ぷかぷか日記

手の届く範囲の社会は、その気になればすぐに変えられます。

  昨日の朝日新聞神奈川版に「やまゆり園事件4年 投げかけたものは」と題した記事の中でぷかぷかの活動が紹介されました。

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 「事件を超える社会」って、どういう社会なんだろう。

 ひとことで言うと、それは障がいのある人たちを排除しない社会、彼らとフラットな関係でいっしょに生きる社会です。

 彼らに何かやってあげるとか支援するとかではなく、彼らの持っているチカラを素直に認め、それを生かす社会です。いっしょに生きる、というのは、彼らの持っているチカラと私たちの持っているチカラが合わさって、もっと大きなチカラを生み出す、ということです。

 今まで何度も書いていますが、彼らの持っているチカラが生み出す価値を1とし、私たちの持っているチカラが生み出す価値を1とすると、ぷかぷかは1+1が2以上になる価値を生み出しています。

 下の写真は5月から始まった新しい事業所「でんぱた」の玄関に飾られた大きな植木鉢です。焼き物の技術を持ったスタッフのチカラとぷかぷかさんの造形のチカラが合わさると、こんなすごいものができるのです。1+1が5くらいの価値になっています。

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 パン屋のポスター制作にぷかぷかさんのチカラが加わると、こんな素敵なポスターができます。

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パン屋の大きな窓の描かれたぷかぷかさんの絵。お店の価値がグ〜ンと上がります。

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今回の記事を書いてくれた記者の似顔絵です。こんな似顔絵の入った楽しい名刺を作れば、一枚の名刺から今までにない新しい関係が広がり、新しい物語が生まれます。

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ぷかぷかさんのチカラと私たちのチカラが合わさってできた素晴らしい舞台。

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 こんな風にぷかぷかは、彼らといっしょに生きることで、新しい価値をどんどん生み出しています。いっしょに生きると何が生まれるのか、が一目でわかります。

 

 ぷかぷかではみんなで「いい一日だったね」っていえる日々を毎日に作り続けています。「いい一日だったね」というのは、「今日、幸せだったね」ということです。「いっしょに生きて、今日、幸せだったね」って思えるような日々をぷかぷかは大事にしています。いっしょに生きて、幸せを感じないなら、なんのためにいっしょに生きているのかわからなくなります。

 何か訓練したりして、何かができるようになっても、本当に幸せになるのかどうか。それよりも「いい一日だったね」「今日、幸せだったね」ってお互いいえる日々を作り出す方が、「今」幸せな人生を送ることができます。

 

 といったことをいろいろ考えていくと、事件を超える社会は、小さいながらもぷかぷかではすでに実現しているのです。あとはこういった関係をどんどん外に広げていくだけです。

 先日のNHK「あすへの一歩」では、近所に住むお年寄りの方が、お店に行くこと、ぷかぷかさんとつきあうことは生活の一部です、とおっしゃっていました。いっしょに生きるという関係、事件を超える社会が、地域人たちの生活の中で少しずつ広がっているのです。

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 新聞では「『いい一日だったね』とお互いいえる日々を積み重ねる。それが結果的に、事件を超える社会を作ると信じています」と書いてありましたが、確かに社会全体が変わるのは時間がかかります。でも手の届く範囲の社会は、その気になればすぐに変えられます。ぷかぷかは、そんな社会を日々作り出しているのです。

「ここがアカン、あそこがアカン」といわれている彼らが実は…

どういうわけか知的障害福祉研究『さぽーと』の表紙を飾りました。

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 「至福の時」です。こういう幸せな時を作り出しているのがぷかぷかです。お互いそう思える時を作り出すことこそ、大事じゃないかと思っています。

 支援支援ともっともらしく言ったところで、いったいどれだけの幸せな時を作り出しているのでしょう。そこのところこそ問い直さないと、お互い幸せになれないんじゃないかと思います。

