ぷかぷか日記

みんなでワークショップ

  • はずむことを知った心のこれからがすごく楽しみ
     みんなで背景画を描いた時の映像記録です。制作は映像作家の吉田拓史さんです。  金子さんのリードで、みんなどんどん書き進めていきます。表現することの楽しさが溢れていますね。こんな風にはずむことを知った心のこれからがすごく楽しみです。制作することと寝っ転がることとパソコンに見入ることなんかがごっちゃになっていて、いかにもぷかぷからしいと思いました。 www.youtube.com この背景画は来年1月29日(日)の午後、みどりアートパークホールの舞台で発表する「セロ弾きのゴーシュ』で使われます。これはまだ右半分なので、後日左半分を書きます。
  • 『セロ弾きのゴーシュ』背景画を描きました。
     ワークショップで作っている『セロ弾きのゴーシュ』の背景画を描きました。アートディレクター金子さんの発案で、『セロ弾きのゴーシュ』の文章をそのままいろんな人が描きました。いろんな字があって、もうこれ自体でアートになっていました。  こうやって寄ってたかってみんなで描きました。 完成したのがこちら 力強い出だし 「じつはなかまのなかではいちばんへたでした」が、途中で描けなくなって、横に行ってしまうところが楽しいです。 「トランペットはいっしょうけんめいうたっています。バイオリンも二いろ風のようになっています。クラリネットもボーボーとそれにてつだっています。」のところはまるで「オペラシアターこんにゃく座」のオペラが聞こえてきそうな文字です。 「楽長がどなりました。セロがおくれた」に対する「みんなぴたり曲をやめてしんとしました」の文字が、その時の雰囲気をとてもよく表現しています。 「こまるなあ」の「な」の字が素晴らしい 「ぼくはきみにドレミファをおしえてまでいるひまはないんだがなあ」の「あ」を描くスペースがなくて、上の方に「あ」だけ描いていました。この辺がなんとも律儀で楽しいですね。 「…水をごくごくのみました」 文字は背景画のバックにして、その上に絵を貼り付ける予定でしたが、絵を貼り付けるにはもったいないくらいの文字をみなさん描いてくれたので、絵をどうしようかと考えています。
  • 「ぷかぷかさん」が生み出した、なんともあたたかみのあるおかしさ
      第3期4回目のワークショプがありました。今年は『セロ弾きのゴーシュ』に取り組んでいますが、最初の練習の場面、ネコ、カッコウ、タヌキ、ネズミの場面が大体出来上がりました。  今回の一番の収穫は、ぷかぷかでつくった「秋コレ・ぷかぷかファッションショー」のために作ったモデルのお姉さんたちとの共演でした。あの素敵なお姉さんたちと一緒にワークショップの発表会の舞台に立てないかとずっと考えていました。  ネズミの場面に「夜風とどろき」という素晴らしい歌が登場します。宮澤賢治が剣舞の素晴らしさに感動して作った詩に林光さんが曲をつけたもので、オペラシアターこんにゃく座の『セロ弾きのゴーシュ』のネズミの登場するシーンでゴーシュが歌います。その朗々とした歌いっぷりに私は惚れ込んでしまいました。あの歌をバックに、ファッションショーのモデルさんと一緒に踊れないかと思ったのです。  この提案が思いの外うまくいった気がします。  出番を待つお姉さんたち。  「夜風とどろき」の歌詞はとても難しいのですが、メロディは病気になったネズミの子どもを元気にするにふさわしいものです。  こんな歌です。日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんが入るという、実に贅沢な歌の練習でした。 www.youtube.com お姉さんたちと一緒に踊りました。 www.youtube.com  振り付けはもう少し整理したいと思いますが、とりあえずは面白い雰囲気が出ていたと思います。  『セロ弾きのゴーシュ』の舞台にこんなお姉さんたちが登場するなんて前代未聞ですが、ま、これがぷかぷかの舞台です。来年1月29日の発表会、楽しみにしていてください。  面白かったのはこのあとのグループで字を読むのがあまり得意でない「ぷかぷかさん」がネズミのお母さんをやりました。病気になった子どもたちをぞろぞろ連れてゴーシュのところへやってきて、病気の子どもたちのためにセロを弾いてくれるように頼みます。 「どうして俺がセロを弾くと病気が治るんだ」 と聞くゴーシュに「ぷかぷかさん」は一生懸命説明するのですが、たどたどしい説明でなかなか前に進みません。具合の悪い子どもたちは、お腹が痛いの、吐き気がするの、熱があるの、と次々に訴えるのですが、お母さんの説明はどこまでもたどたどしく、なかなか前に進みません。子どもたちはのたうちまわっています。  このシーン、なんともおかしくて、みんな笑ってしまいました。