ぷかぷか日記

「あすへの一歩」

 今日はでんぱたに給食作りに行きました。その時に隣のマンションから、声がうるさい、と苦情が来たという話を聞きました。よく声を出すメンバーさんがいるので大丈夫かな、とは思っていましたが、やっぱり苦情が来たようでした。隣のマンションとは間に駐車場があるのですが、それでも苦情が来たというのはとてもやっかいです。

 

 どうするのか、これからが勝負所です。

 

 ぷかぷかもできた当初、声がうるさい!と苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりされるとメシがまずい、といわれたり、ぷかぷか三軒長屋の企画を立てたときは「障害者施設がアメーバのように広がっていくのは不気味だ」なんて言われたり、本当に散々な日々でした。

 あれから10年、今日NHK首都圏ネットワーク「あすへの一歩」でぷかぷかが紹介されたのですが、ぷかぷかさんの存在が地域の人たちにとってすごく大事な存在になっていることがよくわかりました。

  一人暮らしの金原さんはいつも街で声をかけられ、とてもうれしいといってました。

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 金原さんはありがとうカードをいっぱい貯めていました。思いつきではじめた「ありがとうカード」でしたが、こんな風にぷかぷかさんと地域の人たちをしっかり結びつけているのですね。ありがとうカードはぷかぷかさんのお客さんへの思い、こんなに並んだありがとうカードは金原さんのぷかぷかさんへの思い。お互いのそんな思いがありがとうカードを通してつながっています。

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 そしてお店はもう生活の一部だと

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 ここまで来ると、障害があるとかないとか全く関係ありません。生活なんだから、いて当たり前、という感覚なのだと思います。金原さんにとっては、こんなのテレビで取材する方がおかしい、と思うくらい、ぷかぷかさんとの関係はごく当たり前の日常風景なんだろうと思います。

 

 「声がうるさい!」と苦情の電話が入った頃から10年。苦情の電話に心が折れそうになりながらも、それでも気を取り直して「いい一日だったね」ってお互いいえる日々をぷかぷかさんと一緒に積み重ねて10年。映像見ながら、なんかね、いろんなことが思い出されて、ちょっと涙が出そうでした。

 

 「声がうるさい!」と苦情の来たでんぱたもこれからが大変です。こういうトラブルに特効薬はありません。ただひたすらぷかぷかさんたちといっしょにいい一日を作り続けるだけです。近所の人もいつかきっとそのいい一日に気がつきます。

 心がめげることがあっても、ぷかぷかさんがそばにいれば大丈夫です。彼らがそばにいれば、いい顔になって、絶対いい一日になります。「あすへの一歩」です。

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ぷかぷかさんたちに幸せな生き方を教えてもらってた

 知り合いに子どもが生まれ、医療的なケアが必要かもしれないそうです。

 でも

 

「ぷかぷかさんたちに幸せな生き方を教えてもらってたこともあり、どんな身体で生まれてきても大丈夫♫と、私は安心して産むことができました。こんなに尊い命を生まない選択をしてしまう人がいると思うと、本当に心が痛みます。」

 

と書いてきてくれました。

 うれしいですね。ぷかぷかの活動がこんなところで生きるとは思ってもみませんでした。

 

 障害がある、ということがマイナスイメージで語られすぎていると思います。マイナスのイメージは彼らを見る私たちの目の貧しさが作り出しています。あるいは彼らとのおつきあいの貧しさ。

 「支援」という上から目線は、ある意味貧しさではないかと思います。彼らの持っているいいものをちゃんと見ていないからです。いいものが見えていれば、上から目線で彼らを見ることはありません。

 「支援」という関係からおもしろいものが生まれないのは、多分そういうところにあるのではないかと思います。

 ぷかぷかが生み出しているおもしろいものは、一緒に日々を楽しむ関係から生まれています。日々を一緒に楽しんでいるだけで、こんなにおもしろいものが次々に生まれるのです。これはぜったいトク!です。

