ぷかぷか日記

時計の読めないぷかぷかさんが、読めなくてもちっとも困ってない話

 昨日特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんがどうしてちがうのか、といったことを少し書きましたが、その続きです。

 

 ぷかぷかさんの中には時計が読めない方がいます。ですからお昼休みがいつ終わるのか、よくわからないようです。でも、そのことですごく困っているわけでもなく、その人なりにうまくやっています。時計が読めなくても、私たちが思うほど困っていないのです。ひょっとしたら時計がない時代の時間感覚で生きているのかも知れません。そこには私たちがいつも思う

 「早くしなさい」

という感覚がないのだろうと思います。いろんなところで時間に追われている私たちよりも、豊かな時間を過ごしているのではないかと思います。

 

 時計は読めないよりは読めた方がいいとは思います。「発達障害」のために時計が読めない人に、読み方を教えるのが特別支援教育だろうと思います。そのためにものすごくいろんな工夫がされています。

 時計が読めるようになれば、その子の世界が広がります。それはすごくいいことだと私たちは思います。でも、その子にとって、世界が広がることが本当にいいことなのかどうか、という一番大事な問いは、問われないままです。

 時計の読めないぷかぷかさんが、読めなくてもちっとも困ってなくて、楽しい人生をおくっていることを考えれば、私たちが思う、これができた方がいい、という価値観は本当に絶対的なものなのかどうか、という疑問が出てきます。

 

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 友人の花岡千恵さんは昔熱心な「療育ママ」だったそうです。療育にものすごいお金をつぎ込み、hanaちゃんにいろんなことができるふつうの子どもになって欲しいとすごくがんばったそうです。でもお母さんが思うほど、hanaちゃんはなかなか変わりません。お互いの関係がすごくしんどくなったそうです。

 あるとき、療育が目指していることを、hanaちゃん自身は望んでいるのだろうか、という根源的な問いにぶつかったそうです。たとえば一人でごはんが食べられるようになることをhanaちゃん自身が望んでいるのか、という問いです。

 一人でごはんが食べられるようになることを望んでいるのはお母さんだけで、hanaちゃん自身はちっともそんなことを望んでいないことにあるとき気がついたといいます。そして「療育ママ」をそのときやめたそうです。

 nahaちゃんとの関係がものすごく楽になり、hanaちゃんのすべてを受け入れられるようになったといいます。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんがどうしてちがうのか、の議論は、なんだかものすごく深い議論になりそうです。

 

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特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんはどうしてちがうのか

 先日NHK首都圏ネットワークでぷかぷかのことが紹介されたのですが、おもしろいなと思ったのは、最後のあたりで下の写真が使われていたことです。 

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 パン屋のお店で、営業時間にこんなことをやっているのがぷかぷかです。二人で何をやろうとしたのかよくわかりませんが、なんともおかしい写真です。それでいて、どこかホッと心安らぐものがあります。この空気感がぷかぷかです。番組を作った人は、最後にこの空気感を伝えたかったのかも、と思いました。

 

 ツジさんのお母さんが

 〈 存在感で勝負!こんなに「生産的」なことって他にないのでは?〉

と、コメントしていましたが、写真の二人、まさに存在感で勝負しています。それがぷかぷかの空気感を生み、ファンを増やし、売り上げを作っています。まさに「生産的」なのです。

 

 彼らは、「あれができない」「これができない」ではなく、ただいるだけで「生産的」である、ということ。それをぷかぷかは実証してきたと思います。

 そしてそのことを発信し続けてきました。その発信が人のつながりを作り、新しい動きを作っている、というのが首都圏ネットワークの映像だったように思います。

 

 立教大学の学生さん達の表情の変化がとてもよかったですね。学生さん達はぷかぷかさんと「哲学対話」をしにやってきました。これは立教大教授の河野先生が以前からぷかぷかに注目していて、昨年立教大であった哲学プラクティスに私が参加し、河野先生にお会いしたとき、じゃ、今度学生連れて行きます、という話になり、今回の企画が実現しました。

