準備。私は、トチモトさんと一緒に草抜きをすることになりました(魚住さんは、トチモトさんと私に石拾いをしてもらうつもりだったみたいだったけど、トチモトさんが草抜きモードに入っていたので草抜きに変更)。私たちが草抜きをする近くで、オオシマさんは石拾いをすることに。  場所をときどき変えながらしばらく一緒に草取りをしたあと、トチモトさん、仮設トイレが気になり始めたみたいです。トイレの近くに移動して、草を抜いてる?と思いきや、トイレ後ろのホースをいじったり、ドアとパタパタしたり、水流しレバーを下げてみたり、トイレ遊びが始まりました。私はそれを見ながら、「このホース、もとに戻さなきゃ」とか「あっち草いっぱい生えてるから、あっち行きましょう」とか、“正論”を言ってトイレから気を逸らそうとしましたが、見事に失敗して、「いいから、(あんたは)あっち(行ってて)!」と煙たがられる始末です(笑)。  トチモトさん、トイレから離れた次には、電動草刈り機のほうに吸い寄せられて、そこで草抜きを始めてしまいましたが、魚住さんが、「そこあんまり生えてないからいいよ。あっちたくさん生えてますよ。あそこでやりましょう」と、畑の真ん中あたりの木の下に誘導してくれました。たしかに背の高い草がいっぱい生えています。トチモトさんも、ボウボウの草を見てやる気になったのか、また真剣に草抜き開始。  しばらくして、すごく抜けにくい草の束に当たってしまったのか、トチモトさんが「うーん、うーん」と顔を少し歪めて唸り始めました。私はもう少し引っ張ったら抜けるかな?と思い、そのまま横で草を抜きながら「抜けないねぇ。もうちょっと、がんばれー」とか言いながら様子を見ていたのですが、いつまでたっても抜けません。見るに見かねて、(一気に引っ張ろうとし過ぎて抜けないのかなと思ったので)2つに分けて引っ張ってみたらどうですか?とか、ここはあとにして別の草抜きますか?とか声を掛けるものの、トチモトさんの耳には入りません。  仕方ないのでもう少し横で見ていると、トチモトさんが草をひっぱりながら、小さな声で、 「うんとこしょー、どっこいしょ」 と言い始めました。私も草をむしりながら、トチモトさんに合わせて 「うんとこしょー、どっこいしょー」 と言ってみます。トチモトさん、もう一回引っ張って、今度は 「うんとこしょー、おじいさん」  まるで絵本の『おおきなかぶ』みたいです。なんだか楽しい気分になってきた私は、ためしに、 「うーん、まだまだ抜けない。おじいさんの次は?」 と投げ掛けてみました。するとトチモトさん、 「おばあさん」 と返してきます。 わたし:おばあさんもやって来ました。もう一度みんなで…。うんとこしょー、どっこいしょ。 トチモトさん:うんとこしょー、どっこいしょ。 わたし:はぁ、まだまだ抜けません。おばあさんの次は誰が来ますか? トチモトさん:まご! わたし:はい、まごも来ました。 そう言う合間も、ヌノモトさんはウンウン唸りながら引っ張っています。 わたし:でもまだまだ抜けません。まごの次は誰が来ますか? トチモトさん:ねこ!(絵本では、ここで犬が来ますね) わたし:おお、ねこもやって来ました! もうそろそろ抜けるかなぁ…  「うんとこしょ」のやりとりはここで終わって、結局、上から引っ張っても引っ張っても抜けなかった草は、根っこからグッと掘り起こして抜きました。  この「うんとこしょ、どっこいしょ」のやりとりは、トチモトさんは、もうすでに覚えていないかもしれません。草を抜くのに一生懸命だった彼にとっては、何のことはない言葉のやりとりだったのでしょうが、私にとっては、とっても嬉しくて楽しい言葉のキャッチボールでした。おひさまの下でぽかぽかとあたためられる背中と同じように、私の心もぽかぽかじんわりあたたかくなりました。  「あっち行ってて」と言われて内心しょんぼりしたり(笑)、一緒に「うんとこしょー、どっこいしょ」をやって嬉しくなったり、今日はたくさん揺さぶられた1日でした。  こんなに楽しい草刈りがあったのですね。ぷかぷかさんのおかげです。スタッフだけでやっていたら、こんなに楽しい草刈りにはなりません。ぷかぷかさんと一緒だったからこそ生まれた楽しさです。働くことが楽しくなります。ぷかぷかさんに感謝!   「いっしょに生きていく」って、こういう日々を積み重ねていくことだと思います。「うんとこしょー、どっこいしょ」って、一緒に声を出したり笑ったりしながら…
  • その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない
