ぷかぷか日記

こんな笑顔でいられる場所として記憶

 ぷかぷかに遊びに来た子どもたちです。

 

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 なんだか見てるだけで幸せな気持ちになります。

 ぷかぷかは子どもたちがこんな笑顔でいられる場所です。

 多分、子どもたちの中のぷかぷかは、こんな笑顔でいられる場所として記憶されます。

 子どもたちが大きくなっていくとき、いろんな機会に障がいのある子どもたち、人たちに出会います。そんなとき、ぷかぷかの記憶は、障がいのある人たちに対して上から目線ではない、フラットな関係を作ってくれます。

 将来、社会を担うようになったときも、こんな笑顔でいられた場所の記憶は、障がいのある人たちを社会から排除するのではなく、いっしょに生きていった方がいいよ、っていう方向に社会を引っ張っていきます。

 いい体験をした記憶は、いい社会を作っていきます。子どもたちの笑顔は、ですから、希望を作ってくれます。ぷかぷかさんたちは、未来をも耕しているのです。

 

 

プチギフトも豆本も「あーだこーだ」はいわないけれど…

 昨日のブログで結婚式で使うプチギフトと豆本の紹介をしました。

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 このプチギフトと豆本、結婚式の会場で、きっと話題になります。話題になる、というのは、ぷかぷかさんの作ったものを通して、障がいのある人たちに出会う、ということです。

 「えーっ!これ障がいのある人たちが作ったの? 素敵!!!」って。

 この思ってもみない出会いは、新しい物語を生みます。プチギフトと豆本の生む物語です。

 誰かが、私の結婚式でもこれ使ってみようかなって思って、問い合わせをします。いろいろ話を聞いているうちにぷかぷかに行ってみようかな、って思ってぷかぷかに遊びに来ます。ひょっとしたらぷかぷかさんたちとたくさんのいい出会いをします。ファンになって、たびたび出入りするようになるかもしれません。

 ぷかぷかさんと出会うことで、今までと少し違う人生が始まります。

 

 その人の家のすぐそばに、障がいのある人たちのグループホームが建つ計画が降ってわくかもしれません。場合によっては、

「え〜!、そんなのいやだ!障害者に来てほしくない!」

っていう人たちが現れます。

 そんな中で、ぷかぷかさんに出会った人は、

「いや、そんなことないよ、彼らが来れば街が楽しくなるよ」

って、多分いってくれます。

 「反対!」「賛成!」

といい合っているうちに、障がいのある人たちが社会の中でどんな位置に置かれているかがだんだん見えてきます。

「彼らを排除したらまずいよ」

って、ぷかぷかさんたちの笑顔を思い出しながら思います。

 

 結婚式まで全く障がいのある人たちと関わりがなかった人が、プチギフトと豆本のおかげでぷかぷかさんたちに出会い、自分の住む街で起こったグループホーム建設問題の中で

「障がいのある人たちを街から排除するのはまずいよ」

みたいなことを考えたとしたら、素晴らしいことだと思います。そういう気づきが人間を豊かにします。

 

 ここでは相模原障害者殺傷事件を超える価値観が自然に生まれています。あーだこーだの議論の果てではなく、プチギフトと豆本との出会いから生まれた、というところがすごくいいと思います。

 

 プチギフトも豆本も「あーだこーだ」はいいません。何もいわなくても、人をここまで引っ張ってくる可能性があるのです。それはやっぱりぷかぷかさんたちみんなのチカラです。

 

 これはみんな私の想像した物語です。社会に出て行くと、思ってもみない物語が始まります。ここがおもしろいと思うのです。そしてこういう物語が社会を少しずつ変えていきます。お互いが生きやすい社会に。

 社会に出て行くために、そこで勝負するために、ぷかぷかの現場の人たちは日々腕を磨きます。今回の注文はその腕を磨くいい機会でした。注文してくれたデフパペットシアターひとみの大里さんに感謝!です。

 どんな反応が出るか、どんな新しい物語が生まれるか、とても楽しみにしています。

結婚式のプチギフトと豆本

 デフパペットシアターひとみの大里さんが結婚式でお客さんにお渡しするプチギフトをぷかぷかに発注しました。オリジナルクッキーといっしょに、お二人の出会いを物語る豆本を作りました。

