ぷかぷか日記

社長さんたちが研修に

 印刷業界の社長さんたちが、北は北海道から南は九州まで11名もぷかぷかに集まって研修会をやりました。昨年の秋、印刷業界のCSR情報誌で「障害者雇用」を特集した際に、ぷかぷかしんぶんの記事「生産性のない人が社会に必要な理由」が載ったことが発端で、研修会がもたれました。

 CSR情報誌にはこんなことが書いてありました。 

 

特集 戦略的障害者雇用

横浜市緑区で、カフェベーカリー、総菜店、アートスタジオなどの障害者施設を運営するNP O法人ぷかぷかが発行している『ぷかぷかしんぶん』8月号に載ったコラム。タイトルは「生 産性のない人が社会に必要な理由」。ぷかぷかに通い、毎日郵便局に売上金の入金に行く仕事を している「セノーさん」が地域で果たしている役割について書かれている。産業革命以来、ひ たすら生産効率の向上を求めてきた近代社会。そのような価値観のもとで経済社会から排除さ れてきた障害者。しかし今、その障害者への差別を禁止し、雇用を促す方向に社会は進んでいる。 経済発展と障害者との共生。一見矛盾する命題への挑戦が始まっている

 ………

障害者 雇用はもはや福祉の文脈で語るのではなく、 企業の「戦力」として活用できるか、その人 材活用のノウハウを持つことができるかどう かという人材戦略の文脈で語るべきであろう。

「生産性」だけの議論に陥ることなく、視野を 広げ、多様な人材がそれぞれの個性を活かし て活躍できる場を創造していくことは、日本 が世界をリードする真の先進国として発展し ていくことにもつながっていくだろう。

ぷかぷかしんぶんのコラム「生産性のない 人が社会に必要な理由」は、経済社会におけ る障害者との共生への具体的道筋を教えてくれているようだ。

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 障害者雇用について、素晴らしい見解だと思います。

 ぷかぷかでの研修会では、映画『Secret of Pukapuka』を上映したあと、私はぷかぷかのことをいろいろしゃべりました。障害者雇用を考える社長さんたちにとって、何かヒントになるようなものが見つかればいいなと思いました。

 

 障がいのある人を雇用した方が、職場の人間関係がよくなったり、みんなが働きやすくなったり、部品倉庫が整理され、在庫の無駄がなくなったりして、データの上では企業の業績が上がるそうです。

 でも、業績が上がるから雇用するのではなく、私はやはり障がいのある人たちとのおつきあいの中で、いろいろ苦労しながら、

「やっぱりいた方がいいよね」

ってみんなで思えることが大事な気がします。そう思うところから障害者雇用が始まるのだと思います。

 おつきあいは、慣れないうちは多分いろいろ苦労します。苦労は、でも、人間を磨きます。苦労は、ですから職場の財産になるのです。苦労は職場を豊かにします。

 障害者雇用の達成率だけで障害者雇用が語られることが多いのですが、障がいのある人たちとのリアルなおつきあいが何を生み出すのか、というところで、もっともっと語ってほしいと思います。

 この「何を生み出すのか」が見えてくれば、生産性ではない新しい価値がここから見えてきます。

 

 ぷかぷかでは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」と言い続けています。この「トク」は、企業の業績が上がる、という意味ではありません。「トク」は生産性とは違う価値観です。生産性が上がるわけではないけれども、人間が生きていく上で、明らかにプラスと感じられるものを「トク」という俗っぽい言葉で表現しています。

 人間が生きていく上で、明らかにプラスと感じられるものを、生産性と同じくらい価値あるものとして、企業活動の中に位置づけることができれば、単なる雇用率達成ではない、障害者雇用が生み出す豊かさが見えてくると思います。

 

 この「トク」という感覚は、障がいのある人たちとのおつきあいの中から生まれてきます。「何かやってあげる」とか「支援する」とかの上から目線ではない、フラットなおつきあいがあって、ようやく「トク」という感覚がわかってきます。

 短い時間でその感覚を体験できるものとして「すごろくワークショップ」があります。 

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 こういうすごろくゲームを障がいのある人たちと一緒にやります。これをやるだけで、思いのほか、お互いいい関係ができます。

 昨年暮れ、青葉区役所の人権研修会でこれをやりました。人権についての抽象的な話ではなく、人権問題の当事者と実際に楽しくつきあってみよう、ということでこれをやったのです。短い時間ですごくいい出会いがありました。
 

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 障害者雇用の前に、こういうことを企業の中でやると、すごくいいきっかけ作りになると思います。

 青葉区役所での人権研修会は映像の記録を撮り、もうすぐプロモーションビデオができます。ホームページ上に公開しますので、やってみたい企業がありましたら連絡下さい。045−453−8511  もしくはinfo@pukapuka.or.jp  担当:高崎

小さな気づきが人を変え、社会全体の価値観を変えていく

 今朝アップされたIshizukaさんのブログにおもしろいことが書いてあったので紹介します。

 テラちゃんと友達になって、いろんなメッセージが送られてきます。

 

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メッセージには、てらちゃんの過ごした日常の色々なことが綴られている。
油揚げを薄切りしたこと、レタスを洗って蒸し鶏と一緒に盛り付けたこと、お皿を並べたこと、ホットほうじ茶を飲んだこと、ご飯を決まった分量測ったこと、サラダの仕込みをしたこと、お団子やラーメン、そのほか色々な美味しいものを食べたこと、そんな小さな出来事がたくさんの絵文字と共に綴られ、そして最後に必ずこの言葉が書いてある。

昨日、今日どこに行きましたか?

自分でも思いもよらないことに、私はこの言葉を見て凍り付いてしまった。

彼女が日常のどんなささいなことでもキラキラした風景として綴ることができるのに比べて、私は書くべきことを何も持っていなかったからだ。

私、今日のお昼ご飯美味しいなぁと思って食べたっけ?
誰かと笑顔で話したっけ?

考えれば考えるほど自分の毎日がつまらないものに思えて、実は1週間くらい返事が書けなかった。

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 笑ってしまいました。

「彼女が日常のどんなささいなことでもキラキラした風景として綴ることができるのに比べて、私は書くべきことを何も持っていなかったからだ。」

という気づきはとても大事なものだと思います。

 近くの女子大でぷかぷかさんといっしょにワークショップやったときも、学生さんが同じようなことに気づいていました。

 

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「日常生活を送っていると、あまり生き生きしている人を私は見ません。みんな、あれは嫌だ、これは嫌だ、面倒くさい、つまらない、だとかマイナスのことが多いと感じます。私もそういった面があります。

しかし、ぷかぷかのみなさんは、仕事が楽しい、好きな趣味がある、大好きな人がいる、得意なことがある、自分らしく、恥ずかしがらずに自由に生きているのだと思いました。私も自分らしく、一つ一つのことを楽しんで生活したいと思いました。」

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という気づきです。

 今朝アップしたブログに、健常者の価値観は50年前と変わっていないんじゃないか、といったことを書きました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 ここを変えるのは、多分障がいのある人たちとのこういったおつきあいの中での気づきなんじゃないかと思いました。