 「哲学対話」というとなんだか難しそうですが、対話を通して関係を作っていく、対話を通していろんなことを見つける、ということです。ぷかぷかさん達に何かやってあげるのではなく、彼らと「対話をしよう」とフェアな姿勢でやってきたのがよかったと思います。うまく対話ができるのかどうか、私もよくわからなかったのですが、それでも対話を重ねる中で、あるいはぷかぷかさん達が醸し出す空気感にふれる中で、はじめは硬かった学生さん達の表情がどんどん和らいでいきました。 ここは見ていて気持ちのいいくらいでした。

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 こんな顔をしておつきあいできる関係が、この場でできたことがすごくよかったと思います。ここでぷかぷかさん達と出会ったことを手がかりに、自分の中にある障がいのある人のイメージを今一度見直してくれたらと思います。

 学生さん達は文学部教育学科の人たちなので、教師になる方もいらっしゃると思います。教師になるのであれば、なおのこと、彼らとの出会いは大きな意味を持つと思います。

 教育学科ですから、特別支援教育もあります。一般的には特別支援教育で学ぶ障がい児は発達の遅れている子ども達であり、「あれができない」「これができない」子ども達です。何よりも支援が必要な子ども達です。

 ぷかぷかさんは障がいのある人たちですが、支援が必要というよりも、一緒に生きていった方がいい人達です。社会を耕し、社会を豊かにする人たちです。社会になくてはならない人たちです。

 短い時間でしたから学生さん達がどこまでぷかぷかさんのことを受け止めてくれたのかはわかりません。ただ彼らの笑顔を見る限り、

 「一緒に生きていった方がいいかも」

くらいは思ったのではないかと思います。

 そうなると、特別支援教育で学ぶ障がいのある子ども達とはかなりイメージが異なります。そのずれを、ぷかぷかさん達と「哲学対話」をやった学生さんは、どのように解釈していくのだろうと思いました。

 「哲学対話」をやった学生さんの一人が8月4日のぷかぷか上映会に来ました。第一期演劇ワークショップ記録映画を見て、すごくいろいろ思うことがあった、と話していました。多分自分の中の障がいのある人のイメージがゆさゆさと揺さぶられたのではないかと思います。

 機会を見つけてまた学生さん達とお話ししたいと思っています。特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんはどうしてちがうのか、といった話です。

 私は教員になってから夏休みの研修で横浜国大の特別支援教育の講義を何度も受けたのですが、そこで教わる障がい児と、私が毎日おつきあいしていて惚れ込んでしまった障がい児がどうもずれているというか、どうして彼らのいいところをもっと話さないんだろうってずっと思っていました。いろいろ大変な子ども達でしたが、それを超えるいいものを彼らは持っていました。そのいいものこそもっと教えて欲しいと思っていました。

 学生さん達とそんな話ができれば、と思っています。

 

 ぷかぷかの情報発信が、こんな話にまで広がっていくのが面白いですね。

 

 番組の後半は北九州の話があったのですが、これについてはまた後日書きます。

 

セノーさんと出会って、その大事なものを思い出したのかも

 今日は健康診断でみんなでみどりの家診療所に行きました。

 全部終わって帰りがけ、セノーさんは三宅先生にお願いをしました。

 

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 全部言うのに5分近くかかりました。それを三宅先生は根気よく待っていてくれました。

 三宅先生はこういう人とのおつきあいは日常的にあるので、待つのも慣れています。ぷかぷかの近くの郵便局のお姉さん達は、はじめてセノーさんと行った頃はまだまだ慣れていませんでした。ですから、セノーさんの言葉が出てくるまでの時間は、本当に長く感じたのだろうと思います。私がそばにいたとは言え、

