ぷかぷか日記

障がいのある子どもを育てるのは「素敵な体験」

障がいのある子ども二人を「うちのぷかぷかさん」といい、その幸せな日々を発信している浅川素子さんが『ぷかぷかな物語』の感想を書いてくれました。

 そうか、こんなふうに読み手には伝わってるんだ、という発見がいくつもあって、とてもうれしかったです。書き手の思い以上のものを感じるところもあって、言葉で思いを伝えるって、おもしろいなぁ、とあらためて思いました。

 浅川さんは、障がいのある子どもを育てるのは「素敵な体験」と言います。それを知らない人たちに伝えたい、といいます。もったいないから、と。

 確か『次郎という仕事』というドキュメンタリーに出てくるお母さんも、こんな幸せを独り占めにするのはもったいないから時々次郎を社会に貸してあげるんですよ、といいます。

 出生前診断で陽性が出た人の96%が生まないことを選択する社会にあって、これらは希望を作り出す「新しい障害者観」と言っていいと思います。あるいは「支援」の対象としか見られない「障害者観」に比べ、新しい歴史を作るようなそんなわくわくしたものが「新しい障害者観」には感じられます。

 そんな「新しい障害者観」を持った浅川さんの感想、ぜひ読んでみてください。

ameblo.jp

 

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楽しくて、やさしくて、居心地のいい場所

6月27日(木)のセミナーに特別ゲストでお迎えする魔女系アーティスト宮原さんに、

「どうしてぷかぷかさんたちのこと好きになっちゃったんですか?」 

って、聞いてみました。で、返ってきた答えがこれ。

 

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 魔女がぷかぷかさんを好きになった理由

 それはたぶん、私が小学校3年生か4年生、8歳くらいのころです。 私が通っていた小学校は全学年3クラスだったんですけど、「4組」ができたんです。それが今思えば、養護学級でした。でも養護学級という言葉は知らなくて(特別支援学級なんて言葉もなかったのかもしれない)、「4組さんがやってきた」っていう感覚でした。

 私たちの学校では、3年生になるとプレイルームと呼ばれる大きな食堂で3年生から6年生までが一緒に給食を食べることになっていました。それで、給食で座る席のグループが、放課後掃除をする時の班にもなっていました。

 その班分けで、(どうやって決まったのかは忘れました)私は4組さんの班になったんです。くじだったのか、先生が決めたのか、自分で選んだのか覚えていません。それで、4年生から6年生までずーっと4組さんと給食と掃除の時間を一緒にすごすことになりました。(3年間、班が変わらなかったっていうことは、毎年自分で手をあげていたのかもしれません)。

 今思えば4組にはダウン症の子どもが多かったんですが、なんていうか、最初っから、4組は、私にとって…、どこよりも自然体でいられる場所、楽しくて、やさしくて、居心地のいい場所だったんですね。肌が合うっていうか、波長が合うっていうか、最初から“しっくり”感じたんです。

 彼らは「好きー」っていう気持ちを、まっすぐに投げかけてくるでしょう?だから私も「好きー」ってなったのかもしれないし、逆に私が「好きー」っていうオーラを発していたから、彼らに好かれたのかもしれない。

 とにかくあっという間に仲良しになりました。長い通学時間も一緒に過ごすことが多くなりました。 「みやはらさん、みやはらさん、小松くんが宮原さんと結婚するって!」 って、たぶん人生で初めてのプロポーズを受けたのも、4組の男の子でした。

 だから「障害者」っていう言葉が使われるのが、いい悪いではなくて「ヘン」な感じがするんですね。生きている天使みたいな人たちなのにって。

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「どこよりも自然体でいられる場所、楽しくて、やさしくて、居心地のいい場所だった」

 宮原さんの体験した「4組」は、ぷかぷかとおんなじだと思いました。だから宮原さんはぷかぷかのこと、いっぺんに気に入ってしまったのだと思います。

 「4組」も多分、ぷかぷかと同じように、子どもたちが自由にいられる、自分らしくいられるクラスだったのだと思います。担任が、そういうものを大事にするクラスだった、というところが大きいと思います。

 彼らの自由も、彼らに関わる大人次第、というのは寂しい話ですが、実際にそれがあるから、彼らがいることで生まれるはずの「どこよりも自然体でいられる場所、楽しくて、やさしくて、居心地のいい場所」がなかなか広がっていかないのだと思います。

 彼らが自由にいられる、自分らしくいられる、ということを福祉事業所がどこまで大事にしているか、ということです。

 6月11日の『笑顔までなくして合わせる先に、何があるのでしょう』と題したぷかぷか日記に、卒業生の進路先を訪ねたときのことを書きましたが、残念ながら、ああいう窮屈な場所が多いことは確かです。