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中を開くと

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そして作家さんたちが思いを込めてお二人の絵を描きました。

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 ぷかぷかさんたちのおかげで、こんなに楽しい豆本ができました。結婚式の会場にほっこりあたたかな空気が漂います。作家さんたちの原画も会場入り口に飾るそうです。

 ぷかぷかではこういう仕事もこれからどんどん引き受けていきたいと考えています。プチギフトと豆本、お考えの方、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。
 クッキー:045-923-0277 おかし工房にじいろ 柿沢

 豆本:045-923-0282 アート屋わんど 魚住
 

 

 

 

 

 

本の校正原稿が上がってきました。

  ぷかぷかの本の校正原稿が上がってきました。

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 自分で書いた原稿ですが、すごく楽しかったです。あらためてぷかぷかっていろんなもの作り出してきたんだなぁ、と思いました。ぷかぷかがどんな風にして障がいのある人たちの「社会モデル」を作ってきたかがよくわかります。

 

 目次はこんな感じです。そうそう、本のタイトルは『ぷかぷかな物語』です」

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 前書きだけちょっと紹介します。

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はじめに

 

 横浜市緑区霧ヶ丘に「ぷかぷか」というおもしろいお店があります。

 パン屋、お惣菜屋、アートスタジオ、ごはん処があって、障がいのある人たちが働いています。

 と書くと

「ああ、福祉事業所か」

とたいていの人は思います。

 でも「ぷかぷか」はちがいます。よくある「福祉事業所」とはほど遠い雰囲気です。何がちがうのか。

 やたら明るくて、やたら楽しそう。なによりも元気!しかもみんな笑顔で働いています。更にぷかぷかさん(「ぷかぷか」で働く障がいのある人のこと)にはたくさんのファンがいます。世間では「なんとなくいやだ」とか「近寄りたくない」と思われている障がいのある人たちに、たくさんのファンがついているのです。

 どうしてこんなことになったのか。

 

 ぷかぷかさん達は社会にあわせるのではなく、ありのままの自分で働いています。社会にあわせることがないので、自分を押し殺す必要がありません。私らしく働くことを何よりも大切にしているのです。

 いい一日を過ごす、いい一日を作る。それがみんなの目標です。

 だからみんな明るいし、楽しそうだし、元気なのです。

 

 笑顔で働くのは、仕事が面白いからです。仕事が本物だからです。ほかのお店に負けないくらいおいしいものを作っているからです。

 

 たくさんのファンができたのは、ぷかぷかさん達がありのままの自分で働いているからです。そのままの彼らはとても自由です。その自由さこそが彼らの魅力であり、それに、たくさんの人たちが気がついたのです。

 

 ファンを作ることは、障がいのある人たちと健常者といわれる人たちを分けている垣根を外すことです。それは地域を耕すことです。

 ぷかぷかさん、つまりは障がいのある人のファンになることは、心が豊かになることです。ファンが増えることは、地域が豊かになることです。

 

 あれができない、これができない、社会のお荷物、などと言われている障がいのある人たちですが、ぷかぷかさんたちは地域を耕し、地域を豊かにする、というすばらしい仕事をやっているのです。

 

 「ぷかぷか」は代表の高崎が養護学校教員時代、障がいのある子ども達に惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたいと思って始めた事業所です。ですから「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「その方がトク!」と日々発信し続けています。

 

 この「トク!」という感覚が大事です。「共生社会」を作ろうとか、共に生きよう、といった感覚ではありません。どこまでも一緒に生きていった方が「トク!」という泥臭い感覚です。

 

 「ぷかぷか」はぷかぷかさんたちと一緒に生きる場です。支援とかはしません。支援されているのはむしろ私たちの方です。

 ぷかぷかさん達がいるからこそ、こんなにも活気ある楽しいお店ができ、たくさんのファンができました。地域の人たちにとっても大事なお店、場所になっています。

 ぷかぷかさん達がいるからこそ、楽しいパン教室ができたり、演劇ワークショップではすばらしい舞台ができたりします。新しい文化といっていいほどのものを創り出しています。

 ぷかぷかさん達がいるからこそ、2017年秋にはカナダのバンクーバーまで行って、世界自閉症フェスティバルに参加する、というとんでもないこともできちゃいました。そして、ぷかぷかのメッセージを世界中に発信したのです。

 ぷかぷかさん達がいなかったら、ただのパン屋であり、ただのお惣菜屋です。こんなに面白いことはできませんでした。

 ぷかぷかさん達がいるからこそ、みんなを元気にするような、たくさんの素敵な物語が生まれたのです。題して『ぷかぷかな物語』。ぷかぷかの、ではなく、ぷかぷかな、というところがミソです。どうしてミソなのか。そのヒミツがこの本には隠されています。さぁ、わくわくしながら探しましょう!

