ぷかぷか日記

『街角のパフォーマンス』オンデマンドで100部限定印刷

  養護学校の教員をやっていた頃書いた『街角のパフォーマンス』をオンデマンドで100部限定で印刷しました。1988年に発行したものですが、中身は全く古くありません。というか、障がいのある子どもたちとこんなにおもしろい場をいろいろつくってきたことは、時代のはるか先を行っていたような気がします。いや、今の時代だって、こんな場はつくり切れていない気がします。

 副題の《「障害」のある子たちからのやさしい反撃》は、彼らといっしょに作り出した柔らかなやさしい文化による、彼らを排除する文化への反撃、といった意味です。当時、私が彼らといっしょに作り出しているのは新しい「文化」だ、と主張していたのですが、振り向く人はゼロでした。何を寝ぼけたこといってんだ、という雰囲気。演劇ワークショップが読売福祉文化賞を受賞したのは、それから30年もたってからです。時代は何を見ていたのか、と思います。

 ですから、今読んでも、新しいものがたくさん見つかります。ぜひ読んでみて下さい。

 

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どんな内容なのか。目次を見ただけでわくわくします。

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 よく晴れた日曜日の昼下がり、街角の小さな駐車場に「カントト、チントト、カンカン、ジャーン」と鍋のふたやら空き缶やらのにぎやかな音が響き渡ると、プラスチックの野菜ケースを積み上げた舞台で人形劇が始まります。

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「やあやあ、おまえはだれだ」

「おれか、おれはバナナから生まれたバナナ太郎だ。さあ、かかってこい」

と台所のスポンジでつくった小さな人形が右に左に舞台を動き回ります。街角にとつぜん出現した、なんとも楽しい雰囲気に、通りがかりの人たちも「お、なんだなんだ」と、つい足を止め、見入っていきます。

 養護学校の子どもたち、生徒たちが地域に出て行く手がかりをつかもうと、月一回、街角の小さな駐車場で開かれている「あおぞら市」に手打ちうどんのお店を出していました。たまには何かおもしろいことやろうよ、って「うどんや」の終わったあと、そこにあつまった近所の子どもたち、大人たち、養護学校の生徒たち、子どもたちで即興の人形劇をやったことがありました。

 

 地域の子どもたちと大人たち、養護学校の生徒たち、子どもたちで、街角の駐車場で即興の人形劇をやるなんて、今、この時代でもなかなかないと思います。即興で芝居をつくってしまうようなことができたのは、いっしょに演劇ワークショップをやり始めて2年目くらいで、みんな芝居つくりにかなり慣れていたからです。

 即興で芝居をつくってしまうこともすごいのですが、その前にこういうことができてしまう関係があったことがすごい重要です。今のぷかぷかでも、地域の子どもたち、あるいは大人たちと、ここまでの関係はつくり切れていません。それを30年以上も前にやっていたのです。「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉すらなかった頃の話です。

 どうしてこんなことができたのか、ぜひ『街角のパフォーマンス』読んでみて下さい。抽象的な話ではなく、具体的な手がかりがいっぱい見つかるはずです。

 

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 学校の中ではプレイルームを占拠し、役者もお客さんもクッタクタになるほどの熱気あふれる場「芝居小屋」をつくったりしていました。役者だけでなく、お客さんも一緒になって芝居をつくり、一緒になって楽しめるような場をつくりたいと、「海賊ジェイク」という芝居をまさに「芝居小屋」という雰囲気の中で、役者もお客さんも汗だくになってつくりました。

    ビューン ビューン

    ザザザザ ザッブーン

    ピカピカッ ドッカーン

   風をやる人、波をやる人、雷をやる人、全部やる人、なんだかわからないけど

   めちゃくちゃにコーフンしてる人、「芝居小屋」はもう熱気むんむんの大嵐。

 

 こういうことは事前に説明できません。その場で即興で進行していきます。説明するとつまらなくなります。何が始まるんだろう、どうなっちゃうんだろう、というわくわく感が、なくなってしまいます。予定通り進める、という予定調和は、場と向き合う、という緊張感をそいでしまいます。

《 当時はほんとに必死だった。お客さんはもちろん、いっしょにやる教員も「ほんまこいつ何やるんだろう」って感じだったから、もうとにかくここで勝負するしかないと思ったね。たった一人であの場と向き合ったときの緊張感は、今思い出してもたまらない感じ 》

