ぷかぷか日記

いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。

『ぷかぷかな物語』の素敵な感想が届きました。

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様々、障害者雇用や福祉に関する本を読みましたが、
1番共感した本でした。
 
私は障害者雇用に携わりたく、ある会社に入社いたしましたが、
色々考えているうちに、障害者雇用、障がい者支援、どれも何だかしっくりこなくて、結局いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。
 
自分はどのようにして障がいを持つ方たちと携わりたいのか、何をしたいのか、言語化するのが難しいなと思っていましたが、本ではなるほど!そういうことか!と納得する表現がたくさんあり、本当に共感しました。
 
ぷかぷかさんとは、一緒に生きていく方が豊かで、街を耕してくれる存在。
素敵すぎます。
私もぷかぷかさんのようにどんな人の魅力も引き出せるようなことができたらなあ、そして、知ろうとしてくれる人が増えたらなあ、そう思っています。
 
まだまだ自分の中での周りに対する偏見や、知らないことが多く、未熟だなあと感じる事ばかりですが、ぷかぷかさんに伺うことで一歩前に踏み出せたら良いなと思っています。
 
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 「いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。」という感覚が素晴らしいですね。こういう人こそが、障がいのある人たちと一緒に新しい未来を作っていくのだと思います。理屈ではなく、感覚的に「それはおかしい」と思うことが大切です。その感覚は障がいのある人たちとのフラットなおつきあいから生まれます。
 いろいろできないことがあっても、おつきあいしていると、なんかすごく楽しかったり、ほっこりあたたかい気持ちになったりしたのだと思います。だから「いつも彼らの上に立って指導したりサポートしたり」といったことに疑問を感じたのだと思います。すごく大事な気づきですね。
 
 昔養護学校の教員をやっていた頃、「指導」という言葉がどうもしっくりきませんでした。子どもたちは、いろんなことができなくても、そういったことを突き抜けてしまうような魅力を持っていました。そんな人たちにえらそうに「指導」するなんてことは恥ずかしくてできない気がしていました。彼らからは人間が生きる上で大切なことをたくさん教わりました。彼らと出会うことで、私は人生が変わったと思っています。人生がとても豊かになったと思っています。ですから、彼らより自分がえらいとはどうしても思えなかったのです。
 
 彼らのおかげで『街角のパフォーマンス』という本まで書くことができました。

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 彼らと出会い、こんな素敵な人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、学校の外に連れ出しました。たくさんの人に出会い、たくさんの素敵な物語が生まれました。社会を、お互いがもっと生きやすくなるように変えていくような物語です。それをまとめたのがこの本です。
 「ともに生きる」だの「共生社会」だのの言葉もまだなかった時代です。それでも養護学校の子どもたち、生徒たち、それに地域の人たちで小さな共生社会を実現させていたのです。
 
 たとえばこの写真。養護学校の生徒たちと地域の子ども、大人たちが一緒になって即興で人形劇を作った時のものです。

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 こんなことを街角でやっていたのです。小さな共生社会がここにはありました。

 この写真は35年ほど前に撮ったものです。「共に生きる社会」だの「共生社会」だの言われる今、この社会の中で、こんな場面がいったいどれくらいあるでしょうか。社会はどれくらい進化したのでしょうか?「ふれあいフェスティバル」だなんて、ちゃんと関係ができないことのごまかしだと思います。ふれあってるような関係からは、豊かなものは何も生まれません。上の、いっしょに人形劇を作っている写真、ふれあってるとはいいません。ふれあったくらいで、いっしょに人形劇なんか作れないのです。

 ここに集まっている人たちは演劇ワークショップを3年ほど一緒にやっていた仲間です。月一回集まり、みんなで芝居作りをやっていました。そういうクリエイティブな関係があって、街角の人形劇作りが成立しています。彼らといっしょに生きるということと、ふれあう、というのは全く違うのです。そういう関係をどこまで丁寧に作ってきたか、ということです。『街角のパフォーマンス』は、そんな関係をどんな風にして作ってきたかの記録です。

 

『ぷかぷかな物語』はぷかぷかサイトで販売中。著者サイン入りです。

shop.pukapuka.or.jp

 本を読んで、ああおもしろかったって思われた方は、ぜひアマゾンの販売サイトでカスタマーレビューを書いてください。よろしくお願いします。

 

