ぷかぷか日記

みんなでワークショップ

  • 糸島でワークショップやった感想が上がってきました。
    糸島でワークショップやった感想が上がってきたので紹介します。 ●自分のよろいを脱いだ感じです。  ★短い時間でしたが、そんな風に感じてもらえてうれしいです(高崎) ●映画は参加者のみなさんの笑顔がよかったです。 ●心も体も柔らかくなりました。まだ照れくささがありますが。 ●なかなか大勢で動物になりきって表現することがなかったので楽しかったです。言葉は人間が持つものなので大事に使っていこうと思いました。 ●映画はぷかぷかさん達の純粋な喜びや、挑戦する姿勢に胸を打たれました。スタッフのよりそいと、ぷかぷかさんの持つあたたかさやユーモアの存在が、社会にとってどれほど大切かを改めて実感させられました。 ●少しずつ解き放たれるのを感じました。一緒に何かをすることが大切ですね。 ●ワークショップを通じて、特別扱いされることなく、いっしょに交わり、最後まで達成させる大切さが実感できました。自然と笑顔と笑いが起きて、まわりの人たちにポジティブな影響を与え、非常に感動的な体験でした。 ●映画はキャプションの言葉にひかれました。 ●ディスカッションではゆったりと語ってくださる言葉が心にしみました。 ●人前で何かをすること自体がとても苦手だが、今日はなんだかリラックスして参加できた。 ●映画はみなさんが楽しく自分たちで考えながら芝居を作っていく姿がとても印象的でした。 ●ディスカッションでは、ついついルールにとらわれてしまうが、常にどうしたらみんなが楽しくなるか、いつも考えられていると強く感じました。 ムンクの「叫び」をやってみる ●このような全員参加型の学習会、とてもおもしろいと思いました。 ●ディスカッションでは、高崎さんの熱い思いや、ぷかぷかさん達との共生についての考え方が深く語られました。「ぷかぷかさんたちがいることで社会全体が豊かになる」という視点を強調されていたところは考えさせられました。 ●映画は、なるほど、このように劇をみんなで作り上げるんだなーと感動しました。 ●ぷかぷかさんというあたたかい響きが素敵だなぁーと思います。高崎さんの感性、すばらしいですね。 ●ゆるやかな時間が過ごせて、豊かな気分を味わえました。 ●映画は人が集まって作品を紡いでいく自然な姿を見た気がします。 ●ディスカッションは、まったりとお話が聞けました。 ライオンをやってみる。ライオンの鼻先にチョウチョが飛んできました。何が起こったでしょう。 ●経営がうまくいかないとき、クレームが多いとき、困ったことが起きたとき、どのような信念で進めて行かれたのか聞いてみたかった。 ●子どもたちが自由に表現、表出できていたことに感動したし、関わる大人のあたたかさがありがたかった。 ●映画は、障害のあるなしにかかわらず、いろんな人が交流し、共に生きてる姿、互いに支え合う姿に、そうありたいと思った。 ●ワークショップは来場した方々と、その場でお題について考えるというとても貴重な機会でした。また経験を積みながら、子どもへの理解を深めていきたいと感じました。 ●映画は伝えたいことがはっきり伝わった。活動の理解が深まり、自身の仕事場とはまた違った方針の活動内容に「はるほどな」と考える時間を作ることができました。 ●ディスカッションは映画やワークショップの気になるところの補完となっていて、学習の理解が更に深まりました。 ●発達障害の子どもにとっては、聞く言葉は流れていってしまうので、詩の朗読は手元に文字が書いたものがある、ルビが大きく書いてあるものがあるとよかった。 ●身体を動かしての表現は、他の方といっしょに取り組めて楽しそうだった。 (子どもたちの感想) ●(ムンクの叫びをやるとき)へんなかおをした。ムニューって。 ●げきのれんしゅうをしてみたい。 ●ひとりでマイクを持って、ふろふきのところを読んだ。はじめははずかしかったけど、小さい子たちが見ているので、お兄さんらしくと思ってがんばったらできた。 ●映画見たらみんな楽しそう。