ぷかぷか日記

私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると

 今朝の朝日新聞「折々のことば」

 

 不出来な私の過去のように

 下手ですが精一杯

 心を込めて描きました。

                石垣りん

 

「私」は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると「きっぱりと思っている」。

●●●

 思い出したのは昨日東久留米の上映会で見た第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』。

 ぷかぷかさんと地域の人たちが悪戦苦闘しながら6ヶ月かけて芝居を作った時の記録映画です。できあがった芝居は決して上出来とはいえなくて、昨日の上映会では「シュールでわかりにくい」といった意見も出ました。

 それでも私は見て欲しいと思うのです。

 下手ですが、精一杯心を込めた描いたものです。

 私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると、きっぱりと思っています。

 

 あの6ヶ月、私たちがぷかぷかさん達とどのように生き、何を作り出したのか、を見て欲しいのです。

 舞台での発表が終わった直後、参加した地域のおじさんが息を切らしながら「すごかった…ほんとうにすごかった…」と言葉少なに語る場面があります。ぷかぷかさん達とどんな出会いがあったのか、この途切れ途切れの言葉がすべてを語っています。

 

 津久井やまゆり園事件が起こってしまうような社会にあって、障がいのある人たちに対し「すごかった…ほんとうにすごかった…」と語れるような関係、場を作り続けることは、すごく大事なことだと思います。何よりもみんながあそこで輝いていたのだから。

 だから、私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると、きっぱりと思っているのです。

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 あなたの街でぜひ上映してください。上映に関する問合せはこちら

www.pukapuka.or.jp

ぷかぷかさん達といっしょにワークショップやって、生きる価値がないなんてとんでもない、と思った。

明日2月11日(火)東久留米で第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』と『Secret of Pukapuka』の上映をします。

 第5期演劇ワークショップには栃木から毎回新幹線に乗って参加した方がいました。中学生の息子さんが「新聞を読んで感想を書こう」という宿題に取り組んでいるときにたまたま朝日新聞に載った「障害者と一緒 豊かな生」という記事を見つけ、それがきっかけで親子で参加することになりました。

 お母さんの方は、最後の反省会の時、ぷかぷかさんといっしょにやったワークショップが楽しくて楽しくて…と話ながら号泣してしまいました。号泣するほどの関係がぷかぷかさん達との間にあったのです。どうしてそんな関係が生まれたのか、お母さんと息子さんの感想を紹介します。

 

●お母さんの感想から

  みんなすごく素直で思ったことをストレートに表現するから、リアルで人間味があってとても魅力的に思えて、私はぷかぷかさんの大ファンになっていました。私にとってそこは自然と笑顔になれる場所で、優しい空間でした。そんな彼女、彼たちと一緒に立った舞台。やり切った感、ハンパなかった。ぷかぷかさんたち一人ひとりとふれあった思い出が頭の中で駆け巡り、みんなで頑張った喜びと終わってしまった寂しさとが複雑にからみあって、涙がこぼれ落ちてしまいました。本番直前、廊下の片隅でセノーさんと手を繋ぎ練習したときのあのいい表情も脳裏に焼き付いて離れません。

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 私が最後に泣き崩れてしまったとき、ボルトくんが背中を支えに来てくれました。彼はずっと大丈夫?と声をかけてくれていました。私が落ち着くのを待って手をはなそうとする時も「もう手をはなしても大丈夫かな?」「放すよ、いいかな?」って言って自分の席にもどられました。今まで生きてきてこんなに優しい言葉をかけてもらったことがあったかいなと、やさしさが心に響いて本当に癒されました。彼のやさしさに心から“ありがとう”と言いたいです。誰かと心で繋がれることって何よりも力になる。私も人の喜びや悲しみにそっと寄り添えることができる人間になりたいと思います。

 

●息子さんの感想から

中学二年生の夏休み。「相模原殺傷事件」が起きた。「障害者は生きる価値がない」と。あまりの衝撃に朝起きて顔も洗わず、テレビのニュースにしがみついていたのをよく覚えている。