『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版をぷかぷかのサイトで販売中。オンデマンド版なので少し高いですが、読む価値はあると思います。著者サイン入りです。
 
 
『街角のパフォーマンス』はタイトルを『とがった心が丸くなる』に変えて電子本がアマゾンで販売中。アマゾンのKindle会員であれば、なんと無料で読めます。ふつうに買っても900円で安いです。
 アマゾンのサイトで『とがった心が丸くなる』で検索してください。
 

 本を読まれて、ああおもしろかったって思われた方はぜひ『とがった心が丸くなる』のカスタマーレビューを書いてください。

社会にあわせたあなたではなく、そのままのあなたがいちばん魅力的、と私たちが思えるかどうか

『ぷかぷかな物語』は読まれましたでしょうか?アマゾンの販売サイトのカスタマーレビューにはこんなことが書かれています。

          

《 横浜市緑区霧ヶ丘にあるしょう害のある人たちが働いている「ぷかぷか」という面白いお店の誕生からの様々なドラマがとても読みやすく書かれているノンフィクション。よくある「福祉事業所」とは程遠い世界の成り立ちや世界観に引き込まれてしまいます。「しょう害があっても、社会に合わせるのではなくありのままの自分で働く」「しょう害の無い人も、しょう害のある人と一緒に生きていったほうが幸せ」それを伝えたい筆者でありぷかぷかの理事長の高崎さんの厚く深い人間愛に感動します。
この本に出逢い、いてもたっても居られなくなり、実際に「ぷかぷかさんのお店」にも行ってきました。本の通りの明るく楽しく元気なエリアで、とても幸せな時間を過ごせました。まるで天国のような所でした。》

 

 本を読んでいても立ってもいられなくなり、ぷかぷかのお店にやってきたという方。「とても幸せな時間を過ごせました」といいます。

 障がいのある人たちの働く場で、どうしてそんな気持ちになるのだろうと思います。障害者はなんとなくいや、怖い、近寄りたくない、と思う方がまだまだ多い社会にあって、「とても幸せな時間を過ごせました」という言葉が出てくるのはどうしてでしょうか。

 

 別の方はこんなことを書いています。

《 私も障害のある子どもを育てていますが、家族になってよかった。家族があたたかくなりました。ぷかぷかさんは社会をあたたかくします。耕します。そのことがこの本を読んでしっかりわかりました。》

 

 ぷかぷかさんたちは社会をあたたかくする存在なんだろうと思います。ぷかぷかのほっこりあたたかな雰囲気、ホッと一息つけるような雰囲気は、ぷかぷかさんたちが作り出したものです。私たちがああしなさい、こうしなさい、といってできたものではありません。彼らがありのままの彼らでいた時、自然にこんな雰囲気ができました。それが彼らのチカラなんだと思います。

 そのチカラがこんな素敵なぷかぷかを作り上げたのです。

 

 こんな場所をあちこちにつくるコツ、それは障がいのある人たちに向かって、社会にあわせたあなたではなく、そのままのあなたがいちばん魅力的、と私たちが思えるかどうかです。そんな風に素直に思えるようになった時、あちこちに素敵なぷかぷかが出現します。ぜひやってみて下さい。

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 『ぷかぷかな物語』には、そのコツが満載。まだお読みでない方はぜひ。

shop.pukapuka.or.jp

 

 アマゾンでも販売しています。『ぷかぷかな物語』で検索してください。

 すでに読まれた方はアマゾンの販売サイトでぜひカスタマーレビューを書き込んで下さい。

 

いや〜別によく働くなくてもいいよ

 この季節、長野のリンゴ農家佐藤さんからたくさんのおいしいリンゴが届きます。その佐藤さんには昔、養護学校の生徒を2週間ほど預かってもらったことがあります。佐藤さんちに泊まり込みでリンゴ農家の仕事を体験させてもらったのです。

 養護学校の生徒とのおつきあいの経験はありません。でも、私の学校での楽しそうな話を聞き(その頃毎年のように夏、北海道の子連れ旅の帰り、小樽から新潟までフェリーに乗り、その足で長野の佐藤さんちに一家で泊めてもらっていました)、じゃあ一度生徒を預かってみるか、ということになりました。