 関わる大人が自分の不自由さに気がついていない、自由に生きる事のすばらしさを経験していない、だから、彼らが自由にいられることの大事さがわからない、ということなのだと思います。

 そういったことが彼らの自由さ、すばらしさを全部つぶしてしまっている気がします。久しぶりに会った卒業生の、表情をなくしたような顔は、それを如実に物語っていました。

 実にもったいない話だと思います。

 私自身のことで言えば、養護学校の教員になってすぐ、とびきり自由な子どもたちに出会ってしまい、彼らの自由奔放さに比べ、様々な規範にがんじがらめの自分はなんて不自由なんだって、しみじみ思いました。規範にほとんど縛られない彼らと毎日つきあう中で私の中の規範も少しずつとれていきました。彼らとおつきあいして何が一番よかったかというと、私自身が自由になれたことです。

 そしてその先に今のぷかぷかの自由があります。ぷかぷかさんたちが自由であるとき、彼らの魅力が存分に発揮できます。その結果、たくさんのファンが生まれ、地域を耕し、地域を豊かにしてきました。

 自由であることは、地域を豊かにする、というすばらしい仕事につながるのです。

 障がいのある人たちが地域を豊かにする、なんて、今までありましたか?こういったことを日本中の福祉事業所がやれば、社会の彼らへの蔑んだ目線をいっぺんにひっくり返します。蔑んだ目線がなくなり、彼らといっしょに新しいものを創り出すのような関係ができれば、社会は今よりもずっと豊かになります。

 

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この写真はぷかぷかの雰囲気を象徴しています。こんな事もアリ!ということです。

《この何気ない風景をゆるせる、福祉、社会っていいですよね。(^ω^)みならいます!》と、また新しいファンを作り出します。

 ここにぷかぷかにファンができるヒミツがあります。6月27日のセミナーでは、そのヒミツの話をします。

pukapukacanpan.peatix.com

セミナーの参加申し込みはpeatixでするようになっていますが、ぷかぷか問い合わせ窓口info@pukapuka.or.jpに「6月27日セミナー申し込み」と書いてメールを送ってもらっても結構です。参加費1,000円は会場でお支払いください。おまけで『pukapukaな時間』がもらえますので、すごくトク!です。ぷかぷかさんといっしょに生きるとこんなにも豊かな時間が生まれる、ということをビジュアルに表現した冊子です。

この何気ない風景をゆるせる、福祉、社会っていいですよね

何気なく撮ってFacebookにアップしたこの写真に

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《この何気ない風景をゆるせる、福祉、社会っていいですよね。(^ω^)みならいます!》

というコメントが寄せられました。

 

 これを許せるとき、私たちもまた自由になります。彼らといっしょに生きるのが、楽しくなります。

 これを許せないとき、私たちもまた不自由になります。彼らといっしょに生きるのが、辛くなります。

 

 6月27日のセミナーはこういった話をします。この写真見て、いいな、と思った方、こんな事ほっといていいの、って思った方、ぜひ来てください。

pukapukacanpan.peatix.com

障害のある人と一緒に生きていくための、自己実現論だから面白い

 現代書館の若い編集者向山さんが『ぷかぷかな物語』の感想を書いてくれました。

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 まず拝読して感じたのは、本書は仕事術・自己実現論として読んでもとっても面白い!ということです。

 ごにょごにょ理由をつけていないで、とにかく自分が素晴らしいと思うことをやってみればいいじゃない!という姿勢に、ハッとさせられることが多々ありました。革命家アントニオ・グラムシの言葉に「実践の楽観主義者」とあるのですが、まさに高崎さんのことだと思いました。

 そして、高崎さんのその姿勢って、いまの若い人に向けた大切なメッセージだと思うのです。 わたしの知り合いの大学の先生が、「ゼミのときに、学生に好きなことやっていいよと言ってもなにも決められない。だからこちらが選択肢を提示している」 「グループで発表をお願いしても、発表者が『コレってみんなの意見だよね??わたし一人が勝手に言ってるんじゃないよね??』と周囲の顔ばかりみている」 と愚痴をこぼしていました。 学生さんはいま、とても窮屈な社会を生きているのだと思います。横をみればみんな同じ顔。均質性を求められています。

 わたしもかつてはそのような学生でした。 でも、海老原さんと出会ってだいぶ変わりました。自分と全く違う存在と生きることの楽しさ、そして障害のある人と出会えない社会のつまんなさ、に気づいたのです。(★海老原さんとの出会いの物語は後ほど紹介します)

