ぷかぷか日記

友達大作戦は、夢みたいな話を実現するプロジェクト

「かずやしんぶん」の話です。          

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 「かずやしんぶん」は地域社会を耕すしんぶんです。かずやさんの自立生活が、施設を出てアパートで暮らす、といったことだけにとどまるのではなく、地域社会を耕す、といったことにまで広がるといいなと思っています。重度障がいのかずやさんが地域で暮らすことが、そのまま地域社会を変えることになる、というわけです。そのためには地域の人たちと様々な関わりを持つ、様々なメッセージを発信する、そういったことが大事です。「かずやしんぶん」はそんな活動の一つです。

 ぷかぷかは、障がいのある人たちがお店で働いている、というだけでなく、地域社会を柔らかく耕してきました。ぷかぷかは創設以来地域社会とのいろんな関係を積極的に作ってきました。ぷかぷかさんたちとの楽しいおつきあいの中で、「ぷかぷかさんが好き!」というファンがたくさん現れ、地域社会が明らかに変わってきました。障がいのある人たちを排除してしまうことの多い社会全体の雰囲気を考えれば、彼らのことが好き!という人たちが現れたことは画期的です。

 障がいのある人たちは、あれができないこれができない人たちではなく、「彼らは地域社会を耕し、地域社会を豊かにする存在」というふうにぷかぷかはいいます。それは彼らのおかげで地域社会が変わってきたという実感から出てきた言葉です。

 彼らが地域にいるというのは、そのことで地域社会が変わることだと思います。そういったことがかずやさんの場合もできないだろうか、と思うのです。「重度障がいの人が地域で暮らすと地域社会が変わってくる」なんて素敵じゃないですか。

 夢みたいな話です。友達大作戦は、その夢みたいな話を実現するプロジェクトです。「かずやしんぶん」は、その実現のための一つの重要なツールです。

 出発点は、かずやさんの大声に対する苦情にどう向き合っていくのか、というところでしたが、プロジェクトを進めているうちに、これは重度障がいの人が地域で暮らすことの意味を深く問い直すことにつながることに気がつきました。

 

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 第1号では、かずやさんがどういう人か、どうしてここで暮らしているのか、といったことを書いています。いってみれば自己紹介号です。かずやさんの家の周りにあいさつ方々配布します。一回で終わるのではなく、ぷかぷかしんぶんのように定期的に発行し、かずやさんの自立生活がリアルタイムで伝わるようにしましょう。あなたの近所にこんな人が暮らしていますよ、というメッセージです。今週はこんなおもしろいことがありました、こんな料理が気にいりました、こんなおもしろい人が訪ねてきました、今度お茶会やります、餅つきやります、といった楽しい話をたくさん載せていきましょう。

 かずやさんの自立生活を伝えるホームページも立ち上げましょう。かずやしんぶんよりもはるかに詳しくかずやさんの自立生活を伝えます。写真をとって、こんなことがありました、あんなことがありました、と日々の出来事をどんどんアップしていきます。それを見るだけでかずやさんの自立生活がリアルに伝わります。

 

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 若い介護スタッフの人たちには日々の思い、気づきをホームページのブログに書いて欲しいなと思っています。かずやさんを介護することで、日々どんなことを感じているのか、どんな気づきがあったのかを書いて欲しいのです。大変なことも多いと思うのですが、それでも日々かずやさんと接していれば、大変さを超えて、楽しいこと、笑っちゃうこともたくさんあると思います。何よりも人が生きる上で教えられるものもたくさんあるのではないでしょうか。そんなことを飾ることなく、気軽に書いて欲しいと思うのです。すぐ忘れてしまうような気づきを書いて残しておくと、それは自分の財産になります。

 社会の多くの人は、重度障がいの人たちのことを知りません。どんな生活をしているのかほとんど知りません。彼らの生活を介護するなんて大変だろうな、というイメージだと思います。そんな人たちに向けて、今日こんなことで笑っちゃいました、こんな楽しいことがありました、といったメッセージは、彼らを見る社会の目を確実に変えていきます。

 メッセージを読むのがだんだん楽しくなって、ひょっとしたら「あ、私もやってみようかな」って思う人が出てくるかも知れません。かずやさんでおもしろい!っていうファンが現れるかも知れません。「かずやさんみたいな人、地域にはいた方がいいね」って思う人が少しずつ増えてくるかも知れません。地域社会を耕す、というのはそういうことです。