「この人何するんだろう」

とドキドキしながら待つ時間は、すごく大変だったと思います。

 でも、この大変さこそが郵便局を耕したのだと思います。あの時私が

「この人は言葉が出てくるまで時間がかかるので、待ってあげてください」

なんて事前に説明していたら、待っている間の大変な思いはありません。

 大変な思いをして待ったあと、ようやく

「ああ、スタンプ台かして下さい」

といい、それを聞いたときのお姉さん達の笑顔には

「ああ、こういう人だったんだ」

ってセノーさんと出会ったうれしさがそのままでているようでした。思ってもみないセノーさんとの出会いです。 

 

 「早く言いなさい」とか「早くやりなさい」と、つい私たちは言ってしまいます。でも、私たちはそんなとき、何に向かって、どうしてそんなに急いでいるのだろうと、セノーさんとおつきあいしながら思います。

 緑区役所の人権研修会ではセノーさんのしゃべり出すのをみんなじっと待っていました。感想にこんな言葉がありました。

 「言葉が出てくるのを待つ時間のおだやかさに、今の社会が忘れているものを感じました。」

 

 郵便局のお姉さん達も、セノーさんと出会って、その大事なものを思い出したのかも知れません。

 

ぷかぷかが生みだしたものが光って見えます

 8月28日(火)午後6時10分からNHK首都圏ネットワークという番組でぷかぷかの取り組みが紹介される関係で、今日追加取材がありました。

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 NHKの記者に

 「どうしてこんなに情報発信するのですか」

と何度も聞かれました。

 「ぷかぷか」は養護学校教員時代、障がいのある子ども達に惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたいと思って始めました。街の中に作ったのは、街の人たちに素敵な彼らに出会って欲しいと思ったからです。ただ待っているだけでは、出会う人は限られてしまうので、外販に出かけたり、パン教室をやったり、演劇ワークショップをやったりして、街の人たちと出会うきっかけをたくさん作ってきました。

 情報発信もその流れから出発しています。

 「見て見て、こんなすてきな人たちがここにいるよ」

というメッセージです。この情報発信のおかげで、ぷかぷかさんのファンはお店に来る人たちだけでなく、九州から北海道まで広がっています。

 ホームページのアクセス数は現在33万、ブログのアクセス数は32万です。これだけのアクセス数があったのも、ほとんど毎日のように更新したおかげです。

 

 情報発信によってできた関係は、「障がいのある人たちに何かやってあげる」とか「支援する」といった関係ではなく、「一緒に生きていくといいよね」って思える関係です。「ぷかぷかさん、好き!」「ぷかぷかさん 素敵!」って思える関係です。

 「障害者はなんとなくいや」「近寄りたくない」「怖い」などと考える人の多い社会にあって「ぷかぷかさん、好き!」とか「ぷかぷかさん 素敵!」って思える関係ができたことは画期的だったと思います。

 社会はこういうところから変わっていくのだろうと思います。障がいのある人たちを排除するのではなく、「一緒に生きていきていってもいいな」と思う人がここから生まれているのですから。ここから社会が豊かになっていくのだと思います。

 もちろん最初からそのことを考えて情報発信してきたわけではありません。ただ彼らに惚れ込み、

「見て見て、こんなすてきな人たちがここにいるよ」

「こんな人たちとは一緒に生きていった方がトクだよ」

という思いを日々いろんな形で発信してきただけです。

 結果、「ぷかぷかさん、好き!」とか「ぷかぷかさん 素敵!」というたくさんのファンができ、ここから社会が変わり始めているな、と気がついたのです。

 ですから、彼らの魅力というのは、こんなふうに社会を少しずつ変えていくチカラがあるのではないかと思います。

 

 小さい頃から障がいのある人とない人はずっと分けられています。障がいのある人たちと一緒に生きて行くにはどうしたらいいのか、と考える機会を奪われてきた、といってもいいと思います。あるいは一緒に生きていくことで生まれる豊かさ、といったものも経験する機会がなかったと思います。