 あーだこーだの小むつかしい議論ではなく、

「考えれば考えるほど自分の毎日がつまらないものに思えて」

という気づきであったり、

「みんな、あれは嫌だ、これは嫌だ、面倒くさい、つまらない、だとかマイナスのことが多いと感じます。」

といった気づきが、「障がいのある人たちへの上から目線」や「彼らよりも自分たちが優れている、という思い上がり」を、少しずつ変えていくのだと思います。

 

 以前アート屋わんどのワークショップに参加した人が

「自由な線を描きましょう」

で始まったワークショップで、ぷかぷかさんも地域の子どもたちもどんどん自由に線を描いていく中で、自分一人

「自由に線を描く」

というたったそれだけのことができないことに気がつきました、それに比べてぷかぷかさんや子どもたちの自由さに驚きました、といっていた人がいました。

 こういう小さな気づきが人を変え、社会全体の障がいのある人への価値観を変えていくのだと思います。

 

 

 

50年前の価値観が変わっていない。

 1970年、横浜で脳性麻痺の子どもを母親が将来を悲観して殺してしまうという事件がありました。当時、そういう事件がたびたびあり、そのたびにマスコミは「施設がないが故の悲劇」「かわいそうな親を救え」という論調でした。横浜の事件では、子育てに疲れ絶望的になった母親への同情が地元町内会などの減刑嘆願運動となって現れました。

 これに対し、脳性麻痺の人たちの運動体「青い芝の会」の横塚さんは

「重症心身障害児に生きる権利はないのか」「罪は罪として裁け」

と主張しました。「殺される側」の障害者からの発言は大きな反響を呼び、裁判では、当時としては異例の(執行猶予つき)「有罪」判決が出ました。

 「施設があればあのような事件は起こらない」という世論に対し、横塚さんは、障害者を「劣った存在」「価値のない存在」とみなし、だから生きていても仕方がないと考える健常者の価値観(差別意識)こそが問題の根底にある、と指摘しました。

 

 約50年前の話です。でも、横塚さんの指摘した、障害者を「劣った存在」「価値のない存在」とみなし、だから生きていても仕方がないと考える健常者の価値観(差別意識)は、情けない話、全くといっていいほど変わっていません。

 どうして変わらなかったのか。結局のところ、障害者の側、あるいはその関係者の側からのメッセージが、健常者の意識を変えるまでに至らなかった、ということではないかと思います。もちろん、健常者自身の問題もありますが。

 事件のあった1970年当時、私は学生でした。

「障害者と健常者は共に生きねばならない」「障害者と共に生きよう」

といった主張はありましたが、障害者運動に関わっていない限り、ほとんど他人事でした。「共に生きねばならない」「共に生きよう」なんて言われても、社会の理念としてはなんとなくわかる気もしますが、自分の生き方としてやっていく、というふうにはなりませんでした。

 結局そういったメッセージでは、健常者の意識は変わらなかったのだと思います。個別にがんばっている人たちはいましたが、社会全体の意識は変わらなかったと思います。

 

 50年たって、福祉の制度が整い、障がいのある人たちの暮らしやすさはそれなりの進歩があったと思います。でも、健常者の価値観はほとんど変わっていない気がします。そういう中で相模原障害者殺傷事件が起こり、犯人の主張を否定しきれない社会が頑としてあります。健常者はこの50年、何をしていたのか、ということになります。障がいのある人たちとちゃんとつきあってこなかったんじゃないかと思います。

 映画『Secret of Pukapuka』の中でダウン症の子どものお母さんは、絶望の中にいて外に出られなかった、と語っていましたが、そのお母さんを絶望の中から救い出す言葉を持っているのか、と自分に問うと、いまいち自信がありません。そういう意味では、お母さんを救ったあのダウン症の赤ちゃんにはかなわないのです。

 東洋英和の学生さんが「自分に障がいのある子どもが生まれたら、どんな風に思うんだろう」ってぽつんと言ったときも、学生さんにかけるうまい言葉が見つかりませんでした。

 学生さんが口にした「自分に障がいのある子どもが生まれたら、どんな風に思うんだろう」の問いは、50年変わらなかった健常者の価値観の中でなおも自分を問い、そこを超える何かを見つけようともがいている感じがしました。もがいている感じ、というのはぷかぷかの映画を見たあとの学生さんの言葉だからです。映画から感じたものと、自分の抱いた不安との落差をなんとか埋めたいという思いのもがきです。

 そんな学生さんがぷかぷかの取材の中で何を見つけるのか、ものすごく楽しみにしています。

 

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生徒たちが考えたお話

 昔、三ツ境養護学校で全校生で1年かけて芝居作りをやったことがあって、そのときの資料でおもしろい話があったので紹介します。生徒たちのアイデアからテーマを決め、そのテーマに沿って1年かけて(正確には4月から11月末の文化祭まで)、生徒たちのアイデアを生かしながら芝居を作っていきます。

 「太陽サンサンサン」というのがテーマに決まった年がありました。話を進めるのにいろんな問題を出します。このときは

「太陽がサンサンと光り輝く日、君たちは何がしたい?」

という問題を出しました。いろんなアイデアが出てきたのですが、一番おもしろかったのは

 「つめたいこうちゃをおれとかのじょとのみほしたいぜ

  たばこをいっぷく ちゅうかりょうり

  プロレスのはなしをしながらサンダーライガーの

  しあいをみにいこうぜ〜まちだまで」

 彼女とお茶を飲んで、中華料理を食べて、プロレスを見に行く、なんてすばらしいデートプランだと思いました。「アイスティー」ではなく「つめたいこうちゃ」というあたりがなかなか渋いセンスというか、正直ですね。彼女としゃれたレストランではなく、いかにも大衆食堂の中華料理、というあたり、最高にいい!と思いました。食べるのはもちろんフルコースとかじゃなくて、焼きそばと餃子、あるいは中華どんぶりあたり。そのあと、二人でプロレスを見に行く、というのが、とどめのように効いています。こんな楽しい話は大人の頭では絶対に思いつきません。

 早速このお話を少し膨らませて、テーマソングを作りました。

 

  ♪ 太陽サンサンサン 太陽サンサンサン

   こんな日には デートをしよう

   つめたい紅茶を 二人で飲んで

   たばこをいっぷく ぷーかぷか

   中華料理を むーしゃむしゃ

   プロレスの試合を見て、

   さぁ 二人でとっくみあいだぁ

   あ〜太陽サンサンサン あ〜太陽サンサンサン

   あ〜あ こんな日は たのしいな ♪

 

 大人が書き直すと、とたんにつまらなくなるいい例ですが、それでも作った本人たちが芝居をやると、元の言葉のエッセンスがよみがえって、すごく楽しかったのです。

 体育館のフロア全部を使って芝居が始まります。全校生、全職員がぐるっと輪になってフロアを囲みます。役者たちはその真ん中で芝居をします。

 太陽サンサン王国の朝。名前の通り太陽がいっぱいサンサンと輝きます。若い二人が歌詞の通りにデートをし、プロレスを見に行きます。試合を見ているうちについ興奮して二人ともリングに飛び込んでしまいます。二人でとっくみあいが始まります。女が男を投げ飛ばし、

