ぷかぷか日記

自分の人生の物語を自分で作っていく

昨日ぷかぷかに遊びに来た尾野一矢さんが自立生活を始めるまでの記録映像です。

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 昨日その一矢さんがぷかぷかに遊びに来ました。

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 その時に注文した似顔絵が1枚だけですができていました。

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 似顔絵を描く画伯が5,6人いるので、みんなが描き終わった頃、一矢さんに来てもらって、どの似顔絵がいいか選んでもらいます。似顔絵を描いてもらうなんて多分初めてだと思いますので、一矢さん、どんな表情をするのか楽しみです。

 一矢さんの選んだ似顔絵を使って名刺を作ります。Tシャツも作ります。似顔絵の入った「かんちゃんTシャツ」です。

 できあがった頃、一矢さんに来てもらって、「かんちゃんTシャツ」を着て、片手にはできたての名刺を持って写真を撮ります。名刺の肩書きは「神奈川自立生活実践者第1号」。

 ひょっとしたら、ここから一矢さんの人生の新しい物語が始まるかも、と思ったりしています。自立生活、というのは、いろんな人たちの介護の手を借りながらも、自分の人生の物語を自分で作っていく、ということだと思います。今まで誰かに任せっきりだった人生を、自分の手に取り戻すことだと思います。

 昨日ぷかぷかに見えた時、介護の方から、テレビのリモコンを自分で操作する、といった当たり前のことが施設での生活ではなかった、という話を聞きました。大きな部屋にテレビはあるのですが、自分でリモコンを操作し、好きな番組を見る、といったことはありません。ただぼんやりテレビの方を見てる、という感じ。

 でも、今、自立生活が始まり、自分でリモコンを操作し、大好きな「笑点」を見て笑っているそうです。好きな番組を自分で選び、それを見てけらけら笑う。たったそれだけのことですが、一矢さんにとっては人生が変わるほどの大きな大きな出来事です。

 これからは自分の人生の物語を自分で作っていきます。一矢さんはどんな物語を作っていくのだろう。ぷかぷかもそのお手伝いができれば、と思っています。

尾野一矢さんが遊びに来ました。

 やまゆり園事件で重傷を負った小野一矢さん、8月から自立生活を始め、今日ぷかぷかに遊びに来ました。初めての場所で、かなり緊張している様子でした。

 アート屋わんどで紙と色鉛筆を用意し、

「よかったらどうぞ絵を描いて下さい」

と誘ったのですが、全く乗ってきません。困ったなと思っていたのですが、ぷかぷかの雰囲気の中で少しずつ気持ちがほぐれてきたのか、自分からまわりの人たちと「一本橋こちょこちょ」をやり出しました。これをやる時は機嫌のいい時だそうです。介護の人やぷかぷかさんだけでなく、取材に来ていたNHKのカメラマンともやっていました。

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 お昼、ぷかぷかさんのお昼ご飯で、突然大きな声を上げ始めました。「せりがやなんとか」って言ってて、芹が谷帰りたくない、そこの仕事したくない、と言ってるのだと思います、と介護の人。よほど悪い思い出があるのだろうと思いました。それが何かの拍子でわ〜っと吹き出してくる感じでした。顔もかきむしっていました。

 お昼ご飯はなぜか全く食べず、パン屋でカレーパン、コロッケパンを買って食べました。

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 暖かな日差しの中、ぷかぷかのまったりした時間を過ごしました。普段なかなか経験できないいい時間だったと思います。日中活動をする場所を決めていないので、毎日どこに行くか決めるのが大変だそうです。

 ぷかぷかで毎日働くことは難しいですが、このまったりした雰囲気に浸りに週一回でも遊びに来てくれればと思います。管理されないぷかぷかの心地よい世界に浸ることで、大声を出すほどに傷ついている心が少しずつ回復するといいなと思います。「楽しかった人?」って聞くと「は〜い」と手を上げていたので、多分また来るのではないかと思います。

 

 帰りがけ、わんどで写真を撮り、似顔絵名刺を注文しました。一矢さんはやまゆり園での生活のあと、自立生活を始めたというので、いろいろ取材が入ります。そんなときに渡す名刺です。肩書きは「神奈川自立生活実践者第1号」。なんだかカッコいい!