 日々を一緒に楽しむなんて、誰にでもできることです。さぁ、今日からやってみましょう。一緒に笑い、「ああ、楽しかったね」ってお互い言いあうのです。いい一日を一緒に作るのです。

 そんな日々が、いつか誰かを助けます。障がいのある子どもが生まれるかもしれない、と悩んでいる人を救います。お母さんと赤ちゃんと、いっぺんに二人救います。

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あすへの一歩

 ぷかぷかさんがいないことで、ぷかぷかさんがいることの意味がより鮮明になるのではないかと、コロナでお店を休みにしているときからNHKが何度か取材に来ていました。昨日もお店の様子やぷかぷかのファンの方の取材をし、今週金曜日6月26日(金)18時10分頃からの首都圏ネットワーク「あすへの一歩」で放送するそうです。相模原障害者殺傷事件を受けての番組です。首都圏以外の方は、サイトにアップされてから見て下さい。2年ほど前のぷかぷかの映像もあります。

www.nhk.or.jp

 今日も事件について今どう思うかを聞かれました。裁判が終わり、死刑の判決が出て、もうおしまい、という雰囲気ですが、先日の和希君の就学訴訟の敗訴に見られたように、障がいのある人を排除する社会は事件後も変わらずあります。その社会を何とかしよう、などと大きなことは考えずに、目の前のぷかぷかさんたちと一緒に「いい一日だったね」ってお互いいえる日々を積み重ねていく。それが事件を超える社会を作っていくことになると思います。

 あーだこーだ言いたいことはいっぱいありますが、あーだこーだ言っても社会は何も変わりません。それよりも彼らと楽しい日々を過ごすこと、そんな日々を黙々と積み重ねること。そうすると地域の人たちにとっても、いつの間にか彼らがなくてはならない大切な存在になってきます。そのことが多分6月26日(金)の「あすへの一歩」の映像で見えてくると思います。すごく楽しみにしています。

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いい記事だったね、で終わらせるのではなく

 少し前の記事ですが、神奈川新聞の「就学訴訟の波紋(下)」は、和希君を排除したのは、行政と司法だけだったのか、という問題提起をしていました。

https://www.kanaloco.jp/article/entry-378008.html

 《 訴訟が結審した1月9日の口頭弁論が脳裏に刻まれている。和希君が幼稚園で共に学んだ日々を収めた映像が法廷で流された。運動会で母の悦子さんに車いすを押してもらいながら全力疾走する様子も映し出された。被告席にいた市教委職員は目をつぶり、映像を見ようとはしなかった。》

 子どもたちが和希君と一緒に作り出した豊かな時間の、貴重な記録映像に目をつぶり、見ようとしなかった市教委職員。何を意地はって見ようとしなかったのでしょうね。こんな人たちに和希君の思いは潰されたのですが、果たしてそれだけだったのか、と記事は問います。

 

《 行政と司法だけが問われているわけではない。行政の判断は、障害に応じて学ぶ場を分けるのは当たり前という世論に支えられている側面があるからだ。

「通常学級で学ばせたいなんて親のわがまま」
「授業のペースが遅くなり、ほかの子たちにとっては迷惑な話」
「特別支援学校に行って、その子に合った教育を受けたほうがいい」 》

 

 本当にそう思います。そうやって障がいのある子どもを排除することで、普通の子どもたちは本当に幸せになるのかどうか。きちんと考えていかないと、社会は痩せ細っていきます。いろんな子どもたちがいることの豊かさを経験せずに大きくなって、どんな社会を作っていくのだろうと思います。

 昨年近くの小学校で人権に関する授業を頼まれ、ぷかぷかさんを何人か連れて行って、得意技を披露してもらいました。プロのチェリストと共演するほどの大ちゃんの太鼓演奏、ボルトさんのダンスにはみんな圧倒されていました。ツジさんと暗算を競う計算大会では、教員ですら勝負になりませんでした。30年前に習った「ふきのとう」の朗読もみんなびっくりしていました。自閉症と言われる人の実力にみなさん、ほんとうにびっくりしていました。