 いろんなことができるようになったのは、このときの経験が大きかったと思います。表現することの自由をこのとき手にしたように思います。その後転勤した養護学校では全校生を相手に体育館でこの「芝居小屋」をやりました。

 

 今の学校に、これだけ熱気、エネルギーの渦巻く場があるでしょうか?管理ばかりやたらうるさくなって、みんなが生き生きする場がほとんどありません。これは管理する側の問題だけでなく、管理を超えるくらいのすばらしいものを作り出そう、という熱い思いのない教員の側の問題が多いと思います。

 それを取り戻すにはどうしたらいいのか。この本には多分ヒントがいっぱいあります。

 

 ベテランの教師と組んで「ちびくろサンボ」の芝居をやったことがあります。その教師が芝居の終わったあとの感想に「自分のために何かするなんて、はじめて」と書いていて、その言葉が妙に気になって、後日二人で話をしました。その時の記録が第3章(3)の二人でトーク「子どもと出会い、自分と出会う」です。ベテランですから、いつも子どものために授業をやってきました。レールを敷き、その上を授業案通りに走らせるような授業。そんなガチガチだった教師が、私と組んで「ちびくろサンボ」の芝居をやる中で、はじめて子どもと出会い、自分に出会います。そして「自分のために何かするなんて、はじめて」と感想に書きます。私も含め、自由になるってどういうことかについて深く語り合った貴重な記録です。ぜひ読んでみて下さい。

 

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 養護学校でステキな子どもたちに出会い、こんな子どもたちを学校に閉じ込めておくのはもったいない、と街へ連れ出しました。

 原っぱで野球をやっていた子どもたちの中へ、重度障害の子どもが知らない間に入っていて、子どもたちはその子のためにルールを変えたりして楽しく遊んでいました。大人がお膳立てしたりする必要は全くありませんでした。

 

 6年生のみーちゃんはこんなふうに書いていました。

《 私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつきたのかわかんないけど、けんいち君がはいっていて、バットを持ってかまえているので、おにいさんのあきら君にゆっくりかるい球をなげてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。

 けんいち君は、最初のうちは球がくると、じーっと球を見ていて打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、後ろをふりかえって、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。 》

 

 いっしょに遊んだ1年生のくんくんはけんいち君にお手紙を書きました。

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障がいのある子を一人で電車に乗せないでください、という新聞投書がありました。

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  この投書をテーマにした集まりを地域の中でやりました。養護学校へ子どもをやっているお母さんたち、地域のいろんな人たちが集まりました。その中でこんなすてきな意見が出ました。

《今は人とつきあうおもしろさが実感としてなくなってきたんじゃないのかな。僕はお母さんたちの話を聞くのははじめてで、すごくいいなぁって思って、心が耕されているみたいです。そういうおもしろさみたいなのをうまい手段で伝え、みんなと結びつきができるようになれば、100年後には、もうちょっといい世界ができるんじゃないかな》

 30年前はみんなそんな風に世界は少しずつよくなるものと考えていました。そんな思いでたくさんの方が投書を巡っていろんな意見を出してくれました。みんな、世界を少しでもよくしたい、と思ってのことです。こんなふうにすれば世界は少しずつよくなると思っていたからです。

 でも、30年後、相模原障害者殺傷事件が起き、「障害者はいない方がいい」という犯人の言葉に賛同する人たちまで現れています。社会の分断は30年前よりも更に進んでいます。

 結局、この30年、私たちは何をやっていたのか、ということです。

 そんな中で、私たちはどう生きていくのかが問われていると思います。

 

 

 『街角のパフォーマンス』ぷかぷかで販売しています。info@pukapuka.or.jp 魚住までお問い合わせ下さい。電話は045−923−0282 アート屋わんど

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神奈川県に質問状

 津久井やまゆり園の無責任さについて、 神奈川県はどう思うのか、質問状を書きました。県のホームページの「私の提案」から質問を送ります。以下、その内容。

 

 津久井やまゆり園障害者殺傷事件に関する質問です。

 津久井やまゆり園は事件後、1年たってからホームページに、事件について以下のように述べています。

 

《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。》

 

