ぷかぷか日記

第9期演劇ワークショップ第1回目8月17日(土)

第9期演劇ワークショップ第1回目がありました。今季のワークショップはヨッシーの作品からお話を作ります。

 このなんとも賑やかな作品を眺め、おもしろいなと思ったところ、気色悪いと思ったところ、何これ?って思ったところ、等々からお話を作ります。

 

9:15 受付・テープに自分のあだ名記入など

 

9:30 スタート。高崎挨拶・進行役自己紹介

今回が最後のワークショップになることが伝えられる。第9期のワークショップも楽しみましょう!!

 

9:40 ネームウィズアクション せつ

いつもおなじみのネームウィズアクションでWSスタート。

 

9:50 じゃんけん列車(10分)  しおりん

「ポッポーポッポー・じゃんけん列車♪」と歌いながら歩き、歌い終わったらじゃんけん!勝った人が前、負けた人は後ろに列車のように繋がっていく。本日はひかりさんの勝ち!

 

10:00 早並び(あだ名順、誕生日順) 小針

全員で「あだ名のあいうえお順」や「誕生日順」に円になるように並びました。意外と難しかったけど、どうにかみんなで並ぶことができました。いろんな人と喋るゲームなので、みんなの顔と名前がなんとなくわかってきたかも。

 

10:10 ロンゲストライン(長並び)せつ

4チームに分かれて、どのチームが一番長い距離で並べるかを競争しました。体のどこか一部は前後の人に触れていなくてはいけないので、工夫をしながら、腕を伸ばしたり、足を延ばしたりして、長さを出しました。

 

2回戦目では、物を使ってもいいというルールが追加!タオルを使ったり、ベルトを使って、1回戦目よりも長く並ぶことができました!

 

10:20 休憩

 

10:30 うた『テトのパンはあ』(20分)あみちゃん

『テトのパンはあ』を歌いました。歌詞が気持ちよくて、歌っていて楽しい気持ちになります。

 

            

  こんな歌です。

  www.youtube.com

 

10:50 よっしーの作品をみんなでゆっくり鑑賞しました。

チームに分かれて、自分の見つけたものをみんなにシェアしました。建物の中をスマホのライトで照らしてみると、中の様子を少し見ることもできました。人によって気になるものがそれぞれなので、たくさんの発見がありました。

てっぺんの人形はかぐや姫だそうです。

 

12:10 昼休憩

 

13:10 よっしーの作品から何かチョイスしてシェイプ(20分)しおりん

よっしーの作品に登場するものの形を身体で作りました。どんぐり・クラゲ・かがみもち・かんらんしゃ

 

同じお題でも、人によってたくさんの形が作り出されるところが、シェイプの面白いところです。

 

 

13:20 うたパート2(20分) あみちゃん

「ねむり」という曲を練習しました。お昼ご飯の後、すごくリラックスした気持ちで歌うことができました。

www.youtube.com

 

午前中に練習した「テトのパンはあ」も、もう一度歌いました。午前よりも、すごくうまくなってる!

 

 

13:40 

グループに分かれて、よっしーの作品の中から好きな場所と登場人物を選んで、「その場所の朝」というお題でシーンを作りました。魔女が出てくるチーム、悪い人が閉じ込められた牢屋のチーム、松ぼっくりのネズミが出てくるチーム、ガイコツやゴミ拾いの人が出てくるチーム、トイレにお化けが出てくるチームなど、色々なシーンが生まれました。

 

一度発表をした後に、進行役のせつさんから「出てくる順番を整理するとわかりやすいシーンになるよ」というアドバイスをもらい、シーンづくりに再チャレンジしました。さらに、「朝の曲がり角を曲がったら何が起きるかな」というお題も追加されました!

