横浜市健康福祉局障害企画課が作ったビデオ、なかなかいいです。
「自分が豊かになる」とか、「一緒に生きていく」といった視点がないのは残念ですが、それでも福祉と全く接点がなかった人にとってはいいビデオだと思います。このビデオがきっかけで福祉の世界に飛び込んできてくれる若い人が増えてくれたら、と思います。
横浜市健康福祉局障害企画課が作ったビデオ、なかなかいいです。
「自分が豊かになる」とか、「一緒に生きていく」といった視点がないのは残念ですが、それでも福祉と全く接点がなかった人にとってはいいビデオだと思います。このビデオがきっかけで福祉の世界に飛び込んできてくれる若い人が増えてくれたら、と思います。
10月20日(土)第五期演劇ワークショップの3回目のワークショップをやりました。
「あの広場の歌」を歌いました。
♪ 昔 広場に一本の柱
ここに立てよう 目には見えない柱を
昔 広場に一本の柱
ここではじまったぷかぷか いまここで
みんなが元気に歌っている姿を見ると、
【障がいのある人たちに惚れ込み、彼らと一緒に生きていこうと、8年前、一本の柱を立てた。柱のまわりに、少しずつ少しずつ人が集まり、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまった】ことを、あらためて実感するのです。
来年1月27日の発表会の舞台だけでなく、12月8日(土)の神奈川県主催の「共生社会実現フォーラム」の舞台でも歌います。
ほらクマ学校の校歌を歌いました。
歌詞に「なんでもいいからいちばんになれ」とあるので、「大金持ちになるには、どうしたらいいか」を提案しました。「大金持ちになる」というのは、すごくわかりやすいと思ったのです。
ところがその目標に興味を持った人はほぼゼロでした。もっとほかのことで一番になりたいというのです。お金こそ一番価値があり、みんな共感してくれると思っていた私の浅はかさに、初っぱなから気がついたというわけです。
生産性はお金をどれだけ生み出すか、で測られます。お金こそ一番の価値であると社会のみんなが思っているからです。でも、ぷかぷかさんはそうじゃありませんでした。世の中、もっと大事なもの、大事にすべきものがあるんじゃないか、って。「大金持ちになる」という提案を、全然興味ないよ、っていわれて、あらためてぷかぷかさん達が提案する「価値」にこそ耳を傾けようと思いました。
クモは股の間から新しい蜘蛛の巣を生み出してどんどん大きくしていきます。宮澤賢治の原作では、はじめ2銭銅貨くらいの大きさの巣から始まって、だんだん大きくなり、えさがとれすぎて、そのえさが腐敗し、自滅するお話でした。ところがぷかぷかさん達の作った蜘蛛の巣は、どんどんたくさんの人を巻き込んで、お空の雲になった、という、なんだか夢のあるお話でした。
大きいことの価値がどこかですり替わっているのだと思いました。
ナメクジグループは「カタツムリンピック」で一等になること、タヌキは腹の太鼓で一等になることを提案しました。
午後は伊藤多恵さんをお招きして、ダンスのレッスンをやりました。これがすごく面白かった。
伊藤多恵さんはこんな方です。
一般財団法人 地域創造 – 公共ホール現代ダンス活性化事業 登録アーティスト
年明けにベトナムで公演、オペラシアターこんにゃく座の新作の振り付け、とものすごく忙しい方です。
『ほらクマ学校を卒業した三人』には、目の碧い蜂が登場するところがあります。ほらクマ先生のいう、「なんでもいいからいちばんにな〜れ」という価値観とは全く関係ないところで生きている蜂たちです。
その蜂たちのダンスを作りました。
なんとなくからだをほぐす体操をやっているのかと思っていたら、みんなの体が生き生きと動き始め、気がつくと創作ダンスをやっていました。場の作り方、場の動かし方がすばらしいと思いました。
伊藤さんの感想
小さい子どもや年季の入った大人や眠そうな人やめちゃくちゃ元気な人や後ろにいる人や前にいる人や色々なメンバーがいるのに全体の空気が柔らかく、過ごしてきた時間が豊かだったんだなあと感じました。