 ●●

 

 どんな本か少しだけイメージが伝わったかと思います。これからタイトルをぷかぷかさんに手描きで書いてもらったり、足りない写真をあらためて撮ったり、の作業があるのですが、編集者の話では4月半ば頃できあがるそうです。楽しみにしていて下さい。

 編集者の方は福祉の世界を知り尽くしたような方ですが、ぷかぷかが作り出したようなものは、今までどこにもなかったんじゃないか、とおっしゃっていました。

 今までの福祉の範疇では収まらないというか…、ま、だからこそ、おもしろいと思いますよ。

 出版社は『現代書館』です。

 

 

ワークショップは新しい時代を切り開いている

  演劇ワークショップの報告書をヨコハマアートサイトに提出しました。

 報告書の項目の中に「事業継続に当たっての課題」というのがあります。ここはやはりタカサキがだんだん年取ってきたので、演劇ワークショップの事業を引き継いでくれる人を早急に探す必要がある,ということが大きな課題です。

 ぷかぷかは多分私がいなくても回っていきます。でも、演劇ワークショップについては、なかなか厳しいな、というのが正直なところです。

 ワークショップの進行は演劇デザインギルドにやってもらっているのですが、それでも丸投げ、というわけにはいきません。どういう思いでやっているのかをいつも伝える必要があるし、ワークショップをやっている最中も、

 「これじゃ、ぷかぷかさんに伝わりにくい」

 「言葉がむつかしいんじゃないか」

 「もっとこうやった方がいいんじゃないか」

と、いろいろ文句を言います。進行役とフェアに渡り合う必要があります。ある程度経験がないと自信を持っていえないし、ここがむつかしいところです。

 全部お任せにしても、それなりの芝居はできると思います。でもなんかつまらないというか、いろいろケンカしながら、いっしょに作っていく、というところがないとおもしろくない気がするのです。

 

 今回記録も含めて19本のブログを書きました。単なる記録ではなく、それなりに社会的な意味も書き込みました。特に相模原障害者殺傷事件以降は、この社会的な意味がとても大きくなった気がしています。

 あーだこーだ抽象的な議論ではなく、彼らといっしょに生きていくと何が生まれるかが、ワークショップは明確に見えます。そこをきっちりと見せていく,語っていくことがすごく大事だと思います。

 そういう語り手を探しているのです。

 

 相模原障害者殺傷事件以降、はやりのように「共生社会」という言葉が語られます。でもその「共生社会」が何を生み出すのか、というところはとても曖昧です。演劇ワークショップは、そこのところを明確に答えてくれます。

 今回舞台の背景画は、ご覧になりましたか?

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 この背景画は、ぷかぷかさんとスタッフの共同作業が作り出したものです。「いっしょに生きていく」というフラットな関係が作り出した作品です。

 「共生社会」はこういうものを生み出すのです。写真を見ればわかるように、これは「新しい文化」といっていいほどのものです。彼らといっしょに生きていくことで生まれる「新しい文化」です。

 演劇ワークショップは、なんだかおもしろいことをやりながら、こんなふうに「共生社会」という新しい時代を切り開いているのだと思います。

 

 と、こういうことをしっかり書き込んでいかないと、ワークショップは単なるレクリエーションになってしまうのです。

 
 

 

 

 

こんな大人たちもいるんだよ、というメッセージ

 7月15日(月・祝)みどりアートパークホールでオペラ「ロはロボットのロ」をやります。

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 パン作りが好きなロボットが主人公の子ども向けの楽しいオペラです。ぷかぷかをはじめる前、もうけが出たら地域の子どもたちにこのオペラをプレゼントしよう、なんてとんでもないことを思いついたのが、そもそもの始まりです。