 

作り直すと、さっきとはまた違った面白いシーンができました。曲がり角を曲がった先に、ユニコーンや悪い魔女が登場したり、仕事に行って帰ってきたり、椅子取りゲームが始まっていたりなど、思いもよらない事件がたくさん起こりました。

 

 

16:00 感想

      みんなで今日の感想を話しました。

 

 

参加した方の感想

 

●主催してくださったみなさまの、歌の選曲と、題材(アート作品)とを、演劇へとつなげる、その構成がすごいなあと感動しました。

 そもそもあの日本大学警察学校という作品がおもしろすぎでした。埃が被ってるところがちょこちょこあったので、埃取りをしてあげたくなるくらい、魅了されました。
 
日本大学警察学校

 

 そこに、ぷかぷかさんのえもいえぬ楽しさが加わり、想像を遥かに越えていて、最初は息子たちのためにと思って参加してみたんですが、結局私がたぶん息子たち以上に楽しみました。息子たちも、年の近いお友達や、年の離れたお友達ができたようですし、楽しかったと言っていました。
 
 印象的だったのが、最後のチーム発表ではみんな疲れきっていた中、更なるお題の「朝の曲がり角」に、わたしの居たチーム3では、ユニコーンとなった横山さんが「大吉」「吉」とか、みんなに運勢を言ってくれて、まさかこんなおちになるとはと本当に爆笑でした。
 
 それにぷかぷかさんたちが全員終始なんとも楽しそうで、すごく近くて、オープンで、空気を「読みすぎる気配」が微塵もなくて、とても心地よかったです。
 
 ダウン症のある長男を産んでから、障がいのある人に対しての、今の私の周りの地域社会において、多少なりとのモヤモヤと共に生きてきましたが、こういうぷかぷかさんの世界があるということを知れて、良かったです。
 
 こんな素敵な場所に出会えてラッキーだなあと感じています。
 
 

●WSはたくさんの個性に出会えて楽しかったのですが、シーン作りは意見をまとめることが難しいなと思うことがありました。特にはるちゃんについてです。はるちゃんは、笑顔で積極的で、とても面白い方だと思うのですが、自分の思った通りにいかないと拗ねてしまって話し合いに参加しない傾向でした。「それはわがままだよ」と言う意見も出て、私はよくわからなくなりました。

 障害のある方はそのままでいい、そのままの存在が面白い。もちろんそうですが、イコール100%意見が通る、ということなのでしょうか。それこそ特別扱いになってしまうのではないでしょうか。チームでやる以上、妥協する点や譲り合う点が出ることは必要だと思うのですが、そこがうまく伝わらないままでした。
 こういうときは、はるちゃんのように主張が強い方の意見を最大限尊重した方がうまくいくものなのでしょうか。チームプレイはみんなの意見を100%汲むことは難しいと思います。しかしながら、そのなかでも譲り合いながら、チームのみんなの意見が少しづつでも反映されて、みんなで創ったねと思えるものにすることが重要だと感じます。
(もちろんメンバーとの信頼関係も関わってくると思いますが(気心許した相手の意見なら許せる、など))
回数を重ねることでつかめてくるものもあると思いますが、実際に障害者福祉現場などで演劇WSをやろうと思った時少なからず直面することだと思うので、なにかコツがあれば、アドバイスいただけたらありがたいです。
 
 
●色々悩みながらみんなでひとつの芝居にまとめていくのが演劇ワークショップ。悩むことは新しいものを生み出す過程です。悩むことがなければ、新しいものは生まれません。それをみんなでやるところがワークショップのおもしろいところ。さて、これからどうなりますか…。ドキドキ、わくわくしながら前に進みます。
 
 
●今回演劇ワークショップ3度目の参加です。 半年空けてまた嬉しい再開。 グループでの短いシーンの発表では、同じグループの春野さんとコマネッチさんのアドリブがとても新鮮でした。 他のグループの方々も1回目より2回目とより輝いて見えました。 無い頭を絞って考えるのはとても大変なのですが、あの場所にいると心が喜んでいるのが分かり、ありがたく皆さんの発表を見ていました。
 5歳になった娘も3回目、2歳から参加させていただいております。 今回は、親と別々でも発表できていて、娘の成長と、グループの方に感謝でした。 演劇ワークショップはぷかぷかさんと関われる貴重な時間です。 前回までの演劇ワークショップでの体験のおかげ様で、娘は、公園や子ども食堂、小学生の学習支援ボランティアなど普段の子どもたちとの出会いの場でも、自閉症や発達障害、ダウンなど特性を持ったお友達と自然に仲良くなり、一緒に遊んでいます。 こうやって成長していく人間は、ぷかぷかさんと共に、当たり前にみんな溶け込める社会が作れるのだろうなとと思います。
 