 社会に大変な衝撃を与えたあの事件に対し、わずか2行の人ごとのようなあいさつで済ませていいものでしょうか。

 やまゆり園は社会福祉法人が運営しています。なぜこのような事件が起こったのか、ということについてきちんと説明する社会的責任があるはずです。

 犯人はやまゆり園で働いていた支援員でした。当然雇用主としての説明責任があります。

 支援の現場で、どうしてこのような事件が起こったのか、現場の運営者として説明する責任があります。

 そういった説明が一切ありません。

 

 

質問です。

①社会福祉法人の監督者として、このような説明責任を果たさない法人について指導を入れたのでしょうか。指導を入れていたらその結果を教えて下さい。指導を入れていなければ、その理由を説明して下さい。

 

②犯人はやまゆり園で働いていた支援員でした。当然雇用主としての説明責任があります。この点について、どのように思いますか?

 

③事件は支援の現場で起こりました。支援の現場でどうしてこのような事件が起こったのか、現場の運営者として説明する責任があります。この点について、どのように思いますか?

 

④神奈川県の作成した事件報告書には、津久井やまゆり園はどのような現場であったのか、犯人は障がいのある人たちとどのように関わっていたのか、という報告が一切なされていません。なぜですか?

 

⑤昨年7月のNHKスペシャルで12時間も拘束された女性の話が出てきました。人権侵害も甚だしいです。そういう現場の調査はしなかったのでしょうか。現場の調査なしで、事件の検証ができたのでしょうか。

 

 

 ①から⑤まで、項目別にお答え下さい。

世の中捨てたもんじゃない、と思うこともいろいろあって、まだまだ希望が持てる

昨日書いたぷかぷか日記に、こんな感想が上がってきました。

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《「名前のない柱」は、津久井やまゆり園が、強いては社会そのものが、重度障害の人たちの人生にどう向き合っているのかを象徴しているように思います。》

 本当にそうですね。この社会のあり方そのものがこの事件を引き起こしたんですよね。 それなのに、NHKの調査で「5人に1人がこの事件を覚えていない」との結果。 元々隠されていたのに、事件そのものもなかったことにされています。誰も本気で怒る人がいない。本当にどうしたらいいのだろう、とむなしい思いになります。

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 あれだけの事件があったにもかかわらず、社会はなかなか変わらなくて、がっかりすることの多い日々です。社会は大きく変えようとしたり、優生思想云々、といった大きな問題を解決しようとすると、何から手をつけていいのかわからなくなって、無力感にさいなまれます。

  そうではなく、自分にできる小さなことを積み上げていった方が、社会は確実に変わります。社会の変わりようが目に見えます。

 

 ぷかぷかのスタッフは、ぷかぷかさんたちといっしょに毎日「いい一日」を作り続けています。そしてそのなんでもない「いい一日」をFacebookで発信し続けています。こんなことがあったよ、あんなことがあったよ、っていうただそれだけの平凡な日々。でもそれは、彼らといっしょに生きたかけがえのない一日なのです。彼らといっしょにつくった輝くような一日なのです。

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 これならスマホがあれば誰でも簡単にできます。もちろん、これで社会が大きく変わるわけではありません。それでもFacebook見て、ちょっと癒やされたり、実際にぷかぷかに遊びに来たりして、ぷかぷかのファンが少しずつ増えたりしていることは、社会がちょっとだけ変わったといっていいと思います。

 障害者はなんとなくいや、近寄りたくない、と思っている人がたくさんいる世の中で、「ぷかぷかさんが好き!」というファンが出てきたことは、画期的な社会の変化だと思います。

 「障害者はいない方がいい」というのが相模原障害者殺傷事件を象徴する言葉とすれば、「ぷかぷかさんが好き!」という人たちが増えてきたことは、事件を超える社会が密かにぷかぷかのまわりにできつつある、ということです。

 ぷかぷかは「ともに生きる社会をつくろう」なんて歯の浮くような言葉は一度も口にしたことがありません。にもかかわらず「ぷかぷかさんが好き!」といい、「いっしょに生きていった方がトク!」と思う人がどんどん増えているのです。

 ここにぷかぷかのヒミツがあります。ヒミツを知りたい人は『Secret of Pukapuka』という映画をぜひ見て下さい。問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで

