ぷかぷか日記

やまゆり園事件から4年

 もうすぐやまゆり園事件が起こってから4年になります。裁判があり、被告に死刑が宣告されましたが、どうしてあのような事件が起こったのか、何一つ解明もされず、なんのための裁判だったのかと思います。裁判が終わるとマスコミが取り上げることもなくなり、人々はどんどん忘れていきます。

 あれだけひどい事件だったので、社会はきっといい方向へ変わって行く、と私は事件当時思っていました。でも、この4年を振り返ると、いい方向へ変わるどころか、どんどんひどくなっている気がします。

 

 やまゆり園では相変わらず虐待が続き、つい先日、北海道の老人施設では介護職員がお年寄りの耳を引きちぎるという信じがたい事件が起きました。

 川崎では普通学級で学びたいという障がいのある子どもを、あろうことか教育委員会が排除するということもありました。かながわ憲章に「私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します」と書いてあるにもかかわらず、です。

 障がいのある人たちのためのグループホームを建てようとすると

「他所でやってください!この地域は普通の家族で住む事しか認められません。そんな施設が近くにあったら、家で安心して寛げない。怖い。」

と反対運動が起こります。その地域には「障害者はいない方がいい」とやまゆり園事件の犯人と同じことを言っているのです。

 

 あの忌まわしい事件から4年たっても、結局社会は何も変わっていません。

 その変わらない社会について、あーだこーだ言っても、社会は変わりません。あーだこーだ言うにも、それなりのエネルギーがいるので、言うだけソン!だと最近は思っています。

 結局は、私たち自身が事件を超える新しい社会を作っていく。それが一番だと4年たった今しみじみ思うのです。

 

 ぷかぷかは事件のはるか前から

「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトク!」

と言い続け、そういったことを実感できるお店を作り、お店の外でもパン教室や演劇ワークショップ、上映会、講演会など、ぷかぷかのメッセージに共感できる様々な活動をおこなってきました。

 そういった中で、

 「ぷかぷかさんが好き!」

と思うファンがたくさん現れました。

 「障害者はなんとなくいや」

と思う人の多い社会の中で

 「ぷかぷかさんが好き!」

という人たちが現れたことは画期的なことだと思います。

 「彼らといっしょに生きていこう」

という新しい社会の始まりと言っていいと思います。事件を超える社会です。

 しかも「ともに生きる社会」を作ろうとか、「共生社会を作ろう」なんて言葉をひとことも言わず、そういう社会が始まったところがおもしろいところです。そこにぷかぷかのチカラを感じます。社会をいい方向に変えるチカラです。

 

 彼らといっしょに生きると何が生まれるのか、といったことも、お店を運営する中で目に見える形で表現してきました。

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 こういったものは、社会を豊かにします。だから彼らは社会にいた方がいいのです。

 

 やまゆり園事件の犯人は「障害者は不幸しか生まない」とか「生きている意味がない」といいました。これらの言葉には、彼が働いていた現場での障がいのある人たちとのおつきあいの貧しさが露骨に表れています。

 「障害者はいない方がいい」などと言った彼は障がいのある人と「いい一日だったね」ってお互い言えるような日々を過ごしたことがなかったのだと思います。

 そういったことを考えていくと、事件は障がいのある人たちとどういう関係にあったのか、ということが大きく影響しているように思います。

 犯人がぷかぷかで働いて、写真のような関係を作っていれば、事件は決して起きなかったはずです。

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 ぷかぷかは演劇ワークショップにも力を入れています。ぷかぷかさんと地域の人たちとの芝居作りです。

 一緒に芝居を作っていくと、ぷかぷかさんたちの発想の自由さ、豊かさが際立ちます。彼らが演劇ワークショップの面白さ、豊かさを支えていることがだんだん見えてきます。

 彼らに向かって「あなたが必要」「あなたにいて欲しい」と“切実に”思うようになります。彼ら抜きでもうワークショップはできない、というか、そんな感じです。

 そんな思いで作った芝居を舞台に上げます。決して整った芝居ではありません。どちらかといえばごちゃごちゃした芝居です。それでも、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、という思いはストレートに伝わります。

 やまゆり園事件への、明確なメッセージです。

 

 7月25日(土)、26日(日) 第6期演劇ワークショップ記録映画をYouTubeで公開します。ぜひ見て下さい。

 

