パン屋の前のベンチでPCを開く。ぷかぷかさんの気配を感じながら書くってカッコイイ。気配どころか、背後からじいっと見つめるぷかぷかさんも。それでも、彼らのストレートな行動を見せつけられると胸の中に清々しい風が吹く。
帰りの会はまるでカオス。全員が好き勝手にしゃべっている。
「いい一日でしたか?」
「きれいな声をしているねって言われてうれしかったです」
人間はこれだけのことでその日がいい一日になるということを僕は完全に忘れていた。
パン屋の前のベンチでPCを開く。ぷかぷかさんの気配を感じながら書くってカッコイイ。気配どころか、背後からじいっと見つめるぷかぷかさんも。それでも、彼らのストレートな行動を見せつけられると胸の中に清々しい風が吹く。
帰りの会はまるでカオス。全員が好き勝手にしゃべっている。
「いい一日でしたか?」
「きれいな声をしているねって言われてうれしかったです」
人間はこれだけのことでその日がいい一日になるということを僕は完全に忘れていた。
今朝の朝日新聞「折々のことば」
《 文化には、方向性はない。おじいちゃんおばあちゃんが孫から教わることもある。それが文化の素晴らしいところだと思う。》
ぷかぷかはぷかぷかさんたちから教わったことを一つの文化として作り上げてきたと思っています。昨日のセミナーのテーマ 「社会にあわせなくったってやっていけるよ」も、ぷかぷかさんたちがありのままの姿でファンを増やし、売り上げを伸ばしているところから見えてきた新しい「文化」です。
社会に出るためには「あれができなきゃだめ」「これもできなきゃだめ」といわれ続けてきた「文化」に対する、「別にできなくってもいいんだよ」「あなたのそのままでいいんだよ」という異議申し立ての「文化」であり、みんながホッとできる「文化」です。
社会の多くの人たちは、障がいのある人は「何かやってあげる」あるいは「支援する」対象の人たちだと思っています。ぷかぷかは全く正反対に、ぷかぷかさんたちに「いろいろやってもらい」「支援されています」。 ぷかぷかさんたちのおかげで、ぷかぷかの価値,新しい文化が生まれています。ぷかぷかさんたちがいなければ、何も生み出さない、ただのパン屋です。
「文化には、方向性はない」を地で行ってるのです。
1月13日に20才の誕生日を迎えた海くんのお母さん中谷景子さんも海くんといっしょに新しい「文化」を創っています。
海くんは重い障がいをもっています。
「寝返りさえできず、頸部や体幹の安定もなく、言語を持たず、四肢の自由がなく、意思を伝える術を持たない海くんは、まさに意思疎通のできない重度障害者」です。
生産性で人の価値を計る,今の社会の文化にあっては、海くんは価値がない人になってしまいます。
でも、お母さんは
「この子の母で良かった(^-^)」「幸せをたくさんくれていると実感する毎日」
だといいます。
「この子のおかげで、次男三男は豊かな心と優しさと、家族への愛情や、祖父母への労り思いやりの心は強くなった」
といいます。
そして海くんのような人たちこそが、まわりの人たちの心を耕し、
「人に優しい社会を作っています」
と言い切ります。
障がいのある人に何かやってあげる文化ではなく、彼らから教わることで,今までとちがう新しい文化がここでも生まれています。
「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった植松被告の裁判は、私たちはどういう文化を創り出してきたのかが問われている裁判でもあると思います。
映画『だってしょうがないじゃない』を見に行きました。
発達障害をかかえながら一人で生活している叔父さんの日々を、40才を過ぎて発達障害と診断された映画監督が撮り続けた3年間の記録です。
全くの自然体で生きるまことさん。一人で暮らしていくのは難しいので、いろんな人に支えてもらいながら、古い一軒家で一人暮らしをしています。監督も精神的に不安定なところがあって、朝昼晩薬を飲みながらの生活。その二人が絶妙なコラボを演じます。
ちょっととぼけた感じのトロンボーンの音が素晴らしくいい。まことさんと、それに絡む映画監督の、なんともおかしい人生をやわらかく支えます。
障がい故に、いろいろ大変なことはあります。
