第5期演劇ワークショップ第4回目です。
「はやいはえらい 大きいはえらい、なんでもいいからいちばんにな〜れ」という、いわば「生産性の論理」を超えるものをぷかぷかさんたちと一緒に作り出したい、という思いで、今期、いろいろやってきました。でも、どうもうまくいきません。前回は「大金持ちになって一番になるにはどうしたらいいか」と、わかりやすいテーマを投げかけたつもりでしたが、大金持ちになることに興味を持つ人はほぼゼロでした。
発表会まであと3回。そろそろ台本を起こさないと間に合いません。先日開いた進行サイドの打ち合わせでも名案は出ず、やむなく宮澤賢治の原作をそのままぶつけてみることにしました。原作は結構グロテスクな場面があって、みんないやがってしまうのではないか、と心配していました。
ほらクマ学校の入学式の場面で、ウサギとカメのかけっこの話が出てきます。4チームに分かれて、どうしてカメはウサギに勝ったのかというお話を作りました。これが思いのほか楽しいお話がでてきました。
甲羅を脱いで、中身だけ走っていく、というコウキさんの案はすばらしいと思いました。ふだんの遅いカメは、みんなを欺く姿で、中身は実は早かった、というわけです。ウサギもまんまと騙された、と。
カメは泳いでいけばいい、というアズミさんの案は海の近くで干潮時をうまく使って勝つ、という案になりました。
スクーターに乗って勝つ、という案はショーへーさんの案ですが、カメがスクーターに乗る、という突拍子もない案がいいと思いました。
コンビニに寄らせて睡眠薬入りのコーヒーを飲ませる、というなんはきわめて人間くさくておもしろいと思いました。
そういう前置きのようなお話作りがまずあって、午後、原作の台本をやってみました。台本を読むのは,なかなかスムーズに読めず、結構厳しいものがありました。
でも実際に立って発表してみたら、思いのほか楽しい芝居になりました。
なめくじはヘビにかまれたといってやって来たトカゲを,私がなめれば直ります、とかうまいこといってトカゲを溶かして食べてしまいます。でも、次にやってきたカエルに塩をまかれ、溶けてしまいます。
カエルに塩をまかれ、ナメクジは溶けてしまいます。
ところがその溶けかかったナメクジが「助けて」というと、なんとナメクジにとかされたはずのトカゲの一部が駆け寄り、ナメクジを助けようとするのです。
こんなことは台本にはなく、優しいコンノさんが「助けて」の声を聞き、とっさに助け出そうとしたようでした。自滅するナメクジを助け出した、というか、なんと表現すればいいのか、一番になろうとして、結果的に自滅していくものに対して、こういう救いがあってもいいなと思いました。
彼らは「生産性の論理」に対して、アーダコーダの批判はしません。ただ困った人が目の前にいれば、全力で助ける。ただそれだけです。
タヌキは怪しい山猫大明神をまつり立て、「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。おまへの耳があんまり大きいのでそれをわしに噛って直せといふのは何といふありがたいことぢゃ」と、うさぎの耳を食べ、足をかじります。ウサギは「あゝありがたや、山猫さま。おかげでわたくしは脚がなくなってもう歩かなくてもよくなりました。あゝありがたいなまねこなまねこ。」というのですが、これをななちゃんがやると、なんともおぞましい場面が、カラッと明るい感じで終わりました。
次にやって来たオオカミには「わしはお前のきばをぬくぢゃ。このきばでいかほどものの命をとったか。恐ろしいことぢゃ。な。お前の目をつぶすぢゃ。な。この目で何ほどのものをにらみ殺したか…お前のあたまをかじるぢゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。お前のあしをたべるぢゃ。なかなかうまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。おまへのせなかを食ふぢゃ。」と恐ろしいセリフが続くのですが、ヨッシーがいうと、なんともおかしい雰囲気になりました。そうやって全部食べられてしまったオオカミがタヌキの腹の中で「こゝはまっくらだ。あゝ、こゝに兎の骨がある。誰が殺したらう。殺したやつはあとで狸に説教されながらかじられるだらうぜ」というのですが、これもツジさんが言うと、悲壮感が全くないものになりました。