 似顔絵の入るTシャツも注文しました。取材に来た記者に名刺を渡し、似顔絵の入ったTシャツを着て対応します。

上映会やります。「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」

11月14日(土)横浜ラポールでの上映会のチラシができました。すごく楽しいチラシです。

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  映画を見て、やまゆり園事件のことをみんなで話そうと思っているのですが、いつものことながら、チラシを見ると全くそういう感じがしません。つまり、やまゆり園事件の重いイメージがどこにもないのです。

 「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」

とか一番目立つところに書いてあって、どうしてこれがやまゆり園事件につながるの?なんて、つい思ってしまうのですが、それがいつの間にかつながってしまうのがぷかぷか。

 

 昨年、事件の遺族の方がぷかぷかに見えました。私はどういう言葉で話しかければいいのかわからず、「こんにちは」といったきり、後に続く言葉がなかなか出てきません。事件に関するブログを150本以上書きながら、事件で一番辛い思いをした遺族の方にかける言葉が出てこないのです。

 遺族の方を前に本当に困りました。その時周りにいたぷかぷかさんたちが

「あれ、どこから来たの?」「お名前はなんて言うの?」

と、いつもの調子で質問攻め。

「ぷかぷか、頑張ってます」

なんていう人もいました。

 そんなぷかぷからしい対応に、遺族の方はみるみる笑顔になり、いろんなお話を楽しそうにされていました。遺族の方を前に、半ば固まってしまった私は救われた思いでした。

 「ぷかぷかさんのお昼ご飯」で食事された時、その日のメニューは唐揚げだったのですが、亡くなった娘さんの大好物で、娘さんと一緒に唐揚げを食べている気分でした、とお話しになっていました。一ヶ月後に誕生日を迎えるという話も聞き、それならぷかぷかで誕生会やりましょう、という話になりました。

 「ぷかぷかさんのお昼ご飯」は誕生日を迎える方のリクエストで誕生日メニューが決まります。ですからその日は唐揚げにすることになりました。お母さんひとりで食事するのは寂しいと思い、亡くなられた娘さんの写真見ながらぷかぷかさんが等身大の「分身くん」を段ボールで作り、隣に並んで食事してもらいました。帰りの会でささやかな誕生会をやりました。小さなステージに娘さんの分身くんに座ってもらい、みんなで「ハッピーバースデー」を歌いました。娘さんの好きだった音楽をガンガンかけ、みんなで思いっきりダンスをしました。誕生日カードもぷかぷかさんが描いてプレゼントしました。お母さん、本当に大喜びでした。

 

 遺族の方はそっとしておいた方がいい、とよく言われます。でもぷかぷかさんたちは違いました。そっとしておくどころか大歓迎し、誕生日会までやってしまったのです。お母さん、たくさんの元気をもらえたようでした。

 

 事件を超えるって、こういうことではないかと思います。事件で一番辛い思いをした遺族の方が元気になる。これはすごく大事なことです。今まで、多分誰もやっていなかったことです。それをぷかぷかさんが、何か特別なことではなく、いつもどおりの感じで、さらっとやってしまったのです。

 ぷかぷかさんといっしょに生きていく中にこそ、事件を超えていく鍵があるような気がしています。

 昨年の上映会に参加した方が、ぷかぷかさんもいっしょにいる上映会の賑やかな雰囲気の中で

「とがった心が丸くなる」

と感想を書いていましたが、一番のキーポイントを言い当ててる気がしました。

 事件を考える集まりで、お互いの考え方のちょっとした違いで、とても険悪な雰囲気になってうんざりしたことがあります。事件を考える集まりなのに、みんなの心はとがったままだったのだと思います。心がとがったままでは、事件を超える社会を作るとかいっても、人に優しい気持ちになれる社会なんだろうかと思ってしまいます。

 その心をゆるっとしてくれるのがぷかぷかさんです。とがった心を丸くしてくれるのです。11月14日の上映会にはぷかぷかさんもたくさん参加します。彼らのチカラを借りて、事件を超える社会がどうやったらできるのか考えたいと思うのです。

 「でんぱた」が初めて収穫したお米で作ったおにぎり食べて、

「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」

 なんてつぶやきながら、楽しくやりたいと思っています。

猫の目

アマノッチの描いた猫

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 何を思っているんだろう。

 いくつもの哀しみと、

 怒りと、

 悔しさを、

 数え切れないくらい経験し、

 それをもう通り越してしまったような目

 諦めてはいるわけではない。

 ただそこにうずくまって

 こうやって 深い目で

 世界を、じっと見つめている。

 押し殺した思いが、静かに渦巻いている。

 アマノッチの思いに、初めて出会えた気がする。

 