 「障害者はいない方がいい」というメッセージを発信したやまゆり園事件は、こうやって地域の人たちと一緒に乗り越えていけます。

 友達大作戦、これからおもしろくなります。

 

 友達大作戦開始のキーポイントになるアイテムができ上がりました。

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  近々大声で迷惑かけている方のところへ、「かずやしんぶん」とこのアイテムを持ってあいさつに行く予定です。もちろんかずやさんも一緒です。かずやさん、その時にまた大声出さないとも限らないので、まさにハラハラしながらの友達大作戦です。

 

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 7月31日(土)桜木町駅前の横浜市健康福祉センターホールで「あなたととなりのかずやさん」をテーマに上映会とトークイベントをやります。社会にはいろんな人がいた方が楽しいねって思えるような映画と、そういったことを話し合うトークイベント。トークイベントでは友達大作戦の経過報告もします。友達大作戦、こんなこともやるとおもしろいよ、といったアイデアも募集します。かずやクッキーも販売します。

来なきゃソン!

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障害者雇用は、なんのため?

先日の朝日の記事

digital.asahi.com

知人から

 記事の中の

【成果は出ている。昨年、コラボセに仕事を引き受けてもらってグループ企業が生み出せた時間は計3・6万時間。コラボセ発足1年目から2・4倍に増えた。今やグループ24社の仕事を引き受け、「おかげで売り上げが達成できた」と言われることもある。】

のところ、

「結局、生産性かよ、と思ってしまいました。」

とメールがありました。そうです、そういうことで評価されたのでは、何のために障害者を雇用したのかわからなくなります。

 何のために障害者を雇用するのか、そこを考えてみたいと思います。

 

 障害者雇用は障害者のためにあるというのが一般的なイメージですが、私はむしろ会社のためにあるように思っています。だって、彼らが会社に入れば会社は絶対に楽しくなります。心あたたまる気づきがいっぱいあります。もちろん、効率が落ちたり、指示がうまく伝わらなかったりはあります。じゃあどうすればいいのかをみんなで必死になって考えること、それが大事です。それが新しい気づきを生み、新しい価値を生みます。今までなかったことを必死になって考える、それが職場を豊かにします。

 生産性が低いといわれる人たちがいることで、「生産性の論理」について深く考えることになります。生産性の論理では説明できない新しい価値に気づく機会になります。

 以前「生産性のない人が社会に必要な理由」と題した日記を書きました。

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生産性のない人は社会に必要なのです。生産性こそ大事と考えている会社にも。私たちが人であることを回復するために。

 

 先ほどの引用した記事のあと、こんなことが書いてあります。

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数字以上の手応えが、一般社員たちからの反応だ。

 「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった」。連携した部署から、たくさんの「気づき」の反響がある。

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 数字以上の手応えこそが、新しい価値です。その気づきこそをもっともっと膨らませて欲しいと思うのです。

  「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」

 私が教員をやっていた頃担任していた生徒が、卒業後就職した会社で同じような言葉をもらっていました。元気のいいあいさつをする人はぷかぷかにもいます。こういう人は職場を気持ちのいいものにします。

 心が洗われるほどの元気のいいあいさつ。このあいさつが生み出す価値は、生産性の論理では計れません。そういうものを大事にすることが会社を豊かにします。

 

 こんな人たちとはいっしょに生きていった方がトク!

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あなたととなりのかずやさん

先日の一矢さん、

「うるさくしないの」

と何度も大声を出しながら、コーヒーカップ作りました。

  集中する目がすばらしくいいです。一矢さん、一生懸命です。

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  介護する人と一矢さんのすばらしい連係プレー

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かずやクッキーができました。ぷかぷか焼き菓子工房が焼きました。文字と絵はぷかぷかさん。

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 似顔絵の下に

「いつも大声出してごめんなさい」

みたいな吹き出しを入れる予定です。文字は一矢さんが書きます。わんどに置いてあった書道の道具一式を持ち帰りました。

 

 一矢さんの大声に対し、先日一矢さんの部屋に直接苦情が来たそうです。介護者派遣事務所の苦情の窓口に電話するだけでは何の解決にもならないので、直接文句を言いに来たようです。介護の人はひたすら謝るばかりだったようです。