僕も劇か出し物をしたくなった。 ●ワークショップはたのしかったです。えいがはむつかしかったです。 ●こえをだした ●おにいちゃんとよんだ ●はじめははずかしくてうしろにいた。スタッフさんが「できるよ、いっしょにしよう」といってくれたらできた。小さい子がぼくのまねをしていっしょに表現してくれた。 ●お父さん、お母さんも来ていて、「いいえいががみれてよかった」といった。ぼくもゆうきをだして、げきをしてみたいと思った。 ●参加していないけど、人と密着して、少しいやでした。 ●えいががたのしかった。 ●ディスカッションでは、いろんなことがしれていいとおもいました。 糸島からの報告 itoshima-jidoclub.com
  • 北九州でワークショップ
     北九州でワークショップやってきました。北九州とつながりができたのは障がいのある子どものことで思い悩んでいた頃、ぷかぷかのブログに出会い、希望を見つけて一家4人で北九州からぷかぷかまでやってきた(もう十年くらい前)ニシヤマさんのおかげ。 ●●● 子育てにぼろぼろだった頃、高崎さんのブログに出会いました。「60才にして、こんなに楽しい日が来るとは思わなかった」と。障害のある息子と居てこんなに楽しいと言える日が来るのか、という衝撃。高崎さんってどんな人?ぷかぷかってどんな所?生きてていいんだ、そのままでいいんだと思えたのもぷかぷかさんに出会えたから。私が「ぷかぷかフェスタ」を始めたのも、ぷかぷかさんのように地域を耕したいとの思いから。ぷかぷかな世界はいくつあってもいいからね。 以前読んだ高崎さんの著書『街かどのパフォーマンス』に、養護学校の子ども達は卒業してもほとんど行くところがないってくだりがあって、そこに出てくる「香蘭」のオヤジの話、「たとえば、自分ちの玄関先をちょっと改造してですね、テーブルを二つぐらい入れますね。台所にもちょっと手を入れて、、お母さんと子どもが二人して働けるラーメン屋くらい、その気になればすぐできるんですよ。ただ、その気になるのがなかなかムズカシイようですね。」それを読んだ時、退職金をはたいて子ども達の居場所をつくった高崎さんと、たまらない笑顔で働くぷかぷかさんから希望をもらって、私達親が何もしないではいられないでしょう!って笑。 ●●●  今回ワークショップの企画を引き受けてくれたのは北九州八幡にあるNPO法人わくわーく。心に病を抱えた人達の居場所を運営しています。      最初にぷかぷかの演劇ワークショップの記録映画を上映 www.youtube.com  映画を見たあとは1時間ほどの演劇ワークショップ。  体でいろんなものの形を作ります。  ライオン  宮沢賢治の作品『月夜のでんしんばしら』ででんしんばしら達が夜「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」と歩き出すのですが、その歩き方をみんなにやってもらいました。歩きながら、今、何をしてるんだろう、と考えます。そこへ耳の遠いおじいさんがやってきました。何が起こったでしょう…。という風にお話しをいろいろ作りました。  お話作りのあとは詩の朗読。長田弘さんの「ふろふきの食べ方」です。  詩は事前に書いていただきました。 冒頭の「自分の手で、自分の一日をつかむ」の言葉の下に大きな手がかいてありました。  どんな思いでこの手をかいたのだろう。思いがビリビリ伝わってくるような大きな手。  「自分の手で 自分の一日をつかむ」  簡単なようで、むつかしい。でも、この言葉をなんとしても受け止めたい。その思いがこの手からあふれ出てるような…  こんなふうに、ふだん表に出ない思いが、目に見える形になるのが演劇ワークショップのおもしろいところ。   詩を朗読しました。詩を誰かの前で朗読するなんて、みんな初めての体験だったので、ドキドキしながらの朗読。でもいい経験だったと思います。大きな手をかいた人はどんな思いで読んだのだろうと思いました。 www.youtube.com 参加した人達の感想 ●ワークショップして実際の気持ちが体で表現できてよかったです。 ●「フラットな関係を築いていく」というのがなかなか…  ●自立を応援する難しさを感じつつ、無意識に区別しているのかなぁ、と思うところもあり… ●ワークショップでは「正解」がないところで自由にできた。自分を解放できると感じました。 ●ドキドキしましたが、とても楽しかったです。知らない人とつながるって、おもしろい経験でした。映画も楽しそうで、最初から見られなくて残念でした。映画のあとのお話もとても参考になりました。わくわくするような企画、ありがとうございます。 ●フライヤーの「みんないっしょに生きていった方がトク!」という一文に引かれて参加しました。上映会もワークショップも話し合いも、ふだんの生活の中でなかなか経験することがないので、よい経験でした。ワークショップは初めての経験で、苦手意識もありましたが、演劇の持つ力をあらためて感じることができました。
  • 九州・糸島でワークショップ
    九州・糸島でワークショップやりました。その記録です。ふだん経験できないような素敵な時間をみんなで共有できました。機会があればあなたのところでもぜひやりましょう。連絡いただければ出かけていきますよ。takasaki@pukapuka.or.jp  まで連絡ください。 itoshima-jidoclub.com
  • またまた満額回答
    ヨコハマアートサイトの申請した演劇ワークショップの助成金、126万円の満額回答でした。  ●選考委員会より  「課題への深い理解があり、当事者の思いをアートを通して社会にひらく活動として評価します。個人の問題から普遍的な問いが表出することを期待します。事業再掲へ向けて満額回答とします。」  演劇ワークショップは当事者の思いを芝居を通してストレートに伝えます。ワークショップの進行は演劇ギルドの人達ですが、でき上がった舞台の進行はぷかぷかさん達です。最後のリハーサルから先は、もう彼らにすべてをまかすのです。彼らの思いがそのまま爆発します。解き放たれたような彼らの姿を見て下さい。  ●審査のポイント 【芸術性】芸術的要素に対象活動項目の推進を期待できるか。  障がいのある人たちといっしょに生きていった方がいい、その方が社会が豊かになる、と言葉でいろいろ語っても、それが伝わっているかどうかはよくわからない。生きるというのは、極めてリアルなことであり、その生きるリアルを通して伝えるのがいちばんいい。そういう意味で、芝居というのはいっしょに生きる理由と、その結果何が生まれるのかを伝える手段としては、言葉よりもはるかに優れていると思う。何よりも参加した人たち全員が、芝居作りを通して、ごく自然に、いっしょに生きていった方がいい、ということを身体で納得できる。 ぷかぷかさんのアートが伝えるものは、社会の価値観をひっくり返すほどのものを持っている。このアートを見ると、彼らはもう「あれができないこれができない」人達ではない。新しい文化を作り出す人達だ。 【地域共働】地域との連携・協力関係、または地域への貢献に期待できるか。  地域の人たちといっしょに広場の真ん中に見えない柱を立てる。「障がいのある人たちといっしょに生きていこうよ」っていう柱。小学生のナナちゃんのかけ声で、ヨイショ、ヨイショ、とみんなで柱を立てた。 【将来性】実地活動により、活動または地域において将来的な発展や成長が期待できるか。  第4回表現の市場。チラシの裏には相模原障害者殺傷事件への思いを書いた。事件は障がいのある人たちの全面的な否定。それに対して表現の市場は障がいのある人たちの全面的な肯定を舞台で表現するもの。  栃木県で農業をやっている上野さん(ぷかぷかのライ麦パン、お昼ごはんのいろいろ米は上野さんの作品)はそのチラシの裏を読んで、これは行かねば、と思ったという。お話を聞くと、事件のあと、みんな障害者を「守る 」と言っているけど、結局は「囲い込む」わけで、彼らを「生かす」なんてことは全く考えていない。それを考えると、表現の市場でやっていることは彼らを全面的に生かすというか、積極的な「攻め」ですよね。