 『ぷかぷかな物語』もぜひ読んでみて下さい。「いっしょに生きていった方がトク!」な物語が満載です。

https://shop.pukapuka.or.jp/items/19207891?from=widget

 

 ぷかぷかに遊びに来て、うちの町にもぷかぷかみたいなところがあるといいな、という人は以前から多いのですが、最近は、自分の町にぷかぷかをつくろう、という人が少しずつ現れてきました。北九州市と横浜市の鶴見区の人たちです。

 鶴見区ではこんなサイトが立ち上がりました。

https://www.facebook.com/tsurumi.pukapuka/?eid=ARCCkN_XrVSTbcubQAnz1Oggh1-oro-7QNfETySDoXdvb5qlWRmIRRoIy334ErolHX_UDGINsbYFXKFK

 

  「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がトク!」と思ってはじめたぷかぷかですが、そんなぷかぷかを自分の町にも、というのは、「いっしょに生きていった方がトク!」と思う人が増えてきたということです。ここでも相模原障害者殺傷事件を超える社会ができつつあるのです。

  11月4日(月)にその第一回目のイベントがあります。ご都合つく方はぜひ!

 

 「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナーの出前をやる予定で、現在5カ所で準備中です。

www.pukapuka.or.jp

 これはぷかぷかが作り出した新しい価値観です。この価値観はみんなして生きることが楽になるような価値観です。障がいのある人たちといっしょに生きていく中で生まれた、社会を救うような新しい価値観です。

 「障害者は不幸しか生まない」のではなく、いっしょに生きていくと、生きることが楽になるような、画期的な価値観を生み出すのです。

 ぜひあなたの町でも、このセミナーやってみて下さい。「本当にどうしたらいいんだろう」と悩んでいるよりも、とにかく何かやって、少しでも前に進んだ方がいいと思います。何かやれば、いろんな人との新しい出会いがあります。新しい出会いは新しい物語を生み出します。物語は、町を少しずつ変えていきます。

 セミナーのお問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで

 

  8月3日の上映会の時の感想に

「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」

というのがありました。ぷかぷかのある霧ヶ丘の町に住んでいる人が書きました。ぷかぷかの存在は町の価値を何倍にも上げている、というのです。それを地域住民として実感しているところがすごいと思いました。

 あれがだめこれがだめ、とマイナス評価の多い障がいのある人たちですが、ぷかぷかにあっては「町の価値を何倍にも上げている」というびっくりするような評価が出てきているのです。

 「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」と相模原障害者殺傷事件の犯人は言い、それを支える社会があって、がっかりすることが多いのですが、それでもぷかぷかの周りを見ていると、世の中捨てたもんじゃない、と思うこともいろいろあって、まだまだ希望が持てるのです。

 

 自分の周りにいる障がいのある人たちといっしょに楽しい日々を作り出すこと。そのことが社会を少しずついい方向に変えています。ぜひやってみて下さい。きっといいことが見つかりますよ。

名前のない柱

 京都アニメーションの放火事件の実名報道を巡って、いろいろ議論が起こっているようです。

news.merumo.ne.jp

 

 実名報道されたその日のテレビで、たまたま犠牲になった石田敦志さんのお父さんがたくさんのマイクの前で自分の思いを語っていました。たくさんの言葉の中で、ひとこと、心の中までまっすぐにとんできた言葉がありました。

 「石田敦志がいたことを忘れないでほしい」

 もう、すがりつくような思いでお父さんは言ったのだと思います。「石井敦志」、その名前は、石井敦志さんの人生そのもの。だから忘れないでほしい。

 「石井敦志」という名前をなぞりながら、「彼がここでアニメをつくりながら一生懸命生きていたことを思い出してほしい」、そうお父さんはいいたかったのだと思います。

 

  名前は、その人を忘れないための、唯一残された手がかりです。
 名前がなければ、その人がいなかった、その人の人生がなかった、と同じになります。

 

 津久井やまゆり園の追悼の集まりには、名前のない柱が並んでいたと、参加した方が書き込んでいました。

 名前のない柱では、誰が亡くなったのか、誰がどういう人生を送っていたのか、思い出す手がかりが全くありません。

 みんな一生懸命自分の人生を生きていたはずなのに、それを思い出す手がかりがないのです。言い方を変えれば、一生懸命生きていたみんなの人生がなかったことにされているのです。