完成されたものを舞台に上げるよりも、彼らのエネルギーを感じられるものを上げる方が大事

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映画の冒頭、神奈川新聞の成田さんの言葉がいい。

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 居心地がいいのはぷかぷかさんのおかげです。40年ほど前、養護学校の教員になって、初めて障がいのある子どもたちとおつきあいすることになりました。いろいろ大変な子どもたちでしたが、それでも彼らのそばにいると妙に心が安らぐというか、居心地がよかったのです。

「彼らのそばにずっといたい」

とその時思いました。その時の思いがぷかぷか設立につながっているのですが、ぷかぷかが居心地のいいのは、やっぱりぷかぷかさんのおかげであり、彼らとフラットな関係にあるからだと思うのです。この「フラットな関係にある」ということがものすごく大事です。

 以前福祉事業所が運営するパン屋、カフェに行った方が

「ぷかぷかに来るとほっとする」

とおっしゃっていましたが、支援という上から目線の関係がどういう場を作り出しているか、本質を言い当てた言葉だと思います。

 

 演劇ワークショップという芝居作りの場は、この居心地の良さ、というものがあって初めて成り立つ場です。みんながあーだこーだ自由に発言でき、芝居作りに参加しなくてうろうろ自由に歩き回っててもいい、という誰にとっても居心地がいい、ということが発表会の素晴らしく自由な、楽しい芝居を作っているのだと思います。

 うろうろ自由に歩き回っていた人たちも、最後の発表会ではみんなと一緒にちゃんと舞台に立っていました。誰かが指導したわけでもなく、気がついたらみんなと一緒にやっていた、という感じです。多分どこかで一緒にやるとおもしろい、ということがわかったのだと思います。

 そういったことができてしまうのが、ワークショップという場のチカラです。映画はそのチカラがよく見えます。

 

 進行役の花崎さんが、完成されたものを舞台に上げるよりも、彼らのエネルギーを感じられるものを上げる方が大事、といっていますが、彼らのエネルギーをビリビリ感じられる場面は、ちょっと幸せを感じるくらいいいです。 

www.youtube.com

 1時間5分ほどで、YouTubeで見るのはちょっと長いのですが、ごちゃごちゃの雰囲気の中で、いつの間にか芝居ができあがってきたりして、おもしろいです。

 ぜひ見てください。

 見たあとはぜひ感想をお送り下さい。https://www.pukapuka.or.jp/contact/

  「その他のお問い合わせ」にチェックを入れて、感想を書いてください。よろしくお願いします。

 

 そうそう、大事なお知らせです。ぷかぷかはこういう場を作るために大変なお金をつぎ込んでいます。助成金をもらってはいるのですが、経費(200万円を超える)のほぼ半額です。事業を存続させるためにはみなさんの協力が必要です。ぜひお願いします。

 

 ぷかぷかは「横浜夢ファンド」の登録団体になっています。夢ファンドに寄付をしていただくとぷかぷかにお金が入ります(寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください)。税制上の優遇措置があります。詳しくは下記サイトをご覧下さい。

 

横浜夢ファンド

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archive.city.yokohama.lg.jp

 

★寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください。

 

横浜市 基金の活用

 

横浜市 税制上の優遇措置

 

 

直接ぷかぷかの口座に振り込むこともできます。

●郵便振替口座 口座記号 00260-4  口座番号 97844

        加入者名 NPO法人ぷかぷか

●ゆうちょ銀行 NPO法人ぷかぷか 記号:10230  番号:19645501 

●横浜銀行 NPO法人ぷかぷか 理事長高崎明  

      支店名 中山   口座番号 1866298

 

いつ来るの?

セノーさんは毎日のようにゲオに電話します。このビデオありますか?という電話です。発売日を調べ、いつ入荷するのか聞いているようです。

www.youtube.com

 ゲオのお姉さんも、忙しいにもかかわらず丁寧に対応してくれます。今日も何かを注文し、「いつ来るの?」「きょう」なんてやりとりをしています。

 「いつ来るの?」という言い方からは、すごく慣れた関係が想像できます。そういう関係をセノーさんは毎日電話して作ったのだと思います。

 障がいのある人に、何かやってあげるのではなく、お客さんと店員というフラットな関係です。そこがすごくいいと思います。

 こういうところから新しい社会ができあがっていきます。

 ビデオを見る、というセノーさんの趣味が、ゲオを耕し、そこから新しい社会が始まるなんて、ちょっとわくわくしてしまいます。

「ともに生きる社会かながわ憲章」なんてたいそうなこといわなくても、セノーさんのように寝っ転がって電話していれば、そういう社会は身近にできてしまうのです。セノーさんに、そのコツを習った方がいいですね。