 お菓子やおもちゃをプレゼントする、のは誰しも思いつくことです。オペラをプレゼントするなんてのは、多分あまり思いつきません。でも、ぷかぷかをはじめる前、タカサキは突然思いついてしまったのです。1ステージ80万円もします。

 80万円もするステージなんて、ふつうは絶対に手を出しません。でも、子どもたちに夢のような時間をプレゼントしようって1万円出す人が80人集まれば、こんなのすぐできるじゃん、なんて考えてしまうのが、タカサキのおめでたいというか、超楽観的なところ。

 で、小学生以下のこどもたちはみんなただにしてやったのですが、寄付をする人が思ったほど集まらなくて、ものすごく大変でした。にもかかわらず、ほとぼりが冷めると、またやろう、と思い、今度は子どもたちからも少しお金を取ったのですが、それでもかなりの赤字でした。

 これでもうやめるかと思いきや、オペラシアターこんにゃく座から沖縄で公演する前にやりませんか?という連絡が入り、子どもたちの喜んだ顔が忘れられなくて、性懲りもなく、またやることに。

 今度は主婦の方で相談に乗ってくれる人も現れたので、もう少し安全(赤字が少なく)にできるかなと思っています。

 

 子どもを虐待し、殺してしまうようないたたまれない事件が相次いでいます。あの事件報道を子どもたちはどんな風に受け止めたのだろうと思います。多分私たち大人の何倍も辛い思いで受け止めたのではないかと思います。大人って怖い!信用できない!って。考えただけで心が痛みます。そんな中での《子どもたちにオペラをプレゼント》という企画です。

 こんな大人たちもいるんだよ、というメッセージです。君たちのこと、いつも考えているよ。だから、社会に希望を失わないで、っていうメッセージ。

 子どもたちに向けた、そんなあたたかなメッセージが、今必要な気がします。

 児相や学校、教育委員会を批判するよりも、事件報道で深く傷ついた子どもたちに希望の持てるメッセージこそ、今発信したいと思うのです。

 

 パン作りの好きなロボット「テト」は空が飛べません。ケンカも苦手です。ピーマンも苦手です。跳び箱も苦手です。苦手なことを数えると、両手の指でも足りません。そんなだめロボットですが、一つだけ得意なことがあります。そればパンを作ることです。

 一日1000個も、おいしいパンを作っていたのですが、それがある日999個しか作れなくなり、その次に日には998個しか作れなくなります。どうもおかしい、というのでテトを作ってくれたドリトル博士に会いに行く旅に出かけます。

 わくわくするような冒険の旅です。ほのかな恋もします。うるっとするようなところもあります。

 とにかくそんなわくわく、ドキドキの楽しいオペラを子どもたちにプレゼントしようと思っています。

 ふつうに考えたら無茶な計画です。それでも「なんだか、おもしろそう」って思う人がいましたら、応援して下さい。これからホームページにどんどんニュースをアップします。

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これまでの記録

pukapuka-pan.xsrv.jp

 

 

 

 

 

 

 

ぷかぷかは知的障がいのある人たちの社会モデル

   『なぜ人と人は支え合うのか』(渡辺一史著 ちくまプリマー新書)は、おもしろい本でした。中に《「障害者が生きやすい社会」は誰のトクか?》という章があって、ぷかぷかはその答えを出すためにいろいろやってきた気がします。

 

 少し長いですが、話を引用します。

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 《障害の「医学モデル」と「社会モデル」について》

 障害とは、病気やケガなどによって生じる医学的、生物学的な特質であり、障害の重さは、障害者手帳の等級によって示されます。こうした考え方に代表される障害のとらえ方を「障害の医学モデル」といいます。

 これに対して、1970年代頃から世界中で活発化した障害者運動や、多くの障害当事者たちの自立生活の実践などを経て、「障害」とはそんな単純なものではないのではないか、という問題提起が行われるようになりました。

 たとえば車いすに乗っている人でも、住んでいる地域にエレベーターが完備され、道に段差が少なくなれば、足が不自由であるという「障害」はかなりの部分、軽減されてしまいます。また目が見えない、あるいは耳が聞こえないという人でも、点字や手話を習得することで(それらを習得・活用できる環境をもっと整備することによって)何不自由なくコミュニケーションができる例は珍しくありません。