 一矢さんは「静かにして下さい」といっても聞いてくれる人ではないので、苦情を言いに来た人を前に、本当に困ってしまったと思います。

 一矢さんはいつも「うるさくしないの」といわれるせいか、余計に「うるさくしないの」と大声で言ってしまうようです。先日の陶芸教室ではずっとその大声が出ていました。いつまた苦情が来るかわからないので連休明けに「友達大作戦」開始します。

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 花の植わった植木鉢、コーヒーカップ、かずやクッキー、かずやしんぶんを持って、かずやさんと一緒に苦情の出ている家に行ってきます。まずは謝ること、向こうの言い分を謙虚に聞くこと、一矢さんのことを丁寧に説明すること、ご迷惑おかけして申し訳ないのですが、声の大きいご近所さんとしておつきあいしてもらえたらうれしい、といったことなどを話してくる予定です。

 結果、どうなるかは今のところ全くわかりません。

 これからも続く一矢さんの大声に

「ったくしょーがねーなー」

と聞き流してくれるようになるのか

「うるさい!」

とまた怒ってしまうか。

 

 苦情にきちんと向き合うこと。ここからしか未来は始まりません。

 ここからどういう物語が生まれるのか。未来に希望が感じられるようなものが生まれるなら、一矢さんの自立生活は社会的にものすごく意味のあるものになります。これこそが重度障がい者が地域に暮らすことの意味だと思います。

 彼らの自立生活が社会を耕すことになるなんて、今まで考えたことがありませんでした。一矢さんの苦情にどう向き合っていくのか考えているうちに気がついたことです。うまくすれば彼らとはいっしょに生きていった方がいいね、って思う人が地域の中で少しずつ増えていくかも知れません。やまゆり園事件を超える社会がここから始まります。

 

 7月31日(土)桜木町駅前の横浜市健康福祉センターホールで「2021年ぷかぷか上映会」をやります。午後「あなたととなりのかずやさん」というタイトルでトークイベントをやります。

【たとえば人よりも目立ちやすい側面があったとしても、人と自分は全く違うわけではないし、全く同じわけでもありません。すごく当たり前のことです。   なのに社会の中にいると簡単に「違う」とか「同じ」とかくくってしまいそうになることが多くあります。 それに待った!をかけて、「私たち、ここが違って、ここが同じだね」なんて話がしたくなる作品でした。】(午前中に上映する『いろとりどりの親子』という映画のレビュー)

 一矢さんの自立生活を手がかりに、「私たち、ここが違って、ここが同じだね」なんて話ができたらいいな、と思っています。一矢さんの話は特別なものではありません。迷惑をかけたりかけられたりは、あなたの近所にもある話です。だからテーマは「あなたととなりのかずやさん」。

 津久井やまゆり園事件から5年目になります。異質なものを排除する社会はどこまで変わったのでしょうか?

 異質なものを排除する社会は、許容できる幅が狭まり、お互いが窮屈になります。違うものがたくさんある方が社会は豊かな広がりを持ちます。いろとりどりの人がいる方が、お互いの幅が広がって、人として豊かになります。なによりも社会が楽しくなります。

 そんな社会はどうやったらできるのでしょう。それはたとえば一矢さんの大声とどうやったら共存できるかを考えることだと思います。それはそのまま、障がいのある人たちを暴力的に排除したやまゆり園事件を超える社会を作ることだと思います。

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 今まで書いた一矢さんの物語はこちら

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元気の一番の元はなんといっても毎日会うぷかぷかさんたち

 ぷかぷかの代表をやっているタカサキは2021年4月30日、なんと72歳になりました。じーさんですが、毎朝スクワット100回やり、マンションの階段を10階まで180段を時間を計りながら駆け上がったりして(今朝は1分29秒でした)、至って元気です。

 元気の一番の元はなんといっても毎日会うぷかぷかさんたち。彼らに会うと、ただそれだけで元気が出ます。彼らを支えているのではなく、彼らに支えられています。彼らがいるからこんなに楽しい人生を送ることができています。彼らには感謝しかありません。

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 ぷかぷかを立ち上げて11年、彼らのおかげでたくさんの物語が生まれました。それを『ぷかぷかな物語』という本にまとめました。障がいのある人たちは、社会の重荷ではなく、社会を耕し、豊かにする存在であることがよくわかる本です。まだお読みでない方はぜひ!