今までにないくらい場がはずんだので、伊藤さんにはもう一回くらい来てもらおうと思っています。
発表まであと4回。どんな風にまとまって行くのか、ハラハラしながらの進行です。
先日、県議会の「ともに生きる社会推進特別委員会」の議員さん達が見学に来ました。その際、各議員の席にぷかぷかさんの作った名札を置きました。
なんともほっこりしたこの名札がみなさん気に入って、持って帰りたいとおっしゃってました。次回から「ともに生きる社会推進特別委員会」をやるときはこの名札でやりましょう、という声もあったので、ひょっとしたら委員会開くときは、この名札が参加するかも知れません。
名札はぷかぷかのメッセージです。名札はぷかぷかさん達と一緒に生きるという関係の中で生まれた作品です。ぷかぷかは、すでに「ともに生きる社会」を実現しているのです。ですから「ともに生きる社会推進特別委員会」の席に、ぷかぷかで作った名札が並べられることには、とても意味深いものがあると思います。
今回の名札は、県議会の担当者からぷかぷか見学の際に使う名札制作の依頼がまずありました。名前はぷかぷかさんに書いてもらいました。動物が顔をちょっとのぞかせている絵と、こんな感じの縁取り、というイメージをぷかぷかさんにお願いしました。
で、できあがったのが写真のような名札です。全部ぷかぷかさんにまかせても面白い名札ができあがったと思うのですが、今回は受注したものなので、ある程度統一したデザインが必要でした。ですから「こんな感じ」という程度のお願いをしました。
名札は、ぷかぷかさんのアートと、その演出をしたスタッフの共同作品です。ぷかぷかさんと一緒に生きる関係、つまりは「ともに生きる社会」が生み出した作品です。「ともに生きる社会」を抽象的に語るのではなく、その社会が生み出すものを具体的に表現したのです。障害のある人たちと一緒に生きると、こんなすてきなものが生まれるよ、というリアルなメッセージです。
ぷかぷかの存在は、「ともに生きる社会」が、アーダコーダの議論の果てにできるのではなく、「彼らと一緒に生きていきたい」という思いさえあれば、いつでもどこでもできますよ、というメッセージです。そしてそこで生まれる新しい価値を日々発信しています。ぷかぷかのホームページには、その価値がぎっしり詰まっています。年末には、それらを整理した見やすいホームページが登場します。乞うご期待!です。
今回はぷかぷかさんが作り出す「ほっこりした雰囲気」が、議員さんの心をほっこりあたため、委員会の名札として使おう、という意見まで出ました。「ほっこりした雰囲気」には人を動かすチカラがあるのです。それはどこまでもぷかぷかさん達のチカラです。
「ともに生きる社会」というのは、ぷかぷかさん達が作り出すこの「ほっこりした雰囲気」を「いいね」って共有できる社会だと思います。そこから「ともに生きる社会」が始まるのだと思います。
スタッフのハギワラさんが出産するのでみんなでがんばれ!っていいました。
これがぷかぷかです。ぷかぷかさん達がいると、こんなに幸せです。
第一期演劇ワークショップ記録映画ができたとき、監督の宮沢あけみさんといっしょに舞台で
「これからは障害者じゃなくて、ぷかぷかさんといいましょう」
と呼びかけたことがあります。「障害者」という言葉がいやだったので、じゃあどんな風に呼べばいい?と宮沢さんといろいろ話をして、「ぷかぷかさん」ていう優しいひびきのあるいい方がいいよね、ってことになりました。でも、舞台の上から呼びかけたくらいで「ぷかぷかさん」が広がるとは思えませんでした。
あれから5年。「ぷかぷかさん」といういい方はすっかり定着した気がします。今日、県会議員が10人ほど見学に来られたのですが、
「どうしてぷかぷかはほっこりした雰囲気なんですか?」
「それはぷかぷかさんがいるからです」
というふうに答え、それがちゃんと伝わっていました。
港北公会堂の上映会でぷかぷかを知り、それ以来Facebookやブログを見たり、お店に来たりしてすっかりぷかぷかのファンになった方が「うちのぷかぷかさん」といういい方をしていて、なんだかすごくうれしくなりました。