 さっき「本書は自己実現論として面白い」と言いましたが、正しくは、「障害のある人と一緒に生きていくための、自己実現論だから面白い」のだと思います。 だれも、自分のためだけに頑張ることはできないと思うんです。

 私が最後に思ったのは、「楽しい」って、ぷかぷかさんたちにとっての新しい自己決定のかたちなのではないか、ということです。 いま福祉の分野では、知的障害者の意思決定支援論、みたいなのがたいへん盛り上がっていますが、私にはいまいちピンときません。 たくさんある選択肢の中から自分にとって大切なものを選べ(意思決定)と言われても、なかなか難しいですが、「(ぷかぷかにいるのが)楽しいからやる」というのはわかりやすいし、ぜったい本人にメリットがあると思います。

「ぷかぷかな物語」を障害や福祉に関係なく、いろんな人に読んでもらいたいですし、そのために頑張りたいと思います。

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「障害のある人と一緒に生きていくための、自己実現論だから面白い」という言葉が光っています。

 私は障がいのある人たちに惚れ込み、ただただ彼らといっしょに生きていきたいと思って、ぷかぷかを立ち上げ、いろんなことをやってきました。それをまとめたのが『ぷかぷかな物語』なのですが、それは「障害のある人と一緒に生きていくための、自己実現論」であり、だから「面白い」という感想は秀逸です。

 誰しも自分を実現していく物語を日々紡いでいます。その物語の出発点に障がいのある人たちとの出会いがあったこと。それが物語をとてつもなく豊かにしているのだと思います。

 あらためて彼らに感謝!です。

 そしてそういうことに気づかせてくれた向山さんに感謝!です。

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向山夏奈さんと海老原さんの出会いの物語

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去年の春、突然現れたかなちゃん。

修士課程の院生で、
「SMAの患者様たちの生き様を論文にしたい」と。
「つきましてはインタビューさせてもらえないか」とのメール。

なるほど。

そこで返信。

まず、私は「患者」じゃねーし。

かな「あ!ごめんなさい!!そんなつもりでは!Σ(゚д゚lll)」

そして、生き様なんざ、インタビュー数回で理解されてたまるか。
介助やりなさい、介助を。

かな「え……カイジョ………Σ(゚д゚lll)」

真面目で素直で純粋なかなちゃんはめちゃ悩んだらしい、
……泣きながらw

そこで最後の一撃。
「障害者に関わったことないでしょ。
だから、怖いでしょ。
でも、障害者の日常という異文化に飛び込むのは、
ある意味、留学みたいなもんだからw」

かな「留学ですか…そうか…ならできるかもw」

という感じで、あれよあれよと言う間に私に洗脳されたかなちゃんは、
まんまとワナにかかり、翌月重度訪問介護の研修を受け、
3月から土曜の日中の介助に定期で入ることになったのです。

私としては、ちょうどその枠のアテが2月いっぱいで抜けることになっており、
次の人いないかなーとアンテナ張っていたところでした。

そこに飛んで火に入る夏の虫w
春だけどw

YES!!(*゚▽゚*)

さて、介助に入り始めたはいいが、えびアテ史上最高(最低?)に筋力弱い…。
姫抱っこも今にも落とさんばかり。
そして、家事の仕方も全然知らず。調理も掃除もまあー雑だこと…w
言われたことはかろうじてできるけど、
自分で気づく、ってことが全然できない。

すごいなー…w
こういう子達が将来の日本を支えていくのかぁー。
論文書く前にやっといた方がいいことあるんじゃないのー??

そんな始まり方でした。

でも私は、言いたいことは言う、やりたいことはやる。
そこに妥協せずアテに手を貸してもらう。

だから、何度もやり直しさせるし、「そうじゃない」と言い続ける。

彼女のいいところは、修士論文を書くために介助に入っていることもあり、
分からないことや疑問に思ったことは、ちゃんと聞いてくれることでした。

例えば、私の飲み会介助の際、アテは一緒に飲んでいいのか、
周りの人たちがアテに話しかけてきた時に
「介助中なんで…」と断った方がいいのか、おしゃべりしていいのか、
アテは黒子でいるべきと言われることをどう思っているのか、
利用者とアテが対等でいるにはどうしたらいいのか…とかとか。

そんな、素朴な疑問を、ちゃんとぶつけてくれる。

他にも、介助の合間に、インタビュー的なやり取りをしたり、
私の講演介助を通して私が何を大切にしながら生活しているかを理解していくうちに、
だんだん関わり方が変わってきました。