 何かができるようになること、社会にあわせることができること、そういったことが本当に幸せな時を作り出すのかどうか、です。

 

 《ヒヤリハットからにこりほっとへ》という特集に「アカン彼らと一緒に生きると、とんでもないものが生まれた」と、ぷかぷかのこと書きました。

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  「ここがアカン、あそこがアカン」といわれてきた彼らが実は「社会を耕し、豊かにする人たち」で、「社会に大きな幸せを生む人たち」であることの気づきは、ぷかぷか10年の、大きな大きな気づきであったと思います。それを社会全体で共有できれば、お互いもっと生きやすい社会になると思います。

 

 

「さぽーと」はアマゾンで手に入ります。

www.amazon.co.jp

みんなが「心ぷかぷか」になってくれるといいな

障がいのある人たちのグループホームを立ち上げようとして、反対運動に会い、立ち往生している方のブログです。

ameblo.jp

 このブログを書いた人自身、3年前に障がいのある子どもが生まれ、それまでは「普通の家庭」であり、「普通の家庭」しか知らなかった、だから「この地域は普通の家族で住む事しか認められません。」と反対する人たちの思いもわかる、といいます。

 でも知的障害の息子さんが生まれたことで、「それから見える世界は、それまでの40年と全く違う、広くて深くて多様で、果てしない喜びと悲しみに彩られたものになりました」と書かれています。「今では障害者という理由だけで怖がったりする事は無くなりました。」とも。

 そういったことを相手に伝えればいいのですが、障がいのある人とおつきあいしたことのない人たちに、障がいのある人たちのことを言葉だけで伝えるのはなかなか大変です。

 思い込みとか偏見は、言葉よりもはるかに強いチカラを持っています。ですから、グループホーム建設の動きが、「障害者は悪いことをする」といったなんの根拠もない思い込み、偏見で、いくつも潰されています。私も反対運動のまっただ中の説明会に参加したことがありますが、強固な思い込みを前に、説得する言葉の無力さをつくづく感じました。

 

 今回救いなのは、「帰り際、コッソリ「本当は反対じゃ無い人もいるのよ」と言って下さる方」がいたことです。

 ここは突破口だと思いました。この方にぷかぷかの「心ぷかぷか」になる映像を見てもらう。この方が「心ぷかぷか」になったら、それをその方の親しい人に伝えて、もらう。そんなふうに「心ぷかぷか」を少しずつ広げていけば、「戦います!」といっている人たちの心も、多分ぷかぷかになると思います。

 で、早速『Secret of Pukapuka』とつい最近放送されたNHKの映像をブログを書いた方に送りました。みんなが「心ぷかぷか」になってくれるといいなと思います。

 グループホーム建設反対という地域のトラブルが、うまくすれば、地域が豊かになっていくきっかけになるかも知れません。

 

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あ、結婚されたんですね。おめでとうございます。

 相模原障害者殺傷事件に関する本が出ました。横浜地裁でおこなわれた裁判を中心に、取材班が被告と重ねた面会の記録も含めて、新聞に載った記事を大幅に加筆したもの。f:id:pukapuka-pan:20200712000425j:plain

 

 あーだコーダの論評を挟まず、記録を残すことを大事にしたところがいいと思いました。20年後、30年後に事件を振り返るとき、こういった記録こそが大事な意味を持ってくると思います。

  論評の代わりに途中に挟み込まれた担当記者の短いコラムが、重い内容の本の中で、ほっとするものになっています。

 植松死刑囚に面会に行っていろんな話をします。

《イスラム国や難民のニュースを見て「大変な社会だと思った」と話し、「人の役に立ちたい」「劣等感がある」とも述べた。自分も抱いたことがある感情だ。同じ時代を生きる人間だと実感した。》

  この感覚がいいなと思いました。同じ時代を生きる人間として、植松に向き合い、彼の思いに迫るその姿勢に拍手です。

 そしてなによりもそういうことが正直に書けるこの本の製作環境がいいと思いました。

 