 亡くなられた人たちの思いはわかりません。でも、自分がもし亡くなられた人たちの立場であればどう思うのだろう、という想像はできます。一生懸命生きた自分の人生がなかったことにされるなんて、耐えられない気がします。

「名前のない柱」は、津久井やまゆり園が、強いては社会そのものが、重度障害の人たちの人生にどう向き合っているのかを象徴しているように思います。

「これはおかしいじゃないか」「亡くなった彼らに対して、あまりにも失礼じゃないか」

って、どうして誰も言わないのでしょう。

 

 事件を考える集まりで、やまゆり園の家族会の会長は、名前が知られると、たとえば親類が飲食店をやっている場合は売り上げが落ちます、だから名前は公表できない、などといっていましたが、彼らの人生よりも、飲食店の売り上げの方が大事なのでしょうか。

 

 親なら誰しも、石田敦志さんのお父さんのように、自分の子どもがここで生きていたこと、ここでこんな人生を送っていたことを忘れないでほしい、と思うのではないでしょうか。

 名前のない柱を見ながら、ひょっとしたら、とても寂しい思いをした親御さんもいたんじゃないか、と石井さんのお父さんの言葉を聞きながら思いました。

こんな風にうちの町もなっていくといいのになぁ~

昨日ぷかぷかにはじめてきた人がこんな書き込みをしていました。

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本日初めてぷかぷかさんに伺いました😊
思った通りの穏やかで明るい場所でした💗
こんな風にうちの町もなっていくといいのになぁ~
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 うちの町もぷかぷかみたいな雰囲気になるといいなぁ、と思う人はたくさんいます。でも、思うだけでは、町は変わりません。
 町は誰かがつくってくれるものではありません。私たち自身がつくっていくものです。
 ならば、「町にぷかぷかみたいな場所をつくりたい!」っていう思いを発信し、それに向けて具体的に動くのがいいと思います。
 
 つるみにぷかぷかみたいな場所をつくりたい、という人たちがすでに動き始めています。

www.facebook.com

 11月4日(月)の午後に、第1回目のイベントをやりますので、ぜひ来てみて下さい。

 いろいろ参考になることが見つかると思います。大事なことは、見つけたこと、気づいたことを自分の町で実行することです。小さなことでいいのです。とにかく動き出すこと。これがすごく大事です。動き出せば、また誰かと出会い、そこから新しい動き、物語が生まれます。それを紡いでいくと、いつの間にか自分の町にぷかぷかみたいな雰囲気が生まれています。

 

 11月4日にも上映しますが、『Secret of Pukapuka』は、ぷかぷかがどんなことをやっているかがとてもよくわかる映画です。一昨年、カナダバンクーバーで開かれた世界自閉症フェスティバルで上映した作品。27分です。これをみんなで見て、仲間を増やすのがいいと思います。ご希望の方には映像のデータを送ります。パソコンから、その旨書いたメールを下さい。宛先は info@pukapuka.or.jp

  データが重いのでギガファイル便で送ります。ダウンロードして見て下さい。

 高崎を呼んでいただければ、ぷかぷかみたいな場所をつくるヒミツ、コツを教えますよ。

 『ぷかぷかな物語』も仲間で読むといいですね。霧ヶ丘にどうして「ぷかぷか」が生まれたのか、がいっぺんにわかります。

shop.pukapuka.or.jp

 

 アマゾンのカスタマーレビューにこんな言葉がありました。

「読み終えると不思議に何だか心の角がとれて軽くなる。誰かに話したくなる一冊。」

 ぷかぷかさんとおつきあいすると、「心の角」がとれるのです。だからいっしょに生きていった方が絶対にトク!なのです。

 ぜひあなたの町にも「ぷかぷか」作って下さい。みんなの心の角が取れて、とても住みやすい町になります。

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「いなくてもいいとは言いませんが、いたほうがいい、と思ったことは一度もありませんでした。」でも「今、少しづつですが私の中に変化が起きています。」

