『道草』上映会、無事終わりました。お客さん、ずいぶん入っていました。200人くらいはいたでしょうか。とてもうれしかったです。
ツジさんが映画の宣伝映像で、映画の何がいいですか?と聞くと、「たぁー!」がいい、と言ってましたが、上映中、映画の中でヒロムさんが「たぁー!」と叫ぶと、ツジさんも合いの手を入れるように「たぁー!」と叫んでいました。こういう反応は私たちにはできませんね。ツジさんのおかげで、上映会のとてもいい雰囲気ができたと思っています。ツジさんに感謝!です。
お母さんはこんな書き込みをしていました。
《 カツヒロは本当にこの上映会を楽しみにしていました。ターッ‼️と合いの手を入れたのは彼の心に響くものがあったからなんでしょうね。作り物っぽかったり、偽善が透けて見えていたら、あんな反応はなかったと思います。いい1日でした。》
彼の心に響くものがあった、というのがいいですね。映画の素晴らしい評価です。
久しぶりの『道草』、4回目でしたが、あらためて新鮮な気持ちで見ました。こういう人たちが街の中で暮らしているということが、何を差し置いてもいいですね。「共に生きる社会を作ろう」だの「共生社会を作ろう」だの、キャッチコピーのような言葉を言うだけでは社会は何も変わりません。『道草』に見える、こういう風景こそ具体的に作り出すべきだと思います。
自立生活センターグッドライフの人たちが、重度障害の人たちの自立生活を支えているのですが、支え方がすごくいいですね。
映画に登場するリョースケさんのお父さん岡部耕典さんは、介護者は当事者が選んでいるんですよ、とおっしゃっていました。介護者と相性が合う、あわないは、当事者の側が決めているそうです。リョウースケさんの介護者はリョースケさんが決めているのです。
ここでの介護は、人と人とのおつきあいなんだと、岡部さんの言葉を聞きながら思いました。相性が合う、あわないを大事にする、というのは、そこに人と人とのおつきあいがあるからです。だから映画があたたかいのだと思います。
映画に登場するユウイチローさんは行動障害があって、ものを投げたり、壊したりでなかなか大変な人。津久井やまゆり園なら多分拘束されています。2年前の7月の放送されたNHKスペシャルでは徘徊するという理由で1日13時間もバンドで拘束された女性が紹介されていましたが、多分ああいう感じになると思います。
ところが「自立生活センターグッドライフ」の人たちは、対応のすさまじく困難なユウイチロウさんに果敢に素手で向かっていきます。どこまでも相手に寄り添う、向き合っていくのです。
一緒に電車に乗って出かけます。
《 何かあったらどうするんだっていった時には、責任は裕一朗くんにもあるし私たちにもある。私たちは出来るだけそうしないように、悪い言い方で言えば監視役でもあり、ガードマンなのかもしれない。けどそれはあくまでも、彼の自由を担保するために居るっていうことなんですね 》
「彼の自由を担保するために居る」とか言っても、ユウイチローさんのような人だと、本気で相手に寄り添うには、それなりの度胸がないとなかなか難しいと思いました。
そのユウイチローさん、外出の途中で調子が悪くなり、コンビニのガラスを割ってしまいます。コンビニのガラスは相当分厚いです。それを割るくらいなので、ものすごいエネルギーです。パトカーが出動したそうですから、多分大騒ぎになったのでしょう。
やってきた警官が心配して
「パトカーで送っていきましょうか?」
と聞くのですが、ユウイチローさん、
「いや、大丈夫です」
と、断ってしまいます。こういうところ、ユウイチローさんは覚めていますね。わかっていながら、ついやってしまうところにユウイチローさんの悩み、苦しみがあります。
そばにいた監督は、心配で、パトカー乗ればいいのに、と思ったそうですが、ユウイチローさんと介護者は何事もなかったかのように歩いて帰ったといいます。ふつうなら、もう怖くて、今日の外出はここで終わり!と多分なります。
うちへついてから介護の人がこういったそうです。
「今日は外へ行けてよかったね。」
監督は、パトカーに乗ればいいのに、と思った自分と比べ、なんて肝が据わった人なんだ、と感心したそうです。
肝が据わる、というのは、仕事ではなく、その人の生き方です。映画見ながら、介護に入っている人たちの「生き方」をすごく感じました。
そういうものがあるから、ユウイチローさんのこの笑顔が生まれるのだと思います。本気で寄り添ってくれる人を見抜いているのだと思います。
やまゆり園は本気で寄り添っていたのか、と思います。