ぷかぷか日記

ファンの存在は、そのまま社会を変えるチカラになる

 『福祉にファンができるヒミツ』と題したセミナーをCANPANと共催でやります。

pukapukacanpan.peatix.com

 

 ファンを増やすと、どういうメリットがあるのか。

 ①商売をやっているところは、お客さんが増えて、売り上げが伸びます。

 ②ぷかぷかさんが好き!という人が増えると、そのまま地域社会が豊かになります。

 ぷかぷかさんが好き!言い換えれば、そういうかたちで障がいのある人を受け入れると、社会の幅が広がり、みんなが生きやすい社会になります。

 ファンの存在は、そのまま社会を変えるチカラになるのです。

 

 二つのメリットのうち、社会的な意味、あるいは社会的なメリットというものを考えると、②がとてつもなく大きいと思います。

 相模原障害者殺傷事件以降、「ともに生きる社会を作ろう」とか「共生社会を作ろう」といったことがはやりのように言われています。でもここで語られる社会は、なんとなくぼんやりと未来の理想社会、といったイメージでしかありません。

 「ともに生きる社会を作ろう」とか「共生社会を作ろう」といいながらも、実際のところ、それがどういう社会で、どうすれば実現するのかが、曖昧なのだと思います。だから未来の理想社会、で終わっている気がします。 

 でも、ファンができると、その未来の理想社会が、現実のものになります。「いっしょに生きていくといいよね」と、「ともに生きる社会」「共生社会」の心地よさ、楽しさを現実のものとして、リアルに感じることができます。

 

 ぷかぷか×CANPAN セミナー
『福祉にファンができるヒミツ』

絶対来た方がトク!です。

ぷかぷかさんがいてこその物語

 『ぷかぷかな物語』の感想いただきました。

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 本全体に障がいのある人たちと一緒にいることの意味が様々な場面や切り口で語りこまれていて、なるほど!と唸る場面が多々ありました。共に生きる、と大上段に考えるのでなくて、面白いから付き合ってると、ああ、一緒に居たほうが良いんだなとわかってくるところなど、とても好きです。

 それと、接客マニュアルを一度やってみたけどなんだか気持ち悪くてやめた、という話が大好きです。やめてみたらお客さんたちからの反応がめちゃくちゃ良くなった、というのは痛快です。

 また、考えさせられ、今も答えが出ないのは、障がい者の仕事で、単純作業ばかりをやらせるのはどうか、という話です。単純作業ばかりだと飽きて嫌に思う人もいれば、一方でそれが楽しいと思う人もいるんだから、それって、障がいのある人たちだって同じじゃないか、という、言われてみれば、極く当たり前の事ではあるのですが、僕は気づいていなかった、あぁ、また固定観念に囚われていたのか、と考えさせられました。

 いま手元に本が無いのですが、後書きには沢山、線を引きました。 意味合いとしては、小さいうちから、障がいのある人たちとの壁を作ってしまって触れ合わないことにより、この世界が他人を許容しない、より狭い世界になっていっていくのではないか、という趣旨のお話は、我々が多文化共生だの何だの言いながら、根底のところで、自分と同質ではない他者を排除しようとする生き物と成り下がってしまっていることの核心を突いていると思いました。

 

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 「共に生きる、と大上段に考えるのでなくて、面白いから付き合ってる」

ことに気づかれたことは、とてもよかったと思います。世の中「共に生きる」という言葉がはやっていますが、なんかね、かっこよすぎる、というか、私は気恥ずかしくてついて行けない感じです。やっぱり彼らといっしょに生きる毎日は、素直に楽しくて、おもしろいのです。それをそのまま前に出して彼らとつきあっていった方が、長続きするし、絶対にいいと思いますね。

 本に書いたたくさんの物語は、彼らといっしょに生きる楽しさ、おもしろさから生まれたものです。

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 もう一つ、ぷかぷかを始める前に横浜市と神奈川県がやっていた「空き店舗活性化事業」にエントリーしたときの担当者の感想です。最終審査のプレゼンテーションに遅刻し、「今どこにいますか?」とハラハラしながら電話をかけてきた方です。

