ぷかぷか日記

ぷかぷかさんのチカラが、こういうときこそ発揮できます

 近所にお住まいで、毎日のように「 ぷかぷかさんのお昼ごはん」にごはんを食べに来るオジサンがいます。オジサンさんは数年前に奥さんを亡くし、子どももいないので一人暮らし。訪ねてくる友だちもいなくて、家にこもっていると、ひとこともしゃべらない日もあるそうです。そんなオジサンにとって、「 ぷかぷかさんのお昼ごはん」はいろんな人とおしゃべりできる貴重な場所のようです。

 わりと面倒くさがりのようで、ここ1年くらい庭がほったらかしで、ジャングルのようになっているそうです。手がつけられない状態なので、業者に頼んできれいにしてもらうとおっしゃってました。いくらかかるんですか?と聞くと12万円もかかるとか。年金暮らしのオジサンにとっては大金なので、食費を削って払います、と笑いながら話していました。

 「たかが草刈りに12万円も支払うなんてばかばかしいですよ。なんでしたらぷかぷかさん達といっしょにオジサンちまで行って、草刈りやりますよ。」

 「ジャングルになっているので無理ですよ」

 「家の庭でしょ、どの程度のジャングルか、一度見せて下さい、自分たちでできるかどうか確かめますよ」

 「そこまで言うのでしたら、どうぞ見に来て下さい」

という話をしたのが木曜日。

 

 で、金曜日もオジサン、ごはん食べに来たので、一緒に食べながら

「晩ご飯はどうしてるんですか?自分で何か作るんですか?」

「コーヒーカップに納豆と卵を入れて、電子レンジでチンするだけ」

「それだけですか?」

「それだけです」

「なんか淋しくないですか?」

「いや、別に。もうごはん食べたいと思わないんです」

「ごはん食べないと死んでしまいますよ」

「いつ死んでもいいんですよ。もう人生に未練もないし…」

 奥さんを亡くし、子どももいないとこうなってしまうのかと、他人事ながらなんだか淋しい気持ちになりました。放っておくと、そのままオジサンの人生がフェードアウトするように思いました。

「あのー、とにかく庭を見せて下さい』

と、オジサンちに庭を見に行きました。

 

オジサンは1年ぐらい手入れしていない、とおっしゃってましたが、庭を見る限り、何年も人が住んでいないような雰囲気でした。蚊がものすごくたくさんいました。これでは近所から苦情が出ます。

 

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 かなり手強い感じがしましたが、庭をいくつかに区切って、一日ひと区画と決めてやっていけば、なんとかなると思いました。

 「大丈夫、なんとかします!」

 「そうですか、じゃぁ、お願いしようかな。」

 「来週、もう一回若いスタッフに見せて下さい」

 「はい、いいですよ、どうぞ」

ということで別れました。

 

 20分くらいしてスタッフの携帯にオジサンから電話が入りました。業者の方は断りました、と。それと携帯は持ち歩いていないので、そちらからかけてもつながらないかも、といってました。

 携帯を持ち歩いていても、かけてくる人がいないんだと思いました。かける相手も。

 郵便受けは、入り口ではなく、ずっと奥に入り込んだところにあって、名前も書いてありませんでした。手紙なども来ないのかな、と思いました。

 オジサンの家のエリアは、毎月「ぷかぷかしんぶん」を配布しているのですが、郵便受けがなかったので、しんぶんを入れたことがなかったとスタッフは言ってました。入って行くのがためらわれるくらい、入り口は寂れていました。

 

 ここは絶対にぷかぷかさんと一緒に来て草刈りやろうと思いました。なんかもうほっとけない感じがしたのです。

 庭をきれいにすれば、気分がすっきりします。きれいになった庭を眺めながら飲むお茶はすごくおいしいと思います。お茶飲みながら、生きてるっていいな、ってちょっとでも思ってくれればと思います。

 それと気が向けば、ぷかぷかさんと一緒に草刈りをやって欲しい。ぷかぷかさんと楽しい話をして欲しい。もうそれだけで元気が出ます。

 どちらかといえば、草刈りよりも、おしゃべりする時間の方をたくさんとりたい。オジサンにとっては、そっちの方が大事な気がします。

 ぷかぷかさんのチカラが、こういうときこそ発揮できます。地域の一人暮らしのお年寄りを元気にします。ぷかぷかさん達の、ぷかぷかさんにしかできない新しい仕事が始まるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

みんなが幸せな気持ちになれるこれは企画です。

 ぷかぷかのアートを印刷業界に紹介したい、と神奈川県印刷工業組合の理事長の江森さん、常務理事・経営革新マーケティング委員長の荒井さんが見えました。

江森さん

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荒井さん

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 神奈川県印刷工業組合のホームページにある平成30年度事業計画案の概要を見てちょっとびっくりしました。印刷業界は、ただ印刷の仕事をするのではなく、すべての人を幸せにする産業なのです、と書いてありました。

 