僕は被告のような思想は誰の心にもあるのではないかって、それがずっと心の奥で引っかかってきた。例えば街で障害者の方が突然大きな声を出す様子に嫌悪感を抱き、関わりたくないと思ってきた自分。中学生になり、知的障害者施設にボランティアに行こう!と誘われたときに、障害者の方は怖いという勝手な思い込みで、「行きたくない。それだけは勘弁して」と言い張った自分。それは僕も無意識に差別する側に立ち回っていて、被告の発想と心の奥底で繋がっているのではないかと。僕の心は弱くて醜い。“やっぱ俺は、クズだな・・・”と思ってずっと過ごしてきた。

一年後の夏休み、“新聞を読んで感想を書こう”という宿題のため新聞の記事を探していたら、〝障害者と一緒 豊かな生″という見出しに目が留まった。ぷかぷかパン屋さんの記事だった。僕はなぜかその記事を捨てずに取っていた。高校生になったある日、たまたま付けたテレビ番組にぷかぷかさんや高崎さんがでていてあの新聞記事とリンクしたことに少し驚いた。母からワークショップに誘われたときは、どうしようか悩んだが、高崎さんのいう豊かになるってなんだろう、それが知りたくて確かめたいと思った。

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(2017年7月25日朝日新聞)

 

ぷかぷかさんと接してきておもしろかったり、ときにはむっとしてしまったり、いろいろあったけれど、何よりも僕は人前で表現するとかが嫌で嫌で、そこから逃げていた自分だったように思う。リハーサルの日もそう。僕にも役があり、しかもオオカミのかぶりものまであるとわかったとき、やっぱり今日は部活にいっておけばよかったなと後悔した。舞台に立つなんてなれないことに身体はどっと疲れた。しかし、ぷかぷかさんたちはニコニコ元気、とてもいい笑顔だった。疲れた顔をしているのは僕だけで「なんでこの人たち笑っていられるんだろう」と不思議だった。その姿を見ていて、ぷかぷかさんたちはやらされてるとかでなくて、自由にありのままの姿で表現することを楽しんでいる。特に一緒にオオカミ役をやったしょうくん(こうきくん)が♪なんでもいいから一番になーれ♪と歌っている姿がきらきらと輝いてとっても印象的だった。僕にはやらされているという気持ちがずっとどこかにあった。ぷかぷかさんと僕の違いはそういう心の違いだと思った。

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本番当日。舞台も終わり、最後に円陣を組んでみんなの意見を聞いていたとき、しょうくんが泣きながら、この演劇に対しての思いを話しているのを聞いて、心にぐっと突き刺さるものがあった。僕の前で悪ふざけしたり、おどけてみせるしょうくんしかみえていなかったので、あんなしっかりした思いで頑張ってきたんだと、それに比べ僕はなんなんだ。本番はでたくないと、なんか駄々をこねている小学生のようだったと恥ずかしくて穴があったらはいりたくなった。そして、元気の出ない僕に「着替えよう」とか「頑張ろう」と声をかけ続けてくれたしょうくんや、相手を思いやり大切にするぷかぷかさんたちの姿をみて、生きる価値がないなんてとんでもないぞ。なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。

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一緒に参加した母はこの半年、本当に楽しそうだった。最後に母が泣いているのを見たとき、この人はぷかぷかさんたちと心と心で向き合って同じ気持ちを感じてきたんだなと思った。

来年は部活を頑張ろうと思う。でも、いつか大学生とか社会人になって、また改めて参加してみたい。そのときは母に負けないように心の底から楽しみたいと思う。高崎さんのいう何が豊かになるのか今の僕にはまだわからないけれど、恥ずかしくてたまらんかった舞台に、ぷかぷかさんたちと一緒に立ててよかったと今、思っている。ありがとうございました。

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しょうくんへ

僕なんかと一緒にオオカミ、やりにくかったよね。ごめんなさい。そしてありがとう。

いつかまたしょうくんと一緒に豚でも馬でもなんでも、タッグを組んでやりたいです。 

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 演劇ワークショップという場は、こんな素晴らしい関係を作ってしまうチカラがあります。明日上映する映画には、そのチカラがいっぱい写っています。ぜひ見に来て下さい。