それがいいと思ってきました。  こういう舞台を見ることで、障がいのある人達を見る目が明らかに変わってきた。 【実現性】経験・技術・人材など事業実現のためのリソースを有し、具体的な計画があるか。  演出の攝さん(演劇デザインギルド)と打ち合わせしながら舞台の準備  本番の3日前からホールを貸し切り、舞台監督のナルさん(演劇デザインギルド)を中心に舞台を作っていく。  このシーンを作るために、演出家、ピアニスト、パーカッション奏者、フルート奏者、舞台監督が見守る。 【収支バランス】適正かつ実現可能な収支予算か。  いろいろ切り詰めて、総額252万円の事業。その半額の126万円の助成金をもらえることになったのだが、残りの126万円をどうやって作り出すか。思案のしどころ。 【地域性の把握】地域の課題や魅力など地域性を把握しているか。  3年ほど前すぐ隣の区で障がいのある人たちのグループホーム建設の反対運動が起こった。行政の強い力でグループホームは建ったものの未だにまわりに建設反対ののぼり旗が立っている。それを記録したドキュメンタリー映画には説明会で飛び交うすさまじいばかりの怒号が記録されている。  障がいのある人とちゃんとおつきあいもせず、ただの思い込み、偏見だけで、地域社会の安全が保てないだの、子どもが危ないだのと言い立てる。そうやって障がいのある人たちを地域社会から排除して、快適な社会が実現できるのだろうか。社会がどんどん貧しくなっていく気がする。  そんな中でぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「そうすることで社会は豊かになる」というメッセージを発信し続けている。ぷかぷかの活動を通して障がいのある人たちと出会う人が増え、地域社会が少しずつ変わってきている。  今期の演劇ワークショップは6月18日(土)スタート、6ヶ月かけて芝居を作り、11月27日(日)の午後にみどりアートパークのホールで発表します。ぜひ見に来て下さい。  芝居作りの進行状況は毎回ブログでまとめますので見て下さい。Facebookにリンクを張ります。
  • 「希望」を語り続ける
    朝日夕刊素粒子にいい言葉がありました。 《 難病の人も、障害を持つ人も、すべての人が「希望」を語れる社会でありたい。政治は、私たちは何をすべきか 》  私は養護学校の教員時代、障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ってぷかぷかを立ち上げました。「いっしょに生きていきたい」という「希望」からぷかぷかは出発したのです。「いっしょに生きていく」って、どういうことなのか、何をすればいいのか、何をしたいのか、といったことをひたすらぷかぷか日記に書き続けました。  その結果が、今のぷかぷかです。はじめからしっかりした構想なり、ビジョンがあったわけではありません。本当に行き当たりばったりでした。それでもしつこく、ああしたい、こうしたい、と「希望」を語り続けるうちに、今のぷかぷかができたのです。  演劇ワークショップも、1985年、養護学校で働き始めて4年目、こんなおもしろい人たちとワークショップやったら、今までにないおもしろい芝居ができると思ってはじめました。学校ではうまく生かせない彼らの面白さ、魅力が、もっともっと生かせるんじゃないか、いや、生かしたい、と思ったのです。  演劇ワークショップは人が自由になれる空間です。お互いが自由になれる空間で彼らと芝居作りをやれば、何かとんでもないものができそうな気がしたのです。そして、それを通して彼らともっと深い出会いをしたいと思っていました。  彼らと一緒にやる演劇ワークショップの「希望」です。  当時フィリピンからそのメソッドを取り入れていた演劇集団「68/71黒色テント」の事務所に行き、その「希望」を語りました。当時「68/71黒色テント」は障がいのある人たちと演劇ワークショップをやるなどということは全く考えていませんでした。