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 東日本大震災は、東北地方沿岸に甚大な被害をもたらしましたが、 週が明けるや食料品メーカーや衣料品メーカーからは矢継ぎ早に支援の表明があり、被災者の命をつなぐための多くの物資が届けられました。 私たちもその支援の輪に加わりたいと心から思ったはずですが、私たちの作る印刷物は被災地ではガレキの一部でしかありませんでした。 自分たちの仕事の意義を見失いかけ、私たちはすっかり自信をなくしてしまったのではなかったでしょうか。 
 しかし、震災から1ヶ月が過ぎる頃から状況が変わり始めました。 被災地から届く支援物資の要請が、生きるために必要な衣食住に関わるものから、子供が勉強するためのノートや鉛筆、避難所でのストレスを癒すための書籍など、「文化」に関するものへとシフトが始まったのです。 私たちの仲間は、待ってましたとばかりに、業界に声をかけ、残紙を使って「おえかきちょう」を作り被災地に贈るプロジェクトを立ち上げたり、それぞれの場所で自分たちができることを見つけて活動を拡げ始め、多くの印刷会社の善意は東北東海岸に届けられました。 そのような活動を通じて、子供たちをはじめとするたくさんの人々の笑顔に出会ったとき、私たちは自分たちの仕事の本当の意義をはっきりと理解する 機会を得たのだと思います。人は衣食住が足りるだけでは生きていけないのです。 私たちの仕事はただちに生命に関わるようなものではありませんが、人が生きて行くうえで欠かせない「心の栄養」を人々に与え、すべての人を幸せにする産業なのです。 
 古くは百万塔陀羅尼経の時代から、近代にあってはグーテンベルグの時代から、私たち印刷産業は人々の文化的な活動や、ショッピングやグルメなどの消費行動による生活の質の向上を通じて、世界中の人たちの「幸せな人生」に貢献してきました。 そして同時に印刷産業で働く人たちにも、労働を通してたくさんの幸せを提供してきたのです。現代においてもその使命はまったく変わってはいません。 
 時代とともに科学技術は発達し、人々の生活様式はどんどん変化します。しかしどんなに時代が進もうとも、人間が人間である限り、私たちは「幸せ」になるために生き続けます。 そんなひとり一人の「幸せ」を紡ぐ産業として、印刷産業はその関わる人すべてが幸せになる産業を目指すべきなのではないでしょうか。 

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 私たちの仕事はただちに生命に関わるようなものではありませんが、人が生きて行くうえで欠かせない「心の栄養」を人々に与え、すべての人を幸せにする産業なのです。

 

 どんなに時代が進もうとも、人間が人間である限り、私たちは「幸せ」になるために生き続けます。 そんなひとり一人の「幸せ」を紡ぐ産業として、印刷産業はその関わる人すべてが幸せになる産業を目指すべきなのではないでしょうか。 

 

 なんかすごい業界だなと思いました。会社というのは、ただもうけを追うのではなく、本来こういう、人を幸せにする、という大きな目的があったのだと思います。そういうことを思い出させてくれました。

 そういったことの上で、ぷかぷかのアートを印刷業界で使いたい、といってきたのです。  

 ぷかぷかさんのアートは人の心をほっこりあたたかいもので満たしてくれます。ちょっと幸せな気持ちになります。

 人を幸せにする、というところで、印刷業界が目指すものとぴったり合うのです。

 ぷかぷかさんのアートを見る人も、それを提供した印刷屋さんも、そしてぷかぷかさん達も、みんなが幸せな気持ちになれるこれは企画です。

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 一つ一つ見ていくと、思わず心がキュンとなります。疲れた心を癒やしてくれます。ぷかぷかさんのアートが、印刷業界を通して社会に広がって行くと、社会はちょっとゆるやかに、豊かになる気がします。

 障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、という言葉のメッセージは、障がいのある人たちとおつきあいのない人にはなかなか伝わりにくい感じがします。でも、アート作品は、ちょっと見ただけで心がキュン!となって、受け入れてくれます。障がいのある人のことを全く知らなくても、「いいね」と受け入れてくれます。

 障がいのある人たちとの、これはひとつの出会いだろうと思います。前向きの、とてもいい出会いです。自分の心を癒やしてくれた絵を描いた人はどんな人だろう、こんな絵を描く人は社会にいた方がいいね、というふうになっていくといいなと思います。

 中には絵の作家さんに会いに来る人もいるかも知れません。ぷかぷかにやって来れば、絵を描くだけではなく、いろんな仕事をしているぷかぷかさん達に出会います。訪ねてきた人に中にある障害者のイメージが、ひょっとしたらひっくり返るかも知れません。

 相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」と言いましたが、ぷかぷかさんのアートに出会った人は「こういう絵を描く人は社会にいた方がいいよね」ってきっと思います。犯人の言った「障害者は不幸しか生まない」という言葉も、ぷかぷかさんの絵に出会って、ほっこりあたたかな気持ちになった人は、あの言葉はおかしいよね、って思います。ぷかぷかさんのアートは事件の犯人の発したメッセージが間違っていることを言葉を使わずに教えてくれます。

 

  今後は業界の人たちにぷかぷかさんの絵を紹介するシステムを具体的に作っていくそうです。絵がどんな風に広がっていくのか、すごく楽しみです。

 