 そういう中で、ぷかぷかの発信する情報にふれ、障がいのある人たちと出会う人が増えたことは、ものすごく意味のあることだと思います。

 「障がいのある人たちと一緒に生きていくって、こういうことだよ」

 「障がいのある人と一緒に生きていくと、こんなに楽しいよ」

 「障がいのある人と一緒に生きていくと、こんな豊かなものが生まれるよ」

を具体的に示しているのがぷかぷかのメッセージです。「共に生きる社会を目指そう」とか「共生社会を目指そう」といった抽象的なメッセージではなく、皮膚感覚で伝わるようなあたたかみのあるメッセージです。

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 こんな写真見たら、誰だって、

「なんか友達になってもいいかな」

って思います。障がいのある人たちを、そんなふうに肯定的に受け止める人をたくさん作ってきたのが、ぷかぷかの情報発信です。

 あれができない、これができない、といったマイナスイメージの多かった障がいのある人たちですが、そうじゃないよ、というイメージで置き換えたのがぷかぷかの情報発信です。

 彼らを排除するような文化に対して、一緒に生きていった方がいい、という新しい文化を発信したと思います。社会を豊かにする文化といってもいいと思います。 

 

 

 障害者雇用の現場で障がいのある人への虐待が多くなっている、と先日朝日新聞が報道していました。

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 本当に悲しくなるような記事です。障害者法定雇用率を義務づけ、無理矢理障がいのある人たちを雇用させた結果だろうと思います。

 厚生労働省のホームページには、どうして障がいのある人を雇用するのか、そうすることでどんないいことがあるのか、といった話は一切ありません。そういう話抜きで、いきなり、障害者法定雇用率だけを義務づけています。

 そういう無理矢理の結果を、全部現場の障害者が引き受けているのです。記事にそういう突っ込んだ考察がないのはなんとも残念です。厚労省担当者の事態を招いた責任を全く感じていない分析などはそれこそ無責任の極みであり、啓蒙活動によって虐待防止を図るなんて、事態の受け止め方が甘すぎます。

 

 いずれにしても、文化の貧しさのようなものを感じます。

 寒々しい風景の中、ぷかぷかが生みだしたものが光って見えます。

 

 

 

 

ぷかぷか栃木の旅

 ぷかぷか栃木の旅にいってきました。リアルタイムでFacebookに投稿しているので、ここではアップできなかった写真で旅の様子をお知らせします。

 私(タカサキ)は鉄道チームだったので、鉄道博物館の旅が大きなイベントです。大宮からのニューシャトルはコンクリートの軌道上に敷かれたゴムの道上をゴムタイヤの列車が走ります。一駅だけの旅ですが、もうこれに乗るだけで、なんかわくわくします。

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 鉄道博物館のすごいところはかつての人気車両の実物が展示されていることです。その展示スペースは上から見るだけでわくわくします。その中心はかつてその優雅な姿が貴婦人とも呼ばれたC57蒸気機関車です。12時に汽笛が鳴り響きます。

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大きな動輪には圧倒されます。

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古い電気機関車の運転席

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古い通勤電車の中

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寝台特急「あさかぜ」

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「あさかぜ」の3段寝台列車

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新幹線開業当初の0系

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 そのほかのぷかぷかさん達もそれぞれ鉄道博物館を楽しんだようでしたが、みんなばらばらだったため、様子がわかりません。わかり次第またお知らせします。

 

 ホテルでバス組と合流

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上野さんご夫妻とも合流

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温泉に入ったあとの宴会では上野長一さん68歳の誕生日のお祝いをしました。

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すごいごちそうでした。

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次の日に予定しているカカシ作りの頭の紹介がありました。上野礼子さんがモデルです。

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このあと楽しいカラオケタイムがあったのですが、そのときの様子はすでにFacebookにアップしましたので、カカシ作りワークショップに行きます。