 こういう経験を積むことこそ大事な気がします。大人にも経験して欲しいですね。

 

  記事の最後がすごくよかったです。

 和希君の就学訴訟の問題は

 《一家の学校選択の話に矮小(わいしょう)化してはならない。私たちが暮らす地域社会の問題だ。
 「この地域にあなたがいてほしい」
 「あなたがいられる地域にしたい」
そう言えるつながりが地域に紡がれていけば…》

 

 そう、社会は少しずつ変わって行くのです。そういうつながりをどうやって作っていくのか。そこがすごく大事です。「いい記事だったね」というだけでは、それはできません。

 

 ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」と言い続け、そう思える関係を様々な形で作ってきました。お店、外販、パン教室、演劇ワークショップなど。

 その結果、「ぷかぷかさんが好き!」「ぷかぷかさんにいて欲しい」という人たちがたくさんできました。

  コロナで休み中、近所の80歳になる方が「会えないのは寂しいですよ、孫みたいにかわいい人たちですから」とおっしゃっていました。一人暮らしなので、道で会っても「こんにちは!」って挨拶してくれるぷかぷかさんは、ほんとうにうれしい、と。

 休みが続いたことで、ぷかぷかさんたちを必要としている人たちがたくさんいることにあらためて気がつきました。

 NHKが何度も取材に来て、そんな人たちの声をたくさん拾っていました。首都圏ネットワークでやまゆり園事件を受けて時々やっている「明日への一歩」というタイトルで流すそうです。日時がわかりましたらお知らせします。

 

 ぷかぷかはぷかぷかさんがぷかぷかさんらしくいられるお店を作ってきました。彼らが彼ららしくいられるとき、お客さんもまた、ふっと自由になれます。ほっとするような雰囲気が生まれます。

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 いい記事だったね、で終わらせるのではなく、わたしたちひとりひとりが本気で「この地域にあなたがいてほしい」「あなたがいられる地域にしたい」と思い、実際に動き出したいものです。

どうすれば、やまゆり園が事件について自分で考えるようになるのか

やまゆり園事件の検証委員会、先日の中間報告を持って終了するそうです。

mainichi.jp

《 記者が鳥井健二・利用者支援検証担当課長に「検証中止」の理由を尋ねると、しばらく沈黙した後、「……議会で答弁した以上のことは答えられません。調査は法人に任せている。今後は前向きな議論をしていく」と繰り返すばかり。》

 と、記事にありましたが、「調査は法人に任せている。」って、どういうことなんだと思いました。

 この法人、事件後一年たって再開されたホームページには

「昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。」

 と、他人事のような挨拶があっただけで、事件に関する説明は一切ありませんでした。元従業員が犯した犯罪であったにもかかわらず、謝罪の言葉、どうして施設の職員が、施設の利用者を殺す、などという信じられないような犯罪が起きたのか、という検証も一切ありませんでした。

 こんな法人であるにも関わらす、「調査は法人に任せている。」って、どういうことなんでしょう。何を根拠に「調査は法人に任せている。」のでしょうか。これほどまでに無責任な法人を県は信頼しているのでしょうか。

 

 社会福祉法人はNPO法人に比べて、社会的な責任が大きいはずです。

 「事件後、一切の謝罪、説明がなかったことについて、県は指導を入れた のでしょうか?」と以前、県に対して質問しました。

 県からは「運営法人による謝罪や、説明責任の有無については、法人として判断すべきものであると考えています。」という回答が来ました。これが監督責任者のいうことか、と思いました。責任の放棄でしかありません。

 「調査は法人に任せている。」という言葉も、そういう文脈の中での言葉なんだろうと思います。無責任極まりないです。

 