そもそも、演劇をする集団であり、障がいのある人たちとのおつきあいは全くありませんでした。そんなところへ「障がいのある人たちと一緒に演劇ワークショップやりたい!絶対おもしろいものができる。」と飛び込んでいった私も、今思えば、相当無茶でしたが、「希望」で熱くなった頭はひたすら前に進むのみで、「どうして障がいのある人たちとやるのか」「そこで何を生み出したいのか」といったことを延々熱っぽく話したことを覚えています。  横浜から2時間近くかかる黒テントの事務所まで、何度も何度も通い、結局窓口になった成沢さんが根負けして、1984年に初めての養護学校の子どもたち、生徒たちと地域の人たちによる演劇ワークショップが横浜で実現したのです。「ちゅうたのくうそう」という絵本を元に、簡単な芝居を作りました。ちゅうたというネズミが空想の中で猫をやっつけるお話です。みんなならどんな空想で猫をやっつけますか?というのがテーマの芝居作りでした。          どんな芝居を作ったのかはもう忘れてしまいましたが、養護学校の子ども、生徒たちとやるワークショップの面白さは、想像を遙かに超えていました。その面白さに「68/71黒色テント」の成沢さんも気がつき、以来彼らとの演劇ワークショップにもう35年もつきあってくれています。成沢さんも、あの時彼らと出会ったのだと思います。そして惚れ込んでしまった。もう、やみつきになるくらいに。  次の年には6ヶ月の演劇ワークショップをやりました。そして第2期目の記録が『みんなでワークショップ』という映画になっています。35年も前に、彼らといっしょに生きる世界を実現していたのです。彼らと新しいものを一緒に生み出す関係が始まっていたのです。 www.pukapuka.or.jp  現在やっている演劇ワークショップの進行役は成沢さんの主宰する演劇デザインギルドの人たちがやり、成沢さんは舞台監督をやっています。  「希望」を語り続けること、そのことがどんなときも大事な気がします。  7月25日(土)26日(日) 第6期演劇ワークショップ記録映画をYouTubeで公開しています。 www.youtube.com
  • 私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると
     今朝の朝日新聞「折々のことば」  不出来な私の過去のように  下手ですが精一杯  心を込めて描きました。                 石垣りん 「私」は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると「きっぱりと思っている」。 ●●●  思い出したのは昨日東久留米の上映会で見た第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』。  ぷかぷかさんと地域の人たちが悪戦苦闘しながら6ヶ月かけて芝居を作った時の記録映画です。できあがった芝居は決して上出来とはいえなくて、昨日の上映会では「シュールでわかりにくい」といった意見も出ました。  それでも私は見て欲しいと思うのです。  下手ですが、精一杯心を込めた描いたものです。  私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると、きっぱりと思っています。  あの6ヶ月、私たちがぷかぷかさん達とどのように生き、何を作り出したのか、を見て欲しいのです。  舞台での発表が終わった直後、参加した地域のおじさんが息を切らしながら「すごかった…ほんとうにすごかった…」と言葉少なに語る場面があります。ぷかぷかさん達とどんな出会いがあったのか、この途切れ途切れの言葉がすべてを語っています。  津久井やまゆり園事件が起こってしまうような社会にあって、障がいのある人たちに対し「すごかった…ほんとうにすごかった…」と語れるような関係、場を作り続けることは、すごく大事なことだと思います。何よりもみんながあそこで輝いていたのだから。  だから、私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると、きっぱりと思っているのです。  あなたの街でぜひ上映してください。上映に関する問合せはこちら www.pukapuka.or.jp