 思えば8年前、カフェを構えたときから壁にぷかぷかさん達の絵を飾り、いつかこの絵たちが社会に広がってくれたらいいな、と思っていました。そうやってぷかぷかのメッセージを広げたかったのです。こんな絵を描く人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、って。

 ただその頃は、その絵をどうやって社会に広げていったらいいのか、なかなか手がかりがつかめませんでした。藤が丘駅前のマザーズという大きな自然食品のお店の壁に飾る案が浮上したこともあります。実際に下見をし、絵を掛けてみたり、お店の人とも打ち合わせをやりました。でも結局いろんなことがあって実現できませんでした。

 2年前、プロボノ活動をやっているサービスグラントに依頼することを思いつき、ぷかぷかさんのアートを企業の売り込む営業資料を1年かけて作ってもらいました。その資料のプレゼンの中で、太陽住建の人たちと知り合い、その太陽住建の方が、今回見えた協進印刷の社長江森さんを紹介してくれました。その後江森さんは神奈川県印刷工業組合の理事長になり、今回の企画が実現することになりました。

 人のつながりのありがたさをしみじみ感じました。それとぷかぷかさんの絵を社会に広げたいとしつこく思い続けたことが大きかったと思います。

 障がいのある人たちのアート展が、最近あちこちで開かれています。たくさんの人が障がいのある人たちのアートを知る機会を作る、という意味ではいい試みだとは思います。でも、そのことで社会が変わるわけではありません。障がいのある人の社会的生きにくさは、相変わらず変わらないのです。

 やっぱり私たちから社会に直接出て行かないと社会は変わりません。企業にアートを売り込む営業資料は、その手がかりをつかむものでした。今回その営業資料がきっかけで、神奈川県印刷工業組合という大きな力ある団体が反応してくれました。150社くらい加盟しているそうです。

 私たちが社会に直接出て行くこと、そのことによって、社会はいい方向に少しずつ変わっていくのだと思います。

 

その人がそこにいる、ただそれだけでいい

 先日上映会とトークセッションをやった筑豊「虫の家」発行の「虫の家だより」にとてもいい話が載っていたので紹介します。「虫の家」の代表高石さんの息子さんひろ君はダウン症です。その姪にあたる方の作文です。

 

          私のおじさん

                                 高石萠々

 私にはダウン症のおじがいます。みなさんは「ダウン症候群」を知っていますか?この病気は生まれつきの染色体異常による疾患で、現時点で治療法は存在しません。この病気の症状は、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度(人によっては重い方もいます)の知的障がいなどがあげられています。でも本当に大切なのは、そんな机上の知識よりも、ありのままのおじに会うことだと私は思っています。

 私は、幼い頃からおじが常に近くにいるので、おじのことを「ひろ兄ちゃん」と名前で呼んでいます。おじは私にとっては兄のような存在です。おじは私に

「ももちゃん、おばさん!」

と、よく言います。今は慣れているので、笑うことができますが、小学生の頃は戸惑いがありました。

 私が小学生の頃、友だちが家にあそびに来たときに友だちの妹が、私のおじを見て

「あの人、なんか顔が変」

と、いったことがあります。それを聞いたとき、とても悲しくなり、同時にいらだちもありました。おじはいつも、優しくほほえんでいるけど、どのくらい傷つき、辛い思いをしてきたのだろうか。きっと数え切れないほどだと思います。

 おじは小学生の頃、給食の時間に、みんなの嫌いな食べ物の残りを引き出しに入れられたり、すれ違ったときに頭をたたかれたり、たくさんのイジメにあっていたと聞きました。これが今の障がいのある人たちに対する多くの私たちの態度です。おじは、意志をうまく伝えることができないので、いやなことをいわれたり、たたかれたりしても、相手に「やめてくれ」とうまく伝えられません。この苦しみに30年近くも耐えてきているのです。

 2年前、相模原障害者施設殺傷事件が起こりました。この事件は私にとっては忘れることのできない恐ろしい事件になりました。容疑者である植松聖は

「役に立たない障害者なんて、いなくなればいい。いなくなった方が、家族は楽になる。」

そう答えました。また事件を起こす前に「世界が平和になりますように」とツイッターに投稿していたそうです。

 この世の中は、役に立つ人間しかいることができないのですか。障がいのある人がいなくなると、家族は楽になるのですか。障がいのある人がいなくなると、世界は平和になるのですか。

 少なくとも私たち家族は、おじがいなくなると想像するだけでも、辛くて悲しい思いでいっぱいになります。

 誰にでも、得意なこと、苦手なことがあります。ただ障がいのある人は苦手なことが少し多いだけで、私たちにない素敵なところもたくさんあります。

 いのちは、役に立つ、立たないに関係なく、尊いのです。

 私のおじも施設でそれなりの仕事をしています。私は容疑者のように考える人がいる限りは、世界は平和にならないと思います。

 もし、容疑者が叔父の通う施設の職員だったら、おじは殺されていたかも知れません。また、近くに容疑者のような考えを持っている人がいるならば、今、おじがねらわれているかも知れません。そう思うと恐ろしくてなりません。