誰かといっしょにいて、何か心安らぐものがあるとか、なんかすっごく楽しいとか…そんな関係を作ろう

ひどい事件がまた起こりました。

digital.asahi.com

 

 相手を思いやる心が全くないのですね。やまゆり園事件も同じです。相手を思いやる心があれば、起きるはずのない事件です。

 福祉の現場でどうしてこんなことが起こるのか、ということをきちんと検証していかないと、多分同じような事件は起きます。

 何度も書いているように、相手と人としてつきあっていない、ということではないかと思います。支援の対象としか見ない関係の中には、この「人としてつきあう」という一番大事なことが抜け落ちているのではないかと思います。そこがあればやまゆり園事件も、今回の事件もなかったはずです。

 以前福祉関係者の集まりで映画の上映と話をする機会があったのですが、質疑応答の中で、相手との関係を語るときに、何かにつけ「支援」「支援」という言葉が出てきました。「支援する関係」以外のことが考えられない感じでした。そこから自由になれない、というか。

 どうして自由になれないんだろうと思います。

 「なにかやってあげる」のではなく、一緒に何かやれば、思いもよらないすばらしいものがいっぱい出てきます。そういうものとの出会いは、相手との新たな出会いです。素直に、この人すごいもの持ってるなぁ、と気づきます。

 でも、自分が何かやってあげなきゃ、相手は何もできない、と思い込んでいる関係からは、多分自分が考えている以上のものは出てきません。相手と新たに出会う、といったことはありません。

 せっかく誰かといっしょにいるのに、もったいない話だと思います。

 誰かといっしょにいる、というのは、いっしょにいることで、何か新しいものが生まれるからです。一人では生まれないものが、その人といることで生まれるからです。

 誰かといっしょにいて、何か心安らぐものがあるとか、なんかすっごく楽しいとか、思ってもみないものができちゃうとか。

 結局、事件の起こった現場というのは、そういったものが感じられないような関係だったのだと思います。言い換えれば、相手と人としてつきあっていない。そこをどうやったら改善できるのか。

 「支援」という関係をいったんおいて、一緒に何かをやる、フラットな関係で何かをやる、そのことにつきると思います。そうして何よりも、相手とのおつきあいを日々楽しめるかどうか、ということ。

 

一緒に耕していこう!

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手の届く範囲の社会は、その気になればすぐに変えられます。

  昨日の朝日新聞神奈川版に「やまゆり園事件4年 投げかけたものは」と題した記事の中でぷかぷかの活動が紹介されました。

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 「事件を超える社会」って、どういう社会なんだろう。

 ひとことで言うと、それは障がいのある人たちを排除しない社会、彼らとフラットな関係でいっしょに生きる社会です。

 彼らに何かやってあげるとか支援するとかではなく、彼らの持っているチカラを素直に認め、それを生かす社会です。いっしょに生きる、というのは、彼らの持っているチカラと私たちの持っているチカラが合わさって、もっと大きなチカラを生み出す、ということです。

 今まで何度も書いていますが、彼らの持っているチカラが生み出す価値を1とし、私たちの持っているチカラが生み出す価値を1とすると、ぷかぷかは1+1が2以上になる価値を生み出しています。

 下の写真は5月から始まった新しい事業所「でんぱた」の玄関に飾られた大きな植木鉢です。焼き物の技術を持ったスタッフのチカラとぷかぷかさんの造形のチカラが合わさると、こんなすごいものができるのです。1+1が5くらいの価値になっています。

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 パン屋のポスター制作にぷかぷかさんのチカラが加わると、こんな素敵なポスターができます。

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パン屋の大きな窓の描かれたぷかぷかさんの絵。お店の価値がグ〜ンと上がります。

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今回の記事を書いてくれた記者の似顔絵です。こんな似顔絵の入った楽しい名刺を作れば、一枚の名刺から今までにない新しい関係が広がり、新しい物語が生まれます。

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ぷかぷかさんのチカラと私たちのチカラが合わさってできた素晴らしい舞台。