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1月に港北公会堂での上映会で初めてぷかぷかさんを知り、それ以来Facebookやブログを拝見させて頂いています。実はそれ以来ずっとぷかぷかさんに伺うことを楽しみにしていて、先日やっと友人たちとお邪魔させてもらいました。
テラちゃんにもてなしてもらい、とても楽しいひとときを過ごさせてもらいました。ますますファンになりました
我が家には知的障害のある息子が二人(中2と小5)います。いつも心にあるのは二人が幸せな人生を送るために私ができることは何か?なのですが、結局私の方が幸せにしてもらっています。まさに「うちのぷかぷかさん」です。子どもたちが自分らしく生きていけば自分も周りも幸せにできると確信のような思いを持ちながら、今の学校制度ではそれがなかなかまかり通らず、じれったさを感じたり迷うことが多々あります。でもそのままでいいよを実践してみんなが笑顔でいるぷかぷかさんは私に大きな自信をくれました。
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【「うちのぷかぷかさん」のおかげで、私の方が幸せにしてもらっている】すごくいい言葉ですね。ぷかぷかさんて、一緒に生きていく、つまりフラットにおつきあいすると、私たちを幸せにするのだと思います。支援という上から目線では、そんなことは起こりません。「障害者は不幸しか生まない」は、典型的な上から目線から生まれた言葉だと思います。
ぷかぷかさんはまわりの人たちを幸せにします。「ぷかぷかさんは幸せを生む」のです。「障害者は不幸しか生まない」と、なんたる違い!
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子どもたちのありのままの姿や私自身の言葉で発信すること、これもいつかやりたいと思うことの一つです。高崎さんに背中を押してもらったのでちょっとずつチャレンジしてみようと思います
大人になってからは子どもの時のように夢を持つことは難しいと思っていました。けれどこの子たちが私の元に生まれてきてくれたおかげで、今私は沢山夢ができました。色々模索中ですができることから一つずつ、ゆっくりと挑戦したいと思っています。それが形になるのかならないのか…わかりませんが
でも、私たち家族の毎日は幸せで溢れています。
「うちのぷかぷかさん」を知ってもらうと障害は不自由さはあっても決して不幸ではないということ、人を生産性や他人の価値で測ってはいけないことを知ってもらえると思うんです。知ればみんなもっとラクになりますよね。そう考えるとうちの子たちは生きてるだけで社会貢献しているなぁなんて思わずにはいられません
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【私たち家族の毎日は幸せで溢れています。】なんていい言葉だろうって思います。「うちのぷかぷかさん物語」というタイトルで、幸せな家族の毎日を発信して欲しいなと思います。ぷかぷかのFacebookも、考えてみれば「うちのぷかぷかさん物語」で、幸せなぷかぷかの毎日を発信しているのです。
今日は県会議員が来たので、珍しくネクタイをしていたのですが、観察の鋭いぷかぷかさんに
「なんでネクタイしてスニーカー履いてるの?」
なんていわれちゃいました。見たままのストレートな質問だったのですが、そういえばそうだ、と笑いながら、なんだか幸せな気持ちになり、そのことをFacebookに書きました。
あちこちの家で「うちのぷかぷかさん物語」を発信すれば、社会はほっこりしたあたたかさに包まれ、みんな幸せな気持ちになります。
みんなに迷惑かけぬよう、社会安全のため…の「みんな・社会」に障害者は入っている?と牧口一二さんはいいます。
私たちがふだん意識もせずに使っている「みんな」とか「社会」という言葉に、障害者が入っているのかどうか、本質を突く言葉だと思います。障害者と健常者が分けられた社会だからこそ、健常者側の「みんな」とか「社会」からは障害者がすっぽり抜け落ちているのだと思います。