 こんな目で見つめられたら、ちょっとたじろいでしまう。

 でも、本当はいつもこんな目で彼らは私たちを見つめているに違いない。

 それに私たちが気がつかないだけ。

 だから、上から目線で彼らを見る。

 彼らを見下す。

 でも、この目に気がつくと、私たちの振る舞いは、とても恥ずかしい。

 

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 虐待が何度指摘されても、延々と見苦しい言い訳をするやまゆり園。

 あなたたちを見つめているたくさんの、この深い目に気がつかないのか。

 恥ずかしくないのか。

 

 

 謙虚にこの目と向き合いたいと思う。

 この目を見つめていると、

 自分の生き方を問われている気がする。

 この目の語る物語に、静かに耳を傾けたい。

いかに一緒にくつろぐか

やまゆり園事件で重傷を負った尾野一矢さんがやまゆり園を出て地域で暮らし始めました。

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その取材をしている毎日新聞の上東さんのFacebookにいい言葉がありました。

 

重度訪問介護ヘルパーの極意は「いかに一緒にくつろぐか」だそうです。

長い時間一緒に過ごす介助者の仕事。

「仕事というよりただ、いっしょに生きること」〔大坪さん)

素敵な関係だなぁ。

 

 「いかに一緒にくつろぐか」いい言葉だなと思いました。多分そういう感覚でいかないと、長い時間一緒に過ごす介護の仕事は辛くなると思います。というか、長い時間一緒に過ごす中で、大坪さんが見つけたんだと思います。ただ仕事だからでは、相手といい関係はできません。くつろぐ感覚があるから、この人といっしょにいよう、と思えます。そこから人としてのおつきあいが始まります。その気持ちは相手にも伝わります。だから、一矢さんも「かずやんち」の暮らしを楽しめるのだと思います。

 

 自分の写真で恥ずかしいのですが、『support』という知的障害福祉研究の本の表紙を飾ったことがあります。

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 まさにお互いがくつろいでいる写真です。「至福の時」です。こういう時が、彼らと過ごしているといっぱいあります。それを大事にするかどうかで、彼らとの関係が変わってくるのだと思います。(養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょにいると心安らぐ時間、くつろぐ時間がたくさんあって、こりゃぁもう彼らとはいっしょに生きなきゃソン!だと思いました。その時の思いがぷかぷか設立の思いにつながっています)
 
   福祉の現場の人たちが、みんなこんな感覚で仕事やりだしたら、この業界は介護する側もされる側もお互いがもっと居心地のいいものになるだろうな、という気がします。
 
 尾野一矢さんがいたやまゆり園の人たちが、こういう感覚で働いていたら、やまゆり園はお互いにとって居心地のいいところになっていたと思います。そんなふうになっていれば、事件は起きませんでした。こういう感覚を排除してしまうものがやまゆり園にはあったのだろうと思います。それは何なのだろうと思います。 

人権研修会で、詩を作るワークショップ。

 緑区役所と瀬谷区役所から人権研修会を頼まれました。詩を作るワークショップをやってみようと思っています。人権に関する話を聞いておしまい、ではなく、人権についての気づきをきちんと自分の言葉で表現し、それをみんなで共有し、人権について深く考えて欲しいからです。

 

 事前に障がいのある人たちのためのグループホーム建設反対の新聞記事を読んでもらい、自分の家のそばにグループホームが建つことになったらどう思うか、ということを考えてもらいます。「すごくいや」とか「怖い」とか「なんとも思わない」とか、自分の正直な気持ちを頭の中でメモしておいてもらいます。

 ぷかぷかさんの話を聞いたり、『Secret of Pukapuka』を見て、気づいたことを5行くらいの短い詩で表現します。1行目はグループホームが建つことになったらどういう気持ちになるかを書いてもらいます。その時の気持ちが、ぷかぷかさんとの出会いの中で、どう変わっていったのかを詩で表現します。その詩を10人くらいのグループの中で一人ずつ朗読し、お互いの気づきを共有します。

 詩の言葉を1行ずつ切り離します。10人のグループなら、約50個のことばが並びます。どの言葉を先頭に持ってきて、どの言葉がじぶんが変わるきっかけになって、どの言葉が最後に来るか、グループの中で話し合います。バラバラになった言葉を編集し直すのです。お互いの思いが交差し、一番大変で、一番楽しい時です。そうやってグループとしての詩を作ります。