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 こんな風にぷかぷかは、彼らといっしょに生きることで、新しい価値をどんどん生み出しています。いっしょに生きると何が生まれるのか、が一目でわかります。

 

 ぷかぷかではみんなで「いい一日だったね」っていえる日々を毎日に作り続けています。「いい一日だったね」というのは、「今日、幸せだったね」ということです。「いっしょに生きて、今日、幸せだったね」って思えるような日々をぷかぷかは大事にしています。いっしょに生きて、幸せを感じないなら、なんのためにいっしょに生きているのかわからなくなります。

 何か訓練したりして、何かができるようになっても、本当に幸せになるのかどうか。それよりも「いい一日だったね」「今日、幸せだったね」ってお互いいえる日々を作り出す方が、「今」幸せな人生を送ることができます。

 

 といったことをいろいろ考えていくと、事件を超える社会は、小さいながらもぷかぷかではすでに実現しているのです。あとはこういった関係をどんどん外に広げていくだけです。

 先日のNHK「あすへの一歩」では、近所に住むお年寄りの方が、お店に行くこと、ぷかぷかさんとつきあうことは生活の一部です、とおっしゃっていました。いっしょに生きるという関係、事件を超える社会が、地域人たちの生活の中で少しずつ広がっているのです。

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 新聞では「『いい一日だったね』とお互いいえる日々を積み重ねる。それが結果的に、事件を超える社会を作ると信じています」と書いてありましたが、確かに社会全体が変わるのは時間がかかります。でも手の届く範囲の社会は、その気になればすぐに変えられます。ぷかぷかは、そんな社会を日々作り出しているのです。

「ここがアカン、あそこがアカン」といわれている彼らが実は…

どういうわけか知的障害福祉研究『さぽーと』の表紙を飾りました。

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 「至福の時」です。こういう幸せな時を作り出しているのがぷかぷかです。お互いそう思える時を作り出すことこそ、大事じゃないかと思っています。

 支援支援ともっともらしく言ったところで、いったいどれだけの幸せな時を作り出しているのでしょう。そこのところこそ問い直さないと、お互い幸せになれないんじゃないかと思います。

 何かができるようになること、社会にあわせることができること、そういったことが本当に幸せな時を作り出すのかどうか、です。

 

 《ヒヤリハットからにこりほっとへ》という特集に「アカン彼らと一緒に生きると、とんでもないものが生まれた」と、ぷかぷかのこと書きました。

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  「ここがアカン、あそこがアカン」といわれてきた彼らが実は「社会を耕し、豊かにする人たち」で、「社会に大きな幸せを生む人たち」であることの気づきは、ぷかぷか10年の、大きな大きな気づきであったと思います。それを社会全体で共有できれば、お互いもっと生きやすい社会になると思います。

 

 

「さぽーと」はアマゾンで手に入ります。

www.amazon.co.jp

みんなが「心ぷかぷか」になってくれるといいな

障がいのある人たちのグループホームを立ち上げようとして、反対運動に会い、立ち往生している方のブログです。

ameblo.jp

 このブログを書いた人自身、3年前に障がいのある子どもが生まれ、それまでは「普通の家庭」であり、「普通の家庭」しか知らなかった、だから「この地域は普通の家族で住む事しか認められません。」と反対する人たちの思いもわかる、といいます。

 でも知的障害の息子さんが生まれたことで、「それから見える世界は、それまでの40年と全く違う、広くて深くて多様で、果てしない喜びと悲しみに彩られたものになりました」と書かれています。「今では障害者という理由だけで怖がったりする事は無くなりました。」とも。

 そういったことを相手に伝えればいいのですが、障がいのある人とおつきあいしたことのない人たちに、障がいのある人たちのことを言葉だけで伝えるのはなかなか大変です。

 思い込みとか偏見は、言葉よりもはるかに強いチカラを持っています。ですから、グループホーム建設の動きが、「障害者は悪いことをする」といったなんの根拠もない思い込み、偏見で、いくつも潰されています。私も反対運動のまっただ中の説明会に参加したことがありますが、強固な思い込みを前に、説得する言葉の無力さをつくづく感じました。

 