 
★今回歌った「ねむり」について、作曲したオペラシアターこんにゃく座の萩京子さんは
萩京子・作曲ノート

ねむり
詩:まど・みちお、曲:萩京子

この歌は、国際的なボランティア団体である「Make A Wish」の活動に共鳴して作曲したという経緯があります。
2005年に作曲しました。
「Make A Wish」は、難病と闘う子どもたちの夢を叶えるお手伝いをする、という活動をしています。
こんにゃく座が2002年に初演したオペラ『どんぐりと山猫』にどんぐり役で出演してくれたMYちゃんは難病にかかり、病院生活を余儀なくされていました。
彼女のために私が作曲して歌をプレゼントする。MYちゃんがそれを「夢」として望んでくれました。

病気と闘っている彼女の心に届く歌。病気を克服しておとなになってからも、口ずさんでもらえるような歌……。
そんな歌をプレゼントしたいと思いました。
そして見つけたのが、まど・みちおの「ねむり」という詩です。

わたしの からだの
ちいさな ふたつの まどに
しずかに
ブラインドが おりる よる

夜、寝床に横たわる自分のからだについて、まぶたについて、こんな風に感じることができるとは。
「夢」についても語られます。

どんなに ちいさな
ひとつの ゆめも
ほかの ゆめと
ごちゃごちゃに ならないように

眠りのなかで見るのも「夢」。希望として心に描くものも「夢」。
その2種類の夢が、「ねむり」というキーワード(タイトル)に引き寄せられて、毎日やってくる「夜」も怖いものとしてではなく、「夢」を育む時間として感じられるような詩。
この「ねむり」を歌にしてプレゼントしようと思い、作曲しました。
MYちゃんは、「Make A Wish」が主催するコンサートでこの歌をすてきに歌ってくれました。
そして今はすてきな大人の女性になっています。

みんなでわいわいがやがや楽しく

 8月31日『僕とオトウト』上映会やります。

 

 

 『僕とオトウト』は家の中での話です、そのオトウトくんは、映画の後、今は社会人。社会に出て、『僕とオトウト』の関係はどうなっていくんだろうと思います。

 オトウトくんは社会という未知なる世界で翻弄されます。家の中みたいに思うようにならなくて、イライラしたり、腹が立ったり、悲しくなったり、とにかくいろんなことが起こります。そういうことにお兄さんは向き合っていくことになります。一つ一つ丁寧に向き合いながら、そこで何が問題なのか、どうすればいいのか、ぜひ映像の記録をとってほしいと思います。

 オトウト君は福祉事業所なので給料は安いです。どうして障がいのある人は給料が安いのか、映像を見る人がそこまで考えるような作りにしてほしいと思います。給料が安いこと、これが福祉の世界で一番大事な問題だろうと思います。

 障害者は給料が安くて当たり前、と多くの人は思っています。みんなと同じように働けないんだからしょうがないじゃん、て多くの人は思っています。要するに生産性で人の価値を計っています。

 こんな風に人の価値を計るっていいんだろうか、という根本的な問題があります。

 人並みは無理にしても、オトウトくんなりに一生懸命働きます。その一生懸命さに私たちはどのように応えればいいのか。生産性ではない新しい評価軸が必要なんじゃないかと思います。そもそも評価が必要なのか、といったこともここで考えてもいいのではないか。

 そういったことを考えると、上映会ではいろいろ大事な問題がテーマになるかなともいます。みんなでわいわいがやがや楽しく話し合えれば、と思っています。

 

★参加希望の方はチラシ下部にあるQRコード、もしくは下記サイトから申し込んでください。

docs.google.com

 

★上映後、監督の講演、トークセッションなどもあります。

 

pukapuka-pan.hatenablog.com

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お互いがもっと生きやすくなるために

映画『僕とオトウト』に出てくる一場面。お兄さんとオトウト君の幸せ感がにじみ出ていますね。

 

 

 障がいのある人とこんなおつきあいが、家族にとどまらず社会全体に広がっていけば、社会はお互いがもっと生きやすくなるように思うのです。

 こういうおつきあいを作るにはどうしたらいいのか。それは彼らとふつうにつきあうことです。支援などという上から目線ではなく、ふつうにつきあう。これが結構むつかしい。つい何かやってあげたくなる。