このおかしさは演出で生み出したものではありません。「ぷかぷかさん」がネズミのお母さん役をやることで生まれた、なんともあたたかみのあるおかしさでした。  社会の中ではダメとされる、たどたどしい読み方が、演出で生み出すのは多分難しい「おかしみ」を、ごく自然に生み出し、今日のワークショップの中では特筆すべきほどの価値あるシーンを創り出したのです。 www.youtube.com  病気の子ども役をやった地域のお父さんは最後の反省会で 「今日は久しぶりに必死になって芝居をやりました」 とおしゃっていましたが、デフパペットシアターひとみのプロの役者さんたちもいつになく楽しそうに、そして必死に演技していました。ヨコハマアートサイトから来たセミプロ級の役者さんもお父さんネズミ役を、涙ぐましいほど一生懸命やっていましたね。そういう風にみんなが必死になるような時間を作り出した「ぷかぷかさん」の活躍ぶりにあらためて拍手を送りたい気持ちです。   ネズミのお母さんの役を普通の人がやって、演出家の指示に従ってたどたどしく読んでも、こんなシーンは絶対に生まれません。「ぷかぷかさん」がいてこそ生まれたシーンなのです。そのことを意味をしっかり考えたいと思うのです。  「ぷかぷかさん」は社会に必要なのです。彼らがいてこそ、こんなにも豊かな時間が生まれるのです。  相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者はいない方がいい」などと言いましたが、とんでもない話です。障がいのある人たちを社会から排除すれば、社会はどんどん痩せこけていきます。  ワークショップは「ぷかぷかさん」たちとただ一緒にいればいい、というのではなく、そこから一歩も二歩も先へ行って、新しい価値を一緒に作り出しているのです。新しいものを一緒に生み出す関係を「ぷかぷかさん」たちと作っているのです。  タヌキのシーンでは原作にある「愉快な馬車屋」(江原さん作曲)を江原さんと大ちゃんのコラボでやります。 www.youtube.com タヌキのシーンではもう一曲「てぃーちでぃーる」を歌います。太鼓のリズムが難しく、デフパペットシアターひとみの音楽担当やなせさんと、ピアニストのあみちゃんの特訓を受けました。 デフパペのプロの役者が「ぷかぷかさん」相手になんだか困っていました。  ワークショップをやっているリハーサル室の片隅ではアートパーク館長と舞台監督が発表会の舞台設計をやっていました。
  • 社会全体を見渡す目を持つこと
    少し前になりますが、hanaちゃんのお母さんがすばらしいこと書いていました。 ameblo.jp 《 それぞれの親が   『自分の子ども』   のことだけを考えている間は   きっとこの社会は変わっていかない。     自分の子どもがぷかぷかみたいな素敵な場所に入るにはどうしたらいいのか。   ではなく     ぷかぷかのような世界を自分の周りにも広げるにはどうしたらいいのか?     をそれぞれの親が考え始めたら   なんかこの社会が変わる気がするのです。 》      こんなふうに社会全体のことを考える人が、ほんとうに少なくなってきた気がします。社会全体が変わらないと、子ども達の社会的生きにくさなどは解決しません。  ぷかぷかは《障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する》ことを法人の目的として立ち上げました。  みんなでワークショップの第一期の企画書にこんなことを書いています。    口にはしないものの、障がいのある人たちのことを「何となくいやだな」と思っている人は多い。障害者施設を建てようとすると、地元住民から反対運動が起きることさえあります。とても悲しいことですが、これが障がいのある人たちの置かれた状況です。  これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題です。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれます。“知らない”ということが、彼らを地域から排除してしまうのです。  彼らの生きにくい社会、異質なものを排除してしまう社会、他人の痛みを想像できない社会は、誰にとっても生きにくい社会です。誰かを排除する意識は、許容できる人間の巾を減らすことにつながります。社会の中で許容できる人間の巾が減ると、お互い、生きることが窮屈になります。これは同じ地域に暮らす人たちにとって、とても不幸なことです。  逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会になります。  そういう社会はどうやったらできるのか。