今朝の朝刊にも障害者雇用のごまかしが大きく報道されていました。社会には障害者雇用率という数字だけがあって、障害のある人、という生身の人間が抜け落ちているのだと思います。
これを機に障害のある人たちと一緒に働くとはどういうことなのか、それは社会に何をもたらすのか、といった議論こそ必要な気がします。それがないまま、新たに雇用するという話をしても、結局は数値あわせに終わるような気がしています。
そんな社会にガッカリしつつも、今日もぷかぷかさん達といい一日を作り続けます。そしてそのいい一日を発信し続けます。「彼らと一緒に生きると、こんないいことがあるよ」「障害のある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「トクだよ」、って。
【知的障がいのカップル挙式 地域の祭りで「村人前式」】について書いたブログ
をシェアした方が、自分のFacebookにこんなことを書いていました。
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私が出産して、娘がダウン症であると告知を受けた時、
最初にした質問は「先生、娘は将来、一人の女性として幸せを感じる事はできるのでしょうか…」だった。
恋をして、その先にどんな選択肢があるのか、考えると辛くなる時もある。
でも、この丹波の村のカップルの記事を読み、辛いとか言ってる場合ではないな!と勇気と希望がわいちゃった✨✨
娘の日和は、親の心配はよそに、両手に余るほど好きな人がいるみたいです☺️💓ウフッ。
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私も昔、養護学校の教員に成り立ての頃、子ども達の将来についてはこのお母さんと同じような思いでいました。でも毎日子ども達と楽しい毎日を過ごしているうちに、私たちよりも子ども達の方がはるかに自由で、素敵な人生を生きていることがだんだん見えてきました。私たちの月並みな人生観では語りきれないような人生です。
10分おきにお漏らしし、そのたびにパンツを脱ぎ捨て、社長のようにふんぞり返って歩き回っていたすっぽんぽんのフリチン少年には、何が幸せな人生かについて、身をもって教えられました。
フリチン少年は、天気のいい日は中庭の芝生の上で大の字になって寝ていました。もちろんすっぽんぽんのフリチン状態です。
「はずかしいからやめなさい」
なんて先生みたいなことを(ま、一応先生やってましたから)毎日言い続けていました。そんなこといわれたくらいでやめるフリチン少年ではありませんでした。
さんさんと降り注ぐおひさまの光の中でにこにこと幸せいっぱいの顔をして大の字になって寝っ転がっていました。私はといえば、すぐそばで陰気な顔をしてグジュグジュと文句ばかり言っています。
こういうことを毎日繰り返していると、彼の幸せいっぱいに顔がだんだんまぶしくなってきて
「彼の方がいい人生生きてるよな」
って思うようになってきたのです。どう見ても彼の方が私の何倍もいい時間過ごしているのです。
「幸せそうな彼のそばで、一体俺は何をやってるんだ」
って思いましたね。
「負けた!」
って思いました。人生観の負けです。何かができるできない、ということと、いい人生を生きるかどうかは、また別のことである、という当たり前のことを私はフリチン君に教わったのです。
養護学校では、こういったことがたくさんありました。そういった経験の先に、自分の人生観で、彼らの人生を判断できない、と思うようになりました。
お母さんの悩みは自分の人生観で子どもの人生を判断していることにあります。子どもはそんなことお構いなく、自分の人生をしっかり生きています。
お母さんの文章に
「両手に余るほど好きな人がいるみたいです」
とあったので、
「両手に余るほど好きな人がいるなんて、素敵じゃないですか。私たちよりはるかにいい人生生きていますね。そういう視点が私たちの側に必要な気がしますよ。一緒に生きるって、そういうことだと思います。」
と書き込みました。
「本当に娘は幸せそうです☺️💓