 今回救いなのは、「帰り際、コッソリ「本当は反対じゃ無い人もいるのよ」と言って下さる方」がいたことです。

 ここは突破口だと思いました。この方にぷかぷかの「心ぷかぷか」になる映像を見てもらう。この方が「心ぷかぷか」になったら、それをその方の親しい人に伝えて、もらう。そんなふうに「心ぷかぷか」を少しずつ広げていけば、「戦います!」といっている人たちの心も、多分ぷかぷかになると思います。

 で、早速『Secret of Pukapuka』とつい最近放送されたNHKの映像をブログを書いた方に送りました。みんなが「心ぷかぷか」になってくれるといいなと思います。

 グループホーム建設反対という地域のトラブルが、うまくすれば、地域が豊かになっていくきっかけになるかも知れません。

 

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あ、結婚されたんですね。おめでとうございます。

 相模原障害者殺傷事件に関する本が出ました。横浜地裁でおこなわれた裁判を中心に、取材班が被告と重ねた面会の記録も含めて、新聞に載った記事を大幅に加筆したもの。f:id:pukapuka-pan:20200712000425j:plain

 

 あーだコーダの論評を挟まず、記録を残すことを大事にしたところがいいと思いました。20年後、30年後に事件を振り返るとき、こういった記録こそが大事な意味を持ってくると思います。

  論評の代わりに途中に挟み込まれた担当記者の短いコラムが、重い内容の本の中で、ほっとするものになっています。

 植松死刑囚に面会に行っていろんな話をします。

《イスラム国や難民のニュースを見て「大変な社会だと思った」と話し、「人の役に立ちたい」「劣等感がある」とも述べた。自分も抱いたことがある感情だ。同じ時代を生きる人間だと実感した。》

  この感覚がいいなと思いました。同じ時代を生きる人間として、植松に向き合い、彼の思いに迫るその姿勢に拍手です。

 そしてなによりもそういうことが正直に書けるこの本の製作環境がいいと思いました。

 

 美帆さんのお母さんの手記をパソコンに打ち込み、誤字脱字のチェックのために音読をはじめたのですが、

《声に出すと嗚咽をこらえきれず、続けられなくなった。》

と書いた記者もいました。新聞の製作現場ではこういったこともあることを初めて知りました。ま、人が作っているのですから、あって当たり前なのですが、そういうことも正直に書いているところがいいですね。こういう感覚で、これからもこの事件を追い続けて欲しいと思いました。

 

 裁判を重度障害の息子さんと一緒に傍聴した土屋義生さんを取材した記者は

《「自分に障がいのある子が生まれるとは想像もしなかった」。壮真くんが生まれたときのことを、土屋さんはこう振り返る。

 「もし自分に障がいのある子が生まれたら、どう思うだろう」。私は取材しながら何度も考えた。

 社会人3年目、幼い頃から憧れた記者の仕事にのめり込む一方で、「いつか子どもを」と思う。障害を、我がことととらえたのは初めてだった。障害を持つこと、障害を持つ人と生きていくことは、いつ誰にでも起こりうることなのだと気づかされた。

 いつか土屋さんと同じ状況に置かれたとして、私は前を向いて生きることができるだろうか。すぐには難しいかも知れないが、家族、あるいは自分の障害と正面から向き合い、生きていきたいと思う。》

 自分の気持ちを正直に書いた素晴らしいコラムだと思いました。事件は、こういうことを私たちに問うたのだとあらためて思います。障がいのある人たちとどんな風に私たちは生きていくのか、ということ。

 障がいのある人たちを前に、困ったり、戸惑ったり、一緒に笑ったりしながら、私たちの人生は豊かになっていきます。

 土屋さんを取材したNHKの映像で、壮真くんが誕生日のろうそくを消そうとした場面で壮真くんの兄弟たちの笑い声が聞こえました。壮真くんを中心に幸せな日々を過ごしている家族が見えました。

 植松が発信した「障害者はいない方がいい」ではなく、「障がいのある人との生活も悪くないよ」「幸せだよ」と、壮真くんの一家は日々語っています。幼い兄弟たちの笑い声は、幸せそのものです。

 ぷかぷかは「彼らとはいっしょに生きていった方がぜったいトク!」と日々発信しています。ぷかぷかに来ると、そのおトク感が実感できます。ぷかぷかのお店が繁盛(?)しているのは、なんといっても彼らのおかげなのですから。

 

