ぷかぷかしんぶんに相模原障害者殺傷事件のことについての記事を書きました。いつもパンを買いに来てくれる近所のおばあさんにも届くようにと書きました。そういう人にも届くメッセージでないと、社会は変わりません。そういう言葉を探すことで、私たち自身も磨かれます。
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相模原障害者殺傷事件から4年がたちます。「障害者はいない方がいい」と、重度の障害を持つ人たち19名が殺されました。私たちにとってこの事件はなんだったのか、あらためて考えてみたいと思います。
3年ほど前、緑区で障がいのある人たちのグループホーム建設の計画が持ち上がったことがあります。その時、障がいのある人たちがここに住むと治安が悪くなる、と反対運動が起こりました。反対を叫んでいる人たちは、今までどこかで障がいのある人たちとのおつきあいがあり、その結果「治安が悪くなる」と考えているわけではありませんでした。単なる思い込みであり、偏見です。思い込みで「障害者は犯罪を犯す」だから「この地域に障害者はいない方がいい」と叫んでいるのです。暴力はなかったにせよ、「障害者はいない方がいい」と叫んだ事件の犯人と同じ発想です。障がいのある人たちを社会から排除しているのです。
社会から障がいのある人たちを排除すると、快適な社会が実現できるのでしょうか?そのことをちょっと考えてみて下さい。
誰かを排除することは、その地域社会の受け入れる人の幅が狭くなるということです。許容できる人の幅が狭くなると、今度は私たち自身がだんだん窮屈になっていきます。許容できる人の幅に合わせないと、この地域で暮らせないわけですから。
いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。霧が丘にぷかぷかがあり、障がいのある人たちが日々元気に働き、地域の人たちと日々おつきあいしていること、その日々の積み重ねがこの地域の豊かさを作り出しているのです。
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先日はでんぱたがあることで、地域社会が変わるきっかけになるかも、といったことを書きました。
いずれにしても、障がいのある人たちが街にいることで、社会の豊かさが生まれます。彼らを排除するとき、そういった豊かさは失われ、街は痩せこけていきます。もったいない話です。
相模原障害者殺傷事件というのは、障がいのある人たちがいることで生まれる社会の豊かさをバッサリ切り捨てた事件だったと思います。
彼らとはやっぱりいっしょに生きていった方がいい、その方がトク! と、事件から4年たった今、しみじみ思うのです。
こんな人たちのそばにいると、ただそれだけで心が安らぎます。