ぷかぷか日記

その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない

昔、取材に来た若い新聞記者が、帰りの会に参加し、司会の進行そっちのけでいろんなことが起こっている帰りの会を見ながら

「これはカオスですね」

といったことがあります。帰りの会をとてもよく表した表現だと思いました。カオス、つまり無秩序で混沌とした状態でありながらも、でも、帰りの会はなんとなくまとまってちゃんと終わっていた(今はコロナで全員が集まる帰りの会はやっていない)ので、ま、不思議といえば不思議。そこがぷかぷからしいというのか、カオスは当たり前というのか、これこそがぷかぷかというのか、なんとも表現がむつかしい。でも、だからこそ、帰りの会はなんともいえず楽しかった。

 

 北海道から来ているウエムラさん、昼間っからそのカオス状態を見つけたようでした。

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 バラバラで混沌としているようで、それが「わんど」のメロディなのかな?

 今日の「わんど」での昼下がりのこと。

 いつも魚住さんが座っている席のあたりにいるセノーさんが、クククッと楽しそうに笑いながら(いたずらっ子みたい…)、またゲオに電話を掛けている。

 

セノーさん:『~~(映画の名前)~~』は、洋画ですか? 邦画ですか?
店員さん:それはー、洋画ですかね。

 

というやりとりを何回も繰り返す2人。ときどきセノーさんは、「いや、それは邦画アニメですよね」とか、なんとかですよね、と店員さんに異議を申し立てている(笑)。

セノーさんと店員さんのやりとりにクスクス笑う私の横では、テラちゃんが頭を机について、グーグーといびきをかきながらお昼寝中。

そして私の左後ろでは、赤いパーカーを着た男の子が、パチパチ手を叩きながら何やら体操中(片足上げて、足の下で手をパチッと合わせる体操みたいなのをしていた)。

セノーさんとゲオの店員さんの会話を彩るように、一定のリズムを刻むパチパチという手の音と、テラちゃんのいびきの音。昼下がりのわんどで生まれるそれぞれの音は、まったくバラバラな音のようで、ちぐはぐなメロディを奏でる一つの楽曲のようにも聞こえたのだった。その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない。

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 そう、この混沌とした状態だからこそ、そこから新しいものが生まれるのだと思います。世界が生まれる前、混沌が満ちていたように。

 混沌をなくし、ぷかぷかが秩序ある正しい集団になったりしたら、なんだか気色悪いし、居心地が悪くなります。このごちゃっとした、なんだかよくわからない雰囲気こそ、私はほっとします。

 「その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない」と語ったウエムラさん、いい感覚してるな、と思いました。

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なぜか心が満たされていくような感じが…

『ぷかぷかな物語』を読んで、なんと北海道から見学に来た方がいます。北大大学院で環境社会学、地域社会学を勉強しているウエムラさんです。昨日来て、一週間くらい滞在の予定です。

 

 昨日の気づき

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 ふと、窓越しに外を見ると、女の子2人と男の子1人の3人組が集まって、なにやら楽しそうに立ち話をしている。その「学校帰り」ならぬ、「ぷかぷか帰り」のおしゃべりの様子に、頬がふふっと緩んでしまった。「何話してるのー?」と輪の中に入っていきたいような、いや、やっぱり、外から眺めたまま、その風景を味わっていたいような。3人の周りからふわっとあたたかい空気が流れていて、そのただのおしゃべりの様子を見ているだけで、なぜか心が満たされていくような感じがしたのだった。

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 仕事が終わって、帰り道、ぷかぷかさんたちがお喋りしている。いつものことなので、私なんかはそのまま通り過ぎてしまうのですが、ウエムラさんにとっては、すごく新鮮な風景だったようです。

 ぷかぷかさんがそこにいること。お喋りしていること。たったそれだけのことなのに、

 

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 3人の周りからふわっとあたたかい空気が流れていて、そのただのおしゃべりの様子を見ているだけで、なぜか心が満たされていくような感じがしたのだった。

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と書くウエムラさん。

 きっと、私がこの手紙を見つけた時の、心がキュンとなってしまった時のような、そんな気持ちだったのではないかと思いました。 

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 彼らがいる、というのは、詰まるところこういうことではないかと思うのです。それをもっともっと言葉化したいと思うのです。感じたことを言葉として残しておく。やまゆり園事件が起きるような社会にあって、それはとても大事なことだと思うのです。優生思想云々の大きな話、小難しい話ではなく、ただ彼らのそばにいて、「心が満たされていくような感じがした」こと、「心がキュンとなった」ことなどを、とにかく書き留めておく。そういったことが日々積み重なると、物語が生まれます。心あたたまる物語です。その物語は、お互いがもっと心地よく暮らせる社会を作っていきます。