それへ向けてのひとつの提案が「ぷかぷか」を街の中に立ち上げ、街の人たちと障がいのある人たちが出会える場所を作ったことです。お店で彼らといい出会いをした人たちが、ぷかぷかのファンになりました。そういう人たちを増やしていくことで、「ぷかぷか」は地域社会を変えてきました。      社会全体を見る目を持っていないと、障がいのある人たちの生きにくさがどこから来ているのか、どうすればいいのかがよく見えなくなります。  冒頭でふれた地元住民の反対が、実際にグループホームの建設を断念させるという事件が瀬谷区でありました。障害者はこの街に住むな、という主張が通るような社会は、どんどんやせ細っていきます。相模原障害者殺傷事件の背景を見た気がします。   神奈川新聞がこの事件をよくまとめています。長いですが、ぜひ読んでみてください。 www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp   www.kanaloco.jp   社会全体を見る目は、私たち自身の生きかたをも問います。そして自分を豊かにします。         
  • 最初のシーンを作りました。
      2016年9月17日、第3期みんなでワークショップの第二回目がありました。今期は『セロ弾きのゴーシュ』がテーマです。どうやって『セロ弾きのゴーシュ』の物語をみんなの中に降ろすかが今回のテーマでした。  『セロ弾きのゴーシュ』は金星音楽団が練習しているとき、いつもゴーシュのセロが遅れ、楽長がだめ出しをするところから物語が始まります。 《 にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」 》 という具合です。そこで、この楽長がだめ出しするところの言葉をみんなで言い合う「だめ出し合戦」をやりました。人間、大きな声を出すと、自然にテンションが上がります。相手に向かって大声を出し、相手はそれに負けずに更に大声を出します。相手がいる、ということはすごく大事です。 手をパン!パン!パン!と三つたたき、この台詞を相手に向かって大声で言います。相手は同じ台詞を更に大きな声で投げ返します。  こうやって体が熱くなったところで、三つのグループに分かれて、練習中にゴーシュがだめ出しをされるシーン、叱られたゴーシュが壁に向かって涙をこぼしながら一人静かに練習をするシーン、夜、川端にあるこわれた水車小屋の家に帰り、椅子に座って練習するシーンを作りました。  オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』で歌われている歌を使ってシーンを作っていきます。  だめ出しの言葉を言ったあと、みんなが歌で支えます。  ゴーシュをのぞく楽団員が退場したあと、ゴーシュは一人残って練習します。  ここはゴーシュ役のサイトウさんが、すばらしい演技を見せてくれました。後ろ姿がすごくよかったですね。みんなが歌で支えます。 《 その晩遅おそくゴーシュは何か巨おおきな黒いものをしょってじぶんの家へ帰ってきました。家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋…  ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけるとさっきの黒い包みをあけました。それは何でもない、あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれを床ゆかの上にそっと置くと、いきなり棚たなからコップをとってバケツの水をごくごくのみました。  それから頭を一つふって椅子いすへかけるとまるで虎とらみたいな勢いきおいでひるの譜を弾きはじめました。》  体でゴーシュの家を作ります。そこへゴーシュがセロを担いで帰ってきます。先日日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんもリュックのようにチェロを背中に担いでやってきました。  セロを床に置き、棚からコップを採ってバケツの水を飲みます。それから頭を一つ振って、椅子にかけるとまるで虎みたいな勢いでセロを弾き始めます。  サイトウさんのこの熱演ぶり。♪譜をめくりながら 弾いては考え、考えては弾き…  ほかの二グル−プとも、こんなふうにして最初のシーンを作りました。デフパペットシアターひとみの役者エノモトさんが作った水車がすばらしかったですね。エノモトさんは聴覚障害者。言葉を使わずに体だけで様々なものを表現する活動をやっています。一声かけただけで、すばらしい水車を作ってくれました。   歌の力は大きかったですね。こんにゃく座のオペラの歌は原作の言葉をそのまま使っています。