言われたことをこなす、というより、
「今日、今、私がどんな生活をしたいと思っているか」を推測しながら動く、
そして、
「私ただの黒子ですからいないものとしてください」
という姿勢から、
「私、海老原さんの生活支えるために隣にいますけどなにか?」
と、アテとしての主体性を持てるようなってきたのです。

それは、私にとって、とても心地いいものでした。
ちょっとサインを送れば、
「アレですね、分かってますw」
と言わんばかりに動いてくれる。

予測しながら動くから、無駄な動きや時間のロスも減ってくる。

利用者に向き合う介助ではなく、
利用者が見ている方向を一緒に見れる介助。

相変わらず力は弱いし家事能力も高くはないけど(笑)、
そういう「関わり」ができる人の方が、安心して命を預けられる。

毎週土曜日は、安心して生活、活動できる日となりました。

そんな彼女のアテ生活もあっという間に1年が過ぎ、
修士論文も無事書き上げ、アテ卒業間近という1月のとある日。

金曜の夜中、かなちゃんからLINE。

「えびさん…すみません…。
転んで縁石に顔面ぶつけ、歯が折れて救急車で運ばれてます、今。」

なぬー!!Σ(゚д゚lll)

「ほんとごめんなさい…とりあえず病院でいろいろ検査して、
また状況を連絡します!!」

運悪くも、その翌日は、かなちゃんに新アテ研修をお願いしており、
しかも、新アテ研修を見学に来る人たちもいる予定になっていた。
夜中だから、もう別のアテを組む連絡調整も難しい。

仕方ないのでひたすら待つ。

そして3時過ぎ。
りんろーん、とLINEが鳴る。

「遅くなりました。
歯がない以外は通常通りなので、明日、予定通り介助入ります」

歯がないだけでなかなかの一大事だと思うが、
とにかくありがたい。
とりあえずホッとして4時就寝。

翌日、かなちゃんは、予想よりもはるかにひどい顔で元気に登場。
ズルズルに擦りむいた顔をマスクで覆い、
歯が折れているのでウィダーインゼリーしか摂取できないと。

よく来たね…(;゚Д゚)))

「だって、今日、研修入ってるじゃないですか。」

いや、それにしても…

「で、えびさん、今日、職場のイベントありますよね」

まあ、そうだけど…

「なんか、不思議なんですけど、救急車で運ばれてる時、
折れた歯のことよりも、明日の介助どうしよう!
ってことが先に頭に浮かんだんです(笑)」

さらには、

「歯がないと、何か食べる時に口の奥に食べ物そーっと置いて、
ゆっくり噛んで、慎重に飲み込んで、って、めちゃ大変なんですよ。
あぁ、えびさんが食べるの大変、疲れる、
お腹いっぱいになる前にやめちゃうっていつも言ってるのはこれなんだー!
って、よく分かりましたw」

と、ズルズルの顔でもとことんポジティブ。

「とんでもない子が来たもんだ」と思った去年から、
「こんなんなってまで来てくれて感謝しかない」と思う今春。
人って、1年でこんなに変われる!?
と、すごく感慨深いものがありました。

そんなかなちゃんが書き上げた修士論文。
これがまたすごく良かった。

最初、「SMA患者の生き様を研究したい」と言っていた彼女の論文は、結果、
「自分の生き方に向き合い、自分の生き様をどうしていくか」
を論じるものに変わっていました。

「いつも周りの人達の希望に添える自分でありたい、
周りの人たちの役に立つ、
周りの人たちにとって都合のいい人間でありたいと思ってきた自分」
は、他者に対しても
「私にとって都合のいい存在でいてほしい」と願っていたことに気付いたこと。

しかし、海老原は、決してアテである自分の都合のいいように振舞ってくれず、
自我を押し通し、ワガママで頑固でどうにもならず最初はイライラしていたこと。

その理由は、研究を始める前は、
「なんでも自分でできなければいけない、
自己は自己制御できた方がいいし、自己で生産性を持てたほうがいい」という
「自己完結を求める社会」こそ正しいという価値観に支配されていたから。
なので、病気が進行し「できなくなること」
=人としての無力化=不幸、恐怖でしかなかった彼女。

それが、アテンダントの仕事を通して
「できなくなること=他者を自分の生活に介入させる余地が増えるだけのこと
=ちょっと面倒だけど人としての価値は大して変わらない」
にパラダイスシフトしていった彼女。

「できなくてもいい」
「それを補完するためにいろんな人の手を借りればいい」
ことに気付いた彼女は、
「周りから押し付けられている価値観に従い続けなければならない狭い世界」から解放され、
「どうにもならない差異のある他者とともに在ることへの快楽」を見出していき、
さらには、「そのような価値観こそが社会を救う」
とまで言いだしてます、論文の中で(笑)