 種類審査したり、ヒアリングしたり、プレゼンテーションを聞いて、ビジネスとしては頼りない感じはするけど、

「何かおもしろい展開が期待できそう」

って判断し、なんと650万円もの資金を提供してくれました。 

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これまでの高崎さんの挑戦の軌跡がとてもよくわかり、

空き店舗事業のプレゼンの時に語っていた夢を実現されている様子に感動しま

した。

 

やはり、開業当初は相当苦労されたんですね。

もっとお手伝いすればよかったと後悔しています。

しかし、あの時の高崎さんは、他の創業者と同じように、凛として深入りさせないも

のを持っていました。

 

あと、あの時私が考えていたのは、

「会社という世の中の仕組みに対応することが難しい人でも、地域の中では何とか食

べていける仕組みができないだろうか。商店街がその役割を果たせないだろうか。」

「障害を持った人でも、自立して食べていけるだけの賃金をもらうことはできないも

のだろうか。」

というようなことでした。

ですので、高崎さんにそのことにチャレンジしてほしかったのです。

 

高崎さんが本で書かれているように、すぐにはお金に結びつかないかもしれないけれ

ど、その人特有の価値(人の心を豊かにするなど)を生み出すことで、全体としてそ

のまちで暮らしていける仕組みを作られたことは、私にとっても大きなヒントになり

ました。

 

まだまだ、完成形ではないと思いますが、これからも自然体で今まで通り頑張ってく

ださい。

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 この方は今は部署を移られたようですが、今、空き店舗活性化事業を担当している人に本を回してくれたそうです。

 空き店舗活性化事業で資金投入した結果、何を生み出したか、がとてもよくわかる本だと思います。ぷかぷかは、いただいた650万円の何倍もの価値を生み出したと思っています。

 もちろん最初からそれがわかっていたわけではなく、ああ、もうあかん! もうだめ!と何度もこけそうになりながら、生み出せた価値です。ぷかぷかさんがいてこそ生み出すことができた価値です。

 

 

 本を読んでの感想、気づき、どんなことでも結構です。高崎までお送りください。送り先はtakasakiaki@blue.plala.or.jp

 『ぷかぷかな物語』アマゾンの販売コーナーのカスタマーレビューにも感想書き込んでください。

 

前に向かって生きる

 バルセロナまで『ぷかぷかな物語』を持って行った宮原さんは、脳腫瘍で亡くなったしんごっちのお母さんが設立に走り回っていた「横浜に子どもホスピスを」のプロモーションビデオのプロデューサーをしていた方です。

 子どもホスピスは、命の最後の時間を送る場所ではなく、子どもの命の最後の瞬間まで前に向かって生きる場なんだ、ということがしっかり伝わってくる映像です。短い映像ですが、じ〜んと迫ってくるものがありました。前に向かって生きる、それはしんごっちの生き方そのものであった気がしています。

 宮原さんは映像を作るための取材でしんごっちが寝ていたベッドのそばでお母さんの話を聞きます。涙が流れて仕方がなかった、と書いています。そして取材の中で、しんごっちがぷかぷかで働いていたことを知ります。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 宮原さんは親が精神障害の子どもを応援するための映像も作っています。この映像も、子どもたちに向かって、「前に生きよう」って、伝えています。

kidsinfost.net

 

 6月末に日本財団のCANPNセミナーで「福祉にファンができるヒミツ」と題したトークセッションを宮原さんとやります。詳細が決まりましたら、またお知らせします。

しんごっちにはかないませんが…

 今日、帰りの会で「70歳誕生日おめでとう!」とみんなにハッピーバースデーを歌ってもらいました。なんだか気恥ずかしいやら、うれしいやら。

 70歳のあいさつを、といわれ、

「もうじいさんですから、やさしくしてやってください。あ、それから70歳らしいばかばかしい記念イベントをやります。」

といったら、あとで

「70歳らしいばかばかしいイベント、ってなんですか?」

とまじめに聞いてきた人がいて説明に困りました。

 強いて言えば、一文のトクにもならないけど、わくわくときめいてしまうものを、この70歳にしてやろう、ということです。

 