 障がいのある人たちは、いろいろできないこともあります。でも、おつきあいしていると、私たちよりもずっとできることもあります。こんな楽しいぬいぐるみは彼らにしかできません。

 

 

 何かができるできないではなく、それぞれがかけがえのないいいものを持っています。だから、やっぱりお互い一緒に生きていった方がトク!だと私は思うのです。

 

 冒頭に掲げた写真のような関係をもっともっと社会に広げていきたい。そのためにはどうしたらいいのか、その手がかりをみんなで探したくて『僕とオトウト』の上映会をやります。

 

 

★参加希望の方はチラシ下部にあるQRコード、もしくは下記サイトから申し込んでください。

docs.google.com

 

★上映後、監督の講演、トークセッションなどもあります。

『僕とオトウト』上映会のチラシができました。

 

『僕とオトウト』上映会のチラシができました。

 

 

 

 そうま君はいわゆる重度障害者。でも障害者とみるのではなく、びっくりするくらい「自由奔放な人」と見ると、関係が全く違ってきます。家の中にそんな人がいるとどうなるのか、それをカメラで追いかけたのが映画『僕とオトウト』。

 

 そうま君は毎日のようにいろいろ大変なことをやってくれます。

「え?、今度は何やってくれたの?」

とお兄さんがのっそりと動き始めます。そのときは確かトースターで鍋敷きを焼くという大変なことが起こっていました。そういう普通では考えられないようなことが日々起こります。そういう中で私たちは鍛えられます。

 以前もそういうことがあって火事になり、以来家中に鍵をかけ、そうま君が自由に歩き回れないようにしたことがあったようです。

「どうしてこんなことするんだ」

とそうま君に聞いてもそうま君は多分説明なんてできません。

 「ったくしょうがねーなー」と、イライラしながら、もう笑うしかない日々。そんな中で私たちの心が柔らかく、しなやかになっていきます。人に優しくなれます。

 それが、そうま君のいる意味ではないかと思います。私自身、養護学校で障がいのある子どもたちと出会い、毎日おつきあいしているうちにガチガチの心がゆるっと思いっきりゆるんだ気がしています。生きることがなんだか楽になりましたね。そして何よりも、生きることが楽しい!って素直に思えるようになりました。

 

 そうま君がおちんちんで遊んでいる話も出てきます。そのときのお母さんの対応がいいですね。「誰も教えてないのに……」。そう、そうま君はわからないことだらけ。「だから面白い」。そう思えるかどうか。結局は感性の問題。

 障害者問題、などというと話がややこしくなります。でも「なんだか面白い」って思えれば、今までの世界が違って見えてきます。そしてそこから新しい世界、新しい社会を紡ぎ出せるかも知れません。

 障がいのある人への差別、排除とどう向き合い、どうやってそれらをなくしていくのか、それが障害者問題です。真面目に考えると、ものすごく大変な問題で頭を抱えてしまいます。でもそんな中で、そうま君て大変だけど、なんだか面白いじゃん、て思えるものが見つかれば、障害者問題の、今までとは全く違う角度からの解決方法が見つかるかも知れません。

 映画の最後に出てくるこの場面が僕は好きです。

        

 そうま君がお兄さんにほおをすり寄せているこのシーンが僕は大好きです。人が人と生きていく上で何が大事なのかをそうま君が教えてくれてる気がするのです。

 

 そうま君への対応を巡って、映画の監督がお父さんに詰め寄るところもあります。どうしてそうまともっときちんと付き合わないんだよ、と。ここは素晴らしい対話です。お父さん、かなりタジタジでしたね。でもこれでお父さんが反省して、よし、わかった、これからもっとそうまと付き合おう、とは多分なりません。

 そのお父さんに変わってもらうにはどうしたらいいんでしょうね。育児を全部お母さんに任せているお父さん、多いですよね。育児を誰かに任せれば、確かに楽です。でも大変な育児こそ楽しい!と私は自分の経験から思います。