 事件直後におこなわれた検証委員会の報告書には、やまゆり園でどのような支援がなされていたのか、という核心部分が一切ありませんでした。元現場の職員が犯した犯罪だったので、やまゆり園がどういう支援をやっていたのかは当然問題になるものだと思っていました。ところがその報告書にあったのは防犯上の問題ばかりで、事件現場がどうだったのか、という報告が全くありませんでした。

 県としてはそこを出したくなかったんだと思いました。やまゆり園は県職員の天下り先として有名です。そういう関係があるから、やまゆり園は潰したくないのでしょう。そういう思いがありありでした。

 ですから今回の検証委員会の終了、という記事も、ひどい!と思いつつ、県というのは、ま、そんなもんだろうと思いました。

 

 犠牲になった人たちへの思いも、これからもそこを利用する人たちへの思いも、全くないのだと思います。

 その一方で《ともに生きる神奈川憲章》なんて掲げたりして、恥ずかしくないのだろうかと思います。

 

 県の批判をしたところで何も出てこないので、もうやめます。

 

 問題は、自分で「何が問題だったのか」を考えようとしないやまゆり園をどうするかです。自分でそこを考えない限り、事件の温床は残ったままです。

 どうすれば、やまゆり園が自分で考えるようになるのか。いいアイデアがあれば教えて下さい。

あのぬるっとした田んぼに足を突っ込んだ途端

「でんぱた」の田植え、単純におもしろかったです。

 あのぬるっとした田んぼに足を突っ込んだ途端、なんかわくわくしてしまいました。足が思うように動かせなくて、無理に動かそうとするとバランス崩して手をついてしまい、慌てて体を起こそうとすると、余計にバランスが崩れ、にっちもさっちもいかなくなります。田植えをする前に田んぼの泥と大格闘でした。でもこれがなんとも楽しい。普段泥と格闘するなんてないので、ほんまに楽しかったです。

 ようやく泥と仲良くなって、田植え開始。苗を一つ一つ手で植えていきます。ずっと腰を曲げたままなので、疲れることは疲れるのですが、苗を植えることは夢を植えるような感じがあって、すごく楽しい。

 ぷかぷかさんたちと一緒に夢を植えたのです。秋になったらお米が採れる、といったことよりももっと広がりのある夢。

 今回初めて出会うたくさんの人たちと一緒に田植えをしました。一緒にどろんこになり、一緒に笑い、一緒に汗をかきました。ここから新しいものが生まれます。ぷかぷかさんと新しい仲間との共働作業は何を生み出すのでしょう。それを考えるだけでもわくわくします。

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 「お疲れさん!イェ〜イ」とどろんこの手でグータッチ

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 といった感じで、みんなでいい一日を過ごしたのでした。

6月15日。でんぱた初田植え。

6月15日。

「でんぱた」のはじめての田植えをしました。

その日は、快晴で気温は30度以上の蒸し暑い日となりましたが、

同じ青葉区で活動をされていて「でんぱた」に協力してくださっている方々や農業をやっている福祉作業所の職員さんなど、15名程の方が参加してくだいました。

 

でんぱたのメンバーさん4名と、ぷかぷかの畑班のメンバーさん3名、そしてスタッフ5名が、参加してくださった方々と一緒になって作業をしていきました。

泥だらけになって、楽しくおしゃべりをしたり、お互いに助け会いながら一本一本手植えをしていったのです。

 

メンバーさんのほとんどは、田植えは初めて或いはほんの少しだけやったことがあるということでした。

そういった場合、初めてメンバーさんへは、スタッフが一緒になってフォローしていくのが普通のやり方だと思います。

ですが、いきなり最初から、お互いに初対面同士の、メンバーさんと参加してくださった方が1組になっていただいて、田植えをすすめていってもらいました。

 

普段、階段を降りるのも怖く人の支えを求めるメンバーさんもいましたが、

田んぼ足袋を履いてもらい、勢いよくスタッフと田の泥の中に入っていきました。

スタッフの勢いつられて、つい一緒に入ってしまった、という感じにも見えましたが、

入ってしまったからには、もう、やるしかないと覚悟を決めたのでしょうか。

緊張した面持ちで、田の泥のなかゆっくり足を運んで、真剣に手に持った苗を植えていました。

 