「ああ、いい気持ち、こんなデートは最高!」

と、うっとりしたところでライトが消え、体育館は真っ暗。

 「やみやみ大王」たちの怪しい声

 「わしらが歩くと 世の中真っ暗闇だぁ うはっはっは」

 「昼がないから 学校へ行かなくていい! どうだ、いいだろう」

 「試験も何にもない! どうだ、いいだろう」

 「毎日毎日夜遊びばっかり。どうだ、いいだろう」

 「どうだ、わしらは神さまみたいだろ」

 「太陽なんてない方がいい。これからはこのやみやみ大王がこの国の王様だ!」

 とかなんとかいってるうちに、やみやみ大王が大事にしている花が枯れてしまいます。

  嘆き悲しむやみやみ大王のところへ花の医者がやってきます。

 「これは太陽に光が不足しているのが原因です。太陽の光をサンサンと当てればすぐに直ります」とアドバイス。

 「大事な花のためなら仕方がない。太陽が昇るのを許そう」とやみやみ大王。

 再びサンサンと輝きはじめた太陽の光の中、再び二人はデートに出かけるのでした。

 ここでブルーハーツの歌がガ〜ンとかかります。

 ♪ どこまで行くの 僕たち今夜

  このままずっと ここにいるのか

  はちきれそうな とびだしそうな

  生きているのが すばらしすぎる… ♪

 

 生徒たちが考える突拍子もないお話は、芝居をはち切れそうなくらい楽しくしたのでした。

 生きているのが すばらしすぎる…。それを生徒たちと共有したいと思いました。

 

 

「そういう立場に自分が立たされたらどう思うんだろう」 って想像すること

 先日、東洋英和の学生さんがぷかぷかのPR動画を作る話を書きました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 映画『Secret of Pukapuka』の中でダウン症の子どもを持つお母さんが子どもが生まれたときの絶望的な気持ちを語る場面があって、その気持ちを受けて、学生さんは

「自分も結婚して子どもが生まれ、ひょっとしたらその子が障がいを持っているかもしれない。そのとき自分はどんな風に思うんだろう」

と、想像を膨らませます。

 今までたくさんの女子大生がこの映画を見ているので、同じようの思った人はいるかもしれませんが、今回のように明確に口にした人は初めてです。

 「自分に障がいのある子が生まれたら、どんな風に思うんだろう」

 映画を見て、自分も将来、そういうところに立たされるかもしれない、そのとき、どう思うんだろう、って想像する。この「想像する」ということがすごく大事だと思います。そして学生さんは、想像することで生まれた問いに、PR動画を作る過程の中できちんと向き合おうとしています。ここから新しい物語が生まれるような気がしています。

 

 障がいのある人たちとなんの関わりもないところで、そういう問いを突きつけられたら、障がいのある人たちに対するマイナス評価の圧倒的に多い中で、やはり絶望的な気持ちになってしまう人が多いと思います。障がいのある子が生まれたら、人生真っ暗かも、と。

 障がいのある子どもが生まれるかどうかを調べる出生前診断を受け、生まれるかもしれないという結果が出た人の96%が生まないことを選ぶそうですが、社会が障がいのある人たちをどんな風に受け止めているかがよくわかります。

 学生さんの場合、救いは、ぷかぷかのPR動画を撮りに来ている、というところです。これからぷかぷかさんとのいい出会いがたくさんあります。その出会いが、学生さんが想像した不安に、

「大丈夫だよ」

って、あたたかなメッセージを送ってくれるかもしれないと思っています。

 

 アート屋わんどでぷかぷかさんの絵を使ったすてきなデザインのシャツを見つけました。

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 相模原障害者殺傷事件の犯人は

「障害者は不幸しか生まない」

といいました。障がいのある人とおつきあいがなければ、

「そうかも」

と思ってしまいます。

 でも今回取材に来た学生さんはぷかぷかさんの絵を使ったシャツを見て

「すてき!」

と絶賛していました。

「障害者は不幸しか生まない」

のではなく、

「まわりの人たちを幸せな気持ちにさせる」

って思ったのではないかと思います。

 

 クッキーの製造現場にも入り、おいしそうなクッキーの映像を撮りながら、ぷかぷかさんたちにいろいろ話を聞いていました。

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 ぷかぷかさんのインタビューもたくさんしていました。笑いが絶えないインタビューだったので、楽しくなるような映像がたくさん撮れたのではないかと思います。

 

 「自分に障がいのある子が生まれたら、どんな風に思うんだろう」

という不安を超えるものを、今回の取材で見つけられるかどうかは、なんともわかりません。でもぷかぷかさんたちと笑顔でおつきあいしている彼らを見ていると、きっと何かいい手がかりを見つけてるのではないかと思います。

 「障がいのある子どもを産むと人生真っ暗かもしれない」

という重い問題を、ぷかぷかさんとのおつきあいが、

「いや、そうでもないかも」

って思わせてくれるなら、そしてそういうメッセージがPR動画に込められたら、すばらしい動画になるような気がします。

 

 動画ができたら、『Secret of Pukapuka』と一緒に東洋英和で上映会しませんか?って提案したら、ぜひ!ということでした。女子大の学生さんと、

「自分に障がいのある子が生まれたら、どんな風に思うんだろう」

をテーマに映画をたたき台にいろんな話ができたら、と思っています。素直な不安がたくさん出てきて、それに今回ぷかぷかに取材に来た学生さんが答える、というやりとりができたらすごくおもしろくなると思います。映像の記録を撮りたいですね。

 

 

なーまーねーこ、なーまーねーこ…アキハバラ

 先日、今年度のワークショップの反省会と次年度の打ち合わせをやりました。

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 お客さんがたくさん入り、そのお客さんにすごく支えられて舞台が盛り上がった、と舞台監督の成沢さんは強調されていました。ぷかぷかの出番の頃は立ち見まで出たそうです。

 5年前はじめた頃は、客席の半分も入らなかったので、それを思うと、やはり表現の市場でやろうとしていること、ぷかぷかがやろうとしていることが少しずつお客さんに伝わって、それが今回の結果を生んだのではないかと思っています。こつこつやり続けること、情報を発信し続けることがやはり大事だと思います。それとなんといっても、いい舞台を作り続けることです。

 あらじん、はっぱオールスターズ、ぷかぷかさんたちのパワーは、いつもながら本当にすごいものがありました。彼らのパワーに「表現の市場」は支えられています。

 

 舞台の背景画、みんな絶賛していました。もうどこに出しても恥ずかしくないくらい。アート屋わんどが引き受けてやったのですが、第1期演劇ワークショップ『森は生きているーぷかぷか版」、第2期『みんなの生きる』。第3期『セロ弾きのゴーシューぷかぷか版』、第4期『注文の多い料理店ーぷかぷか版』、第5期『ほら熊学校を卒業した三人ーぷかぷか版』と続く中で、どんどん力をつけていったようです。小道具、衣装もすばらしかったですね。

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 タヌキの舞台でセノーさんが「アキハバラ」を連発していました。セノーさんの「アキハバラ」はタヌキの怪しい「なーまーねーこー、なーまーねーこー」のお経に重なって、妙に雰囲気にマッチしていて、みんな笑って楽しんでいました。でも、セノーさんが「アキハバラ」をいうときはパニックを起こしそう、というサインです。高崎はそのサインに舞台に出る前に気がついたのですが、止めきれなくて、そのまま舞台に出てしまいました。