 今まで何度か紹介しましたが、脳腫瘍で亡くなったしんごっちは、わくわくときめくものを考える名人でした。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 しんごっちにはかないませんが、70歳にしてわくわくときめくことをやりたいと思うのです。

 今、なんとなく頭にあるのは、自転車で富士山の周りを一周するプランです。だいたい130キロくらいあります。まだ30代の頃一度行きました。アップダウンがすごかったことだけを覚えています。朝7時頃御殿場のホテルを出発して、ひたすら自転車こいで、ばてばてで富士吉田の駅についた時は、もう真っ暗になっていました。多分夜の8時頃だったのではないかと思います。

 70歳で同じルートを行くのは2日くらいかかるかなとも思います。今は、いちばんしんどい峠を越える路線バスがあるので、それに乗れば快適なのですが、70歳のへそ曲がりは、楽なルートはつまらん!といって、あえて1,000メートルくらい登る峠道を自転車こいで登ろうというのです。困った性格です。

 

 もう一つは冬の大雪山に登るプラン。単独は危険なので、ガイドを雇います。ガイドを雇っても、歩くのは自分ですから、凍った急斜面のアイゼンワークが必要です。トレーニングをする必要があります。どうしようかなと思っています。

 大雪山は途中までスキー場のリフトで行きます。山頂まで600メートルくらいの高低差を登ればいいだけの楽な山ですが、その600メートルがくせ者。片側が切れ落ちている急斜面をひたすら登ります。

 春、まだ残雪が残っている頃登ったときは、濃いガスで視界が全くきかなくなり、ホワイトアウトの状態。目を開けているのか閉じているのかわからないほどです。たまたまガイドが20メートルおきくらいに刺していた赤旗があって、それに助けられました。

 冬山はものすごく厳しいのですが、それでもなんだかね、わくわくするのです。まだ若い頃の山の病気が治らないですね。

 

 更にもう一つ。ばらした自転車担いで北海道の稚内まで行き、そこからオホーツク海を見ながら網走まで自転車で走ります。約300キロ。アップダウンはないですが、手強い距離です。三日くらいかけて走ります。途中はキャンプですね。夜はローソクの火を見つめながら、スルメかじりながらワンカップをちびちび飲みます。

 オホーツクのきらきら光る海を横目に走るのは最高です。

 

 とまぁ、いろいろ考えてはいるのですが、どうも発想が今までのハードな旅のイメージから抜け出せないというか、しんごっちの多様な規格に比べれば、ひたすら疲れる似たような計画ばかりです。発想が貧しいですね。もっと70歳らしい斬新な企画を出さないとつまんないな、と思ったり。

 そうそう、7月15日にオペラを子どもたちにプレゼントする企画をやります。オペラという、ほんのひとときの夢のような時間を子どもたちにプレゼントしようという企画です。これも一文のトクにもならなくて、ひたすらエネルギーを消耗します。でも、心の底からわくわくドキドキする企画です。来週末くらいに資金集めのクラウドファンディングを発表する予定です。

 特典で差し上げる焼き物を試作中

 

 いずれにしても、ぷかぷかさんたちがタカサキに負けないくらいわくわくするようなことをやってくれたら、と思っています。

 

 

70歳、おめでとう! なんて思ったかどうかわかりませんが…

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「あしたは、なぜあるの」

今朝の朝日新聞の天声人語。

「あしたは、なぜあるの」

という子どもの問いがおもしろいです。

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 あなたなら、どう答えますか?