 障がいのある生徒と一緒に仕事をするとか、生活するとかの経験がなかったので、いろいろ大変なこともあったと思います。それでも2週間のおつきあいの中で、自分の人生が変わるような気づきがたくさんあって、すっかり惚れ込んでしまったといいます。実習が終わって帰り際、佐藤さんは涙がとまらなかったといいます。

 そんなことがあって3年後、佐藤さんはなんと近くの養護学校でコンサートの企画をします。京都からじぶんの好きな歌手を呼んで養護学校の生徒たちに聞かせるんだといいます。

「マサル(佐藤さんちに泊まり込んで実習した生徒)のおかげで自分の人生が変わった気がするから、そのお礼よ」

と事もなげに佐藤さんは言います。歌手へのギャラとか交通費を考えるとそれなりのお金がかかったのではないかと思うのですが、もうびっくりしました。

 

 後日、よく働く生徒が見つかったから、来年の夏、またお願いします、って電話したら、

「いや〜別によく働くなくてもいいよ、俺は養護学校の生徒といっしょにいるだけで楽しいんだよ」

 「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉がまだなかった頃の話です。人と人との出会いこそ、新しい時代を切り開くのだと思います。

 

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ぷかぷかのパン屋があることが街の価値を上げている

 2年前のぷかぷか上映会の感想に「ぷかぷかのパン屋があることが街の価値を上げている」というのがありました。

 

《 4年前に霧ヶ丘に引っ越してきました。毎朝、ぷかぷかのパンを食べています。娘は保育園でもぷかぷかのパンを食べています。この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。映画を見て、それをますます感じました。霧ヶ丘の街が、ぷかぷかが、ますます好きになりました。》

 

 ぷかぷかの評価はいろいろありますが、

 「街の価値を上げている」

というのは初めてです。

 感想を書かれた方は4年前に引っ越してきた方のようですが、この街に来てぷかぷかさんたちのとほっこりあたたかな出会いを経験し、この街に来てほんとうによかったと感じたのではないかと思います。多分それまでは障がいのある人たちとこんな楽しいおつきあいはなかったのではないかと思います。だから余計にぷかぷかさんたちとの出会いが新鮮で、うれしかったのだと思います。この街に来て、障がいのある人たちと思いもよらない楽しい出会いがあったこと、この街に来なければ、こんな風に彼らと出会うこともなかったし、こういうことってこの街の価値をあげてるんじゃないか、というわけです。

 

 ぷかぷかは街の人たちの障がいのある人たちと出会って欲しいと思い、街の中にお店を作りました。障がいのある人たちの魅力を知って欲しいと思ったからです。彼らの魅力を知る人が増えることは、街を豊かにすると考えていました。

 今回は街の人、つまりは彼らと出会う側からの、今までにない新しい視点を教わった気がしました。あれができないこれができない、効率が落ちる、役に立たない等々、マイナスの評価の多い彼らですが、出会ってみたら素敵な人たちじゃないか、こんな素敵な人たちと出会える場があるってことは、素晴らしいことだよ、街の価値を上げているよ、と街の人がいっているのです。

 「街の価値」という言葉が新鮮でした。ぷかぷかさんたちの存在が、街の価値を引き上げている。素敵な言葉だと思いました。

 

 家で飼っている猫の絵をぷかぷかさんに描いてもらい、それをTシャツに転写して、子どもに着せている方が昨日の「でんぱた 米まつり」に来ていました。

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(お母さんのFacebookに載っている写真)

人、子供、立っている、レンガ壁の画像のようです 

 

アート屋わんどで頼んだうちの猫のチーちゃんのTシャツ。
好きです!素敵すぎます!
 