メンバーさんも、参加してくださった方も、皆さん、お互いに初めての相手とは思えないチームワークで作業をすすめていました。

泥だらけで、暑いですし、力を合わせて助け合いながらすすめていく以外の方法はない、ということもあったとは思いますが。

 

そうやって、皆が力を合わせすすめていった作業の出来ばえは上々で、真っ直ぐキレイな苗の列に仕上がりました。

 

そして、作業が終わってからの、皆さんのたくさんの素敵な笑顔。

メンバーさん達も、スタッフの勢いにつられて入ってしまったメンバーさんも、参加してくださった皆さんも。

 

作業後のお昼ごはんは、おひさまの台所のぷかぷか弁当を、参加した皆さんで一緒にいただきましたが、皆さん、おいしい、おいしいと言いながら召し上がっていました。

 

でんぱたの田植えは今回がはじめてでした。

はじめてでしたが、作業としても上出来でしたし、でんぱたの考えるメンバーさんといろいろな人達が一緒にやっていくことを体現できていたと思います。

下の文は、去年の夏前頃、私がまだぷかぷかのスタッフになる前のことですが、

田んぼについて書いた文書です。

これは、でんぱたのような場所を創りたいと思い立った時に書いたものです。

想いばかり先走った文で恥ずかしいのですが、読んでいただければと思います。

 

 

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春になり暖かさが増す頃、いよいよ田植えの準備がはじまる。

小さな種籾を、288穴のポット一穴に一粒ずつ、手にとって蒔いていく。

こういった地道な繰り返しに、集中を発揮する仲間がいる。

無言の時間が過ぎ、頭は空になり、手は一定のリズムで動き続ける。

水路が開き、田に水が放たれる。水を張った田を皆で手をつないで歩いて代かきをしよう。

足を取られ転びそうになるが、仲間に助けられた。手を離したらダメだよ。

腕や顔までも泥んこで、足は重く歩くのはしんどい。でも、仲間と一緒だとなぜかそれが楽しい。

 

田植え定規で田面に筋をひく。畦に沿って縦と横に定規を引っぱると、田面が碁盤の目のようになり、手植えの目印となる。仲間から筋引き名人と呼ばれるKさんの出番。彼の引く筋は見事に真っ直ぐだ。筋が曲がっていると、皆それにならって植えちゃうからね。

 

そして、丹精込め育てた苗を、皆で手植えをする。

手植えは、重労働。だから、ここでは、お互いに力を合せ助け合うこと以外の仕事はない。子供も、大人も、若者も、高齢者も、障がい者も、街の人も、皆が集まり、同じ場所で同じことのために働く。畦で苗を配る人。お茶を配る人。田を歩くのがたいへんな人と一緒に歩く人。応援する人。見守る人。

少しずつだが着実に、苗の列が長くなり、そして列が増えていく。

そのことが、皆を励まし活力をあたえる。

 

谷戸田が金色に輝く秋。

稲刈り。

機械好きの仲間たちが、バインダーを、競うように交代で、誇らしげに、バンバン刈っていく。

刈った稲束を、稲木まで運んで掛け干しする仕事は、皆でおしゃべりをしながら、人海戦術ですすめる。

 

ここでは、障がいのある仲間が、良き見本となり良き先生である。

ほら、あそこで、0さんが、商店街のおじさんの落とした稲束を拾ってあげているよ。

面倒見のいいSさんなんかは、田んぼの歩き方を教えている。切り株やぬかるみもあって結構歩きづらいから。 

わたしたちは、夏の暑い日も冬の寒い日も、仲間と野良で働いているのだ。

少しバテ気味の体のおおきな学生さん。大丈夫だよ。無理しないで。わたしたちがどんどん運ぶから。

 

稲はそのまましばらく天日干しする。

そうするとお米が甘くおいしくなる。

 

