ぷかぷかのスタッフの一人が近々やめることになった。2年足らずのおつきあいだったが、そこから広がった豊かな世界は、障がいのある人たちといっしょに生きることで生まれる豊かさをそのまま物語っている。添付した感想を読んで欲しい。
別れはいつでも辛いもの。それでもここには幸せがある。ぷかぷかは、そんな幸せを作り出しているのかも知れない、と感想を読みながら思った。
ぷかぷかは就労支援の福祉事業所。でも、そんな枠組みを大きくはみ出すものをぷかぷかは作り出しているとあらためて思う。私たちの想定を遙かに超えたぷかぷかさんたちの働きだ。それが涙が出るくらい辛い別れを幸せなものにしている。これこそが彼らのチカラだと思う。そういうものを私たちは彼らからもっともっと謙虚に学ばねば、と思う。人生をもっと豊かなものにするために。
「障害者は不幸しか生まない」などといったやまゆり園事件、そしてそれを生み出した福祉施設。それとは正反対の世界がここにはある。何が違うのか、そこを考えることが私たちに求められている。
彼らを「支援」の対象としか見ないでいると、こんな豊かなものは生まれようがない。本当にもったいないと思う。
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「ぷかぷかとの出会いとお別れまで」
2年半ほど前、ダウン症の女の子と出会った。彼女と顔を合わせると、手を繋いでくれたり、たくさん話し掛けてくれて、すごく癒されたのを覚えている。
何を言っているかわからないこともあったけれど、話の内容云々ではなく、その自然なスキンシップと、あの笑顔がたまらなかった。
当時4年生だった次男と、その女の子が初めて会ったとき、女の子はいつも私にしてくれるように次男にも手を繋ごうとしてくれた。だけど、初めて会った人からそんなことをされたことない次男は凍りついた。女の子がダウン症だったからではなくて、元々かなりの人見知りということもある。でも、次男は今まで障がいのある人たちと会ったことはなく、見掛けたことはあったとしても、関わってきたことのない。つまり、母親である自分が関わらせてあげていなかったということに気付いた。だからと言って、私自身もほとんど関わったことはないし、どのように関わったらよいのかもわからない。正直、知り合いにいなければずっと関わることもなく、知ろうともしなかったかもしれない。恐らく、小学生のほとんどが、次男と同じ状態なのではないかと思った。私は小学生のPTA会長をしている。そんなこともあり自分の子どもだけでなく、地域の子どもたちのことを考えることが多くあり、子どもたちが障がいがあるとか、ないに関わらず、あれこれ考えずに付き合えるような、そんな世の中だったらいいのにな、と思った。
「それにはまず、私が知らなければ!」そう思った。そう思ったとき、たまたま自分が知り合いのお店で開いたイベントに来てくれた人がぷかぷかのスタッフさんだった。もう1人はぷかぷかの大ファンの方で、ぷかぷかで働いてみたいことをそのお二人にお話した。そしてその時、そのお店にふらっとやってきたのが、最近ぷかぷかで働き始めたという方だった。偶然にも程があるだろ?と言いたくなるほどのぷかぷか要素が高い空気の中で、ぷかぷかのスタッフさんから高崎さんを紹介してもらった。
高崎さんにメールを送り、責任者の方と会うことになった。見学をし、実習を3日間体験させてもらうことになった。
初日の朝、緊張してぷかぷかに向かうと、コウキさんが最高の笑顔で手を降って出迎えてくれた。初対面なのに「おはよう」と、こんなに気持ちのよい挨拶をされたのは、生まれてはじめてだったかもしれない。コウキさんのお陰で緊張も解れ、面接のときに会ったテラちゃんに力強く手を握られ、タカノブさんに靴下の色を聞かれ、あっという間にぷかぷかさんのペースに巻き込まれて行った。3日間、工房での実習。最初はみんなも緊張していたけれど、「嵐で誰が好き?」とか、雑談をしながら段々と仲良くなっていった。毎朝タカノブさんに靴下の色を聞かれ、みんなに色々教えてもらいながら、お昼は毎日ボルトさんとナマケモノに給食を食べに行った。3日間はあっという間に過ぎ、実習最後の日にボルトさんが私の目の前でダンスをしてくれた。