ですからオペラの歌を歌うと自然にそこのシーンが頭に浮かびます。『セロ弾きのゴーシュ』をみんなの中に降ろすのにとてもいい方法だと思いました。  終わってからの反省会、しょうへいさんはずっと黙ったままなので、今日は何も言わないのかと思っていたら 「実は小さな子どもが僕を好いてくれました。それがとてもよかったです」 と、ぼそっと言い、みんな笑ってしまいました。コミュニケーションゲームの中で、ピアノの役をやり、その中で子ども達がしょうへいさんのこと、とても気に入ったようでした。しょうへいさんは積極的に子ども達に関わるタイプではないのですが、内心すごくうれしかったんですね。  とりあえず最初のシーンができました。このあと動物たちが登場するシーンを作っていきます。どんなお芝居になるか、楽しみにしていてください。  できあがった芝居の発表は来年1月19日(日)の午後、みどりアートパークホールで予定している《表現の市場》でおこないます。
  • 第三期第一回目のワークショップ
     8月20日(土)、第三期目の「みんなでワークショップ」がスタートしました。第一期目は『森は生きている』、第二期目は『みんなの生きる』をテーマにしました。そして今期は『セロ弾きのゴーシュ』がテーマ、というか、それを元に芝居を作っていきます。  ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係です。「みんなより遅れる」「みんなと合わない」「表情がない」「とけたひもを引きずったような演奏」と楽長にしかられてばかりいます。ゴーシュは一人残って壁に向かって涙をこぼしながら練習します。  そんなゴーシュのところへ毎晩動物たちがやってきます。ネコ、カッコウ、タヌキ、ネズミです。最初は無愛想ですが、それでもゴーシュは彼らのためにセロを弾きます。セロを弾きながら動物たちとのいろんなやりとりがあります。  ゴーシュは毎晩必死になって練習し、そのためにうまくはなるのですが、この動物たちとのやりとりこそが、ゴーシュを成長させます。  その成長がいちばん見えるのが、演奏会の日、「第六交響曲」が大成功し、アンコールの中でゴーシュがたった一人でセロを演奏する場面です。ゴーシュは動物たちがやってきた夜のことを思い出し、すばらしい演奏をします。  オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』には、ゴーシュの成長ぶりがすばらしい音楽で表現されていて、ここは何度聞いてもぞくぞくするほどの場面になっています。  ここを芝居の形で表現できないか、というのか、今回のワークショップのテーマです。  ゴーシュは楽長をはじめ、みんなからいろいろ馬鹿にされるのですが、「みんなより遅れても」「みんなと合わなくても」「表情がなくても」「とけたひもを引きずってても」そんなだめなことがいっぱいあっても、「それでもゴーシュはいた方がいい」といえるようなものを動物たちとゴーシュのやりとりの中で見つけ、それを芝居に形にすることができないだろうか、と思うのです。  それはゴーシュと同じような理由で社会的疎外を受けているぷかぷかのメンバーさんたちからの大事なメッセージになります。「それでも社会にはゴーシュのような人間はいた方がいい」というメッセージ。彼らと一緒にワークショップをやれば、多分それは見つかるのではないかと思うのです。  相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者は生きていても意味がない」などというめちゃくちゃなことを言っていますが、「それはちがう」ということを私たちは言い続ける必要があると思っています。それば容疑者だけでなく、社会全体が障がいのある人たちをまだまだほんとうに受け入れていないと考えるからです。出生前診断で染色体異常が確定した妊婦のうち94%が人工妊娠中絶を選択した、という現状は社会全体が障がいのある人たちをどんな風に受け止めているかをよく物語っています。  言葉で「それはちがう」というだけでなく、そのことを語る具体的な事実を作っていくことがなによりも大事だと考えています。「支援」などという、どこか他人事の、上から目線の関わりではなく、あくまで彼らの側に立ち、彼らと一緒に豊かなものを作り続けることです。「ぷかぷか」はそのことを地域の中でやってきました。そしてワークショップはまさに彼らと一緒に豊かな文化を創り出すものです。  話をワークショップに戻します。  第三期第一回目のワークショップの報告です。  コミュニケーションゲームの最後に、自分で身につけているものも使ってグループごとに、どこがいちばん長くできるかのゲームをしました。靴や靴下ハンカチ、タオルなども動員して、みんな必死になって腕や足を伸ばして挑戦しました。