よく笑い、よく食べ、よく歌い、好きな人には好きとストレートに伝え、失敗を恐れないと言う…親の私も羨ましく感じます☺️ 」
「人生見習うべきですね。よ〜く考えると、彼らとの関係って、案外こういうものじゃないかと思いますよ。」
彼らのこと、上から目線で見ていると、人生ソン!する気がします。
常連のお客さんからのメールです。
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最近、テラちゃんとメールのやり取りをしていて、毎日の様にテラちゃんがその日の仕事内容を教えてくれて、それを読む度、翌日のぷかぷかさんのお昼ご飯のメニューが気になって仕方なく(笑)、先週の土曜日のわんどのワークショップの後は、ぷかぷかさんのお昼ご飯で絶対食べたい!と思って、予約をして、子供を連れて食べに行きました。
予約の時に、辛めのメニューかどうかお店の方に尋ねていたせいで、辛くないソース(?)も用意して下さっていて、お心遣いが嬉しかったです。もしうちの子の為に用意して下さっていたのなら申し訳なかったです。
お昼ご飯はもちろん美味しくて、やっと食べれて大満足でした。
ななが私に言った「お茶もっと飲みたい」に、休憩中にもかかわらず隣のテーブルからしっかりそれを聞いていて、お茶のおかわりを入れてくれたゆりさん、子供達が喜ぶかなと思って、と、飴を持って来てくれたナカタクさん。
子供を追っかけ回しながらも、ゆりさんやナカタクさんとお話出来て、演劇ワークショップや、わんどのワークショップとはまた違った、ゆっくりとした時間の中で過ごさせて頂き、改めて、ぷかぷかさんのお昼ご飯の居心地の良さも感じた日でした。
あと何故か、ななが鳥のまねをしていたら、隣に座っていたハヤチャンが一緒にやってくれて、こんないい写真が撮れました。
写真といえば、前にぷかぷか日記に載せて下さった、ユースケさんがななをおんぶしてくれている写真。いい写真をありがとうございます。前からお伝えしようと思っていたのですが、あの写真見る度、なな、いい顔してるな〜!って思います。(もちろんユースケさんも。)主人とも話していますが、ななをあんな笑顔にしてくれるユースケさんには本当にいつも感謝です。
前回の演劇ワークショップ後に霧が丘商店会のお祭りに行きました。そこで、ななが箱入り(数十個入り)のブレスレットが欲しいと言い出し、泣いてまで欲しがっていた時、主人と私が「だめ!」と言っている所へユースケさんが来て、それを聞き「だ〜め!」とはっきり言ってくれました。なんか他人の子にそこまではっきり言ってくれるのがありがたく、嬉しくて、今までは親戚みたい、と思っていたユースケさんを「お父さんみたい!」と思わず言ってしまいました。
いつも、うちの子達を見つけるとすぐ寄って来て何かしら話しかけてきてくれるユースケさん。
自分の普段の生活では誰かに会うと、まずワンクッション置く為なのか、こんにちはとかだいたい挨拶から話しかけている気がしますが、ユースケさんとの間にはそんなよそよそしい挨拶って必要なく、すぐグッと近い距離感で話せている気がして、そんなおつきあいをさせて頂けている事がすごく嬉しいです。
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ぷかぷかさん達といいおつきあいをしてくれています。お客さんはぷかぷかさんとのおつきあいをとても楽しんでいて、ぷかぷかさんも子ども達とのおつきあいをとても楽しんでいます。
共生社会を作ろうとか、共に生きる社会を作ろう、なんてがんばっていわなくても、こんなおつきあいがぷかぷかでは自然にできています。その気になればどこの福祉事業所でも、こういうおつきあいはできると思うのですが、外の人間にとっては、なんとなく入りにくかったり、利用者さんも自由にお客さんとおつきあいできない雰囲気があります。どうしてなんでしょうね。そこが変われば、共生社会は簡単に実現できると思うのです。
9月のワークショップに参加した方の感想です。栃木から新幹線に乗って親子で参加しています。
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こんにちは。大我です。
