68/71黒色テントで脚本、演出をやっている山本清多さんが演劇ワークショップについてわかりやすく書いています。
《 僕が初めて演劇ワークショップというものを経験したのは8年前で(1980年頃の話。)フィリピンのマニラででした。それまで15年も芝居をやってきましたが、台本を書いたり、芝居の演出をしたりで、自分の体と声を使って芝居を作り、演じるということはしたことがなかったのです。そういうことをするのは、僕がそれまでやってきた芝居作りでは役者とか俳優にまかされていました。
それが演劇ワークショップでは、場面や筋を考えるだけでなく、自分もほかの人達(しかもタイやマレーシアから来た人達で、言葉もうまく通じないのです)といっしょに演じなければならなかったのです。はじめは思いました。俳優でもない僕がどうしてこんなことしなければならないのかと。
僕が考えていた演劇と、ワークショップの演劇とでは、同じ演劇でも全然違ったものだったのです。
僕たちの社会では、演劇に限らず、音楽や文学や絵や踊りとかも、たいてい専門の人が作って、それを見たり、読んだり、聴いたりしたい人達は、お金を出してそれを買って楽しむのです。
ワークショップの演劇は、お金をとって見せるために作るのではなかったのです。演劇の専門家になるための練習でもないのです。演劇を作ることを通して、他の人達と話し、聞き、考え、それまで自分が気がつかなかったことを発見するためなのです。だから全員が作ることに参加し、見ているだけという人はいません。できあがったものより、つくりあげるまでに何かを発見できたかどうかが重要なのだ、ということに僕は気づかされたのでした。
確かに僕たちはひとりでじっと考えることも、本を読んで考えることも、先生に教えてもらったり、友達と話したりして考えることもできます。でも、何人もでいっしょに何かを作るなかで気づくことが、いちばん意味がある。ワークショップというのは、そういう考え方に基づいているのだと思います。 》
演劇ワークショップの原点と言えるものです。
《みんなで何かをいっしょに作る中で気づくことにいちばん意味がある》
最後の演劇ワークショップ参加者募集!
まず感じたことは障がいをもつ人たちを支援する対象とした見方でなく、「共にはたらく・生きる」同志として地域を巻き込み(耕す)ながら一緒に活動し、そのほうが絶対楽しいということ。そして持続性があること。「多様性を認め合うインクルーシブ社会の実現を」とどこでも耳にしますが、今の社会の在り方は、教育、就労が障がいをもつ人たちとそうでない人たちとを分けた制度の上で成り立っています。
分離が進むほどその社会の規範に縛られて、障がいをもつ人たちがその多様性を認めてもらうどころか社会に合わせるために押し殺さなければならない、ますます支援、配慮の対象にされてしまう。
ぷかぷかさんのように障がいをありのまま楽しむ方法を作り上げれば、そこに生産性も生まれ、制度も使い倒し、地域も社会も豊かにしていくことを実現していけるのだなととても参考になりました。障がいをもった人たちと関わる仕事をされている方、学校教育関係の方にもぜひ読んでいただきたい一冊です。
何より、ぷかぷかさんたちがとても魅力的です。
だから、内容もおもしろくてあったかくてやさしい。
「好き」という思いで、まわりを巻き込んで、心を耕してやわらかくする。
その場も街も、ふかふかにしていく。
「あなたが好き」から出発した世界に人間の上下はない。
人を矯正していく支援はやはり無意識に「上下」があるのだと思う。
相手だけでなく、修正する側も自分自身が縛られていく。
自分を修正し、社会も修正しようとする。
それが今の息苦しさにつながっているのではないだろうか。
という訳で
先生や支援職にある人やサポートの組織を立ち上げる人には
ぜひ読んでほしいと思う。
他では得られない大きな気づきがあるはず。
最後の相模原障がい者施設殺傷事件への言及も必読です。
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もう読んでしまった方は、ぜひアマゾンのカスタマーレビューを。