shop.pukapuka.or.jp

 アマゾンでは電子書籍も販売中です。

 

 40年前、養護学校の教員になり、障がいのある子どもたちに出会ったことで、人生が10倍くらい楽しくなりました。彼らとはいっしょに生きていった方がトク!だとはっきり思いましたね。こんな素敵な人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、彼らと一緒に街に出かけ、いろんなことをやりました。それを『街角のパフォーマンス』という本にまとめたのですが、つい最近、その本が『とがった心が丸くなる』とタイトルを変えて電子書籍になりました。表紙の絵はぷかぷかさんです。

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 彼らと一緒に作った物語が、30年以上の月日を飛び越えて電子書籍出版社の代表の方の心を揺さぶったのが出版のきっかけでした。これは彼らがいることの意味であり、そのチカラです。あれができないこれができないとさげすまれてきた彼らの存在が、そういうチカラを持っているなんて、痛快じゃないですか。

 元の本のサブタイトルは「障がいのある子たちからの やさしい反撃」。この反撃に遭うと、私たちのとがった心が丸くなります。まさに彼らのやさしい反撃です。

『とがった心が丸くなる』電子本はアマゾンで発売中です。

www.amazon.co.jp

 

 ぷかぷかさんたちとはこれからもたくさんの物語を作っていきたいと思っています。とげとげした社会の心を丸くします。 

 

 そうそう、72歳の夢は、自転車担いで北海道の稚内まで行き、オホーツク海を見ながら網走まで3日くらいかけて走ることです。走行距離は330㌔。40歳の時は、パキスタンのインダス川源流地帯を700キロくらい走りました。あのコースに比べれば、全然楽で快適なコース。とはいえ、72歳。ほんまに走りきれるのかどうか。いや、だからこそ、これはチャレンジ。わくわくするのです。

みんなで楽しくピザ作り

みんなでピザ作りをしました。生地を作るところから始め、トッピングの材料を切ったり、スープ、クッキーを作り、発酵が終わった生地にみんなでトッピングしました。三カ所に分かれての作業だったので、写真が撮り切れていません。ごめんなさい。

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クッキーの型抜き作業

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ピザのトッピング

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 トッピングした生地をパン屋のオーブンに運びます。

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オーブンに入れます。

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焼くのに約30分。ちょっと休憩

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クッキー焼き上がり

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大ちゃんがスタッフと一緒に作ったシフォンケーキ

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ベリーをわけます、

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ピザが焼けました。

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デザートを作ります。

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さぁ、食うぞ!

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へこんでいる部分を、がんばって、『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか。

今朝の朝日新聞「障がいのある人もない人も 成長する仲間」と題した記事はとてもいい内容でした。

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 ダウン症の子どもを持つお母さんが、保育園や小学校でふつうの子どもたちと一緒に過ごすことで、本人だけでなく、周りの子どもたちにもいい影響を与えていることに気がつき、ちょうど障害者雇用に取り組み始めた自分の会社で、一緒に働いてみることを提案。その結果、会社がどんな風に変わったかを伝える記事でした。

 「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった。」など、現場社員の気づきは、その場面が目に浮かぶようです。

 メンバーさんが「うれしかったのは『ありがとう』『助かったよ』と言われることです」と1年を振り返って発表すると、目元を拭いながら聞き入る社員もいたそうで、すごくいい関係ができていたのだなと思いました。

 こんなふうに全体的にすごくいい記事だったのですが、最後のところで

「へこんでいる部分を『ふつう』にあわせることに必死になるよりも、飛び出ているところをもっと伸ばせばいい。そうして本人に自信がつけば、へこんでいる部分に対しても、がんばろうという気持ちになれる」

 と書いてあって、なんだかがっかりしました。

 へこんでいる部分を、がんばって、結局は『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか。へこんでいる部分があるからこそ、会社の中で今までにないいい関係ができ、素晴らしい気づきがあったのではないか。社員たちは彼らのへこんだ部分に救われたのではなかったか。へこんだ部分を『ふつう』にしてしまったら、彼らが会社の中で働く意味がなくなってしまうのではないか。

 

 ぷかぷかに来たお客さんたちがほっとした気持ちになったり、なんだか救われた気持ちになったりするのは、ぷかぷかさんたちがへこんだままで働いているからです。へこんだ部分こそ大事にしているからです。へこんだ部分こそが彼らの魅力です。そのままでいいよ、そのままのあなたが一番魅力的!