 ちょっとまずいな、と思っているうちにお父さんがパニックの時に飲ませる薬を持って舞台袖までやって来ました。お父さんは観客席で、セノーさんのサインに気がついてすぐにやってきたようでした。

 私は声が出ない上に、ほら熊学校校長の衣装を着ていたので、近くにいた演出のせっちゃんに頼んで、セノーさんを呼び戻してくれるように頼みました。せっちゃんは黒子になってセノーさんの近くに行き、舞台袖にいる高崎にところまで行くようにいいました。割と素直にいうことを聞いて私のところまで戻ってきました。すぐにお父さんに引き渡し、薬を飲ませました。セノーさんのえらいところはパニックになりかけても、こういうときはちゃんと薬を飲んでくれることです。パニックは程なく収まり、再び舞台に戻ったのでした。

 舞台の上でパニックになっていたら、ちょっと大変だったと思います。せっちゃん、お父さん、本当にありがとうございました。

 こういう経験は、いろんな意味でぷかぷかを鍛えます。今回も慌てることなく冷静に対応できたことがすごくよかったと思います。 

 

 今年8月から始まる第6期のワークショップの内容をどうするかの話し合いをしました。オリジナルな話にするか、すでにあるお話を元にするか。第一期はオペラシアターこんにゃく座のオペラ『森は生きている』をベースにぷかぷか版を作りました。第2期は谷川俊太郎の詩「生きる」を元に、「みんなの生きる」の詩を作り、それを元にオリジナルなお話を作りました。第3期は宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』、第4期は宮澤賢治『注文の多い料理店』、そして第5期は『ほら熊学校を卒業した三人』を元にぷかぷか版を作りました。

 候補に挙がった作品は宮澤賢治作『ドングリと山猫』。これは萩京子さん作曲の歌(オペラシアターこんにゃく座のオペラに使われています)と林光さん作曲の歌(あみちゃんの一人弾き語りの作品に使われています)があります。

 冒頭にある山猫からの手紙は、ぷかぷかさんが書けば、もう立派な背景画になります。

 

   かねた一郎さま 九月十九日

   あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。

   あした、めんどなさいばんしますから、おいで

   んなさい。とびどぐもたないでくなさい。

                  山ねこ 拝 

 

 もう一つはこんにゃく座のCD『世界は劇場』に入っている山元清多さん作、萩京子作曲の『白いクレヨン』。クレヨンの箱から飛び出す白いクレヨンの小さな冒険物語。外へ飛び出そう!広い世界が君を待ってるよ、という山元清多さんの熱いメッセージです。山元清多さんはもう40年近く前、瀬谷でワークショップを始めた初期の頃、進行役できてくれました。

 『銀河鉄道の夜』も候補に挙がりましたが、今年度はデフパペットシアターひとみの人たちが、表現の市場の日程と新作の稽古が重なって全く参加できません。デフパペ抜きでこの大作をやるのはもったいないという意見が出て、これは来年検討しようということになりました。

 『鹿踊りの始まり』も候補にあがりました。「わたくしはこのはなしをすきとほつた秋(あき)の風(かぜ)から聞(き)いたのです。」といういい方が私は好きです。この言葉だけで、なんかわくわくします。

 そのほかも含め、5月までに検討することになりました。

 

 舞台を見て、ぜひ私もやりたい、という方がたくさんいます。親子で参加、一家で参加、という方もたくさんいて、これだけ多いと参加は抽選になるかもしれません。近くなったらまたお知らせします。

 

 

 

彼らといっしょの人生ってすごく楽しいのかも

  東洋英和の学生さんが二人、ぷかぷかのPR動画を撮りたいといってきました。東洋英和女学院大学国際社会学科EIWAプロジェクトの人たちで、3月半ばに十日市場で開催されるイベントに十日市場駅周辺と大学周辺の飲食店に焦点を当てたPR動画の公開と飲食店マップを配布するそうです。ターゲットは主として女子大生だそうで、テーマは「また行きたくなるような飲食店」です。

 東洋英和の学生さんにはもっともっと来てほしいと思っていたので、すごくうれしい企画です。ただ、おいしいパンやお弁当だけのPR動画を作ってもらっても、ぷかぷかのほんとうのPRにはならないと思ったので、『Secret of Pukapuka』の映画を見てもらいました。

 ぷかぷかでは障がいのある人たちが働いています。ただ働いているだけではありません。この「障がいのある人たちが働いている」ということ自体が、ぷかぷかの魅力になっているのです。

 障がいのある人たちは、一般的には「怖い」とか、「仕事が遅い」とか、「理解ができない」とか、マイナス評価の方が圧倒的に多いのですが、ぷかぷかにあっては、彼らは街を耕し、社会を豊かにするような「プラスの価値」を生み出す存在になっています。それをこの映画は語っています。ぷかぷかのほっこりあたたかな魅力は彼らが作り出しているのです。

 だから、おいしいパンやお弁当買うと、それと一緒にほっこりあたたかなお土産がもらえるよ、っていうPR動画を作ってほしいとお話ししました。そのお土産の部分を映像でどう表現するか、それが勝負所だと思う、といった話をしたら、自分たちもそういうものを作りたいと思っている、なんていってくれました。

 映画の中で、ダウン症の赤ちゃんが生まれ、絶望の中にいて、家から出られなかったお母さんの話が出てきます。でも、子どもがだんだんかわいくなり、近所の人たちが子どもをかわいがってくれる中で、少しずつ元気を取り戻し、障がいのある子どもは生まれていいんだ、って思うようになる、ちょっと感動的なシーンです。

 二人の学生さんはちょっとうるっときたようでした。映画が終わって、こんなことを言いました。

 「自分たちもいつか結婚して、子どもが生まれるかもしれない。その子はひょっとしたら障がいがあるかもしれない。そのときどうするか、みたいなこと考えました。そんな思いも映画に入れられたら、と思います」

 すごいな、と思いました。

 あのお母さんの場面。結局はダウン症の赤ちゃん自身がお母さんを絶望から救ったのだと思います。赤ちゃんは少しずつお母さんを癒やしていきます。お母さんと一緒に外へでかければ、近所の人たちも癒やします。近所の人たちは赤ちゃんをかわいがってくれます。たくさん声をかけてくれます。赤ちゃんの周りにはたくさんの笑顔が生まれます。そんな中で絶望の中にいたお母さんは少しずつ快復していきます。

 最初、お母さんの感じた絶望は、社会一般の障がいのある人たちへのイメージです。障がいのある子どもを産むと人生真っ暗、といったイメージ。障がいのある人とおつきあいがなければ、そういったマイナスがいっぱいのイメージを持ってしまいます。

 学生さんが、自分のこの先の人生を思い、障がいのある子どもが生まれたらどうしよう、ってちょっと考えてしまったのも無理ないと思います。

 でもね、取材を重ね、ぷかぷかさんたちとたくさん出会えば、そういった思いは少しずつ変わって来ると思います。絶望どころか、ひょっとしたら彼らといっしょの人生ってすごく楽しいのかも、って。そう思わせるものをぷかぷかさんたちはたくさん持っています。それはおつきあいすればすぐにわかります。