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ぼくはおしことにかんぱています。

こんなお手紙書いた人がいました。

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 心がキュンとなって、幸せな気持ちになります。こういう手紙を書く人は社会の宝だと思います。だからこそ、いっしょに生きていきたいと思うのです。

 こういう人が世界の中心にいたら、人を傷つける争いなんかはなくなるんだろうと思います。誰かをやっつけるとか、やり返す、といったこともなくなります。

 

 津久井やまゆり園事件に関し、たとえば「現代思想2016年10月号 緊急特集=相模原障害者殺傷事件」にあった

 

【「当事者」からの視点】
事件の後で / 熊谷晋一郎
相模原障害者虐殺事件を生み出した社会 その根底的な変革を / 尾上浩二
相模原市障害者殺傷事件から見えてくるもの / 中尾悦子
相模原市で起きた入所施設での大量虐殺事件に関して / 白石清春
「言葉に詰まる自分」と向き合うための初めの一歩として / 星加良司

 

といった小難しい言葉よりも

「ぼくはおしことにかんぱています。」

の手紙の方が、はるかに人の心に届きます。「障害者はいない方がいい」のではなく、こういう手紙を書く人たちとはいっしょに生きていった方がいい、と素直に思えるのです。

 

  昨年7月に、たまたまNHKが取材した近所のお年寄りの方は、ぷかぷかの大ファンで、ぷかぷかさんに会えないと寂しくて寂しくてしかたがない、ぷかぷかに来ることは自分の生活の一部です、とおっしゃっていました。

 「ぼくはおしことにかんぱています。」といった感じのぷかぷかさんの日々のメッセージが近所のお年寄りの方に届いていたのだと思います。これが、社会を変える、ということです。ぷかぷかさんたちが、お互い気持ちよく生きていける社会を作っているのです。

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「ぷかぷかしんぶん」の持つ手作りのあたたかさはSNSでは絶対に表現できないもの

 2010年4月より月一回発行してきた「ぷかぷかしんぶん」がなんと11年目に入ります。A5版6ページの手書きの小さなしんぶんです。小さなしんぶんですが、街を耕すという大きな仕事をしてくれました。

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 ぷかぷかしんぶんは「ぷかぷか」ができてすぐに、ここではどういう人たちが何をしているのかを地域の人たちに伝えるためにはじめました。ぷかぷかを始めた当初、「声がうるさい」と苦情の電話がかかってきたり、同じところを行ったり来たりすると目障りだとか、いろんな苦情が来たこともあって、情報を発信していかないとまずいなという気がしていました。どうして彼らと一緒に働いているのか、といったこちらの思いを伝えたいと思いました。

 「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」ということを法人設立の目的にしていたのですが、障がいのある人たちを排除する社会とたたかう、とかではなく、やわらかい話でその社会的生きにくさを解消したいと思っていました。それを表現したのがぷかぷかしんぶんです。なるべく心あたたまるような話を心がけ、彼らといっしょに生きていった方がいいよ、というぷかぷかの理念を伝えたいと思っていました。

 幸い読んでくれる人が徐々に増え、「お店には行ってないけど、しんぶんは楽しみにしていますよ」と、しんぶん配っている時に話しかけられたり、「あたたかな話に感動しました」と電話がかかってきたり、どこを曲がっても同じ風景に見える団地の中で、はじめの頃は時々迷子になる人がいて「ぷかぷかさんが迷子になってますよ、見ててあげるから迎えに来て下さい」と電話がかかってきたりしました。地域の人たちはぷかぷかさんたちのこと、ちゃんと見ててくれてたんだ、と思いましたね。ぷかぷかさんたちがこの街を歩くことで、街が変わってきたのだと思いました。

 「ぷかぷかしんぶんは」単なる情報発信ではなく、地域社会をやわらかく耕してくれる存在でした。

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 10年前に比べ、SNSによる発信は格段に進歩しました。そんな中にあっても、「ぷかぷかしんぶん」の持つ手作りのあたたかさはSNSでは絶対に表現できないものです。そのあたたかさはぷかぷかさんのあたたかさでもあります。地域を耕す上で一番チカラを発揮してくれたのはこのあたたかさです。それをこれからも大事にしていきたいと思っています。