とお母さんのFacebookにありました。ぷかぷかさんは街の人たちがこんな素敵な物語を作り出すお手伝いをしているのです。こんな風にして街の価値を上げているのだと思います。

虐待を起こさないような関係を日々作っていく

県立障害者施設で虐待事件があり、あまりにひどいので県に対し質問状を出しました。

www.pukapuka.or.jp

  で、その返事。

 

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 どこまで本気でやるのか、といった感じです。いろいろ研修はやったようですが、こんなありきたりの研修で人は変わりません。研修に本気度が感じられないのです。

 ぷかぷかがやった人権研修会はこんな感じです。

www.pukapuka.or.jp

 

 月刊『創』に渡辺一史さんが事件について原稿を書いています。

www.tsukuru.co.jp

binb.bricks.pub

 

 いずれにしても県には期待できないので、自分で虐待を起こさないような関係を日々作っていくしかないのだと思います。

 コロナでこの2年、休んでいた演劇ワークショップを来年は感染対策をしながら再開しようと思っています。障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいことが素直に伝わるような舞台を作ります。虐待を起こすような関係とは正反対の関係です。

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オオキしゃん  (養護学校キンコンカン-⑤)

 養護学校の教員をやっていた頃の話です。

 

 トミちゃんは業務員のオオキさんが大好きです。一日一回は会わないと気がすみません。オオキさんに会いたくなると「オオキしゃん」とぼそっとつぶやき、もうそれだけでうれしくなって「ヒャ〜」ってコーフンした声が出て、顔はもううれしくてうれしくてくしゃくしゃ。

 「ようし、オオキしゃんとこ行くか」

と、トミちゃんの手を引いて業務員室に向かいます。業務員室が見えてくると

 「オオキしゃん、オオキしゃん、ヒャ〜ッ」

と、声がだんだんうわずって、うれしさに身もだえするように床にひっくり返ってしまいます。誰かのこと好きになるって、こういうことなんだとしみじみ思ったりしました。

 業務員室の前まで来ても、すぐには飛び込んだりせず、ちょっとはにかむように業務員室の方をチラチラ見ながら、まわりをうろうろします。大好きな人に会える気持ちの高まりをちょっとずつ楽しんでいる感じなのです。トミちゃんは、ふだんは何かと大変な子どもなのですが、こういうところを見ると、ほんとうはすごくナイーブな心を持ってるんだ、となんだかうれしくなってしまいます。

 そうして長い時間かけて気持ちの高まりを楽しんだあと、いよいよ業務員室に飛び込みます。オオキさんがいれば

 「オオキしゃん!オオキしゃん!ヒャ〜ッ」

と抱きついたり、手を引っ張ったり、床にぺたんと座り込んだり、もう大変な騒ぎ。顔はもう幸せではち切れそう。

 でも、机の上にお菓子があったりすると「オオキしゃん!」とうわずった声を出しながら、机に向かって突進。カメレオンの舌のような早業でお菓子を口に運んでしまいます。このあたりがトミちゃんのすごいところ。

 

 トミちゃんが人の名前を言うのはオオキさんだけです。毎日いちばんつきあっている担任のぼくの名前は、くやしいことに一度も口にしたことがありません。まわりの教師たちの名前も口にしません。それはそのまま、トミちゃんがまわりの人をどんな風に感じているかを物語っています。

 学校の中でいちばん子どもの面倒を見ていると自分で思い込んでいる教師の名前ではなく、いちばん地味な仕事をしている業務員のおじさんの名前を口にするというところが、なんとも痛快というか、トミちゃんの人間を見る目の確かさを思うのです。

 学校には業務員さんのほか、スクールバスの運転手さんや添乗のおばさん、給食の調理員さんといった、子どもたちにいわゆる「指導」をしない人たちがたくさんいます。そういう人たちは子どもたちとごくふつうにつきあっていて、見ていてとても気持ちがいいです。そのことをいちばん感じているのは子どもたちだと思います。

 

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 「しばいごや」に登場したバスの運転手さん(中央蝶ネクタイのおじさん)とバスの添乗のおばさん(右側赤いドレスとサングラスの女性)、その後ろ、赤いシャツにサングラス、鼻に白い線を引いている怪しい男が若き頃のタカサキ。

 

 「オオキしゃん」とつぶやいて、床にひっくり返ってしまうくらいうれしいトミちゃんを見ていると、ぼくも含めて教師というのは子どもたちに対して何をしているのかと思ってしまうのです。「タカサキぃ」とつぶやいて、床にひっくり返るくらい喜ぶ子どもがいないのはどうしてなんだろう、ということこそ、真剣に考えねばならない問題だと思うのです。