 そしてそんな思いが映像の中に少しでも入って、それを見た女子大生の人たちが「そうか、そういうことなのね」って思って、ぷかぷかさんたちに会いに来てくれたりしたら、PR動画は大成功だと思います。

 単なるぷかぷかの宣伝ではなく、もっと広い、そして人生の深いメッセージを届けることができます。

 

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いきなり直球の質問

 2月9日(土)、大雪の予報が出る中、福岡まで行ってきました。

 空港に着いても、雪は降ってなかったので、

「ラッキー!」

と思ったのですが、肝心な飛行機は「天候調査中」で、飛ぶのかどうかはっきりしません。そのうち「除雪のため大幅に遅れます」のアナウンス。慌ててその旨、福岡に電話。前日に、遅れた場合はこうやって下さい、とメールをしておいたのですが、なんとも落ち着きません。

 定刻の40分遅れで、搭乗手続きが始まりました。これならなんとか間に合う、と喜んだものの、機内に入ってから、

「翼の上に雪が着かないように薬をまきます。ほかの飛行機もみんなこの作業をするので、しばらくお待ち下さい」

のアナウンス。しばらくして

「右方向を見て下さい。今、翼の上に薬をまいています。これが終われば出発します」と機長ののんびりしたアナウンス。当たり前ですが、機長は全く焦ってないのですね。

 ようやく薬まきが終わって、滑走路まで移動したものの、今度は離陸の順番待ち。

 結局離陸したのは定刻より1時間半遅れ。なんとか上映会にはギリギリ間に合いそうで、ホッとしました。

 ま、でも、このハラハラする旅は、ほんとに楽しいですね。この緊張感がなんとも言えないです。

 

 福岡に着いてからは地下鉄で行く予定だったのですが、途中乗り換えがあったりしてややこしいので、タクシーで来るように主催者の大場さんからメール。昨年7月の虫の家での上映会のあと、電車を乗り間違えて予約していた飛行機に乗れなかったことをよく覚えていて、乗り換えがあったりすると迷子になると思ったようでした。

 早速タクシーを捕まえ、12時ちょうどくらいに会場着。パソコン、スピーカーをバックから出して大慌てで上映の準備。最初に詩の朗読をするので、前の方にあった椅子は全部かたづけてもらいました。

 映像、音の確認をしてから、近くのラーメン屋で大場さんと一緒に食事と打ち合わせ。

 

 福岡高教組障害児教育部会主催で予定では50人くらい集まりそう、とあったのですが、なかなか人が集まってきません。20人くらいでしたが、1時半開始。10人ずつぐらいのグループに分け、谷川俊太郎の詩『うんこ』を朗読しました。一人1行ずつ読んでいきます。

 もう一つのグループの人たちに向かって読みます。ほとんどの人は初めての体験だったので、すごく楽しかったのではないかと思います。「詩の朗読」というたったそれだけのことで、人は、ふっと解放されます。自由になります。人に向かって声を出す、言葉に丁寧にふれる、そのことが日常から人をふっと解き放つのだと思います。

 そうやって心と体を、ふだんより、ちょっとだけ自由にしたところで映画を見てもらいました。そんな風にして見た方が、ぷかぷかの自由な雰囲気がよく伝わると思ったからです。理屈っぽい話ではなく、ぷかぷかの自由な空気感をそのまま感じ取ってほしいと思いました。

 

 大場さんとトークセッション。

「養護学校時代、子どもたちとの関係で、何を一番大事にしましたか?」

といういきなり直球の質問。何を大事にしたか、なんてことまじめに考えたことがなかったのですが、強いていえば、何かを教えるというよりも、子どもたちと一緒に楽しい時間を過ごすことを大事にしましたね。こんな話をしました。以前ブログにも書いた話です。

 

 クラスのみんなで大きな犬を紙粘土で作ったときのことです。小学部の6年生です。何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、けんちゃんにちょっと質問してみました。

「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」

「あのね、あのね、あの……あのね…、え〜と、あのね…」

と、一生懸命考えていました。なかなか答えが出てきません。

「うん、さぁよく見て、これはなんだっけ」

と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれを見て更に一生懸命考え、

「そうだ、わかった!」

と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、

「おさかな!」

と、思いっきり大きな声で答えたのでした。

 一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、思わず

「カンカンカン、あたりぃ! 座布団5枚!」

って、大きな声で叫んだのでした。

 それを聞いて

「やった!」

と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こっちまで幸せになってしまうような笑顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対トク!、と理屈抜きに思いました。

 もちろんその時、

「けんちゃん。これはおさかなではありません。犬です。いいですか、犬ですよ。よく覚えておいてくださいね。い、ぬ、です。わかりましたか?」

と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。むしろこっちの方が一般的であり、正しいと思います。まじめな、指導に熱心な教員なら多分こうしたと思います。

 でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっているように思いました。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。

 

 あのときの私の反応は、頭でいろいろ考えての反応ではなく、反射的に

「カンカンカン、あたりぃ!」

なんていっていたのです。そのときに、大事にしたいものが決まった気がします。

 「子どもたちと一緒に楽しい時間を作っていこう」

って。何かを教えることも大事ですが、それ以上に、そのときそのときを子どもたちと一緒に楽しく生きよう、と思いました。

 文化祭の時、不自由な体育館の舞台はやめ、プレイルームで子どもたちだけでなく、お父さん、お母さん、スクールバスの運転手や添乗員さんたちも巻きこんで「芝居小屋」をやったのも、みんなで楽しくやろう、という思いがあったからです。

 三ツ境養護学校で1年かけて小学部から高等部まで全校生を巻きこんだ芝居作りをやったのも、とにかくみんなで楽しいことをやろうって思ったからです。全校生を何か指導しよう、なんて考えていたら、みんなついてきませんでした。

「あ、こいつについて行くと、なんかすごく楽しい」

って、みんな思ったから、ついてきてくれたのだと思います。1年間集中を途切らせずに全校生を引っ張っていくのはすごく大変でしたが、その大変さが僕にはすごく楽しかったのです。

 

 そんな楽しい話をいっぱいしました。学校は昔に比べ、自由な雰囲気がどんどんなくなっています。その雰囲気に負けることなく、子どもたちと楽しいことをやり続けて下さい、といった話です。気がつくと午後4時までほとんど一人でしゃべりまくっていました。

   

 参加した人たちからこんな感想が上がってきました。

・とてもあたたかい気持ちになる時間を過ごすことができました。

・現場の中でおもしろいこと、楽しいことを発想できる人間になりたいと思います。楽しいお話をありがとうございました。

・アイデアをたくさん思いつくような豊かな人生を送ることが大切だと思いました。

・ぷかぷかさんと一緒に生き、そこからいろんなものを生み出すことは、豊かな社会を作っていくことにつながる、という話が印象的でした。

・今日の話を聞いて、今まで損をしていたなと思いました。これからはもっともっと学校で楽しみたいと思いました。いろんなヒントをもらえたと思います。ありがとうございました