 私の娘は精神を病んでいます。以前は気持ちが不安定で家で大暴れして収拾がつかなくなり、警察に電話して駆けつけてもらったこともあります。家から飛び出してしまうことも度々で、そのたびにかみさんと二人で追いかけました。自殺願望を抱えて、マンションの階段を駆け上り、ハラハラしたこともあります。ボクシングジムへ通い始めたことがきっかけで、今は落ち着いています。大変な時期もありましたが、精神を病むってこういうことなんだ、といい勉強になったし、大変なことも含めて、子どもを育てるってやっぱり楽しいなと思うのです。苦労したからこそ、楽しい。

 だからお父さん、そうま君とぜひ格闘してほしいなと思うのです。いろいろ苦労した方がいいです。苦労は人間を磨きます。

 映画の中で、そうま君を抱え、楽しそうにやっている場面がありましたが、そういう楽しいことだけでなく、そうま君の大変な部分ともちゃんと向き合ってほしいなと思うのです。そうすれば、きっとどこかでそうま君と改めて出会えます。今まで気がつかなかったそうま君が見えてきます。違う世界が広がってきます。

 お父さん、そばにこんなに素敵な息子さんがいるんだから、もっと楽しまなきゃソン!ですよ。

 

★参加希望の方はチラシ下部にあるQRコード、もしくは下記サイトから申し込んでください。

docs.google.com

 

★上映会当時は監督の講演があります。ぜひいろんなこと質問してください。障がいのある人とどんな風に付き合えばいいのか、みんなでいろいろ話をしましょう。

 

 

淡路島

淡路島で農業をやっている仁さんとこに行ってきました。

 

サツマイモ、里芋、なす、キュウリ、白いゴーヤなど、いろんな野菜育てていました。畑の真ん中に水をまくホースがあって、畑全体に巻くためにそれを動かすのが大変そうでした。

 

夕食はこの畑でとれた野菜で作ってくれました。なんて豊かな生活なんだろうって思いました。

 

大豆、白いゴーヤ、タマネギ、オクラ、ひじきなどのサラダ

 

キュウリの浅漬けが信じられないくらいおいしかった。

 

つやつやした玄米ご飯がおいしい

 

イノシシの肉は肉の味がしっかりあっておいしい。イノシシは畑を荒らすそうです。時々捕まえてこうやって食べるとか。

 

イノシシよけの山羊。山羊がいるとイノシシが近寄らないようです。畑の草も食べてくれます。

 

暑くても毎日外で仕事なので、大変だろうと思います。好きでないとできないですね。野菜の宅配をやってますので、ご希望の方には野菜セットを送ってくれます。

ここにこそ、お互いがもっと生きやすい社会に変えていく手がかりが

 相模原障害者殺傷事件から8年たちますが、社会は変わったのでしょうか?

mainichi.jp

 残念ながら、あれだけの事件がありながら、それほど変わったとは思えません。何が一番の原因なのか。それは障がいのある人を見るときの上から目線ではないかと思います。

「この人たちは自分よりも劣っている」

「私たちが何かやってあげないと何もできない」

といった上から目線の思い込み。その思い込みが、障がいのある人たちとのフラットな関係を阻み、社会を貧しくしていると思います。

 

 彼らとフラットにおつきあいしてみると、彼らが自分たちよりも劣っている、とはとても思えません。発想の豊かさ、表現の自由さ、という点では、劣っているのはむしろ私たちの側です。こんな作品を見ると、すぐに納得。

 

                         

               

                 

       

 

  演劇ワークショップの場は、彼らとフラットにおつきあいします。そうすると「この人たちは自分よりも劣っている」とか「私たちが何かやってあげないと何もできない」などという思い込みがとんでもない間違いであることがわかります。どうしてそんな思い込みが生まれてしまったのか。そこをきちんと考える必要があると思います。

 

 8月17日(土)から第9期演劇ワークショップが始まります。今季はどんな作品が生まれるのか、どうぞお楽しみに。

 ここにこそ、障がいのある人たちと一緒に、お互いがもっと生きやすい社会に変えていく手がかりがあります。

『僕とオトウト』上映会やります。

8月31日午後1時半からみどり公会堂で『僕とオトウト』上映会やります。

先日試写会をやりました。

●想像以上に愛情いっぱいの兄弟だった。けれどキレイゴトでは済まない家族の関係性と兄の苦悩もあった。誰の中にもある障害者を見る偏った価値観が家族の中にもあることが垣間見れた。  