 私は、障がいのある人について、子ども達だけでなく、大人達にも知ってもらうことが大切だと思います。誰でも、はじめは戸惑うことがあるかも知れません。そこから、誰もみんな違う、違うから一人ひとりが大切で、平等なんだ。差別は絶対にしてはいけないんだ、ということを理解することができるようになると思います。そのためには学ばなければなりません…… 

                           小竹中学校3年生

 

 

 すばらしい作文だと思います。

 相模原障害者殺傷事件の犯人の「障害者はいなくなればいい」に対して、こんなふうに書いています。

【 少なくとも私たち家族は、おじがいなくなると想像するだけでも、辛くて悲しい思いでいっぱいになります。】

 これほど明確なメッセージはないと思います。ダウン症の「ひろ兄ちゃん」とどんなおつきあいをしていたのかがよくわかります。「ひろ兄ちゃん」は萠々ちゃんにとって優しくて楽しいおじさんだったんだろうなぁ、って思います。ダウン症という障がいを持ったおじさんではなく、どこまでも「優しくて、楽しいおじさん」。

 そういう関係は、「障がいがある」ということを簡単に超えてしまうのだろうと思います。「ひろ兄ちゃん」と萠々ちゃんの間には、「障がい」はありません。

 

 「虫の家だより」の同じ号に私の「生産性のない人が社会に必要な理由」というブログの文章が載っているのですが、「そんなふうにアーダコーダ言わなくても、その人がそこにいる、ただそれだけでいい」と高石萠々さんは書いているのです。「いのちは、役に立つ、立たないに関係なく、尊いのです。」と。

 本当にそう思います。その人がそこにいる、ただそれだけでいい。

 障がいのある人について、みんながそんなふうに感じ取れるようになるにはどうしたらいいんだろうと思います。やっぱり彼らとフラットにおつきあいする機会をあちこちで作ることだろうと思います。何かやってあげるのではなく、一緒に一日を楽しむような関係、「優しくて、楽しいおじさん」と思える関係を作ることだろうと思います。

 ぷかぷかでは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と思える関係を作ってきました。彼らと一緒にいること、ただそれだけを楽しむお客さんがどんどん増えています。こういう関係こそ、もっともっと広げていきたいと思います。

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 相模原障害者殺傷事件については、優生思想云々の大きな話ではなく、「おじがいなくなると想像するだけでも、辛くて悲しい思いでいっぱいになります」という家族の思いをきちんと受け止める、それが相模原障害者殺傷事件はなんだったのかを考える出発点だろうと思います。

 事件直後、あちこちで聞かれた「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろう、と思うくらい事件がどんどん忘れられていく中で、中学校3年生の子どもがこんなに思いのこもった作文を書いてくれたことは大きな希望だと思います。

 「決して忘れない」を口にした覚えのあるおじさん、おばさん、今一度あの時の怒り、悲しみを思い出して、萠々ちゃんの作文に負けないくらいのことをやりましょう!

先日の首都圏ネットワーク

 先日の首都圏ネットワークの番組がNHKのサイトに上がっていました。見逃した方はどうぞ。「関連動画」の一番左のアイコンをクリックすると見られます。

www.nhk.or.jp


 相模原障害者殺傷事件を受け、「あすへの一歩」につながる番組をこういう形でいつでも見られる状態に置いてくれたことはすごくいいことですね。

 大事なことは、一時はやった「決して忘れない」ではなく、この「あすへの一歩」を作り出すことです。ぼんやり待っていても「あすへの一歩」は踏み出せません。どこまでも、その一歩を自分たちで作り出すのです。

 今週火曜日には神奈川県の印刷業界でぷかぷかのアートを使う専門委員会の方たちがぷかぷかにやってきます。ぷかぷかのアートが社会に広がっていく、最初の一歩です。これもたまたまやってくるのではなく、プロボノ活動をやっているサービスグラントに依頼して、一年近くかけて作った「ぷかぷかのアートを企業に売り込む営業資料」のおかげです。

 いつも前を向いて新しい企画を立てること、そのことがすごく大事な気がします。

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目指すべき世界が見える

 先週金曜日、ぷかぷかのホームページ再構築について、ウェッブデザイナーの田中さんと打ち合わせしました。

 田中さんはトップページにクジラの絵を持ってきたいといいます。

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 その理由がすばらしくいいです。

 ・目指すべき世界が見える。

 ・それは、「多様性」「グラデーション」「ごちゃまぜ」

 ・意味があるものと意味がわからないものの同居

 

 クジラの絵はぷかぷかさんと地域の子どもや大人が一緒になって描きました。

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一緒になると何が生まれるかがストレートに見えます。田中さんが揚げられた理由がすべて見えます。

 よくある福祉の世界ではありません。もっと広がりのある世界です。人がもっと自由になれる世界です。多様な価値が生まれる世界です。

 そこを見抜いた田中さんの目力のすごさを思いました。

 