・詩を朗読するワークショップ、楽しかったです。

・話を聞いて楽しくなりました。心が耕されたのでしょうか。

・私もフラットな関係を築きたいです。楽しいことを考えたいです。

・子どもたちが毎日笑顔で過ごせるような関わりを持ちたいと思います。

・筑後にもぷかぷかさんのようなあたたかい事業所があればいいなと思いました。

・全部お話を聞いて、映画も見て、だんだんぷかぷかさんのことがわかってきました。

 ・障害者は単純作業が向いている、というのは違うと思っていましたが、今日お話を聞いて、やはりそうだと思い、気持ちが晴れました。

・若手の教員とも組んで、できるだけ楽しんで日々過ごしていますが、周りからの視線が厳しく(「楽してる」「ちゃんとやっていない」など)、その若手教員に、本来そんなもんじゃない、みたいな忠告がいっぱい入って来てて、彼女が困っていました。「仕事を楽しくやることは大事だよ」と私も言っていたのですが、今日の話を聞いて、あらためて確信を持って、伝えられると思いました。もっともっといろんなおもしろいことを一緒にやりたいなと思います。

 

 最後の感想は、今の学校の様子が目に浮かびます。私がいろいろやっていた頃もそんな人はいっぱいいました。自分がやりたいことをやりきれていないことの裏返しですね。それが若い人への攻撃になってしまうのは、なんとも情けないのですが、まぁ、どこでもあることです。そういったことにめげることなく、とにかく楽しいことを子どもたちと一緒にやり続けることだと思います。子どもたちが一緒に楽しんでいる、という事実をとにかく積み上げること、それは大きな力になります。元々つまらない攻撃には中身がありません。相手にする価値もありません。こんな教員の言いなりになっていると、子どもたちにとっては全然おもしろくない、つまらない学校になります。ですからもうそんなのはほっておいて、黙々と楽しいことをやり続けるのです。

 

 大場さんとトークセッションするはずだったのですが、ついつい話に力が入り、ほとんど一人でしゃべってしまいました。みんなすごく集中して聞いてくれました。ありがとうございました。

 

 帰りの飛行機は、雪で欠航になった飛行機の影響で、飛行機のやりくりが夜になっても大混乱状態で、搭乗口も3回変更になり、出発は80分遅れ。最後はバスで飛行機まで運ばれてやっと搭乗するような状態。家に帰ったのは12時でした。ま、でも、最後までハラハラする楽しい旅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、息子を見ている感じになってきて、愛おしくて思いっきりもらい泣きしてしまいました。

 ぷかぷかのファンの方が、何度ぷかぷかに通っても、ついつい教育者目線になっていたり、どうしても「してあげる」というスタイルが抜けない自分がいて、なんだかよくわからなくなって、思い切って演劇ワークショップに参加。ぷかぷかさんとの関係が一挙に変わったお話です。

●●

 算数・数学が苦手な子供たちの学習支援ボランティアをしていく中で、生きづらさを感じている子どもたちと接する機会が多くあります。この生きづらさは何だろう。社会が大人がギスギスイライラしているから?常に評価の中にさらされて、「できない」を「できる」にすることを良しとする学校?みんなある程度同じ枠の中にいないとおかしい?この子達は見えない圧力を感じているんだろうなあと思いました。この子たちが生き生きと過ごせる社会はどんな社会?全ての人たちに優しい社会はどんな社会?私には何ができる?などなどいろいろ考えながら、大したことはできないけど「こんな社会に負けるな!おばちゃんと一緒に頑張ろう!」「社会を変えることはできないけど、とりあえず一緒に乗り越えよう!」との思いで今まで子供たちと過ごしてきました。申し訳ないことにこの全ての人たち、子供たちの中に、障害をもった人たちが無意識に入っていませんでした。障害をもった人たちは支援される人たちで分けるとか分けないとか考える前に、私の中では最初から違うところにいたんだと思います。

 

 3年前、息子が働いている放課後等デイサービスでボランティアをして初めて障害をもった子供たちと接しました。その時、「この子達には社会を変える力がある!」「社会の宝だ!」と何だかよくわからないけど感じるものがありました。それからぷかぷかさんのFBを見るようになって、高崎さんのブログを読んでいくうちに、社会に必要なのはこれだあ!って思いました。でも実際にぷかぷかさんたちと、高崎さんのいう「お付き合い」をしたわけではなく、所詮、人が感じたことを見て読んでいるだけで頭で考えていることにすぎないわけで、果たして私はぷかぷかさんたちと「お付き合い」ができるのか、みんなが耕された癒される豊かになったって言ってるけど、自分は感じることができるのか、本当に「トク」と思えるのか確かめたいと思いました。ぷかぷかさんに会いに行ったり、ご飯を食べに行ったり、パン教室に参加したりしました。

 通ってわかったこと。ついつい教育者目線になっている自分がいて、上から目線のつもりはないのだけれど、どうしても「してあげる」というスタイルが抜けない自分がいました。「お付き合い」に方法も正解もないのでしょうが、なんだかわからなくなってきたので、おもいきって演劇ワークショップに参加することにしました。大正解です。色々な表情のぷかぷかさんたちと時と場所を過ごしていたら、いつの間にか一緒にいると楽しくて、ぷかぷかさんたちがお友達になっていました。これがフラットな関係なのかな?って思いました。

 ワークショップに参加している間、高崎さんから何度も感想を求められても書けなくて…なんで感想が書けなかったか。私の心が想像以上に固くワークショップ前半は教育者目線が抜けなくて、さらに自分の考えていることがあたかも障害をもった方を社会や健常者のために利用しているかのように思えてきて…なかなかしっくりこなかったから…ワークショップが終わってやっと書けそうです。

前置きが長くなりました、以下感想です。

 

 練習は終始、ゆる~く始まりゆる~く進みます。せのーさんは練習中すぐにいなくなっちゃいます。だから、いつも「せのーさんは?せのーさんは?」って気にかけながらやります。それが狸さんチームの中で、狸さんチームのみんないる?になって…みんないるね?になって。誰も「またせのーさんがいないよう!」なんて言わない。あったかいんです。

 しょうくんは、いたずらんぼさんで、人一倍恥ずかしがり屋で私の上に乗っかったり甘えてきたり、やんちゃばかりしていました。

 でもリハーサルぐらいからスイッチが入って立派なオオカミを演じて、最前列で最高の笑顔で歌って、最後の感想を言った時はしゃくりあげるほど泣きながら頑張った想いを話してくれました。なんか、息子を見ている感じになってきて愛おしくて思いっきりもらい泣きしてしまいました。

 ももちゃんは男の子たちのお世話役。お姉さんというよりもお母さん。いつも、「あ~あほんとにもう」と笑いながら手のかかる?男子のお世話を一緒にしました。

 恥ずかしがり屋のみっちゃんは、初めはお顔も見れなくてお話もできなかったのが、最後のほうではニコッと笑ってくれるようになりました。

 ゆみっちは、おはよーってハイタッチ&ハグ。最上級のウェルカムがもの凄い嬉しかったです。

 コンビニの店員を一緒にやったちかちゃん。こうしようああしようと一緒に考えて練習して、いつも一生懸命がとても心地よかったです。

 狸さんチームの名役者ヨッシー。彼のまっすぐな表現力には本当に助けられ、私たちのモチベーションをあげてくれて、狸さんチームを盛り上げてくれました。

 くもさん、ナメクジさん、ミツバチさんチームのぷかぷかさんたちとも一人一人ほんとにいろいろなことがありました。で、思ったんです。なんだ一緒じゃん。障害があるとかないとか関係ないじゃん。確かに出来ない事や助けてもらう事は多いかもしれないけど私だって出来ない事いっぱいあるし、ぷかぷかさんたちにいっぱい助けてもらったり、大切な事をたくさん教えてもらった。なんでこんな当たり前の事がわからなかったんだろうって。当たり前なのに!