 美帆さんのお母さんの手記をパソコンに打ち込み、誤字脱字のチェックのために音読をはじめたのですが、

《声に出すと嗚咽をこらえきれず、続けられなくなった。》

と書いた記者もいました。新聞の製作現場ではこういったこともあることを初めて知りました。ま、人が作っているのですから、あって当たり前なのですが、そういうことも正直に書いているところがいいですね。こういう感覚で、これからもこの事件を追い続けて欲しいと思いました。

 

 裁判を重度障害の息子さんと一緒に傍聴した土屋義生さんを取材した記者は

《「自分に障がいのある子が生まれるとは想像もしなかった」。壮真くんが生まれたときのことを、土屋さんはこう振り返る。

 「もし自分に障がいのある子が生まれたら、どう思うだろう」。私は取材しながら何度も考えた。

 社会人3年目、幼い頃から憧れた記者の仕事にのめり込む一方で、「いつか子どもを」と思う。障害を、我がことととらえたのは初めてだった。障害を持つこと、障害を持つ人と生きていくことは、いつ誰にでも起こりうることなのだと気づかされた。

 いつか土屋さんと同じ状況に置かれたとして、私は前を向いて生きることができるだろうか。すぐには難しいかも知れないが、家族、あるいは自分の障害と正面から向き合い、生きていきたいと思う。》

 自分の気持ちを正直に書いた素晴らしいコラムだと思いました。事件は、こういうことを私たちに問うたのだとあらためて思います。障がいのある人たちとどんな風に私たちは生きていくのか、ということ。

 障がいのある人たちを前に、困ったり、戸惑ったり、一緒に笑ったりしながら、私たちの人生は豊かになっていきます。

 土屋さんを取材したNHKの映像で、壮真くんが誕生日のろうそくを消そうとした場面で壮真くんの兄弟たちの笑い声が聞こえました。壮真くんを中心に幸せな日々を過ごしている家族が見えました。

 植松が発信した「障害者はいない方がいい」ではなく、「障がいのある人との生活も悪くないよ」「幸せだよ」と、壮真くんの一家は日々語っています。幼い兄弟たちの笑い声は、幸せそのものです。

 ぷかぷかは「彼らとはいっしょに生きていった方がぜったいトク!」と日々発信しています。ぷかぷかに来ると、そのおトク感が実感できます。ぷかぷかのお店が繁盛(?)しているのは、なんといっても彼らのおかげなのですから。

 

 植松死刑囚に関して、この本で意外な発見をしました。

 面会に行った記者の指輪に気がつき、

《「あ、神宮司さん、結婚されたんですね。おめでとうございます。」と言った。》

 ここはつい笑ってしまいました。こういう感覚を持ちながら、どうして日々接していた重度障害の人たちを出会うことがなかったんだろうと思いました。

 意思疎通が難しくても、毎日接していれば、つい一緒に笑ってしまう、といったことはあったはずです。そういうときは心が緩みます。相手に優しい気持ちになれます。

 そういう人と人のおつきあいすらなかった職場だったのかと、あらためて思いました。相手と人として出会っていれば、相手を殺してしまうような事件は起こらなかったと思うのです。

 

 朝日新聞出版 760円です。

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相手が人であることを忘れてしまっています

障害者施設における虐待問題の記事です。

mainichi.jp

●虐待の要因を「問題行動を抑える技術にしか考えが及ばず、利用者にふさわしい支援を行うという基本的な理念が不足していた」と指摘。

 

 問題行動があるから支援が必要、と考え、その支援の中身が暴力でしかないのが虐待。利用者さんが重度障害者であれば、その虐待を訴えることもできません。そばにいる人が気づくしかないと思います。やまゆり園では13時間も拘束された女性がいたようですが(2年前のNHKスペシャル)、にもかかわらず誰も「それはおかしい」と指摘する人がいなかったのは、誰が考えても異常な環境です。