  たまたま今朝、ぷかぷかさんとの「哲学対話」をやった立教大の学生さんから来たメールにこんな言葉がありました。

 〈 これまで支援と呼ばれてきたものは、限られた社会の型にはめこんで、

  その中で価値を生み出せるようにするものだったのかもしれません。〉

 ぷかぷかはそのままのぷかぷかさんこそ魅力的、価値がある、と社会にあわせることをやめました。結果、多様な価値を生み出すことができたように思います。そのことがひと目でわかるのがクジラの絵ではないかというわけです。

 

 田中さんはウェッブデザイナーだけに、ものすごくたくさんのウェッブサイトを見ています。そんな経験の中でもぷかぷかのサイトには驚いたといいます。何に驚いたか。

 

・Facebookにぷかぷかさんの楽しそうな写真が毎日のように載っている。

 福祉事業所はほとんど写真を載せないし、載せてもうしろ姿とか、目の所に線の入った写真とかぼかした写真。トップページだけ写真を載せているところもあるが、すべて演出された写真で、ぷかぷかのように日々の写真をそのまま載せているところはない。彼らと一緒に生きていくことの意味、楽しさが写真からストレートに伝わってくる。

 

・現場から発信したブログの説得力

 すべて現場での体験を元にしたブログはものすごい説得力がある。田中さんは福祉の世界の人ではありませんが、その田中さんにもビリビリと伝わる内容だったといいます。田中さんはぷかぷか日記を初期の頃から全部読んだみたいでした。

 Facebookとあわせて膨大な量の発信。これだけの発信をしている事業所はほかにない。情報をもう少し整理すれば、もっとたくさんの人に情報が届く。今の状態ではもったいない。それが田中さんが仕事を引き受けた理由。

 若い頃だったらこの仕事は引き受けなかっただろう、ともいいました。今この年になって、人生のいろんなことを経験したからこそ引き受ける気になった、とおっしゃってました。人生のいろんなことを経験したからこそ見えるもの、大事にしたいと思うものが、ぷかぷかのサイトにはあるのだろうと思います。 

 

・トップページにある言葉に打たれた。

トップページにある言葉は、サイトを開いたとき、私の思いを正直に書いたものです。 

 

  「ぷかぷか」では、障がいのある人達が働いています。
  私は、彼らと一緒に生きていきたくて
  お店を立ち上げました。
  一緒に働いていると、心がなごみます。
  楽しいです。
  元気になります。

  お店をやり始めてから、彼らとはやっぱり一緒に生きていった方がいいな
  って素直に思えるようになりました。
  そういった思いをたくさんの人たちと共有できたら、と思っています。
  そうして、たくさんの人たちが
  「彼らとはいっしょに生きていった方がいいね」
  って、素直に思えるようになったら、
  お互いが、もっと生きやすい社会が実現するように思うのです。

 

 

 何をやりたいか、何を実現したいかをこれほど明確に語ったサイトはなかなかない、とおっしゃってました。大企業のサイトでもこれほど明確にビジョンは語ってない、と。

 というわけで、田中さん、思いを込めてぷかぷかのサイトをリニューアルします。どんなサイトになるか楽しみにしていて下さい。年末にはできあがります。

メッセージの発信が、人と人との新しいつながりを作り、社会を少しずつ変えつつある

 先日の首都圏ネットワークでは立教大の学生さんとやった「哲学対話」と北九州でのぷかぷかの蒔いた種の広がりを取り上げていました。

 

 昨年暮れに北九州で上映会とトークセッションをやったとき、大概は「いい映画だったね」「いいお話だったね」で終わるところを、

「北九州にもぷかぷかみたいな所を作ろうよ」

という話が飛び出し、そうだそうだ、の声に押されて人々が動き始めました。

 

 何年か前、北九州の西山さんから突然メールが来ました。西山さんは障がいのある子どもを産んだことで自分を責めていました。でも

「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」

というメッセージに出会い、

「私も生きてていいんだ」

と思ったそうです。

「生きることがとても楽になりました」

とも。

ぷかぷかのメッセージがそんなふうに受け止められたのは初めてでした。

 それから2年くらいたって一家でぷかぷかにやってきました。

「私もぷかぷかとの出会いを振り返りながら、壮馬をさずかった意味を考え、たどり着いた今をストンと受け入れて進んでいる自分を感じています。ぷかぷかの空気にふれて、自分を自分で責めていた部分を許せたと言うか・・まるっと受け入れられた、そんな感じです。」

といったメールが来ました。

 

 そういったつながりの上で昨年暮れに北九州で上映会とトークセッションをやりました。北九州にもぷかぷかみたいな所を作ろう、という呼びかけに対して、すぐにあちこちから反応があったようです。

・北九州の戸畑区で、障がいのある方と直に接し、様々なセミナーも開催されている就労移行支援事業所のスタッフの方から、「先日の西山さんの投稿みて、ぷかぷかさんが気になってブログを拝見しました。是非私も参加したいです。告知もお手伝いさせてくださいね。」とのメッセージを頂きました!

・八幡東区でNPO法人として就労支援をされている代表の方からは、「ぷかぷかさんのプロモーションビデオ見ましたよ〜いいですねぇ。私の所(事業所)でもプロモーションビデオ流して見たりできるので、ぜひ」と、お声をかけ頂きました!