 やまゆり園事件の公判が続いています。先日も書きましたが、事件であらわになった問題は、被告を裁いてすむことではありません。やっぱり私たち自身が障がいのある人たちとどんな風におつきあいし、どんな風にこの時代を一緒に生きていくのか、ということが問われていると思います。

 その問いに対するひとつの答えが、明日上映する映画にはあります。

 いつも言うことですが「支援」とか「なにかやってあげる」という上から目線の関係では、こういったものは生まれません。ではどうしたらいいのか、そのヒントが映画にはあります。 

 

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「うんこ」のおかげで私たちがちょっと解放され、自由になる集まり

2月29日(土) 福岡の大名クロスガーデンという教会で『Secret of Pukapuka』の上映と、簡単なワークショップ、トークセッションをやります。

 ワークショップは1時間ほどしか時間がないのでたいしたことはできないのですが、なるべく楽しいことを、ということで、谷川俊太郎の詩『うんこ』を朗読したり、歌ったり、「うんこよ今日も元気に出てこい!」という芝居を作ったりしようかなと密かに思っています。

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  なんとなく福祉の話の集まりになりそうなのですが、『うんこ』の詩を読んだり、歌ったり、更には芝居作ったりすると、福祉の「まじめな話」ではなくなります。そういうことが、今、大事な気がします。「うんこ」のおかげで私たちがちょっと解放され、自由になるのです。こういうところから新しいものが生まれる気がするのです。嘘だろう、と思うひとはぜひ2月29日、大名クロスガーデンに来て下さい。

zosanzosan.hatenablog.com

2月11日(火・祝) 演劇ワークショップの記録映画、上映します。

 2月11日(火・祝)東久留米で『Secret of Pukapuka』と第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』をやります。

 演劇ワークショップの記録映画は、なかなか上映する機会がないので、ぜひ見に来て下さい。障がいのある人たちと一緒に生きると何が生まれるのか、あるいは、一緒に生きる意味ってなに?、といったものがよく見えます。

 「共生社会を作ろう」とか「共に生きる社会を作ろう」とかよく耳にしますが、耳障りのいい言葉が聞こえてくるだけで、そこで何を作り出そうとしているのか、といったことがさっぱり見えません。具体性がないのです。どこまで本気なのか、と思ってしまいます。

 演劇ワークショップは、障がいのある人たちと一緒に芝居を作り、舞台で発表します。そういう社会を作ろう、と本気でやっているのです。

 どんな舞台ができるのか。去年、その舞台を見た人がこんなことを書いていました。

 

 「障がい者イベントというと支援者にしっかりと支援されてる障がい者が決まった事を大人しくやっているイメージがあるけど、ここでは全く違う」

 

 下の写真がその舞台。「支援」ではなく、「一緒に生きる」関係が作り出した舞台です。背景画もぷかぷかが制作。一緒に勝負する、というか、緊張感のみなぎる舞台です。

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 一緒に生きると何が生まれるのか、がよくわかる舞台です。一緒に生きる意味も。

 こういった舞台をどうやって作っていったのか、映画はその6ヶ月にわたる芝居作りの記録です。

 

 津久井やまゆり園事件についても、被告が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」という言葉に対して、それは間違ってると言うだけでは事件を生み出した社会は何も変わりません。被告の言葉に対し、「障害者はいた方がいい」「障害者は不幸しか生まないのではなく、社会を豊かにする」という実態を作り出すことが大事だと思います。私たちがどういう社会を作ろうとしているのか、それを具体的に提案するのです。

 ぷかぷかはまずお店でそれを作り続けてきました。演劇ワークショプでは、一緒に芝居を作り、それを舞台で発表します。私たちが目指す社会が、ほんの少し見えます。

 

 演劇ワークショップは台本があって演出家の指示の通りにやる、といったやり方ではなく、参加者みんながアーダコーダ言いながら作っていきます。障がいのある人達も一緒なので、すんなりまとまりません。すんなりまとまらないところで、どうしよう、どうしよう、とみんなで悩みます。この「悩む」ということが、場を豊かにします。私たちを磨きます。

 映画はその過程を飾ることなく淡々と記録しています。

 

 ぜひ見に来てください。あなたの心もきっと耕してくれるはずです。

 

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被告が裁かれて事件はおしまい、という問題ではないだろうと思います。