 暴力に対する感覚が麻痺しています。相手が人であることを忘れてしまっています。だから暴力を振るうことに何の抵抗もないのだと思います。

 「支援」という上から目線の関係は、相手と人としてつきあう、ということを阻害するのではないかと思います。そういう観点からの検証こそ必要な気がします。

 

 「基本的な理念が不足していた」という指摘は当たっていますが、そういう理屈っぽい話以前に、利用者さんたちと人として出会ってなかったことこそ、いちばんの問題だと思います。

 

●「事件が障害者施設の職員によって起こされたという事実をわれわれ入所施設の管理者は重く受け止める必要がある。法人は自らの支援を見直すべきだし、第三者による検証も必要だ」

 

 やまゆり園は、事件はすべて植松死刑囚のせいにし、自らの支援の中身を見直すことは一切しませんでした。だからこそ、事件後も虐待が続いているのだと思います。こんな法人に支援施設を任せていいのかと思います。

 そもそも、あれだけの事件を起こしながら運営を続けていること自体がおかしいと思います。仮にぷかぷかであのような事件が起こったら、多分ぷかぷかはやっていけません。どうしてやまゆり園はやっていけるのか。監督責任者の神奈川県は、どうして許すのか、説明すべきだと思います。

 

ぷかぷかさんたちの素朴な疑問に、彼らに届く言葉できちんと答えて欲しい

いっしょにいい一日を作る関係です。

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 いっしょに生きていくって、こういう日々を積み重ねることです。

 「いい一日だったね」

って、お互いが言い合えるような日々を作っていこうよ、というのがぷかぷかです。

 何かができるように「支援」するのではなく、いっしょにいい一日を生きること、それをぷかぷかは大事にしています。

 いい一日からはたくさんの笑顔が生まれます。みんなが笑顔でいること、人が生きる上で、一番大事にしたいことです。

 

  職員とはこういう日々をいっしょに作っていく関係が当たり前だと思っているぷかぷかさんたちにとっては、どうしてやまゆり園で職員が利用者さんの命を奪うような事件が起こったのか、理解できません。そんなぷかぷかさんたちが先日、事件に対する素朴な疑問を検証委員会に対する要望書にして知事に渡しに行きました。

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 やまゆり園は犯人の特異性の問題として事件を終わらせたいようですが、果たしてそれですむのでしょうか。

  事件後、つまり犯人がいなくなったあとも虐待があった、と検証委員会の中間報告にはあります。犯人の特異性だけを事件の原因にすることは無理があります。

 裁判の中で「やまゆり園では利用者さんと人間扱いしてなかった」という犯人の証言もありました。

 

 

 先日要望書を渡しに行ったとき、知事はこんないい顔をしました。

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ぷかぷかさんがいることで、ふっと心が解きほぐれたのだろうと思います。その解きほぐれた心で検証して欲しいと思います。そしてぷかぷかさんたちの素朴な疑問に、彼らに届く言葉できちんと答えて欲しいと思います。

苦情は、うまくすれば地域社会が変わるきっかけになるかも

 5月にスタートしたばかりの生活介護事業所《でんぱた》に、「声がうるさい!」という苦情が寄せられました。 

 「その苦情に、どう対応しますか?」

 と取材に来ていた朝日新聞とNHKに聞かれました。

 この苦情は、この社会の中で障がいのある人たちの置かれている状況をよく表しています。こういう形で、障がいのある人たちが社会から排除されていきます。

 ですから、苦情に対し、迷惑かけないように静かにしましょう、という「指導」「支援」を強化するような対応は、その社会的状況を放置することになります。ぷかぷかとしては、いろいろ大変ですが苦情にきちんと向き合っていこうと思っています。どんな風に向き合っていくのか。そこがいわば腕の見せ所です。

 