 先週、「ぷかぷかいい男、いい女写真」の写真を撮りに来た休日フォトグラファー兼偏向素人劇作家の濱隆之介さんが『ぷかぷかな物語』の感想を書いてくれました。

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 私の中でまだ消化しきれていないのでうまく書けるか分からないのですがまず間違いなく言えることは心に響く本である、ということです。

 

 私は先週、実際にぷかぷかにお邪魔させていただいて、ぷかぷかさんたちの写真を撮らせてもらったので尚更なのかもしれませんが、高崎さんたちスタッフや利用者であるぷかぷかさん、そして行政の方々やいろいろな協力者の方たちの苦労と努力が、そしてぷかぷかがいい方向に動き出したときの喜びがとてもリアルに感じることができました。ぷかぷかに関わる人たちの思いを知ると自然と応援したくなるという人は少なくないと思います。

 

 私が二週続けてお邪魔したのも、私なりに何かできないかと考えてのことです。大勢で何かをワイワイやるのは非常に苦手なので自分は蚊帳の外にいて文章を書くことで応援できたらなと思います。たまに伺って美味しいパンを食べて、ぷかぷかの空気に触れるぐらいがちょうどいいのかなと思っています。

 

 話が逸れました。

 本の中で一番印象に残ったのは、昼間も言いましたが相模原の事件のことです。植松被告が3年間の間にあんな考えに至ったのは施設のせい(それだけとは言いませんが)なんだな、初めにぷかぷかのような暖かい場所に出会っていたら結果は違っていたのだろうなと私も思いました。

 

 正直、私の店のお客さんにも「障がい者は親が全て面倒をみれるならいいけど税金を使うならいなくてもいい」といった考えの方もいます。別に悪い人でもなく普通の方です。私もいなくてもいいとは言いませんがいたほうがいい、と思ったことは一度もありませんでした。今、少しづつですが私の中に変化が起きています。ただやはり書いてありましたフリちんの話などはまだ受け入れられません。私のような障がい者の方たちと接点がなく暮らしてきた者は「わからない」「知らない」「なんか恐い」というのがまだまだ本音ではないでしょうか。

 

 高崎さんの本を読むとぷかぷかがどういう場所なのか気になるようになると思います。ただ知識がなさすぎて想像しづらいところもあったのも事実です。やはり読むだけではなくて実際に足を運ばないと、縁のなかった者には伝わらないのではないでしょうか。当たり前ですが小冊子のようなビジュアルが全面に出ているほうがガツンときます。

 

 話があちこち飛んで申し訳ありません。

 まとめます。

 これは高崎さんの狙いとは違うのかもしれませんが今の私が読んだ感想は、

 「高崎さんという強い信念を持った男が業界の常識に立ち向かい、ぷかぷかさんたちの居場所を作り上げた話であると同時にぷかぷかさんたちと暮らすことの良さ、素晴らしさがグッと詰まった一冊」なんだと思います。ぷかぷかさんって何だろう?という興味は絶対に引くと思います。

 

 高崎さんが一番ご存知だと思いますが、ぷかぷかさんたちの魅力はやはり彼らと触れ合うのが一番分かるんだと思います。

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 ぷかぷかさんの雰囲気がとても気に入ったので、時々ぷかぷかに来て、写真撮って、パン屋の前にあるテーブルでパンをかじりながらフォトエッセイを書くそうです。ちょうどこんな感じです。

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 前回来て撮ったこんな写真が文章になります。

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 「いなくてもいいとは言いませんが、いたほうがいい、と思ったことは一度もありませんでした。」でも「今、少しづつですが私の中に変化が起きています。」と感想にあります。私の中に起きた変化が、どんなぷかぷかさんを書くのか、すっごく楽しみです。多分今まで誰も書かなかったようなぷかぷかさんが立ち現れるのではいないかとわくわくしています。フォトエッセイのサイトが決まりましたらまたお知らせしますね。

 

 ★『ぷかぷかな物語』はこちらからどうぞ

shop.pukapuka.or.jp

「みんなで引き受けるよ」「だから大丈夫!」という社会があれば

 誰かが困っていれば、助けてあげるのが人間の社会です。そこが人間の社会のいいところだと思います。困っている人がいても助けないのは、人間の社会としてはまだ未熟、と言っていいと思います。

 障がいのある人が子どもを持てば、いろいろ困りごとが出てきます。でも、そんなの「みんなで支えるよ」「みんなで引き受けるよ」「だから大丈夫!」という社会があれば、なんの問題も起こりません。