・ 八幡西区にお住まいで、小さく生まれたお子さんやそのご家族のサポートをされている団体の方にも、プロモーションビデオを見て頂きました。「いいですね、北九州にはこんな場所無いですもんね。シェアさせて頂きます」と言って頂きました!

・昨夜は、放課後等デイサービス事業所の方達が集まる研修会で、ぷかぷかさんの事をお話させて頂きました。いち保護者が、専門職の方々大勢を前に喋るなんてこと滅多にありませんから緊張しましたので、とにかく、ぷかぷか、ぷかぷかと口が動いていたと思います。

・大きな集まりでなくても、ちょっとづつぷかぷかの種まきをして、先づはお一人お一人がプロモーションビデオを見てくださるように、繋げていけるといいなぁ、と思いました。

 

 ぷかぷかの蒔いた種がこんなふうに広がっていくんだ、とうれしくなりました。

 

 

 北九州で映画を見たひとが先日、筑豊で上映会をやってくれました。福岡で映画を見たひとが今度、障がいのある人たちと企業の人たちを結ぶワークショップをやります。大館で映画を見たひとが北秋田でなんと70人も人を集めてワークショップをやりました。

 

「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」

というメッセージの発信が、人と人との新しいつながりを作り、社会を少しずつ変えつつあるのだと思います。

 あなたの町でもぜひぷかぷかの種を広げて下さい。

 

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時計の読めないぷかぷかさんが、読めなくてもちっとも困ってない話

 昨日特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんがどうしてちがうのか、といったことを少し書きましたが、その続きです。

 

 ぷかぷかさんの中には時計が読めない方がいます。ですからお昼休みがいつ終わるのか、よくわからないようです。でも、そのことですごく困っているわけでもなく、その人なりにうまくやっています。時計が読めなくても、私たちが思うほど困っていないのです。ひょっとしたら時計がない時代の時間感覚で生きているのかも知れません。そこには私たちがいつも思う

 「早くしなさい」

という感覚がないのだろうと思います。いろんなところで時間に追われている私たちよりも、豊かな時間を過ごしているのではないかと思います。

 

 時計は読めないよりは読めた方がいいとは思います。「発達障害」のために時計が読めない人に、読み方を教えるのが特別支援教育だろうと思います。そのためにものすごくいろんな工夫がされています。

 時計が読めるようになれば、その子の世界が広がります。それはすごくいいことだと私たちは思います。でも、その子にとって、世界が広がることが本当にいいことなのかどうか、という一番大事な問いは、問われないままです。

 時計の読めないぷかぷかさんが、読めなくてもちっとも困ってなくて、楽しい人生をおくっていることを考えれば、私たちが思う、これができた方がいい、という価値観は本当に絶対的なものなのかどうか、という疑問が出てきます。

 

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 友人の花岡千恵さんは昔熱心な「療育ママ」だったそうです。療育にものすごいお金をつぎ込み、hanaちゃんにいろんなことができるふつうの子どもになって欲しいとすごくがんばったそうです。でもお母さんが思うほど、hanaちゃんはなかなか変わりません。お互いの関係がすごくしんどくなったそうです。

 あるとき、療育が目指していることを、hanaちゃん自身は望んでいるのだろうか、という根源的な問いにぶつかったそうです。たとえば一人でごはんが食べられるようになることをhanaちゃん自身が望んでいるのか、という問いです。

 一人でごはんが食べられるようになることを望んでいるのはお母さんだけで、hanaちゃん自身はちっともそんなことを望んでいないことにあるとき気がついたといいます。そして「療育ママ」をそのときやめたそうです。

 nahaちゃんとの関係がものすごく楽になり、hanaちゃんのすべてを受け入れられるようになったといいます。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんがどうしてちがうのか、の議論は、なんだかものすごく深い議論になりそうです。

 

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特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんはどうしてちがうのか

 先日NHK首都圏ネットワークでぷかぷかのことが紹介されたのですが、おもしろいなと思ったのは、最後のあたりで下の写真が使われていたことです。 

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 パン屋のお店で、営業時間にこんなことをやっているのがぷかぷかです。二人で何をやろうとしたのかよくわかりませんが、なんともおかしい写真です。それでいて、どこかホッと心安らぐものがあります。この空気感がぷかぷかです。番組を作った人は、最後にこの空気感を伝えたかったのかも、と思いました。

 

 ツジさんのお母さんが

 〈 存在感で勝負!こんなに「生産的」なことって他にないのでは?〉

と、コメントしていましたが、写真の二人、まさに存在感で勝負しています。それがぷかぷかの空気感を生み、ファンを増やし、売り上げを作っています。まさに「生産的」なのです。

 

 彼らは、「あれができない」「これができない」ではなく、ただいるだけで「生産的」である、ということ。それをぷかぷかは実証してきたと思います。

 そしてそのことを発信し続けてきました。その発信が人のつながりを作り、新しい動きを作っている、というのが首都圏ネットワークの映像だったように思います。

 