 そして何よりも、へこんだ部分を持ったぷかぷかさんたちが、社会を誰にとっても居心地のいいものに変えていっていること。これはすごく大きなことです。へこんだ彼らにしかできないことです。そのことをきちんと見ていきたいと思うのです。

何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。

2年ほど前、福岡で小さな講演会をやった時、特別支援学校で教員をやっている方が

「あの空気感に少しでも近づけるといいな、と特別支援学校にてますます思うこの頃です」

とブログに書いていました。

 「あの空気感」というのはぷかぷかさんたちが生み出す、ほっこりあたたかな空気感です。

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 特別支援学校にはすてきなぷかぷかさんたちがいっぱいいるのに、あの空気感が生まれないのは、なんかすごくもったいない気がします。

 学校というところは生徒たちを「指導」します。「指導」という関係しか頭に思い浮かばない、といった方がいいかもしれません。そういう上から目線の関係ではなく、そこから自由になって、フラットにつきあえば、もっといろんなおもしろいことができるのに、と思うのです。

 

 教員になって最初に受け持ったのは重度障がいの子どもたちでした。毎日がすごい大変でしたが、大変な中にあっても、彼らのそばにいるとふっと心和む時があって、いつしか彼らのそばにずっといたいなと思うようになりました。

 人間にとって大切なものは何か、ということを重度障がいの彼らに教わった気がしました。そんなことに気づいて以来、自分の方がえらいとは思えなくなったのです。だから彼らを「指導」するなんて、そんなえらそうなことはできなくなったのです。

 もちろんいろいろ教えることはありました。着替えの仕方を教えたり、うんこの拭き方を教えたり…。でもそれは目の前にいる人が知らないから、あるいはできないから教えてるだけで、これは人として当たり前のことです。街で困っている人に会った時、ちょっとお手伝いするのと同じです。こんなことは「指導」とはいいません。

 自分の方がえらいと思わなければ、相手との関係はフラットなものになり、お互い居心地がよくなります。周りの子どもたちとふつうにつきあう。ただそれだけです。「あの空気感」は、この居心地の良さから生まれます。何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。

 たとえばこんなこともできちゃうのです。

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 昔私が教員をやっていた頃の「芝居小屋」です。サングラスかけた怪しい男が私です。この雰囲気は「指導」という関係からは絶対に生まれません。 

 こんな自由な雰囲気から生まれた元気物語を集めたのが『とがった心が丸くなる』です。次回はその「芝居小屋」の話を書きます。

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世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。

30年前、養護学校の生徒たちと一緒に演劇ワークショップをやろうと思ったのは、1980年代初め、フリピンの人たちが持ち込んだ演劇ワークショップを経験したことがきっかけでした。みんなが自由になれるワークショップの場の雰囲気がすごくいいと思いました。養護学校の生徒たちと一緒に、そういう場に立てば、お互いがもっと自由になり、学校よりもはるかにすごいものが生まれるのではないか、と思ったのです。

 そして実際にそれが起こりました。

 

   自由になった場で、彼らは自分たちの思いを思いっきり表現しました。目次の第二章にその時のことを書き起こしています。(『街角のパフォーマンス』という本です。すでに絶版になっていますが、ぷかぷかにオンデマンド版があります。『とがった心が丸くなる』というタイトルで電子本になってアマゾンで販売しています。)

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 「 ようよう、この女のヤロウをどこかに、と、とじこめちゃおうぜ」

 ドキッとするような台詞が、リハーサルの最中に突然飛び出したことがありました。普段はおとなしいカタヒラ君が、女性二人の前に立ち塞がり、口から泡を飛ばすような勢いで、そんな台詞をしゃべり出したのです。打ち合わせではもちろんそんな台詞はありません。リハーサルの途中で、カタヒラ君の中で突然何かがはじけた感じでした。ふだん抑えつけている気持ちが、ワークショップという、いつもより自由になれる場で、ワァーッと吹き出したのだと思います。

 

 ワークショップの中でどんな芝居を作りたいか聞いた時、出てきたのは「たばこを吸うところ」「ゲームセンターであそぶところ」「彼女とデートするところ」「北斗の拳」など、ふだんできないことでした。それを芝居の中でやってみたい、と。いろいろ話をし、学園ものの芝居の中で、それらをやることになりました。