これを見ながら昔教員をやっていた頃にやった芝居を思い出しました。沖縄をテーマにした芝居で、沖縄戦を語る場面。「明日の朝、あの村をこの大砲で攻撃する。あの村は全滅だぁ」と兵隊が言います。ところが兵隊をやった生徒の歩き方、いい方が、何度練習しても、なんともおかしくて、笑ってしまいました。台本では重苦しい場面が、生徒に救われたのです。
それと同じことが起こったと思いました。
ほらクマ学校を卒業した三人は、ほらクマ先生の言いつけを守って、それぞれ何が何でも一番になろうとがんばりました。その結果はいずれも自滅するという惨めな結果でした。生産性の論理に追われた人間が自分を見失い、自分をだめにしていくのと重なります。その惨めさをぷかぷかさん達は、彼らのセンスで救った気がしたのです。
ミツバチたちはほらクマ先生に「なんでもいいから一番になれ」といわれるのですが、ただぶ〜んと飛び回るばかりで、全く乗ってきません。そして三人が自滅したあとも、自分たちのペースで相変わらずぶ〜んと飛び回っています。
自滅した三人を見てほらクマ先生は
「あゝ三人とも賢いいゝこどもらだったのにじつに残念なことをした」
と言いながら大きなあくびをします。
そしてほらクマ学校の校歌をみんなで歌います。
♪ カメはのろまに 歩いて見せた ウサギだまされ昼寝した
早いはえらい 大きいはえらい 勝てばそれまで だまされたが悪い
なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ
なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ
最初に歌ったときと、多分聞こえ方が違います。その違いが、この芝居をぷかぷかさん達がやることの意味ではないかと思っています。
来年1月27日(日)の午後にみどりアートパークホールで発表会です。ぜひ来て下さい。
金沢から参加した方の感想
今回のワークショップで感じたことは “誰の存在もないものにしない。されない。” というような感覚です。 そして、どこかに連れて行こうとするのではなく、ある一定の緩やかなフィールドを提示して、その中で “ なるほど。そいうのもありだね ” とか… “ いまのその感じいいね ” とか… 否定、不可、容認されないことがない…というか、 まず、そこにいる誰の存在も否定しない。というような安心感でした。 表出する言動をどうのこうのではなく、「みんなでワークショップ」名前の通りの場だった と思います。
印象に残った場面は二つ。
一つは、「うさぎとかめのお話」をみんなで作るワーク。 どんな方法で、かめがうさぎに勝ったのかを自分たちで考えたグループの発表は、 ・かめがスクーターに乗る ・かめは甲羅を脱いだら、実は速かった ・うさぎに睡眠薬をのませる ・ゴールの手前に波が来て、うさぎが渡れなくなる 自分の中には、いつの間にか、スクーターも睡眠薬も存在しない場面設定が出来上がってい たことに気づかされました。確かに、現代だったらスクーターもあるし、かめは本当は速いんだという可能性があったっていい。 そこに裏付けとか、根拠とか、いつの間にかできてしまっていた先入観とかが存在しない面白さがありました。
もう一つは、「台本をよんで演じる」ワーク。 ナメクジに食べられてしまったはずのトカゲ役のぷかぷかさんが、ナメクジ役のぷかぷかさんがピンチになって 「たすけて~…。」 とアドリブで言うと、 「いいよ~。」 と言って、手を差し伸べた場面。 気持ちがほっこり耕されたようでした。 “生産性のない人が社会に必要な理由” ということで高崎さんが話されていたこと、なぜ自分がダンスを続けているのか。というこ と “心を耕す” やっぱりこれなんだな~。と感じました。 知らず知らずのうちに、固まっていた自分の心も耕してもらえたようです。