この必死になる感じがすごくよかったですね。適当にゲームを楽しむのではなく、必死になってゲームをやるとき、人は皮がちょっとだけむけて、ちょっとだけ自由になれます。こんな体験を積み重ねていって、ワークショップはあたらしいものを創り出すことができるのです。  コミュニケーションゲームのあと、オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』のDVDを見ました。原作は30年ほど前に初演され、今回見たDVDは10年前に上演されたときのもので、演出も歌役者もかなり変わっていましたが、それでもこんにゃく座のオペラってほんとうに楽しいとしみじみ思える作品でした。みんな集中して見てくれたので『セロ弾きのゴーシュ』がどういうお話かは十分伝わった気がしました。(DVD見たい方、高崎までメールください。お貸ししますよ。『セロ弾きのゴーシュ』という作品がこんにゃく座の手にかかってオペラになると10倍くらい楽しくなる、ということがよくわかります。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp)  オペラ『セロ弾きのゴーシュ』でゴーシュが家(といっても川端にあるこわれた水車小屋)に帰って夜セロを練習するときに歌う歌「ふをめくりながら」と、タヌキが登場する場面で歌われる歌「てぃーちでぃーる」を練習しました。  ♪ 譜をめくりながら 弾いては考え、考えては弾き…♪  これは左手でチェロを持ち、右手で弦を持って弾くようにして歌うと、とても気分の出る歌です。養護学校で『セロ弾きのゴーシュ』をやったときは、これを真っ先に練習しました。  二曲ともピアニストのあみちゃんが一回歌っただけですぐにみんな歌えるようになり、その吸収力にちょっとびっくりでした。   午後はあみちゃんの紹介でオーケストラで演奏しているチェロ奏者江原さんがチェロの生演奏をしてくれました。そのときの雰囲気をちょっとだけ楽しんで下さい。 「白鳥」 www.youtube.com www.youtube.com   流れ星の音まで入った「上を向いて歩こう」。江原さんによるすばらしいアレンジ曲。 www.youtube.com 「ザッツ エンターテイメント」 www.youtube.com  なんとも贅沢な時間でした。  演奏の終わったあとはチェロやチェロを弾く指を触らせてもらいました。  『セロ弾きのゴーシュ』の発表会(来年1月29日)でもスケジュールが合えば来てもらえるかも知れません。  チェロの生演奏を聴いたあと、みんなでゴーシュの家を訪ねるいろんな動物になったり、ゴーシュに何を頼むかを考えたりしました。  なぜかイグアナが登場  そのイグアナグル−プがゴーシュの役をやり、そこへほかのグループが 「最近眠られないんです。どうしたらいいですか?」 と訪ねてきました。期せずしてツジさんが 「チャン、チャララララン…」 と「禁じられた遊び」を口ずさみ、眠られなくて困っていたグループの人たちが眠ってしまう、という即興の芝居ができました。  イグアナグル−プに入っていたチェロの演奏者江原さんは 「およそ生産性には興味のないまったりグループの中でどうなることかと思いましたが、禁じられた遊びが飛び出してきたときは、ほんとうにびっくりしました。すごい可能性のある人たちですね」 とおっしゃっていました。  こういう反応を積み重ねていくと、今までにない面白い『セロ弾きのゴーシュ』ができあがるのではないかと思います。  発表会は来年1月29日(日)の午後、みどりアートパークホールでおこなわれる『表現の市場』でおこないます。ひょっとしたら本物のチェロの演奏が聴けるかも知れません。
  • 何かとんでもない提案をしてくれるといいな
     ぷかぷかの本を出版してくれる雷鳥社の社長からのメール。   土日も仕事、移動中の電車、クルマの中でも原稿に目を通す 寝るとき以外、ずっと仕事状態なのですが、なかなか思うように仕事が片付いてくれません。    「寝るとき以外、ずっと仕事状態」も「なかなか思うように仕事が片付いてくれません。」もタカサキとおんなじだと思いました。  ま、仕事ってそんなもんだし、思うように行かないところが仕事なり人生の面白さ。思うように行かないときこそ、私はくそ〜!とか思いながら、一方でこういうときこそ勝負所と、わくわく元気になります。    その社長 「なにか面白い方向に進めるような提案ができたらいいですね。」  とメールにあったので、何かとんでもない提案をしてくれるといいなと来週の本についての打ち合わせをとても楽しみにしています。    先日ネット上にアップした企画書は、私がかんがえた月並みな企画書でした。こんな感じです。   ●●● ◆企画意図上記の活動を行うNPO法人ぷかぷかは、障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消することを目的として設立しました。ところが実際にお店を運営していると、彼らは街の人たちの心を癒やし、元気にしていることに気がつきました。街を耕し、豊かにしているのです。これは大変な発見でした。彼らはもう何かをやってあげるとか、保護するとか、支援するとかの対象ではなく、ぷかぷかで働きながらお店を支え、街を豊かにするという「役割」をしっかり担っていたのです。そんなふうにして社会に貢献していたのです。そのことが彼らの日々を支え、彼らの笑顔を生んでいました。「いつ来ても、ぷかぷかは明るいですね」「ほかの福祉事業所とは空気感がちがいますね」と見学者の多くが語っています。それにはこういう理由があったのです。福祉は昔から「施し」を受けるようなイメージがありますが、彼らを見ていると、「施し」を受けるどころか、社会を変えるソーシャルイノベーターとして活躍しているのです。区役所でパンの販売をするときはお客さんの行列ができます。世間から「なんとなく嫌だな」と思われている障がいのある人たちのお店に行列ができるなんて信じがたいことです。スタッフががんばって行列のできるお店にしたのではなく、彼ら自身がその行列を作ったのです。ここにはですから「希望」があります。社会を救う「希望」です。この本にはその「希望」の道筋があります。     ぷかぷかは「障がいのある人たちのチカラ(魅力)で社会を変える、社会を豊かにする」という今までにない新しい発想、カタチでの社会変革をやっています。接客マニュアルを使わず、障がいのある人たちの魅力をそのまま差し出すことで、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんをたくさん作り出しました。そういう人を増やすことで、地域社会を豊かにしてきました。いろんな人がいるっていいね、という豊かさを地域の中で作ってきたということです。これが成功すれば、障がいのある人たちを取り巻く世界だけでなく、社会全体が大きく変わります。これはまさに、障がいのある人たちによるソーシャルイノベーションです。 ●●●   といったことを書いて、三つの出版社が手を上げてくれたのですが、所詮は素人の考えた企画書。百戦錬磨の社長から、あっと驚くような提案が出てきたらおもしろいなと思っています。  というか、ぷかぷかのことを本にまとめるので、今まで書いたブログなど読み返しているのですが、どう考えても、先日書いた企画書の中に収まりそうになく、どうしたものかと悩んでいるのです。   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.hatenablog.com   pukapuka-pan.hatenablog.com   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.xsrv.jp   pukapuka-pan.xsrv.jp         こんな感じでまだまだいっぱいあって、もう収拾がつかないといった感じです。企画書に書いたぷかぷかは、この膨大な量の活動のほんの一部だなと思うのです。  というわけで、経験豊富、百戦錬磨の社長からのとんでもない提案をわくわくしながら待っている、というわけです。  
  • 第三期「みんなでワークショップ」が始まります。
     8月から第三期「みんなでワークショップ」が始まります。今期は宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』をたたき台に、ぷかぷからしい『セロ弾きのゴーシュ』を創る予定です。  ゴーシュは街の活動写真館でセロをひく係です。けれどもあんまり上手でないので、いつも楽長にしかられています。  「セロが遅れた!」「セロ!糸が合わない」「ほかの楽器と合わない」「君には困るんだがな、表情というものがまるでできてない」  「遅い!」「みんなと合わない」などというのは、ぷかぷかのみんなが社会の中で言われ続けてきた言葉だなと思います。  そこをひっくり返すような作品が作れないものかと思っています。  遅いからみんなと合わせられるように一生懸命練習するとかではなく、「遅くてもいいじゃん」「遅い人がいた方がいい」という、そういう社会のあり方の提案です。  ぷかぷかは、彼らのそのままのペースで仕事をやっています。彼らを社会に合わせるのではなく、彼らに社会を合わせる方がいい、という私たちの生き方の提案です。  彼らがそのままの自分でいられる場所としてぷかぷかは街の中にあります。そしてそのままの彼らの魅力に出会ったお客さんがぷかぷかのファンになり、そのファンが今、どんどん増えています。