 

 カカシの衣装がたくさん並んでいます。

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 カカシにつける飾りを作ります。

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お腹をふくらませる工夫をします。

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からだに絵を描きます。

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カカシのモデルになった上野さんちのねこKAIくん

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上野さんのカカシにズボンをはかせます。

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ギターを持たせます。

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カカシを田んぼに運びます。

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楽しいカカシが田んぼの中に立ちました。

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カカシのあとはスイカ割り

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皮は田んぼへ投げます

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そして上野さんとお別れ

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上野さんとぷかぷかさん達がどんなおつきあいをしたか、とてもよく見えます。

こういうおつきあいを旅先で作ってくること、それがぷかぷかの旅です。

 

 

バス組、電車組に別れて横浜へ。

電車組の人たちのホームでのたたずまいがいいです。

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 帰りの電車の中、ずっとおしゃべりの続いていたツジさんに

「きちがいじゃないか」

などと失礼なことをいったおじさんがいました。

 幸いトラブルになることもなく終わったのですが、いまだにこういうことを言う人がいる社会であることは忘れないようにしたいものです。そしてそんな社会に対して私たちは何をしていけばいいのか、ということです。

   黙っていれば、この社会、つまりは相模原障害者殺傷事件を起こすような社会は、いつまでたっても変わりません。ぷかぷかさん達の社会的生き辛さはずっと続きます。彼らの生き辛さは私たちの生き辛さにつながります。

 「それはおかしい」と社会に対して言い続けること、障がいのある人たちと「あなたと出会えてよかった」といえるような出会いをあちこちで作り続けること、彼らと一緒に「いい一日だったね」って言える日々を積み重ねること、それをこれからもやり続けていきたいと思っています。

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自分のように悩んでいる子がいたら「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい

 先日ワークショップに参加した高校生のタイガくんは小学生の頃、吃音でいじめられたそうです。中学1年生の時に書いた作文をお母さんが見せてくれました。

 

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 「そのしゃべり方、いらいらするからやめてくれる?」

小学校3年生の時、突然そういわれて、吃音のある僕は何も言い返すことができなかった……。僕の場合は、最初の語句がつっかえたり、「…っ、…っ」と言葉が出てこなくなったりしてしまう…。どもると、笑われたり、まねをされたり、「どもり星人」とからかわれたりした。そんな時、僕は一緒にふざけて笑っていたけれど、本当は体の中の水分が全部涙になってしまうような気がしていた。自分の伝えたいことがうまく伝えられないもどかしさ…。心の中は劣等感の塊で、僕は何度も自分が嫌いになった。

 そんな僕が吃音と少しずつ向き合うことができるようになった。そのひとつはA君の存在だ。5年生になって、僕は特別支援級のA君と仲良くなった。ある時、A君と話をしていると、言葉が詰まって出てこなくなった。出そうとすればするほど、顔はゆがみ、肩に力が入る。その時A君は

「はいー。深呼吸100万回ー。落ち着いて。落ち着いて。」

と、僕の背中をさすってくれた。今まで笑われてばかりいた僕はびっくりした。そして自分のことをわかってもらえたことに、心が喜びでいっぱいになった。そしてA君は、自分は大きな音が苦手であることを話してくれ、「お互い、いろいろあるけれど、がんばろう!」と励ましてくれたのだ。A君の優しくて力強い手のひらのぬくもりが伝わった。

 ふたつめは「言友会」のみなさんとの出会いだ。言友会は、吃音の人たちが集まっていろいろな思いを語り合うセルフヘルプグループ…

 交流会で一番驚いたのは、吃音で言葉がつまっても、話すことをやめないで、誠実に最後まできちんと話していることだ。決して流ちょうとは言えないが、優しく相手に考えや思いを伝えている。ただ慰め合うだけの会ではなく、自分としっかり向き合って努力しているんだなと感動した。それに比べて、僕はどもりそうになると、話すのを途中でやめてしまうことが多かった…。「どもるのが悪い」と吃音のせいにしてきたが、本当は自分のせいだったのだと気づかされた。