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一矢さんを支えるつもりが、なんだか一矢さんに支えられてるみたいです。

一矢さん、陶芸の日。前回に引き続き、今日も植木鉢を作りました。お父さん、お母さんが見ていたせいか、今日はとてもいい顔してやっていました。

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この集中力

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 ダイナミックな植木鉢を介護の大坪さんと一緒に作りました。

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 この植木鉢を持って、苦情をよこした家にあいさつに行きます。いよいよ「友達大作戦」開始です。さてどうなりますか、乞うご期待、というところですが、実際、どういう展開になるか全くわかりません。

 

 その時に手渡す「かずやしんぶん」製作中です。

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 これを見て、そうか、一矢さんてこういう人だったのか、って心和ませてくれたら、と思っていますが、そううまくいきますかどうか。「ケ!」とかいってゴミ箱に捨てられる可能性だってあります。むしろそっちの可能性の方が大きい気がします。その時こそが勝負だと思っています。

 

 地域社会で自立生活をおくっていく中で、こういった困難には必ず直面します。だからこそ、一矢さんと一緒にみんなで地域社会を耕していきたいと思うのです。たくさんの人たちの応援が必要です。ですから「かずやしんぶん」の発行元は「かずやさんとその仲間たち」なんて名前にしようかなと考えています。「かずやしんぶん」の発行(月刊もしくは隔月刊の予定)には印刷代などのお金もかかります。地域に配布するので300〜500部くらい考えています。なので、会費もいただいて10年くらいはしっかり続けたいなと思っています。かずやさんと一緒に楽しいお茶会や食事会をやりましょう。テレビで放映された映像を借りて、自立生活を考える上映会もやりたいですね。かずやさんと一緒に月一回くらいの定期的な地域清掃も考えています。みんなでホウキ持って集まり、道路や公園を掃除するのです。とにかくかずやさんと一緒にやる、というところがミソです。地域の人たちはわいわい人が集まって何を始めるのかって見ています。定期的に掃除をやっていれば、道路も公園も綺麗になります。それを見て、そのうち「私も手伝いますよ」っていう人も多分出てきます。そうやって時間をかけて地域社会をかずやさんと一緒に耕していくのです。

 仲間たちでいろいろおもしろい企画を立てましょう。これからどんな風に展開するのか、すごく楽しみです。一矢さんを支えるつもりが、なんだか一矢さんに支えられてるみたいです。

 

これから展開する友達大作戦はこちら

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

自分たちで居場所を作る

 ぷかぷかはほぼ定員が埋まっていて、新しい人を受け入れることはなかなかむつかしい状況です。そんな中で、じゃあ自分たちでぷかぷかみたいな居心地のいいところを自分の街に作ろう、と動き出した人たちがいます。

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ぷかぷかさんと出会い、一緒に過ごすとなんだかホッとできる。それはぷかぷかさんがありのままに生きているから。だから私たちはぷかぷかに行きたくなる。
そんなぷかぷかみたいな場所があちこちにできたらどんなにステキなんだろう✨
それがぷかぷか作り隊の未来図です。
そのぷかぷか作り隊が公開ミーティングをします。
あーでもないこーでもない、でもこうだったらどうなのよ。そんなたわいもない話から私たちはゆっくりですが一歩一歩歩んでいます。まだまだ歩き出したばかりのひよっこですが、発信することで、たくさんの人と繋がり、私たち自身が学んでいきたいと思っています。
ぷかぷかさんと出会った人もまだ出会っていない人も
ぷかぷか作り隊になったつもりで、参加してみてください!

note.com

 そしていよいよイベントです。

note.com    

 

 北九州でぷかぷかの映画を上映した時も、「いい映画だね」「いいところだね」で終わらず、「だったら北九州にもぷかぷかみたいなところを作ろうよ」と言い出した人がいて、「そうだそうだ」と手を上げる人が何人もいて、実際に動き始め、NHKが取材に行ったこともあります。

   こういうのは、やっぱり自分のところにも居心地のいいところを作ろう、と自ら動き出すのが一番。もちろんやっていく中でいろいろ大変なことはあります。でもその大変なことこそ自分を磨き、成長させます。