 近所に迷惑をかけているので、声を小さくして下さい、といっても、声の大きい本人には伝わりません。そんな風にできないから、でんぱたに来ているのです。

 では、声の大きい人と、その声をうるさいと感じる人が、どうやったらお互い気持ちよく共存できるのか、そこを考え、実践するのが私たちの仕事です。

 でんぱたは5月にスタートしたばかりなので、近所の人も、でんぱたは何をするところなのか、どんな人がいるのか、といったことをほとんど知りません。ですから「ぷかぷかしんぶん」のような「でんぱたしんぶん」を発行して、そういったことを少しずつ伝えていこうと思っています。

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 声の大きい方は何か製作するときはすごい集中力を持っています。ですから素晴らしい作品を作ります。

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 その人は声が大きいだけではなく、こんな素晴らしい作品を作る人なんだ、ということがわかれば、「声がうるさい!」という苦情を言ってきた人の気持ちが、多分少し変わります。こういう苦情は、障がいのある人たちのことをよく知らない、おつきあいしたことがないところから生まれます。

 

 6月15日(月)には地域の人たちと一緒に田植えをしました。

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 秋には稲刈りがあります。そういうときはできるだけ地域の人にも参加を呼びかけます。収穫祭もやろうと思っています。そのほか餅つき、アートのワークショップ、味噌造りなど、いろんなイベントを企画し、地域の人たちに参加を呼びかけます。

 そういったことを「でんぱたしんぶん」で、地域の人たちに伝えます。

 障がいのある人たちと一緒においしいものを作ったり、一緒においしいものを食べたり、一緒に楽しいことをやったりという関係は、とても健康的です。地域社会が自然に豊かになります。

 

 定期的に道路の掃除や公園の掃除をやろうと思っています。ぷかぷかは週2回道路の掃除をやっています。地域の人が時々手伝ってくれたりします。地域の人たちはいつも見ているので、掃除をやっていると、こうやって関係が自然に広がっていきます。

 

 Facebook、Instagramに活動の様子を日々アップしています。

 でんぱたInstagram

      

 「声がうるさい!」と苦情をよこした方が、どこかでこういった情報に触れ、何かの機会にでんぱたのぷかぷかさんたちに出会ってくれたら、と思っています。

 NHKの記者の方が取材の帰り、ニコニコしながらこの方に手を振っていました。この方もニコニコしながら記者に手を振っていました。この方はお喋りはできないのですが、気持ちはちゃんと伝わります。短時間の取材の中で、二人が出会ったのだと思います。

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 苦情をよこした方が、どこかでこんな出会いをしてくれれば、と思っています。

 苦情は、うまくすれば地域社会が変わるきっかけになるのです。

ぷかぷかさんが黒岩県知事にお願いに行きました。

昨日の6月30日 ぷかぷかメンバーさん3人が神奈川県庁まで黒岩県知事に会いに行ってきました。

来庁の目的は要望書を渡すことです。なんの要望書かと云うと、4年前に起きた相模原事件と呼ばれる、津久井やまゆり園の検証を続けて欲しいというお願いの要望です。

その時の様子を少しお話させていただきます。

今回は、きょうされんさん、DPI日本会議さん、手をつなぐ育成会連合会さん、全国地域生活支援ネットワークさん、「ともに生きる社会」を考える神奈川県集会実行委員会の皆さんにぷかぷかも同行をさせていただきました。

少し遅れて部屋に入ると、もう殆どのみなさんがおそろいになっていて、3メートル以上はあるであろう大きなテーブルは真ん中の席を除いて埋まっていたのですが、ぷかぷかさんは知事の正面となる、真ん中の席にご案内いただきました。

来られた皆さんはとても静かに着席されているし、本当に真正面の席で、同行した私は「なんだか目立っちゃうな、すみっこの方で良いのにな」なんて思っておりましたが、メンバーさんたちは、週に1度はこの部屋に出入りしていますよぐらいに慣れた感じでくつろがれていました。

