やまゆり園事件の裁判、どうしてあのような悲惨極まりない事件が起こったのか、私たちの生きている社会の何が問題だったのか、どうして福祉の現場の職員があのような事件を起こしたのか…といったことが一切明らかにされないまま、死刑の判決が下りました。
何のための裁判だったのかと思います。ただただむなしい思いでいます。
彼を死刑にしたところで、事件で明るみになった問題は、何も解決しません。
彼は意思疎通の図れない重度障害者は生きている意味がない、不幸しか生まない、と言いました。そういう人たちとお付き合いのない人たちは、なんとなくそうか、と思ってしまいます。そういう人たちが大部分の社会の中で、私たちはどんなことをしていけばいいのだろう、と思います。
あーだこーだ議論するだけでは、社会は何も変わりません。では、どうしたらいいのか。
ふだん障害のある人たちとおつきあいのない人たちでも、
「あっ、そうか、障害のある人たちとは一緒に生きていった方がいいんだ」
「彼らは周りの人たちをハッピーにして、豊かにするんだ」
って思える事実を日々の暮らしの中で作っていくことだと思います。共感できる事実を作っていくことー。
ぷかぷかでは、お互いが
「いい一日だったね」
っていえる日々をみんなで作り続けています。
一緒に生きる日々をみんなで「いい一日だったね」っていえること。そういう日々を作り続けること。そのことを外に向かって発信し、共感する人を増やすこと。ぷかぷかは、そうやって「ぷかぷかさんが好き!」というファンを増やし、地域社会を変えてきました。
ぷかぷかができて10年。ぷかぷかの周りの社会が少しずつ変わって来ました。それをこれからも続けていこうと思います。
ぷかぷかはこの5月から重度障害の人たちの働く事業所をスタートさせます。生活介護の事業所です。野良仕事をやります。地域の人たちが自由に出入りし、一緒に野良仕事ができるような風通しのいい事業所です。
宮澤賢治の作品に『虔十公園林』というのがあります。みんなから馬鹿にされている「虔十」という青年がいました。
《風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。》
そんな彼が植えた杉が、彼の死後、何十年か後に、町のみんなから愛される立派な公園林になった話です。
新しい事業所の中心になっている人はみんなで「虔十」になって、「虔十公園林」を作るようなつもりで野良仕事をやるそうです。
今までとはイメージの全く違う、重度障害の人たちと一緒に働く場ができます。重度障害の人たちと一緒に何が創り出せるか、楽しみなところです。一緒に新しいものを創り出す創造的活動です。
これが新しい事業所の表札。田んぼと畑で「でんぱた」。