 で、「たばこを吸うところ」というのが下の写真。ゲームセンターであそび、たばこに火をつける時、「おい、火」と手下にいうと、手下は「はい」といっていきなりライターの火になって「シュッ」と燃え上がったのでした。これも打ち合わせでは全くなかったことで、いきなり手下がやったのでした。人が自由になる、というのはこういうことではないかとしみじみ思いました。

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 「彼女とデートをするところ」がやりたいといったシマ君、夢にまで見た公園でのデートシーン。手をつないで歩けばいいところを、恥ずかしくて手もつながず、ベンチの周りを縦に並んで二人で歩きます。緊張した面持ちで何度も何度も回ります。ようやく立ち止まってそばの柱にもたれかかります。恋人に背を向けたまま、照れくさくて柱をぎゅっとつかんでいます。そんなシマ君に恋人が話しかけます。

「あの…けんちゃんのこと…すきになっちゃったみたいなんだ…」

 シマ君は、そんな言葉をずっと待っていたはずなのに、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしていいかわからなくて、長い腕を「ズズッ」と伸ばしただけでした。でもシマ君の気持ちはもうそれだけで十分伝わり、お客さんは大笑い、拍手、拍手でした。

 

 学校生活の思い出を語る場面。

「いいダチができていろいろおもしろかったけど、センセーがサイテーだった」

という台詞に「ワァーッ」と喝采した彼ら。もうはじけんばかりのうれしそうな顔。そういう思いが持って行き場のないままずうっとたまっていたのではないかと思います。そういったものがいろんな形で爆発した芝居でした。 

 

 原文が彼らの表現について本質的なことを語っているので、少し長いですが引用します。

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 「精薄」だの「知恵遅れ」(★当時の表現です)だのいわれ続けてきた彼らである。彼らの中に渦巻くいろんな思いも、そういわれ続ける中で、ほとんどといっていいほど無視、あるいは黙殺されてきた。この子たちが、あるいはこいつらがそんなこと思うはずがない、いや、思ったにしても、そんな思いより彼らに作業能力を、生活能力をつける方が大事だといわれ続け、結果的には彼らの思いなどといったものは二の次であった。

 そういうものが大事だとしても、思いは思いとしてあるのが人間だろう。いや、それがあるから人間なのだといった方がいい。だからそれを無視されることは、彼らの人間性が無視されることでもあった。そのことがどれだけ大変なことであるか、無視する側は大抵気がつかない。

 それがついに爆発した。その爆発のエネルギーこそが、見る者の胸ぐらにぐいぐい迫ってくるような、あの勢いある芝居を創り出したのではなかったか。それは無視され続けながらも、なおも人間であろうとする彼らの熱い思いであっただろうし、それ故に、その思いを表現する彼らは、舞台の上でまぶしいほどに輝いた。

 芝居の最後に彼らが「涙のリクエスト」をのりにのって歌いまくった時、、その輝きの故に、多くの人が涙した。あの芝居でやったことは、それこそ彼らの「涙のリクエスト」だった。そのリクエストに私たちはどこまできちんと応えていけるだろう。

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 黒色テントの成沢富雄さんはこんな風に語る。

「表現」というのは、そのまま、今まで生きてきた自分の生活史や社会関係、世界に対して反撃するものだとぼくは思っている。「表現する」という行為は、今まで生きてきたことをいっさいチャラにできる瞬間を持っている。

 

 彼らの芝居はそういうものではなかったかと思う。彼らの輝きにふれ、深い感動を覚えたあの瞬間こそ、養護学校の彼らが、彼ら自身の「表現」によって、今まで生きてきた世界との関係性の一切をチャラにした瞬間ではなかったか。

 彼らの「表現」を前にした時、私たちの中にある「精薄」だの「知恵遅れ」だのといった言葉や、それらが規定していくお互いの関係性といったものは、ほとんど意味を失う。そしてそういった言葉が確固たる地位を持ち、その上に成り立っている今の社会・文化といったものまでが、その基盤のところで揺らいでしまうだろう。だから、彼らの「表現」は、あのワークショップの発表会の場を突き抜けて、外の世界をひっくり返してしまうようなラディカル〔根源的〕なものを本質的には含んでいたように思う。

 世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。

 

