11月1日朝日新聞の社説余滴「助けなしでは生きていけぬ」はなかなかおもしろい話でした。
《…もし人工知能(AI)等の進化によってやることがなくなったら、人間はどうやって尊厳を保つのか。京都大学の出口さんはそんな問いを立てて、こう考えている。
人間を「できること」(機能)の束ととらえると、自動化の進展につれて人間のかけがえのなさは失われてしまう。むしろ人間の本質は「できないこと」にあり、ひとりでは何もできないのが人間なんだととらえ直してはどうだろう、と。…》
なるほど、と思いました。
《「できないこと」に人間の本質がある。》
深い言葉ですね。
「できること」を追いかけていくと、どこかでAIに追いつかれ、人間であることの意味が見えなくなります。だから「できないこと」にこそ、人間の本質がある、と。
障がいのある人のまわりには人が集まってきます。その真ん中に「できないこと」があります。困っている人がいれば、人は助けたくなります。それが人のいいところです。人のいいところが出る。だから、誰かを助けることで、人は人になれるのだと思います。誰かを助けることで、自分も、実は助けられる。双方向の関係です。「できないこと」のまわりに集まった人たちがこんなふうにして豊かになります。だから障がいのある人たちは社会に必要なんだと思います。大事なことはそこで生まれる関係が、助け、助けられる、という双方向であること。
昔、養護学校の教員になって最初に受け持ったのは重度障害の子どもたちでした。一人で食事ができない、着替えができない、うんこの始末もできない、と「できないこと」だらけでした。助けることばかりでしたが、でも、彼らと毎日つきあっていると、人間のあたたかさを感じ、ずっとそばにいたいと思うようになりました。それまでふつうの会社勤めだった私にとっては新鮮な発見でした。人間を思い出した、という感じです。月並みですが「人間ていいな」ってしみじみ思いました。
彼らを助けることで、私自身が助けられたのです。人間を取り戻した、というか、そんな感じです。
ぷかぷかはいろんなことが「できない」と言われている人たち=ぷかぷかさんたちに助けられています。彼らの助けなしにはぷかぷかはやっていけないのです。私たちに「できない」ことを彼らはやってくれるから。
こんな素敵な絵は、私たちには描けません。
こんな絵を描ける人たちと描けない人たちが集まって「ぷかぷか」をやっているのです。お互い「できないこと」を助けあっているのが、ぷかぷかです。みんなを幸せにするような物語をたくさん生み出したのも、ここにその理由があるような気がします。
「できないこと」に人間の本質がある。深い言葉だとしみじみ思います。
「できないこと」にどう向き合うのか。それによって、やまゆり園では悲惨な事件を生み、ぷかぷかではみんながハッピーになるようなものをたくさん生み出しました。向き合い方一つで、こんなにもちがうものが生まれます。上の写真、別れでこんな涙を流せるのはハッピーそのものです。
11月14日(土)の上映会では、こんな話もしていきたいと思っています。