 やまゆり園事件の公判に関する記事

 

 弁護士の「美帆さんは人間でなかったのか」との問いには「そういう言葉を使うのは忍びないですが人間としての生活ではないと思う」と話した。

 

 被告にとって人間てなんなんだろう、と思いました。そういう人間のイメージがどこで作られたのか、が大きな焦点になると思います。

 事件が起こった頃も、事件後も、やまゆり園では利用者さんを拘束するという虐待事件が起こっています。一昨年のNHKスペシャルでは13時間も拘束された女性の話が放送されましたが、相手を人間として見ていないからこんなひどいことが平気でできるのだと思います。そういった環境で被告は3年働いていたので、人間を見る目に何らかの影響は受けていると思います。

 やまゆり園で行われていた支援の質は、事件の大きな鍵になると思います。そういったことが公判でどこまで明らかにされるのか、注目したいと思います。

 

 いずれにしても被告が裁かれて事件はおしまい、という問題ではないだろうと思います。大事なことは私たち自身が障がいのある人たちとどのように生きるのか、彼らとどのような社会を築こうとしているのか、というところだと思います。

 彼らとどのように生きるのか、どのような社会を作るのか、事件で一番問われているのはそこだと思います。そこにどこまで私たちが具体的に答えていくのか、ということです。

 ぷかぷかでやっていることは、お店の運営にしても、表現の市場にしても、その問いに対する私たちのひとつの答えです。

 そういうものをみんなが作り出していかないと、事件は他人事で終わってしまい、社会は何も変わりません。

 

headlines.yahoo.co.jp

それを掛け合わせたからこそ、あんなに魅力溢れる舞台になる

浅川さん親子の演劇ワークショップ体験記。

 

「できないから助けてあげる、支援するというのが今の福祉の考え方のような気がします。でも私は、できないことを補い合うのではなくて、一人ひとりの持っているパワー(好きなこととか得意なこと)を出し合う方が社会は豊かになるんじゃないかなと息子たちを育てながら思うようになりました。

 ぷかぷかの舞台はまさにそれを体現していたと思います。ぷかぷかさんを助けるために地域の人が出るのではなく、ぷかぷかさんだから出来ることと地域の人だから出来ること、それを掛け合わせたからこそあんなに魅力溢れる舞台になるのだろうと改めて思いました。」
 
 
 ズバリ本質を突いていますね。以前からぷかぷかさんが生み出す価値を「1」、スタッフが生み出す価値を「1」とすると、ぷかぷかは1+1が5になるくらいの価値を生み出してる、と語ってきました。それを浅川さんは別の言葉で語ってくれたように思います。
 「支援」という関係では、支援する側の幅のものしか生まれないので、1+1は、どこまで行っても1のままです。もったいない話です。「障がいのある人」という「社会的資源」が生かされないままになっています。これは社会的損失です。
 結局は相手の中に何を見るのか、ということだと思います。価値あるものを見つけられるかどうか、です。
 表現の市場の舞台は、それが花開きます。1+1=5を見てください。

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ameblo.jp

「だめ」と否定されてきた「行為を豊かにする装置」がぷかぷかにはあった。

今朝の朝日新聞『折々のことば』。

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  「処理」ではなく、「行為を豊かにする装置」としてのトイレのデザインを夢想する、というところ、ぷかぷかとおんなじだと思いました。

 

 仕事のおしゃべりはまずいんじゃないか、と社会の中でいわれながらも、ぷかぷかでは「別にいいよ」と、仕事中もおしゃべり。そのおしゃべりがおもしろい、とファンがつき、ファンが売り上げを生み出しました。何よりもよかったのは、そのおしゃべりが、障がいのある人と街の人たちとの素敵な出会いを作ってくれたこと。おしゃべりが、街をちょっぴり豊かにしてくれたのです。「だめ」と否定されてきた「行為を豊かにする装置」がぷかぷかにはあったのです。

 こんなまじめなときもあるおしゃべりマン

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  仕事の居眠りはまずいんじゃないか、と社会の中でいわれながらも、ぷかぷかでは「別にいいよ」と、仕事中も居眠り。その寝顔に癒やされました、とファンがつき、ファンが売り上げを生み出しました。何よりもよかったのは、その居眠りが、障がいのある人と街の人たちとの素敵な出会いを作ってくれたこと。居眠りが、街をちょっぴり豊かにしてくれたのです。「だめ」と否定されてきた「行為を豊かにする装置」がぷかぷかにはあったのです。