 「できる」「できない」で人間を決めつけていく今の序列社会にあって、彼らを底辺に追いやる一方で、かろうじてその位置を免れたと思っている私たち自身、決して楽しい、自由な人生を送っているわけではない。むしろお互いにきゅうきゅうとした、もう息苦しくてしょうがないような生き方をしてしまっているのが現状だ。

 そういう中にあって、彼らのあの「表現」に出会う時、今までの関係を彼らの側からチャラにされただけでなく、そのことでむしろ私たちの側が救われたのではなかったか。なぜなら、彼らの「表現」こそ、「できる」「できない」で人間を決めつけていく原理を遙かに超えるものであったからー。

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 自分で書いた文章ながら、彼らの表現と社会状況の結びつきをきっちり書いている気がします。あれから30年、学校も社会も彼らの思いを今、どれだけ受け止めているのでしょう。学校も社会も当時よりも更に息苦しくなっています。私たちだけではどうしようもない状況です。やっぱり彼らの助けを借りないと、この状況は変えられない気がします。「共生社会を作ろう」「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉がはやっていますが、社会は何も変わりません。言葉を言うだけ終わるのではなく、実際に彼らとその中身を具体的に創っていく。そこにしか希望はない気がします。『とがった心が丸くなる』には、その希望を創り出すヒントがたくさんあります。ぜひ読んでみてください。お互い、もっと生きやすい社会にするために。 

 

 グループ現代が1986年の演劇ワークショップの記録映画を作りました。ビデオの保管が悪くカビが生えてしまったのですが、富士フイルムに依頼してDVDの形で復活してもらいました。カビの影響で最初だけ映像が乱れていますが、あとは見られます。二巻目の22分頃から高校生グループのリハーサルシーンが始まります。最後「涙のリクエスト」を歌う最後の場面は何度見ても涙が出てきます。舞台に出ているチバ君も何度か目をこすりながら歌っています。

www.pukapuka.or.jp

 

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「共生」とは、言うものではなく、やるもの

 なにかにつけ「共生社会」という言葉が出てきますが、その具体的な中身になるとさっぱり見えません。それを口にすれば、何かいいことやってるイメージというか、ただ言葉をもてあそんでいるだけ。相模原市がオリンピック聖火をやまゆり園事件の現場で採取するなどといったとんでもない企画を出してきたのも、多分そのあたり。

 

 今朝の神奈川新聞成田さんのFB

【やまゆり園事件と五輪聖火52】共生とは、啓発するものでも願うものでもない。共生の方に向かってなされる日々の実践の中から立ち現れるものだと思う。打ち上げ花火のような一過性のパフォーマンスからは共生は生まれない。絶えることのない実践の中からしか生まれない。

 

 「共生」とは、言うものではなく、やるもの。ぷかぷかがやっているのは、まさにそれ。私が昔やっていた「あそぼう会」は30年も前にその実践をやっていました。

 『とがった心が丸くなる』にはその実践記録である元気物語が満載。

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 今ぷかぷかでやっている演劇ワークショップは、この本を書いた1985年に始めました。あれができないこれができない、とマイナス評価ばかりの養護学校の生徒たちでしたが、彼らと一緒にやれば、なんかとんでもなくおもしろいものが生まれるのではないか、という予感があったのです。

 予感は見事に当たりました。芝居を作る手がかりとして大きなぬいぐるみを模造紙と新聞紙で作ったことがあります。その時養護学校の生徒の一人が

「俺、海のぬいぐるみ、作るから」

といいました。

 え? 海のぬいぐるみ? 海の、どこを、どう切り取って海を作るの?と思いました。

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 こういうとんでもないことをさらっと思いつく彼らと一緒にやるから、楽しさが10倍くらいになり、でき上がる芝居の幅がぐんと広がります。楽しさと幅の広がりは、そのまま彼らといっしょに生きる意味を語っています。

 そんな中で彼らに向かって

「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」

としみじみ思うようになりました。

 「共生社会を作ろう」とか言葉遊びをするのではなく、

「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」

とリアルに思える関係を30年も前に作ったのです。

 

 下に貼り付けた当時の写真からはワークショップの場が作り出すエネルギーがビリビリ伝わって来ます。彼らと一緒に芝居を作ることで生まれた小さな「共生社会」が作り出すダイナミックなエネルギーです。

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 「共生社会」が何を作り出すのか、それをわかりやすく語る写真だと思います。

 

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