 この春、僕は中学生になった…。新しいクラス、新しい友だちに今まで伝えられずにいた自分の素直な気持ちを伝えてみた。

「なぜこんな話し方になるのかよくわからないんだけれど、吃音だから、こんなふうにどもっちゃうんだ。でも、みんなわかって欲しい。笑わないで欲しい。」

と。友だちは「そっか…」といって黙って聞いてくれた。「わかる、わかる、しんどいよね」と共感してくれる友だちもいて、僕は自分の気持ちを伝えてよかったと思った。自分の思いを受け止めてくれる友だちがいる。まるでA君が隣にいて、背中をさすってくれるように僕の体温があたたかくなった…

  人は人によって傷つけられてしまうけれど、一方で、人によって救われることもある。「大丈夫だよ」「そのままでいいんだよ」とたった一言、いってもらうだけで気持ちが楽になり、明日もがんばろうと勇気が湧いてくる。

 僕は、これから少しずつ大人になっていくけれど、吃音への理解がもっと深まり、吃音のある人が吃音のままでも大丈夫な社会になったらいいと思う。将来僕は小学校の先生になって、自分のように悩んでいる子がいたら「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい。相手の心の痛みがわかる人になりたい。僕がA君にしてもらったように。

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 人は傷つき、悩むことで、こんなにも成長するんだとあらためて思いました。中1とは思えないくらい深い言葉があちこちにあります。

 最初にタイガ君を救ったのが支援級の子どもだった、というところも意味深いものがあります。普通級の子どもがタイガ君を傷つけ、支援級の子どもがそれを救った、というのは何を物語っているのでしょう。

 こんなすばらしい作文を書いたタイガ君も今、高校1年生。今回のワークショップにはなんと栃木県からお母さんと一緒にやってきました。朝5時に起き、なんと新幹線で来たそうです。タイガ君はとてもおとなしい方で、ワークショップ楽しんでるかなってちょっと心配するほどでした。

 一方地元から参加したツカサ君もすごくおとなしくて、大丈夫かなと思っていました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 ところがこの二人がワークショップの中で出会い、今度タイガ君がツカサ君の家に泊まりがけで遊びに来るそうです。お互い傷ついた者同士で、通じ合うものがあったのだと思います。これからがすごく楽しみです。

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私たちは、相手の心にまで届く言葉を一体どれくらい持っているのだろう

 ぷかぷかに久しぶりに来たお客さんにユースケさんは

「なんでこないんだよぉ」

といつものぶっきらぼうな言葉を投げつけたそうです。

 お客さんは

「ごめんね」

っていいながら、そんなふうに自分が待たれていたことに、そのお客さんはちょっと涙ぐんだそうです。

 ぷかぷかさんとお客さんの、そんなおつきあいがいいなと思います。

 接客マニュアルには絶対にない言葉です。でも、お客さんの心にまっすぐに届いたのだと思います。ちょっと涙ぐむほどに。

 ふつうなら

「なんでこないんだよぉ」

なんていい方はさせません。そういうことをさせない私たちの「規範」は、お互いの関係を貧しくしているなぁ、とユースケさんの話を聞きながら思いました。

 ユースケさんよりも優れているはずの健常者の私たちは、相手の心にまで届く言葉を一体どれくらい持っているのだろう、と思います。そこを謙虚に反省するところから、彼らとの新しい関係も、また始まるのだと思います。

 

 ぷかぷかには、ぷかぷかさんとお客さんのこんなすてきな関係がいっぱい転がっています。彼らはこうやって街を耕し、豊かにしているのだと思います。

 

 

こんな顔で「なんでこないんだよぉ」っていわれたら、やっぱりちょっとキュンとなります。

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「障害者雇用」の意味、価値を本気で考えると、すべての人が今よりももう少し幸福に