  • ぷかぷかさん達といっしょにワークショップやって、生きる価値がないなんてとんでもない、と思った。
    明日2月11日(火)東久留米で第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』と『Secret of Pukapuka』の上映をします。  第5期演劇ワークショップには栃木から毎回新幹線に乗って参加した方がいました。中学生の息子さんが「新聞を読んで感想を書こう」という宿題に取り組んでいるときにたまたま朝日新聞に載った「障害者と一緒 豊かな生」という記事を見つけ、それがきっかけで親子で参加することになりました。  お母さんの方は、最後の反省会の時、ぷかぷかさんといっしょにやったワークショップが楽しくて楽しくて…と話ながら号泣してしまいました。号泣するほどの関係がぷかぷかさん達との間にあったのです。どうしてそんな関係が生まれたのか、お母さんと息子さんの感想を紹介します。 ●お母さんの感想から   みんなすごく素直で思ったことをストレートに表現するから、リアルで人間味があってとても魅力的に思えて、私はぷかぷかさんの大ファンになっていました。私にとってそこは自然と笑顔になれる場所で、優しい空間でした。そんな彼女、彼たちと一緒に立った舞台。やり切った感、ハンパなかった。ぷかぷかさんたち一人ひとりとふれあった思い出が頭の中で駆け巡り、みんなで頑張った喜びと終わってしまった寂しさとが複雑にからみあって、涙がこぼれ落ちてしまいました。本番直前、廊下の片隅でセノーさんと手を繋ぎ練習したときのあのいい表情も脳裏に焼き付いて離れません。  私が最後に泣き崩れてしまったとき、ボルトくんが背中を支えに来てくれました。彼はずっと大丈夫?と声をかけてくれていました。私が落ち着くのを待って手をはなそうとする時も「もう手をはなしても大丈夫かな?」「放すよ、いいかな?」って言って自分の席にもどられました。今まで生きてきてこんなに優しい言葉をかけてもらったことがあったかいなと、やさしさが心に響いて本当に癒されました。彼のやさしさに心から“ありがとう”と言いたいです。誰かと心で繋がれることって何よりも力になる。私も人の喜びや悲しみにそっと寄り添えることができる人間になりたいと思います。 ●息子さんの感想から 中学二年生の夏休み。「相模原殺傷事件」が起きた。「障害者は生きる価値がない」と。あまりの衝撃に朝起きて顔も洗わず、テレビのニュースにしがみついていたのをよく覚えている。 僕は被告のような思想は誰の心にもあるのではないかって、それがずっと心の奥で引っかかってきた。例えば街で障害者の方が突然大きな声を出す様子に嫌悪感を抱き、関わりたくないと思ってきた自分。中学生になり、知的障害者施設にボランティアに行こう!と誘われたときに、障害者の方は怖いという勝手な思い込みで、「行きたくない。それだけは勘弁して」と言い張った自分。それは僕も無意識に差別する側に立ち回っていて、被告の発想と心の奥底で繋がっているのではないかと。僕の心は弱くて醜い。“やっぱ俺は、クズだな・・・”と思ってずっと過ごしてきた。 一年後の夏休み、“新聞を読んで感想を書こう”という宿題のため新聞の記事を探していたら、〝障害者と一緒 豊かな生″という見出しに目が留まった。ぷかぷかパン屋さんの記事だった。僕はなぜかその記事を捨てずに取っていた。高校生になったある日、たまたま付けたテレビ番組にぷかぷかさんや高崎さんがでていてあの新聞記事とリンクしたことに少し驚いた。母からワークショップに誘われたときは、どうしようか悩んだが、高崎さんのいう豊かになるってなんだろう、それが知りたくて確かめたいと思った。 (2017年7月25日朝日新聞) ぷかぷかさんと接してきておもしろかったり、ときにはむっとしてしまったり、いろいろあったけれど、何よりも僕は人前で表現するとかが嫌で嫌で、そこから逃げていた自分だったように思う。リハーサルの日もそう。僕にも役があり、しかもオオカミのかぶりものまであるとわかったとき、やっぱり今日は部活にいっておけばよかったなと後悔した。舞台に立つなんてなれないことに身体はどっと疲れた。しかし、ぷかぷかさんたちはニコニコ元気、とてもいい笑顔だった。疲れた顔をしているのは僕だけで「なんでこの人たち笑っていられるんだろう」と不思議だった。その姿を見ていて、ぷかぷかさんたちはやらされてるとかでなくて、自由にありのままの姿で表現することを楽しんでいる。特に一緒にオオカミ役をやったしょうくん(こうきくん)が♪なんでもいいから一番になーれ♪と歌っている姿がきらきらと輝いてとっても印象的だった。僕にはやらされているという気持ちがずっとどこかにあった。ぷかぷかさんと僕の違いはそういう心の違いだと思った。 本番当日。舞台も終わり、最後に円陣を組んでみんなの意見を聞いていたとき、しょうくんが泣きながら、この演劇に対しての思いを話しているのを聞いて、心にぐっと突き刺さるものがあった。僕の前で悪ふざけしたり、おどけてみせるしょうくんしかみえていなかったので、あんなしっかりした思いで頑張ってきたんだと、それに比べ僕はなんなんだ。本番はでたくないと、なんか駄々をこねている小学生のようだったと恥ずかしくて穴があったらはいりたくなった。そして、元気の出ない僕に「着替えよう」とか「頑張ろう」と声をかけ続けてくれたしょうくんや、相手を思いやり大切にするぷかぷかさんたちの姿をみて、生きる価値がないなんてとんでもないぞ。なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。 一緒に参加した母はこの半年、本当に楽しそうだった。最後に母が泣いているのを見たとき、この人はぷかぷかさんたちと心と心で向き合って同じ気持ちを感じてきたんだなと思った。 来年は部活を頑張ろうと思う。でも、いつか大学生とか社会人になって、また改めて参加してみたい。そのときは母に負けないように心の底から楽しみたいと思う。高崎さんのいう何が豊かになるのか今の僕にはまだわからないけれど、恥ずかしくてたまらんかった舞台に、ぷかぷかさんたちと一緒に立ててよかったと今、思っている。ありがとうございました。 しょうくんへ 僕なんかと一緒にオオカミ、やりにくかったよね。ごめんなさい。そしてありがとう。 いつかまたしょうくんと一緒に豚でも馬でもなんでも、タッグを組んでやりたいです。   演劇ワークショップという場は、こんな素晴らしい関係を作ってしまうチカラがあります。明日上映する映画には、そのチカラがいっぱい写っています。ぜひ見に来て下さい。  やまゆり園事件の公判が続いています。先日も書きましたが、事件であらわになった問題は、被告を裁いてすむことではありません。やっぱり私たち自身が障がいのある人たちとどんな風におつきあいし、どんな風にこの時代を一緒に生きていくのか、ということが問われていると思います。  その問いに対するひとつの答えが、明日上映する映画にはあります。  いつも言うことですが「支援」とか「なにかやってあげる」という上から目線の関係では、こういったものは生まれません。ではどうしたらいいのか、そのヒントが映画にはあります。 
  • それを掛け合わせたからこそ、あんなに魅力溢れる舞台になる