 植松死刑囚に関して、この本で意外な発見をしました。

 面会に行った記者の指輪に気がつき、

《「あ、神宮司さん、結婚されたんですね。おめでとうございます。」と言った。》

 ここはつい笑ってしまいました。こういう感覚を持ちながら、どうして日々接していた重度障害の人たちを出会うことがなかったんだろうと思いました。

 意思疎通が難しくても、毎日接していれば、つい一緒に笑ってしまう、といったことはあったはずです。そういうときは心が緩みます。相手に優しい気持ちになれます。

 そういう人と人のおつきあいすらなかった職場だったのかと、あらためて思いました。相手と人として出会っていれば、相手を殺してしまうような事件は起こらなかったと思うのです。

 

 朝日新聞出版 760円です。

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相手が人であることを忘れてしまっています

障害者施設における虐待問題の記事です。

mainichi.jp

●虐待の要因を「問題行動を抑える技術にしか考えが及ばず、利用者にふさわしい支援を行うという基本的な理念が不足していた」と指摘。

 

 問題行動があるから支援が必要、と考え、その支援の中身が暴力でしかないのが虐待。利用者さんが重度障害者であれば、その虐待を訴えることもできません。そばにいる人が気づくしかないと思います。やまゆり園では13時間も拘束された女性がいたようですが(2年前のNHKスペシャル)、にもかかわらず誰も「それはおかしい」と指摘する人がいなかったのは、誰が考えても異常な環境です。

 暴力に対する感覚が麻痺しています。相手が人であることを忘れてしまっています。だから暴力を振るうことに何の抵抗もないのだと思います。

 「支援」という上から目線の関係は、相手と人としてつきあう、ということを阻害するのではないかと思います。そういう観点からの検証こそ必要な気がします。

 

 「基本的な理念が不足していた」という指摘は当たっていますが、そういう理屈っぽい話以前に、利用者さんたちと人として出会ってなかったことこそ、いちばんの問題だと思います。

 

●「事件が障害者施設の職員によって起こされたという事実をわれわれ入所施設の管理者は重く受け止める必要がある。法人は自らの支援を見直すべきだし、第三者による検証も必要だ」

 

 やまゆり園は、事件はすべて植松死刑囚のせいにし、自らの支援の中身を見直すことは一切しませんでした。だからこそ、事件後も虐待が続いているのだと思います。こんな法人に支援施設を任せていいのかと思います。

 そもそも、あれだけの事件を起こしながら運営を続けていること自体がおかしいと思います。仮にぷかぷかであのような事件が起こったら、多分ぷかぷかはやっていけません。どうしてやまゆり園はやっていけるのか。監督責任者の神奈川県は、どうして許すのか、説明すべきだと思います。

 

ぷかぷかさんたちの素朴な疑問に、彼らに届く言葉できちんと答えて欲しい

いっしょにいい一日を作る関係です。

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 いっしょに生きていくって、こういう日々を積み重ねることです。

 「いい一日だったね」

って、お互いが言い合えるような日々を作っていこうよ、というのがぷかぷかです。

 何かができるように「支援」するのではなく、いっしょにいい一日を生きること、それをぷかぷかは大事にしています。

 いい一日からはたくさんの笑顔が生まれます。みんなが笑顔でいること、人が生きる上で、一番大事にしたいことです。

 

  職員とはこういう日々をいっしょに作っていく関係が当たり前だと思っているぷかぷかさんたちにとっては、どうしてやまゆり園で職員が利用者さんの命を奪うような事件が起こったのか、理解できません。そんなぷかぷかさんたちが先日、事件に対する素朴な疑問を検証委員会に対する要望書にして知事に渡しに行きました。

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 やまゆり園は犯人の特異性の問題として事件を終わらせたいようですが、果たしてそれですむのでしょうか。

  事件後、つまり犯人がいなくなったあとも虐待があった、と検証委員会の中間報告にはあります。犯人の特異性だけを事件の原因にすることは無理があります。

 裁判の中で「やまゆり園では利用者さんと人間扱いしてなかった」という犯人の証言もありました。

 

 

 先日要望書を渡しに行ったとき、知事はこんないい顔をしました。

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ぷかぷかさんがいることで、ふっと心が解きほぐれたのだろうと思います。その解きほぐれた心で検証して欲しいと思います。そしてぷかぷかさんたちの素朴な疑問に、彼らに届く言葉できちんと答えて欲しいと思います。

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