 中央官庁で「障害者雇用」の数を水増しした、という情けない事件がありました。「障害者雇用」を本気で考えていない証拠ですね。ま、役人なんてこの程度だとは思っていましたが…

 

 「障害者雇用率制度は障害者への差別を禁じ、就労機会を広げるのが目的」

と書かれていますが、

 「障害者を雇用することの意味」

といったものは書かれていません。

 ですから、現場の人間にとっては

 「法律で何%以上雇用しなければならない」(国が2.5%、企業が2.2%)

からやっているだけで、単なる数あわせでしかないのだと思います。

 だから今回のような水増し事件が起こる。

 その人にいて欲しいから雇用したのではなく、法律で無理矢理雇用させられたのであれば、雇用した側も雇用された側も、お互い辛いものがあると思います。

 

 昔から思っていることですが、「障害者雇用」というのは、企業を豊かにするものだと思います。障がいのある人がいることは、ただそれだけで豊かなものを生み出すからです。

 障がいのある人たちを雇用することで、結果的には企業の業績が上がった、という話もありますが、もう少しちがう評価、つまり「彼らの雇用は企業を豊かにする」という評価こそ、現場で共有すべきものだと思います。

 

 養護学校の教員になって最初に受け持ったのは、障がいの重い子ども達でした。おしゃべりすることも、字を書くことも、一人で着替えをしたり、トイレの始末をすることもできませんでした。そんな子ども達でしたが、そばにいるだけで気持ちがなごみ、心がほっこりあたたかくなるのでした。

 人が存在することの意味を、そんなふうに重い障がいのある子ども達が教えてくれたのです。

 彼らが安心していられる社会こそ、豊かな社会です。

 生産性が優先し、生産できない彼らが排除される社会は、豊かさを失い、だんだんやせこけていきます。私たち自身が生きにくくなります。

 

 障がいのある人がいること、そのこと自体に「価値」がある、ということをぷかぷかは見つけてきたと思います。ぷかぷかさん達がありのままに振る舞うことで、ファンができ、ぷかぷかの売り上げを生んでいます。ぷかぷかさんがいること自体に「価値」があるのです。

 写真の二人は何をやっているのかよくわからないのですが、でも、こういったことがぷかぷかのやわらかでほっこりした空気感を生み出しています。

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 ぷかぷかさんがいることの意味を一生懸命考えて考えて考えたあげくに、ぷかぷかさんがいること自体に「価値」があることに気づくことができたと思っています。

 

 これを企業目線で考えるとどうなるでしょう。ぷかぷかは就労支援の事業所だからそんなことができた、ではなく、そういう事業所にできたことが企業にできないことはない、というふうに考えてみたらどうでしょう。企業の中で障がいのある人がいること、そのこと自体に「価値」を見いだすにはどうしたらいいか、を考えるのです。

 生産性ではない、別の価値基準を持ってこないと、この問題は解決しません。たとえば、彼らがいることで生まれるほっこりしたあたたかさに価値を見いだせるかどうか、といったことです。

 企業でそんなことやるのは無理、といってしまえば、そこでおしまいです。でも、どうしたらいいのか、を必死になって考えれば、そこには新しい可能性を持った未来が生まれます。

 障がいのある人たちが企業にいることの意味、それを必死に考えるところにこそ、企業の豊かさが生まれるように思うのです。「障害者雇用」が生み出す豊かさとは、まさにここにあります。

 生産性ではない別の価値基準が見つかれば、障がいのある人たちだけでなく、すべての人にとっても、生きることがもう少し楽になるはずです。

 「障害者雇用」の意味、価値を本気で考えると、すべての人が今よりももう少し幸福になると思います。

 

 

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素敵になりつつある未来が、ほんの少しですが見えてきた気がします

 先日、おつきあいのある印刷会社の社長さんから

 