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 そこで問題です。ぷかぷかの、「だめ」と否定されてきた「行為を豊かにする装置」とは一体何なのでしょう。

 正解はぷかぷかに来るとわかります。

人は人との出会いによって回復するチカラがあるということ

 久しぶりにいい本読みました。『人は、人を浴びて 人になる』という本です。昨日、朝、図書館で借りて、ちょっと読みはじめたらやめられなくなって、1日で読んでしまいました。

 精神を病んだ精神科医の話です。お母さんが統合失調症で、子どもの時から大変な苦労をしています。著者自身精神を病み、リストカット、摂食障害、アルコール依存、自殺未遂…と大変な人生。精神科にかかり、主治医の出した向精神薬を浴びるほど飲んでも、私の精神は安定しなかった、といいます。

 そんな著者を救ったのは医者や薬ではなく、「ふつうの人々」だったといいます。「ふつうの人たち」との素敵な出会いが精神をボロボロに病んだ著者を救ったというお話です。

 「お母さんを親に持って、幸せです」と語る終章「母への手紙」は涙が止まりませんでした。

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 精神科で出される薬を飲んでいれば、娘は少しずつ回復すると思っていたのですが、それを根底からひっくり返された思いです。「人との出会い」というのは医者や薬よりもはるかに大きなチカラがあるんだとあらためて思いました。

  人は人との出会いによって回復するチカラがあるということ。大きな希望を見た気がしました。精神障がいで苦しんでいる娘に、ぜひ読ませたいと思いました。

 

 「ぷかぷか」も考えてみれば、この人と人との出会いが作り上げたようなものです。ぷかぷかさんと街の人たちとの出会い。それがたくさんの物語を生み、ぷかぷかを作ってきました。ぷかぷかさんやスタッフががんばった部分はもちろんありますが、新しい「価値」を生み出し、ぷかぷかの意味を広げてきたのは、やはりぷかぷかさんと街の人との出会いです。

 ぷかぷかさんと出会うことで、新しい世界が広がったり、自分を取り戻したり、元気になったり、たくさんの人たちが、今までとちがう人生を歩み始めています。

 人と人との出会いは、人を変え、社会を変えていくのだと思います。

 

 『人は、人を浴びて 人になる』、医療関係者の人たちが読めば、精神科医療の世界が変わる気がします。同じようにぷかぷかさんと街の人たちとの出会いが作った『ぷかぷかな物語』を福祉関係者の人たちがもっともっと読んでくれれば、福祉の世界が、そして社会そのものが変わる気がしています。

「ま、いいか」って感覚が大事

身代わり説はおとぎ話じゃないの、というブログに、

 

●難病重度のエリート障害者・健一大内さんは

 

 最近、思う様に動かん体に憤り見たいなん感じるけど、変わってくれとも、五体満足の体の癖にロスジェネだの生きづらさだの腑抜け連中の身代わりになった覚えも無いね😃 

 

とズバリ。この人にとっては、五体満足の体のくせにロスジェネだの生きづらさだのいうのは腑抜けだ、と。日々の苦労がリアルに想像できます。

 「身代わり」なんて話は、やっぱり健常者に心地いいファンタジーなのです。だからこういう話は受けるんだと思います。一時はやった映画『四分の一の奇跡』がいい例です。

 

健一大内さんのFacebookには

 

恵方巻🍣用、刺身🐟

巻いて喰いたいけど道具が無いから鉄火丼にして喰う🍴
食品ロスばっかしてるコンビニ🏪もんは意地でも買わん頑固な生活🐟🔪

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 まるで闘う生活。これを鉄火丼にして喰うなんて、やっぱりこの人はエリート障害者や。

 こんな人を前に、やわいおとぎ話は恥ずかしい。なんか当事者のこと、私たちは知らなさすぎる気がする。

 

 

 

●セミナーに参加したツジさんは

 