 舞台が終わって解散した時、せのーさんが「ありがとう。」って。今までこちらから話しかけて少し会話はあっても、せのーさんの方から話しかけてきたことは一度もなく、嬉しくって涙が出ました。

 ぷかぷかさんたちが作った迫力満点の背景画、魂のかたまりのような文字、小道具も一つ一つとてもセンスが良くてほんとにすごくて、舞台の上でみんなと一つになって、私もいっぱい笑って大きな声で思いっきり歌って、自分が自分にびっくりでした。みんなそれぞれのありのままを表現していて、人としてとても大切なことを教えてもらえたと感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして、ぷかぷかさんたちの周りにいるこのワークショップに関わった全ての方たちも本当に暖かくて、ぷかぷかさんたちも最高なんだけど、ここに集まってきた方たちも最高で一緒に過ごせて本当に幸せな時間でした。この出会いはぷかぷかさんたちのおかげです

 最後に輪になった時、演劇指導をして下さったせつさんが、この演劇は誰も損なわない、お話に演出に自分を合わせていくのではなく、ありのままを表現して作っていく演劇だとおっしゃっていました。ありのままの自分でいること、いられること。今の社会では難しくなっていると思います。

 表現の市場が終わってとっても寂しかったけど、またここからぷかぷかさんたちとの「お付き合い」の始まりなんだと思ったらすごく楽しくなってきました。

 今でも、頭の中で「広場のうた」や「うんこのうた」がずーっとグルグル廻っています。

 今回演劇ワークショップに参加して、今関わっている子供たちの可能性をさらに信じ、寄り添える自分に少しはなれたかなと思います。これもぷかぷかさんたちのおかげです。

 本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

                             (ともちゃん)

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●●

《なんだ一緒じゃん。障害があるとかないとか関係ないじゃん。確かに出来ない事や助けてもらう事は多いかもしれないけど私だって出来ない事いっぱいあるし、ぷかぷかさんたちにいっぱい助けてもらったり、大切な事をたくさん教えてもらった。なんでこんな当たり前の事がわからなかったんだろうって。当たり前なのに!》

 演劇ワークショップはみんなで芝居を作る場です。でもそこでは演出家が決めたとおりに芝居を作っていくのではなく、みんなで「あーだ」「こーだ」いいながら作っていきます。地域の人たちが引っ張っていくのではなく、ぷかぷかさんと地域の人たちがどこまでもフラットに、一緒に作っていきます。だからこういう気づきが出てきます。

 演劇ワークショップは、ただ単に芝居を作るだけではなく、そういう新しいことに気づく場、関係なんだろうとあらためて思います。

 

 1980年代の初め、フィリピンから入ってきた演劇ワークショップに参加しました。それはもう目が覚めるような体験でした。一番感じたことは、演劇ワークショップの場で、人は限りなく自由になれる、ということです。

「これ、養護学校の生徒たちとやったら、今までにない新しい関係が生まれるんじゃないか、そこから新しいものが生まれるんじゃないか」

と、自由な空間が生み出す新しいものへの強烈な予感がありました。

 で、横浜から東京練馬区の田舎にあった黒テントの事務所に何度も足を運び、養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒にやるワークショップの進行役をお願いに行きました。そのときの相手が、今、表現の市場で舞台監督をやってくれている成沢さんです。

 

 あのときの予感が、今、こうやって花開いている気がするのです。

 舞台が終わって、セノーさんに「ありがとう」っていわれ、その一言に

《 嬉しくって涙が出ました 》

っていう関係。

 みんながね、輝いていたなって思うのです。

 

 

ぷかぷかさんと一緒に立った舞台、やり切った感、ハンパなかった。涙がこぼれ落ちてしまいました。

 栃木から毎回新幹線を使ってワークショップに参加した親子のすばらしい感想です。これほどまでの言葉を引き出すぷかぷかさんの存在の大きさをあらためて思います。

●●

1・また来ます!

あふれ出る涙がとまりませんでした。本番終わってみんなで輪になったとき、“泣かんよ。笑顔で終わるとよ”って決めていたのに。今日で終わりか、また会いたいな。そう強く思いました。      始発のバスに乗って新幹線へと乗り継ぎ、約3時間の道のり。月一回とはいえ、最後までやりきれるかいな… どうしようかと迷いました。その一方で、やまゆり園事件の被告と底流で繋がっていると言う息子… なら、一度一緒に体感してみればいい。高崎さんの言う「障害のある人と一緒に生きると豊かになる」って何が豊かになるのか、何がトクなのかを。半年間一緒に過ごしたら何か感じることがあるかもしれんよ。親子であーだこーだの意見交換… えーいっ!やらない後悔よりする後悔!そんな思いで息子と参加した演劇ワークショップでした。

 

2・おぉ、楽しい!

やっていくうちに腹の底から楽しくなってくるのです。初めの頃は照れやちょっと取り繕いながら、自分を隠したりカッコつけたりしていたけど、だんだんと弱いところもさらけ出しながら、自分が表現豊かになっていくように感じてくる。回を重ねるたびに新しい発見がありました。

Aと質問したら、Bと返ってくるだろうという今までの人生観では全く歯が立たず、私の予想をはるかに超えてくる。そうくるか、そういうのもありやんね、そりゃそうだ、ごもっとも。みたいな、そんな感動体験が私をいつまでも惹きつけてはなしません。それにみんなすごく素直で思ったことをストレートに表現するから、リアルで人間味があってとても魅力的に思えて、私はぷかぷかさんの大ファンになっていました。私にとってそこは自然と笑顔になれる場所で、優しい空間でした。そんな彼女、彼たちと一緒に立った舞台。やり切った感、ハンパなかった。ぷかぷかさんたち一人ひとりとふれあった思い出が頭の中で駆け巡り、みんなで頑張った喜びと終わってしまった寂しさとが複雑にからみあって、涙がこぼれ落ちてしまいました。本番直前、廊下の片隅でセノーさんと手を繋ぎ練習したときのあのいい表情も脳裏に焼き付いて離れません。

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3・息子がやるべきこと

発表会前日。6回目のワークショップを私は法事で欠席したため、休んだ分大丈夫かなと不安でたまりませんでした。それに輪をかけて不安なことが私にのしかかってきました。今までなんだかんだと言いながらも一緒に参加してきた大我が「ワークショップには行かない。部活に行く」と言い出しました。聞けば、大我の所属している社会福祉部でのボランティア活動とワークショップが重なっていたらしく、はじめの頃は理解してくれていた先輩も、毎回毎回休むので、「学校の部活が優先だろ」と先輩からつっこまれ、副部長だったのを下ろされたと言います。