 このように障害の「重い・軽い」は、その人が暮らしている社会や環境しだいで、大きく変わりうるものであり、場合によっては障害が「障害」でなくなってしまう可能性もあるのです。

 つまり、障害者に「障害」をもたらしているのは、その人が持っている病気やけがなどのせいというよりは、それを考慮することなく営まれている社会のせいともいえるわけであり、こうした障害のとらえ方を「障害の社会モデル」といいます。

 医学モデルにおいては、個々の障害者の側が、できるだけその障害を治療やリハビリなどによって乗り越え、社会に適合できるように努力すべきだ、という方向で物事を考えがちなのに対して、社会モデルにおいては、まず社会の側が、障害者にハンディキャップをもたらす要素を積極的に取り除いていくべきだ、という真逆の発想につながっていきます。

 社会モデルの何がすぐれているかというと、障害という問題を、単に個人の問題だけに押し込めるのではなく、社会全体で問題を受け止め、解決していこうという発想につながる点です。またそれによって、たとえば車いす障害者のために設置されたエレベーターが、高齢者やベビーカーを押す人、あるいはキャリーバッグを引く健常者たちにも大きな利便性をもたらすといったように、様々な生の条件を背負った人たちを許容する社会へと大きく広がる可能性を秘めていることです。

 もちろん、すべてを社会のせいにして、社会を変革すればそれで万事、問題が解決するというわけではありませんが、これまでの福祉観や障害観というのが、余りに医学モデル偏重で考えられすぎたことは確かです。思えば「かわいそうな障害者」像や「けなげな障害者」像というのも、その根底には、障害者が努力して障害を克服しようとする姿に感動を覚え、賞賛するという、医学モデル的な障害者観がひそんでいます。

●● 

 

 1970年代頃から世界中で活発化した障害者運動や、多くの障害当事者たちの自立生活の実践などの多くは脳性麻痺の人たちや筋ジストロフィーの人たちなど、身障手帳を持っている人たちでした。したがってその社会モデルも、そういう人たちの暮らしやすい街が出発点になっています。そしてそういう人たちが自分たちの暮らしやすい街を作ることで、たくさんの人たちが暮らしやすい街になりました。駅にエレベーターがあるのは、みんな当たり前のように思っていますが、かつて障がいのある人たちの活発な運動があったからです。

 

 そういったことを考えると、ぷかぷかは知的障がいのある人たちの社会モデルを作ってきたように思います。

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 ぷかぷかはNPO法人設立の目的に、

「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」

ということをあげています。つまり彼らの生きにくさは社会のあり方が大きく関わっていると考えていました。何かにつけ、彼らを排除してしまう社会のあり方です。

 グループホーム建設反対運動の話し合いの中では

「彼らは犯罪を犯す。だから街の治安が悪くなる」

といった議論がまことしやかに語られていました。全く根拠のないことであり、彼らのことを知らないことによる思い込みであり偏見でしかないのですが、その思い込み、偏見が力を持ち、彼らを地域から排除してしまうのです。

 ぷかぷかは、彼らの生きにくさは、そういった社会の有り様からきている、と考え、そこをどうやったら変えられるか、というところから出発しました。

 私はとにかく彼らに惚れ込んでいましたから、

「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」

と言い続けてきました。

 お店を始めるとき、「接客」についての講習会をやったのですが、そこで教わった「接客マニュアル」通りにぷかぷかさんがやると、なんか「気色悪い」ことがわかりました。それで、接客マニュアルに合わせることはやめて、もう彼らのありのままでやることにしました。無理して社会に合わせることをやめたのです。

 障害者は社会に合わせなければいけない、そうしないと社会で生きていけない、といった風潮の中での判断です。下手するとお客さんが来ないかもしれない、というリスクがありました。

 ところが、彼らのありのままの姿にファンがつく、という想定外の結果が出たのです。以来、彼らがありのままの姿で働くぷかぷかに、ここに来るとなんだかホッとする、というファンが増え続けています。

 彼らがありのままで働ける環境は、誰にとっても居心地がいいのです。『あの広場の歌』にある広場。

 ♪ …うたがうまれ 人は踊り出し

    物語が始まる…    ♪

そんな広場にぷかぷかはなっている気がします。その中心にいるのがぷかぷかさんたちです。

 