    昔、取材に来た若い新聞記者が、帰りの会に参加し、司会の進行そっちのけでいろんなことが起こっている帰りの会を見ながら 「これはカオスですね」 といったことがあります。帰りの会をとてもよく表した表現だと思いました。カオス、つまり無秩序で混沌とした状態でありながらも、でも、帰りの会はなんとなくまとまってちゃんと終わっていた(今はコロナで全員が集まる帰りの会はやっていない)ので、ま、不思議といえば不思議。そこがぷかぷからしいというのか、カオスは当たり前というのか、これこそがぷかぷかというのか、なんとも表現がむつかしい。でも、だからこそ、帰りの会はなんともいえず楽しかった。  北海道から来ているウエムラさん、昼間っからそのカオス状態を見つけたようでした。 ●●●  バラバラで混沌としているようで、それが「わんど」のメロディなのかな?  今日の「わんど」での昼下がりのこと。  いつも魚住さんが座っている席のあたりにいるセノーさんが、クククッと楽しそうに笑いながら(いたずらっ子みたい…)、またゲオに電話を掛けている。 セノーさん:『~~(映画の名前)~~』は、洋画ですか? 邦画ですか? 店員さん:それはー、洋画ですかね。 というやりとりを何回も繰り返す2人。ときどきセノーさんは、「いや、それは邦画アニメですよね」とか、なんとかですよね、と店員さんに異議を申し立てている(笑)。 セノーさんと店員さんのやりとりにクスクス笑う私の横では、テラちゃんが頭を机について、グーグーといびきをかきながらお昼寝中。 そして私の左後ろでは、赤いパーカーを着た男の子が、パチパチ手を叩きながら何やら体操中(片足上げて、足の下で手をパチッと合わせる体操みたいなのをしていた)。 セノーさんとゲオの店員さんの会話を彩るように、一定のリズムを刻むパチパチという手の音と、テラちゃんのいびきの音。昼下がりのわんどで生まれるそれぞれの音は、まったくバラバラな音のようで、ちぐはぐなメロディを奏でる一つの楽曲のようにも聞こえたのだった。その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない。 ●●●  そう、この混沌とした状態だからこそ、そこから新しいものが生まれるのだと思います。世界が生まれる前、混沌が満ちていたように。  混沌をなくし、ぷかぷかが秩序ある正しい集団になったりしたら、なんだか気色悪いし、居心地が悪くなります。このごちゃっとした、なんだかよくわからない雰囲気こそ、私はほっとします。  「その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない」と語ったウエムラさん、いい感覚してるな、と思いました。
  • なぜか心が満たされていくような感じが…
    『ぷかぷかな物語』を読んで、なんと北海道から見学に来た方がいます。北大大学院で環境社会学、地域社会学を勉強しているウエムラさんです。昨日来て、一週間くらい滞在の予定です。  昨日の気づき ●●●  ふと、窓越しに外を見ると、女の子2人と男の子1人の3人組が集まって、なにやら楽しそうに立ち話をしている。その「学校帰り」ならぬ、「ぷかぷか帰り」のおしゃべりの様子に、頬がふふっと緩んでしまった。「何話してるのー?」と輪の中に入っていきたいような、いや、やっぱり、外から眺めたまま、その風景を味わっていたいような。3人の周りからふわっとあたたかい空気が流れていて、そのただのおしゃべりの様子を見ているだけで、なぜか心が満たされていくような感じがしたのだった。 ●●●  仕事が終わって、帰り道、ぷかぷかさんたちがお喋りしている。いつものことなので、私なんかはそのまま通り過ぎてしまうのですが、ウエムラさんにとっては、すごく新鮮な風景だったようです。  ぷかぷかさんがそこにいること。お喋りしていること。たったそれだけのことなのに、 ●●●  3人の周りからふわっとあたたかい空気が流れていて、そのただのおしゃべりの様子を見ているだけで、なぜか心が満たされていくような感じがしたのだった。 ●●● と書くウエムラさん。  きっと、私がこの手紙を見つけた時の、心がキュンとなってしまった時のような、そんな気持ちだったのではないかと思いました。  www.pukapuka.or.jp  彼らがいる、というのは、詰まるところこういうことではないかと思うのです。それをもっともっと言葉化したいと思うのです。感じたことを言葉として残しておく。やまゆり園事件が起きるような社会にあって、それはとても大事なことだと思うのです。優生思想云々の大きな話、小難しい話ではなく、ただ彼らのそばにいて、「心が満たされていくような感じがした」こと、「心がキュンとなった」ことなどを、とにかく書き留めておく。そういったことが日々積み重なると、物語が生まれます。心あたたまる物語です。その物語は、お互いがもっと心地よく暮らせる社会を作っていきます。
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