私はこのお父さんの気持ちは分かるんですよ。全体的に頑張っています!という感じがして…頑張るのをやめて、ま、いいか、と脱力したらもっと楽しくなるのに、と思いました。

 

 全くその通り。「ま、いいか」っていう感覚、この脱力、しなやかに生きるには、すごく大事。

 ぷかぷかさん達と毎日ごちゃごちゃ、ふにゃふにゃ、わいわいつきあっていると、だんだんそういう感覚になります。ガチガチの心と身体がしなやかになっていくのです。そして、そういう心と身体が、ぷかぷかの「ま、いいか」感たっぷりの空気を作り出しているのです。

 「がんばらなきゃ」「一生懸命やんなきゃ」といつも思って疲れている人、ぜひぷかぷかにあそびに来て下さい。ゆるっと力が抜けて、心も身体も、楽になることまちがいなし。 

「障がいのある人たちは私たちの身代わりになってくれた」というおとぎ話。

 シェアリーカフェでのセミナー、参加者の一人が「障がいのある人たちは、私たちの身代わりになってくれている。だから私たちは健常者でいられる」といったことをいわれ、なんかすごく違和感をおぼえました。お子さんが養護学校に通っているお父さんでしたが、息子さんが障がいを持っていることを自分で納得するためのファンタジーという感じがしました。

 うちの娘はうつがひどく、大学にほとんど通えませんでした。医師に診断書をもらい、長く休学していましたが、これ以上休んでも復学は無理、と泣く泣く退学届を出しました。うつという障がいのために、わくわくするような大学生活をすべて失いました。やりたかった勉強をすべて諦めたのです。やり場のない不満が毎日のように家で爆発し、家族は本当に大変です。母親は心労のあまり鬱状態になり、一時仕事に行けなくなるほどでした。こういう状況の中に毎日身を置いていると、身代わりの話は当事者目線の抜け落ちた、自分にとって都合のいいおとぎ話でしかありません。

 お父さんは多分、お子さんの障がいを、こういうおとぎ話を作ることでしか受け止められなかったのだと思います。そのままのあなたがステキだよって、なかなか受け止められなかったのだと思います。

 著名なジャーナリスト神戸金史さんも著書『障がいを持つ息子よ』の中で、そのような趣旨の詩を書き、『SCRATCH  差別と平成』という相模原障害者殺傷事件をテーマにした素晴らしいドキュメンタリー作品の中でも、その詩が朗読され、すごくガッカリしたことがあります。

www.pukapuka.or.jp

 

 それともう一つ大事なこと。そうやっておとぎ話で納得してしまうと、障がいのある人たちが抱えている「社会的な生きにくさ」といった社会の問題が見えなくなります。彼らの「社会的な生きにくさ」は、社会による彼らの排除が生みだしたものです。それはそんな社会を作っている私たち自身の生き方の問題です。全国に起こっている障がいのある人たちのグループホーム建設反対運動をみれば、この問題はすぐにわかります。

 ぷかぷかは法人の設立目的に「障がいのある人たちの社会的生きにくさを解消する」ということあげています。そのために街の中に彼らの働く場を作り、街の人たちに彼らに出会ってもらえるようにしました。障がいのある人たちとたくさんの人が出会い、彼らはやっぱり街にいた方がいいねって思う人が増えれば、彼らの社会的生きにくさが少しずつ解消できると考えたのです。

 障がいのある人たちは、いろんなことができないとか生産の効率が落ちるとか、マイナスの評価が圧倒的に多いのですが、ぷかぷかは日々の活動の中で、彼らは「街を耕し、豊かにする存在」という今までにない新しい評価を打ち立てました。

 彼らと一緒に生きることで、街が豊かになるのです。そのことをぷかぷかの事業を通して実践し、結果を広く発信してきました。これは、彼らの社会的生きにくさを解消するだけでなく、社会そのものも豊かにするのです。

 

 彼らを排除している社会と私たちはどう向き合った来たのか。そしてどう生きてきたのか。ぷかぷかの活動を見れば、そのことがすぐにわかります。

 

 身代わりの話に寄りかかると、社会の問題が見えなくなります。社会と向き合う、闘う、といったことがなくなります。それが障がいのある子どもにとっていいことなのかどうか。

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