 自分で動き出すと、今まで見えなかったことも見えてきます。今までおつきあいのなかった人たちとの素敵な出会いもあります。自分の世界が大きく広がります。

 その時々のいろんな気づきをブログに書いて発信しましょう。書くことで自分の考えていること、気づいたことが整理できます。新しい方向性が見えてきます。更に前に進むことができます。ぷかぷかはブログを書くことで前に進んできました。

 発信することで、新しい出会いが生まれます。Facebookにリンクさせれば、たくさんの人が見てくれます。共感する人が出てきます。九州や北海道からも反応があります。

 おつきあいの幅がグ〜ンと広がって、人生が楽しくなります。ぷかぷかみたいな居心地のいいところを自分の住んでる街にも作ろう、と動き始めたら、人生が楽しくなるのです。

 これはもう動き出さなきゃソン!です。絶対に。

 

 既存の施設に頼るのではなく、自分たちで理想とする場所を作るのです。ぜひ「ぷかぷか作り隊」のFacebook覗いてみて下さい。きっとヒントが得られます。ぷかぷかも相談に乗りますよ。連絡下さい。

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一人一人の個性が大切にされない同調化社会をぷかぷかさん達が救っている

岩倉政城さんのFacebookにこんな話がありました。
 
口のにおい消しのために人生を棒に振る
在職中、口臭外来を立ち上げた。成分分析機器のガスクロマトグラフィが扱えたから。みるみる外来の4割が口臭患者で埋まった。来る人来る人、口の中の気体成分を測りつづけた。記録計の針の動きを一緒にのぞき込みながら「悪臭ピーク出ませんよ」と告げると、患者は小躍りして帰って行った。
ところが、その患者の一部が戻って来たのです。 「やっぱ、あるんです。バスに乗ったらみんなこっち向いて鼻に手やるんです」。「絶対にあります。店番してたら客がドア開けた途端鼻おさえて帰ってしまいました」。
それでは、と、口のガスを測ってみる。「・・でませんね」。「でませんか。・・・先生のところに来ると安心で口臭が出ないんですかねぇ・・・」。
持参のバッグの中を見せてもらうと口臭抑制グッズが何種類も出てきた。
口臭患者の多くは鏡のような口で、一日の2時間を歯みがきにかける人も。
診断を“幻臭症”とすることは容易。だが、自分がどう生きるかより、“人様”からどう観られているかにばかり気が取られ、自分を生きることをやめ、仕事をやめ、あるいはひきこもる。
自己を主張せず、忖度に沈み、同調化社会がもたらす過度の緊張を生きている。
治療では同じ悩みを持つ人同士が集まるピアカウンセリングなどで対応はしてきた。
でも、一人一人の個性が大切にされない社会が口臭患者を生みだしていることを忘れてはならない。

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 障がいのある人たちが社会に合わせることを強いられている問題と同じだと思いました。「障がいのある人たちは社会に合わせないとやっていけない」と言われ、親子で大変な努力を強いられています。自分がどう生きるかより、社会が求めることを優先しているのです。
 そのことがおかしいと気づいたのはぷかぷかをはじめる時です。今まで何度も書いていますが、私自身「社会に合わせないとやっていけない」と思い、ぷかぷかをはじめる時、接客の仕方くらいは知っておこう、と講師を呼んで接客の講習会をぷかぷかさんとスタッフでやりました。
 「接客マニュアル」というのがあって、その通りにやればいいんですよといわれ、話を聞いた段階では、そうか、この通りにやればもう完璧!なんて思いました。ところが実際にぷかぷかさんがやってみると、なんだか気色悪いのです。がんばってがんばって接客マニュアルに合わせようとすればするほど痛々しいというか、もう見てられない気がしました。
 接客マニュアルに合わせる、というのは自分を押し殺すことです。ぷかぷかは、養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ってはじめました。その彼らが自分を押し殺す姿を見て、もう耐えられない気がしました。
 気色悪い!という直感で、ああ、これはもうやってられない、と接客マニュアルはやめ、彼らのそのままでやっていこうと決めました。
 結果どうなったか。
「何だ、このお店は接客の仕方も知らないのか」
とお客さんは帰ってしまうのではないかと心配しましたが、帰るどころか、
「ぷかぷかさんが好き!」
というファンが現れたのです。全く想定外の展開でした。
 彼らのそのままが一番魅力的であることを、お客さん自身が見抜いたのです。その後ファンが増え続け、そのファンの人たちがぷかぷかを支えてくれています。
 