「だってしょうがないじゃない」
そして、その生き方に、どこかホッとします。
おしゃべりの止まらないぷかぷかのツジさん。
「だってしょうがないじゃない」こういう人なんだし…
すきを見ては寝ているセノーさん。
「だってしょうがないじゃない」こういう人なんだし…
迷子にならないようにつけているGPSを外してたびたび迷子になってしまうイクミン
「だってしょうがないじゃない」こういう人なんだし…
「だってしょうがないじゃない」は
諦めでもなく、開き直りでもなく、黙々と自分の人生を生きていく,それは生き方
社会にあわせるのではなく、ありのままの自分で生きていく。
自分の人生なんだから。
堂々と生きていこう。
京急黄金町『ジャック$ベティ』で上映中
町田でもグループホームの反対運動が起こっているようで、全く気が滅入ります。「土地が汚れる」なんて、ひどい言い方です。
それでも記事の最後に希望の持てるいい話が載っていました。グループホームができて何年かたつとこんなうれしい変化もあるようです。
《 反対運動にかかわっていた住民から「あの頃は、精神障害のことを知らなかった。町内会の掃除にもよく出てきてくれて。ご近所なんだから気兼ねしないで」と声をかけられた。何か特別なことをしたわけではない。でも実際に住み始めて、受け入れてもらえていると感じるという。
近所に住む男性は言う。「あれだけ大騒ぎしたけど、できる前とできた後、何も生活は変わっていないよね」》
こういう話こそ大事だと思います。グループホーム建設反対運動の記事は、いつもうんざりするものばかりです。こういう運動はおかしい、というニュアンスで書いてあるのですが、そういう記事をいくら書いても、反対運動はなくなりません。まっとうな話が通じないところで反対運動は起こっているのですから。
むしろ今回の記事のように、グループホームが建って何年かすると、こんな風に地域が変わってくる、という話は、反対運動をやっている人たちに,うまくすれば前向きの新しい気づきを届けるかも知れません。
要するに障がいのある人たちとおつきあいがなかっただけ。おつきあいがはじまると、地域がかわってくるのです。
そのうち「ここに来てくれてありがとう!」という声もきっと出てきます。ぷかぷかはできて何年目かに,そんな声を聞きました。
緑区でもめたグループホームも、
「毎週土曜日の朝、地域に出て掃除をした方がいいですよ、地域の人たちはみんなそういったことを見ていますから」
というアドバイスを開所前に言っておいたのですが、本当にやっているのかどうか、今度見に行こう。
とにかくコツコツとこういうことをやり続けていれば、地域は変わってきます。彼らはいるだけで地域を耕します。ぷかぷかがそうですから。
障がいのある人たちとのおつきあいの機会を作ること。それがすごく大事だと思います。
希望は自分で紡いでいくのです。
区役所で
小学校で
大学で
創英大学で、3回の授業(①映画『Secret of Pukapuka』の上映とぷかぷかの話、②ぷかぷかさんと一緒に双六ワークショップ,③ぷかぷかさんと一緒に演劇ワークショップ)と2日間の体験実習のふり返りで、詩を作るワークショップをやりました。ただ感想を言うのではなく、自分の感じたことを4行ないし5行の短い詩にまとめます。その言葉を1行ずつばらし、グループの中で編集し直し、グループとしての詩にまとめます。それをほかのグループの人たちに向かって朗読します。
詩を作るワークショップの目的は、体験をみんなで共有すること、誰かに向かって朗読することで、詩の言葉を生き生きと立ち上がらせること、言葉が立ち上がることで体験が更に深まることです。
ぷかぷかさんと出会うことで自分の中でどんな変化があったか、それを元に詩を書きます。
グループの中で個人詩の発表。ほかの人がどんな体験をしたのかを聞きます。
詩を1行ずつばらし、グループの中でシャッフル。はじめの方に来る言葉、あとの方に来る言葉、とみんなの言葉を見ながら編集し直します。人の思いにふれます。
グループとしてまとめた詩を朗読します。エリックサティのピアノ曲をかけながら朗読しました。音楽が入ると、一気に雰囲気が盛り上がります。誰かに向かって読むことで、詩の言葉がムクムクと立ち上がってきます。言葉が力を持ちます。さらっと書いた言葉がグループの詩として朗読するとき、思ってもみない力を持ちます。読む方も聞く方もちょっとびっくり。