 ぷかぷかなら、

「今日よりもいい一日を作りたい、って思うからです」

って、答えます。

 

 ぷかぷかは、みんなでいい一日を作る、ということを目標にしています。ですから、明日は今日よりももっといい一日を作りたい、って思います。そのために、明日があります。

 そうやってぷかぷかさんたちといっしょにいい一日を毎日毎日積み上げていきます。いい一日は、明日があるので、少しずつ、もっといい一日になります。そういったことを繰り返していくと、1年後にはどんないい一日が待っているのだろう、ってわくわくします。

 

 彼らとの日々を毎日Facebookで発信しています。たくさんの人たちに伝えたいのです。彼らと作るいい一日が、どんなにすばらしいことか。食べて、笑って、怒って、また笑うこと。時々は泣いたりも。それが彼らといっしょに生きること。ともに生きる、ということ。

 

 相模原障害者殺傷事件がありました。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」と。何言ってんだ、とあらためて思います。思うだけでは相模原障害者殺傷事件を生み出した社会は何も変わりません。ならば「障害者はいた方がいい」「障害者は不幸しか生まないのではない」という事実を作っていくしかありません。それが彼らといっしょにいい一日を作ることです。そして、それを相模原障害者殺傷事件を生み出した社会に向けて毎日発信していくこと。

 こんなことやったよ、あんなことがあったよ、誰かさんが笑ったよ…それを毎日毎日発信するのです。彼らといっしょに生きてるよ、毎日が楽しいよ、って。

 そうすることで相模原障害者殺傷事件を超える社会が、少しずつ具体的にできていきます。共生社会を作ろう、なんて抽象的な、大きな話ではなく、日々の暮らしの中で、いい一日を彼らといっしょに作っていくのです。

 

 「あしたは、なぜあるの?」

 「今日よりもいい一日を作りたい、って思うからです」

 

 障がいのある人もない人も、みんなが気持ちよく暮らせる社会を作りたい、って思うからです。

そうした人々に、どんなまなざしを向けられるのか

やまなみ工房の映画「地蔵とリビドー」について書かれたすばらしい論評を見つけました。映画を語りながらも、「特別」でない人へも思いを向ける姿勢がすばらしい。

 

《人の数だけ、暮らし、そして人生があります。現実には、全ての障害者がアート作品を生み出せるわけではありません。そうした人々に、どんなまなざしを向けられるのか。このことをこそ、映画から問われている気がします。》

 

 私たちは、すばらしいアートを生み出す人たちに、ついつい心を奪われてしまいます。でも、そういうものを生み出さない人たちもたくさんいます。その人たちにどんなまなざしを向けられるのか、ということ。

 何も生み出さなくてもいい。その人がいること、その人がその人らしくそこで生きていること、そのことを素直に喜べる人間になりたいと思うのです。そのためには、どこかでその人に出会う。あーだこーだの理屈でなく、とにかく出会う。それがいちばん。

 何度も紹介している、昔担任していたシノちゃんは、暴力ばかり振るって、何も生み出さない人でした。殴られ、蹴られで、ぼこぼこの毎日でした。それでも私はシノちゃんが好きでした。時折遠くを見つめ、ふっと笑うシノちゃんの横顔を見ると、もう心がキュンとなって、ぼこぼこにされた毎日もすべて許してしまいました。

 出会うことは、許すことかも知れません。だから、その人がそこにいること、その人がその人らしくそこで生きていること、そのことを素直に喜べる瞬間なのかもしれません。

 

withnews.jp

自分らしく生きてる?

花岡さんのブログです。花岡さんはhanaちゃんのおかげで自由になれたんですね。

ameblo.jp

 

  近くの大学でぷかぷかさんといっしょに簡単な演劇ワークショップをやったとき、感想の中に

 

 ・こんなに素直に生きてていいんだ、と気づくことができました。

 ・ぷかぷかのみなさんは自由で、何にもしばられずに、いいな、

  見習いたいなと思いました。

 ・自分にはすぐにできないこと、恥ずかしがってしまうようなことを、自由に、

  積極的に、かざらない、そのままの姿で表現し、生きている姿は素敵で、

  見習いたいです。

 ・ぷかぷかさん一人ひとりが、とても表現力が豊かで、素直に自分の気持ちを

  表していて、自分にはないものを多く持っているなと感じました。

 ・障がいのない自分よりも、心や考えが豊かで、見習いたいものがたくさん

  ありました。

 