 

 そもそも、子どもは社会の財産です。みんなで支える存在だろうと思います。

 

 ニュージーランドの国会では赤ちゃんをつれて登院した議員がいたそうです。議会の審議中に、議長が議長席でベビーシッターを買って出たそうで、それがこの写真

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 国民みんなが赤ちゃんを支えているから、こういったことができるのだと思います。

 日本の国会では、残念ながらあり得ない光景です。社会の成熟度が見える気がします。

 

 「障害者は子どもを産むべきではない」という言葉は、社会の悲しい現実を表しています。社会に問題があるのに、障害者に問題があるように語られるこの言葉は、社会の現状を如実に物語っています。ニュージーランドに比べると、本当に寂しい社会だと思います。

 

 養護学校の卒業生で、結婚して子どもを持った人がいました。ぷかぷかを始める前、生徒たちと陶芸教室をやり、作品を商店街のお祭りで販売していました。毎年のようにその卒業生が挨拶に来ました。「先生、私、結婚しました!」「先生、私、子どもができました!」「先生、私、40歳になりました!」と、毎年、大きな声でいろいろ報告しに来ました。旦那さんも連れてきました。ちょっと頼りない感じもしましたが、それでもめいっぱい幸せそうな夫婦でした。子どもができました、って報告があったときは、支えてくれる人がたくさん見つかったんだろうと思いました。卒業生のお母さんもがんばっていたようですが、やはりお母さん一人では支えきれないものがあります。そういう支えが見つかったから、お母さんは子どもの結婚を気持ちよく祝福できたのだと思います。

 

 そういう社会が少しずつ広がっていくといいなと思います。子どもを支えられる社会こそが、豊かな社会だと思います。

 いつの日にか、国会の議長席でベビーシッターをするような議長が現れたら、日本は本当にすばらしい国になれると思います。その時はもう「障害者は子どもを産むべきではない」なんて言葉もなくなっていると思います。

 

abematimes.com

社会が気づいていない価値を見つけ出し、誰にも見える形に編集し直した。

土曜日の朝日新聞「be」に建物、町、人を再生する建築家の話が載っていて、とても興味深く読みました。こんなことが書かれていました。

 

「僕らの役割は、埋もれている地域の日常の中から、その地域の人々が気づいていない価値を見つけ出し、見える形に編集し直すことです」

「たばこ屋のおばあちゃんが街の宝かもしれないのです。

 宝物のない街などありません。どの地域も問題はそれらの宝が関係性を失っているということだけなんです。僕らはこうして発見した宝の一つ一つを「物語」として紡ぎ直します。人々がそれを自分ごととして咀嚼(そしゃく)できるように。」

 

 8月3日(土)の上映会の感想に

「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」

というのがあって、そのことと、新聞の記事が妙に重なって見えたのです。

 いつも書いていることですが、障がいのある人たちは、あれができないこれができない、社会の重荷、生産性がない、というふうに、マイナス評価が圧倒的に多いです。ぷかぷかは、そうじゃない、彼らは街を耕し、町を豊かにする「価値ある存在」なんだと、様々な実践をし、彼らの価値を目に見える形で発信してきました。

 言い換えれば、社会が気づいていない価値を見つけ出し、誰にも見える形に編集し直した、ということなのだと思います。

 結果、たくさんのファンができました。また

「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」

という感想が出てきたのも、その結果だろうと思います。

 

 ぷかぷかさんのそばにいると心が和みます。それを私は、彼らのそばにいると「人として立つことができる」と表現します。「人になれる」といってもいいと思います。だから彼らは「街の宝」なんだと思います。

 「どの地域も問題はそれらの宝が関係性を失っている」

と記事にありましたが、ぷかぷかは地域でたくさんの関係を作ってきました。その関係の中でたくさんの人たちがぷかぷかさんに出会いました。発見した宝を物語として紡ぎ直してきました。『ぷかぷかな物語』は、そういう作業の中で生まれました。

 それを自分ごととして咀嚼し始めたのが、「ぷかぷかをつるみに」という動きになったのだろうと思います。

 