晴れの日に、皆で谷戸田に集まって、

秋の日ざしと風を楽しみ、でんぱたのお米のおにぎりを食べ、のんびりしよう。

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でんぱたはまだスタートしたばかりですが、ここに書いてあるようなことを、全部ではありませんが、おこなうことができていることをとても嬉しく思います。

 

皆で泥だらけになり、手で苗を植えていると、

昔から人々が、田に集い、自然と向き合い、ともに生きてきたこと、

脈々と続く大きな営みのようなものを身体と心で感じることができます。

 

その大いなる流れのなかで、メンバーさん達と、集まってくださった方々の協力と協同が自然にうまれ、体が自然に動き、作業がぐんぐんすすんでいくような感覚をもちました。

 

種籾まき、育苗については、今年はできませんでしたが、来年以降やっていきたいと思っています。

そして、今年の秋には、皆で再び谷戸田に集まって稲刈りをして、そして働きの実りを祝い味わいたいと思っています。

いっしょにいい一日を作る、その積み重ねが「でんぱた」を作っています。

 でんぱたが始まり、陶芸と給食作りで関わっていますが、いろいろ思うのは、今のぷかぷかと同じように、メンバーさんとスタッフが一緒に「でんぱた」を作っているな、ということです。

 毎日やることは決めていても、最終的にはメンバーさんの気持ちでやるかやらないかを決めています。例えば給食作りは一応係を決めているのですが、その日になって「今日はやりたくない」と思う人がいれば、そんなときは畑仕事に行ってもらいます。

 障がいが重いからスタッフの指示どおりに動くのが当たり前、というのではなく、あくまで決めるのは本人です。本人に気持ちよく働いてもらい、いっしょにいい一日を作ることを大切にする。その積み重ねが「でんぱた」を作っています。

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 陶芸はいっしょに作品を作りました。

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 一人で集中して作る人もいました。

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そうやってできた作品

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焼き上がった作品が「でんぱた」の玄関を飾りました。

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 こうやって彼らと一緒に「でんぱた」を作っていきます。

 

www.pukapuka.or.jp

自分を信じること、そして続けること。

 生協の店頭市に出した「なのはな村」(宮崎県都城市)のお店。

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 これがFacebookに載っていたので、

「相変わらずいいもの売ってますね」

と書き込んだら、

「いいものだから、と、売れるとは限らないのです」

と、なのはな村の藤崎さん。

 まぁ、そうですね。それが現状なんだと思います。

 ぷかぷかのパンも、最初の頃はほんとうに売れませんでした。国産小麦、天然酵母でおいしいパンを作ればぜったいに売れる、と思っていたのですが、それが思ったほど売れないので、がっかりしました。こんなにおいしいパンがどうして売れないのかって。

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 でも売り続けるしかないというか、自分を信じるしかなかったですね。一人でも「おいしい」って思う人がいれば、そこから時間はかかっても、その「おいしい」がきっとまわりに広がっていく、と思っていました。

 

 ぷかぷかは

「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」

のメッセージを発信するところから始まりました。障がいのある人たちはなんとなくいや、近寄りたくない、というマイナス評価が蔓延する中でのスタートでしたので、困難はある程度予想はしていました。

「いっしょに生きていった方がいい」

なんて言葉は、

「え?どうして?」

と受け止める人がほとんどだったと思います。

 私が「一緒に生きていった方がいい」「その方がトク!」と思ったのは彼らとの出会いがあったからです。ですから、彼らといい出会いをすれば、きっと思いは伝わると思っていました。

 

 お店で彼らと出会う人たちが少しずつ増え、「ぷかぷかさんが好き!」という人たちが増えてきました。パンのおいしさに出会う人も少しずつ増えてきました。

  パンのおいしさとぷかぷかさんたちの魅力が重なって、今、たくさんのファンの方たちが、ぷかぷかを支えてくれています。本当にありがたいことだと思っています。

 

 自分を信じること、そして続けること、それがすごく大事だとあらためて思いました。

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