快楽と社会変革ですよ、もう、すごいことになっちゃったw

でも、ほんとにうれしかったなぁ。
命を削りながら地域生活を送っている意義を、
こんなにしっかり受け止めてくれる人が、まだいる。

心不全だし、寝不足だし、疲れるし、大変だけど、
もう少しがんばるか。

そんな風に思いながら、また1年、過ごしていこうと思いました。

追記:
なんの縁なのか、もともと出版系の仕事に就きたかった彼女、
私の介助中に、私の著書を出してくれた出版社「現代書館」の方とつながり、
ちょうど定年退職するその方の後継として、現代書館に就職しました(笑)

かな「人生の価値観はひっくり返るわ、就職先まで見つかっちゃうわで、
もう、えびさんには足向けて寝れませんw」

いろいろ「もってる」んだよ、あなたは、きっと(笑)
これからもいろんな出会いを通して、いい本いっぱい出してください。

皆さん、「福祉労働」定期購読してあげてください(笑)

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 そんな風に海老原さんに出会った向山さんは

「自分と全く違う存在と生きることの楽しさ、そして障害のある人と出会えない社会のつまんなさ、に気づいた」

といいます。すばらしい気づきだと思います。

 向山さんは現代書館が発行している季刊『福祉労働』(福祉の世界を地道に語ってきた本です)をもう少し誰でも読んでみたくなるような本にしたいと考えています。「障害のある人と出会えない社会のつまんなさ、に気づいた」向山さんがどんなふうに『福祉労働』を作るのか、とても楽しみにしています。

 そのためにも6月27日(木)のぷかぷか×日本財団CANPAN共催のセミナーにも参加するそうです。うれしいですね。

pukapukacanpan.peatix.com

セミナーの参加申し込みはpeatixでするようになっていますが、ぷかぷか問い合わせ窓口info@pukapuka.or.jpに「6月27日セミナー申し込み」と書いてメールを送ってもらっても結構です。参加費1,000円は会場でお支払いください。おまけで『pukapukaな時間』がもらえますので、すごくトク!です。ぷかぷかさんといっしょに生きるとこんなにも豊かな時間が生まれる、ということをビジュアルに表現した冊子です。

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最近の日記
  • この何気ない風景をゆるせる、福祉、社会っていいですよね
  • 障害のある人と一緒に生きていくための、自己実現論だから面白い
  • 笑顔をなくしてまで合わせる先に、何があるのでしょう
  • 東海テレビ、すごい!
  • 「こんなの聴いたことない感」にあふれた歌が世界中でヒットすれば
  • 福祉事業所は障がいのある人たちにとって大切な場であるだけでなく、地域社会にとっても大切な場である…
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笑顔をなくしてまで合わせる先に、何があるのでしょう

 毎日小さなカメラを持ち歩き、写真を撮りまくっています。いい写真が撮れたら、キャプションをつけ、Facebookにアップします。

 今日撮ったこの写真

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 特に物語があるわけではなく、どういうキャプションをつけようかといろいろ考えました。写真を眺めているうちに、あーだこーだと物語を考えなくても、彼らがこうやって笑顔でいること、ただそれだけでいいじゃないか、と思ったのです。

 そのことに価値があること、こういう笑顔を生み出す社会こそ豊かであること。

 

 昔養護学校の教員をやっている頃、卒業生の進路先を時々訪ねました。

 その中で、生徒の変わりようにびっくりしたところがあります。その方は学校にいる頃、ダウン症の、すごくひょうきんな生徒で、その子のまわりは笑い声が絶えませんでした。多分そんな調子で今もまわりを楽しくさせてるんだろうな、と思いながら訪ねました。ところが、楽しいどころか、見たこともないような厳しい顔つきで、ひたすら部品の組み立てをやっていました。なんだか話しかけるのもはばかられる雰囲気で、居心地悪く、そそくさと退散してしまいました。

 なんだか悲しい気持ちでした。彼の、あの笑顔はどこへ行ってしまったんだろうって。

 

 彼らを社会に合わせるのもいい。でも、笑顔をなくしてまで合わせる先に、何があるのでしょう。そこのところこそしっかり考えないと、彼らが辛い思いをするだけでなく、社会の大きな損失になる気がします。

 

 こういう人たちのこういう笑顔は絶対なくしちゃだめなのです。この笑顔は社会の大切な財産です。

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 6月27日(木)に日本財団ビルでおこなうセミナーでは、こんな話もします。ぜひおいでください。

https://pukapukacanpan.peatix.com/view

セミナーの参加申し込みはpeatixでするようになっていますが、ぷかぷか問い合わせ窓口info@pukapuka.or.jpに「6月27日セミナー申し込み」と書いてメールを送ってもらっても結構です。参加費1,000円は会場でお支払いください。おまけで『pukapukaな時間』がもらえますので、すごくトク!です。

 今日は軽井沢から参加される方から、セミナーの前にぷかぷかを見学したいと連絡がありました。

東海テレビ、すごい!