 立教大学の学生さん達の表情の変化がとてもよかったですね。学生さん達はぷかぷかさんと「哲学対話」をしにやってきました。これは立教大教授の河野先生が以前からぷかぷかに注目していて、昨年立教大であった哲学プラクティスに私が参加し、河野先生にお会いしたとき、じゃ、今度学生連れて行きます、という話になり、今回の企画が実現しました。

 「哲学対話」というとなんだか難しそうですが、対話を通して関係を作っていく、対話を通していろんなことを見つける、ということです。ぷかぷかさん達に何かやってあげるのではなく、彼らと「対話をしよう」とフェアな姿勢でやってきたのがよかったと思います。うまく対話ができるのかどうか、私もよくわからなかったのですが、それでも対話を重ねる中で、あるいはぷかぷかさん達が醸し出す空気感にふれる中で、はじめは硬かった学生さん達の表情がどんどん和らいでいきました。 ここは見ていて気持ちのいいくらいでした。

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 こんな顔をしておつきあいできる関係が、この場でできたことがすごくよかったと思います。ここでぷかぷかさん達と出会ったことを手がかりに、自分の中にある障がいのある人のイメージを今一度見直してくれたらと思います。

 学生さん達は文学部教育学科の人たちなので、教師になる方もいらっしゃると思います。教師になるのであれば、なおのこと、彼らとの出会いは大きな意味を持つと思います。

 教育学科ですから、特別支援教育もあります。一般的には特別支援教育で学ぶ障がい児は発達の遅れている子ども達であり、「あれができない」「これができない」子ども達です。何よりも支援が必要な子ども達です。

 ぷかぷかさんは障がいのある人たちですが、支援が必要というよりも、一緒に生きていった方がいい人達です。社会を耕し、社会を豊かにする人たちです。社会になくてはならない人たちです。

 短い時間でしたから学生さん達がどこまでぷかぷかさんのことを受け止めてくれたのかはわかりません。ただ彼らの笑顔を見る限り、

 「一緒に生きていった方がいいかも」

くらいは思ったのではないかと思います。

 そうなると、特別支援教育で学ぶ障がいのある子ども達とはかなりイメージが異なります。そのずれを、ぷかぷかさん達と「哲学対話」をやった学生さんは、どのように解釈していくのだろうと思いました。

 「哲学対話」をやった学生さんの一人が8月4日のぷかぷか上映会に来ました。第一期演劇ワークショップ記録映画を見て、すごくいろいろ思うことがあった、と話していました。多分自分の中の障がいのある人のイメージがゆさゆさと揺さぶられたのではないかと思います。

 機会を見つけてまた学生さん達とお話ししたいと思っています。特別支援教育で学ぶ障がい児とぷかぷかさんはどうしてちがうのか、といった話です。

 私は教員になってから夏休みの研修で横浜国大の特別支援教育の講義を何度も受けたのですが、そこで教わる障がい児と、私が毎日おつきあいしていて惚れ込んでしまった障がい児がどうもずれているというか、どうして彼らのいいところをもっと話さないんだろうってずっと思っていました。いろいろ大変な子ども達でしたが、それを超えるいいものを彼らは持っていました。そのいいものこそもっと教えて欲しいと思っていました。

 学生さん達とそんな話ができれば、と思っています。

 

 ぷかぷかの情報発信が、こんな話にまで広がっていくのが面白いですね。

 

 番組の後半は北九州の話があったのですが、これについてはまた後日書きます。

 

セノーさんと出会って、その大事なものを思い出したのかも

 今日は健康診断でみんなでみどりの家診療所に行きました。

 全部終わって帰りがけ、セノーさんは三宅先生にお願いをしました。

 

www.youtube.com

 全部言うのに5分近くかかりました。それを三宅先生は根気よく待っていてくれました。

 三宅先生はこういう人とのおつきあいは日常的にあるので、待つのも慣れています。ぷかぷかの近くの郵便局のお姉さん達は、はじめてセノーさんと行った頃はまだまだ慣れていませんでした。ですから、セノーさんの言葉が出てくるまでの時間は、本当に長く感じたのだろうと思います。私がそばにいたとは言え、

「この人何するんだろう」

とドキドキしながら待つ時間は、すごく大変だったと思います。

 でも、この大変さこそが郵便局を耕したのだと思います。あの時私が

「この人は言葉が出てくるまで時間がかかるので、待ってあげてください」

なんて事前に説明していたら、待っている間の大変な思いはありません。

 大変な思いをして待ったあと、ようやく

「ああ、スタンプ台かして下さい」

といい、それを聞いたときのお姉さん達の笑顔には

「ああ、こういう人だったんだ」

ってセノーさんと出会ったうれしさがそのままでているようでした。思ってもみないセノーさんとの出会いです。 

 

 「早く言いなさい」とか「早くやりなさい」と、つい私たちは言ってしまいます。でも、私たちはそんなとき、何に向かって、どうしてそんなに急いでいるのだろうと、セノーさんとおつきあいしながら思います。

 緑区役所の人権研修会ではセノーさんのしゃべり出すのをみんなじっと待っていました。感想にこんな言葉がありました。

 「言葉が出てくるのを待つ時間のおだやかさに、今の社会が忘れているものを感じました。」

 