といったすばらしい発見がありました。ほんの1時間程度のワークショップで、彼らの自由さに気がつき、逆に自分がいかに不自由であるかに気がつきました。

 障がいのある人たちは、あれができない、これができない、ではなく、こんなふうに、自分たちよりもはるかに自由に生きている人たちであること、そして、そのことの発見は自分たちの生き方にとても大事な問いを投げかけます。

 「私らしく生きてる?」

って。

 

 福祉事業所の職員たちが、この学生さんたちのような感覚で日々接している障がいのある人たちのことを受け止めることができたら、なんかね、社会が変わる気がします。

 花岡さんのブログ風に言うなら『障害者がいるからこそ、職員は自由に生きよう』

第6回湘南Vividアート展

4月25日(木)、ぷかぷかさんが出展中の湘南Vividアート展へ似顔絵描きに行ってきました。

会場は藤沢の「蔵まえギャラリー」。藤沢駅から歩いて行けます。

 

目印の黒い看板と、変な土偶がお出迎え。

土偶はぷかぷかアーティスト フタミン作です。

 

似顔絵描きは、出展している作家さんたちがその場でお客様のお顔を描いてくれます。

開始早々、続々とお客様が!

迷いのない線で描く人、よく見てじっくり描く人、、それぞれの描き方に関心を持ちながら、どんなふうに仕上がるのかお客様はわくわくされていました。

 

作家と記念撮影。

 

ぷかぷかさんたちの作品を発見!

      

 

ハヤチャンの作品。

ぷかぷかのスタッフがハワイに来た様子を描いたそうです。

タイトルは「ファミリーバカンス」だそうで、楽しく過ごしている様子が伝わってきます。

   

 

やっちゃんの、屋根の上のネコ。

やっちゃんの描くネコは、いつもなんとなく困ったような表情。

でもそこが愛おしいのです。

 

Ikumiさんの人魚姫。

表情が素敵ですね。まわりには海の生き物たちが。

 

ナカタクさんの作品。

昭和の映画館のレトロなイメージにこだわりました!

 

しょうへいさんの作品。

背景のレインボーがお気に入りです。

 

タカノブさんの作品。細かい…!

 

光莉さんの作品「私は私」。

一匹だけ右を向いているお魚が。

でもいいのです。私は私だものね。

 

 

ヨッシーの作品。

実は建物の中の家具なども手作りしています。

まだ制作には続きがあるようで、似顔絵描きの合間にも作っていました。

ギャラリーの入り口には、ワークショップ「アートであそぼう」のコーナーが。

来場者が自由に落書きできます。

小さなお子さんも参加。どんな絵に仕上がるのか楽しみです。

 

アート展は明日 5月4日(土)16時まで開催しています。

ぜひ魂に触れる作品たちを生でご覧ください!

  

いい大根のような一日

 下に添付したサイトはやまなみ工房(滋賀県にある福祉事業所)を紹介するサイトです。

 やまなみ工房は独特のアートで有名ですが、昔は一つ1円にもならない内職仕事をしていたそうです。あるとき利用者さんの一人が拾った紙切れにうれしそうに落書きをした時、施設長の山下さんは、内職仕事では見せたことのないエネルギーと笑顔を見て、「彼らが笑って過ごせることをしよう」と決めたそうです。

 特にアートをやろうと思ったわけではなく、それぞれがやりたいことをやり始めたら、なんとなくアートになったという感じです。スタッフが誰一人美術を学んだ人がいない、というところがおもしろいですね。そういうところにこそ、自由なアートがある気がします。

 

 昔「子どもに絵を描かすのではなく、内職仕事をさせてほしい」と頼んだ親御さんがいたそうです。就労に結びつくことをやって、自立してほしいと思ったのでしょう。でも「その人らしくあることを尊重している」、つまり「その人がやりたいことを大事にしている」ということを根気よく説得したそうです。内職仕事はその人がやりたいことではない、と。 

 ぼんやりしててもいい、落書きしててもいい、粘土であそんでてもいい、とにかくその人がその人らしく一日を過ごすこと、それを大事にしている、と。

 結果的に、そういった毎日が、今世界から注目されるほどのアートを生み出しました。

 