 都道府県の工業組合の連合会組織である全日本印刷工業組合連合会が発行しているCSR情報誌「shin」というのがあるのですが、次号の特集で障害者雇用について取り上げます。

その記事の中で、ぷかぷかさんと、ぷかぷかしんぶん8月号の終面のコラムについて取り上げ、転載させていただきたいのですが、お許しいただけますか。

 

 という問合せが入りました。最終面のコラムというのはこれです。

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もちろんOKしました。その情報誌にはこんなことが書かれていました。

 

●●●

特集 戦略的障害者雇用

横浜市緑区で、カフェベーカリー、総菜店、アートスタジオなどの障害者施設を運営するNP O法人ぷかぷかが発行している『ぷかぷかしんぶん』8月号に載ったコラム。タイトルは「生 産性のない人が社会に必要な理由」。ぷかぷかに通い、毎日郵便局に売上金の入金に行く仕事を している「セノーさん」が地域で果たしている役割について書かれている。産業革命以来、ひ たすら生産効率の向上を求めてきた近代社会。そのような価値観のもとで経済社会から排除さ れてきた障害者。しかし今、その障害者への差別を禁止し、雇用を促す方向に社会は進んでいる。 経済発展と障害者との共生。一見矛盾する命題への挑戦が始まっている

 ………

障害者 雇用はもはや福祉の文脈で語るのではなく、 企業の「戦力」として活用できるか、その人 材活用のノウハウを持つことができるかどう かという人材戦略の文脈で語るべきであろう。

「生産性」だけの議論に陥ることなく、視野を 広げ、多様な人材がそれぞれの個性を活かし て活躍できる場を創造していくことは、日本 が世界をリードする真の先進国として発展し ていくことにもつながっていくだろう。

ぷかぷかしんぶんのコラム「生産性のない 人が社会に必要な理由」は、経済社会におけ る障害者との共生への具体的道筋を教えてくれているようだ

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 昔養護学校で働いていた頃、一般企業の就職できる人はほんの一握りの、いわゆる優秀な、ふつうの人と同じくらい働ける、つまり生産性のある人たちでした。そういう人たちばかり雇って「障害者雇用」やってます、といわれてもなぁ、と思っていました。

 学校にもよりますが、私のいた学校では、一般企業に就職できるのはせいぜい1割くらい、残り9割の人は福祉的就労、といわれる事業所に行きました。

 その9割の人たちが一般企業で働くには、企業側の発想が変わらないと難しいと思っていました。つまり障がいのある人たちを雇用する理由を、ふつうの人と同じように働けるかどうか、つまり生産性があるかどうかの評価軸ではなく、その人がいることで生まれる職場の豊かさをきちんと見ていくような、そんなふうに発想を変えないと、障がいのある人たちの働く場はいつまでたっても福祉の世界だけにとどまるだろうと思っていました。

 企業側にとってはもったいない話だと思います。豊かになるチャンスを逃しているわけですから。

 

 それを考えると、今回の情報誌に載っている考え方にはとても共感を覚えます。

 【「生産性」だけの議論に陥ることなく、視野を 広げ、多様な人材がそれぞれの個性を活かし て活躍できる場を創造していく 】

 という言葉が、企業の側から出てきたことはすばらしいことだと思います。社会が確実に変わってきているのだと思います。

 そういった発想の中で

【ぷかぷかしんぶんのコラム「生産性のない 人が社会に必要な理由」は、経済社会におけ る障害者との共生への具体的道筋を教えてくれているようだ】

と、ぷかぷかがやっていることが評価され、うれしい限りです。

 

 「未来はもっと素敵だと思い」あるいは「自分の手で、未来をもっと素敵にできると思い」ひたすら突き進んできたのが「ぷかぷか」ですが、今ようやくその素敵になりつつある未来が、ほんの少しですが見えてきた気がします。

 

この人たちが、こんな笑顔で働ける社会こそ、素敵です。

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