彼らのファンが増えるということは、街が豊かになる、ということです。  「遅い!」「みんなと合わない」といわれ続けてきた彼らが、街を豊かにしている、ということ。  そういうメッセージが今回の『セロ弾きのゴーシュ』にこめられたらいいな、と今日、ワークショップの進行役、ピアニストと打ち合わせしながら思いました。  ワークショップでは実際にやってみないと、どんな風に話が展開するのか、全くわかりません。多分、私が考えているイメージよりも、もっとダイナミックなひっくり返し方を彼らはやるのではないかと思います。      ワークショップ参加者を募集します。  参加者は会場のスペースから約30名。おおざっぱにはぷかぷかのメンバーさんが約20名、街の人たちが約10名です。  日程は8月20日(土)、9月17日(土)、10月15日(土)、11月19日(土)、12月17日(土)、2017年1月21日(土)、1月28日(土)、1月29日(日) 時間は9時15分〜16時。1月のワークショップは17時頃まで。   最終日1月29日(日)は表現の市場として発表会をやります。プロの舞台監督の創った本物の舞台に立ちます。  会場はみどりアートパークリハーサル室。発表会はみどりアートパークホールです。   参加希望者が多いので、希望の理由を聞いてから参加がOKかどうかを決めさせていただきます。メールに参加希望の理由を書いてぷかぷか宛に送ってください。  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp    担当:高崎            
  • 参加するカフェ
     土曜日に金子さんのワークショップで作ったおしゃべりする野菜たちをカフェの壁に飾りました。まずはフランスパンから。 え?これがフランスパン?という感じですが、ま、このよくわからない感じがいかにもぷかぷからしくていいなと思うのです。「あ、フランスパンだ!」ってすぐにわかるような作品は、なんか、あまりおもしろくない気がするのです。  お皿を貼って… どんどん貼り付けていきます。    カフェの壁がこんなに楽しくなりました。  金子さんと二人、できあがった壁を眺めながら、 「見る人が参加できる仕掛けを作りたいね」 「どういう仕掛けがいいだろうね」 なんて話をしていたのですが、 「画用紙とクレヨン用意して、野菜の絵を描いてもらって貼り付けるのもいいし」 「吹き出しを用意しておいて、野菜のおしゃべりをお客さん自身に書き込んでもらったら」 「あ、おもしろいおもしろい、それやろう」 という話になり、明日からそのようにします。  お客さんが壁を眺めながら、吹き出しに野菜たちのおしゃべりを書き込んで貼り付けます。  題して「参加するカフェ」です。カフェの壁作りにお客さんが参加するのです。どんな壁になるのかなぁ、すっごく楽しみです。一ヶ月もすると、野菜たちのおしゃべりがわぁ〜んと渦巻いているカフェになるのかなぁ。  これこそが「みんなでワークショップ」です。  
  • 「どっひゃ~」って崩れ落ちそうになりました。
      いつもおひさまの台所に買い物に来てくれている「イカけんちん」の大好きな近所の方が、ワークショップに参加し、すばらしい感想を書いてくれました。参加者の中でどんなことが起こっているのか、とても丁寧に描いています。あらためてワークショップが生み出している出来事の幅の広さを思いました。   ●●●   ある時、ぷかぷかを知り、前回の舞台を見に行き、心がゆさゆさ、ザワザワ揺れた。 エネルギーの大きさ、自由なメンバーさんにワクワクした。もっとみんなと、一緒に過ごしてみたくて、WSに参加させてもらう事になった。みんなが、自由で豊かに思えた。    私は普段色んなものを、かぶってるから、あるがままではいられないけど、ここでは普段持つネガティブな感情を排して過ごせるんじゃないか・・・そんな事も思った。「私はそのまんまで臨む。構えない。用意しない。作らない。褒められなくても、認められなくて大丈夫。何も卑下しない。何か覚えようとか、覚えなくちゃとか、思わない。普段とは真逆に行こう。だからあえて頑張らない」。    私には、色んな事を差し置いても大好きな事があった。無理をしなければ求めている 事は 手に入らないと思って無理もして求めてきた。好きな事には無理もするし挑戦もする。それで良い。でも何が自分の本来の床面なのか、足元が見え辛くなっていた。    WSがついに始まった。最初の頃、みんなが幸せに思う事、怒りの事、それぞれ短冊状の紙に書いて並べ、なんというか・・詩のようにしてみようと試みていた回があった。けど人に発表するには、まとまりも足りないし、方向が見出せない事もあった。仕方がない。