今日はセノーさんのことについて書きたいと思います。
前回、初めてのワークショップで、昼休みにロビーで休憩していたら、突然背後から誰かの足がせまってきておしりごといすから追い出されてしまいました。なになに?なんなんだ?と思って、振り返るとセノーさんがいす四つ分をくっつけて、うつぶせになって横たわっている姿。
横になるのに僕の座っているいすが必要だったのだろう。でもその時彼と話したこともない僕はわけがわからなくて、その行動が理解できず、嫌な気持ちになりました。そんな出会い方をしたもので、今回二回目のワークショップでも、もう接するのはやめようと思っていました。
そんなある日、母が高崎さんのFacebookにセノーさんのことがのってるよ、と教えてくれました。そこにはぷかぷかのメンバーの人数を聞いてお土産を買って帰るセノーさんの姿。
セノーさんの心優しい一面を知り、果たして自分はそのような気遣いができるだろうか、と自分を振り返りました。そして薬をのんでいてそのために眠くなって横になってしまうのだということを知りました。それを聞いて、僕はセノーさんのことを知りもしないのに好き勝手に変な色眼鏡で見ていたと思い、ちょっと心苦しい気持ちになりました。
知らないってことは怖いことだと思います。
まず、相手のことを「知る」こと。。。セノーさんと僕は価値観も違うし、考え方も違うと思います。そんなだからこそ相手を拒絶し続けるのではなく、向き合うことが必要なのではないかと思いました。僕は自己表現が苦手です。でもセノーさんと向き合う機会があったら、接してみる努力をしてみよう。
そしたら、いすをとらないでよと、笑って言い合えるようになるのかな。
まだ僕は高崎さんがいう「トクだ!」ということがなんなのかわかりません。だから次回も参加したいと思います。
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セノーさんとの最初の出会い方がいいですね。いかにもセノーさんらしいというか、こうやってセノーさんはマイペースで街を耕しているのだと思います。大我君とセノーさん、今後の展開に目が離せません。
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八月の上映会でワークショップの記録映画をみたとはいえ、実際その場にたってみるとこれから一体どうやってつくりあげていくのだろうとその課程にとってもわくわくしている私です。
今回、チームに分かれて台本を読み、絵にかいて、そのイメージを今度はお芝居にして発表するという体験がこんなに楽しいなんて思いませんでした。今、思い返すと、あの時の私は“ゾーン”にはいっていたように思います。超集中状態、脳はフル回転、自分と目の前にいるぷかぷかさんだけみえて、周囲は白くばやーっと一切みえてなかったなぁ、緊張とは違う不思議なかんじでした。「スポーツ選手でもないのになん大げさに言いようと?」と笑われてしまいそうですね。
まず、私たち「チームクモ」のできあがった絵をみたとき、もし私だったらクモの巣はこういうものだという固定概念にしばられて、あんな色とりどりのカラフルで素敵な絵には仕上がらなかったと思います。そして、それをお芝居にするとき、カゲロウ役であるひらもっちゃんの名役者ぶりに私たちはぐいぐいっと引っ張られ、助けられました。私は彼とは初めてじっくりと、どうしたらいいやろかと相談しながら接することができたのですが、私たちの前でも堂々と役になりきって演じる姿に、なんてたよりになる人なんだろうと感激してしまいました。カゲロウが歌いだすところは、ことばがとても難しくて、彼はとても大変だったと思います。でも、なにかの替え歌にしてうたってみたらどうだろう?と、提案してみたら、ももたろうの歌がみごとにはまり、チームはみんな大笑い。それにあわせて私たちも動きやすく演じやすくなったのです。残念なことに本番の発表ではひらもっちゃん、歌を忘れてしまったようで、みなさんの前であのすっばらしいカゲロウさんの演技を披露できなかったのがちょっと心残りでした。でも一緒に悩んで考えて充実した時間を過ごすことができて、私の幸福度もupしました。