 先日大阪大学の建築科で都市デザインをやっている先生が見学に来ました。都市をデザインするとき、福祉施設をその中に入れるべきだと考えている先生のようでした。

 都市のデザインの段階で、宝を組み込み、今までにない物語を作っていこうとしているのだと思いました。

 

 いずれにしても、町の再生、社会の再生、という視点で、ぷかぷかの活動を見ていくと、またいろんな新しいものが見つかるような気がして、記事を見ながらちょっとわくわくしました。 

digital.asahi.com

digital.asahi.com

「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナー

 「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナーをやろうかなと思っています。

 ぷかぷかは開店当初、接客の講習会をやったとき、接客マニュアル通りにやるぷかぷかさんが気色悪くて、接客マニュアルはやめました。接客マニュアルに合わせる、というのは社会のルールに合わせることです。ですから、接客マニュアルをやめたというのは、社会に合わせることをやめた、ということです。

 「なんだ、このお店は接客の仕方も知らんのか」

というクレームが来るリスク99%を背負い込む中でのスタートでしたが、ふたを開けてみれば、クレームどころか、

「ぷかぷかさんが好きになりました!」

というファンが次々に現れるという想定外の展開。

 要するに、社会に合わせない、そのままのぷかぷかさんの魅力に、みんなが気がついたのだと思います。

  「なんだ、そのままでいいじゃん!」 という気づき。

(くわしくは『ぷかぷかな物語』をご覧下さい。ぷかぷかのホームページで販売中)

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 この気づきは、ぷかぷかの生み出した大事な価値観だったと思います。

 障がいのある人たちは社会に合わせなければならない、そうしないと社会の中で生きていけない、と一般的には思われています。そして多くの方が社会に合わせようと大変な努力をしています。

 ぷかぷかにいるツジさんのお母さんもそうでした。養護学校にいるときも、卒業して勤めた福祉事業所でも、おしゃべりはだめです、といわれ、おしゃべりをやめさせようと大変な努力をしてきました。

 でも、ぷかぷかに来てから、

「別に気にしませんから、おしゃべりしてもいいですよ」

といわれ、しかも、そのおしゃべりが売り上げを生み出してる、と聞き、

「今までやってきたのはなんだったんだ。見当違いの努力だったんじゃないか」

ということに気づきます。

「なんだ、そのままでいいじゃん!」

というわけです。

 しかも、そのままで、ちゃんと商売が成り立っている、ということ。

 「障害者は社会に合わせなければいけない」

のではなく、

 「社会に合わせなくても、やっていけるよ」

 ということです。

 「無理して社会に合わせなくても、ありのままのあなたでいいんだよ」

 「ありのままのあなたこそ、一番魅力的」

は、ぷかぷかが作り出した大事な価値観だと思っています。

 

 そういったことをテーマにしたセミナーをやろう、と思うのです。日時、場所など決まりましたらお知らせします。

 生きることがふっと楽になるようなセミナーです。ぜひ来て下さい。

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ぷかぷかいい男、いい女写真展

 「ぷかぷかいい男、いい女写真展をやりま〜す。自分でいい男、いい女だと思う人は写真撮りますから来て下さ〜い」と呼びかけたら、ばらばらっと何人かの方が出てきて、写真撮りました。

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で、撮れた写真がこれ

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 チャッチャッと撮った割には、なかなかいい写真です。

 初対面で、しかも、これだけ短時間で撮ったのですから、腕もいいのですが、なによりも一瞬を切り取るセンスがいいですね。

 写真はこの一瞬が勝負です。一瞬を見極める集中力とセンス。これがすばらしい写真を生み出します。

 カメラマンは休日フォトグラファー、偏向素人劇作家 濱隆之介さん。

 十日市場でSherpaというマンツーマンの美容室をやっているそうです。スタッフのナガセさんの髪をいつも切ってるそうで、その関係で、今日写真を撮りに来ました。

sherpa-hair.net

 

 「みどりアートパーク委託カメラマン」という札を首に提げていました。

 10月12日(土)にみどりアートパークで、緑区の若者写真展をやるそうです。今日撮った写真の何枚かをモノクロにして飾るそうです。また近くなったらお知らせします。

 

 に、してもいい青年たちですね。みんなそれなりに様になっていて、まさに輝く「いい男、いい女」です。また撮ろうかなと思いました。

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