 トミちゃんとオオキさんのおつきあいを見てると、人と人がおつきあいすることの豊かさのようなものを感じます。「指導」という関係は、こんな豊かさを作り出しているだろうかと思うのです。機会見つけてオオキさんのところへ教えを請いに行こうかと思っています。

1000年プロジェクト

 上野さんのいろいろ米、ライ麦をこれから先も長く残して欲しいと思い、何年か前から農業法人(複数の人間で上野さんの思い、技術を共有しながらいろいろ米、ライ麦を作っていく)の提案をしているのですが、なかなか話が進まず、どうしたものかと思いながら先日上野さんに会ってきました。

 たまたま出かけた日の朝日新聞朝刊に「千年耕せる農業」と題した記事がありました。「千年後もこの地を耕し続けられるよう持続可能性と生物多様性に資する農業をしたい。それには有機農業だ。」という記事です。

digital.asahi.com

 千年先を見通しながら農業やるってすごいなと思いました。

 上野さんのいろいろ米、ライ麦も1000年先まで残せたらいいなと思いました。いろいろ米もライ麦もそのくらい価値あるものだと思います。残すためにはどうしたらいいのか。1000年先を考えると家族だけでやるには多分むつかしいです。たくさんの人のつながり、アイデア、情熱が必要です。それを「上野さんのいろいろ米・ライ麦 1000年プロジェクト」という形でやってみてはどうかと思うのです。

 奥さんの礼子さんの話では、地元の生産者の集まりでも、

「やっぱり上野さんのお米が一番」

と、評判だそうです。お米を作る技術と上野さんのお米への思いがそういうおいしいお米を作り出しているのだと思います。そのおいしいお米を1000年先まで残すにはどうしたらいいのか。技術と思いをどうやって継承していくのか。そのことを上野さんにも考えて欲しいとお願いしてきました。

 そのアイデアを広く募集します。アイデアは takasaki@pukapuka.or.jp までメールでお願いします。そのうち上野さんのいろいろ米、ライ麦の魅力を伝えるサイトを作りたいと思っています。

 いろいろ米もライ麦も大事にしたい社会の財産です。その財産を1000年先まで残したいと思うのです。

いろいろ米を作っている田んぼ

f:id:pukapuka-pan:20211031185150j:plainライ麦の畑

f:id:pukapuka-pan:20211031185303j:plain上野さんご夫婦

f:id:pukapuka-pan:20211031185402j:plain家の天井の梁がすごい

f:id:pukapuka-pan:20211031185439j:plainお土産にいただいたぽんせんとうどん。ラベルの絵を描いたのはぷかぷかさんです。

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いろいろ米の入った食パン

ぷかぷかではライ麦の入ったカンパーニュ、食パンを作っています。

お食事処「ぷかぷかさんのお昼ご飯では」いろいろ米を使ったおいしいランチを提供しています。

教会に行ってきました。

 コンノさんは今、就労移行の事業所で研修をやっています。毎週水曜日の夜、六角橋教会の祈祷会に参加していると聞いたので出かけてきました。

 

最初に賛美歌を歌います。

www.youtube.com

 

聖書を読みます。

www.youtube.com

 コンノさん、企業就労目指して就労移行の事業所に行ってるのですが、実習しても就職先がなかなか決まらず、実習に行かない時は箱折りをやったりして、楽しい日々とはいかないみたいです。教会に来るのは「安心の港」としてくるようだ、と牧師さんはおっしゃっていました。先々不安を抱える日々。だからこそ教会を信頼し、ここに来るとホッとした気分になるようです。水曜日の夜の祈祷会に毎回来るようになったのはこの1年くらいだそうです。就労移行の事業所に行き始めてからです。

 昨日の朝日新聞「折々のことば」

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 コンノさんが教会へ来て祈るのは、待つほかないものを待ちきっているのかも、と思いました。

 

 

 コンノさんが聖書を読んだあとの牧師さんのお話で「信じる」とか「祈る」という言葉の意味がよくわからなくて、帰ってから動画を何度も見直しました。3日くらいたって、「信じる」って、自分の「信念」(障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ)を信じることであり、それが実現することを願いながら様々なことを実践すること、それが「祈る」ことの意味ではないかと思い、牧師さんに問い合わせたところ、その通りです、という返事が来ました。