そのうち、局長さんと言われる方が入ってこられて、笑顔で「こんにちは。本日はわざわざお越しいただきありがとうございます」と、会釈されました。

要望書を出しに来た皆さん一様に、すわったまま会釈を返しただけであったのですが、メンバーさんの土屋さんは「ハイ!よろしくおねがいします!土屋省です!」と元気にお返事されました。すると局長さんも更に笑顔になり、「こんにちは」と言って名乗っていらっしゃいました。そしたら次に平本さんも「こんにちは」と言い、天野さんも続こうとし、そこでザワッと笑いが起きて、なんだか一気にその場が柔らかい空気に包まれたようでした。

そうこうしているうちに知事が入室されて、部屋の東側の方で各団体が、順番に知事に要望書を手渡すこととなりました。

一番目はきょうされんさん。可愛らしい女性の方が両手でしっかりと知事に要望書を手渡されました。

二番目は残りの4団体合同の要望書で男性の方がきちんと頭を伏せてお渡しになっていました。

このようなところに立ち会ったことは無いのですが、皆さんやはり要望書は開いて知事にお渡しし、その後カメラの方に要望書を向けて2人で記念撮影、という段取りのようです。私も要望書を渡すのをお願いした土屋さんに、「お渡しするときは開いて渡してくださいね」と、お伝えし、土屋さんも「ハイ!!」と答えてくださっていたので安心していたのですが、ぷかぷかの順番になり、「ぷかぷかさんどうぞ」と呼ばれて、土屋さんが知事の前に行ったのですが、おもむろに「封筒にいれますね!」と元気に言い、要望書を封筒にしまってお渡ししたのでした。私は「あ~~!!」と思ったのですが、そこでもなんだか和やかな感じが生まれ、一緒に要望書を手にとり写すはずの記念撮影も両手Vサイン!で決めてくださいました。まあ、知事もニコニコだし、進行担当の職員さんにもどのように出してくださいとも言われていないし、なによりなんだかみんな笑顔でいいかな~という感じでした。

その後、知事がテーブルに戻り、各団体が要望書の説明をし、ぷかぷかは平本さんに要望書をそのまま読んでいただきました。(ぷかぷかの要望書はメンバーさんの目線の、なんでやまゆりの利用者さんたちはぷかぷかの人たちみたいに幸せに過ごすことが出来ないのか、なんで殺されてしまわなければならなかなかったのか、きちんと調べて欲しいといった内容です。)時々支えてしまいそうになると、隣のきょうされんさんが優しくフォローをしてくださいました。こんな関係が一番いいな、なんて呑気に思いながら後ろから眺めていた私です。平本さんの優しい話し方もとても素敵で心に響きました。

最後に黒岩知事が私達からの要望を受けて想いを語ってくださいました。私達も知事の口からどんな発言が出る?と真剣に静かに聞き入っていたのですが、知事が時折、「~~していきます」とか「~~です」などの発言のあと、ぷかぷかメンバーさんが突然「ハイ」と返事を返すので、そうすると他の方々もうんうんみたいにうなずいたりしていました。まあ、きちんと話を聞いていてすごい!と思ったのもつかの間、今度は知事のお話中、知事の目の前で手を上に持ち上げ大あくび。そうですよね。メンバーさんは言いたいことはあるのですが、知事の話は少し難し過ぎました。検証委員会は継続します。とか、管理団体を変更します。とか、メンバーさんにはそんなことはどうでも良くて、大切なのは毎日がそして1年後も2年後も自分たちが幸せに楽しく生き生きと社会で暮らしていられるか、ということです。そこは、きっちりと行政と地域社会とで手を組んでやっていかなければいけませんね。

そんなこんなで、多分 いつものよくある要望書提出シーンとは違う時間が流れたのだと思いますが、やっぱりぷかぷかさん。今日もありがとう、と、いう感じの1日だったのでした。

写真で見る!黒岩日記

                                                        write by Sae Uozumi

 

ぷかぷかさんに任せていたら、いつの間にかそんな風になっていた

先日のNHK首都圏ネットワーク「あすへの一歩」に登場した金原さんの話をもう少し。

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 お店に行く、というのはぷかぷかさんとおつきあいするということです。それが生活の一部になっている、といいます。