 郵便局のお姉さん達も、セノーさんと出会って、その大事なものを思い出したのかも知れません。

 

ぷかぷかが生みだしたものが光って見えます

 8月28日(火)午後6時10分からNHK首都圏ネットワークという番組でぷかぷかの取り組みが紹介される関係で、今日追加取材がありました。

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 NHKの記者に

 「どうしてこんなに情報発信するのですか」

と何度も聞かれました。

 「ぷかぷか」は養護学校教員時代、障がいのある子ども達に惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたいと思って始めました。街の中に作ったのは、街の人たちに素敵な彼らに出会って欲しいと思ったからです。ただ待っているだけでは、出会う人は限られてしまうので、外販に出かけたり、パン教室をやったり、演劇ワークショップをやったりして、街の人たちと出会うきっかけをたくさん作ってきました。

 情報発信もその流れから出発しています。

 「見て見て、こんなすてきな人たちがここにいるよ」

というメッセージです。この情報発信のおかげで、ぷかぷかさんのファンはお店に来る人たちだけでなく、九州から北海道まで広がっています。

 ホームページのアクセス数は現在33万、ブログのアクセス数は32万です。これだけのアクセス数があったのも、ほとんど毎日のように更新したおかげです。

 

 情報発信によってできた関係は、「障がいのある人たちに何かやってあげる」とか「支援する」といった関係ではなく、「一緒に生きていくといいよね」って思える関係です。「ぷかぷかさん、好き!」「ぷかぷかさん 素敵!」って思える関係です。

 「障害者はなんとなくいや」「近寄りたくない」「怖い」などと考える人の多い社会にあって「ぷかぷかさん、好き!」とか「ぷかぷかさん 素敵!」って思える関係ができたことは画期的だったと思います。

 社会はこういうところから変わっていくのだろうと思います。障がいのある人たちを排除するのではなく、「一緒に生きていきていってもいいな」と思う人がここから生まれているのですから。ここから社会が豊かになっていくのだと思います。

 もちろん最初からそのことを考えて情報発信してきたわけではありません。ただ彼らに惚れ込み、

「見て見て、こんなすてきな人たちがここにいるよ」

「こんな人たちとは一緒に生きていった方がトクだよ」

という思いを日々いろんな形で発信してきただけです。

 結果、「ぷかぷかさん、好き!」とか「ぷかぷかさん 素敵!」というたくさんのファンができ、ここから社会が変わり始めているな、と気がついたのです。

 ですから、彼らの魅力というのは、こんなふうに社会を少しずつ変えていくチカラがあるのではないかと思います。

 

 小さい頃から障がいのある人とない人はずっと分けられています。障がいのある人たちと一緒に生きて行くにはどうしたらいいのか、と考える機会を奪われてきた、といってもいいと思います。あるいは一緒に生きていくことで生まれる豊かさ、といったものも経験する機会がなかったと思います。

 そういう中で、ぷかぷかの発信する情報にふれ、障がいのある人たちと出会う人が増えたことは、ものすごく意味のあることだと思います。

 「障がいのある人たちと一緒に生きていくって、こういうことだよ」

 「障がいのある人と一緒に生きていくと、こんなに楽しいよ」

 「障がいのある人と一緒に生きていくと、こんな豊かなものが生まれるよ」

を具体的に示しているのがぷかぷかのメッセージです。「共に生きる社会を目指そう」とか「共生社会を目指そう」といった抽象的なメッセージではなく、皮膚感覚で伝わるようなあたたかみのあるメッセージです。

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 こんな写真見たら、誰だって、

「なんか友達になってもいいかな」

って思います。障がいのある人たちを、そんなふうに肯定的に受け止める人をたくさん作ってきたのが、ぷかぷかの情報発信です。

 あれができない、これができない、といったマイナスイメージの多かった障がいのある人たちですが、そうじゃないよ、というイメージで置き換えたのがぷかぷかの情報発信です。

 彼らを排除するような文化に対して、一緒に生きていった方がいい、という新しい文化を発信したと思います。社会を豊かにする文化といってもいいと思います。 

 

 

 障害者雇用の現場で障がいのある人への虐待が多くなっている、と先日朝日新聞が報道していました。

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 本当に悲しくなるような記事です。障害者法定雇用率を義務づけ、無理矢理障がいのある人たちを雇用させた結果だろうと思います。

 厚生労働省のホームページには、どうして障がいのある人を雇用するのか、そうすることでどんないいことがあるのか、といった話は一切ありません。そういう話抜きで、いきなり、障害者法定雇用率だけを義務づけています。

 そういう無理矢理の結果を、全部現場の障害者が引き受けているのです。記事にそういう突っ込んだ考察がないのはなんとも残念です。厚労省担当者の事態を招いた責任を全く感じていない分析などはそれこそ無責任の極みであり、啓蒙活動によって虐待防止を図るなんて、事態の受け止め方が甘すぎます。

 

 いずれにしても、文化の貧しさのようなものを感じます。

 寒々しい風景の中、ぷかぷかが生みだしたものが光って見えます。

 

 

 

 

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