学生さん達の感想
●詩を作るのが初めての体験で楽しかったです。感想を紙に書くだけでなく、声に出すことで自分が感じていたことを再認識できたし、言葉に感情が乗った感じがしました。本当に舞台でもできそうなくらいのクオリティだなと思いました。
●今日の授業で自分が思っていたこと以外に他の人がどんな気持ちだったのかを知ることができてよかったなと感じた。また声を出すことにより、更に心に言葉の一つ一つが刺さってくるなと思ったのと、音楽があるだけで一気に雰囲気が変わり、集中して発表が聞けたなと感じた。自分の気持ちを出してそれを詩にするなんてほぼ経験がないから,とてもよい経験だった。
●みんなの発表を聞いて、心からやさしい気持ちになりました。読み方の工夫など、それぞれあって、楽しい体験になりました。
●ただ言葉で感想を言うよりも、詩という文字にすることで、より、自分の中に思いが広がったような気がしました。他人の言葉でも、たくさん見て、口に出すことで、自分の気持ちになっていきました。
●今日までの授業を通して自分が感じてきたこと、みなが感じてきたこと、そして変化をひとつの詩として読むことで一つ一つ振り返ることができました。一人ひとりちがう詩を作ったはずなのに、つなげてみると、同じ気持ちでいたんだなということが伝わってきました。以前よりも自分の中の考え方や、障がいという言葉に対する姿勢がかわっていったように思います。貴重な時間を過ごすことができました。ここで感じた気持ちの変化を忘れずにこれからも障がいをもった方と共に生きていきたいと思います。
●今日の授業は詩を書いたり、朗読をしたり、今までやったことがないことばかりで、最初はできるかどうか不安でしたが、素直な気持ちを詩であらわすことができたと思います。グループの詩を合わせるとなったとき、絶対にまとまらないし、無理だと思っていましたが、やってみると、6〜7人の短い詩が、バラバラにしてくっつけるとひとつの大きな詩になって驚きました。そして音楽に合わせて朗読をすると、ふつうにただ読むよりも気持ちや内容が伝わるなと感心しました。この授業を通して私の中の価値観がとても変わりました。今までは障害者の方とかかわる機会はあまりないから何も感じずに日々を過ごして来ましたが、ぷかぷかさんとかかわっていくうちに,障害者の方への偏見なども少しずつなくなり、まわりの人と同じで身近な存在なのだと気がつきました。今までの自分の偏った価値観が180度変わり、高崎さんがおっしゃっていた「かかわった方がトク」という言葉の意味を理解できた気がします。
●いろんな人の言葉を繋ぎ、ひとつの詩にするということで、はじめは詩になる気がしなかったが、つなげてみると詩になり、全員の気持ちがひとつになった気がした。またやりたいと思った。
●詩でぷかぷかのエピソード、体験をまとめ、あらためてあの時の思い出を頭の中で振り返ることができました。一人ひとりの個性豊かな発想や行動に、わたしも刺激を受けました。駅で話しかけられたときの話はうれしかったです。
●ぷかぷかさんとかかわったふり返りを今日やって、自分以外の人の感想も聞けたし、全体を振り返って本当にいい経験になりました。障害者に方に対する印象が本当に変わったし、長いなと思っていた実習も短くて,もう少し行きたかったと思いました。ぷかぷかさんから話しかけていただけたのがうれしかったので、これから駅やバス停で会ったら、わたしからも話しかけてみたいと思いました。
●誰かに発信しなければ自分だけの体験や感想だけど、誰かと感想を伝え合うだけで、相手の体験も少しではあるけれど知って自分の感覚にすることができてよかったと思います。
●授業を受ける前と後で障害者についてのイメージが変わったし、どのように接してよいのかも学んだ。その人を知ろうという気持ちが芽生えた。話しかけてくれることで、自分の中での不安がなくなった。
●音楽に合わせて詩を読むというのはとてもよいと感じた。言葉がとても大切であると思った。言葉を考えて発すことも大切だし、言葉を考えて文字に起こすのも大切だと感じた。