必要ならば植木を切るようにチョキチョキして、何となく、まとめよう。いや、でも・・そんなの、みんなとの詩じゃない。これは「みんなの生きる」なんだよな。    ・・・・モワモワを少々抱えつつ、いつどこの段階で「 これでイイじゃん」と思えたのかはよく分から無い。けど多分どこかで「もういいじゃん」って思ったんだと思う。大事なのは細かい言葉じりや、言葉の語呂や、帳尻合わせじゃ~ないなって。逆に言えば、細かい言葉じりや、語呂や、帳尻が合っていたとしても、ただキレイなだけじゃあ、ぷかぷかじゃない。    前日のリハーサルの時の、最後の場面・・むっつりに感染して、しゃがみつつ、コヤマさんの、電話の場面を耳で聞く・・するとコヤマさん、むっつり大王の歌を歌いだして私も、「どっひゃ~」って崩れ落ちそうになりました。「明日どうなるの??」マジメに心配でした。    私は色んな順序を覚えるのが苦手なんで(苦笑)リハを終えてもなお 、 今一つ流れが頭に入っていませんでした。それで思わず(前の日なのに)全体図が見えてこない~~」と、ある友人にこぼしたら「(見えてこない)それが ぷかぷかです」だって。そうそう、そうだった。言い射ています。そうか・・・見えてこないのが良い。予想出来ないのが良い。予測できるが普通で安心だなんて、勿体ないかも。そう思いました。    気が付けば、舞台当日・・・前日のリハで、で、みんなをのけ反らせたコヤマさん・当日は「おひさま~が」って歌いましたね。ちょっとホッとして、ちょっと惜しいような気持ちになりましたが。前日リハの、コヤマさんの「疲れた疲れた」の歌・・あれこそぷかぷかの見せ場というか、結婚式で言えば「ケーキ入刀」だっ たんじゃないかなと思います。    ギャラリーほとんど居ませんでしたけど。あのキラメキは あそこにいたみんながキュッと感じたのではないでしょうか?リハで感じた、あのキラメキ、又感じたかったな。「どうなっちゃうの?」「誰がどこに導くの?」「じゃあみんな、どこに導かれて行っちゃおうか?」どこに流れつくか、ぷかぷかの醍醐味、見たかった、見せたかったな。    メンバーさんも、緊張していた本番直前。みんなでステージ裏でスタンバイしている時・・私はデジカメで写真を撮ったりして緊張を緩和させようとしていたけど(苦笑)落ち着きませんでした。みんな結構余裕なのかと思いきや、案外ナーバスです。 緊張したメンバーさんを見ていると、私ももっとドキドキしてきて「こんな事が毎月あったら命が短くなる」と確信しました。    あの日だけで多分3年位短くなっています。何度か踊りで舞台に立ちましたが・・踊りでなければ緊張しないのかと思ったら、踊る時と同じように「ド緊張」していました。う~ん。みんなと過ごして、前より少しみんなを知る事が出来てて嬉しかっ楽しかったな・・ 一緒に過ごす中で、話が噛みあわない部分があったり、伝わらなかったり、オチがない事もある。でもオチっていうしめくくり、そんな大事??話の途中が楽しかった。    話し途中で、トピックが次々に変わったりもしたけど、こっちも、どんどん変えるよ。WSで 、ゲームをしたり、一緒に設定を組み立てたり、をやっていると時々、キラッとチャーミングがこぼれる。何にも知らないで、内面も知らないでただバスで乗り合わせるだけとかだったなら、分からなかった。    会話が噛みあう事だけが、頷きあう事が、互いに何かを言葉で確かめる事だけが・・人と人との間を結ぶものじゃないんだな。舞台には立ち位置や、動作や仲間を意識せざるを得ない部分があると思っていました。人を意識しない、人と比べないなんて、普段まず無い。    でも、ぷかぷかの舞台では私は自分を誰とも何も比べる事が無かった。これは、新しい世界でした。誰からの期待に応える必要もなく、 焦りもなく、才能のある他の人を嫉妬したり、羨んだり悪口も無い。(緊張感だけはどうにも出来なかったけれども)これって(嫉妬したり、羨ましいと思ったり、悪口を言ったり)花岡さんとお話した「世界がHANA基準になったら」の言葉でしたね。    裸んぼで、仲間といる。力を合わせる。前を向く。その姿で、その心で立っていました。なんか、裸んぼになれたみたいです。また色々服を着て行くと思いますが、心にみんなとの場所を持っているから、頑張らないで過ごす事もこれからは出来るのかもしれません。ぷかぷかは、心のヌーディスト・ビーチみたいなものです。(失礼な例えだったらごめんなさい💦)あの時舞台で、コヤマさんの歌を聞きながら、紺野さんのサザエさ んのお風呂話を聞きながら、天童よしみの顔を想像しながら、しゃがんでた自分、すごく幸せに笑ってました。ありがとうございました。   
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