 何かにつけ社会から排除されることの多い障がいのある人たちです。でも、その彼らをファンの人たちは「ぷかぷかさんが好き!」と支えてくれているのです。
 障がいのある人たちは社会に合わせなきゃやっていけない、といってきた社会を、ぷかぷかさん達が、ほんの少しですが、変えたのです。これは大変な出来事だと思います。
 一人一人の個性が大切にされない同調化社会をぷかぷかさん達が救っているのです。彼らとおつきあいすることで、私たちが救われているのです。

30年前よりも時代は前へ進んだのだろうか

『街角のパフォーマンス』の電子本が近々アマゾン、その他電子本サイトにアップされます。

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 で、その校正原稿が上がってきました。ほとんど原本のままなのですが、修正、加筆OKとのことなので、何を書こうかと考えています。

 基本はあの時代(30年前)よりも時代は前へ進んだのか、ということになります。目次の第5章に「いろんな人と出会える場があれば」と題して、新聞投稿「身体障害児の乱暴」の波紋を書いています。

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  電車の中で障がいのある生徒に赤ん坊の髪の毛を引っ張られ、そういう人をひとりで電車に乗せないで欲しいという投書が朝日新聞に載りました。私が勤務していた養護学校の生徒達も電車で通学している人がたくさんいましたので、学校として何らかのメッセージを出す必要があるのではないか、と職員会議で提案したのですが、反応はさっぱりでした。学校らしく指導を強化しようという声がかなりありましたが、そういう問題ではないだろうと思いました。

 こういう社会的な問題に対してきちんと向き合おうとしない、というか、学校というところは、そういうものがわからない人がほとんどでした。そんな中で、とにかく関心を持つ地域の人たちを集め、何度も話し合いをやった結果をこの本には載せているのですが、その時に問題になった社会的な問題、つまりは障がいのある人たちの社会からの排除という問題は、30年後の今、ほとんど解決できていません。

 やまゆり園事件がありました。「障害者はいない方がいい」と19名もの人が殺されました。障がいのある人たちのためのグループホームを建てようとすると、多くの場所で建設反対運動が起こります。「自分の住む場所には、障害者はいない方がいい」とやまゆり園事件の犯人と同じことを主張しています。出生前診断などを取り上げた『ルポ「命の選別」』では優生社会がどんどん広がっている現状をリアルに伝えています。

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 こういったことを考えると、30年たって、時代は前に進むどころか、更に悪くなっているのではないかと思います。

 そんな中で私たちはどうしたらいいのか。問題が大きすぎて頭がクラクラしそうですが、優生思想云々の大きな話ではなく、自分の手の届く範囲で、できることをコツコツやっていくことは、その気になれば誰にでもできることです。

 ぷかぷかの周りには「ぷかぷかさんが好き!」というファンがたくさんできました。ぷかぷかさん、つまりは障がいのある人たちが好き!なんていう人たちが増えるなんて画期的なことです。

 ぷかぷかが何かすごいことやったわけではありません。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトク!」としつこく言い続けてきただけです。言い続けただけでなく、そう思える中身を作ってきました。

 障がいのある人たちを社会に合わせるのではなく、「そのままでいいじゃん」と、彼らのそのままを差し出してきました。そのままの彼らが一番魅力的、ということをたくさんの人たちと共有できました。

 映画『Secret of Pukapuka』を見ると、「ぷかぷかさんが好き!」というファンが増えたヒミツが見えてきます。そのヒミツをあちこちで実践すれば、社会は変わっていきます。

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 このプロモーションビデオを見て、おもしろそうって思った方はぜひ仲間と上映会やってみて下さい。上映会をやり、みんなで話し合う場を持つこと、それが障がいのある人もない人もお互い暮らしやすい社会を作っていくことにつながります。上映についての問い合わせはぷかぷかのホームページからどうぞ。

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 ぷかぷかが作ってきた物語をまとめた『ぷかぷかな物語』には、「ぷかぷかさんが好き!」というファンを増やすコツがいっぱい書いてあります。ファンが増えると、周りの社会が変わります。

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 30年前よりも時代は前へ進んだのか。『街角のパフォーマンス』を読むと、あらためて考え込んでしまいます。

 あーだこーだ言っても社会は変わりません。とにかくやれることをやっていきましょう。

 今、私たちが動かないと、社会はもっとひどいことになります。子どもたちに私たちはどんな社会を残せるのだろう、と思うのです。

その人のあるがままを受け入れるというか、そういう発想を持てなかったなぁ、長い間

先日八王子で福祉フォーラムがありました。 

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 感想を読むと、たくさんの素晴らしい気づきがあったようです。その気づきをぜひ今後の活動に生かして欲しいと思います。