    浅川さん親子の演劇ワークショップ体験記。 「できないから助けてあげる、支援するというのが今の福祉の考え方のような気がします。でも私は、できないことを補い合うのではなくて、一人ひとりの持っているパワー(好きなこととか得意なこと)を出し合う方が社会は豊かになるんじゃないかなと息子たちを育てながら思うようになりました。  ぷかぷかの舞台はまさにそれを体現していたと思います。ぷかぷかさんを助けるために地域の人が出るのではなく、ぷかぷかさんだから出来ることと地域の人だから出来ること、それを掛け合わせたからこそあんなに魅力溢れる舞台になるのだろうと改めて思いました。」      ズバリ本質を突いていますね。以前からぷかぷかさんが生み出す価値を「1」、スタッフが生み出す価値を「1」とすると、ぷかぷかは1+1が5になるくらいの価値を生み出してる、と語ってきました。それを浅川さんは別の言葉で語ってくれたように思います。  「支援」という関係では、支援する側の幅のものしか生まれないので、1+1は、どこまで行っても1のままです。もったいない話です。「障がいのある人」という「社会的資源」が生かされないままになっています。これは社会的損失です。  結局は相手の中に何を見るのか、ということだと思います。価値あるものを見つけられるかどうか、です。  表現の市場の舞台は、それが花開きます。1+1=5を見てください。 ameblo.jp
  • 湯船につかると〝ゆっくりゆきちゃん〟を歌うのが習慣になってしまった
     『どんぐりと山猫』一郎が山猫に会いに行くところは「ゆっくりゆきちゃん」の歌に合わせてゆっくり歩きます。その歌を歌ったのが、ひよりちゃんのグループ。右の方、オレンジ色のシャツがひよりちゃん。  で、そのひよりちゃん、毎日お風呂で「ゆっくりゆきちゃん」をうたっているそうです。 ●●● 表現の市場は終わってしまったのですが、我が家でまだまだ進行中です! というのは、いつも〝ゆっくりゆきちゃん〟の歌をお風呂で練習していたので、湯船につかると〝ゆっくりゆきちゃん〟を歌うのが習慣になってしまったのです(笑) それで今ごろになってですが 日和が上手になってきています(笑) 今まで日和は顔を洗うのが適当で、指先でちょちょっと撫でて終わり!とか言っていたのですが、〝ゆっくりゆきちゃん〟の歌詞に「ゆっくりがおを〜♪ ゆっくり洗い〜♪」とあるので、ここで実際に湯船のお湯で顔を洗うようにしたら、ゆきちゃん効果でゆっくり洗うようになりました(笑) という事で、私たちは毎晩お風呂で表現の市場の舞台進行中です!╰(´︶`)╯♡    お風呂上がりのひよりちゃん    「あの広場のうた」熱唱。ひよりちゃん、気合いが入っています。
  • 『表現の市場』はぷかぷかさん達にとって、素晴らしい体験の場
     しょうへいさんがワークショップのことをずっと日記に書いていた、とお母さんが日記を届けてくれました。  みんなで「ゆっくりゆきちゃん」の歌を練習したときの日記です。  「ゆっくりゆきちゃん」をうたいながら一郎は山ねこのところへ  これは配役を決めたときの話で、しょうへいさんは、マサトさん、ヒカリさんと三人で馬車別当をやることになりました。マサトさんは地域のおじさんです。 マサトさんはこんなおじさん。ぷかぷかさん達と、こんなすてきな出会いをしました。 www.pukapuka.or.jp  こんな出会いがあるのが演劇ワークショップ。お互い「あなたにいて欲しい」と思える出会いがたくさんあります。  こんなおじさんといっしょに今回、馬車別当の役をやったのです。手に持っているのは馬の鞭。 左からしょうへいさん、マサトさん、ヒカリさん。登場するときの振り付けが最高に面白かった。伊藤多恵さんの振り付けをイマムーが指導しました。 山猫役のハヤチャンからは葉巻の煙を吹きかけられます。 ハヤチャンから葉巻の煙を吹きかけられる。ハヤチャンの隣が馬車別当役のしょうへいさん。煙を吹きかけられて顔をしかめているのがマサトさん。  お母さんからのメモによれば、本番の朝、メモに書いたセリフを一人で読んで出かけたそうです。  『表現の市場』は、ぷかぷかさん達にとって、素晴らしい体験の場だったと思います。いろんな人と出会い、思いを表現し、ドキドキしながら照明のバチッと当たった、緊張感あふれる舞台に立ったのです。こんな体験はふだんの暮らしの中ではまず体験できません。人生の幅がぐ〜んと広がったと思います。
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