そんなこととは知らない私は、どうしたものかと気をもみました。でも、板挟みになりながらも、誰にも言わずぷかぷかさんを一番に考えてやってきたのだからやっぱり、最後まで参加してほしいと願いました。大我もいろんな葛藤や思いがあったと思います。でも、舞台に出ると決め、一緒に舞台に立ってくれたことは、嬉しかったことの一つでした。

 

4・人と人をつなぐもの“表現の市場”

ワークショップに参加してこの半年、たくさんのことを感じ、たくさんのことを学ばせていただきました。お芝居を一緒につくり、舞台に立つという同じ目標に向かって協力しながら、終わったときはハイタッチして喜びを共有した。同じ目標に向かって取り組むこと、気持ちを分け合うことができるこのような場が私も日常的になればいいのになと思いました。

このような取り組みはいつしかできてしまった健常者と障がい者のカテゴリーを「人間はどんな境遇にあろうともどんな障害をもっていようとなかろうと人は人」という思いで結びつける。今まで障がいのある方と接するとき支えてあげなきゃと、上から目線でのボランティア活動しかやってこなかった自分を振り返り、見つめ直すいい機会をいただけたと思っています。新幹線は利用しましたが、それ以上にお金では得ることのできないすっばらしい経験をさせてもらいました。親子で最後まで参加できて本当に良かった。

今、思えば大我の宿題がきっかけでぷかぷかパン屋さんの新聞記事を読み、テレビの番組で高崎さんを見て、ブログでワークショップを一緒にやる方募集中と知って、ぷかぷか映画の試写会へとつながったのは偶然ではなく私たち親子にとって必然だったのだと、そう思わずにはいられません。大我は何がトクなのかわからんかったと言うのですが、ワークショップに参加して悩んだり後悔したり考えて自分と向き合ったこと自体が、何も考えずに過ごす人生と比べてもうすでにたくさんトクしてるって大我に伝えました。

私が最後に泣き崩れてしまったとき、ボルトくんが背中を支えに来てくれました。彼はずっと大丈夫?と声をかけてくれていました。私が落ち着くのを待って手をはなそうとする時も「もう手をはなしても大丈夫かな?」「放すよ、いいかな?」って言って自分の席にもどられました。今まで生きてきてこんなに優しい言葉をかけてもらったことがあったかいなと、やさしさが心に響いて本当に癒されました。彼のやさしさに心から“ありがとう”と言いたいです。誰かと心で繋がれることって何よりも力になる。私も人の喜びや悲しみにそっと寄り添えることができる人間になりたいと思います。

 暖かくなったら、今度は働くぷかぷかさんの姿を見に行くつもりです。今からワクワク楽しみにしています。

高崎さん、こんな親子を受け入れてくださってありがとうございました。

                              (きょんたん)

                                    

 

 《 なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。》(きょんたんの息子)

中学二年生の夏休み。「相模原殺傷事件」が起きた。「障害者は生きる価値がない」と。あまりの衝撃に朝起きて顔も洗わず、テレビのニュースにしがみついていたのをよく覚えている。

僕は被告のような思想は誰の心にもあるのではないかって、それがずっと心の奥で引っかかってきた。例えば街で障害者の方が突然大きな声を出す様子に嫌悪感を抱き、関わりたくないと思ってきた自分。中学生になり、知的障害者施設にボランティアに行こう!と誘われたときに、障害者の方は怖いという勝手な思い込みで、「行きたくない。それだけは勘弁して」と言い張った自分。それは僕も無意識に差別する側に立ち回っていて、被告の発想と心の奥底で繋がっているのではないかと。僕の心は弱くて醜い。“やっぱ俺は、クズだな・・・”と思ってずっと過ごしてきた。

一年後の夏休み、“新聞を読んで感想を書こう”という宿題のため新聞の記事を探していたら、〝障害者と一緒 豊かな生″という見出しに目が留まった。ぷかぷかパン屋さんの記事だった。僕はなぜかその記事を捨てずに取っていた。高校生になったある日、たまたま付けたテレビ番組にぷかぷかさんや高崎さんがでていてあの新聞記事とリンクしたことに少し驚いた。母からワークショップに誘われたときは、どうしようか悩んだが、高崎さんのいう豊かになるってなんだろう、それが知りたくて確かめたいと思った。

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(2017年7月25日朝日新聞)

 

ぷかぷかさんと接してきておもしろかったり、ときにはむっとしてしまったり、いろいろあったけれど、何よりも僕は人前で表現するとかが嫌で嫌で、そこから逃げていた自分だったように思う。リハーサルの日もそう。僕にも役があり、しかもオオカミのかぶりものまであるとわかったとき、やっぱり今日は部活にいっておけばよかったなと後悔した。舞台に立つなんてなれないことに身体はどっと疲れた。しかし、ぷかぷかさんたちはニコニコ元気、とてもいい笑顔だった。疲れた顔をしているのは僕だけで「なんでこの人たち笑っていられるんだろう」と不思議だった。その姿を見ていて、ぷかぷかさんたちはやらされてるとかでなくて、自由にありのままの姿で表現することを楽しんでいる。特に一緒にオオカミ役をやったしょうくん(こうきくん)が♪なんでもいいから一番になーれ♪と歌っている姿がきらきらと輝いてとっても印象的だった。僕にはやらされているという気持ちがずっとどこかにあった。ぷかぷかさんと僕の違いはそういう心の違いだと思った。

本番当日。舞台も終わり、最後に円陣を組んでみんなの意見を聞いていたとき、しょうくんが泣きながら、この演劇に対しての思いを話しているのを聞いて、心にぐっと突き刺さるものがあった。僕の前で悪ふざけしたり、おどけてみせるしょうくんしかみえていなかったので、あんなしっかりした思いで頑張ってきたんだと、それに比べ僕はなんなんだ。本番はでたくないと、なんか駄々をこねている小学生のようだったと恥ずかしくて穴があったらはいりたくなった。そして、元気の出ない僕に「着替えよう」とか「頑張ろう」と声をかけ続けてくれたしょうくんや、相手を思いやり大切にするぷかぷかさんたちの姿をみて、生きる価値がないなんてとんでもないぞ。なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。

一緒に参加した母はこの半年、本当に楽しそうだった。最後に母が泣いているのを見たとき、この人はぷかぷかさんたちと心と心で向き合って同じ気持ちを感じてきたんだなと思った。

来年は部活を頑張ろうと思う。でも、いつか大学生とか社会人になって、また改めて参加してみたい。そのときは母に負けないように心の底から楽しみたいと思う。高崎さんのいう何が豊かになるのか今の僕にはまだわからないけれど、恥ずかしくてたまらんかった舞台に、ぷかぷかさんたちと一緒に立ててよかったと今、思っている。ありがとうございました。

 

しょうくんへ

僕なんかと一緒にオオカミ、やりにくかったよね。ごめんなさい。そしてありがとう。

いつかまたしょうくんと一緒に豚でも馬でもなんでも、タッグを組んでやりたいです。                                

                                (タイガ)

                                        

 

 

 

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