 東海テレビがすばらしい公共放送を作っています。

 

 当事者からのメッセージ。最後、涙がこぼれました。

 こういう力強い、必死のメッセージが今必要。そして、こういうメッセージが社会を動かします。

 当事者のこんなメッセージを、私たちはもっともっと拾い集めねば、と思いました。

 

見えない障害と生きる

https://www.youtube.com/watch?v=hFppNU0ONQo

 

 

報道現場の記者の迷いや悩みこそが、報道の内容を豊かにするのだと思います。何があったのか、機械的に伝えるのではない、人間として伝える、人間というフィルターを通して伝える、ここが一番大事な気がします。そういった人を感じる報道が、時として深く傷ついた人を救います。

 

今テレビの現場から

https://www.youtube.com/watch?v=czhgTbcs41M&feature=youtu.be&fbclid=IwAR0jOe-uTLZfFgq1iRqZ3Fysm44PzrVf0tE-3b8b_kPSLhnH_had07QHz5s

 

 にしても、東海テレビ、すごい!

「こんなの聴いたことない感」にあふれた歌が世界中でヒットすれば

昨日影絵のワークショップに参加したfujikiさん、時々ギターかウクレレ抱えてぷかぷかに来るので、みんなでビートルズ歌いましょう。

 「こんなの聴いたことない感」

にあふれた歌ができあがったらCDにして世界に向けて発信しましょう。きっとすごい反応が出てきます。その反応を見て、世界中の障がいのある人たちがビートルズ歌い出したら、すごくおもしろいじゃん!といってました。

 世界中の街角に、障がいのある人たちの歌う「こんなの聴いたことない感」あふれるビートルズの歌があふれるのです。なんだか想像するだけで楽しくなります。

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  fujikiさんはすばらしくセンスのいい音楽家で、先日紹介した『親が精神障害 子どもはどうしてんの』の動画の音楽ディレクターをやったりしています。『ぷかぷかさん カナダをゆく』のエンディングに使った音楽のブラッシュアップもしてくれ、私はあのシーンで涙が止まらなくなりました。(8月3日(土)の午前中みどりアートパークホールで上映します。)

 そんなfujikiさんの提案する話なので、本当にこういうおもしろいことが起こるんじゃないかと思っています。

 福祉事業所が発信した「こんなの聴いたことない感」にあふれた歌が、世界を揺り動かすかも知れないのです。

 障害者を社会から排除する動きは、その理由をいっぺんに失います。

 「こんなの聴いたことない感」にあふれた歌が世界中でヒットすれば、障害者は、「あれができない」「これができない」「社会の役に立たない」といった理由が、なんだか恥ずかしくなります。

 

 6月27日の日本財団CANPANと共催のセミナーではfujikiさんが、そんな、今まで聞いたこともないような、目からウロコの提案をします。これはもう絶対に聞かなきゃソン!です。

www.pukapuka.or.jp

 

 セミナーの参加申し込みはpeatixでするようになっていますが、ぷかぷか問い合わせ窓口info@pukapuka.or.jpに「6月27日セミナー申し込み」と書いてメールを送ってもらっても結構です。参加費1,000円は会場でお支払いください。おまけで『pukapukaな時間』がもらえますので、すごくトク!です。ぷかぷかさんといっしょに生きるとこんなにも豊かな時間が生まれる、ということをビジュアルに表現した冊子です。

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福祉事業所は障がいのある人たちにとって大切な場であるだけでなく、地域社会にとっても大切な場である、という新しい福祉

先日ぷかぷかのファンの方が『ぷかぷかな物語』を読んだ感想をFacebookに投稿していました。その中にこんな文章がありました。

●●

「ぷかぷかさん達」はぷかぷかだけでなく、日本中に世界中に居るのに、ぷかぷかに居る「ぷかぷかさん達」がキラキラして見えるのは何故でしょう?