 8周年をやったときのこの雰囲気を見て下さい。

www.pukapuka.or.jp

 

 彼らといっしょに生きていくと、こんな広場が出現するのです。誰にとっても居心地のいい場所ができるのです。

 私が私らしくいられる場所です。

 今回紹介した本にあった《「障害者が生きやすい社会」は誰のトクか?》という問いの答えはもうおわかりですよね。

 

 

  本のあとがきにこんな言葉がありました。

 

 《「障害者は不幸を作ることしかできません」と相模原の事件を起こした上松被告は、衆議院議長への手紙に書きましたが、それは間違いです。

「あの障害者に出会わなければ、今の私はなかった」ーそう思えるような体験をこれからも発信し続けていくことが、上松被告の問いに対する一番の返答になるはずですし、上松被告に同調する人たちへの反論になるはずです。》

 

「あの障害者」とは映画『こんな夜更けにバナナかよ』のモデル鹿野さんと著者との出会いです。

 障がいのある人との出会いは、人の人生を決めます。私自身、養護学校で重い障がいを持った子どもたちとの出会いがなければ、今の私はありませんでした。

社長さんたちが研修に

 印刷業界の社長さんたちが、北は北海道から南は九州まで11名もぷかぷかに集まって研修会をやりました。昨年の秋、印刷業界のCSR情報誌で「障害者雇用」を特集した際に、ぷかぷかしんぶんの記事「生産性のない人が社会に必要な理由」が載ったことが発端で、研修会がもたれました。

 CSR情報誌にはこんなことが書いてありました。 

 

特集 戦略的障害者雇用

横浜市緑区で、カフェベーカリー、総菜店、アートスタジオなどの障害者施設を運営するNP O法人ぷかぷかが発行している『ぷかぷかしんぶん』8月号に載ったコラム。タイトルは「生 産性のない人が社会に必要な理由」。ぷかぷかに通い、毎日郵便局に売上金の入金に行く仕事を している「セノーさん」が地域で果たしている役割について書かれている。産業革命以来、ひ たすら生産効率の向上を求めてきた近代社会。そのような価値観のもとで経済社会から排除さ れてきた障害者。しかし今、その障害者への差別を禁止し、雇用を促す方向に社会は進んでいる。 経済発展と障害者との共生。一見矛盾する命題への挑戦が始まっている

 ………

障害者 雇用はもはや福祉の文脈で語るのではなく、 企業の「戦力」として活用できるか、その人 材活用のノウハウを持つことができるかどう かという人材戦略の文脈で語るべきであろう。

「生産性」だけの議論に陥ることなく、視野を 広げ、多様な人材がそれぞれの個性を活かし て活躍できる場を創造していくことは、日本 が世界をリードする真の先進国として発展し ていくことにもつながっていくだろう。

ぷかぷかしんぶんのコラム「生産性のない 人が社会に必要な理由」は、経済社会におけ る障害者との共生への具体的道筋を教えてくれているようだ。

●●●

 障害者雇用について、素晴らしい見解だと思います。

 ぷかぷかでの研修会では、映画『Secret of Pukapuka』を上映したあと、私はぷかぷかのことをいろいろしゃべりました。障害者雇用を考える社長さんたちにとって、何かヒントになるようなものが見つかればいいなと思いました。

 

 障がいのある人を雇用した方が、職場の人間関係がよくなったり、みんなが働きやすくなったり、部品倉庫が整理され、在庫の無駄がなくなったりして、データの上では企業の業績が上がるそうです。

 でも、業績が上がるから雇用するのではなく、私はやはり障がいのある人たちとのおつきあいの中で、いろいろ苦労しながら、

「やっぱりいた方がいいよね」

ってみんなで思えることが大事な気がします。そう思うところから障害者雇用が始まるのだと思います。

 おつきあいは、慣れないうちは多分いろいろ苦労します。苦労は、でも、人間を磨きます。苦労は、ですから職場の財産になるのです。苦労は職場を豊かにします。

 障害者雇用の達成率だけで障害者雇用が語られることが多いのですが、障がいのある人たちとのリアルなおつきあいが何を生み出すのか、というところで、もっともっと語ってほしいと思います。

 この「何を生み出すのか」が見えてくれば、生産性ではない新しい価値がここから見えてきます。

 