 バラバラだった言葉が、グループとしての詩にまとまった時、詩は個人の詩よりもはるかにチカラを持ちます。そのことを誰かに向かって朗読する時、あるいは誰かの朗読を聞く時、しっかり味わって欲しいと思います。

 みんなでチカラある言葉を生み出すこと、それが今回の人権研修会で一番大事な部分です。

 

                 (写真は東洋英和女学院大学でやった時のもの)

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 できあがった詩をほかのグループの前で朗読します。朗読は詩の言葉に丁寧にふれ、思いを声に乗せて相手に届けることです。朗読する時、多分、いつもと違う自分がそこにいます。そのことに気づいて欲しいと思います。

 

                      (映像は早稲田大学)

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 各グループの朗読のあと、みんなで振り返りをします。

 気づきを詩にするとか、その詩を誰かに向かって朗読するとか、誰かの朗読を耳を澄まして聴くとか、気づきの言葉をシャッフルし、それをどう並べるかで、誰かと議論するとか、みんな新鮮な体験になると思います。

 その一つ一つが人権について深く考える作業です。

 できあがった詩は、ぜひ区役所の中に飾って欲しいと思います。みんなの格闘がそのまま貴重な記録として残ります。

 

 障がいのある人たちとの出会いは、ときに自分の人生が変わるほどの出来事にもなります。人権研修会が、そんなきっかけになればいいなと思っています。

いったい何が違うのでしょう。

げんなりするような事件

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 これが、障がいのある人たちを排除する文化です。障がいのある人たちを「邪魔だ」などといって排除する社会がどうなっていくのか想像した方がいいです。

 

 ぷかぷかの近くの創英大学の保育科で昨年ぷかぷかさんも参加する形で6回ほど授業をやりました。『Secret of Pukapuka』の上映、ぷかぷかさんと一緒に「すごろくワークショップ」「演劇ワークショップ」「詩を作るワークショップ」などです。

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 ぷかぷかへ2日ほど実習にも来ました。クリスマス会をやったり、文化祭で一緒に大きな絵を描いたりもしました。

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 こういうおつきあいがあって、保育科の卒業生40名のうち8名ほどが障がいのある人たちの施設に就職したそうです。ぷかぷかさんたちとの楽しい出会いがあっての進路の選択だったと思います。

 

 障がいのある人たちを前に「邪魔だ」という大人と、わくわくしながら障がいのある人たちとのおつきあいを選んだ学生さんと、いったい何が違うのでしょう。

 

 こんな人たちを「邪魔だ」と排除するなんて、もったいないです。

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「彼らはいた方がいい!」ということがダイナミックに伝わってきます。

 11月14日(土)のやまゆり園事件を考える上映会で第6期演劇ワークショップの記録映画を上映します。やまゆり園事件を考える上映会で、どうして演劇ワークショップの映画なのか。

 事件を考える上映会は、映画を手がかりに、事件を超える社会をどうやって作るかを考えます。あーだこーだ言い合って終わるのではなく、具体的に私たちに何ができるのかを考えます。

 「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」。事件から発信されたメッセージに、多くの人は「そんなのおかしい」と思いながらも、それを否定しきれない自分がいて、そこをどうやって超えていけるのか悩んだのだと思います。

 ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というところから出発したので、事件後も、いない方がいいと言われた障がいのある人たちと「いた方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」と思える関係を作り、彼らと一緒に「いい一日だったね」ってお互い言い合える日々を積み重ねてきました。

     だから、別れの時はお互い涙が…

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 不幸しか生まないと言われた障がいのある人たちが幸せを生み出しているという事実も作ってきました。

     こんな絵を見るとみんながハッピーな気持ちになります。

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 そして演劇ワークショップは彼らといっしょに生きると何が生まれるかを明確に表現します。今までにない新しい文化と言っていいほどのものを生み出します。障がいのある人たちを排除する文化に対して、彼らを排除しない文化です。彼らのことを大事な存在だと思う文化です。

 

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  ぷかぷかさんたちと一緒に芝居作りをすると、本当に楽しくて、芝居作りが彼らに支えられて、「彼らにこの場にいて欲しい」「彼らがこの場に必要」としみじみ思えてきます。演劇ワークショップはそう思える関係を自然に作ってくれます。そういう関係の中で作り上げた芝居は「彼らはいた方がいい!」ということがダイナミックに伝わってきます。

 ここで見えてくるものこそ、事件を超える社会です。

 

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 そんな映画を見て、事件を超える社会をどうやって作るかをみんなで考えたいと思うのです。

そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか

毎日新聞の素晴らしい取り組み。

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素晴らしい取り組みなのですが、最後に書かれていたテーマを見ると、ここからこぼれ落ちるものがたくさんある気がしました。

(1)判決で犯行動機は「勤務経験を基礎として」

(2)支援の実態、そして虐待の疑いが浮上/職員の思いと報告書

(3)やまゆり園の設置者の責任は/黒岩祐治神奈川県知事インタビュー

(4)やむを得ない拘束だったのか?/居室施錠の実態

(5)身体拘束をしない支援はできるのか/居室施錠の実態

(6)各地で頓挫する県立コロニーの解体/地域移行の課題

(7)施設を出て、地域で暮らす/地域移行の課題

(8)真相は闇の中/認定難しい施設内虐待

(9)問われぬ支援の質/障害がある人の施設での暮らし

 

 ひとつひとつ大事なテーマだと思いますが、障がいのある人との関わりもなく、事件にそれほど関心のないふつうの人にとってはどうなんだろう、という感じがします。隣に住んでいるおばあさんとか、仕事に追われているおじさんとか、子育てにいそがしいお母さんとかにとって、ここであげられているテーマは、自分との関係性がなかなか見いだせない感じがします。

 といってそういう人たちが事件と全く関係ないのかといえば、そうではない気がします。

 

 事件の際、犯人の語った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、とぷかぷかを訪ねてきた人がいました。

 事件のあった年の11月、NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」といった話をしたところ、そんなことをいう人がいるんだ、と信じがたいような思いで私に会いに来た人がいました。その人は犯人のいった言葉を否定しきれない自分がいて、悶々としていたところへ「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」などという言葉がラジオから流れてきて、びっくりしたといいます。

 でもぷかぷかに来たことがきっかけで、パン屋で一日実習し、それに続いて演劇ワークショップにも参加。舞台にもぷかぷかさんたちと一緒に立ちました。

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 そんな経験の中でいろいろ思うことがあったのか、そのあと、彼は放課後ディサービスで仕事を始め、重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない、といってきました。「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいると悶々としていた人が、今、「重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない」というのです。彼をそこまで変えたのはぷかぷかさんたちとのおつきあいです。ぷかぷかさんたちのチカラをあらためて思うのです。(彼のことはその後NHKスペシャルで事件を取り上げた時に紹介してくれました)

 

 いずれにしても、「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、と感じた人は多かったのではないかと思います。

  事件に関する取材でぷかぷかに来た記者で、やっぱり自分の中にも事件の犯人的な発想があって、そこからなかなか抜け出せない、と正直に語った方もいました。

 普段障がいのある人たちに関わりのない人たちのふつうの感覚だろうと思います。上に上げたテーマをいくらきっちり書いても、犯人的な発想からなかなか抜け出せないと悩んでいる人にとっては、ほとんど意味がありません。

 そういう人に届く言葉こそ、丁寧に書いて欲しいと思うのです。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉から抜け出すにはどうしたらいいのか。力強い言葉ではなく、「あ、そうか」っていう気づきにつながるような言葉です。

 

 事件直後、ネット上には「よくやった」などという言葉が飛び交いました。あの悲惨極まる事件に対し、「よくやった」などという社会は怖いです。事件後、街に出るのが怖くなったという障がいのある人たちはたくさんいました。

 その社会は、事件から4年たった今も全く変わっていません。

 そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか、この社会の中で何をすればいいのか、といったことこそ今求められている気がします。

 

 11月14日(土) ぷかぷかは、そんなことをみんなで語りたくて上映会をやります。

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これは「詩」ですね。

 実習生の、この感想、「きりんのえをかきました」「かにのえもかきました」…って書いただけなのに、なぜか人の心をあたたかいもので満たしてくれます。

 簡単な言葉なのに、どうしてこんなにキュンと幸せな気持ちになるのでしょう。

 人の心を揺り動かす、これは「詩」ですね。

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 こういう言葉にふれることで、私たちは人間を取り戻すことができます。人間のあたたかさを思い出すことができます。とがった心がまるくなります。

 ともすれば人間であることを忘れてしまうような日々の中で、彼らは私たちを人間に引き戻してくれているのだと思います。

 

 かながわ共同会が運営する施設で、また虐待があったといいます。彼らが人間を取り戻すのは、いったいいつなんだろうと思います。目の前にいる人たちの書く「詩」に気がついて欲しいと思うのです。

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