「こんなことは初めてですよ。」スタッフさんが言ってくれた。
実習を終え、しばらくして2次面接があった。そして、正式にスタッフとして働かせてもらうことになる。2018年10月のこと。
ほどなくして、次男と夫とパン教室に参加させてもらった。先生のお二人が漫才コンビのようにテンポよく進めて行ってくれて、ぷかぷかさんが踊ったり歌ったり、そんな中でパンを交代で捏ねたり、おしゃべりしたり。あれよあれよと言う間にパンができあがる。夫はたくさんのぷかぷかさんに囲まれて、ハヤチャンに人生相談をして励まされていた。次男もそんな空間が心地よかったよう。みんなでパンをいただいて、洗い物して、さようなら。それがうちの家族とぷかぷかさんの出会い。
それからも土曜日のワークショップに参加したり、あっという間にぷかぷかのファンになっていった。パン教室直後に次男がこう言った。
「え?あの人たちは障がいがあるの?」
次男にとってぷかぷかさんは、障がいがある人ではなく、個性的な面白いお兄さんお姉さんでしかなかったようだ。これだよ!これ!こんなかんじでいいんだ!私はそう思った。子どもたちが障がいがあるとか、ないとか関係なく付き合えるようになったらいいのに…の第一関門を突破したような、そんな気持ちになった。
パン教室で一度会ったら、もうお友達。パン屋さんに買い物に行っても必ず覚えていてくれて子どもに声を掛けてくれるユミさん。まだ会ったのは2回目なのに「大きくなったね~」と。そんな雰囲気が面白くてたまらない。働いていても、ぷかぷかさんとの時間はなんとも心地がよかった。もちろん注意をしなくてはいけない場面もあったり、落ち込んでいるところを励ましたり、やる気がなくなったところをやる気になるようにお話したり、なかなか難しいところもあるのだけど、いい一日を過ごそうという高崎さんの言葉を思い出すと、楽しく終われるように、言い方を変えてみたり、色々工夫することができた。
お菓子工房で13ヶ月お世話になり、そしてパン屋に異動した。
パン屋からスタートしたというぷかぷか。私にパンの経験はなかったけれど、とても温かく楽しいスタッフさんばかりで、楽しく働くことができた。
工房とはまた違うぷかぷかさんがパン屋では働いている。ぷかぷかさんたちは、一週間ずっと同じ部署の人もいるし、週3はパン屋で週2は畑だったり、シフトは個人に合わせて異なる。テレビなどでもお馴染みのツジさんは毎日パン屋さんにいる。朝、店頭の準備をツジさんと行う。外販の準備のためパンに貼るラベルを出すのがツジさんのお仕事のひとつ。1番の食パンから、500番台まであるラベルの番号を全て暗記している。ツジさんとのやりとりはとても楽しい。ツジさんは何度か同じことを言って、4回目くらいにその言葉を途中で止める。そしてその先を相手に言ってもらうのが楽しいようで2020年お正月休み明けの一発目はこれだった。「キングヌー…キングヌー…キングヌー…キング??」こんな調子。2人で一緒に「ヌー!!」と言った。なんだか通じ合えたような気がした瞬間だった。ツジさんは何とも思ってないかもしれないだろうけれど。
次男の1年生のときの担任の先生がぷかぷかの近くに住んでいるそうで、よく学校の帰りに寄ってくれた。パン屋のレジに居ると、知り合いではなくても常連さんとは顔見知りになってくる。お客様との雑談もとても楽しくて、食パンの耳はどんな風に食べているか紹介しあったり、娘さんがぷかぷかのパンの耳で作ったピザトーストがないと機嫌が悪いというお母さんや、たくさんの人とお話をした。昔の知り合いにばったり出会ったり、パン屋のレジにいて本当によかったと感じる。
あるとき、担任の先生が来た。1年生のときの担任の先生と一緒に。ふたりは学校の人権担当だという。パン屋の私がいる目の前の椅子に先生ふたりと高崎さんが座り、打ち合わせをしていた。なんとも不思議な光景だった。小学校の人権研修をやりたいと高崎さんには前々から言われていて、校長先生にも一度お話はしたことがあったが、ぷかぷかのスタッフでありPTA会長である立場上、あまり強く推すことができずにいた。そんな中、近所に住んでいる1年生のときの担任の先生が、人権研修をぷかぷかにお願いしようと決めてくれたそうだ。やっとたくさんの子どもたちにぷかぷかさんたちを知ってもらえる機会を持てた。高崎さんからもどんな風な人権研修にしたらよいだろうか?と聞かれ、難しい話ではなく、歌ったり踊ったり楽しいのがいいのではないか?とお話した。