家族が抱える問題は家族だけの個人的な問題じゃなくて社会が受け持たないといけない問題だと思う。 「私も、あなたも、そうまくんも、みんなが当たり前に自分らしく生きるためどんな社会を作っていこうか?」とみんなで語り合いたいと思う映画だった。

 

●何て仲の良い兄弟でしょう!兄は弟が可愛くて!弟は兄が大好きで!そんな関係がずっと続けば良いのにと思うけれど、そうはいかない家庭の暮らし、そして社会。それにしてもお母さんがすてきです。柔らかい人です。

兄はもうすでに鍛えられてきていると思います。6歳のころから。そしてもう社会に向けて大切なメッセージを発信しています。弟はとてもキュート!!その魅力をもっと多くの人、社会に広げたい。

この映画が私達を優しく鍛えてくれると思います。私たちが何をすべきか、どう在るべきかを考えさせてくれます。

 

●親しい人に言えなかったことがあるということは、 その人に、そうした自分のことをわかってほしいと思っているから。 そんな言えないことがある関係の中に、家族というかかわりあいがあって、 それは、障がいのある人でもそれ以外の人においてもかわらない。 そのような思いをいだいた映画でした。

 

●自由奔放なオトウト壮真(そうま)くんに振り回されながらも、お兄さんもお母さんも日々心を耕されています。お父さん一人なぜか取り残されている感じがしました。同じ家族であっても、そこでの関係はそれぞれなんだと思いました。

 そうま君と一緒にファミリーレストランに行ったとき、そうま君がフォークを投げてしまい、それ以来、お父さんは一緒に出かけることはやめてしまったという話がありました。気持ちはわかりますが、ちょっともったいないですね。そういうトラブルを引き受けてこそ、人は成長するのですから。

 障がいのある人との暮らしは、人によってはそういったトラブルの連続です。トラブルは誰だっていやです。できれば避けたい。でも、そうま君に「トラブルは起こすな」といっても無理です。だったらトラブルを起こすそうま君とどうやったらお互い気持ちよく一緒に生きていけるんだろうって考える方が、お互いにとってトクです。そうやって問題としっかり向き合うこと、それが大事です。それが私たちを鍛え、社会を豊かにします。

 トラブルを起こしたとき、ただ腹を立てるのではなく、「ったくしょーがねーなー」みたいな感じで、おおらかに笑ってやり過ごす。こういった日々は、私たちの心を柔らかくします。そうま君は、そうやってガチガチになった社会を柔らかく耕しているのではないかと思うのです。

 何よりも映画見ていると、そうま君が大好きになります。こういう人、社会にいた方がいいよな、と素直に思えます。

 

上映会では

映画の監督の講演があります。

講演を聴いた後、みんなでわいわい話し合いましょう。

「いろいろやってくれるそうま君とどうやったらお互い気持ちよく生きていけるんだろう」

みたいなことをみんなで一緒に考えていけたらと思っています。

 

 

●入場料 800円(会場費、上映費、監督講演謝礼に使います)

●問い合わせ takasaki@pukapuka.or.jp

www.midori-ph.jp

映画『僕とオトウト』を上映します。

 8月31日(土)緑公会堂で午後1時半から映画『僕とオトウト』を上映します。重度障がいのオトウトを兄がカメラを通して理解しようとした映画。

 短い1分半ほどのプロモーションビデオ見ただけで、このオトウトさん、私はいっぺんに好きになりました。色々面倒なことは起こります。腹の立つこともあります。それでもこういう人は憎めないし、憎めないどころか、こういう人は社会にいた方がいいよな、と思うのです。   

 養護学校の教員をやっていた頃、寄宿舎にリョウちゃんという子がいました。『僕とオトウト』のオトウトくんとなんとなく風貌が似ていました。何かと手のかかる人で、食事したあとも、散らかった食事の後始末がすごい大変でした。ある日夕食に魚が出て、リョウちゃん骨が喉に刺さらないかとそばでハラハラしながら見守っていました。ところがリョウちゃん、ハラハラさせるような食べ方ではあったのですが、それでも器用に骨を避け、おいしそうに完食。リョウちゃん、なかなかやるじゃん!なんて思いました。