  牧師さんによると

「イチジクの木の場合、イエスの義憤(マグマ)が行動に出たのが、すぐ手前の(悪名高い)「宮浄め」の話。その後日談として付け加えられたのがイチジクの木と考えると、イチジクの木を「呪った」というより、エルサレム神殿をイチジクの木にたとえ、当時のユダヤ教の堕落ぶりを非難した話となります。そのうえで、「信じる」ことと「祈る」ことを、神殿祭儀や律法順守(行為主義)の上に置こうとしたと考えられます。つまりは「原点回帰」という宗教改革運動。」

なんだそうで、なるほど、と思いました。

 ぷかぷかも障がいのある人たちの社会の中での扱いに、やりきれなさ、憤りを感じながら、それでもそれを前面に出すことなく、

「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」

と前向きの形でメッセージを出し続けていますが、イエスの「義憤」はとてもよくわかります。やまゆり園事件に関するブログを書き続けているのは、まさに「義憤」です。

 

教会に行ってきました。

コンノさんは今、就労移行の事業所で研修をやっています。毎週水曜日の夜、六角橋教会の祈祷会に参加していると聞いたので出かけてきました。

 

最初に賛美歌を歌います。

www.youtube.com

 

聖書を読みます。

www.youtube.com

 コンノさん、企業就労目指して就労移行の事業所に行ってるのですが、実習しても就職先がなかなか決まらず、実習に行かない時は箱折りをやったりして、楽しい日々とはいかないみたいです。教会に来るのは「安心の港」としてくるようだ、と牧師さんはおっしゃっていました。先々不安を抱える日々。だからこそ教会を信頼し、ここに来るとホッとした気分になるようです。水曜日の夜の祈祷会に毎回来るようになったのはこの1年くらいだそうです。就労移行の事業所に行き始めてからです。

 昨日の朝日新聞「折々のことば」

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 コンノさんが教会へ来て祈るのは、待つほかないものを待ちきっているのかも、と思いました。

 

 

 コンノさんが聖書を読んだあとの牧師さんのお話で「信じる」とか「祈る」という言葉の意味がよくわからなくて、帰ってから動画を何度も見直しました。3日くらいたって、「信じる」って、自分の「信念」(障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ)を信じることであり、それが実現することを願いながら様々なことを実践すること、それが「祈る」ことの意味ではないかと思い、牧師さんに問い合わせたところ、その通りです、という返事が来ました。

  牧師さんによると

「イチジクの木の場合、イエスの義憤(マグマ)が行動に出たのが、すぐ手前の(悪名高い)「宮浄め」の話。その後日談として付け加えられたのがイチジクの木と考えると、イチジクの木を「呪った」というより、エルサレム神殿をイチジクの木にたとえ、当時のユダヤ教の堕落ぶりを非難した話となります。そのうえで、「信じる」ことと「祈る」ことを、神殿祭儀や律法順守(行為主義)の上に置こうとしたと考えられます。つまりは「原点回帰」という宗教改革運動。」

なんだそうで、なるほど、と思いました。

 ぷかぷかも障がいのある人たちの社会の中での扱いに、やりきれなさ、憤りを感じながら、それでもそれを前面に出すことなく、

「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」

と前向きの形でメッセージを出し続けていますが、イエスの「義憤」はとてもよくわかります。やまゆり園事件に関するブログを書き続けているのは、まさに「義憤」です。

彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。

でんぱたしんぶんに短い詩を投稿しました。

 

 彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。

 彼らがそこにいるだけで、

 なんか気持ちがやさしくなるような、

 そんなたたずまい。

 彼らがそこに立っていること

 それが彼らのあいさつ。

 そのあいさつが心地いい。

 そのあいさつは、

 人が生きる上でなにが大切か

 教えてくれる。

 あーだこーだの小難しい話抜きで。

 彼らのね、そんなたたずまいがぼくは好きです。

 やっぱり彼らとはいっしょに生きていった方がトク!

 とあらためて思うのです。

 

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