低学年と高学年に分かれ、2回講演する。低学年用にはまずボルトさんと大ちゃんの忍者ダンスから始まり、ツジさんの暗記しているふきのとうの朗読、大ちゃんの太鼓、ショウヘイさんのポケモンのお話。急に知らないぷかぷかさんが躍り出し、こどもたちが「ポカーン…」だったところに、先生たちが衣装を着て一緒に踊ってくれた。先生のそんな姿を見たことのない子どもたちは喜び、それはそれは盛り上がった。子どもたちは、一緒に踊りたい人いる?との声にどんどん前に出てきて踊った。
高学年はツジさんのふきのとうから始まり、忍者ダンス。一緒に踊りたいなんて言うかな?と心配していたけれど、たくさんの子どもたちが前に出ていった。ちょうどニンニンジャーの世代だったようでみんな楽しく踊っていた。PTA会長としては、学校の子どもたちの反応も気になるところ。また、子どもの発表会を見るような目でボルトさんと大ちゃんのダンスを見ていた記憶がある。2回の講演も大盛況に終わった。
その後、ぷかぷかさんの人権研修の感想というものが学校の廊下に貼り出されていた。
「障がいがある人は1人では何も出来ない人だと思っていたけれど、全然違った!」とか
「ふきのとうを暗記しているなんて、すごいと思った。」など、たくさんの子どもたちの感想が貼り出されていた。とてもポジティブなものばかりだった。そんな中、我が子の感想が面白かったと、担任の先生から聞いた。
「ママが働いているから何回か会ってるけど、障がいがあるとかないとか特になんとも思わない。俺にとっては普通のこと。」こんなような感想だったよう。「一歩先を行ってますね!」と先生は言ってくれた。とにかく、全校の児童に短い時間だったけれど、ぷかぷかさんを感じてもらうことが出来てうれしかった。
コロナウィルスの影響で、営業が自粛となり、ぷかぷかさんたちは自宅でお仕事をしていた期間、私も自粛となった。しばらくみんなに会えなくて、とても寂しかった。みんなのことが気になった。パン屋で働いているものの、パンは焼かない私。自粛期間にパンを焼けるようにして、パン屋でも力になれるようになりたい!と毎日パンを焼いた。オーブンも新しくし、シンプルなパンは焼けるようになった。お店で出してほしいパンを焼いて持っていき、みんなにOKをもらってお店に出してもらったりもした。ちなみにコロナ自粛中にパンのせいで増えた体重2キロは、まだ落ちていない。
営業が再開した。いつも通りとはいかず、毎朝行っていた朝の会はなくなり、各部門に出勤することになった。それでもぷかぷかさんたちはいつもとなにも変わらない。ツジさんのおしゃべりが始まると、いつもの光景が返ってきた!と嬉しくなる。コンちゃんのコキンちゃんがさつまいもを食べておならをして泣いちゃう話、アマノさんの猫舌だから味噌汁はフーフーしないと飲めない話、いつも当たり前だったこと一つ一つが、楽しくて仕方ない。
パン屋に異動してから、仕事終わりにボルトさんが訪ねてくるようになった。「文章、瞳さん専用」と書かれたA4のコピー用紙を半分に折って、ホチキスで留めたものに、文章を書いてくる。私はその文章を、ナレーターのように読む。その文章は、ボルトさんらしくて面白い。
「俺は◯◯だ!」から始まる文章は、プリキュアだったり、仮面ライダーだったり、そのページによって違う。仮面ライダーが堀北真希主演のヒガンバナというドラマに出てくる捜査七課に所属していて、地球を守るために修行をしていたり、時にはスーパーサイヤ人になっていたり、毎回ワクワクする文章を、週に3回持ってくる。ボルトさんは、仕事が終わってたくさんのぷかぷかさんがパン屋でお買い物をしている中、ずっと私の手が空くまで、パン屋で待っている。そして、完全にお客さんが引くと「文章、瞳さん専用」を持って近くにやってくる。誰にも迷惑をかけないように、ずっと待っている。そして私がナレーターのように文章を読み終えると、満足そうに帰っていく。
「続きはまた水曜日ね!」こんなやりとりをして見送る。他のぷかぷかさんも、仕事が終わってから他の部門で働いていた仲の良い人を待って、一緒に帰ったり、まるで学校の放課後のような時間を過ごしてから帰っているようだ。