 金原さんは「ともに生きる社会を作ろう」とか「共生社会を作ろう」といった言葉を聞いて、ぷかぷかさんとのおつきあいをはじめたわけではありません。そもそもぷかぷかは、そういった言葉を使ったことがありません。

 お店に来て、買い物しているうちに、ぷかぷかさんたちの楽しさ、優しさ、あったかさにふれ、もう自分の生活の中で、なくてはならない大切な存在になっていったのだと思います。

 障がいのある人たちが、自分の生活の中で

「なくてはならない大切な存在になっている」

って、なんかすごいことじゃないかと思います。しかもそういったことが、いろいろ啓蒙活動をやった結果ではなく、ぷかぷかさんに任せていたら、いつの間にかそんな風になっていた、というところがおもしろいなと思います。これぞぷかぷかさんのチカラです。

 そういうチカラをみんながもっと認めれば、彼らの活躍できる場面がもっともっと増える気がします。彼らに任せておくと、こんなとんでもなく素敵な広がりが知らない間にできているのです。任せなきゃソン!ですよ、ほんとに。

 

 全国の福祉事業所のまわりに、金原さんみたいに思う人がいっぱい出てきたら、社会はきっと変わります。

 

「あすへの一歩」

 今日はでんぱたに給食作りに行きました。その時に隣のマンションから、声がうるさい、と苦情が来たという話を聞きました。よく声を出すメンバーさんがいるので大丈夫かな、とは思っていましたが、やっぱり苦情が来たようでした。隣のマンションとは間に駐車場があるのですが、それでも苦情が来たというのはとてもやっかいです。

 

 どうするのか、これからが勝負所です。

 

 ぷかぷかもできた当初、声がうるさい!と苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりされるとメシがまずい、といわれたり、ぷかぷか三軒長屋の企画を立てたときは「障害者施設がアメーバのように広がっていくのは不気味だ」なんて言われたり、本当に散々な日々でした。

 あれから10年、今日NHK首都圏ネットワーク「あすへの一歩」でぷかぷかが紹介されたのですが、ぷかぷかさんの存在が地域の人たちにとってすごく大事な存在になっていることがよくわかりました。

  一人暮らしの金原さんはいつも街で声をかけられ、とてもうれしいといってました。

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 金原さんはありがとうカードをいっぱい貯めていました。思いつきではじめた「ありがとうカード」でしたが、こんな風にぷかぷかさんと地域の人たちをしっかり結びつけているのですね。ありがとうカードはぷかぷかさんのお客さんへの思い、こんなに並んだありがとうカードは金原さんのぷかぷかさんへの思い。お互いのそんな思いがありがとうカードを通してつながっています。

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 そしてお店はもう生活の一部だと

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 ここまで来ると、障害があるとかないとか全く関係ありません。生活なんだから、いて当たり前、という感覚なのだと思います。金原さんにとっては、こんなのテレビで取材する方がおかしい、と思うくらい、ぷかぷかさんとの関係はごく当たり前の日常風景なんだろうと思います。

 

 「声がうるさい!」と苦情の電話が入った頃から10年。苦情の電話に心が折れそうになりながらも、それでも気を取り直して「いい一日だったね」ってお互いいえる日々をぷかぷかさんと一緒に積み重ねて10年。映像見ながら、なんかね、いろんなことが思い出されて、ちょっと涙が出そうでした。

 

 「声がうるさい!」と苦情の来たでんぱたもこれからが大変です。こういうトラブルに特効薬はありません。ただひたすらぷかぷかさんたちといっしょにいい一日を作り続けるだけです。近所の人もいつかきっとそのいい一日に気がつきます。

 心がめげることがあっても、ぷかぷかさんがそばにいれば大丈夫です。彼らがそばにいれば、いい顔になって、絶対いい一日になります。「あすへの一歩」です。

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