 こんな気づきがありました。

「○○をどうにかしなくっちゃ、そのためにはどうしたらいいんだろう…そんな風に考えていました。その人のあるがままを受け入れるというか、そういう発想を持てなかったなぁ、長い間。」

 これを書いた人は、ひょっとしたらこの気づきによって少し楽になったのかなと思いました。楽になったところで、ぜひ今までと違うおつきあいをしてみて下さい。多分、毎日が楽しくなります。お互いにとって「いい一日」が作り出せます。

 

 「○○をどうにかしなくっちゃ」。この「支援」という、どこか不自由な関係。そこから、お互いが自由になること。『Secret of Pukapuka』のSecret(ヒミツ)は、まさにそこにあります。だから映画の中で、みんなが生き生きと活動できているのです。

 何よりも、ここから新しい文化が生まれます。障がいのある人たちを排除しない文化です。障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく暮らせる文化です。

 

 やまゆり園事件は重い事件だっただけに、みんなそれについて語ることを躊躇してしまいます。でも、映画の中で大家さん(めがねの女性。毎日のように小さな子どもを連れてぷかぷかにクリームパンを買いに来ていたお客さん)がいっていましたが

「バスの中で知ってるぷかぷかさんがいればあいさつします。それだけでバスの中の雰囲気が変わります。それが事件に対して私ができることかな」

 やまゆり園事件を超える社会は、こんな小さなことから始まるのだと思います。クリームパンを買いに来ていただけのお客さんが、ぷかぷかさん達とのおつきあいの中で、やまゆり園事件について語るまでに成長したこと。ぷかぷかさん達が社会を耕し、豊かにしている、というのはこういうことです。

 

 フォーラムが終わってから近くであった八王子生活館の織物展を見に行きました。素晴らしい作品が並んでいました。こんな作品に出会った人は、やまゆり園事件の犯人が言った

「障害者はいない方がいい」

などとは絶対にいいません。

「こんな作品を作る人は社会にいて欲しい」「あなたが必要」

って思います。

 こういう素晴らしい作品をどんどん社会に出していくこと、それが事件を超えるために私たちができることだと思います。

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 こんな作品は社会を豊かにします。個別支援計画は、その豊かさを追い切れているだろうか。

 感想の中にこんなのがありました。

「“言葉”にすることで、そこで止まっちゃう、見えなくなっちゃう怖さがあるなと思いました。言葉にできない空気とかたくさんあるのに。」

 核心を突いています。

 

 

映画の感想

●なぜか涙が出てしまいました。なぜ涙が出るのか、わからないのですが。

●セノーさん、良いなぁ…

●毎日の暮らしの様子が伝わってきました。シークレットがじわじわ広がりますように…

●パンが焼き上がるおいしそうな匂いがしてくるような映像でした。みなさん、生き生きされてましたね。

●とても楽しそうにしていてよかった。スタッフ、地域の人、利用者さんの会話を見て、対等語(ため口)を使用しているのが好印象だった。制度上は必ず敬語を使わなくてはいけない、君、ちゃん付けも禁止といわれているが、私個人は、そのような堅い雰囲気は好きではないので、とてもよかった。 呼称、話し方などの制度に従うのは、利用者さん達に本当によいことなのか。

●ひとりひとりが生き生きと楽しそうにしている姿に元気をもらいました。

●郵便局の方とのやりとりの場面はとてもほっこりしました。街の人たちが「あ、今日は調子よさそう」「あ、今日はブルーなんだ」そういった気づきがあって、その時にどう声をかけたらいいのか。支援員を通さずに関わることで、もっと楽しい部分の知的障害のある方に出会えると思うので、本当に素晴らしいと思いました。

●障害を持つ方と普通に出会う場が今の社会に少ないことを改めて感じました。ぷかぷかはパン屋に行ったらぷかぷかさんと出会う。シンプルなところですごくよいと思いました。

●胸の中に暗いおもりがありました。でも、心が明るくなった。

●ぷかぷかのみなさんが楽しそうに働き、過ごされているところがよかった。「ぷかぷかさんが街を歩くことが、この街を耕している」という高崎さんの言葉が印象に残りました。