●●

 障がいのある人たちは、どこの福祉事業所にもいます。でもぷかぷかで働いている障がいのある人たちがキラキラして見えるのはどうしてでしょう、という指摘です。

 ここにこそ「ぷかぷかのヒミツ」があります。ぷかぷかで働く障がいのある人たち=ぷかぷかさんたちは、どうしてキラキラ輝いているのか。

 キラキラ輝くことで。「ぷかぷかさんが好き!」という、たくさんのファンを作りました。そうすることで地域社会を豊かに耕してきました。

 福祉事業所は障がいのある人たちにとって大切な場であるだけでなく、地域社会にとっても大切な場である、という新しい福祉をぷかぷかは提案してきました。

 

 福祉事業所は全国、どこにでもあります。でも、多くの福祉事業所は、なんとなく入りにくかったり、中で何やっているのか全く見えなかったりします。

 福祉事業所には魅力ある人たちがたくさんいるのに、すごくもったいないと思っています。ちょっと発想を変えるだけで、障がいのある人たちのファンをたくさん作り、地域社会を豊かに変えていくことができます。

 

 ぷかぷかは、今までにない発想で、たくさんのファンを作り、新しい福祉を展開してきました。そのヒミツに迫るセミナーを日本財団CANPANとの共催で6月27日(木)午後6時半から日本財団ビルでおこないます。

 地域社会を豊かにするような新しい福祉を模索している方、ぜひご参加ください。

www.pukapuka.or.jp

子どもたちを支えることは、いっしょに冒険の旅に出ること

 親が精神障がいの子どもを支える動画です。私は親の立場で精神障がいの娘と日々向き合っていますが、なかなか大変な日々です。ただその大変さを相談できる相手がいるので、まだ救われるのですが、子どもの場合は、相談できる大人を見つけるのがすごく大変だろうと思います。そこを支えていこうという動画です。子どもの頃苦労したチアキさんの言葉が光っています。

kidsinfost.net

 子どもはまわりの大人が理解していないとなかなか心を開けません。

 あの子は心を開かない的な発言に対し、

「心を開いて、それを受け止めるキャパあるんかい」

とぽろっと言うチアキさん。この言葉は、社会全体に対する問いかけでもあろうと思います。

 いろんな家族があること、いろんな親がいること、何よりも、いろんな人がいること、いろんな人のいろんな生き方があること、そういうことを受け止めるキャパを社会はどれくらい持っているのだろう、という問いかけ。

 

 そのキャパは、何か勉強して広がるものでもありません。やはりいろんな人とおつきあいすること、障がいのある人、とりわけ精神障がいの方とおつきあいすること、そのことで自分のキャパが少しずつ広がっていくのだろうと思います。キャパが広がることは、自分が豊かになることです。

 親が精神障がいの子どもを支えることは、子どもにとってはもちろん、自分にとっても、すばらしくいいことだと思います。

 

 チアキさんの書いたこの本がすごくいい

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 大人の脳を使って生き抜け10代を

 君が「自分が自分であるために」

 

の言葉がいいですね。

 

 オペラ『ロはロボットのロ』の主人公テトは、パンが作れなくなってしまう、つまり「ぼくがぼくでなくなっちゃう」危機の中で、「ぼくを取り戻す」冒険の旅に出かけます。弱いロボットのテトを応援する子どもたちもいっしょに、わくわくドキドキハラハラしながら冒険の旅に出かけます。 

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 そうだ、ぼくもチアキさんの本を片手に、子どもたちといっしょに冒険の旅に出よう。

 子どもたちを支える、といったって、精神障がいのこと、それほど知らないので、たいしたことはできません。できることは、子どもたちといっしょに冒険の旅に出ることだと思いました。

 「自分が自分であるために」

 

 ★『生きる冒険地図』はアマゾンで手に入ります。

10年後、20年後に、この事件はどのように語られるのか

先日のぷかぷか日記で

 

 障がいのある人に向かって

 「あなたにいてほしい」「あなたが必要」

と、素直に思える関係がぷかぷかにはあります。

 

と書きました。これはぷかぷかさんたちと私たちの関係から出てきた言葉です。この言葉は、相手とどういう関係を作っているかがストレートに見えます。

 

 相模原障害者殺傷事件の犯人は

「障害者はいない方がいい」

といいました。これも相手との関係を語る言葉だと思います。つまり、やまゆり園を利用していた障がいのある人たちと犯人との関係から出てきた言葉だろうと。

 もし犯人が、ぷかぷかのように「あなたにいてほしい」「あなたが必要」と思える関係を相手と築いていたら、事件は起こらなかったはずです。

 

 ぷかぷかでは、下の写真のようなことをいっしょに楽しめる関係があります。犯人がこんな関係を利用者さんと作っていれば、事件は起こらなかったのではないか、と思うのです。

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 このことは何を意味するのでしょう。

 事件に関する報道では、犯人の特異性がいつも強調されます。犯人がやまゆり園で障がいのある人たちとどのような関係であったのか、の検証は全く出てきません。

 