 ぷかぷかでは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」と言い続けています。この「トク」は、企業の業績が上がる、という意味ではありません。「トク」は生産性とは違う価値観です。生産性が上がるわけではないけれども、人間が生きていく上で、明らかにプラスと感じられるものを「トク」という俗っぽい言葉で表現しています。

 人間が生きていく上で、明らかにプラスと感じられるものを、生産性と同じくらい価値あるものとして、企業活動の中に位置づけることができれば、単なる雇用率達成ではない、障害者雇用が生み出す豊かさが見えてくると思います。

 

 この「トク」という感覚は、障がいのある人たちとのおつきあいの中から生まれてきます。「何かやってあげる」とか「支援する」とかの上から目線ではない、フラットなおつきあいがあって、ようやく「トク」という感覚がわかってきます。

 短い時間でその感覚を体験できるものとして「すごろくワークショップ」があります。 

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 こういうすごろくゲームを障がいのある人たちと一緒にやります。これをやるだけで、思いのほか、お互いいい関係ができます。

 昨年暮れ、青葉区役所の人権研修会でこれをやりました。人権についての抽象的な話ではなく、人権問題の当事者と実際に楽しくつきあってみよう、ということでこれをやったのです。短い時間ですごくいい出会いがありました。
 

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 障害者雇用の前に、こういうことを企業の中でやると、すごくいいきっかけ作りになると思います。

 青葉区役所での人権研修会は映像の記録を撮り、もうすぐプロモーションビデオができます。ホームページ上に公開しますので、やってみたい企業がありましたら連絡下さい。045−453−8511  もしくはinfo@pukapuka.or.jp  担当:高崎

小さな気づきが人を変え、社会全体の価値観を変えていく

 今朝アップされたIshizukaさんのブログにおもしろいことが書いてあったので紹介します。

 テラちゃんと友達になって、いろんなメッセージが送られてきます。

 

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メッセージには、てらちゃんの過ごした日常の色々なことが綴られている。
油揚げを薄切りしたこと、レタスを洗って蒸し鶏と一緒に盛り付けたこと、お皿を並べたこと、ホットほうじ茶を飲んだこと、ご飯を決まった分量測ったこと、サラダの仕込みをしたこと、お団子やラーメン、そのほか色々な美味しいものを食べたこと、そんな小さな出来事がたくさんの絵文字と共に綴られ、そして最後に必ずこの言葉が書いてある。

昨日、今日どこに行きましたか?

自分でも思いもよらないことに、私はこの言葉を見て凍り付いてしまった。

彼女が日常のどんなささいなことでもキラキラした風景として綴ることができるのに比べて、私は書くべきことを何も持っていなかったからだ。

私、今日のお昼ご飯美味しいなぁと思って食べたっけ?
誰かと笑顔で話したっけ?

考えれば考えるほど自分の毎日がつまらないものに思えて、実は1週間くらい返事が書けなかった。

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 笑ってしまいました。

「彼女が日常のどんなささいなことでもキラキラした風景として綴ることができるのに比べて、私は書くべきことを何も持っていなかったからだ。」

という気づきはとても大事なものだと思います。

 近くの女子大でぷかぷかさんといっしょにワークショップやったときも、学生さんが同じようなことに気づいていました。

 

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「日常生活を送っていると、あまり生き生きしている人を私は見ません。みんな、あれは嫌だ、これは嫌だ、面倒くさい、つまらない、だとかマイナスのことが多いと感じます。私もそういった面があります。

しかし、ぷかぷかのみなさんは、仕事が楽しい、好きな趣味がある、大好きな人がいる、得意なことがある、自分らしく、恥ずかしがらずに自由に生きているのだと思いました。私も自分らしく、一つ一つのことを楽しんで生活したいと思いました。」

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という気づきです。

 今朝アップしたブログに、健常者の価値観は50年前と変わっていないんじゃないか、といったことを書きました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 ここを変えるのは、多分障がいのある人たちとのこういったおつきあいの中での気づきなんじゃないかと思いました。

 あーだこーだの小むつかしい議論ではなく、

「考えれば考えるほど自分の毎日がつまらないものに思えて」

という気づきであったり、

「みんな、あれは嫌だ、これは嫌だ、面倒くさい、つまらない、だとかマイナスのことが多いと感じます。」

といった気づきが、「障がいのある人たちへの上から目線」や「彼らよりも自分たちが優れている、という思い上がり」を、少しずつ変えていくのだと思います。

 