 そばで見てるとハラハラするくらいめちゃくちゃな感じなのですが、それでいて、本人は思いのほかしっかりしていて、自分の思い込みを反省したものでした。

 障がいのある人たちとおつきあいするとき、やっぱり私たちの中にある思い込みが、相手のことを見えなくしています。すごくもったいないです。そういう思い込みから自由になるとき、見える世界がもっともっと広がります。障がいのある人達との新たな出会いといっていいくらいです。

 

 リョウちゃんは学校の行き帰りも、独特のパフォーマンスをやりながら通学していました。たまたま駅の跨線橋でパフォーマンスをやっているリョウちゃんを撮った写真を『街角のパフォーマンス』に載せています。街の人は突然のパフォーマンスにびっくりしたのではないかと思います。でも、その「びっくり」も人と出会う大事な機会。リョウちゃんは毎日やってるので、何度かびっくりするうち、だんだんリョウちゃんの楽しさがわかってきます。「あっ、今日もやってるね」とにんまりしながら見られるようになります。

                                       

          

 リョウちゃんは、こうやって毎日街を耕していたんだなと思います。

 

 『僕とオトウト』のオトウトくんも、色々面倒なこと引き起こしながらお兄さんの心を耕しているんじゃないかと思います。それが映画になった。

www.youtube.com

 

 監督の高木さんには講演をお願いしています。どんなお話が聞けるのか楽しみです。

  上映に関するお問い合わせは高崎まで(090-5492-7354、takasaki@pukapuka.or.jp)

 入場料は800円です。

 

福岡で上映会、簡単な演劇ワークショップ、講演会

 2020年に福岡で上映会と討論会が企画されました。その時はコロナの影響で集まりは流れてしまいましたが、ここに書かれている『ぷかぷかな物語』の評価がすばらしいので、そのまま載せます。

zosanzosan.hatenablog.com

 

 これを書いた方が10月5日のイベントを企画してくれました。

 

 お近くの方はぜひ!

 遠くの方は自分のところで企画してみてください。おもしろいです、いろんな新しい気づきが生まれます、新しい出会いがあります。障がいのある人達も一緒にやりましょう。

どっちが豊かな町を生み出すのでしょう

 少し前の記事ですが、障がいのある人達のグループホーム建設の話があると、やっぱり反対する人が多いようですね。困ったものだと思いますが、でも、この現状から出発するしかありません。

www.kanaloco.jp

 

 人に対して「不愉快」だなんて、ずいぶん失礼な言い方だと思うのですが、人とおつきあいする上でのそんな最低限の礼儀すら、相手が障がいのある人だとどこかへ行ってしまうようです。障がいのある人への露骨な蔑視。

 結局は障がいのある人達とのおつきあいがないところで生まれる蔑視ですが、こういう蔑視は、人の心を貧しくします。そういう人たちの集まる町はどうなっていくんだろう、と心配になります。

 

 障がいのある人が街にいれば、いろんな想定外のことも起こります。うちの娘は精神を病んでいて、少し前まで、不安定になると夜中も大声を出し、隣の家から苦情が来ました。事情を話してとりあえずは収まったのですが、これは障がいがあったが故に、隣の家と新しい関係ができたとも言えます。

 隣の家の人は、精神を病んだ人がどんな風になるかを学んだとも言えます。不愉快な思いをしたとは言え、貴重な学びの機会であったとも言えます。

 そんな風に考えるならば、障がいのある人達が自分の町に住むことは、いろんなことの学びの機会になります。人間を豊かにする、とも言えます。結果的には社会が豊かになります。

 「不愉快」等といって、障がいのある人達を排除することで、ほんとうに豊かな町ができあがるのかどうか、です。

 

 ぷかぷかのまわりでは、「ぷかぷかさんが好き!」というファンの方がたくさんいます。障がいにある人達に対し「不愉快」などといって関係を断ってしまうのか、「好き!」といって、より関係を深めるのか、ですね。

 どっちが豊かな町を生み出すのでしょう。

 

 こんな人とは一緒に生きていった方が絶対トク!

 

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