  神奈川県の事件検証委員会の報告書には、その点に一切ふれていません。どこまでも防犯上の問題としてかたづけています。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/853791.pdf#search=%27神奈川県相模原障害者殺傷事件検証委員会%27

 

 事件直後閉鎖されたやまゆり園のホームページは事件から1年後に再開されたのですが、事件について書かれていたのは、まるで他人事のように書かれたわずか2行の言葉です。

 

《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。 》

 

 犯人は事件の半年前までやまゆり園で働いていました。雇用していた人間が引き起こした事件です。雇用していた立場からの責任ある言葉があってしかるべきです。社会に大変な衝撃を与えた事件です。わずか2行の、他人事のような言葉ですましていいはずはありません。

  やまゆり園はかながわ共同会という社会福祉法人が運営しています。社会福祉法人にはぷかぷかのようなNPO法人に比べると、はるかに大きな社会的責任があるはずです。

 事件についてきちんと語る、という社会的責任です。

 どうしてあのような事件がやまゆり園で起こったのか、どうして元従業員があのような事件を起こしたのか、犯人は利用者さんたちとどういう関係を築いていたのか、をきちんと語る、という社会的責任がやまゆり園、かながわ共同会にはあります。

 どうしてその責任を果たさないのでしょう。

 

 本来なら社会福祉法人かながわ共同会を監督する立場にある神奈川県が指導を入れるべきところです。指導を入れていないから、たった2行ですましているのだと思います。

 かながわ共同会は、神奈川県の職員の天下り先として有名です。それを理由に神奈川県が指導を入れないのだとしたら、とても恥ずかしい話です。

 

 自分たちにとって不都合な事実を隠しているのではないか、そんな気がします。

 

 犯人は施設に勤めたときは非常に腰の低い人間だったといいます。

 障害者問題総合誌『そよ風のように街に出よう』91号「明日に向かって語れ」という対談で編集委員の牧野さんはそのことをこんなふうに語っていました。

…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」

 

 ここの指摘はとても大事です。

 そしてやまゆり園の雰囲気を語るこんな話もあります。

「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」

 

 NHKクローズアップ現代で植松被告のNHKあての手紙が取り上げられたことがあります。「障害者は不幸しか生まない、という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった」と書いていたそうです。そのことについて、事件から1年目のやまゆり園事件追悼集会で会った家族会の方に聞いたことがあります。

 「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」

とおっしゃってました。それくらい現場が荒廃していた、と。前の家族会の会長と同じことを言っています。

 

 現場の荒廃については昨年7月のNHKスペシャルでも語られていました。  12時間も拘束された女性の話がありましたが、本当に驚きました。この異常な事態を誰もおかしいといわなかったやまゆり園の雰囲気こそ異常です。この荒廃ぶりと事件との関連はどうなのか。取材を拒否されたのか、ここの突っ込みがなかったのはとても残念でした。

www.nhk.or.jp

 

 昨年7月におこなわれた2回目のやまゆり園事件追悼式のあいさつにおいても、元従業員が起こした事件としてのお詫びの言葉はひとこともありません(ホームページのお知らせのタグをクリックすると出てきます)。びっくりしたのは犠牲になった人たちのことを「仏様のような皆様方」と表現している部分です。

 先ほども紹介したNHKスペシャルでは女性が12時間も拘束されていた事実を報道していました。利用者さんに対するやまゆり園の姿勢がよく見えたのですが、そういったことを考えると、「仏様のような皆様方」といった言葉にはやまゆり園の欺瞞性が吹き出している感じがして、私は吐き気がしました。

 私が家族であったなら、もう怒り怒り狂ってしまうようなあいさつです。どうして家族会の方は抗議しないのでしょう。

 

 NHKが事件直後からこつこつ取材を重ねて作っているサイトがあります。犠牲になった人たちのエピソードも少しずつ膨らんできているので、地道な取材が続いているのだと思います。本来ならやまゆり園がやるべきことです。やまゆり園がやればエピソードがもっと充実したものができるはずです。どうしてそういったことをやらないのでしょう。結局のところ、なくなった方たちへ「思い」がないのではないか、と思ってしまいます。

www.nhk.or.jp

 

 10年後、20年後に、この事件はどのように語られるのか。歴史に耐えうる検証をしなければならないと思います。

 事件はなぜ起こったのか、それをあらゆる角度から検証するのです。

 本来はやまゆり園がやるべきことです。でも、事件をわずか2行で語るような法人にはとても期待できません。

 でも、誰かがそこのところをやっていかないと、19人のいのちは浮かばれないと思います。

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