 大事なことは「その人らしく一日を過ごすこと」。

 ぷかぷかは仕事をやりながら「その人らしく一日を過ごすこと」を大事にしています。帰りの会で「いい一日でしたか?」と聞くと、毎日何人もの人が手を上げて発表します。仕事をしない、と前の作業所で居場所を失ったセノーさんも毎日手を上げて発表します。セノーさんらしく一日を過ごしているのだと思います。セノーさんという仕事をしているのです。

 

 長田弘さんの「ふろふきの食べかた」という詩の一節にこんな言葉があります。

 

   自分の手で、自分の

   一日をつかむ。

   新鮮な一日をつかむんだ。

   スが入っていない一日だ。

   手に持ってゆったりと重い

   いい大根のような一日がいい。

 

 「その人らしく一日を過ごすこと」、それがいい一日をつかむことだと思います。いい大根のような一日です。

 

 いい大根のような一日を過ごすと、ほら、こんな笑顔

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highsnobiety.jp

そこから「ともに生きる社会」が始まります。

ご存じの通り、ぷかぷかには

 「ぷかぷかさんが好き!」

というたくさんのファンがいます。「ぷかぷかさんが好き!」ということは「障がいのある人が好き!」ということです。

 「障がいのある人は、なんとなくいや」「怖い」「近寄りたくない」という人が圧倒的に多い社会にあって、これは全く正反対の評価です。

 「ぷかぷかさんが好き!」という評価は、ぷかぷかさんを社会にうまく合わせているから出てきたわけではありません。社会に合わせることをやめたことで、「ぷかぷかさんが好き!」という評価が出てきました。

 社会に合わせないことで、社会が受け入れた、という、なんだかややこしい話です。

 ここがでも、おもしろいですね。普通は、社会に合わせるから、社会は受け入れてくれます。でも、ぷかぷかの場合は、合わせないことで、ファンができた、つまり、熱烈に受け入れてくれました。

 もし、ぷかぷかが、今のような方針ではなく、ぷかぷかさんを社会に合わせようと一生懸命になっていたら、たぶん「ぷかぷかさんが好き!」というファンはできなかったと思います。このことは何を意味するでしょうか?

 社会に合わせないことで、ぷかぷかさんたちは、この息苦しい社会の中で、何が大事なのかを、静かに教えてくれています。彼らが自由に振る舞うことで、ホッと一息つける場所を作ってくれているのです。

 彼らを社会に合わせようと一生懸命になっていたら、彼らは自由に振る舞えなくなって、この大事なことを教えてくれなくなります。ぷかぷかが、ホッと一息つける場所にならないのです。これではファンなんかできっこありません。

 

  相模原障害者殺傷事件以降、「ともに生きる社会」を作ろうとか、「共生社会」を作ろう、という言葉がやたら飛び交っています。でも、一向にその社会が見えてきません。どこまでも「理想とする社会」「遠い未来に実現する社会」の位置にとどまっています。

 どうして「ぷかぷか」のように、自分のまわりに小さな「ともに生きる社会」が実現できないのでしょう。

 それは、ひょっとしたら、「ともに生きる社会」あるいは「共生社会」を作ろうという人たちが、障がいのある人たちを社会に合わせる、という気持ちを捨てきれないのではないか、と思います。言い換えれば「支援」という関係性から自由になれない。

「支援」という関係と「ともに生きる関係」は違います。「支援」という上から目線のまま、彼らと「ともに生きる関係」なんてあり得ないのです。

 自分自身の彼らとの関係性を問い直さない限り、「ともに生きる社会」も「共生社会」もあり得ないのだと思います。

 「ともに生きる社会」を阻んでいるのは、「支援」という関係性を抜け出せないところにあるような気がします。

 

 まずは彼らと「ともに生きる関係」になる。そこから「ともに生きる社会」が始まります。

 

こんな人とは「支援」ではなく、いっしょに生きていった方が絶対トク!だと思います。

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