ぷかぷかで働いている間に、私には色々なことが起きた。交通事故を起こし、みんなと日帰り旅行に行けなかったこと、瞼の手術をしたこと、ぷかぷかの目の前で雨の中転んで、ぷかぷかの隣の整骨院に通ったこと。交通事故のことを誰かに話すと、あっという間にみんなが知っている。会う人会う人「中村さん大丈夫なの?」と心配してくれる。何ヵ月も経った後に「もう目は良くなったの?」「もう転んだのは治ったの?」私がすっかり忘れていても、ぷかぷかさんは覚えていて心配してくれる。特にコウくんが、いつも優しく声を掛けてくれ、私を癒してくれる。
週に3日の月水金。楽しいぷかぷかさんと、温かいスタッフさん達がいるパン屋でのお仕事は、本当に楽しくて、このままずっとこうしてぷかぷかのスタッフとしてお仕事をしていくものだと思っていた。そんな中、別のところで社員として働くことが急遽決まった。自分の将来的なことを考えてのことなのだが、あまりに急な展開でなかなか踏ん切りが付かなかった。
一緒に働く大好きなパン屋の責任者に伝える日、心が痛くてたまらなかった。しかも、数日後にコンちゃんが辞めるというのが決まっていて、そのコンちゃんへの色紙を作る係りをさせてもらって、人が辞めると言うことがこんなにも切ないのに、自分が辞めるなんて言い出すことが本当に申し訳なく思った。7月31日、8月末で退職するために、この日に言うしかなく、大好きなパン屋の責任者のMさんに、重い口を開いた。Mさんはすごく困って、すごく嫌がってくれた。そこに隣の部門の責任者Iさんが現れ、一緒にお話をすると、Iさんもダメだと言ってくれた。考え直せないのか?と何度も言ってくれた。楽しくお仕事をさせてもらってるだけで、大した手助けも出来ていない私に、そういうことを言ってくれる人がいることがとてもありがたかった。明るくて面白くて、このお二人には人と付き合っていく上で、どうやったら相手が嫌な気持ちにならずに済むか、言いづらいことを言うときの言い方などを学ばせてもらった。ぷかぷかでは、楽しいぷかぷかさんとの出会いだけではなく、こうして素敵な方々との出会いがたくさんあった。プライスレスな22ヶ月だった。スタッフさんたちとは、連絡したら外で会うこともできるけど、ぷかぷかさんたちとはそうもいかない。たったの22ヶ月だったけれど、一緒に過ごしたことの思い出がありすぎて、なかなか心の準備ができない。ぷかぷかを辞めるということは、本当に身を切る思いである。
いくつもの会社を退社してきた。いままでのその経験の中で、こんな気持ちになったことはない。また会えばいいし、辞めてもSNSで連絡を取るのは簡単なこと。こんな風に悲しくて泣けてくる別れを経験するなんて、思ってもみなかった。
8/21、8月末で退社するスタッフの発表があった。ぷかぷかさんは仕事が終わると次々にパン屋にやってきて、声を掛けてくれた。「なんで辞めるの?」「辞めないで!」「中村が居なくなると嫌だよ」「今度はなんの仕事なの?」こんなにも声を掛けにきてくれる。私が辞めることを惜しんでくれる。本当にうれしかった。
いつもならもう来ているはずのボルトさんがなかなか来ない。やっぱり辞めると聞いて、落ち込んじゃったのかな?悲しんでいるかな?心配していると、少し肩を落としながらも微笑みながらやってきた。そして、お手紙とプレゼントをくれた。手紙を書いていたから遅くなってしまったらしい。手紙にはこんなことが書いてあった。
「いつもいつもいつもいつも僕のわがままを聞いてくれてありがとう。」と。他にも色々書いてあったけれど、それは私とボルトさんだけの秘密にしておく。読んだら涙が溢れてきた。ボルトさんの肩を借りて泣いた。ボルトさんとは、最初からたくさんの時間を過ごしてきたから、一番気がかりな人だった。この先「文章」を読んでくれる人は見つかるのだろうか?と思っていた。今まで何度も泣いているボルトさんを励ましてきた。泣くとすぐに鼻水が出てしまうボルトさんにティッシュを渡して鼻をかむように言ってきた。だけど私が彼の肩を借りてないて、顔を上げたそのとき、ボルトさんは泣いてなかった。
「すごく悲しいけど、僕は泣かないよ!」と微笑んでいた。
ぷかぷかで働けるのはあと4日。その4日間を大切に過ごしていきたい。