●コロネ食べたくなりました。「むっつり大王」と「ぷかぷかさん」なるほど。

●ぷかぷかさんとおつきあいがあるおかげで、バスの中で彼らと会ってもあいさつができる。あいさつすれば、障がいのある人がいることで生まれるバスの中の緊張感がほぐれる…という女性のお話。障がいのある方と楽しいおつきあいをした経験があれば、そんな時間が生まれ、障害のある方とおつきあいのない方も何かが少し変わる。ささいなことだけど、こんなことなら少しずつできそうな気がする。障がいのある人たちもどんどん外に出て、その人達の素敵なところ、ほっとできる空気を感じてもらえる機会を作れたらと思った。

● ○○をどうにかしなくっちゃ、そのためにはどうしたらいいんだろう…そんな風に考えていました。その人のあるがままを受け入れるというか、そういう発想を持てなかったなぁ、長い間。

●ぷかぷかに憧れています。八障連で研修ツアーをやって下さい。

●第一に障がい者の個性、楽しさ、自然さが特に感動した。 確かに個性の強さがあり、初めての時は戸惑いがあるかと思う。 劇を見て、障がいがある人の劇とは感じなかった。

●みんながとても生き生きしていて、自分がボランティアをしていた時や、バイト先にいた障がいの人と過ごした日々を思い出しました。忘れた歌詞を教えてくれたり、移動中に新幹線を見ながら盛り上がったり、また一緒に過ごす日が来たらいいなと思いました。 空気を読まず、いつもどおりのぷかぷかさんはとても素敵でした。

●主人公は地域の人びとだなーと思いました。ぷかぷかさんのことを面白がる余裕はどこへ行った?

 

トークセッションの感想

●“賃労働”から入った人も、利用者さんと接するうちに“仕事”になっていくと思います!私がそうだったなと思います。  職員が利用者さんのヘルパーとしてそばにいることで、街に出ても、利用者さんが街の人と直に接する機会を奪っているのはジレンマです。ひとりで出かけてもらった方が、素敵な体験をしてくるかもな〜!!

●アセスメントシートとか、個別支援計画とかありますが、“言葉にしないこと”の大切さを感じました。“言葉”にすることで、そこで止まっちゃう、見えなくなっちゃう怖さがあるなと思いました。言葉にできない空気とかたくさんあるのに。

●「いい一日を作る」先を思う必要がなく、これから「いい一日を作る」の生活をしていこう。

●拝見させていただいたウェブサイトもとても力を入れられている様子、そしてしんぶんをポスティングするなど、発信に力を入れていること、素晴らしいことだと思いました。 そういったところまで気を使える“余白”“余裕”のようなものもあるのだと思いました。

●とてもよかったです。障害者に興味ない、知らない、怖い、と思っている人にこそ、見てもらいたいですね。 “普通”というものに近づけるように支援されているのが当たり前の現実。私も違和感を持ちながら、そう育ててきたかも知れません。その違和感が、ぷかぷかさんを見てわかりました。ありがとうございます。

●個別支援計画の目標を「いい一日を作る」の一点にしているのがとても印象的だった。 仕事と賃労働の違いについても考えさせられました。ボランティアをしてまで彼らと関わろうとは思ったことがないので、賃労働として働いていたのかと思いました。

●支援者、支援される立場について「逆になる」という言葉が印象的でした。

●いろいろ勉強になりました。障害のある方を見る目が変わりそうです。

●「ぷかぷかさんが社会を耕している」「私たちが彼らに支援されている」「彼らのこと、楽しいと受け止められるか」「支援という言葉は、“する側”と“される側”に固定してしまう」という言葉が印象に残った。

●久しぶりにスクリーンで映画を見て、トークショーで刺激を受けました。

●毎日好きなことができるといいです。たとえば「あいさつ」「おいしいと思う」ときどき「海に浮かぶ」とか。

●司会の鈴木さんのお話がとても聞きやすく、心地よかったです。リラックスした様子の盲導犬見られてよかったです。

●賃労働とLife Work/わけていいのでしょうか?その二つが重なるのが福祉の仕事だと思っています。やり過ぎてもだめ、やらなすぎてもだめ。むつかしいですねー

●昔はもっと自由だった…いろいろできた。福祉は後退したと思いますか?希望はありますか?

●自由な時代を知っている人と、新しい制度のある時代の人と物語が共有できていない。新しい物語が必要ですね。

●私は中途失聴者です。多少なりとも社会に出て耕しているかも? 今日は文字を追っていたので、映像を見逃したのもあり、またメモっていると字幕がなくなってお話が虫食い状態になることも…でも、参加できてよかったです!

