『なぜ人と人は支え合うのか』(渡辺一史著 ちくまプリマー新書)は、おもしろい本でした。中に《「障害者が生きやすい社会」は誰のトクか?》という章があって、ぷかぷかはその答えを出すためにいろいろやってきた気がします。
少し長いですが、話を引用します。
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《障害の「医学モデル」と「社会モデル」について》
障害とは、病気やケガなどによって生じる医学的、生物学的な特質であり、障害の重さは、障害者手帳の等級によって示されます。こうした考え方に代表される障害のとらえ方を「障害の医学モデル」といいます。
これに対して、1970年代頃から世界中で活発化した障害者運動や、多くの障害当事者たちの自立生活の実践などを経て、「障害」とはそんな単純なものではないのではないか、という問題提起が行われるようになりました。
たとえば車いすに乗っている人でも、住んでいる地域にエレベーターが完備され、道に段差が少なくなれば、足が不自由であるという「障害」はかなりの部分、軽減されてしまいます。また目が見えない、あるいは耳が聞こえないという人でも、点字や手話を習得することで(それらを習得・活用できる環境をもっと整備することによって)何不自由なくコミュニケーションができる例は珍しくありません。
このように障害の「重い・軽い」は、その人が暮らしている社会や環境しだいで、大きく変わりうるものであり、場合によっては障害が「障害」でなくなってしまう可能性もあるのです。
つまり、障害者に「障害」をもたらしているのは、その人が持っている病気やけがなどのせいというよりは、それを考慮することなく営まれている社会のせいともいえるわけであり、こうした障害のとらえ方を「障害の社会モデル」といいます。
医学モデルにおいては、個々の障害者の側が、できるだけその障害を治療やリハビリなどによって乗り越え、社会に適合できるように努力すべきだ、という方向で物事を考えがちなのに対して、社会モデルにおいては、まず社会の側が、障害者にハンディキャップをもたらす要素を積極的に取り除いていくべきだ、という真逆の発想につながっていきます。
社会モデルの何がすぐれているかというと、障害という問題を、単に個人の問題だけに押し込めるのではなく、社会全体で問題を受け止め、解決していこうという発想につながる点です。またそれによって、たとえば車いす障害者のために設置されたエレベーターが、高齢者やベビーカーを押す人、あるいはキャリーバッグを引く健常者たちにも大きな利便性をもたらすといったように、様々な生の条件を背負った人たちを許容する社会へと大きく広がる可能性を秘めていることです。
もちろん、すべてを社会のせいにして、社会を変革すればそれで万事、問題が解決するというわけではありませんが、これまでの福祉観や障害観というのが、余りに医学モデル偏重で考えられすぎたことは確かです。思えば「かわいそうな障害者」像や「けなげな障害者」像というのも、その根底には、障害者が努力して障害を克服しようとする姿に感動を覚え、賞賛するという、医学モデル的な障害者観がひそんでいます。
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1970年代頃から世界中で活発化した障害者運動や、多くの障害当事者たちの自立生活の実践などの多くは脳性麻痺の人たちや筋ジストロフィーの人たちなど、身障手帳を持っている人たちでした。したがってその社会モデルも、そういう人たちの暮らしやすい街が出発点になっています。そしてそういう人たちが自分たちの暮らしやすい街を作ることで、たくさんの人たちが暮らしやすい街になりました。駅にエレベーターがあるのは、みんな当たり前のように思っていますが、かつて障がいのある人たちの活発な運動があったからです。
そういったことを考えると、ぷかぷかは知的障がいのある人たちの社会モデルを作ってきたように思います。
ぷかぷかはNPO法人設立の目的に、
「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」
ということをあげています。つまり彼らの生きにくさは社会のあり方が大きく関わっていると考えていました。何かにつけ、彼らを排除してしまう社会のあり方です。
グループホーム建設反対運動の話し合いの中では
「彼らは犯罪を犯す。だから街の治安が悪くなる」
といった議論がまことしやかに語られていました。全く根拠のないことであり、彼らのことを知らないことによる思い込みであり偏見でしかないのですが、その思い込み、偏見が力を持ち、彼らを地域から排除してしまうのです。
ぷかぷかは、彼らの生きにくさは、そういった社会の有り様からきている、と考え、そこをどうやったら変えられるか、というところから出発しました。
私はとにかく彼らに惚れ込んでいましたから、
「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」
と言い続けてきました。
お店を始めるとき、「接客」についての講習会をやったのですが、そこで教わった「接客マニュアル」通りにぷかぷかさんがやると、なんか「気色悪い」ことがわかりました。それで、接客マニュアルに合わせることはやめて、もう彼らのありのままでやることにしました。無理して社会に合わせることをやめたのです。
障害者は社会に合わせなければいけない、そうしないと社会で生きていけない、といった風潮の中での判断です。下手するとお客さんが来ないかもしれない、というリスクがありました。
ところが、彼らのありのままの姿にファンがつく、という想定外の結果が出たのです。以来、彼らがありのままの姿で働くぷかぷかに、ここに来るとなんだかホッとする、というファンが増え続けています。
彼らがありのままで働ける環境は、誰にとっても居心地がいいのです。『あの広場の歌』にある広場。
♪ …うたがうまれ 人は踊り出し
物語が始まる… ♪
そんな広場にぷかぷかはなっている気がします。その中心にいるのがぷかぷかさんたちです。
8周年をやったときのこの雰囲気を見て下さい。
www.pukapuka.or.jp
彼らといっしょに生きていくと、こんな広場が出現するのです。誰にとっても居心地のいい場所ができるのです。
私が私らしくいられる場所です。
今回紹介した本にあった《「障害者が生きやすい社会」は誰のトクか?》という問いの答えはもうおわかりですよね。
本のあとがきにこんな言葉がありました。
《「障害者は不幸を作ることしかできません」と相模原の事件を起こした上松被告は、衆議院議長への手紙に書きましたが、それは間違いです。
「あの障害者に出会わなければ、今の私はなかった」ーそう思えるような体験をこれからも発信し続けていくことが、上松被告の問いに対する一番の返答になるはずですし、上松被告に同調する人たちへの反論になるはずです。》
「あの障害者」とは映画『こんな夜更けにバナナかよ』のモデル鹿野さんと著者との出会いです。
障がいのある人との出会いは、人の人生を決めます。私自身、養護学校で重い障がいを持った子どもたちとの出会いがなければ、今の私はありませんでした。