 以前アート屋わんどのワークショップに参加した人が

「自由な線を描きましょう」

で始まったワークショップで、ぷかぷかさんも地域の子どもたちもどんどん自由に線を描いていく中で、自分一人

「自由に線を描く」

というたったそれだけのことができないことに気がつきました、それに比べてぷかぷかさんや子どもたちの自由さに驚きました、といっていた人がいました。

 こういう小さな気づきが人を変え、社会全体の障がいのある人への価値観を変えていくのだと思います。

 

 

 

50年前の価値観が変わっていない。

 1970年、横浜で脳性麻痺の子どもを母親が将来を悲観して殺してしまうという事件がありました。当時、そういう事件がたびたびあり、そのたびにマスコミは「施設がないが故の悲劇」「かわいそうな親を救え」という論調でした。横浜の事件では、子育てに疲れ絶望的になった母親への同情が地元町内会などの減刑嘆願運動となって現れました。

 これに対し、脳性麻痺の人たちの運動体「青い芝の会」の横塚さんは

「重症心身障害児に生きる権利はないのか」「罪は罪として裁け」

と主張しました。「殺される側」の障害者からの発言は大きな反響を呼び、裁判では、当時としては異例の(執行猶予つき)「有罪」判決が出ました。

 「施設があればあのような事件は起こらない」という世論に対し、横塚さんは、障害者を「劣った存在」「価値のない存在」とみなし、だから生きていても仕方がないと考える健常者の価値観(差別意識)こそが問題の根底にある、と指摘しました。

 

 約50年前の話です。でも、横塚さんの指摘した、障害者を「劣った存在」「価値のない存在」とみなし、だから生きていても仕方がないと考える健常者の価値観(差別意識)は、情けない話、全くといっていいほど変わっていません。

 どうして変わらなかったのか。結局のところ、障害者の側、あるいはその関係者の側からのメッセージが、健常者の意識を変えるまでに至らなかった、ということではないかと思います。もちろん、健常者自身の問題もありますが。

 事件のあった1970年当時、私は学生でした。

「障害者と健常者は共に生きねばならない」「障害者と共に生きよう」

といった主張はありましたが、障害者運動に関わっていない限り、ほとんど他人事でした。「共に生きねばならない」「共に生きよう」なんて言われても、社会の理念としてはなんとなくわかる気もしますが、自分の生き方としてやっていく、というふうにはなりませんでした。

 結局そういったメッセージでは、健常者の意識は変わらなかったのだと思います。個別にがんばっている人たちはいましたが、社会全体の意識は変わらなかったと思います。

 

 50年たって、福祉の制度が整い、障がいのある人たちの暮らしやすさはそれなりの進歩があったと思います。でも、健常者の価値観はほとんど変わっていない気がします。そういう中で相模原障害者殺傷事件が起こり、犯人の主張を否定しきれない社会が頑としてあります。健常者はこの50年、何をしていたのか、ということになります。障がいのある人たちとちゃんとつきあってこなかったんじゃないかと思います。

 映画『Secret of Pukapuka』の中でダウン症の子どものお母さんは、絶望の中にいて外に出られなかった、と語っていましたが、そのお母さんを絶望の中から救い出す言葉を持っているのか、と自分に問うと、いまいち自信がありません。そういう意味では、お母さんを救ったあのダウン症の赤ちゃんにはかなわないのです。

 東洋英和の学生さんが「自分に障がいのある子どもが生まれたら、どんな風に思うんだろう」ってぽつんと言ったときも、学生さんにかけるうまい言葉が見つかりませんでした。

 学生さんが口にした「自分に障がいのある子どもが生まれたら、どんな風に思うんだろう」の問いは、50年変わらなかった健常者の価値観の中でなおも自分を問い、そこを超える何かを見つけようともがいている感じがしました。もがいている感じ、というのはぷかぷかの映画を見たあとの学生さんの言葉だからです。映画から感じたものと、自分の抱いた不安との落差をなんとか埋めたいという思いのもがきです。

 そんな学生さんがぷかぷかの取材の中で何を見つけるのか、ものすごく楽しみにしています。

 

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