●少し長く感じました。

●視覚障害の女性のおっしゃっていましたが、買い物などをする時はお店の方と話をして、自分がわかりやすいように並べてもらったりすれば、同じ障害を持った方が来た時に困らなくて済む。お店の方とのそういうコミュニケーションがとても大事。そんな思いで街に出ている。 というお話がよかった。こういうことが街の人たちを少しずつ変えていくのだと思う。

●私も気がつくと同じ事業所に30年関わっています。友人の紹介で障害のある方の織りのサポートの仕事をしています。彼らの織りのおもしろさは私にはまねもできません。胸がときめくほどの作品を彼らは作ります。織り上がるたびに「いいね」「すごいね!」と思い、たくさんの人に見てもらいたいと思いながら30年やってきました。  今日は個別支援計画の打ち合わせをしてきたのですが、今日の話を聞いて、元々じぶんがやりたかった、彼らの魅力を伝える事に専心していこうと思いました。

●この人たちとつきあうと得ですよのアピールがもっとあってもよかった。 賃労働と仕事、わかりますが、ちょっとおもしろくない。

●福祉関係の経営としては、お金が必要であるが、長く続けるにはお互いの心をわかり合う気持ちが大切。

●本音で話し合うことと、建前(支援や制度)のようなものの間でモヤモヤすることがあったので、少し心が晴れたような、またもやっとするような…

●ベビーカーを使うようになって、障害のある方の苦労が少しだけわかるようになりなした。ガタガタ道、電車、エレベーターを譲ってもらえない。私は一時ですが、このストレスを一生背負うのかと思い、子育て支援と障害者支援を一緒に考えると、ママ達の意識が変わるかなと思いました。

●我が子は発達のでこぼこちゃんやダウン症の子どもも一緒に保育されています。子どもたちは普通に仲間として受け入れています。そんな姿を見ていると、親子で障がいの人たちと関われる場があったらいいなと思いました。 

笑顔と豊かな生活を取り戻して欲しい

 毎日新聞「やまゆり園事件は終わったか〜福祉を問う」のシリーズです。裁判が終わって1年たち、もう事件そのものが終わってしまったような雰囲気の中で、なおも事件を問い続ける貴重な記事です。

mainichi.jp

 事件で重傷を負った尾野一矢さんが毎週陶芸をやりにぷかぷかに来ています。湯飲み、お皿、花瓶、植木鉢などを作っているのですが、ものを作るって楽しい!っていう感じがなかなか見えません。人生楽しんでないというか、なんかもったいないです。「やめとく〜」を連発し、何もやらない時もあります。

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 お父さんの話だと、やまゆり園に入る前にいた七沢では陶芸やったり、絵を描いたりしていたそうですが、やまゆり園に入ってから、そういうものを全くやらなくなってしまった、とおっしゃってました。日々、クリエイティブな活動がなければ、人の心も萎えてくるのだと思います。

 毎日新聞の記事の中に、やはり子どもをやまゆり園に預けていた平野さんの話が載っていました。

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 昼間、リビングにただ座っている入所者の姿を見て「くつろいでいるようにも見えるが、放置されているともいえる」と感じた。

 「能動的に何かをする機会がないまま過ごすうちに無気力になり、体力も失われていく。しかし、これを園では『皆さん穏やかに過ごしている』と言うのです」と泰史さん。

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 こういう環境にいると、人生を楽しむっていうのか、そういう感覚をだんだん忘れてしまう感じがします。やまゆり園は、事件のはるか前から、人が生きる上で一番大事な感覚をだめにしていたのではないかと思います。

 一矢さんの陶芸教室は、一矢さんが忘れてしまったそういう感覚を、作品を作りながら少しでも取り戻して欲しいな、という思いもあります。

 

 新聞記事の最後にこんな言葉がありました。

「…単調な入所施設の生活では、入所者の経験や元々あったパワーはそぎ落とされてしまいがちです。そうした施設は、生存は支えるが生活は支えない。生かさず殺さず、でも笑顔も豊かな生活もない。ただ、これは津久井やまゆり園だけでなく、すべての入所施設の問題です。本来問われるべきは、入所者の日々の生活の質なのです」

 一矢さん、自立生活をすることで、奪われた笑顔と豊かな生活を取り戻して欲しいと思います。陶芸教室で作った焼き物は、ささやかですが自立生活に彩りを添えます。ここから豊かな生活が始まります。

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