★ぷかぷかさんとの出会い(授業と実習)のふり返りを詩のワークショップの形でおこなったのですが、みなさん、とてもいい感じで受け止めてくれたようです。
自分の体験を、あえて短い詩で表現することで、体験がどういうものであったかをもう一度見直す機会になったこと、個人の詩をグループの詩として再編集する中で、ほかの人の思いに出会えたこと、グループの詩を誰かに向かって朗読すると、詩の言葉が力を持つこと、その力が聞いている人にしっかり伝わること、音楽をかけることで、詩の表現に磨きがかかること、等々、学生さんにとってはとても新鮮な発見があったようです。
それとぷかぷかさんと出会うことの意味を、詩のワークショップの中で、更に考えることができたことはすごくよかったと思います。ほかの人がぷかぷかさんたちの出会いをどんな風に受け止めていたのかを知ることは、経験の幅を広げてくれたように思います。
ぷかぷかさんとの出会いで、たくさんのことを学んだと思います。それをこれからの人生に生かして欲しいと思います。
今朝の天声人語に美帆ちゃんのことが載っていました。
「甲でも乙でもなく美帆」
きっぱりとした、なんて力強い言葉なんだろうと思いました。
名前は、その人の人生そのものです。「美帆」という名前を聞くことで、私たちは美帆ちゃんの人生を思い浮かべることができます。甲や乙では美帆ちゃんの人生を思い浮かべることはできません。
美帆ちゃんの人生を思い浮かべることなく裁判をすすめることはおかしい、とギリギリのところで出た、必死の異議申し立てだったと思います。それは裁判だけでなく、事件後、犠牲になった人たちを匿名に追い込んだ私たちの社会にも向けられたものだったと思います。
匿名では犠牲になった人たちの人生を思い浮かべられません。こんなことはおかしいと声を大にして叫ぶことを私たちはしませんでした。
結局は私たち自身重度障害の人たちとおつきあいの経験がないが故に、彼らの人生を想像できませんでした。だから匿名になっても、そのことがおかしいと感じられなかったのだと思います。
そういう人たちとのふだんのおつきあいがないこと。それがいちばんの問題だと思います。
2月22日(土)の午後、青葉公会堂で「道草」を上映します。地域で自立生活をしている重度障害の人たちの生活が淡々と描かれています。それぞれの人生が、ほんの少しですが見えます。
晩ご飯の時、卵をもう一個入れる入れないでもめたり、散歩中「たぁーって大声出さないでよ。まわりの人がびっくりするから」「うん、わかった、約束する」と言ったすぐ後で,また「たぁーっ」と大声を出す青年と介護者とのやりとり。見ているだけで心があたたかくなります。
やまゆり園で犠牲になった人たちも、きっとこんなふうに道草を食いながら誰かと歩いたあたたかで楽しい人生があったのだろうと思います。それを想像しよう。
「美帆ちゃんのこと、忘れないよ」 これを言い続けたいと思うのです。
1月12日(日)アースプラザでのセミナーでおしゃべりする予定の「ぷかぷか作り隊」隊長の浅川さんからメッセージが届きました。
不寛容な時代にあって、尚も希望の持てるメッセージです。冬休みが明けた登校日の風景からこんな言葉を紡いでいます。
「私たち家族を支えてくれ、一緒に笑ったり泣いたりしてくれる人たちと出会い、この地域で生きていくことを選び日々を重ねて来た今、しみじみと、私は息子たちとこんな風に町の中で暮らしていくことが社会の希望になる。そんな風に強く思った登校初日でした。」
息子たちとこんな風に町の中で暮らしていくことが、社会の希望になる。障がいのある子ども達と暮らすことが、社会の希望を作り出すなんて、素晴らしいことだと思います。
「障害者は不幸しか生まない」などと容疑者が言い、それに賛同するたくさんの人がいました。「いや、それはちがう!」と私たちが言っていかないと、ますます息苦しい社会になっていきます。そんな中での浅川さんのメッセージはとても力強く、希望に満ちています。津久井やまゆり園事件を超えていく社会というのは、こんな風にしてできていくのだと思います。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。