このワークショップを体験してみて“寄り添う”ことが大事なんだなぁと気づきました。一番ぴったりくる言葉は“向かい合う”でしょうか。上から目線でもなく下からでもなく同じ目線に立って向き合うことは、とっても大切なコミュニケーションスキルだと思います。
ワークショップに参加するまでの自分は助けてあげようと思ってアプローチすることが多かったです。これからも一緒にぷかぷかさんと楽しい時間がすごせたらいいな、仲良くなれたらいいな、そう思っています。
帰りの新幹線ではいつも息子とその日の反省会&意見交換会です。息子の態度にダメ出ししたり、ぷかぷかさんの話をしたり、息子からきれいごとやろと責められたり、あーだこーだと話していたら、遠い道のりもいつの間にか栃木です。息子はなんだかんだ言いながら次も行く!と言います。親子で心を耕していきたいと思います。
きよみ
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芝居作りの中で、すごくいい出会いをしたようですね。ふだんの生活では絶対に経験できないような出会い方。今回初めて参加された方の新鮮な感想を読んでいると、演劇ワークショップに中の出会いの大切さをあらためて思いました。
【知的障がいのカップル挙式 地域の祭りで「村人前式」】は胸が熱くなるほどのすばらしい記事でした。
記事の中でいいなと思ったのは、花嫁のお母さんが二人のことを村の人たちにまかせたところです。お母さんは神戸、二人は丹波です。列車で2時間半ほどかかります。
以前、卒業生が当事者同士で結婚したことがありました。たくさんの人たちが支えていましたが、中心はやはりお母さんでした。その当時はまだ教員をやっていたので、地域のつながりなどといったものはあまり見えていませんでした。
でもぷかぷかを始めてから、地域のつながりの大切さに気がつきました。だからこそ、お店だけでなく、パン教室や演劇ワークショップ、アートワークショップ、様々なイベントでたくさんのつながりを作ってきました。地域のつながりに支えられて、いまぷかぷかは霧ヶ丘で様々な事業が展開できています。
そういう目線でこの記事を読むと、お母さんが二人をまかせた地域社会が見えてくるのです。信頼できる地域社会。それはやはり二人が働いている事業所がこつこつ作ってきたのだと思います。その努力の上に、村民あげて二人をお祝いしよう、という雰囲気ができたのだと思います。公的な支援はもちろんあると思うのですが、それ以上に村の人たちの泥臭くてあたたかい支えです。こういう関係は黙っていてもできるものではありません。はやり事業所が積極的に地域に出て行き、関係を作ってきたのだと思います。
いつかぷかぷかにもこんなカップルが現れたらなぁ、と思っています。ぷかぷかには支えて下さるファンの方がたくさんいるので、カップルが現れたら、すぐにでも応援団ができるのではないかと思います。昨日もテラちゃんが若い男性といっしょに撮った写真をアップしていたら、「フィアンセですか?」なんて書き込みがありました。
カップルが一緒に暮らすには何が必要なのか、家はどうするのか、家賃はちゃんと払えるんだろうか、毎日のごはんはちゃんと作れるんだろうか、そのための買い物は大丈夫だろうか、そもそもお金の管理は大丈夫だろうか、等々、心配すればきりがなく、次々に解決しなければならないことがいっぱいでてきます。
更には子どもができたらどうするのか、ちゃんと二人で育てられるんだろうか、それが難しいときはどうしたらいいんだろう、等々、難しい問題が次々に起きてきます。
どこまで本人にまかせ、どこからお手伝いに入るのか等々。
それらを一つ一つみんなで考えていくのです。考え、解決していく中で、私たちが鍛えられます。地域社会が本当のチカラを持つことになります。
丹波の村の人たちのそういったチカラの上に、このカップルの挙式があったのだと思います。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。